2015年12月31日木曜日

2015年のネパールを振り返る


今年2015年は、ネパールにとって激動の1年でした。

旅行業に携わる者としての視点から、大きな出来事3点を振り返ってみたいと思います。

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3月4日早朝、トルコ航空機のカトマンズ空港着陸失敗事故。

この影響で3月7日午後までの3日半カトマンズ空港国際線が閉鎖。ネパール入りできない旅行者、ネパールから出国できない旅行者であふれました。

事故の瞬間、事故現場からも近いヘリポートと上空にスタッフが出ていて、現場の生々しい様子を報告してくれました。


私ごとですが、この事故のちょうど1か月前に祖母が亡くなりました。その10日前に一時帰国からネパールに戻ったばかりだったこともあり、両親にも帰国しなくてよいといわれ、私自身そのつもりで一晩明かしたのですが、祖母との思い出を思い出すとやはりいてもたってもいられず。

出棺の15分前に斎場に到着する、という緊急帰国をしたところでした。

しかし、もし事故が1か月早く起きていたら、空港閉鎖で帰国するすべはありませんでした。

いろいろな事を覚悟して生きていかないといけないなあ、などと思っていたその一か月半後、

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4月25日、マグニチュード7を超える大地震発生。その後も大きな余震が続き、5月12日には再びM7越えの地震が。この間の事を思い出すと、言葉にできない感情が沸き起こります。

最初の地震から10日間、未明から夜まで記者の方に同行し各地周りました。たくさんの光景を見、その都度現場からツイートさせていただきました。

忘れられない光景がたくさんある中で、地震のことを思い出すたびにかならず浮かぶ光景が、冒頭の写真です。4月28日18時半過ぎ、救援活動が行われていたカトマンズダルバール広場を後にする際、ふと振り返って目にした夕焼け。地震が起きて、今、自分が非日常の中にいるということを、一瞬忘れたきれいな夕焼けでした。

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9月末から現在まで続いているのは、ネパールの新憲法に不満を持つインドからの経済封鎖。最初の1か月ぐらいは街を走る交通量も一気に減り、この先どうなってしまうのだろう、という不安に駆られました。

ガソリンスタンドは今もほとんど閉まっているままで、私自身、9月半ばに給油して以降、今日まで3か月以上一度もガソリンスタンドでは給油できていません。

しかし、一時期減っていた街を走る車の量も、今は平常時並みに戻っているのは、皆が闇ルートで燃料を入手するようになったから。闇で燃料を売り、平常時以上の儲けを得て、経済封鎖の恩恵を受けてほくそえんでいる人たちもいるのだなあと、実感させられます。

調理ガスがなくなり薪とかまどで調理する一般家庭やレストランも増え、風情を感じるものの首都カトマンズにとっては異常な光景は、今でもあちこちで見られます。

毎朝の通り道にある調理ガス販売店には、今朝(30日朝)もたくさんの人がガスを求めて群がっていました。


噂では、近日中に経済封鎖解除になるかも、ともささやかれていますが、どうなるのでしょうか?

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他にも、いろいろな事があった1年でした。

2016年は、災害や危機の無い平穏な1年であってほしいと、切に願います。

今年もありがとうございました。

2015年12月27日日曜日

ネパール製の車椅子


4月25日の大地震で倒壊した家の下敷きになり、脊髄損傷し下半身不随となったガイドの義妹サパナ(20歳)。


地震で何らかの被害にあい、何かを失った知人は多いが、そのほとんどが人的被害はなかった中で、若い彼女が失ったものは大きく、当時から気になっていた。

夏ごろ、リハビリセンターを離れカトマンズに住む親戚宅(ガイドのアパート)で暮らし始めた。

その彼女のもとを、本日訪問。

幼い日の事故により下半身不随となり車いす生活を送っている14年来の知人(ネパール人女性)と、彼女の夫(理学療法士としてネパールで活躍されている日本人)のご厚意により、ネパールで作られたという初の車椅子をサパナに届けるため。

車いす利用歴の長い知人によると、ネパール製の車椅子はまだまだ改善の余地が大ありだとのことだが、利用者の声を反映しながら、作り変え、乗りやすい物を目指していくそうだ。

そしてなにより、ネパール製の車いすは、故障しても自国で部品を調達できすぐに修理できるのが強みらしい。

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誰かに頼らなくては移動することもできず、また、外出する気持ちにもなれず、退院してからもずっとベッドの上で過ごすだけの日々だったというサパナ。

でも、この車いすで室内を動き始めることが、何かのきっかけになればいいなあと、心から思う。





ところで先日は、6月のブログを見て下さった読者の方が、彼女にお花のギフトを届けたい、とオフィスに相談に来てくださった。

日本で花に関わるお仕事をされているそうで、東日本大震災の際には、花を使った癒しのお手伝いもされていたとのこと。

親族を通して訪問の可否を打診。サパナ自身外出することにまだ抵抗があるが、訪問者がいると気分転換にもなるとのことで直接訪れていただいたところ、サパナもとても喜んでいたそうだ。ありがとうございました!

2015年12月19日土曜日

ささやかな手作り結婚パーティーと仲間たちの集い


数年継続で勤務してくれている、オフィスの女性事務スタッフ(ヒラ)が今月初めに結婚。

実家があるシンドゥパルチョウクの村(カトマンズから車で片道4時間)で結婚式と披露宴を行うとのことで、1か月前に招待状をもらっていたのだが、ちょうどオフィスが忙しく人手不足の時期とかさなってたこともあり、関係者誰も参列できず。

で、昨日、スタッフやガイドたちを集めオフィス屋上で手作りパーティー開催。



オフィス賄用の調理ガスも残りわずかで、近々かまど&薪調理に切り替えないとね、なんて話もしていたところだったので、これを機に準備も兼ねて、屋上に即席でこしらえたレンガのかまどで調理。


日本人だと、地べたの直置き配膳に抵抗を感じる人も多いかと思うが、これがこちら流。

パーティーとは言えども、勤務中の昼食時間を利用したささやかなものなので、ご馳走は簡素に、ヤギ肉、鶏肉のカレ―と、チウラ(乾し飯)、プラウンチップス、のみ。



参加したガイドたちに、お祝いの「カタ」をかけてもらい、カタに埋もれる新郎新婦。



今回はガイドたち20人ほどしか集まらなかったけれど、6月に実施した地震後の近況報告会ぶりに、にぎやかな時間を過ごす。

毎年1月に、こういう雰囲気で新年会を屋上で行い、その際、ささやかながらすべてのスタッフ・ガイドたちに「お年玉」を渡しているので、「まさかみんな、お年玉期待して集まってないよね?」「ご祝儀もらえるのは新郎新婦だけ!今日はキミたちが渡す役。お年玉は3週間後だから!」なんて冗談も出て、皆で沸いたりして。

2015年12月16日水曜日

続:I AM IN NEPAL NOW


一昨日(12月14日)、久々にスワヤンブナート寺院を訪れた。

入場カウンターで領収書と共に、I AM IN NEPAL NOW のステッカーも配布していた。

ガイドたちに確認すると、11月中は配っていなかったようだから、12月に入ってからの対応だろうか?



私が前回訪れたのは8月だったが、周辺の崩れた塔など、今も修復されることなく残っていた。仏塔は、台座のひび割れが相変わらず浮かび上がっていて、いびつな形が今も痛々しい。(写真の仏塔は一昨日撮影したもの)

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ところで「I AM  IN NEPAL NOW」には、どういう意味があるのか、という質問をツイッターでいただいた。

前回同じタイトルで当ブログに記事にしたのは8月。


地震で途絶えた観光客を呼び戻そう!という趣旨で始められた企画だった。

その後、地震とは関係のない、深刻な燃料危機に陥り、二重の打撃を受けた旅行界。

航空券や車代も上がり、レストランなどでも、調理ガスを闇で入手したり、薪調理に代えたりしたことにより、値上がりしている店も増えている。

それでも、こういう不利な状況を理解した上で、年末年始にネパール入りを予定されている方も多く、私たちのところでは、地震後久々に、例年並、いや、それ以上の予約が入っている。

秋のトレッキングシーズンはぱっとせず、地震後の片づけもあり村に帰省し多くの時間を過ごしていたガイドも多いが、12月に入ってから続々とカトマンズに戻ってきて、またオフィスがにぎわい始めている。

毎冬恒例の長時間の停電に加え、今年は燃料危機の影響で、さらなる不便を強いられそうなネパール旅行ですが、計画してくださるすべての方に感謝です!

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ところで1枚目の写真、背景を見て、スワヤンブナートではないことに気づいた方がいたら、かなりのネパール通かも。

スワヤンブナートを訪れた翌日、カトマンズ空港を訪れた際、空き時間に、駐車場で撮りました(笑)。

2015年12月12日土曜日

伝統服チョロを着せられた犬


寒くなってきているカトマンズ。

日中、日が差している中を動き回っていると汗ばむほどだが、日陰に入ったとたんに肌寒さを感じる。一日の中での気温差だけでなく、場所によっての気温差も激しい。

冬になり、服を着せられている犬を何回か見かけた。オシャレ着としてではなく、明らかに防寒用、といった感じで、どう見ても服は、犬用ではなく人間の幼児用。

先日オフィス近くで見かけたこの犬は、甚平に似たネパールの伝統服・チョロを着せられていて、思わず二度見し、立ち止まってしまった。

あたたかそうで似合っていてかわいすぎ!

2015年12月8日火曜日

薪でつくった揚げたてセルロテイ


自宅近所のチョウタラ(地元の人たちが集う、菩提樹がある休憩所)の脇にある掘っ建て小屋。

地元の小さなチヤ&セルロティ屋だが、いつも繁盛している。

しかし、ここでも燃料危機の影響をもろに受けていて、9月末以降調理ガスが尽き、セル作りを中止していた。



しかし昨日通りかかると、小屋の前にある空き地の隅にこしらえた小さなかまどで、セルを揚げる姿が。(右側にあるのは鶏小屋)

通勤途中に発見し、横目で見ながら50mほど通り過ぎたのだが、揚げたてのセルに惹かれ、道を引き返した。

聞くと、3日前から薪で再開したそう。普段でも美味しい、ここのセルロティ。薪で作ったのはさらにおいしいはず。食べないわけにはいかないでしょ!

ということで、オフィスの朝のお茶請け用に、購入。





セルロティとは、粗挽きの米粉が原料の、油の上にぐるっと液を垂らして揚げる、型抜きではない輪っかが素朴なドーナツ。

薪調理で苦労を強いられている飲食店には申し訳ないが、こうやって、平常時には食べられない、薪調理の美味しい食べ物を食べることができるのは、嬉しかったりして。

2015年12月4日金曜日

ネパール旅行関連団体の平和的ラリー



本日昼前からタメル周辺で行われた、旅行関連団体による平和的ラリー。

トレッキング協会、登山協会、観光協会、ホテル協会、ガイド組合・・・等々、他、多々ある旅行関連団体が団結し、観光業を盛り上げていくべく、カトマンズダルバール広場をめざしゆっくり行進した。




ホテル協会のバナーを掲げ歩いている人たちの中には、ホテル内レストランのシェフだろうか、シェフ帽をかぶり参加している人の姿も。



たくさんの人が、わきあいあいと、ダルバール広場を目指し歩く。




4月の地震と、9月末以降継続中の燃料危機で旅行者が激減しているネパール。

観光業・レストラン業に関わる人たちは、皆、口をそろえて言う。「地震の影響はそれほどでもなかった。今の燃料危機のほうがきつい。2001年王宮事件のあとも、その後マオイスト問題が勃発していた時も、ここまで客足は途絶えなかった。こんなことは初めてだ

でも考えようによっては、これら一度に起ってくれてよかったのかもしれない、と言う人たちも多い。

未曾有の出来事はすべて今年(※)降りかかってくればいい。地震、燃料危機、そして次に何が起きても、覚悟はできている。でも、すべて今年(※)で終わりにして、来年からはまた観光業に活気を取り戻したい、と。

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最近、今の気持ちやメッセージを書いた紙を掲げ、誰かに静かに訴える行動を、あちこちで見かける。

一見、誰に向けて訴えているのかよくわからず、何の意味があるのか疑問に思えるものも多いが、それでいいのだ。今年(※)初めから皆がずっと抱えている不安な気持ちを共有し、結束力を高め、今を乗り切る活力が生まれる機会になるのだから。

現に私も、写真を撮るためだけに出かけたら、ホテル従業員、フリーランスのガイド、同業者、などたくさんの知り合いから「写真なんて撮ってないで、一緒に行こう!」と声をかけられた。こんな状況だけど皆楽しそうで、明るい気分になりながら、オフィスに戻った。

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(※)今年というのは、ネパール公暦ビクラム暦の今年のこと。2015年4月半ば~2016年4月半ばまで。今年始まってすぐ(4月25日)に大地震が起きた。それ以降、皆、大なれ小なれ何かに不安を感じながら、日々過ごしている。

2015年12月3日木曜日

風情ある異常な光景


最近朝早く近所を歩いていてよく目にするもの。

道端で薪割をする人。
民家の庭先につくられた即席かまどからたなびく煙。
薪を運ぶ人々。

インドからの経済封鎖が始まったころは夏の終わりだったが、あれから2か月以上たち、季節は冬になった。

朝は、太陽が出るのが遅く、霧とまではいかないが、うっすらもやがかったような冷たい空気に包まれる季節。

そんな中で見かける、薪割をする人、たなびくかまどからの煙など、風情たっぷりなのだが、ネパールの首都カトマンズのほぼ中心部で見かける光景としては、異常だ。




庶民的なレストランではたいてい薪調理に切り替えているし、燃料が足りずバスルームへの給湯時間を制限している大手ホテルなども出ている。



明日から計画停電時間も増えるというし、燃料も電気も足りない今年の冬は、いつも以上に寒くかんじそうだ。

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写真上:大通りで見かけた、薪を運ぶ人。
写真中・下:調理ガスの代りに薪で調理するローカルレストラン。