政治的な面からマオイストについて述べることは、私の知識では不可能。このネタで、2回連載する予定だが、現在進行中の和平交渉に関わるネタではないことを、あらかじめ断っておきたい。
マオイスト=毛沢東主義者。ネパールの反政府組織、という認識でよかったと思うが、今、政党との和平交渉が進んでいる。
マオイストが誕生してから約10年ほどの間に、ネパール国内で、マオイストと国軍、警察が衝突し、一般人も含めて多くの死傷者も出た。カトマンズ市内でも、小規模ではあるが爆発物騒ぎなどもよく起こり、これが原因で、ネパールは危険な国、というイメージが旅行者の間で強まり、旅行者もぐんと減っていた。
しかし彼らは、外国人には被害を与えることはないと宣誓していた。アンナプルナ方面トレッキングルートで、通行料と証して金銭を要求される被害にあったトレッカーは多いかもしれないが、傷害被害にまで発展する事件に遭遇した外国人は、おそらくいないはずだ。
今まで、カトマンズなどの都市部に現れることの少なかったマオイストだが、2006年4月の政変以降、カトマンズ中心部で堂々と集会を開くようになった。今までずっと隠れていた党首も、テレビやラジオに気軽に登場するようになった。
それと同時期に、マオ傘下組織などがカトマンズ市内のホテルや旅行会社に堂々と現れ、寄付を要求し始めるようになっていた。
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話がそれるが、3~4ヶ月前のある日、ヒマラヤン・アクティビティーズの事務所にもマオイストと証する4人組の村人風老若男女がやってきた。ちょうどその頃、カトマンズ中心部でマオイストの大規模な集会が予定されており、農村部からマオイストであるたくさんの人々が上京していて、滞在費をまかなうために寄付を集め歩いているとのことだった。
マオイストが事務所に入ってきたまさにそのとき、私たちの事務所内では、スタッフが1000ルピー札の分厚い束を数えている最中だった。突如として入ってきた4人組が寄付を要求しに来たマオイストとは知る由もなく、彼らを完全に無視しながら、スタッフは札束をカウントし続けていた。
そして、カウント終了後、おもむろに顔を上げ、『君たち、どこから来たのかね?』と特に敬意も払わず尋ねて初めて、彼らがマオイストで、金銭の寄付を要求しに来たということが判明したのだった。
もし、それ以外のときに現れていれば、金はない、と拒めたものを、彼らの前で平然と大金を数え終わったあとで、『金はない』などというしらじらしい嘘をつくわけにもいかず、その場に居合わせたスタッフおよびマオイストたちみんなで、顔を見合わせ苦笑した、という、笑うに笑えない出来事があった。
~ マオイストの要求2 につづく ~
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