ブログ移転のお知らせ

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2006年6月30日金曜日

古着寄付1


なかなかまとめられずに、報告が今日になってしまったのだが、去る6月16日(金)に、古着の仕分け(及び一部寄付)を行った。

2005年5月、10月に引き続き、大々的に仕分け(及び寄付)を行ったのが、今回が3回目。日本から送料を負担して送ってくださった方、ネパール旅行のついでにオフィスまで届けてくださった方など、前回(昨年10月)の仕分け以降も、延べ約20人の方から寄付していただき、集まった衣類はダンボール約25箱分程になった。

何度かこのブログにも掲載したことがあるのだが、ヒマラヤン・アクティビティーズでは、旅行業の傍ら、古着の寄付も募っている。村人や施設に寄付するためだ。でも、ボランティア活動をウリにして旅行業をしたくないので、細々と、できる範囲で行っている。

ネパールにボランティアとして関わる日本人は数多い。個人的なもの、大きな規模のもの、さまざま。筋の通った活動をしている組織もたくさんあるが、そうでない団体も多い。

ネパール語もわからずネパールのことを大して理解もせず、日本人の価値観で適当にこちらの人の日常をいじくりまわし、満足して去っていく。旅行者気分でネパールを訪問し、支援先に大歓迎されまくり、貧しい姿や弱い立場の人ばかりを見せ付けられ、「ネパールは貧しいけれど、人々の瞳はキラキラ輝いていて素晴らしいわ~」という感想を持ってネパール滞在を終える視察ツアーなど、一体何が見えて、何の意味があるのだろうと思うことがある。

ネパールを支援してます!という傲慢な態度もキライだし、同情しやすい日本人の心をうまくくすぐって、旅行とボランティアを結びつけるビジネスをしている会社もあるが、そういうのも気に食わない。

そんなこんなで、繰り返しになるが、古着受け入れ活動は、細々と行っている。

~つづく~

2006年6月29日木曜日

本日の食べ物



今年もアサール15(パンドラ)ガテがやってきた。(ビクラム暦3月15日のこと)

決まった日に、決まった物を食べる習慣があるネパールだが、この日には、ヨーグルト(ダヒ)と乾し米(チウラ)を食べる習慣がある。

食べる前に忘れてはならないこと。ヨーグルトを指で少しとって、自分のおでこにつける。ティカというわけだ。

いつも、決まった物を食べる習慣がある日には、私たちのオフィスでも忘れず用意している。本日は、ダヒ・チウラに、ミタイと呼ばれるネパール菓子のバルフィとジェリーを入れて、ダヒチウラスペシャル(と勝手に命名)の出来上がり。

バルフィ(barfi)とは、牛乳から作ったあまーいお菓子。クロウニ をもっと煮詰めるとできる。ジェリー(jeri)は味的にはかりんとうに似ている、これまたあまーいお菓子)

1ヶ月後のサウン15(パンドラ)ガテ(7月31日)には、キール(牛乳粥)を食べる習慣のある日もやってくる。

キールとはヒンドゥ教のプジャ(儀式)などに欠かせない食べ物。

2006年6月28日水曜日

ランタン方面トレッキング報告6

~ ランタン方面トレッキング報告5 のつづき ~

[6月23日(金)] 移動日
 07:00 シャブルベシ発 ジープ移動
 14:00 カトマンズ着

帰路もローカルバスを利用する予定だったのだが、たまたまカトマンズに戻るジープ(ランクル)があるというので、乗せてもらうことにする。

昨日までとは打って変わって、朝から悪天候。シャブルベシ出発後、小雨がぱらつき始める。でも、少し降ってくれたほうが、砂埃も立たず、涼しいのでちょうどいい。(往路では、カラッカラに乾いた道から立つ砂埃がすごく、でも、窓を閉めると車内が暑くなるので少しだけ窓を開けていたのだが、体中砂埃を浴びて真っ白になるほどで大変だった)



ドゥンチェを過ぎた辺りから、霧が深く立ち込めてきた。一寸先も見えないほど。カーブなどで一歩間違えば、すぐに崖下に転落しかねない道幅の狭い危険なルート。

天候が良いときでも怖い道なのに、霧のせいで全く先が見えず、乗客5人+ドライバーみんなで前方と左右に気を配る。時々ドライバーが「ちぇっ、全然前が見えねーよ」と恐ろしいセリフを嘆くのだが、シートベルトもせずに助手席に乗っている生きた心地のしない私は、聞こえないフリをして目を閉じていた。



しばらくこんな危険な状態が続いたのだが、カリカスタンあたりから霧がはれる。乗客の1人、タマン族のおじさんが家から持参した容器を持って、カリカスタン製ダヒ(ヨーグルト)を購入するため、いったん停車。おじさんいわく、ここのダヒは美味しいから、カトマンズに行くときはいつも買っていくんだ、とのこと。

そういえば、カトマンズ出発前、カトマンズ出身のスタッフに、このあたりのニュロ(nyuro:ぜんまい)が美味しいから、見つけたら大量に買ってくるよう頼まれていたことを思い出す。地元の人に尋ねてみたが、まだシーズンではないとのことで、購入ならず。

更に進んで、標高約500m、亜熱帯気候のように蒸し暑いトリスリへ。ここで昼食休憩となるのだが、到着一歩手前の道で、バスがパンクのため立ち往生していて、10分ほど停車を余儀なくされる。一台が道をふさぐと、もう先には進めないような、狭い道なのだ。



パンクの修理もすぐに終わり、トリスリにて昼食。舗装されていない悪路はここまで。ここからカトマンズまでは、舗装道となる。初日の記録にも書いたが、緑の山々、二毛作ですでに稲穂になっている黄金色の田んぼ、そうかと思えば、まだ田植えが始まっておらず、水田の片隅に固められている田植え前の青々とした稲、山間にふんわり浮かぶ白い雲。思わずうっとり見とれてしまう。



カトマンズ着後、タクシーにて自宅へ。トレッキング初日は、歩き始めて30分でダウンしそうになりどうなることかと思ったが、予定通り全日程終了。日中雨にも降られず、ヒマラヤや今の時期しか見ることの出来ない植物も見ることができ、大満足の4日間(+移動2日間)となった。

~ おわり ~

2006年6月27日火曜日

ランタン方面トレッキング報告5

~ ランタン方面トレッキング報告4-2 のつづき ~

[6月22日(木)] トレッキング4日目
 06:30 ゴラタベラ発
 14:00 シャブルベシ着

18日、シャブルベシにフルチャージして以来一度もチャージをしていないので、いよいよデジカメのバッテリー切れが近くなる。日没後には電気が来るランタン(標高3500m)などでは、夜間宿泊する場合はデジカメのチャージも可能なのだが、日中通り過ぎるだけの場合、電気が来ていないためチャージは出来ない。ということで、昨日ぐらいからは、ここぞ!というもの以外は写真をとらないことにしていた。



早朝ゴラタベラを出発し、うっそうとした林の中を歩く。道に厚く積もっているやわらかい落ち葉を踏んで歩くと、なんだか豊かな気持ちになってくる。

往路で昼食をとったリムチェ(標高約2440m)にてカジャ(簡単な食事)。今日の昼食はパヒロ(標高約1640m)にてとることにする。

話がそれるが、地名というものは、おそらくどこの国でもその地方の特徴にあった名前がつくわけで、今回のトレッキングルートでも、竹やぶが多い場所ではバンブーという名前がついているし、橋が近い場所ではプル(ネパール語で橋の意味)という名前がついているという単純な命名法がとられている。

では今回私たちが昼食を取る予定のパヒロ(Pahiro)というのはどういう意味かというと、『地すべり』(または雪崩)の意味。この地区は英名だと『Landslide』と呼ばれるらしい。地すべりが多いからそのものズバリの名前がついたわけだが、少し不吉な名前すぎないか?こんな名前の場所で、ゆっくり昼食を取る気分になかなかなれないのは私だけ?



リムチェを過ぎた辺りから一匹のボテ・ククル(チベット犬)が私たちの後をついてきた。ずっとついてくるので、勝手にボトゥ(チベットを意味する『ボテ』というネパール語を愛情を含む表現に語尾変化させると『ボトゥ』となる)と名づけてしまった。

パヒロ到着前、岸壁に作られた蜂の巣発見。ネパールには蜂の巣を取る職業の人たちがいるが、さすがにこの写真のような岸壁に作られた蜂の巣を取るのは難しいのかもしれない。



話が戻るが、ずっと後からついてくるチベット犬のボトゥ、私たちが立ち止まると、彼(多分オス犬)も立ち止まり、私たちが沢の水を飲むと、彼も水を飲み、上りになってペースを落とすと、彼もペースを落とす、という律儀さ。パヒロ到着後、昼食休憩で約1時間ほど滞在していたときには、ボトゥも腰を下ろし、しっかり休んでいた。





シャブルベシからこの辺までのルートは、温泉が出ることでも有名。ガイドブックには、パヒロの対岸に温泉があると書いてある。

食事を注文して出て来るまでの待ち時間(注文してから畑に食材をとりに行って作り始めるので、食事ができるまでに非常に時間がかかる)を利用して、話の種に、対岸の温泉に言ってみようと、ロッジの主人に詳細を聞いみたのだが、残念ながら、対岸にかかる橋が以前激流で流されて以来、行けなくなっているとのことだった。残念。

1日目にもこのルートを通ったのだが、とにかく身体が重くて歩くのに必死で、植物や景色を見た記憶があまりない。シャブルベシに戻る際にも、アップダウンは続いてきついことはきついのだが、往路とは違い余裕を持って植物観察などもしてみる。

パヒロ~シャブルベシ間は、これは、マリファナルートと命名してもよいのではないだろうか、というぐらい、見渡す限りあたり一面に大麻が生えていた。あと、背の高いよもぎや、ホウセンカも。このぐらいしか植物の名前がわからないだけで、他にもいろいろ生えているのだが、とにかく大麻は目に付いた。



そうそう、大麻に関する面白い話。薬草である大麻は、村では家畜が病気になったときに薬として食べさせたりする。そんな話をサンカルとしていたのだが、素朴な彼は、カトマンズに出てきて初めて、人間もマリファナを食べる(吸う)ことを知ったそうだ。村では家畜しか食べない草なのに、、、と、未だに理解不能だといっていた(笑)。

最後のひと踏ん張りのこの区間は、歩道そばには日陰を作る大きな木が無く、空高くのぼった太陽の直射日光がモロに降り注ぐ。昨日まで、それほど日焼けもしていなかったのだが、今日の、シャブルベシ到着前のほんの2時間ほどの間に、この4日分の日焼けを一度にしてしまった。日焼け止めも塗りたくっていたし、ショールを頭からすっぽりかぶり、日よけをしたつもりだったのだが、全く効果なし。シャブルベシ到着時には腕や顔がひりひり赤くなっていた。

予定よりも少し早めの14時にシャブルベシのロッジ着。

~ ランタン方面トレッキング報告6 につづく~

2006年6月26日月曜日

ランタン方面トレッキング報告4-2



~ ランタン方面トレッキング報告4-1 のつづき ~

その後、キャンジンゴンパまで今来た道を下る。

急斜面は上りより下りのほうが怖い。高所恐怖症ではないが、下を見るとめまいがしそうになる。足を滑らせたら、下まで急滑降すること間違いなしだ。一歩一歩踏みしめながら慎重に下るが、こんな斜面は慣れっこのガイドのサンカルは、身軽なステップでホイホイ降りていくから後ろから見ていて恐ろしい。



標高4000mほどの山の急斜面では、白馬が余裕の面持ちで草を食んでいる。

キャンジンゴンパで昼食をとり、ゴラタベラへ。昨日来た道をまた戻るという、あわただしい行程。



道中、名残惜しくて何度も後ろを振り返る。もくもくと雲が出てきてしまって山は見えなかったが、色鮮やかな景色が素晴らしい。





昨晩降った大雨のせいか、昨日はつぼみだった紫色の花(あやめ?)が、いっせいに開花して見事だった。昨日と今日でこの違い。自然はすごい!黄色い小花も咲き乱れている。(これは昨日から同じ)

昨日よりも余裕の足取りで進み、ゴラタベラ着。太陽熱の熱いシャワーを浴びのんびり過ごす。

本日は数組の外国人トレッカーにすれ違った。

~ ランタン方面トレッキング報告5 につづく~

ランタン方面トレッキング報告4-1



~ ランタン方面トレッキング報告3 のつづき ~

[6月21日(水)] トレッキング3日目
 06:00 キャンジン・ゴンパ(約3800m)発~キャンジン・リ(約4700m)登頂
 10:10 キャンジンゴンパ着
 11:00 キャンジンゴンパ発
 16:15 ゴラタベラ着

早朝の外温約10度。

昨晩からの雨はすっかりあがっていて、空気も澄みすがすがしい朝を迎える。キャンジンゴンパよりも少し上では雪になったらしく、昨日まで青い氷が見えていたキムシュン氷河なども、白く雪に覆われていた。昨日と今日では全く違う景色。いいときに雨が降ってくれた。



ヒマラヤが雲で覆われないうちに、キャンジンリに向けて出発する。ガイドのサンカルは、キャンジンリには行ったことがないため、彼の経験作りもかねて。まず、キャンジンリの手前にある、キャンジンゴンパからも見える4300m?ほどのピークを目指して急斜面を登っていったのだが、途中で道をはずしてしまい岩場を登る羽目になる。そういうこともあろうかと、軍手を持ってきていたので、手にはめて岩をよじ登る。



(↑キャンジンリを目指して歩く途中今来た道を振り返ってみる↑)



キャンジンゴンパから見えるピークに近づいてくると、急に視界が開けてきた。キムシュン氷河、ランタンリルンなどがぐわっと迫る。これまで見えなかった尾根から向こう側の谷底の斜面一面(写真向かって左側)に、赤いつつじのような小さな花(ネパール語名スンパテ?)が咲き誇っている。尾根のこちら側(写真向かって右側)には、黄色い花しか咲いていないのに。尾根を境に全く色の違う世界!圧巻だった。



その後、キャンジンリ(約4500m)を目指す。下(ロッジのある付近)からは見えなかったが、昨日の雨はキャンジンリでは雪だったようで、うっすら白くなっていてきれい。雲が立ち込めたり風に流されたりして、ヒマラヤも見えたり隠れたりしていたのだが、キャンジンリ到着時には、雲も流れ、360度のパノラマが広がった。

今回、もしかすると幻の(とよく形容される)ブルーポピーも見られるかも?と期待していたのだが、時期的に1ヶ月ほど早すぎたようだ。今でも、チュルクリ(Tserko Ri)付近の斜面には一面、つぼみがあって探す必要もないほどだ、とロッジの主人が教えてくれたが、時間的にそこまでは行けないので、今回は断念した。それでも、色とりどりの花々を眺めながらここまで来ることが出来て、満足。

~ ランタン方面トレッキング報告4-2 につづく~

ランタン方面トレッキング報告3



~ ランタン方面トレッキング報告2 のつづき ~

[6月20日(火)晴れ] トレッキング2日目
 06:30 ゴラタベラ(約3000m)発
 12:15 キャンジン・ゴンパ(約3800m)着
 14:30 キャンジン・ゴンパ~ランシサ方面へ行く道の途中まで散策
 18:00 キャンジン・ゴンパ着
 
昨晩就寝時には月明かりもなく漆黒の闇に包まれていたのに、夜中、薄明かりに目が覚めた。もう日の出かと思い時計を見ると、まだ深夜1時。窓の外を見ると、山に隠れていた三日月が、山の上に見え始めたところだったようで、薄明かりは月明かりだった。

早朝5時起床。朝の透き通った青い空気が気持ちいい。



昨日に比べるとかなり身体は軽くなり、ペースもつかめてきたので、荷物は自分で持つ。東に向かって歩くため、低い角度で降り注ぐ強い日差しがまぶしくてしょうがない。太陽が高く上るまでずっと、こんな状態が続く。

地べたには赤い小さな粒の野いちごが、頭上には黄色い木いちごが実っている。そのほかネパール語でグヘリ(Ghuyali)と呼ばれるブドウのような小粒の果実(日本語ではなんというのだろう?ちなみに、カトマンズ在住のネパール人はグヘリという単語さえ知らなかった)も木に実っていて、摘みながら食べる。甘酸っぱくて美味しい。



ランタンにて。ダイニングが2階にあるロッジにて昼食。降りるのが面倒で、ロッジの窓から見えたヒマラヤを撮影。



ランタンを過ぎたあたりから景色は開け、野に咲く花も増え、気持ちいい。





村で育ったネパール人は、植物にくわしい。ガイドのサンカルに、知っている植物があったら、全部私に教えてね、と伝えていたところ、次から次へといろいろなことを教えてくれる。



この植物の茎からはミルク(白い液のこと。食用ではありません)がでるんだ、とか、



この葉っぱはタルカリ(野菜炒めのようなおかず)にして食べられるよ、とか、



この花の葉っぱを揉んで出てきた汁を蛭の口につけると蛭は死ぬんだ、とか、



この枝を乾燥させて火をつけるとお香の代わりになるよ、とか、



岩に生えた白ごけを手で揉んでパウダー状にして傷口につけると血を止められるんだ、とか、私も記憶するのに必死。この他の植物についても、薬用・食用などいろいろ教えてくれたのだが、記憶できず。

病院も薬局も無い村出身の人たちは、薬用野草を使って病気や怪我を治すしか方法が無いから、誰に教えられることなくても、自然に知恵を身につけていく。

そういえば、すっかり忘れていたことだったのだが、医療系の総合大学に通っていた私、薬学選考ではなかったのだが、卒研のために大学附属の薬草園に一時所属していたことがある。そこの講師の1人がネパール方面の薬草を研究されていて、薬草園内研究室には『Langtang』というラベルがつけられ、中に土が入ったフラスコやらビーカーやらがうじゃうじゃあったことを思い出した。また、その講師と一緒にネパールに同行し記録用写真を撮影するカメラマン氏の自宅で、ランタン方面で撮ったという大量の写真を見せてもらった事も思い出した。ちょうど10年前のことだ。

そんなことを思い出しながら歩く。キャンジンが近くなるにつれて岩場が多くなり、けっこう疲れてきた。それに、人っ子一人見かけなくて退屈。ランタンからキャンジンの間にいくつかロッジはあるのだが、この時期どこも無人になっており、トレッカーも地元民もほとんどおらず、本当に誰にも会わないのだ。疲れと退屈を感じ始めた頃に、タイミングよくキャンジンゴンパ着。自家製ダヒ(ヨーグルト)をご馳走になる。



昼食休憩後、ランシサ方面の途中まで行ってみることにする。途中、現在は使われていない空港がある。第二次世界大戦中に他国によって作られたそうだ。空港といわれなければ気づかないただの野原なのだが、だいぶ古びた有刺鉄線などが放置されており、少し高いところからみると、滑走路の目印として石が積まれているのがわかる。



この辺には、ヤクや馬が放牧されていて草を食んでいる。前方にはガンチェンポ(6387m)を初めとする白いヒマラヤも見えていたのだが、夕方になるにつれ雲がたれこめ全てを隠してしまった。



帰り際、ロッジの裏側にあるチーズ工場見学。

夕方、キャンジンゴンパにあるロッジに戻った頃から、大雨が降り始める。このとき、カトマンズでも同じく大雨だったとのこと。かなり強い雨で明日の天候が多少気になったが、夕方から夜間にかけて土砂降りになると、たいてい翌朝はすがすがしい朝になることが多いから、それほど心配することなく就寝。

キャンジンゴンパでの日中外温約15度、日没後外温約10度。日中歩いている間は、半そでで十分だが少し立ち止まると一気に冷える。日没後は、Tシャツにトレーニングウェア1枚羽織っているだけだと少々寒い。

~ ランタン方面トレッキング報告4-1 につづく~

2006年6月25日日曜日

ランタン方面トレッキング報告2



~ ランタン方面トレッキング報告1 のつづき ~

[6月19日(月)晴れ] トレッキング1日目
 06:30 シャブルベシ(約1500m)発
 15:15 ゴラタベラ(約3000m)着

標高は低いが、アップダウンが激しく、今回のルートではこの日が一番大変だとガイドたちからは聞いていたのだが、ジョルサレの坂(エベレスト方面ナムチェバザール手前にある、かなりきつい急坂)程ではない、とのことだったので、甘く考えていた。

シャブルベシのロッジを意気揚々と出発した約30分後に、激しい息切れとともにすでに音を上げそうになる。下から足を誰かに引っ張られているのではないかというほどの重さを感じる。明らかに日頃の運動不足が原因なのだが、出発前に風邪気味で身体が重かったことと、今回、雨期中でもあるため、蛭に吸われないように足首まであるトレッキングシューズをはいてきたのも、いけなかったのかもしれない。昨年利用した軽いスニーカーと比べると、今回の靴は少し重いし、履き慣れていないこともあり、裏目に出た。

とにかく足も身体も、鉛のように重く、前に進むのがやっと。

今回のトレッキングには、私たちのガイドの中で最年少(20歳)で、ライセンスはあるものの経験が浅いガイドのサンカルを一緒に連れていった。ガイドはゲストのペースに合わせてゲストの後ろを歩くことが多いのだが、私にとっては、ガイドにペース取りをしてもらったほうが歩きやすく、サンカルに前を歩かせる。

かなりゆっくり、どんな道でも同じペースで歩いてくれるので、歩きやすいことは歩きやすいのだが、上りになると急についていけなくなる軟弱な私。こんな私を見かねて、彼は、「ディディ (彼は私を「ねーさん」というような意味で呼ぶ)、ボクが荷物持ってあげるよ」と言ってきた。

4日間のトレッキングなので、荷物も少なく5kgほどしかない私のザック。このぐらいどうってことない、と、初めは自分で背負っていたのだが、相変わらず上りでは足が上がらず一歩進んでは休むようなペースで、結局、降参(?)して、自ら彼に荷物を渡してしまう。

まだまだあどけなさが残る若くて小柄な彼に、荷物を持たせるなんて、ああ情けない、という感じだ。ガイド兼ポーターをすることもあるし、村では生活のために重い薪などを背負って道なき道を裸足で移動することもあったという彼にとって、私の荷物を余分に持つことぐらい、どうってことないようなのだが。



さて、雨期中は地すべりがよく起こるこのルートでは、危険な地域のロッジはほとんど無人となってしまう。ガイドたちが普段昼食をとることにしているというバンブー(標高約1960m)は無人となっており、リムチェ(標高約2440m)までもうひと踏ん張りして昼食。作物がなかなか育たない山の上でのダルバートは、非常に質素。ご飯と、高菜とジャガイモのタルカリ1品、ダル(豆のスープ)だけ。



その後も上りは続き、必死の思いで歩く。ゴラタベラの手前付近から、可憐な小さな花たちが見られるようになり、なんとなく疲れも癒される。



ゴラタベラにて1泊。標高約3000mのここで、水で薄めないと熱すぎて浴びられないような熱いホットシャワーを思う存分に浴びる。(写真の太陽熱パネルは、リムチェにて撮影)



日没後の気温は12度ほど。ゲストは私たちだけなので、ロッジの女将が調理中にも関わらず、かまどのそばで暖を取る。

ここには電気は引かれていない。太陽熱発電を利用した電気があり、ダイニングルームでは日没後電気をつけてくれるが、宿泊する部屋はろうそくの明かりを使用する事になる。デジカメのチャージは出来ない。

夕飯には、ベジタブルピザを注文してみる。野菜もなかなか育たないこの地域で、一体なんのベジタブルを乗せてくれるのだろう?と思いながら出てきた物を見ると、ベジ=高菜のみのピザで笑えた。高菜はロッジのそばでも育てているらしく、私の注文を聞いてから収穫してきたとのことだった。

この日道中ですれ違った外国人1名、地元民数名のみ。

~ ランタン方面トレッキング報告3 につづく~

2006年6月24日土曜日

ランタントレッキング報告1



~ ネパールはやっぱり素晴らしい! のつづき ~

[6月18日(日)晴れ] 移動日
 07:00 カトマンズ(約1400m)発 ローカルバス移動
 16:30 シャブルベシ(約1500m)着 

この区間は、昨日も書いたのだが、距離的にはおそらく150km程しかないのに、所要時間は約8~9時間かかる。

早朝涼しい標高約1400mのカトマンズを出発し、中間地点のトリスリには昼前につく。標高約500mほどしかないトリスリは亜熱帯気候という感じ。カトマンズとは明らかに違うむしむしした暑さが漂う。

ここまでは一応舗装道の移動となるのだが、それ以降は、舗装されていない上り道を、えっちらおっちら走ることになる。それも、ここは川原か?と思えるような、石(岩?)がごろごろ転がっている山間の細いでこぼこ道なので、車酔いする人にとっては、かなりキツイ移動となる。

ローカルバスは必ず満員になり、車内に乗れない人はバスの上にも乗る。(ネパールのどのルートでも見られる光景なので、取り立てて珍しいことではないのだが)

悪路+窮屈な車内とくれば、車酔いをする者が出てくるのは当たり前。必ず1人や2人車内にゲロるヤツが出てくるのが常で、私が乗ったバスの中でも1名、通路に激しくやって(吐いて)いた。(それでも、だれも怒らないのが、ネパールのすごいところだ)

ドゥンチェの手前で、外国人はランタン国立公園の入場料を払う。この日のバスに乗っていた外国人は私だけ。



シャブルベシは、山間の小さな集落。地元民の足でここから歩いて4時間ほどでチベットにたどり着ける場所でもある。住人のほとんどはタマン族。店やロッジからは、タマン族民謡独特の旋律が聞こえてきて、思わずステップを踏みたくなる。住人同士の会話にはネパール語ではなくタマン語が使用されている。やわらかい響きが耳に心地いい。

私たちのガイドが最近よく利用しているロッジにて、1泊。トレッキングの始発地点とは思えないほど、清潔で整ったロッジがあり、太陽熱を利用した熱いシャワーを浴びることもできるからありがたい。電気も引かれているので、明日からに備えて、デジカメのチャージをフルにしておく。

~ ランタントレッキング報告2 につづく~

2006年6月23日金曜日

ネパールはやっぱり素晴らしい!



ブログ更新できなかった間、トレッキングに行っていた。昨年7月の強行3泊4日ナムチェ・シャンボチェ往復トレッキングに引き続き、雨期中の強行トレッキング第二弾。

昨年のナムチェバザールトレッキング報告のときにも書いたのだが、今回も、信頼度が落ちるのを覚悟で書くと、実は私、トレッキング、登山ともに、もろ初心者。

でも、ゲストにトレッキング情報を紹介する身として、実際に主流コースだけであっても、トレッキングを体験しておく必要がある、と、常々感じていた。とはいっても、トレッキングに行くとすると、最低でも1週間ほどは必要となり、なかなかこれだけ連続してカトマンズを離れる(というよりもネット環境のない場所に行く)ことは難しく、実施できないでいた。

しかし、昨年、割合暇になる雨期中に、通常4泊5日は必要となるナムチェバザール(約3440m)&シャンボチェ(約3900m)&クムジュン方面(約3800m)のトレッキングを強行日数の3泊4日で余裕で実行し、短い休みでも主流トレッキングルートに行けることに気づく。高度障害も現れず、けっこうイケる口かも?と自信を持つことになる。

そして今年も、雨期中の強行トレッキングを実施する運びとなったというわけ。アンナプルナベースキャンプ(ABC)へ行こうか、ランタン谷方面へ行こうかと迷っていたのだが、訳あってどうしてもカトマンズを不在にできるのは6日間だけ、という理由から、日数的に可能なランタン谷方面を選ぶことに。

ランタン方面へ行くには、カトマンズからの移動手段が陸路かヘリコプターしかない。ヘリは1人で利用するにはバカ高いため、必然的に陸路移動をすることになる。カトマンズからランタン方面トレッキングの始発地点となるドゥンチェまたはシャブルベシ間は、道路事情がきわめて悪く、ローカルバス、ジープのどちらを利用しても、移動にほぼ1日を取られてしまう。(距離的にはカトマンズ~ドゥンチェ/シャブルベシ間はおそらく150kmもないのだが、8時間ぐらいはかかるわけだから、どれだけ道路事情が悪いか想像がつくだろう)

ということは、カトマンズを不在にできる6日間のうち、丸2日間は往復陸路移動にとられてしまうため、トレッキングをできるのは実質4日間だけ。

よし、そうなったら、4日間を使って、シャブルベシ~キャンジンゴンパ間トレッキング及びキャンジン・リ登頂してやろうじゃないか、と覚悟を決める。(通常、このルートは最低でものんびり6日間ほど使う場合が多い)

最近はスポーツもほとんどしておらず、移動もスクーターを利用する日々で、1日の歩数がおそらく5000歩にも満たないような軟弱な生活をしている私が、果たして、実行できるのか?しかも、出発直前は風邪気味で、頭もボーっとしていた。不安なスタートだったのだが、今回も、強行トレッキングを無事終了でき、本日カトマンズ帰着。

行程は次の通り。詳細については、そのうち書いていきたい。

[6月18日(日)] 移動日
 07:00 カトマンズ(約1400m)発 ローカルバス移動
 16:30 シャブル・ベシ(約1500m)着 

[6月19日(月)] トレッキング1日目
 06:30 シャブル・ベシ(約1500m)発
 15:15 ゴラ・タベラ(約3000m)着

[6月20日(火)] トレッキング2日目
 06:30 ゴラ・タベラ(約3000m)発
 12:15 キャンジン・ゴンパ(約3800m)着

[6月21日(水)] トレッキング3日目
 06:00 キャンジン・ゴンパ(約3800m)発~キャンジン・リ(約4500m)登頂
 10:10 キャンジン・ゴンパ着
 11:00 キャンジン・ゴンパ発
 16:15 ゴラ・タベラ着

[6月22日(木)] トレッキング4日目
 06:30 ゴラ・タベラ発
 14:00 シャブル・ベシ着

[6月23日(金)] 移動日
 07:00 シャブル・ベシ発 ジープ移動
 14:00 カトマンズ着



そうそう、本日のタイトルが『ネパールはやっぱり素晴らしい!』となったわけは次のとおり。思いついた順に書いてみたい。

シャブルベシ~ゴラタベラ(標高3000mあたり)まで続く緑の木々に囲まれたうっそうとした道。

ゴラタベラ~キャンジンゴンパ(標高3000m以上の高地)の歩道脇に咲き誇る可憐で小さな花(高山植物)たち。

トレッカーも地元民もほとんど見かけないひっそりとしたシーズンオフ中のトレッキングルート。キャンジン・リ(標高約4500m)から360度にわたって見渡せる白いジェラートアイスのようなヒマラヤ。

青い空、白い雲。カトマンズ~シャブルベシ間の陸路移動中に見ることのできる、瞬きするのも惜しいぐらいの素晴らしい段々畑。

二毛作ですでに黄金色に光って風に揺れる稲穂。

山間にふんわり浮かぶ白い雲。

緑の森から湯気のように生まれる雲。

透き通って冷たく青い早朝の空気。

雪解け水で水かさが増しごうごう流れるランタン川。

山間の夜、漆黒の闇。

たどたどしいネパール語を話す地元民たち。

直線距離でチベットまで10kmもない場所・キャンジン・リに身を置いている私。

ロッジに流れるタマン族の民謡。

今の季節、雨期に当たるためネパールはシーズンオフとされているが、実際にはこんなに素晴らしいネパールを見ることのできる季節は他にないと思う。

本当に、何年住んでいても新しい発見がある素晴らしい国、ネパールなのだ!

~ ランタン方面トレッキング報告1 につづく ~

2006年6月14日水曜日

納豆を育てる

豆の種類が豊富なカトマンズ。

種さえあれば作れる納豆を、時々作っている。納豆菌を日本から持ってこなくても、日本人向けに納豆を作っているところがあるので、種納豆にはそれを使える。

大豆を煮て、その中に種納豆を混ぜて、ある程度の温度に温め続ければいくれいだけだから、非常に簡単。常に温かく保つのがやや面倒ではあるが、それ以外は、最初の殺菌だけ丁寧にして、後は適当。それでも納豆らしく育って(?)くれる。

大学~前職中、微生物(細菌)培養にも多少関わっていた。主に病原菌と思われる菌を培養することが多かったが、「菌の培養」という点においては、病原菌を育てるのも、納豆(菌)を育てるのも、似たようなもの。日本の実家の母の本棚に、『調理は科学だ』という本があり、面白くて時々開いていた。

納豆といえば、ネパールにも「キネマ」と呼ばれる乾燥納豆のようなものがある。でも、ネパール人でも、知らない人が多い。聞くところによると、東ネパール方面でよく作られるのだとか。日本の納豆は藁(わら)に生息する納豆菌を使って納豆を作るが、こちらのキネマの場合は、藁のかわりにバナナの葉を利用すると聞いたことがある。

これ、カトマンズ市内のスーパーでも非常に安価で入手可能。温かいゴハンに乗せて醤油をかけると、硬い乾燥納豆がある程度ふやけて、日本の納豆に近くなり美味しい。でも、衛生面で考えると、直乗せはちょっと不安でもある。これが原因でおなかを壊したことはないけれど。

2006年6月11日日曜日

ピクニック2006



今年で3度目になる、私たちのピクニック。オフシーズンになる雨期中(年によっては雨期前のことも)6月に実施するのが恒例になっている。

カトマンズ周辺には、ピクニックスポットとされる場所がたくさんある。交通の便もよく、水・電気の供給にも問題がない、という点で私たちが昨年に引き続き利用したのが、トリブバン・メモリアルパーク。

カトマンズから陸路でポカラに行く途中によく渋滞に巻き込まれる「タンコット」という場所にある。(ネパールにしては)とてもきれいな公園で、週末には若いカップルのデートスポットとしても使われる。(私の出身地横浜市内にある公園でたとえると、規模はトリブバンメモリアルパークのほうがかなり小さいが、大池公園とか、根岸森林公園を少し思い出させるような、そんな感じの場所)

整備された敷地内に、ピクニックができる場所がいくつか設けられている。

「ピクニックができる場所?」と、一瞬考えてしまった方のために、少し説明をしよう。日本でピクニックというと、お弁当を持って公園やハイキングコースかへ出かける、というようなイメージがあるが、こちらのピクニックはどちらかというと、日本でいうバーベキューのようなイメージ。

「ピクニックができる場所」には、敷物を敷いてみんなが集える屋根のついた場所と、その近くに炊事のできる場所や水場がある。日本でも、大きな公園の一角にバーベキュー専用スペースが設けられていることがあるが、イメージ的にはほぼ同じ。場所代を支払う必要がある。食材や調理器具、燃料などを持参して(食材以外はピクニック会場でもレンタルできるが)、バーベキューのかわりに食事を作り、飲み食いし、ゲームをしたり歌ったり踊ったりして、楽しむ、といった感じ。

ピクニックには肉のおかずは欠かせない。以前も書いたことがあるが、参加人数が多いピクニックだと、食材にヤギ一頭とか、ニワトリ一羽などを持っていき、現地でさばいて調理することもあって、かなりワイルドだったりもする。

宗教や民族によって、色々な信仰があるネパール。

以前、木曜日にピクニックをしたことがあった。当時働いていたヒンドゥ教リンブー族の女性スタッフは、毎木曜日は断食の日と決めていて、せっかくピクニックに参加したのに、水以外何も口にしないまま過ごしたことがあった。

今年は、たまたま今日が満月と重なったのだが、満月の日には肉を食べないことにしている仏教徒のシェルパ族のガイドは、せっかくのピクニックだったのに(彼も好きなヤギ肉メニューがたっぷりあったのに)、一切口にしなかった。

こういう光景が見られるのも、ネパールならではでおもしろい。

さて、ここからは、ヒマラヤンアクティビティーズ過去のご利用者の方への近況報告も兼ねて。







昨年から、コックを雇って炊事は任せているにもかかわらず、自ら率先して調理監督をするTulaと妻のAnita(今年は妊娠8ヶ月の身体で参加。7月出産予定)。

その横で、トランプゲームに興じるPrakash、Ngima(←いつもやっているのに、ピクニックに来てまでまだやるか、と思う私)。

Shankar、Purnaは今年初めての参加ということで、とりあえず炊事に参加。

Purnaの6歳になる娘Bhumikaも参加。恥ずかしがってずっとパパの後ろに隠れたまま。

経営者のRaghuと甥っ子のAnantaも参加。

今年2月半ばから働いている普段は無口な女性スタッフShovaは、いつもはシンプルなクルタスルワール姿なのに、本日はジーンズ姿でカジュアルに参加。

そして、いつも彼らの専属カメラマン扱いにさせられる私。でした。

今回名前の出てこなかった、Krishna、Narendra、もう1人のNgimaを初めとする他のガイド、ポーターは、カトマンズを離れていて今回は不参加でした。

2006年6月8日木曜日

怖いもの見たさでイミグレ訪問

ビザの更新時期が来たので、先日イミグレに行った。

こちらのお役所仕事はあきれるほどに効率が悪い。彼らの仕事振りを見ていると、もうそれだけで腹が立ってしょうがない未熟な私は、ビザ申請書類を集めるためにあちこち役所周りをする自分を想像するだけで気が狂いそうになるので、書類作成はすべて弁護士に任せている。でも、最後の最後、イミグレに申請に行くときには、怖いもの見たさもあって、私も自ら足を運ぶことにしている。

整理整頓がニガテなこちらの人たち。イミグレ内の机の上には、いつも他人の書類が散乱しまくっている。その上から無造作に他の人が書類を投げたりして、複数の人の書類がごっちゃごちゃに置かれる状態になるから、オッソロシイなあ、と思う。個人情報満載の重要書類のはずだが、扱いは非常に雑で、誰でも閲覧可能状態。

他人のビザ申請書類が束になったファイルは、部外者が自由に出入りできる場所にむき出し状態で置かれている。職員が見張っているわけではないから、ごっそり抜き取って捨てることだって、はっきりいって可能。時々、書類を紛失された人の話を聞くが、腹が立ったビザ申請ガイジンが、その辺にあった書類を腹いせに捨てたんじゃないの、などと思ってしまう。そういうことが日常的にあっておかしくないような甘い管理状態。ホント、恐ろしい場所だ。

2006年6月5日月曜日

笑えるしたたかさ

マンゴーの美味しい季節。最近の価格は時価キロ45ルピー(約70円)前後。

購入するのは、果物を自転車に乗せて売り歩くインド人の商売人から。いつも、私が通る道の同じ場所に立っているインド人のお兄さんがいて、マンゴーを買うなら彼から、と決めている。

彼も、私が前を通り過ぎるといつも、『今日はマンゴーいらないの?』という熱い(?)視線を投げかけてくるから、いつからかひいきにしてしまっている。

いつもMy Bag持参で、2kgずつ購入する、という私の習慣を知っている彼。何も言わなくても、私が差し出す袋を待ち2kg量ってくれるツーカー(?)の仲なのに、支払い時にはいつもさりげなく高値を支払わせようとするから、笑えてしまう。

たとえばこんな感じ。

先述したとおり、最近の時価はキロ45ルピーほどなので、2kg買えば単純に計算しても90ルピー。顔なじみなら更なるディスカウントを求めてもいいぐらい。でも、そこまで負けてもらう必要もないので、90ルピーをいつも用意しているのだが、一応お兄さんに、毎回値段を聞いてみる。

するとお兄さんは、いつもニコニコこう答える。

「水臭いこと聞かないでよ。顔なじみなんだから、うーんと安くしとくよ。2kgで110ルピー!」

・・・おいっ!という感じだ。しつこいが、通常2kgで90ルピーのマンゴー。「うーんと安くしとく」どころか、時価よりも高くなっているではないか!

「お得意さんを大事にしないとバチがあたるわよ!」

といいながら90ルピーだけ渡すと、「仕方がないなあ、じゃあ、今日だけ特別ね」と言いながら、90ルピーだけを受け取るお兄さん。

毎回毎回、凝りもせずにこのやり取りを繰り返している私たち。ダメもとの彼のしたたかさには、笑えてしまう。

2006年6月4日日曜日

噛力

という言葉があるのかどうかは不明だが、あるとすればネパールの人たちの噛力はすごい。

私も、歯には自信がある。そこそこ大粒の梅干であっても、種を噛み割り、中の果肉を取り出すことのできる強い歯を持っている。虫歯になったこともないことと、親知らずが生え始めたときにも、痛さを感じることもなくきちんと生えそろった、ということが、非常にくだらないのだが、密かな自慢でもある。

でも、こんな歯もネパール人にはかなわない。くるみの厚い殻を歯で噛み砕き、中身を食べることのできる人を、何人も見たことがある。もちろんみんながみんな、そういう強い歯を持っているわけではないが、噛力がある人は多い。

でも、虫歯はある人が多いのが、残念なところ。日本人のように毎食後歯を必ず磨きましょう!という概念が欠如していることや、1日のうちで歯を磨くのは朝起きてすぐに1回だけ、寝る前に歯を磨くなんてもってのほか(縁起が悪い/良くないことが起こる)という迷信を信じている人も多いことなども、虫歯増殖率に影響しているのだろうと、勝手に推測している。

今日のネタは、6月4日虫歯予防デーにちなんでみました。

2006年6月3日土曜日

蚊よけ法

ここのところ、就寝時の蚊が気になる。寝ている問いに耳元でする羽音で起こされることほど、いやなことはない。

こちらの蚊には、日本の蚊取り線香が強い威力をあらわす。寝る前にポキッと10cmほど折って、火をつけるようにしている。日本では、一晩に一巻き焚くという贅沢な使い方をしていたのだが、そんなことをするとすぐに在庫が尽きるので、ケチ使いをしている。

インド製の蚊取り線香も、ネパールでは手に入る。折れやすい点を除けば、見た目は日本のそれと全く同じのぐるぐる渦巻き型。値段も、10巻で40円ほどととても安い。夏の時期旅行でネパールを訪れる人なら、こちらで購入してもいいかもしれない。でも、日本のに比べて、煙のにおいがきつい。焚いていると人間までもがぐったりしそうになるほどなので要注意。私の場合、頭痛も感じたので、使用をやめた。

さて、こちらの人たちは就寝時にどうやって蚊よけ対策をするかというと、一番多いのが、蚊帳をつるという、オーソドックスな方法。電気が引かれていない村ほど、自然が多くて蚊に悩まされるわけだが、電気がなくても蚊帳はつれるという点でも優れもの。でも、蚊帳をつる前にうまく蚊を追い払わないと、蚊まで蚊帳の中に入ってしまうから慣れないと使いにくい。

次に多い対策(電気が引かれている地域に限るが)は、蚊取りマットの使用。これも、インド製蚊取り線香同様においがきつくて頭が痛くなるので、私にはダメ。

そういえば以前、夏に泊りがけでカトマンズ郊外の田舎にお邪魔したときに、そこの老人が寝る前にあることをしていた。家の周りに生えているよもぎをむしってそれを揉み、出てきた液を肌に擦り付けていたのだ。そうすると、蚊が寄り付かないということだった。ワイルドだが、なるほど納得、天然の蚊よけ法というわけだ。

よもぎといえば、ネパール在住者であれば誰もが連想する、ネパール在住歴の長い日本人女性がいらっしゃる。ネパールの空き地で摘んだよもぎからよもぎオイルを生産されていて、以前小瓶をいただいたことがあった。そのことを思い出して、蚊がうるさくて寝苦しい蒸し暑い夜に、オイルを肌に塗ってみたら、蚊は寄り付かなくなるし、よもぎの香りがアロマ的効果も果たして寝つきも良くなるしで、効果てきめんだったことがあった。

日本の蚊取り線香と、ネパール産よもぎオイル、蚊がうるさい夜の対策はこれに限る。