2006年12月31日日曜日

大掃除は飼い猫に導かれ

朝起きると、まずすべての部屋のカーテンを開けてまわる。

飼い猫が寝ている居間に入った瞬間、思わず悲鳴を上げてしまった。

ウチの猫は非常に野性的で、よく、近所の空き地で狩ったどでかいドブネズミを室内に運び込んでは放置する。最近では死骸の内臓が丸出しとなっている状態のこともあり、後片付けは気が滅入る作業だった。

しかし、冬場は狩りをやめ、おとなしくしていることがおおいので、ここの所ずっと、ネズミの死骸処理をすることはなかったのだが、今朝、まさに今、猫がネズミの内臓にかぶりつき、ガリガリ音を立てながら食い散らかしているシーンを目撃してしまったのだ。

場所は、獲物をとってくると必ず置く、テレビの台の下。

今日のはいつになく豪快なかぶりつきようで、床の広い範囲が、血で汚されている。

大声を上げて、猫をしかりつけたところ、動転したのか、食べ途中のネズミをくわえてあちこち走り回った後、掃除しにくい竹ラックの中に逃げ込んでしまった。猫が走り回ったあとには、ネズミの血が転々と滴り落ちている。

いやがおうでも、拭き掃除をしなくてはいけない状態。

今年の年末は、大掃除はしないつもりでいたのだが、猫が逃げ回った後を掃除しているうちに、気づいたら本格的な掃除をすることになってしまっていた。

ちなみに、ビクラム暦が公暦であるネパールでは、西暦の年末年始はまったくといっていいほど関係のない日々が送られ、12月31日も、1月1日も普通の平日。

しかし、少しでも年末年始気分を高めたいため、おせちを作って正月を待つことにしている。ネパール産の材料を使えば簡単にできる7品目(きんとん、ごまめ、黒豆、松風焼き、煮しめ、紅白なます、白身魚の入らない伊達巻たまごもどき)と、お雑煮のだしとりは終わらせていた。

そして大晦日、しないつもりだった大掃除を、飼い猫の粗相に導かれ、最後の最後にする羽目となってしまった。

2006年12月23日土曜日

日本国籍旅行者に限りネパール入国時のビザ無料中!!

12月21日(22日?)より、日本国籍者に限りネパール入国時のビザ代が無料になっている。日本ネパール国交樹立50周年記念の一環であるとのこと。

実は、昨日夕方、とあるネパール人情報筋から、

12月21日より4ヶ月間、ネパール入国時に通常必要となる30USドルのビザ代(*)が日本人に限り無料となっている

という情報をもらっていた。

* 通常でも、ネパール滞在期間が3泊4日までであれば、ビザ申請は必要だが、ビザ代は不要となっている。ただし、それ以上の滞在者に対しては、30日間有効のビザを申請する必要があり、申請代金は30USドルだった。

昨日、情報をもらった時点で、すでにカトマンズ市内のイミグレーションは閉まっていたため、確認が取れないでいた。

また、情報を入手していそうな公的機関(在ネパール日本大使館含)に確認をとったが、詳細は不明とのことだった。

このため、誤情報であることを心配していたのだが、本日12月23日にネパール入りされた、ヒマラヤンアクティビティーズ利用の日本国籍ゲスト複数名に確認したところ、確かに無料となっていたとのことだった。(いずれも、2週間程の滞在予定者なので、本来であれば30USドルのビザ代が必要となっていた)

年末年始~2007年春休みにかけてネパール入りされる日本人の皆様、ネパールビザ代無料です!30USドルが不要となります!!

平和も戻ってきたネパール。旅行するなら、この機会をお見逃し無く!!

年末年始ネパールバンダ(ストライキ)はキャンセル(中止)となりました。

12月31日、1月1日と、マオイストによるネパールバンダ(全国規模のストライキ)が予定されていましたが、キャンセルとなりました。これで、年末年始陸路移動も予定通りできます。一安心です。

~ ~ ~

参考までに、バンダ(ストライキ)が実施されるとどうなるかというと、、、

車両での市内移動、長距離移動はできなくなる。チャーター車、ローカルバス、タクシーなど、エンジン付車両移動ができなくなるという意味で、具体的には、空港~市内移動/長距離移動/市内観光、等、すべてできなくなってしまう。

たとえば、

・ カトマンズ/チトワン/ポカラ空港~市内/ホテル間の移動

・ トレッキング前後の車移動

・ 市内観光

・ カトマンズ~チトワン、カトマンズ~ポカラ、チトワン~ポカラなどの長距離移動

などの車を使った動きが、取れなくなるのだ。

市内観光などは、急遽徒歩でできる観光に振り替えることができるし、空港~市内/ホテル間の移動は最悪歩くか、人力車を利用すれば何とかなるが、長距離移動は『陸路』にこだわる場合、代替方法がない。

国内線の運航には影響は受けないが、空港まで向かう足がないため、空路利用も困難となるし、突然の予約は満席だと入れられない。

外国人は対象にならないので、短距離間の市内移動などの場合は、旅行者であることを協調して車両移動ができることもあるが、投石を受けたり焼き討ちにあったりすることもあるので、極力車両移動は避けたほうが無難。

ネパールバンダが実施されたからといって、治安が急激に悪くなるわけではないのだが(むしろ、車が走らないので、カトマンズ市内の空気は澄み、のどかに徒歩観光ができる)、車移動に影響がでるため、厄介なのだ。

年末年始のバンダが回避されて、本当によかった。

2006年12月20日水曜日

バンダ休日は石を投げるための日

事務所の隣に、軽度のダウン症の男の子が住んでいる。14歳だというが、見た目はもっと幼い。
男の子だが、カンチ(末娘というような意味。愛情を込めて使う)というニックネームで呼ばれていて、みんなから愛されている。

ティハール祭の時には、カンチや彼の兄弟、近所の子供たちがみんなでかわいい歌と踊りを披露してくれて、私たちもおひねりを奮発した。

男性スタッフを兄のように慕っているせいか、時々事務所をのぞきにやってくる。お目当てのスタッフがいると、中まで入ってきて、愛嬌をふりまき去っていく。

バンダ(スト)の日の昨日、外でヒマそうにうろうろしていたカンチを見かけたので、きいてみた。

エー、カンチ!(おーい、カンチ、というような意味)、学校行かなくていいの?

するとカンチは半分真剣な顔で答えた。

今日は石を投げる日だから、休みなの。

バンダと投石はつき物。緊迫感があるときもあるが、大体が、投石=日頃の鬱憤を晴らすお楽しみイベント、という感じだ。

それを、カンチも認識しているとは。冗談だったのか、本気だったのか。

いずれにしても、バンダ=投石(=楽しい休日)、という構図が浸透しているのはどうかと思ってしまう。

2006年12月19日火曜日

マオイストによるバンダ(カトマンズ盆地内):大使館からのお知らせ転載

以下、12月19日朝付、大使館からのお知らせ一部転載です。

===転載ココカラ===

大使館に入った情報によりますと、マオイストは、本日(12月19日)午前10時から午後5時までの間、カトマンズ盆地内において、バンダ(強制的ゼネスト)を行うと発表しております。従って、同時間内、カトマンズ盆地内での車両による外出は控えて下さい。また、マオイストによる道路封鎖、デモ行動が行われている周辺には、近づかないようにして下さい。

===転載ココマデ===

* 上記転載記事、当ブログ発信者により、一部編集しています。

2006年12月17日日曜日

マオイスト提示用ネパールトレッキング日程表

11月21日に政府とマオイストの和平合意が成立し、平和ムードのネパールだが、いまだにトレッキングルート上でのマオイストによる寄付金徴収は行われている。

特に、アンナプルナ方面。

トレッキング日数1日あたり100ルピーの計算で、通行料と証した寄付金を、相変わらずマオイストは外国人トレッカーに要求しているとのこと。(エベレストトレッキング方面での徴収は11月21日以降廃止となった模様)

TRC(10月27日より導入され、12月12日から休止となったトレッキング許可証)が施行されていた間は、そこに記載されたトレッキング日数に応じた金額の支払いを求められていたようだが、TRC制度も休止となり、トレッキング日程を明らかにする公の記載物がなくなってしまった。

マオイストにトレッキング日数を尋ねられた場合、ガイドが口頭で回答することになるわけなのだが、日数が短いトレッキングの場合、マオイストが信用してくれない場合があるのだそうだ。

ガイドには、英語で書いた手書きの日程表を持たせているので、ガイドがそれをマオイストに見せ、日数の証明をすることもあるようなのだが、『ネパール語で書いた正式な日程表を作ってくるように』と言われ、もめることも時々あるそう。

そこで、無駄なトラブルを防ぐため、マオイストへ提示するための、社名&スタンプ入り+ネパール語での日程表を作成することにしているのだが、違法な寄付金徴収用に正式な文書を用意して備えるというのも、なんだかおかしな話だ。

2006年12月15日金曜日

朝霧が及ぼすネパール国内線への影響

12月11日に雨が降って以降、カトマンズ冬の名物、濃い朝霧が発生するようになった。

この影響で、国内線運航に影響が出ている。

午前9~10時以降、霧が晴れたとたんに国内線が飛び立つ音が聞こえ始めるのだが、まず優先的に飛ぶのがマウンテンフライト(本来は早朝6~7時台発、1時間ほどの遊覧飛行)。その後、ポカラ線を含めたフライトの運航が始まるので、午前便が午後にずれ込むことも多い。

たとえば本日も、カトマンズの霧が晴れ始めたのが午前9時過ぎだったためか、通常午前9時頃終了する予定のマウンテンフライトが、12時頃までかかっていた。

冬のネパールでは、仕方のない国内線事情。遅延を承知の上で利用するしかないところがつらい。

2006年12月13日水曜日

予約

日本では何事においても予約は早いうちがよいという認識がある。たとえば旅行に行くとき、早めに航空券やホテルをおさえておけば、あとは出発日まで安心、というような気分になれる気がする。

が、ここネパールでは、早めの予約は間違いのもととなり、危険。

航空券予約、ホテル予約をする際、8割ぐらいの確率で、3ヶ月以上前に入れた予約は忘れられているのが、ここネパールの現実。

直前になって再確認すると、予約が入っていなかったり、まったく違った日にちと時間に入れられていたり、希望がまったく伝わっていなかったり、という信じられない事態が平気で発生する。

だから私たちでは、予約を入れたら、1週間に一度ぐらいは、その予約が確実にキープされているかを確認しているのだが、うっかり確認を怠ると、大変なことになるから気が抜けない。

結婚披露宴の予定を一年前から計画し、会場を予約する段取りのよい日本人のつめのアカでも、ネパール人に煎じて飲ませてやりたいぐらいだ。

ネパールの新しいトレッキングシステムTRC一時休止(中止)に

本日付ネパール語新聞『カンティプール』によると、10月27日より導入された新しいトレッキングシステムTRCは、昨日(12月12日)より一時休止となっている模様。

記事によると、はっきりしたルールが決まっていない状態での施行について、観光省からTAAN(Trekking Agencies Association of Nepal )に通達があったことが原因の様子。

しかし、TAAN加盟トレッキング会社に対して、この件に関してのTAANからの連絡は、今のところナシ。TRC導入前は、頻繁に連絡があったのに、一時休止情報は13日現在なにもないとは、一体どういうことか。12月10日にもTRC申請事務所に行ってきたところだが、普通に申請受け付けていた。

それはさておき、次回告知があるまで、TRC導入前のように、個人トレッキング(ガイドもポーターもつけないトレッキング)ができる状態にもどったようだ。ネパールトレッキング慣れしている個人志向のトレッカーにはもってこいのニュースのはず。

年末年始のトレッキングに向けて、TRCのせいでとりあえずポーターだけを予約してしまったトレッカーも多いと思うが、キャンセルして個人トレッキングに切り替えるのもアリかも。しかし、事前告知期間が驚くほど短い状態でころころ事情が変わるのはネパールの得意ワザ。果たしていつまでこの状態が続くのかは不明。

年末年始に、TRCのためだけにポーターを予約されたヒマラヤンアクティビティーズ利用者の皆様、ポーターキャンセルを希望される場合は、どうぞお早めにご連絡ください。カトマンズ入り後すぐのカトマンズ~ルクラ間国内線手配または、ポカラ線国内線手配、アンナプルナ国立公園入園許可証申請代行のみに変更することも可能です。(ただし、すぐまたTRC導入が義務付けられる可能性もありますので、どうぞよくご検討ください)

2006年12月11日月曜日

冷たい雨の1日~体の芯から温まる食べ物~

朝、7時頃までは明るい朝焼けが広がり、朝の静かな空気に乗って、国内線便がカトマンズ空港から飛び立つ音が聞こえていたのだが、7時半頃、ふと気づくと、ポツポツ雨が降り始めていた。

そしてその後、夕方まで冷たい雨が降り続いたカトマンズ。

国内線も早朝の何便かと、一部午後発便をのぞいて、欠航便が多く出ていた模様。

気温も上がらず、寒い1日となった。(朝7時の外温8度、室温12度)

こんな寒い日には、温かいものを食べて、身体の芯から温まるのが一番。

日本人となら鍋!といきたいところだが、周りはネパール人のみ。

うう、さぶさぶ、こんな日は、温かく甘いミルクティー(*)か、ヤギ骨スープでものんで、温まりたいね。

ということで、私たちのオフィスでは、近所の肉屋からヤギの(肉付)骨を1kg分買ってきて、キャンプトレッキング用の圧力鍋や食器などの調理器具を倉庫から取り出し、スパイスたっぷりのヤギ骨スープを作って、スタッフ、知人やゲストで食したのだった。



写真下2つがヤギ肉スープ。ヤギの骨、にんにく、しょうが、塩、青唐辛子、スパイス10種ほどをバターで炒め、圧をかけてよく煮込んだもの。コリアンダーもたっぷり。

丸皿分はスープを食べに来た知人からの差し入れ。下から時計回りに、チウラ(乾し米)、煎り大豆(スパイス風味)、大根のアチャール(即席漬け)、ヤギ内臓の炒め物、ジャガイモのタルカリ(カレー風味おかず)。

ちょっとしたパーティーメニューのよう。

* 温かく甘いミルクティーは、カトマンズなどのネパール人宅では年間を通して一般的な飲み物だが、私たちのオフィスでは普通、砂糖無し薬草茶(ハーブティー)を愛飲している。でも、寒い日にはあま~いミルクティーを飲みたくなるものなのだ。

2006年12月4日月曜日

ネワールの人たちとヨマリ



12月の満月の今日は、ネワール族の人たちが、ヨマリと呼ばれる餡入り饅頭のようなものを、食べる習慣のある日。

ヨマリについての以前の記事 こちら もどうぞ。

カトマンズ盆地にたくさん住むネワール族。日本人と気が合うのか、それとも、確率的にそうなりやすいのか、ネワール族とかかわりのある日本人は非常に多い。自分の職場にはネワールの人しか置きたくない、バフン・チェットリなどもってのほか(大嫌い!)と断言する日本人もいる。

バフン・チェットリというのは、ヒンドゥ教を信仰する、カーストでは高い部類に属する人たち。見た目インド人顔で、威張って見えるせいか、日本人ウケは一般的に悪い気がする。実際は、民族カーストに関係なく、性格なんて人それぞれなのだが。

さて、私はなぜか、こちらに暮らし始めてからも、まったくといっていいほど、ネワールの人たちとの関わり無く過ごしてきた。右を見ても左を見ても、ネワールの人たちばかり、というカトマンズで、ネワール族の知人を持たずに過ごす日本人というのは、非常に珍しいかもしれない。

しかし、2年ほど前から、カトマンズに隣接するパタン市に住むネワールの人たちと、とある事情で関わることになり、時々家を訪れている。

前置きが長くなったが、本日も用事で朝訪れ、用件を済ませて立ち去ろうとすると、お母さんに引き止められた。

ヨマリ、食べていきなさいね。

そうだった、12月満月の今日は、ネワールの人たちがヨマリを食べる特別な日。
見ると、彼女は、せっせとヨマリ作りに励んでいるところだった。



急いでいたのだが、蒸し中のヨモリが出来上がるまで、待つことにした。ヨマリを作る彼女の横にすわり、ネワールの人たちにとっての、今日の日のことを、教えてもらいながら。

いろいろな民族が住むネパールで、異なった民族の、異なった習慣を知るのは、楽しい。

2006年12月1日金曜日

冬の醍醐味:カトマンズからみえるヒマラヤ!



雲ひとつない空に、そびえたつヒマラヤ。

カトマンズ市から南に約6~7km、パタン市郊外にて撮影。

もひとつおまけにどうぞ。



パタン市郊外、リングロード(カトマンズ市とパタン市を囲む環状道路)にて。

2006年11月30日木曜日

冬到来

先週末あたりから、突然寒くなってきた。

日中は、日差しも強くぽかぽか暖かいのだが、日のあたらない室内でじっとしていると、信じられないほどに寒さを感じる。

日の当たらない部屋の日中の室温14度ぐらい。

毛布も増やし、石油ストーブ、湯たんぽの準備も整えた。

2006年11月28日火曜日

カトマンズ→バンコク→関空(成田)間預け荷物の盗難被害

先日(11月25日)、TG便にてカトマンズを発ち、バンコク経由で関西空港へ向かった方から、預け荷物盗難に関する連絡をもらった。

日本到着後、ソフトスーツケースにかけていた南京錠が壊され、中に入れていた携帯電話とMP3が盗難されたとのこと。

旅の最後に、このような目に遭ってしまい、とても残念に思う。

ヒマラヤン・アクティビティーズ利用者の方で、このルートで預け荷物の盗難/盗難未遂に遭われた方は、過去、何名かいらっしゃった。撮影後の大事なフィルムや、めがねを盗まれたり、盗難被害には遭わなかったが、かばんの鍵が壊されていたり。

ちなみに、日本~アメリカ便の場合は、治安上の目的で預け荷物の中身も検査される関係上、スーツケースの鍵を壊されることは、事前に告知されている。しかし、日本~バンコク~ネパール往復便でもそのようなことがあるのかどうかは知らない。少なくとも、私は日本~ネパール間の路線を利用した際に鍵を壊された経験はない。

犯行は、どの空港で行われたのだろうか?

可能性として考えられるのは、カトマンズの空港または、バンコクの空港なのだが、状況的には、後者での確率が高いように思う。

というのは、カトマンズの空港の場合、搭乗手続き時に荷物を預けた後、その荷物が機内に運び込まれる間は、せいぜい2時間ほどしかない。しかも、カトマンズ空港利用者の方ならご存知かと思うが、預け荷物はいったん、機内に詰め込む前に、青空の下に置かれる(これから乗り込む予定の機体のすぐそばに並べられるのだ)。

つまり、大勢の目の前にさらされている状況が長いので、短時間に鍵を壊し、金目のものだけ盗むという作業をこなすのは、難しいのではないか、という理由から。

しかし、バンコクの空港では、数時間の乗継時間がある。その間、カトマンズで預けた荷物が、バンコク到着後、どのように扱われているのか、まったくわからない。

バンコク発日本までの乗り継ぎ便がTG便でない場合は、いったん、倉庫のような場所に呼ばれ、カトマンズで預けた自分の荷物を確認させられる場合もあるが、TG便乗り継ぎの場合は、日本に到着するまで自分の荷物とは一切関わり無く過ごすことになる。となると、状況的には、バンコク空港でのほうが、犯行に及びやすいのではないか、と思ってしまう(あくまでも、ネパールびいきの私の勝手な憶測)。

いずれにしても、旅の終わりに、預け荷物盗難の被害に遭うと、せっかくの楽しい思い出も台無しになってしまう。

このような事態を回避するために、鍵をかけた預け荷物であっても、貴重品は絶対に入れないよう、気をつけよう。

2006年11月27日月曜日

フライト欠航時ルクラ空港での戦い

先週(11月19日~)連日5日間ほど、天候不良によりカトマンズ~ルクラ間の国内線がほぼ全便フライトキャンセルとなっていた。

ルクラ空港周辺の視界不良がキャンセルの原因となっていたようだ。

そんな中、視界が晴れた隙を見て飛んだ便も何便かあった。その1便に、カラパタールまで行く私たちのゲストも乗ることができていた。待機1日だけで、ルクラに向かうことができ、ほぼ予定通りトレッキングを開始することができたのは、不幸中の幸いだった。もし、運悪くルクラ行きに乗れていなければ、トレッキング開始日を数日ずらす羽目になったか、もしくは、急遽ルートを変更する必要が生じていただろう。

さて、それはいいとして、問題なのは、カトマンズに戻って来られず、連日ルクラ周辺で待機しているトレッカーたちだ。

カトマンズ空港でフライトキャンセルに巻き込まれる分には、予定を変更すればよいだけだが、トレッキング終了後、ルクラにて連日のフライトキャンセルに巻き込まれると、もう、どうしようもない。

トレッキング終了後も日程に余裕がある場合、カトマンズに戻るのが多少遅くなってもそれほど問題は出ないが、帰国便の日程が迫っている人の場合は、なんとしてでも、予定通りカトマンズに戻る必要が出てくる。

しかし、飛行機は1便も飛ばない。トレッキングを終えたトレッカーが日ごとに増えていくので、ルクラ空港待機客は増える一方。精神的に疲れ、最悪な状態となる。

このような状態が何日も続くと、痺れを切らして、カトマンズに向けて歩き始める人や(ルクラ→カトマンズ間は歩いて数日かかる)、ヘリコプターをシェアして飛ぶ人などが出始めるのだが(数百ドルかかる場合も)、多くの人は、天候の回復を信じ、ルクラ空港にて待機し続ける。

昨日、この欠航時にルクラ空港にて連日待機していた方に、現場での実情を聞かせてもらう機会があった。

はじめのうちは、空港側でも秩序のある対応をしてくれていたとのことだが、最終的には優先順位などまったく無視で、運良くカトマンズから飛んできた便があると、金、コネ、権力にものをいわせた乗客のみが、搭乗できるチャンスをもらえていたとのことだった。それはもう、すざまじい世界が繰り広げられていたようだ。

話が飛ぶが、年末年始に限られた日程でエベレスト方面のトレッキングに出かける予定の方は、カトマンズに戻ってこられなくなる場合の状況も考え、フライトキャンセル時の対策もあらかじめ練っておくと安心かもしれない。そんなことを、身にしみて感じてしまった。

2006年11月26日日曜日

計画停電1日9時間準備中?

本日付ネパール語新聞サマチャールパットラの一面にあった見出しを見て驚いた。

毎日9時間の計画停電準備中

記事によると、12月半ばより実施されるかも、ということだ。

ネパールでは、停電は日常茶飯事。何の前触れもなく、突然電気がブチッと切れ、そしていつの間にかまた、突然復活するということは普通のこと。誰も何もさわがない。

こういう突発的な停電より、計画的にわかっている停電のほうが、単純に考えると、ありがたいといえる。しかし、1回の停電時間が長いし、計画停電時間以外の不計画停電は相変わらず突発的にやってくる。このため、『計画停電』が発表されると、二重停電の絶望感に襲われるのだ。

昨年からの水不足により、今年初め、1週間に17時間の停電が実施されていた。その後、停電時間は拡大され、3月時点で1週間に35時間の停電となったこともあった。と、さらっと書いてみたが、1日5時間電気が来ない生活を想像してみてほしい。まず、日本の生活からはありえないことだと思う。

その後、1日12時間の停電も予定されていたようなのだが、うまい具合に回避される運びとなり、そのまま雨期に突入したため、しばらくは長時間停電からは逃れられていた。

しかし、今年の雨期も降雨量が少なかったようで、今年9月から、また、1週間に1回、3時間程度の計画停電が復活していた。が、ネパール秋の大祭時に停電は一時回避となってから、気づいたら最近では実施されていなかった。

このまま来年頃までは順調に行くのかと思っていたのだが、やはり甘かったようだ。

週1回程度、毎日違った地域で9時間の停電が実施されるのか、それとも、全地域で毎日9時間の停電となるのか。いずれにしても、電気のない寒い冬を想像するだけで、とても寂しい気分になってしまう。

2006年11月22日水曜日

ネパールに平和が戻ってきた



昨晩、政府とマオイストの間で和平協定調印式が行われた。約10年続いたマオイスト問題が、終結した。

そして本日は、急遽祝日となった。

夜には、平和を祝してオイルランプに火を灯し、静かに祝福する光景も見られた。

ここ数年、『危険』なイメージが強まってしまっていたネパール。

普通に生活している分には、外出禁止令が出されていたときも、ストライキが頻繁に実施されていたときも、特に危険を感じたことは一度も無かった。カトマンズ市内で一時期、小規模な爆発物騒ぎが頻発していたことがあったのも事実だが、危険だと感じたことは、正直一度も無かった。ネパールに住んでいながら、無責任かもしれないが、日本の新聞でネパールのことが騒がれていたときも、実際は、他人事のようでしかなかった。

しかし、旅行者の間ではイラク並みに危険な国、と勘違いされていることもあったようで、政情混乱の影響が、ネパールを訪れる旅行者数にも大きく影響していた。

そういう混乱も、終わった。これからは、以前のような平和なネパールが戻ってくることを信じたい。

* ただし、ネパール人の性質上、政情とはまったく関係のない自己本意の突発的なデモやストは、今後も行われることが予想されるので、そういう点では、ネパール入り後も現地情報はしっかり入手することをおすすめする。

2006年11月21日火曜日

漢字のサインはサインではないのか?

私は、ネパールの2つの銀行に個人口座を3つもっている。

預金を下ろすためには、チェック(小切手)を切るか、銀行のATMカードを使うことになる。

ATMは、故障している場合があり、お金が出てこないこともあるので、チェックを切ることが多い。チェックの前面、裏面には、私を識別するサインを書く必要がある。

1つの銀行では、漢字のサインを受け入れてくれているのだが、もう1つの銀行では、頑として漢字のサインを受け入れようとしない。外国人の利用も多い、大手銀行なのに。「漢字は行員が理解できないから、ローマ字でないとだめ。または、一部分にローマ字が入っていればOK」という、よくわからない理論が、銀行側の言い分。

初めて口座を作った際にこう言われ、仕方なくローマ字表記のサインを登録していた。しかし、いくつもサインがあると混乱するので、パスポートのサイン(漢字)に統一しようと、何度か銀行側に掛け合ったことがあるのだが、「漢字のサインはだめ」と相手にもしてもらえなかった。

しかし最近、その銀行に口座を持つ日本人で、漢字だけのサインを登録している人をみかけた。なんだ、漢字サインもOKしているんじゃないか。

銀行側に再度問い合わせてみた。すると、「漢字のサインでもかまわない」という。それどころか、その行員は「サインに使用する文字が英語であろうが日本語であろうが、関係あるはずがないではないか」と、理解のあることを言う。

ネパールでは、人によって言うことがバラバラで、そのために翻弄させられることが多いのだが、今回のこの行員のまともな発言を信じ、先日、サイン変更届を提出していた。しかし、やはり受理してくれていなかったことが本日判明した。前回とは違う行員にその理由を尋ねると、やはり「漢字のサインはだめ」とのこと。

「なぜ?漢字のみのサインをこの銀行で使っている日本人を、見たことがあるけれど?」とたずねても、「ネパール人が読み取れない漢字のサインなど、ネパールで通用するわけがない」と、相変わらずわけのわからない答えしか返ってこない。

「そもそも、サインというのは、他人にまねされないようなものを考えるのであって、それがどんな文字であろうがかまわないのではないか?極端な話、○や☆などの記号であっても、問題ないはずだ。それに、他の銀行では問題なく漢字のサインを使用できている。漢字のサインは読み取れない、というが、それでは、英語やネパール語のサインなら解読できるというのか?」 

と抗議し、近くにいた見知らぬネパール人の、英語だかネパール語だかわからないサインが書かれたチェックを奪い取り、行員に提示したところ、返答に困ってしまった様子。

しかし、最終的にはやはり、「漢字のサインは受け入れられません」の一点張りで頑として認めてはくれなかった。

2006年11月20日月曜日

ネパール国内線:9時間待ち後にキャンセル決定の悲劇

天候の影響を如実に受け、遅延、欠航が生じやすいカトマンズ~ルクラ間、ポカラ~ジョムソン間のフライト。この2区間は、この時期、外国人トレッカーの利用も多い。

後者の、ポカラ~ジョムソン区間については未確認なのだが、カトマンズ~ルクラ間は、昨日今日と、全便(カトマンズ発/ルクラ発便とも)欠航となっていた模様。

ここのところずっと、カトマンズ上空は晴れてはいるのだが、ルクラ付近の視界が開けていないらしい。昨日は雲が立ち込めており、本日は雨が降っていたとのこと。有視界飛行で、なおかつ、ルクラ空港は こんな にスリリングな空港であるたため、視界が開けないと全便欠航となってしまうのだ。

本日、ゲストとガイドが、午前6時15分カトマンズ発ルクラ行き始発便を利用し、ルクラへ向かう予定だった。カトマンズ市内のホテルを出発したのは、早朝5時15分。

普段は、予定していた便が飛んだかどうか、航空会社に確認を入れることにしているのだが、本日は昼過ぎまで確認するのを忘れていた。

本日、午前発のカトマンズ発ポカラ行き便を利用したゲストもいたのだが、こちらは、それほど遅延することなくポカラに到着したという知らせがガイドから入ってきていた。というわけで、ルクラ便も順調に飛んだものとばかり思い込んでいた。

しかし、14時半、ルクラへ飛んだものとばかり思っていたはずのガイドから、連絡が入った。聞くと、カトマンズの空港からだという。もう少し待てば、ルクラの視界が開け、飛べるようになるのではないか、と、今の今まで待たされ続けていたようだ。しかし、結局午後になって欠航が決まり、市内に引き返すハメになったという。

早朝5時半からカトマンズ空港で待機し始め、実に9時間も空港内にて待たされたというわけだ。ガイドもゲストも、朝食も昼食もとっていない状態。

欠航となった場合、自動的に翌日の同じ便に振り替えとなる。つまりまた明日、振り出しに戻って、早朝5時頃にはホテルを出発しなければいけない。明日は欠航とならないことを祈りたいが、天候が相手なので、運を天に任せるしかないというのが、実際のところなのだ。

2006年11月19日日曜日

10万ヒット御礼

2005年1月終わりから更新し始めたこのブログ。その約1ヶ月後に、なんとなくつけてみたカウンターが、昨日10万を超えました。

今年4月のネパール政変時に急激にアクセス数が増えて以来、毎日、いろいろな方に訪れていただいています。

どうでもいい内容の投稿もたくさんありますが、ネパールに住む一日本人女性(そう、私は女です。男だと思っている方も、時々いらっしゃるようですが)の目から見えてくる日々のことを、これからも書いてみたいと思います。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

2006年11月16日木曜日

エベレスト(ネパール名:サガルマータ)はどこにある?

新しく雇った女性スタッフが、かかってきた電話を受けた。

ナムチェバザール(エベレスト街道トレッキング拠点となる標高約3500mの山間の町)からの電話のようだ。会話の内容から、電話の主は私たちのガイドを探していて、今後のトレッキング予定を聞いているようだった。おそらく、ナムチェあたりに住み、ポーターで生計を立てている、私たちのガイドの知り合いに違いない。

エベレスト街道トレッキングでガイドが同行し、ポーターも必要となるとき、ルクラ(カトマンズから国内線で約30分の場所にあるトレッキング開始地点。標高約2800m)から雇用することが多い。ポーター採用の基準は、たいてい、そのあたりに住んでいるガイドの親戚関係にあたる者、いつも利用するロッジで紹介してもらった者、などとなる。

電話のやり取りを聞いていたのだが、電話の主と、女性スタッフとのかみ合わない会話に、思わず苦笑してしまう。女性スタッフの基本的知識不足が原因で、とんちんかんなやり取りとなっているのだ。思わず、貴女、ネパール人でしょ、と突っ込みたくなってしまうような返答ばかり。

たとえば、これ。

電話の主に「クーンブ地方のトレッキングは次回いつか?」と聞かれたのだろう。予定表を見ながら、さらっと答える彼女。

「え?クーンブ??次にあるのはエベレストベースキャンプまでのトレッキングで、クーンブの予定はないわ」

・・・おいっ!だからその、クーンブ地方の中に、EBC(エベレストベースキャンプの略。標高約5400m)も含まれるのだが、彼女はわかっていないようだ。日本版に直すと、『え?東京方面にいつ行くかって?新宿に行く予定はあるけれど、東京に行く予定はないわ』といっているようなもの。

ナムチェバザールからの電話だ。こんな埒の明かないやり取りをしていたら、先方の電話代ばかりが高くついてしまって気の毒だ。痺れを切らして、私が電話を替わった。

あなた、ウチのガイドの知り合いなのね?ポーターの仕事を探して電話してきたんでしょ?数日後にガイドがルクラ入りする予定だから、待っていれば仕事につけるわよ。

電話の主は、やっと話がついて安心したように電話を切った。

生まれ育った街の外には、なかなか出る機会の少ないネパールの人たち。特に女性は箱入り娘状態で、自分が住む地域以外のことはまったく知らないことも多い。そんな人たちのことを、なんとなく愛しくも感じはする。が、ネパール人として世界に誇るエベレストがある地域を知らないというのも、どうしたものかと思ってしまう。一般庶民にとっては、エベレストなどその程度のものなのかもしれないが。

2006年11月15日水曜日

KaとKhaの違い

日本語で「か」と表される音。人によって、ソフトに「か」と言う場合もあるだろうし、少し強めに「か」という場合もあるだろう。でも、ひらがなで表すと、どんな音でも「か」は「か」となる。

しかし、ネパール語では、「か」は4音に区別される。日本語同じ「か(Ka)」と、くちをすぼめて言う「か」、ちょっと強めに吐き出すようにいう「か(Kha)」と、吐き出しながらもくちをすぼめていう「か」。ネパール語表記が見えるかどうかわからないが、この4つの「か」の違いは、文字で表すと『का』『क』『खा』『ख』となる。

この「か」が引き起こした、笑い話をひとつ。でも、ネパール語の意味がわからないと笑えないので、あしからず。

最近銀行に用があり、何度か訪れている。

書類作成に、2枚の顔写真(証明写真)が必要になる。持参していた写真は、2枚とも同じ画像ではあるのだが、サイズがちがった。一枚は、周りを切り落とし小さくしてしまっていたのだ。サイズが違うものでも扱ってもらえるだろうか?

そういう意味をこめて、女性行員に尋ねた。「一枚は切ってあって、一枚は切ってないんだけど、大丈夫かしら?」

その瞬間、行員の手が止まった。そして、写真と私を見比べるようにして「???」という顔をした。周りにいた人たち(見知らぬ人たち)は、みんな、くすくす笑っている。

あれ?私、なんか変なこと言ったかしら?と、瞬時に自分が発した文章を頭でさらってみる。そして気づいた。

私の「か」の発音が微妙におかしかったせいで、まったく違う意味の、でも、意味の通じる笑える内容になってしまっていたのだ。

「一枚は Khate で、もう一枚は Khate じゃないんだけど、大丈夫かしら?」

Khate(カテ)という単語には、人を軽蔑するニュアンスが含まれる。

*ここから一部ネパール文字を含む: 『एउटा चाहिं खातेको, अर्को एउटा चाहिं खातेको छैन।』と言ってしまったからまったく違った意味になってしまった。 本当は『एउटा चाहिं काटेको, अर्को एउटा चाहिं काटेको छैन।』 と言ったつもりだったのだが。 『か』以外にも『て』の発音も異なる。

つまり、私は、自分の写真さしながら、自分に対して侮辱したことになる。意訳はこう。(自分の顔写真をさして)「一枚はしょうもなくて、もう一枚はまあまともなんだけど、大丈夫かしら?」 ・・・和訳しても、まったくおかしくないのが残念。

ネパール人に聞かせると、大爆笑でウケてくれるのだが。

2006年11月14日火曜日

1年のうちで28日あるのは何月?

日中、FMラジオをかけっぱなしにしていた。流れていたのは、女性DJが、電話をかけてきたリスナーにいくつかクイズを出し、その合間に曲を入れる、というような番組。

聞くともなしに聞いていたのだが、女性DJが次のクイズを口にしたとき、思わず手を止め、ラジオに集中してしまった。

少々気取った女性DJが出したクイズはこれ→1年のうち、28日ある月は何月でしょう?

間髪いれずに突っ込みたくなる。そんなの、2月に決まっているじゃないの!

しかし、回答者である男性リスナーは、答えられない。うーんと考えている。

はじめを聞き逃してしまったので、男性の年齢や職業はわからなかったのだが、声から判断すると、決して子供ではない。若くても、10代半ばはいっている声だ。

しかし、答えられない。

常識的なこんな簡単なことがわからないこの男は、アホなのか?と思いたくなるところだが、日常的にビクラム暦が使われているネパールでは、大の大人でも、グレゴリオ暦の月と日数を瞬時に答えられない人は多いのだ。(本日、2006年11月14日は、ビクラム歴では2063年7月28日)

実際、ネパールの役所を訪れると、グレゴリオ暦の月と日数(たとえば、January -31、Februay-28・・・)を記載した早見表が、恥ずかしげも無く戸棚に貼られている光景を、目にすることがよくある。

日数の移り変わりは、31日→30日→31日・・・と繰り返されるので、8月は30日までしかないと勘違いしてしまう人も多い。

2006年11月12日日曜日

署名

銀行に用事があり行ってきた。

私の作業をしてもらっているカウンターの近くに、どう見ても銀行とは縁のなさそうな、乳飲み子を連れた女性が、慣れない様子で立っていた。たった今、村から着の身着のままで出てきたようないでたちの女性。ショールで背中に赤ん坊をくくりつけ、足元はぞうり。

見ていると、口座開設手続きをしているようだった。ネパールでは、銀行口座など持っていない国民のほうがおそらく圧倒的に多く、持っていたとしても、都市部に暮らす男性の所持率のほうが、多い。統計から確認したわけではないが、おそらくそうだといえる。

それが、いかにも村の女性といった風貌の女性が、男性の付き添いも無く、乳飲み子を連れて口座開設に来ているのは珍しい。自分の意思できたのだろうか。それとも、何か理由があって開設することになったのか。気になってちらちら目をやってしまった。

女性が、必要な書類いくつかに署名をする段階になった。担当の女性行員が、心配そうにこう聞いている。「あなた、サインはかけるわね?」

ネパールでは、読み書きができない人も多い。都市部で働く人たちとばかり接していると、統計的にこの国では文盲の人のほうが多いことなど、忘れてしまう。しかし、実際には、読み書きできる文字は自分の名前だけ、という人はけっこういる。

しかし、女性は、「もちろん」(サインできます)というようにうなずき、行員から渡されたペンを受け取った。そして、署名箇所を確かめ、署名を始めた。

行員に何度も「ここに書いたサインと同じものを、お金をおろすときに書かなくてはいけないのよ。少しでも違った文字を書いたら、お金はおろせないのよ」と教えられている。女性は、その注意を聞きながら、時間をかけて、ぎこちない手つきで一生懸命つづっていた。横から覗き込むと、それは、誰にでもまねできてしまいそうな、大きな字体だった。

家で何度も練習してきたのだろうか。確かめるように、一文字一文字一生懸命つづる女性。精一杯の、そんな署名だった。

2006年11月11日土曜日

I have one wife.

TRCの関係で、ポーターのみ雇いたいというトレッカーが増えている。先日も、偶然事務所前を通りかかった日本人トレッカーがーポーターを探しにやってきた。

採用前に人柄チェックをしたいとのことで、各社まわって、ポーターの面接をして歩いているとのこと。私たちのポーターとも、いくつかの会話をしながら面接を始めた。

学校に一度も行ったことのない彼(ポーター)は、トレッキングをしながら覚えた英語を使って、もじもじしながら、ゲストの質問に答えている。名前は?とか、エベレスト街道には何回ぐらい行ったことがある?など、当たり障りのない質問に答えていたのだが、ふと一瞬、会話が止まってしまった。

横で見ていた私やスタッフが、ネパール語で助け舟を出す。

「自分の家族のこと話してみたら?独身なのか、妻子もちなのか、とか」

アイディアを得て、ポーターが英語で話し出す。

「ボクは24歳で、村には息子と、1人の妻がいます」

横で見ていた私たち、一同爆笑。ポーターはなぜ笑われているかいまいちわかっていない。すかさずスタッフが「Only one wife、ね。将来はわからないけど」とからかう。

そう、ここネパールでは、法律的には認められていないようだが、一夫多妻の習慣は、まだ残っている。浮気など絶対に許さない一般的な男女の価値観の持ち主から見れば、一夫多妻など理解できず、ドロドロの愛憎劇が繰り広げられそうなイメージかもしれないが、実際は、そんなことも無く、仲良く円満に過ごしている場合も多い。

スタッフがしつこく繰り返す。「彼には、1人の妻がいるだけだよ」。それを受けてポーターがもう一度繰り返す。「Yes, I have only one wife」。そして周りにまた笑われるのだが、彼はといえば、きょとんとしているだけだった。

2006年11月10日金曜日

父親の名前、祖父の名前

ネパールでは、公的書類作成時に、父親の名前が必要になることが多い。

私が外出時に持ち歩いているネパールの運転免許証には、しっかり父親名が記載されている。

新たな銀行口座開設をすることになり、本日手続きをしてきたのだが、そうだった、ここでも父親名が必要になるのだった。

ということで、本日も何箇所か父親名を書いてきた。

書類によっては、父親の父親、つまり、私の祖父の名前を記載する必要まであることがある。以前、そのような場に遭遇した際、20年近く前に他界した祖父の名前の一部を、すぐには思い出せなかったことがある。

そのとき、ふと思い出したのが、男性名としても使えそうな、カタカナ2文字の祖母の名前。ネパール人に日本の男女名を区別できるはずも無いから、祖母の名前が男性名に使用できようができまいが、関係ないのだが。

適当な名を書くよりかは、身内の名前を書いたほうが多少はマシだろう、と、祖父名欄に祖母名を記載したことのある、罪深い私なのだ。

2006年11月7日火曜日

11月10日カトマンズ中心部での集会中止に

(11月8日付追記)11月10日、カトマンズ中心部で予定されていたマオイストの大規模集会は中止になったとのことです。

以下、参考までに、中止前に掲載した記事を残しておきます。

~ ~ ~


この日、車での市内観光を予定している私たちのゲストがいるのだが、ひどい渋滞と混乱に巻き込まれる恐れがあり、観光は無理かもしれない、などと、残念だが考えている。厳密に言うと、過去の例から判断して、観光自体には支障は出ないが、観光の際の移動が困難になる恐れがあるのだ。

詳細は、次の通り。11月10日市内観光や移動を予定している人は、注意しよう。

===

以下、11月7日付、在ネパール日本国大使館からのお知らせ転載

マオイストの集会

1.マオイストの大規模集会
 マオイストは11月10日(金)、カトマンズ市のトゥンディケルにあるオープンシアターにおいて中央レベルの大規模集会を実施すると発表しています。当日は、プラチャンダが公の場でスピーチを行うことから、カトマンズ盆地外からも多数のマオイスト関係者が動員(強制的に動員されるものも含む)され、また、マオイストは集会開始前に市内をラリーすることを計画しているとの情報があります。従って、カトマンズ市内の交通に大きく影響が出る可能性があります。

(1)日程等(マオイストプレスリリースから抜粋)

●ラリー
日時:11月10日(金)午前10時から12時まで
場所:バラジュ、ゴンガブ、スワヤンブナート、チャバヒル、ドムバライ、ナヤンバ    ネショワール、シーフォール、ジャワラケル、マンガルバザールから集会会場に向けてラリーを実施します。

●集会
日時:同日午後0時から
場所:トゥンディケルにあるオープンシアター(ラトナパーク近く)

(2)注意事項

●当日は、車両での外出を控える

●ラリーが行われている周辺には近づかない

2.マオイストの宿舎要求行為

(1)宿舎要求行為

 マオイストは、地方から動員するマオイスト関係者に宿泊先を提供するためにカトマンズ盆地内の一般家庭に宿泊させることを要求する事案が発生しており、在留邦人の家庭にもそのような要求事案が発生しています。
 マオイストは公式的には強制ではなく、任意的な協力を求める旨表明していますが、下部レベルの活動家まで全て統制がとれ、紳士的に要求するとは限りませんので、慎重に対応することをお勧めします。

(2)対応要領

● 個人で対処することなく、近隣等と相談して意思統一を図り、地域又は集団で対処 する。

● 相手をできるだけ刺激しない。特に拒否する場合はより丁重に断る。
 例:日本人はネパールで参政権も有しておらず、日本人一個人としてネパールの政治に関与できないこと等を明確に説明する。

● 相手に譲歩し、要求を受け入れる場合でも必要最小限度の協力に止める。
 例:宿泊はさせず、食物、毛布などの提供に止める

● 具体的な案件については、大使館領事・警備班に相談して下さい。
 
※ 大使館 電話(代表) 4426680
  領事担当      98510-20-158
  警備担当 98510-20-150

転載以上

2006年11月6日月曜日

ネパール国内線値上げ2006年11月7日より適用

先日、ネパール国内線値上げが検討されているという記事を掲載したが、明日2006年11月7日より適用されることが決まった。

値上げ後の価格については、母屋の国内線運賃を掲載しているページに公表する予定だが、とりあえず、外国人の利用が多い主要ルートについて、ここに記載したい。

(見方)区間 本日までの価格→値上げ後11月7日以降の価格 *いずれも、片道料金のみの表示とする。

カトマンズ~ポカラ間 76USドル→80USドル
 
 → アンナプルナ方面トレッキングへ行く場合、始発地点となるのがポカラ。ツーリストバス移動も可能だが、空路を利用すれば片道30分と非常に便利な区間。

カトマンズ~ルクラ間 97USドル→101USドル
 
 → エベレスト方面トレッキングに行く場合、始発地点となるのがルクラ。ルクラ空港ネタは、先日も記事にしたところだが、スリル満点の空港は一度体験する価値はある。

マウンテンフライト 124USドル→132USドル 

 → 所用約1時間の遊覧飛行。トレッキングに行く時間が無くても、マウンテンフライトでヒマラヤ山脈を間近で拝むことができるという、便利なフライト。ただし、天候に非常に左右されやすいフライトで、先週~今週にかけて4日間ほどは天候不良により連日欠航となっていた。

2006年11月4日土曜日

ネパール主流トレッキングルートでのマオイストによる通行料の話・追加

ネパール主流トレッキングルート上にて、マオイストによる通行料と証した金銭要求が堂々と実施されている。(去年までも、マオイストによる通行料要求は行われていたが、軍や警察に隠れて実施されていた。しかし、今は堂々と行われており、取締りなどはされていない)

* マオイストとは?外務省海外安全ホームページ にてご確認ください。

エベレスト方面、アンナプルナ方面については、今秋行ってきたガイドからの報告により認知していたのだが、ランタンに到着したガイドからも本日、電話が入り、ランタン方面での実地報告も得ることができた。

用件のみの報告だけだったので、具体的な徴収場所などは確認できなかったのだが、額は以下の通り。ランタントレッキングルートおよび、他の主流トレッキングルートの情報もあわせて、記載したい。(いずれも、本日現在有効だが、今後どうなるのかは不明)

ランタン方面:トレッキング日数×1日あたり100ルピーの計算で徴収

エベレスト方面:パグディン周辺にて、トレッキング日数×1日あたり100ルピーの計算で徴収

アンナプルナ方面:ナヤプルからトレッキングを始める場合は、ナヤプルやや上で1回のトレッキングあたり1000~2000ルピー/フェディからトレッキングを始める場合は、ランドゥルン手間でトレッキング日数×1日あたり100ルピーの計算で徴収

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『トレッキング日数×1日あたり100ルピー』という計算で徴収しているが、では、どうやってマオイストはトレッキング日数を知るのか?

10月27日以前は、ガイドまたはトレッカーの自己申告制により徴収されていたようだ。このため、短めのトレッキング日数を伝え、それに応じた額を支払うことも可能だった。復路、同じ場所にてマオイストにチェックを求められてしまうと、差額分を再度徴収されてしまうことになっていたようなのだが、運良く見つからなければ、少ない金額しか支払わないことも可能だったわけだ。

しかし、10月27日より、状況が変わってしまった。それは、新しい許可証TRCのためである。TRCには、トレッキング期間および日数が、しっかり明記されてしまっている。このため、マオイストも、トレッカーにTRCを提出させ、トレッキング日程を確認し、その日数に応じた額を徴収しているとのことだ。TRCがこういう使われ方をされてしまうのは、なんだか腑に落ちない。

先述の通り、本日ランタンに到着したガイドから電話連絡があったのだが、彼がガイドしている私たちのゲスト(日本人)がマオイストに通行料を支払うそばに、他のアジア人パーティーがいたとのこと。

そのパーティーにもガイドがいたそうなのだが、通行料に関してのやり取りは、マオイストが自ら、外国人トレッカーに話をつけなければいけない状況になっていたそうだ。しかし、言葉がまったく通じない。そこで、マオイストが私たちのガイドに、こう頼み込んできたそうだ。

「君、彼らの言葉がわかるみたいじゃないか。お願いだから、あのパーティーと交渉して、通行料を払うように頼んでくれよ」

アホなことを言うな、と、ガイドはもちろん断り、相手にしなかったとのことだが、調子のよさに、苦笑してしまった。

カトマンズで電話を受けたスタッフが、他のパーティーと交渉してやるから、その分、ウチのゲスト分は通行料タダにしろ、と要求すればよかったのに、と伝えると、相手がマオイストだけに、さすがにそんな要求はできなかったよ、と笑っていた。

2006年11月3日金曜日

ネパール国内線料金(運賃)値上げ近し

ネパール国内線値上げが検討されているようだ。

今年中には値上げとなるかもしれない。過去の例からいくと、片道2~5ドル程度の値上げとなることが予測される。

ヒマラヤンアクティビティーズにて今後のご旅行をすでに申し込まれている方については、国内線値上げ後も、ご連絡している代金に変更は生じません。

2006年10月31日火曜日

羊の群れと動物の呼び声



午前中のカトマンズ中心部。イミグレーションオフィスやビソバサキャンパスが面する通りにて、売られていく羊の群れに遭遇。

羊を率いるお兄さんの口から、リズミカルな声が聞こえてくる。ラッラッラッ・・・、あっあっあっ・・・。

前者「ラッラッ」は、ほらほら、とか、さあさあ、というような意味があり、後者「あっあっ」は、おいでおいで、という意味の単語原型(来る:アウヌ)を、最も敬意を払わないよう語尾変化したもの。声帯を開ききって発音する。

ネパールでは、動物を呼び寄せる際に使う呼び声「あっあっ」の前に、動物により異なる枕詞をつけることが多い。

たとえば猫の場合。必ず、「あっあっあっ」の前に必ず「す~~り」という音をつけるのだ。あえてひらがなで書いたほうが、雰囲気が合うのでそうしてみた。

小さな子供であろうが、紳士的な男性であろうが、若い女の子であろうが、猫を呼び寄せる時には、みんな何かにとりつかれたかのように猫を直視し、しゃがみ腰になり、片手を猫のほうへ差し出しながら、「す~~り、す~~~り、あっあっあっ・・・」という声を発する。「す~り」は高めに、「あっあっ」は低めに。見ていると、おかしくてたまらない。

その他、子ヤギには「むにむにむにむに」、牛には「な~に~」。水牛には「あ~ぃっ」(これは、水牛の鳴き声をまねている)などの枕詞がつく。

つまり、実際呼ぶ際には、「むにむにむにむに、あっあっあっ」、「な~~に~、あっあっあっ」、「あ~ぃっ、あっあっあっ」などとなるわけだ。いずれも、枕詞を高めに、「あっあっ」は低めに、という自然発生的ルールは変わらない。呼び声を聞くだけで、どの動物を呼んでいるかどうかわかるのが楽しい。

ちなみに、鶏を呼ぶときは、「とぅ~わ、わっわっわっ」という。ただし、これは、ネワール語(*)の呼び方。ネパール語を母語とするヒンドゥ教徒の知人に、ネパール語では鶏をどう呼ぶのかたずねると、鶏を食べる習慣がなく、飼ったことがないので知らない、という回答が返ってきた。

* カトマンズ盆地内には、「ネワール族」が多く住む。彼らの母語はネパール語ではなくネワール語。

2006年10月30日月曜日

ネパ女、逆ナンパの下心

久々に、タメル地区(旅行者が集まる繁華街)にある日本食レストランで遅い昼食をとった。

そこへ行くときはたいてい、昼食の時間帯を避け、客が減る時間を見計らっていく。しかし、今日は昼食にしては遅い時間だったにもかかわらず、何組か客が入っていた。日本人が多かったのだが、一組だけ、ネパール人女の子の3人組がいた。

必要以上に派手な服を着て大人ぶっているが、見るからに10代。幼さが残る。妙にそわそわして周りの異性を意識しているような、あまり品のない子たち。このぐらいの年代の子が、繁華街タメルの外国人向けのレストランで女の子だけで食事をするのは非常に珍しいから、どういう類の子たちだろう?と思ってしまう。

タメル地区内を、男の視線を集めるような服を着て、女の子たちだけで歩くことは、日本的感覚で言えば、未成年の女の子がナンパされることを目的に歌舞伎町に繰り出すことような状態と似ている。保守的な親世代では、ふしだらな街タメルに、年頃の娘を行かせたがらない人も多い。

彼女たちは、妙になれた調子で注文している。ネパールのカネモチに多い、小遣いをほしいだけ与えられている成金の馬鹿娘か、と、失礼なことを、心の中で思ってみる。

午後の静かな日本食レストランに、彼女たちの存在は明らかに浮いている。しかし、多少おしゃべりの声が大きい以外は、他人に迷惑になるようなことをしているわけでもないので、特に気にしないことにした。

少したって、店に若い日本人男性が一人入ってきた。長期旅行者を気取ったヒッピー風。多少英語はできるらしい。日本語でメニューを取りにいった店員に、わざわざ英語で答えている。

私は、彼女たちと、その男性の間の席に座っていたのだが、彼女たちが、私の席の後ろで、その男性を意識し始めたのが、彼女たちの会話からわかった。

その男性は、途中で、ビールを追加注文した。そして、1人で飲み始めた。すると、それと同時に、私の後ろの席に座っていた女の子の一人が、その男性におもむろに声をかけたのだ。

ネパ女:ねえ、あなた、ジャパニーズ?

ネパ女:1人旅なの?

それに、男性が答える。そして、西洋かぶれっぽい軽いノリで、ネパ女との会話を続けようとしている。

ジャパ男:君たちはみんなネパリーに見えないね。ジャパニかと思ったよ。ほら、ジャパニとネパリって、顔似てるじゃん?

私を挟んで、ナンパの始めのような会話のやり取りが繰り広げられてしまった。どうでもいいが、私を挟まずやってくれ、と思っていると、一番ハデめのネパ女が言った。

ネパ女:ねえ、そっちの席に移っていいかしら?

なんなんだ、この子ら? これが、外国人同士の会話なら別に普通だが、ネパール人女性が、ビールを飲んでいる男性に白昼堂々と声をかけ、なれなれしく近寄るなんて、いったい何事だ。ガイジン目当てで遊び周っている子たちなのか? などと思ってしまう。

現地人の女の子に声をかけられて、断る男性もいないだろう。(ちなみに私は女です)

ジャパ男はどうぞ、と、女の子を招く。

ネパールにはいつ来たの?とか、どこに泊まっているの?などという平凡な会話がしばらく繰り広げられていたのだが、そのうち女の子たちのメニューがそろったので、男性が席を移動して、女の子3人の中に加わる形となった。

私の後ろで、妙になれなれしい会話が繰り広げられていく。思わず耳をダンボにして聞いてしまう。

年齢の話題になった。ジャパ男がこういう。「ボク、こう見えても○○歳なんだよ」

それを聞いて、女子たちが、オーバーリアクションでいう。「ワオ!そんな風に見えないわ。もっと若いかと思った」

ジャパ男が尋ねる。「そういう君たちは何歳なの?」 ネパ女の1人が答える「私は16」。

16? 若すぎる年齢に、聞いているこっちがびっくりする。完全に逆ナンパのスタイルで始まった彼らの会話なのだが、仕掛けた女の子たちの中に、まだ16歳の子もいたとは。

普段、素朴なネパール人女性と接することがほとんどのせいか、彼女たちの大胆さぶりに、度肝を抜かれる。

しばらくして、1人の子が、突如こんな話題を出した。

ネパ女:ねえ、日本行きのビザって、とるの難しいのかしら?

なるほど。ジャパ男を引っ掛けようとした目的はそれか。

先進国のビザを取得することが難しいネパール人たちは、外国人と知り合いになり、ビザ申請のための身元保証人になってもらおうとあの手この手でトライするのはよくある話。

日本人がらみで多いのは、ネパール人男性が、ビザ目的で日本人女性に近づく、というケースらしいのだが、私の後ろで繰り広げられている会話は、まさに逆パターン。驚いてしまった。

それにしても、知り合って5分もしないうちにいきなりビザ話を持ちかけるとは。アタマ悪いなあ、と思ってしまう。

その後も、ずっと事の成り行きを聞いていたかったのだが、私の食事が済んでしまったので、店を出ることにした。

あの後、どういう展開となったのか、少し気になっている。

2006年10月29日日曜日

外と中の気温

朝晩は寒さを感じるようになってきたカトマンズ。

毎朝温度計を見ているのだが、大体、北側の部屋の室温が、朝6時半頃で16~18度。しばらく温度計を外に出しておくと、15度以下まで下がる。

日中は20度以上まであがって、外に出るとじりじり照りつける刺すような強い日差しが、相変わらず痛いほど。しかし、室内にずっといると寒さを感じることもある。

コンクリート造りで、木枠の窓など密閉しない構造、しかも、暖房設備が整っていない家が多いため、これからの季節(冬になると)、屋外より屋内のほうが寒いという、ヘンな状態になるのだ。

2006年10月26日木曜日

ネパールトレッキング新許可証TRC申請風景と現物



ネパールの新しいトレッキング許可証TRC申請受付が10月21日より始まった。明日10月27日以降、トレッキングルート上にあるチェックポストにて、検問が始まる。

次の画像は、トレッキング許可証外側と内側。





赤線を引いた部分には、個人トレッカーまたはグループは、トレッキング会社に関わる最低1名のフィールドスタッフを雇用する必要がある、というようなことが明記されている。(補足:ガイド1名をトレッキング会社から雇用し、ポーターをトレッキング始発地点・・・例:ルクラやジョムソン・・・から雇用する、という方法であればまったく問題ない)

アンナプルナ国立公園入場料(Rs.2000)や、エベレスト/ランタン国立公園入場料(Rs.1000)を支払うカウンターには、外国人のトレッカーの姿が目立つのに対し、このカウンターでは、外国人の姿は見られない。外国人トレッカー個人では、申請不可、TAAN所属トレッキング会社を通して申請をする必要があるからだ。

TAANに所属していないもぐりのトレッキング会社や、フリーのガイドなどは、知り合いのTAAN所属トレッキング会社から、TRCを買う、という現象も起きている。

しかし、TRCを発行すると、それが記録として残り、最終的には、申請したトレッキング会社に納税の義務が課されることになる。やすやすと代行を引き受け、あとあと膨大な額の課税をされると恐ろしいため、代行申請をためらっている会社は多い。

トレッカーにとっても、トレッキング会社にとっても、果たしてメリットがあるのかないのかわからない新許可証なのだが、はっきりいえることは、明日から個人トレッキングはできなくなるということだ。

それでも、何とかして個人トレッキングを試みたい方はがんばってみるといいと思うが、罰せられる恐れがあるので、違法なことは極力しないほうがよいだろうと個人的には思う。

私たちが申請していると、1人の西洋人風男性トレッカーがやってきて、ややケンカ腰で、TRC受付スタッフに立ち向かっている姿が見られた。

トレッカー(以下T) 「この許可証がないとトレッキングにいけなくなると聞いたが」

スタッフ(以下S) 「その通りです。TRC許可証を申請しガイドまたはポーターをつけなければ、トレッキングにはいくことはできなくなります」

T 「ガイドやポーターは要らないから、その許可証を発行してくれ」

S 「大変申し訳ありませんが、TRCはTAAN所属トレッキング会社を通してでしか申請できません。ガイドまたはポーターのアレンジも、そちらでしてもらってください」

T 「なんだと!オレは、もう何度もネパールのトレッキングに行ってるんだ。ランタン、エベレスト、アンナプルナ方面ともに、経験豊かなんだ。それでも、ガイドやポーターをつけなくてはいけないのか!!」

S 「はい、それがルールですから」

しばらくこんなやり取りが続いていたが、最終的には「じゃあもう、トレッキングには行かん!」と西洋人トレッカーはたんかを切って去っていってしまった。

2006年10月24日火曜日

ティハール最終日~バイティカの日と大根~



ティハール祭最後の今日は、兄弟姉妹でティカをつける儀式を行う日。

私も、この日は、きょうだいの契りを交わさせてもらっている家庭を訪れる。

儀式というと、厳かで静粛なイメージだが、実際はわきあいあいと、冗談を言ったりしながら、行っている。

お父さんのきょうだい、お母さんのきょうだい、いとこ同士、などなど、いろんなパターンのきょうだい関係があって、順番に儀式を行っていく。順番待ちの人たちは、周りに座って、ティカの大きさを指摘したり、儀式の順序を教えたり、儀式に足りないものを準備しに走ったりと、何かと忙しい。

ヒンドゥ教には、何事にも占星術が強く関係するのだが、月と星回りから計算された、儀式を実施するのに適した時刻、というのがある。今年のバイティカは正午前後に実施するのが適しているとのことで、その時間に集中して順番にティカを付け合う。



儀式の横では順番待ちの女群がマニキュアを塗っていたり。



子供たちは、早々と儀式を済ませていて、すでにティカが取れかかっていた。

儀式を終えて、ご飯を食べた後、今年も例にもれず、近くの畑で取れた高菜と大根のおすそ分けをもらう。

こうやってティハールが終わると、一気に秋が深まり寒くなっていくカトマンズなのだ。

2006年10月22日日曜日

ティハール4日目~ガイティハールの朝~



今年もやってきた、牝牛(ガイ)にプジャをする日。

豪快で楽しいプジャ光景を楽しみに、毎年村を訪れる。



プジャ前に、牝牛に化粧をする。赤い粉や、白い粉を、体中につけるのだ。

マリーゴールドの花に、ティカ用の赤い粉(アビル)や、水溶き米粉をどっさりつけ、はんこの要領で、体中にポンポンつけて、飾ってあげるのだ。残った水溶き米粉は、最後は牛のえさになる。

マリーゴールドの花輪は、みんなの手作り。そこら辺一面に咲いているので、摘んで、糸でつなげて準備する。

写真が昨年と同じ構図なのが代わり映えしないが、いつ見てものどかな光景。

向かって右側にいるのは、ちょうど2週間前に生まれた子牛(オス)。君へのプジャは、あしただよ。



周辺には、稲刈り後の田んぼがひろがっていた。



牛さん今年もごくろうさま。

2006年10月21日土曜日

ティハール3日目~ラクシュミプジャの夜~



ティハール気分が最高潮に達するのが、ラクシュミプジャの夜。

日没後、各家庭で、ラクシュミ女神を迎えるための儀式をし、家の外にオイルランプの明かりをともし始めた頃から、歌や踊りを披露する人たちが、次々家にやってくる。


カトマンズで体験するそれよりも、村でのほうが断然楽しい。

顔見知りの村人たち子供から大人まで、今日はちょっとおめかしして、家々をまわるのだ。



グループを組んで、衣装をそろえ、本格的な歌や踊りを見せてくれる人たちもいる。



白熱灯のやわらかい光の中、ネパールの民族楽器マーダル(太鼓)やバンスリ(竹笛)に合わせて、歌い、踊る。



村人たちも集まって、幻想的な夜が過ぎていく。



おじいさんも。



途中で花火も楽しんだりして。

夜が更けても、遠くから太鼓の音や歌声が時折聞こえてくる。眠りにつくのが惜しい気がする、ラクシュミプジャの日、風情ある村の夜なのだ。

ネパールトレッキングの新しい許可証TRCについて

本日21日、正式発表がありました。

過去当ブログに記載していた内容と、多少異なる点もありましたが、10月27日よりTRC無しでのトレッキングは不可、TRCは個人での申請は不可という点については変わりありません。

ガイド、ポーターをつけなくてはいけない、という点も変わりないのですが、本日発表されたルール上では、トレッキング開始地にて雇用することも条件付で可、とのことでした。

近日中に、新ルール詳細について掲載します。急ぎの方は、メールにてお問い合わせください。

取り急ぎご報告でした。

TRCについての、これまでの関連記事は、以下をご参照ください。

* TRCについての参考記事:    

 1.2006年9月8日付記事:
  『10月からのネパールトレッキングには証明書(TRC)が必要になります』     
 
 2.2006年9月25日付記事:
  『TRC(トレッキング登録許可証・仮称)続編』    

 3.2006年9月27日付記事: 
  『ネパールトレッキングTRCについて(続々編)

 4.2006年10月18日付記事: 
  『ネパールトレッキングの新しい許可証『TRC』いよいよ導入秒読み

関連記事は、ヒマラヤン・アクティビティーズ のサイトもあわせてご覧ください。ご不明な点については、メール でも回答させていただきます。

2006年10月20日金曜日

ティハール祭期間に降った季節外れの豪雨



18時過ぎ、外出先で突然豪雨に見舞われ、そのうち雹も降り始め、しばらく雨宿りしていたところ、停電になり、真っ暗闇の中で撮ってみた写真。

ティハール祭も始まったというのに、まるで、季節が逆戻りしてしまったかのように降った雨だった。

さて本日は、犬にプジャをする日だった。



ウチの犬(厳密には大家が買っている犬)も、朝から無理やり花輪とティカ(おでこにつける赤い印)を無理やりつけられ、格闘していた模様。



3~4重にも花輪が巻かれている。

余談。犬の視線の先には私の飼い猫がいて、そ知らぬ顔で日向ぼっこをしてました。私の猫より3倍ほど体のでかいこの犬ですが、いつもしつこくちょっかいを出して、猫に嫌われています。

RA関空発便また大幅遅延

10月18日(水)の18時頃カトマンズ到着予定だった、RA関空発便。今回は、約1日半遅延で、本日20日(金)の午前9時頃到着したようだ。

ええまた!?と驚く私に、情報提供者は、たった1日半だよ、遅延といえる?と笑っていた。

確かに。

ちなみに、今回は、『ドアが閉まらなくなった』ことが遅延の理由だったようだ。

 ● RA便遅延に関する過去記事は、以下をどうぞ。
  RA(ロイヤルネパール)便、また全線大幅遅延しています (06年10月1日付)
  
  到着前からネパールを味わえます。 (05年8月17日付)

2006年10月19日木曜日

ティハールを目前にし他人に富を与える





毎年、ダサイン・ティハール祭の間の約1ヶ月間、大きなスーパーをはじめ、あちこちで特別セールやキャンペーンが実施される。

よく行くスーパーでも、ティハール終了までの期間限定で、何を購入しても2%分割引してくれている。

1ヶ月ほど前に少し話題に出したことがあったが、スタッフがバイクを買い換えることになった。この期間を狙って購入すると、ディスカウントに加えて、1000ルピー(約1600円)~最高3万ルピー(約5万円)相当の金塊が当たるキャンペーンを実施しているため、普段よりもお得らしいのだ。



金塊はプラスティック製のやしの実の中に入っているという。厳密には、金塊の重量が書かれた紙が入っていて、あとで引き換えてくれるそうだ。

はずれもあるそうだが、小額(2000~3000ルピー相当の金)ならば、かなりの確率で当たるとのこと。高額分が当たれば当たるだけ、その分バイク購入費用と相殺できるため、いかに運良く高額を選ぶか、かなり真剣な問題。



自称くじ運が悪いというスタッフは、前々から、くじ運の強い他人に引いてもらうつもりで、代理人を探し回っていた。それを私が聞きつけ、ネパールに来てからのくじ運ぶり(*)を自慢すると、それでは、君にやしの実を選んでもらおう、という話が、なんとなく決まってしまった。責任重大な役目だが、面白そうでもあるので、喜んで引き受けることにした。

(*)毎年12月に日本人会主催の忘年会が行われる。このとき、豪華賞品(以前は、カトマンズ~関空往復航空券なども商品にあったのだが、何年か前からは消えてしまった。年々、豪華さは薄れているが、それでも、なかなかよい商品もたくさんあるのだ)が当たるビンゴ大会が実施されるのだが、忘年会に参加して、商品を当てなかった年がないのだ。それも、それなりに、よい商品(過去に当てた例:5つ星リゾート1泊券、レストラン食事券、マウンテンフライトペア券、ヘリコプターシェア券、等)をかなりの確率で当てている。

バイクは、ダサイン祭前(約1ヶ月前)にインドから到着するはずで、そのときにくじを引く予定だったのだが、ここはネパール。予定が予定通り行くわけがない。『バイクは明日の夕方頃には必ず到着する』といわれ続けて早1ヶ月がたとうとしていた。

その間ほぼ毎日、『あすは、くじを引く出番が来るから夕方頃あけておくように』といわれ続け、よし明日こそは、と気合を入れては裏切られていた。狼少年もいいところ。この調子であと1年ぐらい待たされるんじゃないのかと、すっかりやる気もうせていた頃に、出番がやってきた。

時は昨日(18日)午後。今度こそ本当にバイクが到着したらしい、という知らせを受け、バイク屋に呼ばれる。すっかりやる気もなくなっていたし、どうせ当たっても私に利益があるわけでもない。まあ、適当にいこう、ということで、段ボール箱に入れられた15個ほどあるプラスティックのやしの実を適当にひとつ選んだ。



それを、バイク屋のスタッフにかち割ってもらい、金塊の重量が書かれた紙を取り出すと、7.5gの文字が。

果たしてこれは、よいのか悪いのか?瞬時には判断できないでいたのだが、周りは歓声を上げている。換算してもらうと、7.5gの金は、約1万ルピー(16000円程度)に相当するというのだ。バイク屋曰く、これだけの高額が当たる人は珍しいとのこと。

バイクを購入したスタッフも、かなり喜んでいる。

私としても、かなりうれしい、が、くじ引きの代理人であったことに気づいて、複雑な気分。

ティハール前に、ラクシュミ女神の役割を果たして、他人に富を与えてやった、といったところで、自己満足するとしよう。

2006年10月18日水曜日

ネパールトレッキングの新しい許可証『TRC』いよいよ導入秒読み

(10月18日付一部訂正有→赤字表記部分)

10月1日より導入される予定だった、新しいトレッキング許可証システムTRC((Trekking Resistration Certificate:トレッキング登録証明書(仮訳))。

導入直前になり、延期になるというどんでん返しがあったが、ついに、10月21日より申請受付が始まる。チェックポイントでのチェック開始は10月27日から。まだ、正式な文書などは届いていないが、すでに、TRC申請事務所も開設し、営業を始めている。

しかし、いまだ、申請用紙等は、TAAN(Trekking Agencies Association of Nepal:ネパールトレッキングエージェント協会)所属トレッキング会社である私たちにも、渡されていない。本日確認したところによると、近日中にメールにて詳細が送られる予定とのことだ。

TRCが導入されることにより、ガイドまたはポーターのいずれか1名を雇う必要がでてくることが、決定しそうだ。

個人でのトレッキングを計画している方も多いと思うが、TRCを所持していないと、トレッキングルート上にある検問所にて締め出される恐れや、違法トレッキングとして罰則が課せられる場合もあるという。10月21日以降にトレッキングを開始しても、10月27日までにチェックポイントを通過する場合、または、トレッキングを終了する場合は、TRCを所持していなくても大丈夫そう。それ以降は、絶対に不可、とのことだ。(いずれも、本日時点で文書は出ていないため、口頭で確認した内容であることを、あらかじめご了承いただきたい)

TRCについての、これまでの関連記事は、以下をご参照ください。 

* TRCについての参考記事:

 1.2006年9月8日付記事:
   『10月からのネパールトレッキングには証明書(TRC)が必要になります』     

 2.2006年9月25日付記事:
   『TRC(トレッキング登録許可証・仮称)続編

 3.2006年9月27日付記事:
   『ネパールトレッキングTRCについて(続々編)

関連記事は、ヒマラヤン・アクティビティーズ のサイトもあわせてご覧ください。ご不明な点については、メール でも回答させていただきます。

2006年10月16日月曜日

ティハール気分を高める音2

おととい、この時期に聞こえてくる爆竹の音に、ティハール気分が高まる、ということを書いたが、その他にもティハール気分を高める音が聞こえてくる今日この頃。

近所の若い男の子たちが、先週あたりから毎日、ベランダでフォークギターをかき鳴らすようになっていた。

とても遠慮気味に、小さい音で鳴らすので迷惑感はまったく無く、日本の60年代のフォークソングに似ているネパリ・ポップの曲調がむしろ懐かしいぐらい。(そういう私は70年代生まれで、60年代にはまだ誕生の可能性すらありませんでしたので、あしからず。でも、60~70年代J-Popは大好きです)

なんのために?と思っていて、ああそうかと気づいた。ティハール祭に向けて練習し始めたのだ。

ティハール祭の主役、ラクシュミ女神を家々に迎え入れるための儀式が、今年は10月21日の日没と共に行われるのだが、この日から3日間、人々が夜、近所や知り合いの家々を回り、歌や踊りを披露して、おひねりをもらう、という習慣がある。

小さな女の子たちが民族衣装で着飾り、自分たちをラクシュミ女神に見立てて家々をまわり、『ラクシュミ神があなたの家にもやってきましたよ』というような内容の、ティハール祭にしか歌われない歌を歌い、それにあわせて自分たちで考えた踊りを披露しながら周る、というのが基本。(男の子バージョンの定型歌もある。訪れる家々のことをほめたたえる歌で、聞いていて思わず爆笑することも。例:この家はなんて大きいんだろう!シンハダルバールみたいに、なんて大きいんだろう!という感じで、とにかく延々ほめたたえるのだ)

子供だけが楽しむのではなく、成人した大人も楽しむ。たとえば、事前にばっちりバンド形態での練習を重ね、トラック一台借り切って、楽器類を荷台につめこみ、知人宅を襲撃(?)し、練習成果を強引に聞かせて高額なおひねりをもらう、というようなことをする若い男の子たちもいるのだ。

ベランダでギターをかき鳴らし、はもりながら練習している彼らも、きっと、ティハールに向けての準備をはじめたのだろう。

その他、街では、家々を飾る安っぽい電飾も売られ始めている。外国でのクリスマス使用向けに作られたものが多いためか、光と共にクリスマスソングが流れているものも。

こちらの人は、クリスマスソングを知らない人も多い。(だから、携帯の着信音が、なぜか年中ジングルベルであったりする人もよくいる。指摘すると、それがクリスマスソングであることをまったく知らず、たまたま気に入って使っているだけだった、ということも多い) このため、特に違和感も感じないようだが(むしろ、光と共に音楽も流れてカッコイイぐらいの価値観かもしれない)、10月のこの時期からクリスマスを思い起こさせる電飾を見かけるたびに、ああ、ティハールか、という思いと、表現しようのない情けなさを感じるこの時期なのだ。

2006年10月15日日曜日

マオイストの要求2~ガイド保護のために?~



『マオイストの要求』と名づけた今回のネタだが、政治的な面からマオイストについて述べることは、私の知識では不可能。和平交渉に関わるネタではないことを、あらかじめ断っておきたい。

ホテルや旅行業界に、以前は主に金銭を要求していたマオイストたちが、最近では、金銭ではなくさまざまなことを要求・主張しているという。

先日、私たちの事務所にも、要求を記載したA4サイズ2枚の紙を持って、マオイストが現れた。そこには、トレッキングガイドやポーターを保護するためのたくさんの要求が書かれていた。内容は以下の通り。

1.ガイド/ポーターには、順番に仕事を与えること。(好みのガイドにだけひいきして仕事を与えるようなことをするな、ということ)

2.どんな状況のトレッキングにも、ガイド/ポーターを1名ずつ(計2名)つけるよう外国人トレッカーに強く勧めること。(雇用の確保が目的)

3.年間240日働いたガイドには、今後、一定の年数解雇しないという契約を結ぶこと。(雇用の確保が目的)

4.ガイドには、外国語(英語)を勉強する機会を与えること。

5.トレッキング中に事故にあったときに役立つよう、応急処置法を学べる機会を会社側で調整すること。

6.トレッキングには、応急処置セットを持参させること。

7.ポーターには、30kg以上の荷物を持たせないこと。30kg以上になる場合は、1kgあたり、2kg分の給料を追加すること。

8.ガイド/ポーターがトレッキング中に着用する衣類は、会社が支給すること。

9.6500mよりも低い場所のピークトレッキングに同行するガイドには、クライミングチャージとして最低でも200USドルを支給すること。

10.ガイド/ポーターには最低でも、1日あたり次の給料(金額はここでは省略)を支給すること。

11.ガイド/ポーターには、必ず会社側で、保険に加入すること。

===

上記のような基本的雇用条件を満たさないトレッキング会社が多く、ガイドやポーターが痛い目に遭うことも多いため、マオイストがこのような条件を主張し、ガイドやポーターを自分の味方につける作戦に出ているようだが(かなり要約しすぎだが、つまりはそういうことだといえる)、私たちでは、2.以外はすべての条件をクリアしている。

それどころか、かわいがっていたのに、本能のまま簡単に辞めていくガイドたちもいて、こちらが逆にバカを見ることのほうが多いぐらいだ。今年も少し前に、非常に残念な思いをしたと、このブログにも書いたことがある。

上記条件を満たしているのに、ガイドに裏切られたら逆に会社側を保護してくれるのか? 弱いものの味方になるのがあなたたち(マオイスト)のやり方なら、会社側の味方にもなってくれるような要求もあわせてガイドたちにしてくれ、と、半分冗談で詰め寄ってみると、返事に困ってしまった、自称マオイストたち。

まあ、とにかく、僕たちの要求にも目を通しておいてくれ、と、言葉を濁して立ち去ってしまった。

2006年10月14日土曜日

マオイストの要求1~ガイド保護のために?~

政治的な面からマオイストについて述べることは、私の知識では不可能。このネタで、2回連載する予定だが、現在進行中の和平交渉に関わるネタではないことを、あらかじめ断っておきたい。

マオイスト=毛沢東主義者。ネパールの反政府組織、という認識でよかったと思うが、今、政党との和平交渉が進んでいる。

マオイストが誕生してから約10年ほどの間に、ネパール国内で、マオイストと国軍、警察が衝突し、一般人も含めて多くの死傷者も出た。カトマンズ市内でも、小規模ではあるが爆発物騒ぎなどもよく起こり、これが原因で、ネパールは危険な国、というイメージが旅行者の間で強まり、旅行者もぐんと減っていた。

しかし彼らは、外国人には被害を与えることはないと宣誓していた。アンナプルナ方面トレッキングルートで、通行料と証して金銭を要求される被害にあったトレッカーは多いかもしれないが、傷害被害にまで発展する事件に遭遇した外国人は、おそらくいないはずだ。

今まで、カトマンズなどの都市部に現れることの少なかったマオイストだが、2006年4月の政変以降、カトマンズ中心部で堂々と集会を開くようになった。今までずっと隠れていた党首も、テレビやラジオに気軽に登場するようになった。

それと同時期に、マオ傘下組織などがカトマンズ市内のホテルや旅行会社に堂々と現れ、寄付を要求し始めるようになっていた。

===

話がそれるが、3~4ヶ月前のある日、ヒマラヤン・アクティビティーズの事務所にもマオイストと証する4人組の村人風老若男女がやってきた。ちょうどその頃、カトマンズ中心部でマオイストの大規模な集会が予定されており、農村部からマオイストであるたくさんの人々が上京していて、滞在費をまかなうために寄付を集め歩いているとのことだった。

マオイストが事務所に入ってきたまさにそのとき、私たちの事務所内では、スタッフが1000ルピー札の分厚い束を数えている最中だった。突如として入ってきた4人組が寄付を要求しに来たマオイストとは知る由もなく、彼らを完全に無視しながら、スタッフは札束をカウントし続けていた。

そして、カウント終了後、おもむろに顔を上げ、『君たち、どこから来たのかね?』と特に敬意も払わず尋ねて初めて、彼らがマオイストで、金銭の寄付を要求しに来たということが判明したのだった。

もし、それ以外のときに現れていれば、金はない、と拒めたものを、彼らの前で平然と大金を数え終わったあとで、『金はない』などというしらじらしい嘘をつくわけにもいかず、その場に居合わせたスタッフおよびマオイストたちみんなで、顔を見合わせ苦笑した、という、笑うに笑えない出来事があった。

~ マオイストの要求2 につづく ~

ティハール気分を高める音

10月19日からティハール祭が始まる。先週終わった『ダサイン』祭に引き続く、ヒンドゥ教第2の秋の大祭『ティハール』。

まだ、ネパールの治安がよかった頃、この祭では爆竹がかかせず、夜になると、あちこちで爆竹の音が響いていた。しかし、2000年のティハールを最後に、この風物詩は楽しめなくなっていた。

2001年以降、治安がだんだんと悪くなり、カトマンズ市内でも爆発物騒ぎなどが頻繁に起きるようになったためだ。爆竹の音がマオイストが仕掛けた爆発物と紛らわしく危険でもあるため、ほとんど使われることがなくなった。

それが今年は、ティハール一週間前に当たる一昨日あたりから、夕方頃になるとあちこちで爆竹音が鳴り響くようになった。危険な爆発物と間違えられることも無く、平和なカトマンズが戻ってきているからなのだろう。

2006年10月13日金曜日

ネパールの運手免許4

~ ネパールの運転免許3 のつづき ~

実技試験本番の列にいざ並ぶと、なんとなく緊張するもの。でも、実技は簡単。余裕でジグザグ運転をしてのけた。そして、見事パス。



合格/不合格はその場ですぐにわかる。合格の場合は、写真のように立会人が緑のカードを掲げてくれるからだ(不合格の場合は、赤いカード)。写真は他人の試験風景。

帰り道、舗装状態の悪いカトマンズ市内の道路を走りながら、気づいた。実技で試されるあのジグザグ運転は、道路のあちこちに突如として現れる穴をうまくよけるために実施されているに違いない。

カトマンズの道路は、舗装はしてあっても、つなぎ目だらけのことが多く、段差はもちろん、あちこちにボコボコ穴があいているのだ。

普段、通り慣れている道では、どこにどの程度の大きさの穴が開いているか(または、段差があるか)を、たいてい把握しているからよいものの、慣れない道を走るときは、目の前の穴に突然気づき、あわててひょいっとハンドルを切り替えなくてはいけなくなることも多い。

そんなとき、あのジグザグ実技試験は、多少は役に立つかもしれない、などと思ってしまった。

~ おわり ~

2006年10月12日木曜日

ネパールの運転免許3

~ ネパールの運転免許2 のつづき ~

そして、いよいよ実技試験に臨むのだが、私の番になるまで、1時間ほど待つことになる。女性用には、5本のポールの間隔を少し広めて最後に実施してくれるというので、私も最後まで待つことにしたのだ。間隔が広くなったほうが、運転が簡単になるからだ。

その間やることも無いので、周りを観察しながら過ごす。

父親(らしき人)と一緒に受験に来ている、20歳ぐらいの男の子のなんと多いこと。こちらの人(特に女性)は、成人していても、仕事の面接に、ママやパパと一緒に行く人もけっこういるぐらいなので、若い男性でも、パパと一緒にバイクの実技試験を受けに行くことなど、普通のことなのだろう。

あいているスペースを利用して、適当な間隔でジグザグ運転練習をしているたくさんの人たち。みんな真剣でほほえましい。ちなみに、実技試験に使用するバイクは、自分で調達しておく必要がある。自分のバイクがない場合は、友達から借りたりする。そして、自宅から試験場まで、規則上は無免許の者が、自分で運転して行くことになるわけだ。なんだかむちゃくちゃなルールだが、その点を追求されることはない。

試験場は、大きな通りに面した場所にあるのだが、早朝から、試験の様子を眺めているたくさんの暇人もいる。6時半の時点で、すでに20人ぐらいがぼけーっと眺めていた。ある1人にターゲットを絞り観察していたところ、その人は、約1時間じーっと同じ場所から試験の様子を眺めていて驚いた。他人の実技試験の、いったい何がそんなに彼を惹きつけるのだろう? 大きなお世話だが、早朝の1時間、もっと有意義なことに活用したらどうかと思ってしまう。

試験場に何食わぬ顔で侵入し、受験者たちに、合格祈願の赤いティカ(お祈りなどをした後に、おでこにつける印)をつけては、お布施をもらっているおじいさんもいる。『パシュパティナート(シバ神を祭る、ネパール最大ヒンドゥ教寺院)から持ってきた、ご利益のあるティカはいらんかね』という感じで、受験者のもとをまわっている。

観察していると、半分以上はティカを受け、コイン(1ルピーまたは2ルピー)のお布施を渡していた。つまり、このおじいさん、早朝2時間ぐらいの間で、ざっと100ルピー(約160円)ぐらいは稼ぐのだろうか、などと、いらぬ計算をしてしまった。

ちなみに、2時間で100ルピー稼げれば、ネパール人の給料形態からすると、かなり割りのいい稼ぎとなる。私のところにもやってきたが、ヘルメットをかぶっていたし、祈願不要だったので、断った。

そんなこんなで時間をつぶしているうちに、私の実技試験の番がやってきた。

~ ネパールの運転免許4 につづく

2006年10月11日水曜日

ネパールの運手免許2

~ ネパールの運転免許1 のつづき~

スクーターの実技試験当日。早朝5時半に、試験場を訪れるよう言われていた。試験は6時から始まるという。

余談だが、こちらの人は、朝が強い。大学の講義なども、早朝6時頃から始まることも多い。日の出が早い夏場など、早朝5時頃に、さわやかな声で間違い電話をかけてくる、非常に迷惑なヤツも時々いるほど。(その分夜は早く、夜10時頃のカトマンズ市内は、深夜同然の静まり返った雰囲気が漂う)

ということで、早朝から実技試験を受けに行く。といっても、たいした実技があるわけではないのだ。

約2mほどの間隔に置かれた5本のポールを、ジグザグに通過すればいいだけ。途中、ポールに接触したり、倒したり、足を地面についたりしたら失格。果たして、こんな試験に何の意味があるかわからないのだが、とにかく、これにパスすれば、二輪免許(原付込み)が手に入るというわけ。



試験場近くには、練習用スペースも設けられている。といっても、早朝通行のない普通の道にポールを置くだけの即席練習場。ネタ探しに訪れてみると、早朝6時前にも関わらず、すでに20人程が練習していて、なんとなく、私の気分も高まってきた。

こんな実技なんて、何年ぶりだろう。心地よい緊張感を感じながら、ジグザグ練習をはじめたのだが、すぐにイライラし始め、早々切り上げることにする。

イライラの理由は、順番待ちができないこちらの人たち。私が、前の人との間隔をあけて練習しようと少しでも待とうものなら、左右横から、後ろから、どんどん抜かしていくのだ。後ろからクラクションを鳴らすやつもいる。待ち時間なんて数秒だけなのだから、順番待ちしようよ、という感じだ。

仕方ないので、抜かされないよう、前との距離をおかずに進まなければならず、前が詰まって途中で止まらなければならなくなったりして、ほとんど練習にならなかった。

~ ネパールの運転免許3 につづく ~

2006年10月10日火曜日

ネパールの運転免許1

これが、ネパールの運転免許証。(目隠しだらけですが)





ネパールで2年以上スクーターに乗っているのだが、実は、こちらの運転免許証を取得していなかった。

この2年数ヶ月の間に、検問で止められたのは数回、うち、ネパールの免許証が無いという理由で交通警察にとがめられたことは一度もない。たいてい、ガイジンであることをアピールすると、免許提示も求められず、ノーチェック。稀に免許提示を求められても、パスポートだけを提示すれば、それでOKだった。(在住者は、基本的にはネパールの運転免許を取得する必要がある。旅行者はパスポートの提示だけでレンタルバイクが借りられるが)

一応、日本の免許証も肌身離さず持ってはいたのだが、日本語表記しかない日本の免許証は持っていてもはっきりいって意味がない。ここ何ヶ月かは、日本の運転免許証を大使館で英訳してもらった書類をしばらく持ち歩いていたのだが、万が一この状態で事故を起こすと、さすがにまずい、と、常々思っていた。そんな時、知人が免許の書き換えをしに行くという話しを聞き、私も便乗申請しに行くことに決めた。

日本では、10年以上前に普通自動車の運転免許証を取得している。このため、ネパールで自動車運転免許だけが必要な場合は、私が持っている日本の免許証をただ書き換えればよい(AT車限定免許しか持っていないのだが、こちらでは、ただ書き換えただけで、マニュアル車にも乗れる免許証をもらえるのだ)。

しかし、日本とネパールの運転免許カテゴリー分けが異なるため、ネパールでスクーターに乗るためには、実技試験も受けなくてはいけない。

日本では、普通自動車の免許があれば原付にも乗れるが、ネパールでの運転免許カテゴリー分けは、日本のそれとは、少々異なり、四輪車(普通自動車、ジープ、デリバリーバン)でひとつのグループ、二輪車(バイク、スクーター)でまた別のグループにわかているからだ。

ということで、今後堂々とスクーターを運転するためにも(今までも十分堂々と運転しまくっていたが)、今更ながら、先日、実技試験を受けることにした。

~ ネパールの運転免許2 につづく~

2006年10月9日月曜日

ネパールでは無印良品の袋に注意!?

知人(ネパール人)に渡すものがあり、たまたま家にあった、無印良品の袋(日本の無印良品で買い物をした際、商品を入れてくれる袋)に入れて渡すことにした。

ハイこれ、と、知人に渡す際、えんじ色の文字で 無印良品 と書かれている部分が、上面になっていた。何気なく目を落として、あ!こ、これは・・・と思う。

知人も、同じ場所に視線を落とし、はっ!という顔をする。

そこには無印良品の文字よりも一回り小さな文字のURLアドレスが、小さい文字ながらも思いきり目立つデザインで、こう書かれていた。

www.muji.net

そう。ネパール語がお分かりの方なら、恥ずかしながらも大爆笑してしまうアドレスが書かれていたのだ。ムジネットだと!?

知人に、聞かれてしまった。これ、いったいどういう類のアドレスで、この袋はなんなわけ!?

このmujiは無印良品という日本の一種のファッションブランドの名前を短縮したもので、ネパール語ではないこと。袋と中身はまったく関係ないことなどを、その言葉自体を口にしている自分に少々恥ずかしさを感じながら説明する。

それにしても、とんでもない名前のURLだね。もっと、まともなアドレスつければよかったのにね。などと、知人に言われてしまう。確かに、ネパール人感覚からすれば、ごもっともな意見。

もったいぶってしまったが、ムジとは、辞書によると、肛門およびその周辺を指す、非常に下品な意味合いのある単語。辞書には書いていないが、そのあたりの毛をさす(しかし陰毛とは違う)という解釈もあるようだ。男性同士がけんかをしたり、相手を侮辱したいとき、からかいたいときなど、「この、ムジめ!」などと使ったりもする。日本語的に訳すと、「この、クソ野郎!」というようなニュアンスになるのか。女性が口にすることはまずないといってもいい。

無印良品の白いプラスティック袋には、そんな下品な言葉が入った、爆笑&赤面のURLアドレスが、いともさわやかに堂々と書かれていたのだ。ネパール人に無印良品の袋を渡すときは、くだんの単語がローマ字表記されていないことを、よく確認しよう。

2006年10月8日日曜日

外国人のネパール語

日本人にとって、ネパール語はとても勉強しやすい言語だと思う。文法は日本語と同じだし、発音も、比較的簡単。極端な話、ネパール語の語彙数さえふやせば、日本語で思いついた文章にそのままネパール語の単語を当てはめていけば、それなり意味は通じる文章となる。単語が持つニュアンスも、日本語と似ているものが多く、感覚的にも理解しやすい。

しかし、ネパール語とはまったく違う言語を母国語に持つ欧米人にとって、ネパール語を習得することはかなり大変なのではないか、と思う。たとえば英語を母国語とする人たちの場合、文法からしてまったく違うし、英語ではひとつしか表現方法のない二人称のYouに当たる単語が、ネパール語ではいくつもある(日本語でもあなた/君/お前などいくつも種類があるように)、というようなことを感覚的に理解するだけでも、難しいはず。

また、明らかに白人顔の相手には、たいていネパール人は英語で話しかけるから、ネパール語を勉強しにネパールに滞在していても、いつまでたっても習得できていない欧米人をたくさん見てきた。

以前、こちらにて3年間、継続してネパール語を勉強していたことがある。その当時、気の合うアメリカ人のクラスメイトがいた。彼女は、非常に正確なネパール語を話す人だった。私も、彼女と同じようにネパール語を話す外国人ながら、彼女のネパール語にはいつもひどく感心させられていた。文法的混乱は、彼女の頭の中で生じないのか、不思議でもあった。

そんな私たちの共通言語は、ネパール語だった。お互いにとって外国語であるにもかかわらず、(英語なまり/日本語なまりである点以外は)まったく違和感が無く、ネパール人と会話をしているようにすんなりいくのが、おかしかった。

彼女が3年以上前アメリカに帰ってしまってからは、ほとんど音信不通状態となっていたのだが、昨日久々に彼女からのメールが入っていた。少し前にカトマンズ入りし、しばらく滞在する予定だという。

うれしくなりながらメールを読んでいて、あれ、っと思った。英語ではなく、器用にもローマ字表記のネパール語(*注)で書かれていたからだ。ネパール人同士でも、メールでのやり取りは英語を使う場合が多いのに、日本人とアメリカ人の私たちが、お互いにとって外国語であるネパール語をわざわざローマ字表記してやり取りしているなんて。

本日、久々の再会が実現した。彼女の英語なまりの流暢なネパール語は相変わらずで、懐かしい話で延々盛り上がったのだが、どうみても白人顔の彼女と、日本人の私が、ネパール語で会話をしている姿は、周りから見ると不思議な光景だったようだ。

*注:ネパール語はデバナガリ文字を用いて表記するのだが、デバナガリフォントがない場合は、ローマ字表記であらわすことがある。日本語で『こんにちは』を『Kon'nichiwa』とあらわすような方法と同じ。

2006年10月5日木曜日

新しいデザインの50ルピー札





毎年、ダサイン祭前になると、新札が出回る。スーパーマーケットなどで買い物をしても、この時期、おつりを新札でくれることも多く、なんとなくうれしくなる。

たいてい、ネパールのお札は、くたくたにくたびれていて、手になじみすぎる場合がほとんどなのだが、新しいお札はぱりっとしていて気持ちいい。折り目をつけるのが惜しいほど。

さて、今回、新札と一緒にお目見えしたのが、新しいデザインの50ルピー札。(50ルピー≒80円)

描かれている人物は、ギャネンドラ現国王。

裏には、ネパールの国鳥ダフェ(和名:ニジキジ)の絵が描かれている。



ネパールのお札には、ヒマラヤやお寺、ネパール特有の動物の絵などが描かれている。個人的に好きなのは、お札の裏。ヒマラヤに住む高山動物ヤク、南ネパールのジャングルに住むサイ等の絵が描かれているものもあって、おもしろい。写真は、旧50ルピー札。表に描かれている人物は、2001年6月の国王一家殺害事件で命を落とした故ビレンドラ国王。

2006年10月3日火曜日

旅行者にとっての祭

秋の大祭、ダサインとティハール。

正直、旅行者にとって、ダサインはおもしろくないかもしれない。街を歩いていても視覚的に楽しめる祭ではないし、この期間はとても不便になるから。

以前、私の家族がダサイン中にネパールを訪れたことがあり、帰国日がダサインメインの日と重なっていたのだが、ツーリストとしてすごすダサインは非常に退屈だと感じた。日本の元旦に似ているこの日は、どこもかしこも休業で、最後に土産も買えず、おいしいものも食べられず、タクシーはなかなかつかまらず、ああ、他の日だったら、もっとネパールを満喫してもらえたのに、という残念な気持ちになったことがある。

さて、今年のダサインも山場を過ぎた。私は、都合よく、などといったら罰が当たるが、月のものが来て穢れた存在となったため、今年のダサイン祭は途中から不参加。ホッ、というのが正直な気持ち。

次は、光の祭、ティハールがやってくる。10月第3週から。こちらは、意味などわからなくても、ネパール人の知人がいなくても、視覚的に楽しめる祭。ただし、ティハールメインの日(今年は10月24日)は、旅行者向けのレストランや土産物屋も半分ほどは閉まってしまうので、要注意。

2006年10月1日日曜日

RA(ロイヤルネパール)便、また全線大幅遅延しています

定刻どおり飛ぶほうが珍しいといっても過言ではない、ロイヤルネパール航空(以下RAと表示)が、また遅延している。

4月の政変以降、『ロイヤル』の文字は社名からは外れ、カトマンズRA本社のビルの看板からは、『ROYAL』が塗り消された。消し方がわざとらしくて非常に滑稽。もっと目立たなく消す方法は無かったのかと思うが、適当さがネパール人らしくていい。カトマンズRA本社付近に立ち寄る機会があれば、是非社名を見上げてみてほしい。

ところで、『ロイヤル』は取れたが、いまだRAという略称はそのまま正式に用いられている。

さて、このRA便、カトマンズ⇔関空、バンコク、デリー、香港、その他たくさんの国際線ルートを、たった2機の飛行機でやりくりしながら飛んでいる。いつも順調に飛んでくれれば問題ないのだが、2機ある機体のうち1機が故障すると、残りの1機で全国際線ルートを飛ばさなくてはいけないことになり、信じられないほどの遅延が生じることになる。

ここ最近で、大幅な遅延で笑わせてもらったのは、2003年11月頃の出来事。関空発カトマンズ行き直行便が、なんと約5日遅延し、カトマンズに到着したのだ。もはや直行便とはいわない。笑うしかない。聞くところによると、乗客の半分以上は、停滞地の上海から、関空に引き返したという。

その後、ここまでの遅延は生じていないにしても、数時間~1日程度の遅延は、当たり前のように生じている。被害例を挙げたらきりがないほど、とにかく、予定通り飛ばないことで有名。定刻どおり飛んだらラッキーという感じだ。

限られた日数でネパール旅行を計画している人(特に関西地方在住)の人は、関空⇔カトマンズ直行便という言葉に惑わされ、利用してしまう人がかなりいるのだが、利用は避けたほうがいい。

時間が限られているからこそ、急がば回れでバンコク経由など確実なルートを使いネパール入りする必要がある。しかし、RA便遅延の常習犯ぶりを知らない人にとっては、なぜわざわざ遠回りしなくてはいけないのか、と、なかなか納得してもらえないことも多いのだが。

前置きが長くなったが、このRA便、今シーズン(2006年8月以降)も、すでに何度か大幅遅延している。とりあえず私が把握している情報では、9月半ば、関空⇔カトマンズ間10時間ほど遅延していた。その後何とか回復したのだが、現在また大幅遅延している。

9月26日(火)22時45分カトマンズ発(関空行き)が、約6時間遅延し、翌朝27日(水)5時頃に発ったそうだ。もちろんその後も遅延は拡大し、27日(水)18時頃カトマンズに到着する(関空発)便も大幅遅延。

そして、昨日9月30日(土)22時45分にカトマンズを発ち、関空へ行くはずだった便は、なんと約20時間遅延し、本日10月1日(日)19時半頃発に変更になっていた。(その後、20時台に、飛行機が飛び立つ音が聞こえたので、一応飛んだものと思われる)

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関空⇔カトマンズ間のルートでは、通常上海に1~2時間ほど経由するのだが、大幅遅延が生じているときは、上海に立ち寄らず、文字通り、関空⇔カトマンズ間を直行し、時間を節約することもあるというから、びっくりだ。

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いつカトマンズに到着し、いつ日本に帰れるかわからないRA便。時間がたっぷりあり、日程なんてあってないようなもの、という長期旅行者には、スリリングな楽しい旅行になるかもしれないが、日程が限られていて、必ず予定通り日本に帰国しなければいけない旅行者は、利用はなるべく避けたほうがいいかもしれない。直行便というスバラシイ響きに惑わされないよう、くれぐれも気をつけてほしい。

* かなり主観も入りましたが、RAとの利害関係は無く、遅延の事実を書いたつもりです。

ダサイン祭9日目(ナワミ)にバイクにプジャをする



ダサイン9日目の今日は、機械類にもプジャをする日。

この日は、私のスクーターにも、毎年プジャをしてもらっている。今回も、知人の父親であるヒンドゥ教お坊さん(司祭師)の家に前日から泊まりこみ、翌朝プジャをしてもらってきた。

プジャにそなえ、昨日夕方、家の者が私のスクーターを近くの川で洗車してくれた。カトマンズ市内の川は聖なる川であっても大量のごみが捨てられ、ドブ川可していて、悪臭を放っているところが多いのだが、カトマンズから20kmほど離れたこの村に流れる川には、とてもきれいな水が流れている。しかも、雨期があけたばかりで水量も豊富。なんとも、効率的な洗車方法。



そして本日早朝、プジャ開始。

宗教の信仰度合いや、民族によってもプジャ方法は異なるようだが、ヒンドゥのお坊さん一家であるここでの方法は次の通り。

まず、交通安全を祈念し、『まんじ(卍)』(ただし、ネパールのまんじの向きは、この逆。ネパール語ではSwastikという。サンスクリット語も同じ)の模様を赤とオレンジの粉で描く。



赤と白の布を重要な場所に結び、その後、お経を唱えながら、聖なる水や花、色粉などを捧げる。

途中でオイルランプに火をつけ、火でまわりを清め、ほら貝をふき、悪霊を追い払う。

ココナッツをかち割り、その汁をスクーター全体にふりかける。プジャに使った聖なる色粉をお坊さんの手でおでこにつけてもらい、渡された聖なる水を口に含み、花を頭にのせ、勝ち割ったココナッツの一部を食べ、終了。



プジャ後は色粉やら花びらやらココナッツの汁やらで、スクーターはぐっちゃぐちゃ状態となり、どうも気に食わないのだが、とりあえずしばらくはこの状態で走らせることにしている。

2006年9月30日土曜日

血みどろの地面と生首

私たちの事務所が入っている建物の裏には、車が何台か止められるスペースがある。
ここで、毎年、ダサイン8日目(アスタミ)の日に、隣人がヤギを絞めるのだ。もちろん、ダサイン祭の主役、ヒンドゥ教のドゥルガ女神に捧げるため。

昨日、それはそれは激しい、ヤギの悲痛の泣き声が響き渡っていたのだが、本日ぱったり止んだ。そのかわり、敷地内は、鮮血の海。アスタミの今日、儀式を行ったようだ。絞めたらすぐに溜まった血を水で洗い流してほしいものだが、解体作業に忙しかったのか、放ったらかしのまま。

生々しいので写真はとらなかったのだが、こういう光景を、この国では当たり前に見ることができる。

ローカルな肉屋に行けば、ダサイン祭のときに限らず、普段でも、生き物を絞めるシーンは普通に見られる。肉屋の前には絞められ待ちのヤギや鶏がたくさんいて、時間になると首を落とされ、毛をむしられるのだ。もちろん、その辺には血が飛び散る。

その後、見せしめのように、ヤギやいのししの生首が台の上に置かれ、それが肉屋の目印となる。

余談だが、川のそばでは荼毘に付される人が、薪の上で焼かれているシーンを、間近に見ることができる。短時間で人を焼ききれる工場のような火葬場など、ない。
日本人の価値観からすれば少々グロテスクで、リアルすぎる『死』の現場だが、こういうシーンを日常身近に感じることができるこの国では、人の血がみたくて、友達を殺してみた、というような、近頃の日本でありがちな青少年の犯罪は、きっとこれからも、おこらないだろうなあ、と、いつもこの時期になると思う。

2006年9月28日木曜日

ダサインボーナスの渡し方とネパール人の金銭感覚

明日からカレンダー上ではダサイン休暇に入る。

ネパールでは、ダサイン前にボーナスを出す習慣がある。私たち規模の小さな会社の場合、現金で手渡しするのが普通なのだが、今年はネパール人マネージャーの提案で、趣向を変えてみた。

ダサインボーナスで自分名義の銀行口座を開くなら全額支給、現金で受け取りたい場合は半額のみ支給、さて、キミならどちらを選ぶ?という方法。

(理由はいろいろあるにせよ、)カトマンズ在住の大人でも、銀行口座を持っていない人のほうが多いのが現状。宵越しの金は持たない人が多いこちらでは、現金を手にした瞬間に使ってしまう人も多い。『預金する』という概念は、一般人にはまったくないといっても過言ではない。金銭感覚は(も?)非常に幼稚。

しかし、どんなに目先のことしか見えない人でも、現金で半額分のボーナスをもらうより、口座を開いて全額をもらったほうが得だということぐらいはわかる。先のことを見越し、あるときに貯めて、あとで楽をする、という感覚を養うためにも、口座開設はなかなかよいアイディアかもしれない。

銀行口座の利点を今ひとつ理解していない者もいたので、わずかであっても利子がついて得をするという点、そして、ネパール人マネージャー自ら、銀行のATMカードを見せ、『口座に自分のお金が残っていれば、真夜中であっても、お金がほしいときに、このカード一枚で必要な分を引きおろすことができるのだぞ!』と、カッコよさなどを説明した。(銀行からのまわしもののようだが、そういうわけでは決してない。ガイドスタッフの将来を案じた結果の行為。余計なお世話かもしれないが)

口座開設には、最低1000ルピー(約1600円)を預けることで普通口座をもてる一般的なプランを選ばせた。この口座の場合、最低残高が1000ルピーを切ると、口座維持料として毎月手数料が差し引かれてしまう。このため、最低でも銀行には1000ルピー残しておく必要があり(そうでないと損なので)、何かのときに、心強いはずだ。

とりあえず2名、ダサイン前に口座を新設した。初めて持つATMカードにうれしそうな様子。

しかし、それでも現金がほしい、という者もいるから、なんだか、がっくりしてしまった。手にした金をどう使おうと、彼らの勝手ではあるのだが。

2006年9月27日水曜日

ネパールトレッキングTRCについて(続々編)

10月1日から導入される予定だった新しいトレッキングシステムTRC(Trekking Resistration Certificate:トレッキング登録証明書(仮訳))について、2006年9月8日付け、9月25日付けの2回、このブログにも書いた。

World Tourism Day である本日9月27日、この日にちなんだイベントの一環として、TRC申請事務所開設記念式典が予定されていた。そして、TAAN(Trekking Agencies Association of Nepal )所属トレッキング会社に、TRC申請要項および申請用紙などが配布(厳密には購入するのだが)される予定だった。

しかし、急遽昨日夕方の決定で、この式典は延期されることになり、これに伴い、10月1日から導入予定だったTRCシステムも延期される運びとなった。

TAANからの情報によれば、TRC申請事務所開設式典およびTRC導入は、10月第3週以降に延期されるという。しかし、まだはっきりしたことはわかっていない。

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なぜ、本日の式典が延期となったのか。

それは、先日、ネパール国内で起きたヘリコプター事故と関係している。著名人を含む乗客乗員24人の死者を出したヘリ事故を受け、本日、公的機関が哀悼の意を表すため臨時休暇となったためだ。このようなときに浮かれたイベントなどは実施できないため、本日、World Tourism Dayのために用意されていたイベントの多くがキャンセルまたは延期となった。

TAAN所属トレッキング会社・ヒマラヤンアクティビティーズとしては、TRC導入について客観的に今後の様子を見ていきたい。

2006年9月26日火曜日

ダサイン祭を感じる瞬間

9月29日から、ネパールは長期ダサイン休みに入る。休み開始まで、残すところあとわずか。

日本の年末のように、なんだかいつもに増してあわただしい街。渋滞が多いのも、そのせいかもしれない。

カトマンズ市内オールドバスパーク周辺の歩道や、中央郵便局周辺では、先日からダサイン向けに、道に敷物を敷いて、その上に品物を並べて売るだけの店が連なり、フリーマーケット状態となっている。買い物客と車とバイクと物乞いと野良犬とクラクションと排気ガスででごった返す、騒然とした街。(そして気が立つわたし)

こんな光景を見ると、ああ、ダサインだなあ、と感じる。

約一週間弱ぶりに青空が広がった今日。太陽が顔を出しても風は涼しく、もう本当に、秋、という感じ。こんな青空を見ても、ああ、ダサインだなあ、と感じる。

そして、忘れてはいけない極めつけはコレ! ・・・というか、すっかり忘れていたのだが、本日第一弾が聞こえてきた。

何が聞こえてきたかというと、生贄用ヤギの悲痛な泣き声・・・。30日の生贄日に備え、近所の家で早速ヤギを確保したようだ。ダサイン8日目(アスタミ)、ダサイン祭の主役、ドゥルガ女神に生贄を捧げる習慣があり、いたるところで、生々しい解体シーンを見ることになるのだが、この日のために、人々は、ヤギや鶏(豚、いのしし、水牛なんでもアリ。でも牛はダメ)を準備し、楽しみに待つのだ。

今年もあと4日、近所のヤギの首が切られるまでは、毎晩悲しい泣き声を聞きながら眠りにつかなくてはいけない。ああ、今年もダサインだよ・・・

2006年9月25日月曜日

TRC(トレッキング登録許可証・仮称)続編



10月1日から導入される新しいトレッキングシステムTRCについて、2006年9月8日付けで、このブログにも書いた。

その続報。

2006年9月24日付けTAAN(Trekking Agencies Association of Nepal )からの情報によると、やはり、先日このブログにも書いたとおりの内容で、TRCは実施されるようだ。

左ファイル、ネパール語での情報だが、参考までに添付したい。(最後の一行に、TRC申請場所の地図添付についての記載があるが、個人での申請は受け付けていないため、地図画像の添付は省略した) 

多くのトレッカーが心配している『ガイド無しではトレッキングにいけないのか?』という件だが、どうやら、その通り、ガイド(またはポーター)無しでは、トレッキングはできなくなるようだ。

添付書面によると、『トレッカーは、TAAN加盟トレッキング会社所属のフィールドスタッフ1名を必ずつけてトレッキングへ行くこと』とはっきり記載されている。『ガイド』『ポーター』という明確な記述はないが、言うまでも無く、『フィールドスタッフ』=『ガイド』または『ポーター』であることが読み取れる。

とりあえず今年いっぱいぐらいは、ガイドまたはポーターを雇って、決められたルールどおりにトレッキングへ出かけたほうが良いと思うが、そのうち抜け道がでてくると思うので、何が何でも個人トレックを楽しみたい方は、今後の動きに注意すると良いだろう。でも、違法行為はしないように。

2006年9月23日土曜日

まだ降る雨

9月23日、ヒンドゥ教最大秋の大祭『ダサイン』初日の今日も、雨。

『10月10日(以前の日本の体育の日)は雨降りの可能性が低く、ほぼ確実に晴天が広がる』と、統計的に証明されているように、『ダサイン祭の約10日間は、秋の青空が広がり雨は降らない期間』、と勝手に思い込んでいた。(実際には過去大雨が降ったこともあるそうだし、統計的な証明などされていないのだが、感覚的に)

しかし。相変わらず続く雨&曇天。9月20日頃からまた天気は崩れ、ずっとこんな調子で早数日。7月のようなこんな天候が繰り返し続いている。

季節は一気に変わった、と思っていたのだが、また逆戻り。

ほんと、よく降ってます。

2006年9月22日金曜日

曜日にまつわる俗信2

~ 曜日にまつわる俗信1 のつづき~

俗信によれば、『土曜の出発』は良くない。つまり、メールがネパールから出発する(送信される)のもよくない。重要なメールであるだけに、縁起のよい日に送信したほうが良いに決まっている。それは、月曜日。と考えたわけだ。しかしなぜ、月曜日の送信がよいのか?

昨日付けのブログに書いたとおり、こちらの俗信によれば、月曜は畑仕事に適した日 → 月曜日に種を蒔けば、作物が良く育つ → つまり、ビジネス拡大にも結びつく → ということで、げんをかついで月曜に送信しよう、という思考回路に至ったらしい。

ずいぶん強引なこじつけ方であるような気もするが、とりあえず期限に余裕はあったので、メールは月曜日に送信することにした。果たしてそのせいなのかどうなのか、先方から良い返事が来て、やっぱり俗信を守ってよかった、と、納得しているネパール人スタッフたちに、なんだかおかしくなってしまった。

~ 余談 ~

曜日にまつわる俗信を気にするスタッフの1人が、このダサイン祭(毎年10月頃にやってくる、ヒンドゥ教最大の祭)を前にして、バイクを買い換えることになった。昨日木曜日、新しいバイクが手元にやってくるという話だったらしいのだが、ここはネパール。予定は未定。翌日にずれ込む、という知らせが、ディーラーから入った。

すると、バイク購入予定のスタッフの顔が真剣になり、父親に突然電話をし始めた。父親は、ヒンドゥ司祭師の仕事をしていて、星回りが関係する運勢や、俗信、縁起などの話題に豊富な人。

会話の内容を聞いているとこうだった。

『おとーさん、ボクのバイク、明日手に入ることになったんだけど、金曜日に新しいバイクを手にしてもマズくないよね?』

ネパールには、月曜日に新しい服を買うのはよくない、という俗信もある。こういう俗信を思い出し、不安になったのだろう。できれば、縁起の良い日に新しい物を手に入れたい。

それにしても、だ。既婚で子持ちの30過ぎた男性が、そんな俗信を気にして、仕事中におとーさんに電話するなよ、と、思わず突っ込みをいれてしまった私であった。

余談の余談だが、購入したばかりのバイクには、必ず最初に、交通安全祈願のプジャをし、ココナッツ汁をふりかけるのは、言わずもがなの習慣。信心深いこちらの人たちの行為は、時にほほえましくもなる。

~おわり~

2006年9月21日木曜日

曜日にまつわる俗信1

ネパールには、曜日にまつわるおもしろい俗信がたくさんある。

その中に、こんな俗信がある。

月曜は畑仕事、水曜は家仕事をするのがよい

土曜の出発、火曜の到着、熱がでるかも、おなかが痛くなるかも?(出発、到着には土曜や火曜を避けたほうが良い、という意味) ネパール語だと韻を踏んでいてリズミカルな文章になる。

先週末、とても重要なメールを事務所から送る必要があった。何度も何度も見直し、不備が無いことを確認し、さて、いよいよ送信する段階になったときのこと。

送信することを周りに宣言し、気合をいれ、送信アイコンをクリックした瞬間、スタッフから「ちょっと待った!」の声がかかった。そして、羽詰った声で「今日何曜日?」と聞かれた。

その日は土曜日だったのでそう答えると、「土曜はマズイ!そのメールは月曜に送ろう!」と言い出すのだ。

ちょっと待ってくれ、すでに送信ボタンをクリックし、メールはじりじり送信されかけている状態。通信速度の遅いこちらのネット事情。送受信に非常に時間をくうことが幸いして、まだ『送信済み』にはなっていなかったからよかったものの、瞬時に送受信が終わってしまう日本のようなネット環境であれば、とっくの昔にメールは送られてしまっていたに違いない。

あわてて『切断』をクリックし、重要メールは送信されずにすんだのだが、なぜ土曜の送信はまずかったのか?というと、それは、先述した俗信に関係している、とのことだった。

~ 曜日にまつわる俗信2 につづく~

2006年9月19日火曜日

淡い恋に似た気持ち

そろそろ、カトマンズ市内からも、北方向にヒマラヤを拝める季節。

残念ながら私が住む場所からは、小高い(2000~3000mほど)丘(山?)が邪魔して、ヒマラヤの白い峰は見えないのだが、パタン方面(カトマンズの南にある隣町))に出かけた帰りなど、北方向の丘(山?)のさらに向こうにくっきり見える、6000~7000m級のヒマラヤに心躍らせることがある。

今年は特に、早くヒマラヤが見えやすい季節にならないかと、昨年よりも心待ちにしている。

今年6月、雨期中のランタン方面トレッキングへ行った。雨期とはいえ、雨はほとんど降らず、すばらしい景色に恵まれた。

ランタン方面6000~7000m級の山々は、カトマンズから直線距離で100kmも離れていない場所にそびえ立っている。日本並みの高速道路が走っていれば、カトマンズから1時間で到達できる距離なのだ(標高を考えないとして)。しかし実際は、100kmほどしか離れていないトレッキング始発地点まで、バスで8時間ほど揺られる必要がある。

距離的にはこんなに近い場所にあるヒマラヤなのに、いつも姿を見せてくれるわけではない。姿を見せてくれていても、私がヒマラヤを見られる場所にいるとも限らない。

トレッキングを終え、カトマンズに戻ってきてからしばらくは、見えそうで見えない、近くて遠いランタンの山々を思い出し、淡い恋に似た気持ちさえ感じていた。北方向を眺め、丘の向こう、雲に隠れたヒマラヤを想像し、思いをはせる日々。←少々大げさだが。

空が澄んで白い峰が少しでも見えた日には、なかなか近づけない憧れの人を遠くから見つけたような、そんな気にさえなっていた。

これから、憧れのヒマラヤが姿を現してくれる頻度が増える季節。今からとても楽しみにしている。

2006年9月17日日曜日

好みの食感

昨日、カトマンズにて日本の柿を購入した。

先日も書いたのだが、ネパールにも柿はある。この季節になると出回る。しかし、ローカル柿のほとんどは渋柿で、こちらの人たちは、ドロドロに熟すまで待ち、食べる。ゼリー状でおいしいことはおいしいのだが、柿はやっぱりシャリシャリかたいものを食べたい。

そういう日本人の願いを叶えてくれる日本の柿が、ここネパールでも手に入る。JOCV(青年海外協力隊員)の指導によるものだ。1kg(6個)で90ルピー(約150円)と購入しやすい価格。

おいしい日本の柿をネパール人たちにも食べさせてあげたく、知人におすそ分けをしたところ、みんながみんな口をそろえてこういった。

この柿、まだぜんぜん熟れてないね。

・・・。

ドロドロ柿しか食べなれていない彼らにとって、かたさの残る柿は、いくら甘くても、熟れてないも同然に感じたようだ。

かたくても甘いでしょ?日本の柿は、こういうものなの、と説明すると、ふーんと言いながら食べ続けていたが、今ひとつ、おいしさはわからないようだった。ああ、あげて損した。

===

そうかと思えば、こちらの人たちは、それこそまだ『熟れていない』グァバを、おいしそうに皮ごと口にする。少しやわらかくなったグァバのほうが断然おいしいと思うのだが、グァバはかたいものを好む人が多い。

ドロドロ柿に、かたいグァバ。好みの食感も、人それぞれ。

2006年9月15日金曜日

季節が変わった日

先週末から雨降りの日々が数日続いていたのだが、それも、今週半ばに終わった。

9月13日頃から青空が広がるようになり、長雨を境に、一気に季節が移り変わった感じだ。こちらの季節は、いつもこうやって、突然移り変わるから、わかりやすくていい。

まだまだ日中晴れると暑いことには変わりないのだが、空も風も、もうすっかり秋。1ヶ月前ぐらいから、同じことを言っていた気がするが、今度こそ本当に、秋到来、という感じ。

・・・と思ったら、今晩もまた通り雨が降りはじめた。ということは、まだ完全な秋ではないということかな。ところで、これで明朝晴れれば、カトマンズからもヒマラヤがきれいに拝めるかもしれない!

2006年9月13日水曜日

穢れた種から芽は出るか?

~ 昨日の記事『秋の果物・バンレイシ(釈迦頭)』 のつづき ~

昨日、事務所にてバンレイシをおやつに食べた。

中から、黒豆よりやや大きいサイズの種が、たくさん出てくる。ひとつのバンレイシから、20個ぐらいは出てくるかもしれない。

(この種、クワティ(複数の豆を使ったスープ)の中に入れたら、誰も気づかないかもね、などという冗談はさておき)、種を庭に蒔いたら、カトマンズでもバンレイシが食べられるかしら?という話をしながら、口から出した大量の種を、紙に包んで持ち帰ろうとすると、スタッフにあっさり言われてしまった。

穢れた種を蒔いても、芽は出てこないわよ、きっと。

このブログでも何度か話題に出したことがあるのだが、こちらには、ジュト(穢れ)の概念がある。他人が口をつけたものは穢れているとみなされ、カーストが上の者などは、自分より低いカーストが手をつけた食べ物、食器には、絶対に手をつけたがらない。

その概念に関連し、一度口にした種を蒔いても、芽が出ない(実はならない)という迷信があって、彼女はそのことを私に言ったのだ。

でも、この夏、マンゴーの種を庭に捨てていたら、あちこちから芽が出てきたわよ、と、得意そうに私が言うと、でも、絶対に実はつけないわね、と、断言されてしまった。

家に帰って、種を庭に蒔いておいたのだが、果たして芽は出るのか?そして、実をつけるのかつけないのか?それ以前に、カトマンズでは気候条件が適さず、バンレイシは育たないかもしれないが。

~ 余談 ~

高カーストに属するスタッフが、このやり取りを見ていて、冗談でこういった。

ボテニ(bhoteni:チベット系の女性の呼び方だが、時に差別的用語にもなる)の穢れた種からは芽が出ないかもしれないけれど、バフン(ヒンドゥ教最高カースト・ブラーマンのネパール語)の種なら穢れてないから、ボクの種を持ってけば?(カーストと穢れの概念を扱った、ブラックユーモアといったところか)

いいえ、遠慮しておきます。

2006年9月12日火曜日

秋の果物・バンレイシ(釈迦頭)

日本と同じで、夏の終わりごろから、カトマンズでも柿や梨などが売られるようになる。

でも、こちらの柿はほとんど渋柿で、ドロドロに熟すのを待って食べることが多い。梨も、日本の品質改良された甘いそれとは少し違う。

こちらに住み始めた当初、秋の味覚、梨を見つけてうれしくなり大量に買ったところ、ほとんどが、包丁も入らないほどに硬く、がんばって皮をむいて食べてもジューシー感に欠け、かなりショックだった記憶がある。そのときのトラウマのせいで、ローカル梨はその後一度も買っていない。

秋の果物のなかに、バンレイシと呼ばれる果物もある。お釈迦様の頭に見た目が似ていることから、和名は釈迦頭とよばれるようだ。

柿や梨ほどメジャーではないのだが、今ぐらいの季節になると、カトマンズでも売られているのをちらほら見かける。

以前、10月初旬にカトマンズ盆地外の村を訪れたとき、ちょうどバンレイシのシーズンで、道すがら木をみつけてはもぎ取り食べた、という贅沢な思い出がある。

私は、果物にはそれほど興味がないのだが、日本の柿、桃(これはどこの桃でもOK)、マンゴーはとても好き。そんな味覚の私がおいしいと感じるのが、バンレイシ。つまり、そういう系の味。

~ つづく ~

2006年9月10日日曜日

再びシトシト雨のカトマンズ

朝は土砂降り、その後だんだん雨足は弱まって、夕方にはやむ、というパターンが土日2日間続いた。

半袖、素足(サンダル履き)では、明らかに肌寒い、いや、完全に寒い気温。

昨日は、カトマンズ~ポカラ間フライトはほぼ全線欠航となっていたようだ。

余談だが、雨が『シトシト』降ることを、ネパール語では『シムシム(またはシムシメ)』降る、という。『ザーザー』降りは、『ザムザム』降り。

日本語とネパール語は、擬態語や擬声語が非常に似ていておもしろい。

2006年9月8日金曜日

10月からのネパールトレッキングには証明書(TRC)が必要になります。

10月1日より、トレッキングに関する申請事項が変わる。(この記事の最後に、9月10日付追加記載有)

ネパールの主流トレッキングルート。エベレスト方面、アンナプルナ方面、および、ランタン方面。

いずれも、今まではトレッキング許可証は不要で、国立公園入園料を支払えばよかった。(エベレスト、ランタン方面の入園料は1000ルピー、アンナプルナ方面は2000ルピー)

入園料さえ払っていれば、トレッキング会社に属する必要はなく、ガイドもつけず、個人で自由気ままにトレッキングすることができていた。

しかし、10月1日から、上記入園料のほかに、TRC(Trekking Resistration Certificate:トレッキング登録証明書(仮訳))を申請取得する必要が生じることが決定し、本日発表された。

このTRCはTAAN(Trekking Agencies Association of Nepal )に加盟しているトレッキング会社でのみ申請可能となる。ちなみに、このブログ筆者も経営にかかわっているヒマラヤン・アクティビティーズはTAAN加盟会社である。(TAAN事務所に直接旅行者個人が行っても、申請は受け付けてくれないとのことなので注意したい)

申請には、トレッキングルートや日程、所属トレッキング会社、(トレッキングライセンスを所持するガイド名またはポーター名)などを記載する必要があるという。つまり、10月1日以降、トレッキングの際にはガイドまたはポーターのいずれかを必ず1名は同行させていないと、トレッキングはできないことになるのか?(未確認だが、TRCに関する情報が記載された書類を読むとそのように読み取れる)

TRCを取得していないトレッカーは、通行を許可してもらえないとのことなので、今後、必ずトレッキング会社を通してトレッキングを申し込む必要が出てきそうだ。(このようなシステムは、私たち政府登録済み正規に運営しているトレッキング会社にとっては朗報だが、フリーのガイドや、経験は豊富でもライセンスを持たずに活躍していたガイドには痛いかもしれない。また、ガイド無しで気ままなトレッキングを計画していたトレッカーにとってもつらい情報となるかもしれない)

このようなシステムが導入されることになったわけは、大きく分けて二つあるようだ。ひとつは、政府に登録していない名ばかりのトレッキング会社や、フリーのガイドが、不正に(税金を納めることなく)トレッキングを扱えなくする目的。もうひとつは、外国人トレッカーの安全を確保する目的。

いずれによせ、10月以降、ガイドもポーターもつけずにトレッキングを計画している場合、不正トレッキングとみなされることになるかもしれない。個人でトレッキングをしようと考えていた方は、十分に注意してほしい。

(ここから、9月10日付追加記載)

手元にあるのはTRCに関するネパール語の書面だが、次のような記載を確認したので、明記したい。(ほぼ直訳)

・ トレッキング会社は、最低1名の会社所属ガイドまたはポーターを、トレッカー個人またはグループに提供しなければならない。

・ トレッカー個人またはグループは、トレッキング会社が提供する最低限のサービス(注1)を受けずにトレッキングをした場合、トレッキングを中止させられるか、罰則を与えられる場合がある。

・ トレッカーがTRCを所持しているかどうか、最低限のサービスを受けているかどうか、警察やTAANを含む諸機関にてチェックがある。違法トレッキングをしている場合は、トレッキングを中止させられるか罰則を与えられる場合がある。

注1:最低現のサービス、という表現が何度か用いられているが、これは、トレッキング会社がトレッカーにガイドやポーターを提供すること、と読み取ることができ、関係者はそう解釈している。

ただし、TAANに詳細を確認したところ、上記事項がすべて10月1日から実施されるかというとそうではなく、現在検討中とのことなので、最終的なルールは後日発表されることになるようだ。

(9月10日追加記載終)

2006年9月7日木曜日

部分月食、見ていい?悪い?

9月8日に見られる部分月食の話題を、ネパールでも見ることができるNHKニュースで流していて、あわててパットロ(Patro)を開いてみた。

パットロというのは、占星術に絡んださまざまな情報が記載されているカレンダー。壁にかけるカレンダーとは違い、解読は難しいのだが、占星術による月別の情報、星座別1年の運勢、月食・日食情報など、興味深い情報が細かく載っていて、時に役立つ。



今回の月食は、日本時間の未明に見られるらしい。ということは、ネパールでは本日深夜頃に当たるはずだ、と思い確認すると、月食はネパール時間の本日9月7日23:50に始まり、8日0:36に最大となり、1:23に終了するという。(日本との時差は、ネパールが3時間15分日本より遅い)

夜更かしして眺めてみたいところなのだが、こちらの占星術によると、ただの興味本位で見てはいけないといわれている。星座別に、見ていいかどうか区別されているのだ。

たとえば、私の星座(西暦で判断する星座)はいて座なのだが、こちらの占星術によるとしし座であることがわかっている。

パットロによると、しし座は今回の月食を見てはいけないことになっていた(左上の画像に、その情報が掲載されている)。理由は(直訳すると)、女性との間にトラブルが起こるから、だそうだ。解釈の仕方によって直訳とはやや違った意味合いでとれなくもないのだが、いずれにしても、見るとトラブルが起こる、ということらしい。

昨年から今年始めに見られた3回の日食、月食時にも、見てはいけない、ということなっていた(実際には気にせず見ていたのだが)。



今後、来年3月3~4日に皆既月食、3月19日に部分日食が見られるそうなのだが、しし座の私はこれらも見るといけない(不幸になる、損をする)と書かれている。(写真は、来年3月の月食、日食情報)

いつになったら、日食、月食を見ることで幸せが訪れるのだろう?

ふと思い立って、西暦による私の星座・いて座の欄を見てみた。そこには『富に恵まれる』と言うようなことが書かれているではないか!

ネパールの雑誌や新聞に載っている星座占いを見るときには、必ずこちらの占星術によって出してもらった星座の欄に目を通す私なのだが、今回だけは例外、都合よく日本の星座を用いて、月食を見てしまうことにしよう。

2006年9月6日水曜日

カトマンズ市内移動(観光)時の渋滞に注意

在ネパール日本大使館からいただいたお知らせを こちらのページ に掲載した。

先日から、さまざまな目的での抗議行動、デモ、集会などにより、渋滞や交通封鎖があちこちで発生している。

それに加えて、祭がらみで混雑していたり(本日から、インドラジャトラも始まった)、道路工事による通行止めなどが実施されていることもあり、時間帯によっては、あっちに行ってもこっちに行っても渋滞、という状況のこともある。

たとえば昨日、カトマンズからパタンへ用事で出かけた際、カトマンズ市内の大きな道が集会による通行止めになっていて通れず迂回を命じられ、まわった道ではひどい渋滞、やっとの思いでパタンに到着したところ、いつも通る道が道路工事中出通行止めでまた迂回を余儀なくされる、という、踏んだりけったりな状況に巻き込まれた。

これからしばらく、こんな状況が続くのかもしれない。

大使館からのお知らせにも書かれているが、こういう状況は、予測できるものとできないものがある。観光中の移動時には注意したい。

なお、先日から、どこで渋滞が発生しているか、どこが通行止めになっているか、などの情報を交通警察が提供する、電話サービスが実施されている。番号は103番。l機械の音声サービスではなく、地名を言うと、警察官がその地域の状況を生声で答えてくれるとのことだ。ネパール語ができないと利用価値はないが、携帯電話を持参しているネパール人と一緒に観光・移動をしている際には、渋滞地域を問い合わせてみることができる。

上記大使館からのお知らせによると、空港内での盗難も頻発しているようなのでご注意を。

2006年9月4日月曜日

トリスル(Trishul):三又鉾



トリスル(Trishul)というのは、ヒンドゥ教シバ神が持っている三又の槍。日本語では三又鉾と訳されることが多いようだ。日本の刺股(さすまた)は、長い柄の先端にU字型の金具がついている武器であるが、トリスルは、U字の真ん中にもう一本入っているような形となる。(写真のシバ神が左脇に挟んでいるのが、トリスル)

以前、ネパール中部にある古都タンセンに行ったとき、丘の上に建つ寺院を訪れたことがある。そこには、ネパール最大だったか、世界最大だったかのトリスルがまつられていた。

カトマンズ~ランタン・ヘランブー地方のトレッキングに行く際、トレッキング始発地点(ドゥンチェまたはシャブルベシ)までは、トリスリ(Trishuli)川と呼ばれる川に沿って進む。このトリスリという言葉は、シバ神が持つトリスルに由来しているそうだ。

この地方のトレッキングで有名な、ヒンドゥ教の聖地ゴサイクンダ(Gosaikund)という場所がある。ここには、シバ神にまつわる多くの話が残っていて、その中のひとつに、この場所でシバ神がトリスル(三又鉾)を使って地面を突き刺したところ、そこから水が溢れ出し川になった、それがトリスリ川という名前の由来だ、というものがあったと記憶している。

トリスルを使った話題を今日はひとつ。

先日、『山』という文字に似た模様がたくさん書いてあるデザインのラベルを、衣類の一部に縫い付ける作業をネパール人に頼まなくてはいけなくなったことがあった。

日本人同士であれば、模様を『山』という漢字にたとえ、向きが上下逆にならないように縫い付けて、という指示をすれば、すぐに理解してくれるところだ。

しかし、こちらの人には『山』の向きで、といっても通用しない。以前も同じ指示を出さなくてはいけないことがあったのだが、そのときは、ラベルを見せ「3つの先っぽを必ず上向きにするように」「Mの逆で、またはWの向きで」としつこいぐらいに注意を促した。

しかし、仕上がったものを見ると、半分ほどの向きが逆になってしまっていた。あれほどいくつも例を出して説明したのに、なぜに間違えたのか理解できないのだが、要するに、彼らにしてみれば、どちらを上向きにして縫い付けなくてはいけないか抽象的にしか理解していなくて、上下の向きなど意識していなかったということなのだろう。

今回は、以前の経験を生かし、ネパール人でも上下を間違えるはずのない具体的な指示の出し方を考えてみた。『山』の文字に似た模様を、絶対に上下逆にしないような、良い例。3つの先っぽが必ず上を向かなくてはいけない、と一発で印象付けるものは何か?

いろいろ考えていて、トリスルを思いついた。



シバ神が持つトリスルは先ほども書いたように三又となっている。シバ神はこのトリスルを、たいてい柄を下にして持つ。つまり、三又の突き刺す部分が上に来るから、『山』という文字に似ているデザインが持つイメージと共通する。

これなら、こちらの人の脳裏にもしっかり焼きついてくれるはずだ、そして、間違えようもなくなるはずだ、と思い、トリスリの例を出して説明したところ、効果てきめん、上下の向きを間違えなくなった、ということがある。

2006年9月3日日曜日

雨乞いの儀式

毎週日曜日発刊のネパール語週刊誌に、面白い記事が載っていた。

雨の少なかった今年の雨期。ネパール南部に位置するナワルパラシ郡の一部の村では大干ばつ被害に遭っているという。

この地方では、雨乞いのための独特な風習があるとのこと。それは『深夜みんなが寝静まった頃、女性たちが集まって、全裸で田畑を耕す』という風習なのだそうだ。そして、『ただ耕すだけではなく、雨の神・インドラ神を罵りながら耕す』のだそうだ。昔からの言い伝えに深く影響しているそうなのだが、ネパール国内にも、地域や民族によって、興味深い風習がいろいろあって面白い。

ここ何年も、このようなことをしたことはなかったらしいのだが、今年の雨不足で大干ばつに見舞われ、田畑が枯れ果ててしまった。そこでついに女性たちは意を決し、夜、裸になって、田畑を耕しているという。

ここで、ネパールの田の耕し方を少し説明したい。日本も昔はそうだったのだと思うのだが、こちらでも農耕機(トラクター)などを使う習慣はなく、すべて人力作業。去勢牛(ネパール語ではゴルという)に農耕具を引かせて耕したりもする。

そこで、だ。ネパール南部のその地域では、裸になった女性何人かはゴルの役をし(つまり、四つんばいになって田畑を歩くのだと推測できる)、田畑を耕しているそうだ。想像すると、妙に生々しいこの光景、他人事ながら恥ずかしくなってしまう。

もちろん、男性立入厳禁だし、見てもいけないとのこと。しかし、作業終了後、カジャ(軽食のこと。ここでは夜食のような意味合いで読み進められる)を差し入れる習慣もあるそうなのだが、差し入れは、村で一番偉い人物がしなければいけないとのこと。村の偉い人物といえば、たいていは男性になってしまう。そこで、目隠しをして現場(全裸の女性が集まる田畑)を訪れているそうだ。差し入れ人が精力みなぎる中年男性ではなく、よぼよぼの長老であってほしい、などと、どうでもいいことを考えてしまった。

女性たちのためにも、雨乞いの効果があってほしいと思う。

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さて、上記の地域からそれほど離れていないネパール南西部(バルディア郡など)では、先日から大雨の被害が出ている。多くの人が大雨により家を失い、緊急に食料や医薬品を必要としているそうだ。ネパールのことなどめったに流れない日本のニュース(NHKBS)で、昨日深夜(日本時間の本日未明)、このニュースを流していて少し驚いた。それほど被害は深刻だということなのだろう。

大干ばつの被害に遭っている地域と、大雨の被害に遭っている地域、直線距離にして約400km程度しか離れていない。自然は意地悪だ。

ちなみにここカトマンズでは、まだ雨期は終わっていないが雨不足には変わりなく、すでに計画停電が始まっている。雨の神・インドラ神は、何をしたら雨を降らしてくれるのだろう?

2006年9月2日土曜日

計画停電開始

9月1日から、また、計画停電が始まった。

今年の雨期も、降雨量が非常に少なかったためだ。(しかし現在、西ネパールでは深刻な大雨被害を被っていて、医薬品や食料の不足が深刻になっているようだ)

とりあえず今のところの停電時間帯は、どの区域も1週間に一度、夜7時から9時半までの2時間半の実施となるようだ。(そのうち、停電時間は増えていき、今年初旬に実施されていたように、1週間に35時間もの停電が実施される日もそう遠くはないだろう、、、)

計画停電が始まる、という情報はあったのだが、いったい、どの区域が、何曜日の停電にあたるのか、詳しく知らないでいた。日本であれば、かなり前から、停電のお知らせと、お詫びなどが告知されるところだと思うが、そういう配慮はない。

いったい、私が住む地区では何曜日の停電となるのか?毎日ハラハラしながら過ごすのは嫌だ。でも、1週間以内には必ず電気は消えるわけだから、気長に待とう、と思っていたところ、計画停電開始2日目の本日、夜7時ちょうど、突然ぶちっと電気が切れた。

真っ暗闇の世界になった瞬間は、がっくりしてしまったが、早いうちに停電曜日がわかって安心もした。

さて、旅行者が多く集まるタメル地区では、金曜日の夜7時から9時半までの停電となるようだ。中級以下のホテルに泊まる場合は、自家発電機を備えていないところも多いので、これから来年の雨期が始まるまでは、懐中電灯を持参すると役立つはずだ。

中級ホテルには自家発電機が備わっている場合が多いが、自家発電では、ロビーやレストランの公共スペースのみしかまかなえないほどの電力しか供給できない場合も多いから、やはり懐中電灯は必須。

2006年8月21日月曜日

祭ではないけれど、祭のようなもの

19日、20日と実施されていた、石油製品値上げに抗議すると見せかけた憂さ晴らし行動は、とりあえず終結した。

市内のあちこちでタイヤを燃やしたり、罪のない一般市民が乗るテンプー(乗り合い三輪自動車)のガラスをレンガで割ったり、緊急事態で出動している救急車に投石したりすることのどこが、抗議行動なのだろう?と思ってしまう。日頃鬱憤を晴らす機会のない若者が、ここぞとばかりに暴れまくって、お祭り騒ぎで楽しんでいるだけ。

お祭り騒ぎといえば、カトマンズ市外に住む知人が住む村では昨日、隣人たちが集まって、ヤギを一頭絞めたそうだ。(食用動物を絞め、みんなで分けて食べる、という行為は、祭り気分のときにすることが多い)

もうダサイン(祭)気分なわけ?と聞くと、まあそんなものだね、と、知人は答えた。(もうすぐ、生贄のために生き物をささげる儀式も行われる、ヒンドゥ教最大の祭り『ダサイン』祭が始まる)

以前は、季節行事なのかと錯覚するぐらいに定期的に実施されていたバンダ(スト)なのだが、今年4月の政情混乱終結以降、実施されていなかった。バンダによる臨時休暇慣れしてしまった一般市民たちには、バンダ無し(臨時休暇無し)の生活こたえる。

それが、今回の抗議(とかこつけた憂さ晴らし)行動で、街の機能が麻痺し、久しぶりの休暇となったのだから、これを祭り扱いとしないでどうする。そういうわけで、村人が集まって、ヤギを一頭絞めたそうなのだ。

抗議行動といいながら、憂さ晴らしでタイヤに火をつけ、他人に迷惑をかけて楽しむネパール人もネパール人だが、こうやってできた臨時休暇をいいことに、祭り気分でのんびりヤギを絞めるネパール人もネパール人だ。まあ、私もこの休暇をいいことに、家でのんびりくつろいだのだが。

所詮、この国の(最近の)バンダ(スト)なんて、この程度のもの。

うわーなんだか大変らしいぞ、と、現地で大慌てし、ネパールの治安は悪い、とすぐに決めてしまうのは、状況を正しく入手するのが難しい旅行者だけかもしれない。

政変による暴動と、憂さ晴らし的お楽しみ暴動は違う。そこのところをよく理解していれば、ネパールは危ないんだろうか?などと心配するだけ無駄にさえ思えてくる。でも、自己責任で注意はしなくちゃいけないけれど。

2006年8月20日日曜日

久しぶりの1日

昨晩遅く、「石油価格高騰への抗議が20日も繰り広げられる予定なので、外出は控えるように」という日本大使館発の地区別緊急連絡網が入ってきていた。特に出かけなくてはいけない用事もなかったので、1日家で過ごすことに昨日から決めていた。(ネパールでは日曜日は休日ではないため、通常は普通の平日となる)

一応朝、街の様子を確認しようと、リングロード(カトマンズ市、パタン市を囲む周囲約20kmほどの環状道路)外に住む知人と、リングロード内の街の中心部に住む知人に、現在の外の様子を教えてもらう。各地でタイヤが燃やされていて、車両の通行はやめたほうがよさそうだ(場所によってはバイクでの通行は無理)、と聞いたので、家で過ごすことを再決定する。

昼過ぎまでいい天気だったので、洗濯物と、家中の布団を干す。それだけでは強い日差しの有効利用には物足りなく、先日買ってあくを抜いておいたぜんまいも干す(干しぜんまい作り)。ビンに入れて太陽の下に置いて作る大根の発酵アチャール(漬物的ご飯の友)も仕掛け、照り焼きまんを食べたくなったので作って蒸し、典型的なバンダ(ゼネスト)の日の、のんびりした休日を過ごす。4月の連日カフュー(外出禁止令)の日々を思い出してしまう。あのときも、なぜか照り焼きまんを食べたくなって作った。

一段楽していると、なんとなく雲行きが怪しくなってきた(昨日も書いたのだが、雨期終盤の今日この頃、午後になると天気が急変し、短時間のスコールが降ることが多い)。そろそろぱらつくかな、と思いながら室内で他の作業をしていると、「雨が降ってきたぞ~(パニパリョ~)」という、隣人が近所に知らせる叫び声が聞こえ、あわてて庭に駆け下りる。叫び声の主(隣の家のおばさん)もあわてて洗濯物を取り込んでいて、顔を見合わせ苦笑いをしてしまう。洗濯物と布団とぜんまいとアチャールのビンを家の中に取り込む。

夕方前、寝転がりながら本を読む。知らないうちに寝てしまったようだ。寝ていた時間は1時間ほどだったのだが、夢を見る。携帯で電話をかけようとすると、変なエラーが出てつながらないのだ。何度も何度も番号を押しても、エラーが出て埒が明かない。おかしいなあ、と思っていると、周りの携帯も同じ状態になっていることがわかる。

つまりこの夢、つい最近までネパールの政変時によく起きていた、通信を遮断される状態を連想させるものだったのだ。外で抗議行動がおきている今日、やっぱり(電話が)とめられたか、などと、夢の中の登場人物たちと話しながら、電話をかけるのをあきらめる。

・・・と、突然、現実世界の電話がなって、眠りから覚める。通信遮断されていたのは、夢の中だけだとわかり、ほっとする。

その後、夕方過ぎ、大使館発地区別緊急連絡網が入る。石油製品の値上げはとりあえず延期になったとのこと。明日から市内は通常に戻るだろう。

ほっとしながら、夕飯の準備に取り掛かる。

2006年8月19日土曜日

抗議熱は雨と共に消える

日中、カトマンズ(パタン含)市内は大変なことになっていたらしい。

石油価格高騰に対する抗議デモが、あちこちで繰り広げられていたらしいのだ。(20日も抗議行動は引き続き行われるようなので注意)

リッターあたり67ルピー(約110円)だったガソリンが、84ルピー(約130円)に値上がりすることに伴う抗議デモ。値上がり後も日本のガソリン価格よりは多少安いが、平均月収が日本の20~40分の1であるネパール。ガソリンがこの価格になるのは、現地人にとっては非常に痛い。

そこで、路上でタイヤを燃やし交通を妨げる、通行している車両に投石し、ボコボコにする、という大人気ない行為をみんなでして、価格高騰に抗議するわけ。

そんなことをしても、世界的に高騰している石油価格を下げることはできない。でも、こちらの人は 抗議行動という名ばかりの憂さ晴らし を、機会を見つけては繰り広げ、お祭り同様に楽しむ。

本日私は、自宅から割と遠い出先にいて、市内が大変なことになっている、という情報を日中耳にした。話によると、各地の路上でタイヤが燃やされていて、通行している車両は抗議隊によって止められているという。市内移動は徒歩でならできるが、車両ではかなり危険そうだ、という。

私は普段スクーターで移動している。最悪、この抗議行動が長引けば、スクーターは出先において、徒歩で家に帰らなければいけないかもしれない、と覚悟した。

でも、熱しやすく冷めやすいネパール人のこと。抗議行動がそんなに長時間続くはずもない。夕方近くなって雨が降り始めれば (雨期終盤に差し掛かり、午後にスコールが降る日が続いている)、もうボク、タイヤ燃やすのも飽きたし、雨も降ってきたから、家に帰ろーっと、というノリで、本日の抗議行動はすぐに終結になるだろう、と読んでいた。

実際、この国の抗議行動は、雨が降り始めたとたんに、笑えるほどあっけなく終了する。それはそれで嬉しいことなのだが、その程度の意思だったの?と半ばあきれてしまうことも多い。

たとえば、一昨年前、政党による抗議行動が1ヶ月以上連日起こっていたとき。雨が降り始める季節に入ったとたん、抗議行動の時間帯を雨が降らない時間帯に変える、という、手段をとっていたことがあった。(他の理由があったのかもしれないが、日差しが強かったり、雨が降ったりするたびに、それを避けるかのごとく抗議の時間帯がずれていた)

また、連日外出禁止令が続いていた今年4月にも、似たようなことがあった。外出禁止令発令区域にもかかわらず、国王に抗議する大群衆が何万人単位で終結し、王宮を目指したことがあった。あと1時間もしないうちに、王宮は大群衆に取り囲まれ、大変なことになるのではないか、と、誰もが心配したそのとき、突然大雨が降り始めた。

すると、シュプレヒコールを飛ばし、白熱しまくっていた大群衆は、それまでの熱をすっかり雨に冷まされたかのごとく、みんなさっさと家路につきはじめたのだ。つまり、抗議行動に参加していた大群衆のほとんどは、抗議の意味もわからずお祭り気分で抗議デモに参加してみた、という、安易な目的でしかなかったということなのだろう。

余談で長くなったが、今回のデモも、夕方雨が降り始めれば、とりあえず解散になるに違いない。徒歩での帰宅を覚悟した私も、すぐに、考えをあらためた。雨が降れば、余裕で車両移動できるだろう。

そして、15時過ぎ、予測どおり小雨が降り始めた。ここぞとばかりにスクーターを出し家路についた。つい1時間ほど前まではタイヤが燃やされて大変なことになっていたという通り道には、案の定、抗議している人の姿も見えず、普通の街に戻っていた。タイヤが燃やされた痕跡は、あちこちで見かけたのだが。

抗議行動とかこつけて、日頃の憂さを晴らせればそれで大半の人の目的は果たせる。抗議熱など雨と共に一瞬にして消えてしまう、所詮その程度のものなのだ。

でも、また明日(20日)の日中も、抗議行動は続くというので、注意はしたい。

2006年8月16日水曜日

カトマンズダルバール広場のクリシュナ寺院

クリシュナ寺院
 
今日はヒンドゥ教の神・クリシュナの誕生日(クリシュナアスタミ)で祭日。

旅行者エリアのタメル地区から南下し、アサンやインドラチョークを過ぎ、旧王宮広場内に入ると、向かって左手側に怖い顔をした、でも、どこかかわいい、カラフルなカラ・バイラブ像が見えてくる。

クリシュナ寺院はこの少し先の右手側に位置する八角形の珍しい建物。

本日は、赤いサリーを着た女性の参拝客でにぎわっていた。