ブログ移転のお知らせ

当ブログは、2021年12月より新ブログにて発信しています。新しい記事については 移転先→新日々のネパール情報 をご訪問ください!今後ともよろしくお願いいたします。
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2020年1月9日木曜日

バラナシのプジャゲストハウス


1997年、2004年に続き、16年ぶりのバラナシ訪問。

カトマンズ旧市街・アサンの大規模版のような、迷路のような小路が入り組む旧市街。

活気があって、歩いていると狭い道を牛がふさいでいたりして、再訪できたことが楽しくてうれしくて!

ワクワクしっぱなしで散策を楽しんでいたら、偶然にも、16年前に宿泊したプジャゲストハウスに出てきた。


ああ、こんな場所にあったんだなあ、なんて懐かしさがこみ上げたのもつかの間、周辺の変わり果てた風景に目を疑う。

何度も往復した宿とネットカフェまでの細い路地。通るたびに声をかけられた、宿近くにあった土産物屋。

記憶にあった場所がなくなり更地になっている。


当時は密集した建物に囲まれて周りがわからなかったけれど、ああ、周辺こんな風になってたんだ、などと思いながらも、破壊された古い建物の多さに呆然としてしまう。


地元の人に聞くと、マニカルニカーガートからビシュワナート寺院が見えるようにするため、その間にある古い家々を700軒ほど壊し撤去させるための大規模整備の最中なのだとか。

整備には日本からの援助も入っているそうで、複雑な気分。


ネパールもインドも、同じぐらいののスピードで、急速に変わっているんですね。


インドはネパールからすぐなのに訪れていなかったことを後悔。これからは時間ができたらネパール国内だけでなくインドにも足を延ばし、変わりゆく様子を体感していこう、と心に誓ったのでした。

2014年5月13日火曜日

ビザ


ネパール滞在に必要なビザ。先日更新完了。

私のはビジネスビザ。1年間のビザ代300USドル。

以前は、申請用紙に手書きで記入し写真を貼付したものを、イミグレに提出していたが、最近は用紙での申請は受け付けておらず、オンライン申請し、申請番号を提出するのだそうだ。(諸々の手続きすべてスタッフ任せなので、他人事のような口調です)

File No.のところに、以前はイミグレ内で保管されている個々のファイル番号が書かれていたのだが、今回のにはonlineと書かれているのが、今までと変わった点。

紙の時代の過去の情報も、すべてオンライン化されたとイミグレスタッフは言っていたそうだが、膨大な情報の移行作業、無事に終わったのだろうか。

2013年5月31日金曜日

ネパールでのビジネスと、ビザのことなど


5月半ばに、ビザの更新手続きが終わった。イミグレや各省庁をまわるのは担当スタッフで、私自身は一度も各機関を訪れないまま、更新完了するのだが。

ビザのカテゴリーはビジネス。ビザ代1年300USドル。数年前までは1年100USドルだったのだが、一気に値上がりした。

ネパールに長期滞在したいため、経営実態のない会社を設立し、ビジネスビザを取得する外国人が増えているので、ビザ代値上げは、それを少しでも阻止する目的の一つでもあったと聞いたことがある。

これとは逆に、ビジネスしているといいながら、実際には、就労が禁止されているツーリストビザやスタディビザでネパールに滞在している外国人も多いと聞く。ネパール人の仕事を手伝いながら、「外国人スタッフ」を堂々と名乗っていたり。不法就労にあたるにもかかわらず。

こういう外国人がたくさんいるために、正式に政府に私の名を登記し、納税し審査を通り、きちんと営業許可を取り、ビジネスビザ取得している私までもが、ネパール人の会社を手伝っているだけ、と思われることもよくあり、やるせない思いをすることもしょっちゅう。

そういえば、先日513日付カトマンズポスト紙にも、不法就労関連の記事が載っていたそうだ。

大使館の担当の方からいただいたその記事の邦訳によると、「現在ネパールでは約5万人の外国人が、不法にNGOやその他民間セクター等で就業している(一部抜粋)」のだと。

2012年1月3日火曜日

新年のご挨拶と、どうでもいい話など

前回の記事で発信した通り、年末はバンダ(Banda=ストライキ)予告に振り回されましたが、結局実施されず、しかし、チトワン方面では予期せぬバンダが発生したりして、そんなこんなの年末年始を過ごしました。

12月31日まで快晴続きだった天候も、新年早々崩れ、ナガルコットやサランコットからは初日の出は拝めなかったり、トレッキング各地では雪になったり、という年明けでした。

なにはともあれ、あけましておめでとうございます。

トレッキングに出払っていたガイドたちも、昨日あたりからカトマンズに戻り始めています。

ガイドが勢ぞろいする頃を見計らって、今年もオフィスの屋上で新年会を開く予定です。

(昨年の様子はこちら→ http://dailynepal.blogspot.com/2011/01/blog-post_07.html

年頭のごあいさつは、その時にまたあらためてさせて頂くとしまして、、、。

新年には関係ない話などを。

新年始まって3日目、曇りのち雨という寒い日が続いています。そんな中、昨日、お土産にユニクロのヒートテック製品をいただいてしいました!

興味のある品でありながら、まだ入手したことがなかったのですが、底冷えのするカトマンズで役立ちそうよ、と、ちょうど年末、実家の母が日本から発送してくれたところだったのです。

そろそろ届く頃だなあなどと思っていた矢先に、何とも偶然にゲストの方からいただくことになり(ご本人が開発に関わられているそうです)、驚くとともに、お年玉をいただいた気分で、大感激でした。ありがとうございます!

実は、先日来、欲しいなあ、と思っていたものをお土産に頂く、という、うれしいシンクロが立て続けに起きています。

11月初旬にいただいた「羊羹」が、ことの初めでした。

10月中一時帰国していて、日本食材などをいろいろ買いためてカトマンズに戻ってきたのですが、重量オーバーで泣く泣く手放したものの中の一つに羊羹がありました。

カトマンズ帰着早々、持ってこなかったことを後悔していたのですが、その数日後に到着されたゲストの方からいただいたお土産がとらやの羊羹!しかも2本も。感激しまくりでした。

その後、梅紫蘇ふりかけ(具体的な商品名を出すと「ゆかり」)を買ってこなかったことに気づいたことがありました。これまた非常に後悔し、ちょうど実家から送ってもらう封書の郵便物があったので、その中に入れてもらうよう頼み、発送したと連絡があった翌日のことです。

今度は別のゲストの方から、「トレッキング中の非常食としてもってきたけれど、食べなかったから」と、日本食をいただいたのですが、その中に、まさに「ゆかり」が入っていて、またもや感激しまくりでした。

次は、せんべいでした。こちらも、毎回買ってくるのに、今回は買い忘れていたことに気付いてがっかりしていた直後に、今度は別の方からせんべいのお土産が!

その後も、新年のカレンダーや、その他いろいろ、欲しいなあと思いつつも口に出していなかった物をいただく、というシンクロがいくつか続き、新年早々のシンクロはヒートテック製品。

あまりにも続くので、ちょっと興奮気味ですが、物欲全開にせず、今年も真面目に細々と働きます。

今年もよろしくお願いします。

2011年7月20日水曜日

偶然の出来事 4

今年3月頃に、偶然の出来事シリーズを3話書いたことがあったのだが、本日また、そんな体験をしてしまった。

極めて個人的な話題で、ブログに載せるようなことでもないのだが、、、と思いつつ、4話目として書いてみたい。

本題に入る前に、まず、12年前の出来事について書かなくてはいけない。

12年前、私はまだ日本に住んでいて、夏休みにミャンマーへ行った。帰国後何ヶ月か経った頃、日本の消印がある、しかし、差出人名にミャンマーの住所が書かれている手紙が、日本の自宅に届いた。

私が旅行中知り合った現地人が、その後かの地を訪れた日本人に私宛の手紙を日本から送るよう頼み、その日本人の方が帰国後投函してくださったのだ。

(今なら、現地人ともメアド交換、facebook名交換、などとなるのだろうが、当時ミャンマーではまだメールは一般的ではなかったのか、交換したのは住所だった)

投函してくださった方の連絡先があったのでお礼のメールを出し、その後何度かやり取りが続いたのだが、その方、本の編集の仕事をされている方で、取材でかの地を訪れた際、たまたまガイドとして雇った現地人から私宛の手紙を託されたのだと教えてくださった。

そんな縁で、その後出版された本を送っていただいたことがある。メールだけの一時の交流だったのだが、とても印象強い出来事だった。

・・・で、話が12年前から一気に本日へと飛ぶ。

私の旅行会社へ来店くださった方、やはり本の編集関係の仕事をされているとのことで、話しているうちに、12年前に、私に手紙を投函してくださった編集者の方とも長く付き合いがあることが判明。

同じ業種の方たちなので、それほど驚くべきことではないのか? いややっぱりものすごい偶然なのでは?などと、自分でも気持ちの整理がつけられず。

周りに回って、みんなどこかでつながっているというか、世界は狭いというか、どうもそういうことを実感させられることが多い。

2010年4月18日日曜日

昭和20年前後生まれの元気世代

このブログを見てくださっている読者の方から、励ましのメールをいただいたり、タメルに立ち寄ったついでに、私の会社まで足を運んでくださったりする方がいて、うれしい思いをすることがある。

本日も、以前から何度かメールをくださっていた70歳近い男性の読者の方が、会社に立ち寄ってくださった。最近私はタメルの会社にいる時間が少ないため、ゲストの方たちとも直接対応させていただくことは少なくなっているのだが、本日はたまたま出勤していて、お会いすることが出来た。

来店下さったのは2名。聞くと、同行者のもう一人の日本人の方は知人でもなんでもなく、実はまだ名前すら知らなくて、さっき知り合ったばかり、だという。私もお名前を聞きそびれてしまたのだが、その方は3度目のネパール訪問で、今回は定年後で時間もできたので、ゆっくり滞在する予定、と話されていた。

おふたりの話を聞いていると、偶然にも(おふたり同士)同郷(隣の市在住?)だったよう。名刺を交換したりして、旅を楽しんでいるという感じ。偶然の旅の出会いを、うらやましく感じてしまった。

私事なのだが、そこでふと、父のことが頭に浮かんだ。

以前も少し書いたことがあったのだが、私の父は定年後、自転車に目覚め、長距離ツーリングに向けて日々トレーニングに励んでいる。

以前の記事:http://dailynepal.blogspot.com/2009/07/46.html

40年以上越しで日本一周をつなげるべく、昨年まで夏前に北海道へツーリングへ行っていたのだが、昨年めでたく北海道一周が終わり、今年はちょうど先週から四国一周ツーリングをしている最中。

天候に恵まれなかったり、下痢に見舞われたり(うまい肴につられついつい呑み過ぎた模様?)で、ハプニングもあるようだが、楽しんでいる様子。毎日予定行程を走り終えた後、携帯メールからの簡単な報告が家族宛に届く。

道中、思わず心温かくなるいい出会いもあるようだ。

そんなこともあり、本日訪問くださったおふたりを見て、父親の旅と重ねてしまったわけ。

最近、若いバックパッカーよりも、定年後の元気な個人旅行者の方が増えている気がする。元気な父親世代のそんな方たちをみると、うれしくなってしまう。

2009年7月18日土曜日

46年越しの北海道一周とまだ続く自転車旅行

ネパールとは関係のないことですが、、、。

身内の話で大変恐縮なのだが、定年後、サイクリングに熱中し始めた実家の父(63)のことを。

2年前の同時期に「44年越しの日本縦断」という話を書いたことがあった。

若かりし頃、北海道の宗谷岬から九州の佐多岬までを自転車でつなぐべく走っていたことがあるそうなのだが、北海道の区間だけ実現できていなかった。中断していた目標を実現すべく、還暦過ぎてから地道なトレーニングを重ね、44年越しにやっと宗谷岬から佐多岬までの自転車走破が完了した、という話。

以前の記事: http://blog.livedoor.jp/himact/archives/50956759.html

その後も、自転車熱は冷めておらず、今度は北海道一周を目指し、昨年の同時期に挑戦していた。しかし、初日からの向かい風に加え、無理してアキレス腱を痛め、昨年はあえなく3日で断念。

そのリベンジとして、今年もまた先日より北海道に旅立っていた。

納沙布岬から長万部までを走破するのが今年の目標。これが達成できれば、北海道一周を果たせたことになる。

今回、私は父に、面倒な任務を命じられていた。父が携帯メールで翌日の走行予定コースを送ってくるので、夜、そのコースの最新気象予報(特に風向と風力)を簡潔にまとめ連絡する、という役目なのだ。家族の中で、時差の関係で私が適任であり(他は日本の母と、在米の妹)、また、最近父に借りが多いこともあり、この重要(?)な任務を引き受けることにした。

毎晩、翌日分の約4か所のピンポイント予報を知らせなければいけないので面倒ではあったのだが、地図と照らし合わせながら気象状況を想像していると、北海道疑似旅行をした気分にもなり、案外楽しかった。実は私、北海道には未だ行ったことがないのだ。

(カメラ会社勤務だったのだが)カメラを持たない主義の父。どんなに素晴らしい景色に遭遇しても、画像としての記録は一切残さない。毎晩1通、家族あてに非常に簡潔なメールが送られてくるのだが、えりも岬到着時、例外メールが届いた。

「襟裳岬到着 7時半 快晴 絶景です。」

相変わらず簡潔な、一行だけのメールだったのだが、現地からのメールは臨場感にあふれていた。きっと、メールせずにはいられないほど、よほど素晴らしい景色だったのだろうなあ、と、目の前に広がる青い空と海を想像し、胸を躍らせてしまった。

そしてついに一昨日、何回にも分けて挑戦した北海道自転車一周が、無事完了したとのことだ。

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ところで、昨年の敗退原因であるアキレス腱の強化のため、今回の実施までは、日々地道なトレーニングを重ねていた様子。負荷をかけた自転車での走り込みはもちろん、飼い犬の散歩中にも、両足に重りをつけ歩いていたりしていたそう。

話はそれるが、最近、こちらの旅行会社あてに、父と同年代の方からの問い合わせをいただくことがよくある。リタイアし自由な時間ができたことをきっかけに、長年の夢でもあったヒマラヤトレッキングを計画されるのだ。

こういう方たちに共通しているのは、みな、自分の体力を過信せず、日頃からトレーニングを重ねネパール訪問に備えている点。ウォーキングの際に重い荷物を背負って出かけたり、足に重りをつけて近所を歩いたり、という地道なトレーニングに励んでいる方も多い。

そういう方たちからメールをいただくたび、自分の父と重ねてしまう。事務的な返信の陰で、個人的にこっそりエールを送らずにはいられなくなってしまう。

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さて、北海道一周を終えた父だが、体力にも余裕が残っているとのことで、昨日よりフェリーで青森にわたり、酒田を目指して20日まで、日本海側をのんびり走ってみることにしたそうだ。(つまり、私の気象情報送信任務もあと少し続くことになる、、、)

しかし残念なことに、最後になって天候や風向きに恵まれず、大変な思いをしている模様。

それはそうと、お近くにお住まいの方、雨にも向い風にも負けず、自転車で走るシェルパ似のオヤジを見かけたら、もしかするとそれは私の父かもしれませんので、声をかけてやってください(笑)。

2009年6月13日土曜日

ビザのことなど



5月頃からスタッフが役所周りをし、更新に向けて頑張っていてくれた私のネパールビザ、先日無事に更新完了した。

ビジネスビザなのだが、昨年まで1年100USドルだったビザ代が、今年は300USドルになっていた。一気に200USドル値上げ。税金も納めているのに、ひどくない?

役所周りをしていたスタッフ曰く、イミグレーションの仕事が早くなっており、一銭のわいろも要求されず、催促しなくてもテキパキ仕事をこなしてくれ、感動したとのこと。(それが普通なのだが、ネパールの役所では、賄賂を渡し、なおかつ催促しまくらないと、いつまでたっても先に進まないことがほとんど)

話を聞いて私もうれしくなったが、ビザ代の値上げがイマイチ納得できず。賄賂分がビザ代にあらかじめ含まれるようになった、とかだったりして。

さて、私のビジネスビザ、ヒマラヤンアクティビティーズ(トレッキング会社)の経営者(出資者)として、取得出来ている。

外国人の参入が認められている、ネパールでの旅行関連のビジネスはいくつかある。たとえば、レストランやホテル経営など。土産物屋もそうかもしれない(未確認)。

トレッキング会社や旅行会社(TrekkingとTravelは別の扱い)については、ここ30年ほど外国人の参入は許可されていなかったようなのだが、2006年に、一時的にこれらの職種への外国人参入が再開された。

このときに、政府登記簿に日本人である私の名前も記載される運びとなり、その関係で、ビジネスビザも発行してもらえることになった。

しかしその直後、また、トレッキングや旅行会社への外国人参入が認められなくなり、現在ではまた、外国人名での新規登録はできなくなっているという。(一度登録してしまえば更新は半永久的に可能)

「日本人経営」とうたっているトレッキング会社や旅行会社は、カトマンズだけでもたくさんあるようだが、日本人名で正式に政府に登録できている会社は、上記のような理由から、ごく限られている。

ほとんどは、2006年の再開前(30年近く前)に登録された会社になるのではないだろうか。

タメル地区内に限って言えば、正式な「日本人経営」会社は、おそらくうちだけのはず。

そういえば、以前、不審な電話が事務所にかかってきたことがあった。

その電話は、イミグレーションの職員を名乗る者からで、「そちらのトレッキング会社に日本人がかかわっているというが、何のビザで滞在している日本人なのか?その日本人はネパールでの就労権利があるのか?トレッキング会社には外国人は関われないはずだが、違法ではないのか?」と失礼なことを聞いてきたのだ。

「違法もなにも、あなたたちイミグレーションが発行してくれたビジネスビザを持っていますが? きちんと必要書類も提出していますから、そちらで内容確認したらどうですか?」と直接私が答えると、その不審な電話の主は、うろたえてしまい、「それでは、近いうちに一度事務所にチェックに行くから」と言って、電話を切ってしまった。

結局その電話の主は、チェックには来なかった。

このやり取りを傍らで聞いていた私たちのスタッフ曰く、おそらく、私たちの成長をよく思わないライバル会社が、日本人がかかわっていることに難癖をつけ足を引っ張る為に、偽装電話をかけてきたのでは?とのことだったが、真相は不明だ。

2009年1月1日木曜日

あらためて、新年のごあいさつ

あらためまして、新年おめでとうございます。

今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

~ ~ ~

昨年は日本に久々の長期帰国(5月~9月)をし、9月に再びカトマンズに戻ってきてから、公私ともにあわただしい毎日を過ごしていました。

やっと一段落して気付くと年末、12月30日。

買い出しに行く暇がなかったのですが、とりあえず、けじめとして形だけでもお節(もどき)は用意しなくてはと、近所の店で入手可能な食材のみを使って、慌てて準備。

黒豆、紅白なます、きんとん、伊達巻、煮しめ、雑煮、焼き豚を作りました。

とは言ってもどれも手抜きで、きんとんは、裏ごしなし、栗なしのもの。伊達巻も、白身魚は抜きで、卵と山芋を適当に混ぜて焼いて、巻きすで巻いただけの、舌触りの非常に荒い雑な物。

干しいたけもなかったので、煮しめには、しいたけの代わりに、マッシュルームを丸ごと投入してみたり。だし用の昆布は、賞味期限のかなり切れたものだったり。

かなりいい加減に仕上げたこんなお節(もどき)ですが、今朝は、これらを食しながら、新年らしい朝を迎えることができました。

日が前後しますが、大晦日には、実家の両親に、音声チャットをしながら紅白歌合戦を聞かせてもらいました。通信速度の問題か、歌になるとぶつぶつ音が途切れてしまうものの、帰国中によく耳にした歌などを、カトマンズの自宅でライブで聴くことができ、ちょっと感動。

特に、帰国中、始終耳にしていた『崖の上のポニョ』が流れてきたときには、2008年を振り返り、うるっとしてしまいました。(映画自体は見ていないのですが、、、)

~ ~ ~

昨年は、プライベートでも、ヒマラヤンアクティビティーズでも、新しい出来事のたくさんあった一年でした。

前者では、大きな一仕事を終え、日本滞在を楽しみました。後者では、新しいツアーの受け入れから始まり、テレビ番組のロケのお手伝いもさせていただいたりもしました。(テレビの話は、またの機会にできればと思います)

昨年できずに悔いが残っていることというと、事務所を不在にしていたことが多く、旅行でネパールにいらしたゲストの方々に直接お目にかかれなかったことが多かったことでしょうか。本当に失礼いたしました。

~ ~ ~

今年はどんな一年になるのでしょうか。昨年以上に良い年になればよいなと思います。

皆様にとっても、素晴らしい一年になりますように。

2008年11月24日月曜日

近況追加

21日に、1か月経っても日本に届かない、ネパールからの郵便物について書いたところでしたが、19日に、祖母方へ届いていたことがわかりました!

到着まで一か月以上かかりましたが、無事に届いてひとまず安心しました。

とりあえずの追加報告でした。

2008年11月21日金曜日

近況など

一昨日まで一週間、用事であちこち出回っていました。

詳細については、機会を見つけて報告したいと思います。

ダンプス、バクタプルとその周辺、カトマンズ市内あちこちと移動して、素晴らしい景色に出会えた反面、埃っぽさに落胆した一週間でもありました。

特にカトマンズやバクタプル周辺。移動中の道路も含め、砂埃と排気ガスがひどく、喉をやられてしまいました。

話変わって、10月半ばに、日本に住む祖母に、たくさんの写真にコメントをつけ、絵日記風にまとめたものを、普通郵便で送りました。

一人暮らしの祖母に、私はよくネパールから絵はがきを送っています。

祖母の家にある郵便受けは、祖母の背丈より高い場所に設置されています。郵便受けに郵便物が入っているかどうか目視で確認できないので、手をのばしてやっと届く郵便受けの底を探るのが、日課になっているそうです。

指先に郵便物が触れると、一瞬、嬉しいそうですが、取り出してみてもたいていはダイレクトメールであることが多く、がっかりするそうです。でも、取り出した郵便物が私からの絵はがきだと、短い文面であっても嬉しくて、何度も読み返してくれるといいます。

10月半ばに送った絵日記風にまとめた写真が届けば、読みごたえもあり、しばらくの間は楽しんでもらえるなあ、と、祖母の喜ぶ顔を思い浮かべながら準備し送ったのですが、すでに一か月以上過ぎているのに、まだ届いていないとのこと。

ネパールから送る郵便物は、時々紛失することがあるのですが、私の経験では今まで順調に届いていました。しかし、一か月以上経って届かないとなると、紛失の可能性を考えざるをえません。

郵便物を送った10月半ばは、ちょうど、ネパール最大の2つの祭(ダサインとティハール)の合間にあたり、町中すべてがごったがえし混乱していた次期。

毎年、この時期の郵便物は、祭りの混乱にまぎれて遅延したり紛失したりすると聞きます。そういうことを知っていながら、早く祖母を喜ばせたく、そんな時期に送付手配をしてしまった私のミスと言えばミスです。

私が送った郵便物も、きっと、祭りのごたごたにまぎれて紛失してしまったのでしょう。もしくは、未だに、郵便局のどこかに忘れられているか。

いずれにしても、ちょっと残念な出来事です。

2007年7月19日木曜日

雑談 (44年越しの日本縦断)

しばらくぶりのブログですが、本日は、ネパールと関係のないことを書きます。

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こちらで、中高年世代の個人手配トレッキングを扱わせていただくことがよくあり、そのたびに元気をもらっているのだが、日本にいる父も、そんな元気な中高年ぶりを、最近、発揮している。

身内の話題で大変恐縮なのだが、本日の話題は、還暦を過ぎてからサイクリングに熱中し始めた父のこと。

結婚前の若い頃、テントを持って日本国内を走っていたことがあるようだが、その後は仕事一筋で、ゴルフにテニス、酒ぐらいにしか趣味がないように見えた父だった。

それが昨年、定年後も働いていた仕事にとりあえず一区切り付けることにした際、父が若い頃自転車をしていたことを知った部下の人たちが、マウンテンバイクをプレゼントしてくれたことがきっかけで、自転車熱に再び火がついたのだ。

その昔、北海道の宗谷岬から九州の佐多岬までを自転車でつなぐべく走っていたことがあるそうなのだが、北海道の区間だけ実現できていなかった。

中断していた目標を約40年ぶりに実現すべく、今年に入って自転車を買い替え、長距離ツーリングに向けて備え始めた。1日100km前後の走り込みや、高低差(おもに上り)走行訓練もなども開始した。

しかし、気持ちは若くやる気満々で走っていても、実際はあと3ヶ月で62歳。さすがに体力的にも技術的にも昔のようにはいかず、パンク処理に手間取って、昔とった杵柄はあてにならないと感じたこともあったとのこと。

それでも、少しずつ手ごたえを感じるようになり、いよいよ7月初め、北海道の宗谷岬から函館まで、日本海側の海岸線(日本海オロロンライン)を自転車で南下する運びとなったのだ。

若くはないから昔みたいにテント泊ではなく、民宿利用。夜には地元の飲み屋に繰り出す。無理のない日程で、1週間かけて約700kmを走破。

そして先週末、ついに、宗谷岬から佐多岬が自転車でつながったのだ。実に、44年越しの実現とのこと。

カメラで知られる会社で最先端のことに関わっていた父だが、本人はデジカメさえ持っていない。だから、写真入り報告を聞くことは出来ないのが残念だが、道中の様子や、食事の記録を読んでいるだけで楽しくなってくる。似たようなサイクリストとの出会いもあった模様。さすがに、還暦過ぎた人はいなかったようだが。

そういえば、若い頃父は、自転車と平行して山歩きもしていたそうだ。

ネパールに来れば、自転車も楽しめるし、山歩きもできるよ、と誘うと、ネパールトレッキングも惹かれるものがあるけれど、1~2年は自転車に集中したいのであしからず、というつれない答えが返ってきた。

次は四国一周を予定しているらしい。

2007年2月5日月曜日

恥ずかしながらまたもや延期

2月4日~7日まではブログ更新、メールの返事ができません

と、先日ブログとHPに更新していた。このブログをご覧くださっている読者の方ならご記憶にあるかと思うのだが、ちょうど2週間前、トレッキングへ行く予定を立てていて、出発当日の朝、バス会社のストライキのため移動ができなくなってしまった、ということがあった。その翌日もストは続き、私の休みとの兼ね合いもありやむなく延期としたのだった。

その延期分を、2月4日から予定していたのだが、恥ずかしながらまた延期せざるを得なくなってしまった。

今度は、突然の体調不良のため。

それまでずっと元気だったのだが、出発日前日の朝、突然悪寒を感じた。激しい運動をした後でもないのに、体の節々が痛む。明らかに風邪の前兆という感じだ。

でも、翌日からは延期分のトレッキングが控えている。今回を逃すと、今度はいつ実施できるかわからない。ということで、体調不良には気づかないふりをして1日過ごしていたのだが、夜になるにつれてますますしんどくなり、熱も出てきた。

1日寝ればたいてい良くなっていることが多い私の風邪。念のため、普段めったにのむことの無い薬も服用し、早めに布団に入った。が、残念ながらよくならず、またもやトレッキングは延期に。

前回は、バス会社のストによる突然の延期。そして今回も、予期せぬ体調不良による延期。

これは、ゴサイクンダ(今回のトレッキング目的地でヒンドゥ教の聖なる地ともされている場所)に今、行ってはいけない、という、神の思し召しなのかと、正直思ってしまった。

科学的根拠が無いことは信用できない、よくもわるくも現実的な考えしかできない一応理系出身の私なのだが、この国に暮らしていると、自分の意思とか科学の道理とかでは説明のつかないところで動かされている(生かされている)ような状況を感じることがときどきある。おおげさだが今回もその一種なのか?

それはそうと、前回、今回と共通していえるのは、それまで良かった天気が、この期間だけ悪くなっている、ということだ。前回も、予定していた4日間はずっと曇り空だったのだが、今回も、雨が降り出しそうな天気が続いている。

いずれにしても、今回トレッキングを実施したところで、おそらくヒマラヤの眺望は期待できなかっただろうから、無理して実施しなくて正解だったのかもしれない、と思うことにした。

2006年4月21日金曜日

電話

私の日本の家族4人(父/母/私/妹)は、3ヶ国4ヶ所に暮らしている。

家族同士の連絡はもっぱらメールを使っているのだが、もともと筆不精の父と妹。私が単身赴任中の父と直接メールでやり取りするのは年に1~2回あるかないか程度だし、妹もまた、最近は1ヶ月に1回連絡をくれればよい程度。しかし、とりあえず実家にいる母を基点にして、電話連絡は取っているので、母がそこから得た情報を、スピーカーとして家族に伝える役目を果たしている。母と私はほぼ毎日、メールでどうでもいいことを連絡しあっているが、電話で話すことはめったにない。

そんな母から、かなり久々に昨晩電話があった。

ネパールの情勢が不安定になっているときでも、それを知っていながらほとんど心配もすることもなく、相変わらずどうでもいいメールを送ってくる(新聞の国際面やネットでネパールのことについてはチェックしているが、情勢不安定のニュースが日本で流れているときでも、私がいつも『別にこっちはたいしたことないよ』というものだから、どんなときでもほとんど心配などしていない)母だが、さすがに今回は、心配になって電話をしてきたのだろうな、と、当然のごとく私は思った。

しかし、父と妹の情報と、自分のことを延々20分ほど話し続ける母。とりあえず、聞き役の私。そして、一通り話しが尽きた後、そろそろ、こちらの情勢を気遣う話題になるのかと思ったが、一向にそういう話題にはならない。

おかしいなあ。母は私のブログも毎日見ているようだし、今のネパール情勢を知らないはずはないんだけどなあ、と思いながら、私のほうから切り出してみる。

で、今日電話してくれたのは、こっちの情勢を心配してってわけじゃないの、ね?

すると母は付け加えるようにこう言った。

大変そうなことにはなっているみたいだけど、でもいつも、貴女は、こっちは別になんともないよ、って言うじゃない?だから、別に何も心配もしてないんだけど。なんともないんでしょ?

私、電話口で、苦笑。確かに母の言う通り。つまり、昨晩の電話は、私を気遣ってではなく、最近電話をしていないからと、たまたまかけてきただけだった(苦笑)。

その後、「それはそうと、知ってる?63年ぶりに日本に帰国した、元日本兵のニュース。昨日新聞見てなくて、今日知ったんだけど」などという、話題を出してくる母。「私なんて、最近ずっと家でNHK見てるから、そんなニュースとっくに知ってるわよ」と自慢しておいたが、そんなこと、わざわざ国際電話でネタにする内容か?

そういえば昨年2月、一週間ほど通信が遮断されていて、メールが送れないことがあった。お互いに2~3日メールがないと、最近ずっとメールがないねえ、などと言ってしまうぐらいでもあり、ネパールの情勢も情勢だったので、何日も私からのメールがないと、さぞかし心配しているだろうと、大使館にお願いして、無事でいる旨の報告を、日本の実家に入れてもらったことがある。

しかし、そのときも実は、私からのメールが途切れたことに対して、特に気にも留めていなかったことが、後日判明した。

まあ、必要以上に心配されても困るので、このぐらいのあっけらかんさが、海外に住む私にとっても妹にとっても、助かっているのだが。

2005年7月7日木曜日

直径10km内からの脱出

こちらに暮らして数年間、ほとんどをカトマンズを中心とする直径約8km以内のエリアだけで生活している。

カトマンズ市とパタン市をぐるりと一周する、リングロードと呼ばれる環状道路(一周約20km)があるのだが、その外に出るのでさえ、年に数える程度。

ときどき、ポカラやチトワンなどの、観光地に出かけることもあるが、2年に1~2回程度。

あらためて考えると、随分狭い世界で生きているものだ。

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もともと私は、1つの狭い場所にじっとしていても、飽きない体質のようだ。

私がまだ2~3歳ぐらいの頃、2つのコップを持たせて砂場に座らせると、ひたすら1人で遊び続ける、手のかからない子供だったらしい。1つのコップで砂をすくい、もう1つのコップに移しかえる、という単純な遊びを、飽きずにひたすら続けていたそうだ。

また、最近(といってももう8年前のことになるが)では、ネパールの旅を終えて日本に帰国後、パラチフスが発症し1ヶ月間隔離病棟に入院しなければいけなかったことがあったのだが、1人で楽しい隔離病室ライフを堪能できた。

1ヶ月もの間隔離されると、ノイローゼ気味になる患者もいるそうだが、私は、看護師さんに病室の外に出ることを許可されても、畳六畳ほどの個室にこもっているほうが楽しくて、あきれられたほどだ。

話しはそれたが、こんな感じで、私は1つのところにじっとしていることに、特に苦痛を感じない体質である。だから、ネパールでの生活を、直径約8kmの狭い範囲だけで過ごしていても、それ自体にストレスを感じることはない。

が、こんな生活を続けていると、自分が少しずつ狭い人間になっていくのがよく分かる。時々、広い空気を吸わないと、ものすごく偏った人間になりそうで、怖くなる。

ということで、来週から少し広い空気を吸いに行くことにした。

行き先はネパール国内。でも、カトマンズとは全く違った地。報告はまた後日。

2005年6月4日土曜日

歯の話

ネパール人によく、『日本人の多くはメガネをしていて歯が悪い(歯並びの悪さ、虫歯の多さなど色々な面で)』といわれることがある。

確かに、そうかもしれない。が、私には虫歯が一本もない。治療したからとかではなく、虫歯そのものになったことがない。

特に、歯を大切にしようと努力しているわけでもない。面倒くさくて歯を磨かないまま寝てしまうこともよくある。どうやら、虫歯ができにくい体質のようだ。

日本では医療技術系の仕事が本職だった私は、大学4年間、毎日夜までいろいろな実習をした。その中で、1つよく覚えている実習がある。

免疫学の実習で、自分の唾液から血液型を調べる内容のもの。

実習の最初、試験管に20mlぐらいの唾液を集めさせられた。ぺぺぺっとあっという間に唾液を出し終わって周りを見ると、みんな、なかなか唾液を集めることができずに、苦労していた。(50人以上いる学生の中で、私が一番最初に唾液を集めることができたのだ!って、自慢するようなことでもないが)

唾液が多いから、私は虫歯になりにくいのだろう。『虫歯になりにくい体質』というのが、ひょんなことから証明されたのだった。

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管理栄養士の母に言わせると、私の虫歯ができにくいのは、『あなた(私のこと)が3歳になるまでチョコ類を一切食べさせず、よい食生活で育ててあげたからだ』という。確かにそれもあるかもしれないが、同じ条件で育った妹には虫歯があると言うことは、やはり体質なのだろう。

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最後に、歯磨きとネパールとに関する話題を1つ。

カトマンズでは歯磨きに『歯ブラシ』を使うのは一般的になっているが、地方では、木の枝などを噛み、歯を磨いている人たちもたくさんいる。