2006年2月24日金曜日

抜けない習慣(鶏肉の食べ方編)

ネパールの人は、鶏肉を食べるとき、肉だけではなく骨を噛み砕いて中の骨髄まで吸う(人が多い)。関節部分の軟骨も、もちろん食べる。

ダルバート(ネパールの家庭料理)をはじめて食べる外国人。おかずについてきた鶏肉が骨ばかりなことに驚き、「なんだこれ、骨ばっかりで食べられないじゃない」といいながら、塊のほとんどを残してしまう人がよくいる。でも、それは間違った食べ方で、骨まで噛み砕いて食べるのが、本当の食べ方なのだ。

私も、(ネパールで)鶏肉を食べるときは、噛み砕ける範囲で骨にかじりつき、骨髄まで吸い取るようにして、食べる。決して上品な食べ方ではないと思うが、そのほうが美味しいし、みんなそうしているから、私もそうする。

しかし、日本でこれをやってしまうと、なんとなく恥ずかしい思いをする。

たとえば、フライドチキンを食べ終わった後。他の人たちの食べかすと比べると、私のだけ骨の残りがだいぶ小さいことに気づく。ついつい、骨の半分ぐらいを食べてしまうからなのだが、日本だと、他人に驚かれてしまうので、ほどほどにしたほうがいいのかなあ、と思ってしまう。

ところで、先日、インドでも鳥インフルエンザが確認されたそうだ。

ついに近くまで来たか、という感じだ。

まだ、ネパールでの感染は報告されていないようだが、この影響で、ここのところ下がり気味だった鶏肉の値段が、さらに下がったようだ。

2006年2月22日水曜日

言葉

南九州の田舎で聞く、おじいさんおばあさんたちの会話。7割ほどしか聞き取れない。方言が強いせいだ。でも、小さい頃から訪れている私は、この田舎で暮らした経験はないが、年寄りしか使わないような言葉も、なぜか知っている。だから、すべてを理解できなくても、前後の脈絡から、会話の意味はだいたいわかる。

東京出身の父が始めて母の実家を訪れたときは、お年寄りの会話は全く聞き取れなかったそうだ。

さて、親戚のおばあさんの家を訪問して、世間話をする。

神経を集中させながら、おばあさんが話す内容を聞き取ろうと努力する。外国語を聞いているみたいだ。内容を理解できてもできなくても、途中で、相槌を「えー、えー」と打ってみる。

ここの人たちは、相槌を「えー、えー」と打つ。この相槌は、日本全国どこにでもあるかもしれないが、なんとなく、音が違う。「えー」ひとつひとつに深みがある感じ。ちなみに、同じ「えー」の音で相槌を打つのは、ネパールでも同じ。

だから、田舎の風景や、外国語を聞いているような気分も手伝って、ネパールにいるような気分になってきてしまう。

「えー、本当?」「えー、そうなの?」と言いたかったのに、思わずネパール語で、同じ意味の「えー、ほー?」「えー、ほらー?」と言ってしまって、あ、ちがった、と気づく。でも、耳の遠い親戚のおばあさんは、気づいていない。

この地方には、「どうしよう?」という意味の「どげんすかい?」という言い方がある。訳は先述の通り「どうしよう?」なのだが、やや言い訳じみたニュアンスが漂う「どげんすかい?」は、「どうしよう?」と、さらっと標準語で訳すより、ネパール語の「ケーガルネ?」という言い方であらわしたほうが、より近い意味が通じるような気がする。

アクセントのつけ方も、ネパール語とここの言葉は似ている点があるので、おかしい。

似ている単語があることにも気づいた。蛙という単語、ビャグト(ネパール語)と、ビッキョ(祖母が住む地方の方言)。ルーツは同じなのかもしれない。

2006年2月21日火曜日

温泉

カトマンズで私が住んでいる家のシャワールームには、バスタブはついていない。たとえ、バスタブがあったとしても、年間を通して水不足のカトマンズ。思う存分熱いお湯をじゃばじゃば流しながらお風呂につかるなんて、なんとなく心苦しくてできない。

お湯の心配のない場所で、気兼ねなくじゃばじゃばお風呂につかるから、リラックスできるのだ。

ということで、南九州にある祖母の家に行くといつも、近くに住む叔父に、地元の温泉に日帰りで連れて行ってもらう。

最近のお気に入りは、もう本当に『地元の温泉』という雰囲気が漂う、とてもシンプルなつくりの白鳥温泉。ここには、天然蒸し風呂と、露天風呂しかなく、オシャレ度はきわめて低い温泉なのだが、この素朴さがなんともいえずよい。

最近は、日本全国いろいろなタイプの温泉もあって、スチームサウナ的なものもたくさんあると思うが、白鳥温泉にあるような『天然』の蒸し風呂は、国内に3つしかないという。

雨降りの平日に行ったせいか、利用客は私1人。完全貸しきり状態の蒸し風呂内に寝っころがりながら、思う存分汗を流して、満喫した。

ネパールに住んでいると、なぜか、体を虫に喰われてしまう機会が多くて、1月末に衣替えをした際、(なぜか)太ももの後ろ側を喰われてしまっていた。

まだ少し痒く、跡も残っている。

皮膚病の人のような、虐待後のような、そんな跡がかなり目立つので、実は、温泉はあきらめかけていたのだが、「皮膚病専用の湯船がある温泉がある」という叔父の声に、がぜん乗り気になった私。

そこで、上記の白鳥温泉の後にはしごしたのが、新湯温泉

ここも、オシャレ度はゼロ。でも、そこがいい。

乳白色のお湯と、硫黄の強さが売りとのこと。以前には強い硫黄臭のために死者が出たこともあるそうだ。

皮膚病に効くお湯は、健常者の入浴は禁止との貼り紙がしてあったが、入ってみる。太もも後ろの虫食い跡だけではなく、ネパールの水が合わずに手あれがひどくてぐじゅぐじゅになったこともあるぐらいなので、皮膚疾患患者として、通用するだろう。

普通の湯と違って、すごい量の湯の花が浴槽にこびりついているし、お湯の噴出し口には、硫黄の塊がごろごろできていて、本当に効きそう。

皮膚疾患への効果は、1回だけの入浴では期待できないだろうが、湯上り後の肌のしっとり感にかなり満足した。

ネパールのトレッキングルート上にも、温泉があるところはあるが、衣類着用の上でつからなくてはいけないところが、なんとなく面倒くさい。どのロッジも日本のような温泉つきだったら、喜んで出かけていくのになあ、なんてことを考えてしまった。

田舎の風景



私の実家は、一応都会と呼ばれる横浜にあるが、生まれたのは、母の実家がある南九州の田舎。生後3ヵ月は、ここにいたらしい。

だからだろうか、三つ子の魂百まで、という言葉があるように、年頃を迎えても、田舎を毛嫌いすることなく、祖父母の家に行くのが、毎年楽しみだった。

山にそれほど興味があるわけではない私が、ネパールにはまってしまったのも、そういう田舎の様子が日本と似ていたからかもしれない、と思うときがある。

最近の日本は治安が悪いから、横浜の実家にいるときは『在宅セコム』をかけてしまう私だが、祖母の家では、在宅中は鍵は開けっ放し。

近所の親戚や、村の人たちが、畑でとれた野菜をもって、ガラガラっと戸をあけてやってくる。そして、長話をして帰っていく。

ネパールの村で見かける光景と同じだ。

2006年2月19日日曜日

風呂を『焚く』



風呂を『焚く』という言葉、まだ使われることがあるのだろうか?

風呂を『入れる』、風呂を『沸かす』という言葉は、日常的に使うが、風呂を『焚く(たく)』という言葉は、もしかしたらもう今の日本では、死語同然になってしまっているかもしれない。

でも、祖母が住む村(実際には『町』だが、『村』という響きのほうが合う)では、まだ、紙や薪をくべて、お風呂を焚く生活が残っている。

家々には、風呂釜の下にあたる場所に、火を焚けるような場所が作られている。夕方になると、村の家のあちこちで、煙突から煙がゆらゆら立ち昇る様子が見える。お風呂を焚いているときにあがる煙だ。

のどかだなあ、と思う。

2006年2月18日土曜日

一方的な再会

細々と運営しているヒマラヤン・アクティビティーズ(以下HA)なのだが、最近では、いろいろな利用者の方も増えてきている。

利用者の方の年齢、職業も幅広い。

昨年には、テレビ業界(というのだろうか?)で活躍する人の利用も何件かあった。どの人も、仕事ではなく、完全なプライベートの旅行として、個人でネットで検索しているうちに、HAのサイトを見つけてくれ、利用することを決めてくれた方たちだった。そういう利用法が、とてもうれしかった。

そんな中の1人に、祖母が住む県のテレビ局でアナウンサーをしているという、とても素敵な女性がいた。彼女もまた、仕事がらみではなく、プライベートの個人旅行で、ネパールを訪れる前に、たまたまHAのサイトを見つけて利用してくれた人だった。

祖母の家につき、テレビをつけてチャンネルを変えていたら、その彼女が出ている番組を見つけた。一方的な再会だけど、なんだかうれしい。

日本で見つけたネパール(宮島編)



祖母の家が南九州にある。帰省時には、実家がある横浜から約1400kmの道のりを、約1日かけて車で往復することが習慣になっていた。

今回、久々に家族が勢ぞろいしたので、約9年ぶりに、車で往復することになった。

17日夜10時、夜逃げのようにして、横浜の実家を出発。東名、名神を抜け、深夜過ぎ、中国道に入る手前で、『路上凍結注意』の文字が。山間を走る道、深夜には気温も低くなって、凍結してしまうのだろう。安全を見て、少し走行距離が長くなるが中国道をやめ、山陽自動車道を走ることにする。

早朝、『宮島方面出口』の標識を発見。

世界遺産にも指定されている、宮島の厳島神社。私は訪れたことがない。

高校2年の時の修学旅行コースに入っていたのだが、(中途半端な)『不登校』もどきだった私、修学旅行には行かなかった。

せっかく近くまで来ているのだから、立ち寄ってみたい。寄り道がキライな父の同意も得たので、急遽途中で高速を降りることに。

ということで、18日朝、厳島神社、訪問。

よく、NHKの『行く年来る年』で込み合うこの神社を見ているが、今日は訪れる観光客もそれほど多くなく、とても静か。

どうしても、本来の神社参拝とは関係のないものに目がいってしまう、悪いクセ。神社を出たところで、こんなものを見つけてしまった。

鹿ちゃん。



よく心得ています。

さて、今日のタイトル、日本で見つけたネパール(というか、仏教がらみのグッズ)。

厳島神社の近く、大聖院にて。

マニ車。



1回廻すだけで、お経を唱えたことになります。

そして、寝釈迦と仏足跡。





オマケで、こんなものも忘れません。



アンパンマンの羅漢。かわいいです。

2006年2月15日水曜日

抜けない習慣(トイレ編)

普段から水不足に悩まされるカトマンズなのだが、乾期も終わりに近づく今の時期は特に激しい水不足となる。

特に今年は、昨年雨期の降水量が極端に少なかったことから、早くから水不足が懸念されていた。

そんな都市だから、普段から、じゃばじゃば際限なく水を使うなんてもってのほか。

乾期の終わりには、何日も水が来ず、わびしくなるぐらいの節水生活をしなくてはいけなくなることも多いので、この時期、普段から水は大切に使うようにしている。

たとえば、髪を洗ったあとや、洗濯後の排水を、バケツにためておいて、トイレを流すときに使うなど。日本の生活では考えられない、涙ぐましい努力なのだが、それが習慣になってしまっている。

しかも、トイレも『小』の後に、毎回フラッシュするなんて水がもったいないので、バケツにためてある排水を、ひしゃくのようなものですくって、ささっと流す程度にすることが多い。

そんな習慣のせいか、水不足の心配がない日本の実家でも、(汚い話なのだが)ついつい癖で、『小』の後、水を流さないままトイレを出てしまうことがある。

そうるすと、もちろん、次にトイレに入った家族に、「ちょっと、また~?」嫌がられることになる。

2006年2月14日火曜日

抜けない習慣(タクシー乗降編)

日本に一時帰国するといつも、気をつけるよう意識していても、思わず出てしまう海外での癖(というか習慣)がある。

それは、自動になっているタクシーのドアを、思わず自分の手で開け閉めしてしまうこと。

日本ではタクシーのドアは自動で開くから、悠々と構えていればよい、と思っていても、ついついやってしまう。

昨日、在米10年以上になる妹と、一緒に一時帰国をした。私にとっての日本は、約1年ぶりでしかないのだが、妹にとっては4年ぶり。

帰宅途中、タクシーで移動する際に、案の定2人してやってしまった。

タクシーに乗るとき。ドアを開けそうになり、あ、自動だった、と、思わず手を引っ込める私。

タクシーを降りるとき。実家に到着するなり自らドアを開けてしまい、はっと気づいて、わざわざ丁寧にドアを閉めなおす妹。(降りるのだから閉めなおす必要もないのだけれど。苦笑) しかも、ドアを開けてしまったことに気づいたときには、反射的に、運転手さんに『ごめんなさい!』とあやまっていた。

日本のタクシーの自動ドアシステム、便利なのだけれど、なぜかとても緊張してしまう。

2006年2月11日土曜日

危険さの違い(その2)

選挙は終わったけれど、まだ、ネパール旅行=危険、というイメージが、多くの人にはついているのだなあ、と、ヒマラヤン・アクティビティーズによくくる問合せメールなどから、感じる。

ネパール国外で得ることのできる情報だと、ニュース性の高い危険なイメージを高めてしまうものが多いし、実際カトマンズ入りしても、街を歩くと武装アーミーの姿もよく見かけ、日本の日常にはない光景を目にしてしまうから、その気持ちも分かる。

でも、ネパールの危険さは、外国人だったら、常識的に物事を判断することができる人なら、簡単に避けて通れる危険さ。目に見えやすい(と思う)。

ネパールを離れていると、つくづく、ネパールは、のどかだし、安全面でも基本的なことに気をつけていればいいので、楽な国だなあ、と感じてしまう。

2006年2月9日木曜日

アジアに行って、現地の人に間違えられた経験のある人は、多いと思う。

東南アジアを訪れると、たいてい私も現地人に間違えられるし、ネパールでも、モンゴロイド系の民族に間違えられることも多い。ネパールで、ネパール人でも日本人でもなく、フィリピン人やタイ人に間違えられたこともある。日本人であることを告げると、いや、君の顔は、日本人とは違う、と、いわれたこともあった。

日本でも、アジア系外国人男性に、東南アジアから来ている人と間違えられて声をかけられたことも何度かある。

アジアの国にいると、溶け込んでしまって、日本人に見られなくなってしまうのは分かるが、日本にいながらにして、日本人に見られないって、、、少し複雑な気持ちになったこともある。

いずれにしろ、こんな感じで、日本人以外のアジア人に間違えられることは慣れていたのだが、今日、ケニア出身でアメリカ在住の女性に、『あなたの顔は、私の親戚にそっくりでびっくりしたわ!』と驚かれてしまった。

アフリカの人に似ているといわれたことは初めてなので、私もびっくりだ。

彼女いわく、肌の色の違いは別として、頬骨の出た丸い頬と、丸い鼻と、厚い唇がそっくり!なのだそうだ。思いがけない国の顔に似ているといわれ、なんとなくうれしくもなったが、でもよく考えると、美しいさっぱり顔の日本人像からは、かなりかけ離れたイメージだよなあ、と、また複雑な気分になってしまった。

2006年2月8日水曜日

国外で見つけたネパール



シアトル市内で見つけた、ネパール。

スワヤンブナート寺院やボダナート寺院で見ることができる、ブッダアイ。

ここでも、見つけた。

そして、この店の外にあったのは、、、

マニ車。



円柱形の仏具の中に、お経が入っていて、これを右回りに回すと、お経を読んだことになるという、スグレモノの仏具。(写真のマニ車の中には経文は入っていないと思うが)

2006年2月6日月曜日

空の色



カトマンズの空は冬でも真っ青なことが多い。(写真は、2月5日カトマンズ~バンコク間の機上から撮影)

でも、ネパールを離れ、日本や、他の地に行くと、空の色が薄いことに、驚くことがよくある。



シアトル到着。

年間を通して、曇りの日が多いというこの地域。今日は久々に青空が広がったとのこと。

でも、空の色は、カトマンズのそれとは比べ物にならないぐらい薄く、日差しの弱さに心もとなさを感じる気がした。

2006年2月5日日曜日

バンダ開始日に



一週間のネパールバンダが始まった今日。

今日からネパールを一時離れるので、家から空港まで移動する必要がある。トランスポートサービスをしている知人に、車を回してもらうよう頼んでおいた。

でも、今日は、バンダの初日。車を走らせることを運転手たちが嫌がり、社長自ら運転してきてくれた。でも、車はオンボロ車(笑)。こんな日に車を走らせていると、投石にあう可能性もあるから、傷ついてもいいように、ボロ車を走らせているとのこと。



バンダの日には、ナンバープレートを隠して走る。外国人が乗った車には、TOURIST とか、 FOREIGNER などと書いた紙を車に貼って、外国人が乗っていることをアピールする。

今日から、本当に一週間バンダが続くのかどうかは分からないが、もし続いた場合でも、ツーリスト用に空港~市内の臨時シャトルバスが運行されるので、迎えのあてがない人は、このバスを頼りに移動しよう。

2006年2月4日土曜日

ビスケットお兄さん無事KTM着

男性スタッフ(25歳)が、1年ぶりに、20日間の予定で、村に帰省していた。

彼の村は、エベレスト街道トレッキングを、飛行機を使わずにいく場合の出発地点、『ジリ』から歩いて数日かかるところにあるらしい。(ジリからは車が通る道がないため、歩くしか移動方法がない)

1年ぶりの帰省で、家族(妻娘)とゆっくりすごしたいのは分かるけれど、明日から始まる一週間のネパールバンダ(全国規模のゼネスト)前には、なんとしてでもカトマンズに戻ってくるよう言い聞かせていたところ、本日夕方、ギリギリセーフでカトマンズ到着。バンダ中は陸路移動はできなくなるので、本当にギリギリの到着だった。

カトマンズに戻ってきた際、彼は、村から奥さんをつれてきた。

話を聞くと、23歳の奥さんは、村から出るのは生まれて初めて。ということは、車を見るのも、バスに乗るのも、初めてということ。カトマンズ生まれの21歳女性スタッフも、驚いて聞いている。

山国のネパール。一生涯、村を出ずに、文明の利器など知らずに過ごす人たちも、たくさんいるのだ。

さて、この夫婦の3歳の娘。生まれたときから、お父さんはカトマンズに出稼ぎに出ていることが多かったので、お父さんと一緒に暮らした時間のほうが短い。

いつも、お父さんが帰省するときに、ビスケットをたくさん持って帰ってきてくれるから、『お父さん』というよりも、『ビスケットお兄さん』(ビスコット・ダイ)として、覚えているのだとか。

おかしいやら、なんだか切ないやら。

今回、娘は村の親戚に預けて、夫婦2人だけで上京してきたので、ハネムーンのつもりで、しばらくゆっくり楽しんでね、と、みんなでからかった。

2006年2月3日金曜日

春の儀式

節分の日には、日本を離れていても、豆まきをしている。

豆まき用の豆、いつもは、炒って準備しているのだけれど、今年は、街を売り歩く、炒り豆売りのおじさん(おばさんのときも)から、購入。





日本の暦では、明日は立春。今年は、たまたまネパールの暦も似ていて、今日が立春に当たる日だった。

2006年2月2日木曜日

共同水場での注意

ネパール全土を見てみると、水道が引かれていない家のほうが、たぶん、圧倒的に多い。

ここ、カトマンズ市内にも、水道が引かれていない家は、たくさんある。

そんな人たちが共同で利用する水場。スイミングプールから水を抜いたような、または、舞台のような、そんな風に見えなくもない、写真のような水場を『ドゥンゲ・ダラ』と呼ぶ。



家庭用の水を汲みに行ったり、洗濯をしたり、水浴びをしたりと、地元の人が共同で使う。 (水浴びをするときは、男性は腰から下、女性は胸から下を布で隠すのが普通)

カトマンズ盆地だけでも、その数300ほどはあると、聞いたことがある。



さて、カトマンズ市内中心部にあるドゥンゲダラに、赤字で書かれた貼り紙が何箇所かに貼ってあった。

よく見てみると、、、



小さいパンツをはいて水浴びするのはやめましょう

ブリーフ型パンツをはく男性人口のほうが、たぶん、日本に比べてとても多いので、こういう注意が出るわけ。

公衆の面前では、ゆとりのあるパンツをはいて水浴びをする心遣いが必要!?

2006年2月1日水曜日

こんなの見てしまったら



用事で、夕方ニューロード (ネパールに来たことのある人だったら、多分訪れたことのあるカトマンズダルバール広場のそばにある、電化製品店や貴金属店が並ぶ通り) に行ったら、時間帯が悪くて、デモが繰り広げられている真っ最中だった。

通りの店は、被害にあわないためにシャッターを下ろしているところも多く、護送車と放水車(向かってくるデモ隊に放水して動きを鈍らせるために使う。でも、今カトマンズは水不足だから、水、もったいない、、、)と、たくさんの警察官が、向かってくるデモ隊に備えて待機していた。

車両は通行止めとなっていたが、徒歩だったら通ることができたので、お目当ての店目指して、進んでいくと、、、

デモ隊が警官隊に向かって突進してくるときには、周りの野次馬も、デモ隊のシュプレヒコールにあわせてヤジを飛ばし、

それに反撃して、警官隊が棍棒振り上げて、デモ隊を追放しようと向かっていくと、周りの野次馬も、いっせいに逃げ出す、

という感じで、突進と後退を繰り返していた。

ネパール版、大掛かりな『はないちもんめ』に見えなくもなかった。

周りの野次馬たちは、とっても楽しそう。

でも、こんなワンカットだけを、テレビのニュースの中で見てしまったら、かなり引いてしまうだろうなあ。

追記。結局、騒ぎに巻き込まれてもいやなので、お目当ての店には行かずに、早々に引き返した。