2006年10月31日火曜日

羊の群れと動物の呼び声



午前中のカトマンズ中心部。イミグレーションオフィスやビソバサキャンパスが面する通りにて、売られていく羊の群れに遭遇。

羊を率いるお兄さんの口から、リズミカルな声が聞こえてくる。ラッラッラッ・・・、あっあっあっ・・・。

前者「ラッラッ」は、ほらほら、とか、さあさあ、というような意味があり、後者「あっあっ」は、おいでおいで、という意味の単語原型(来る:アウヌ)を、最も敬意を払わないよう語尾変化したもの。声帯を開ききって発音する。

ネパールでは、動物を呼び寄せる際に使う呼び声「あっあっ」の前に、動物により異なる枕詞をつけることが多い。

たとえば猫の場合。必ず、「あっあっあっ」の前に必ず「す~~り」という音をつけるのだ。あえてひらがなで書いたほうが、雰囲気が合うのでそうしてみた。

小さな子供であろうが、紳士的な男性であろうが、若い女の子であろうが、猫を呼び寄せる時には、みんな何かにとりつかれたかのように猫を直視し、しゃがみ腰になり、片手を猫のほうへ差し出しながら、「す~~り、す~~~り、あっあっあっ・・・」という声を発する。「す~り」は高めに、「あっあっ」は低めに。見ていると、おかしくてたまらない。

その他、子ヤギには「むにむにむにむに」、牛には「な~に~」。水牛には「あ~ぃっ」(これは、水牛の鳴き声をまねている)などの枕詞がつく。

つまり、実際呼ぶ際には、「むにむにむにむに、あっあっあっ」、「な~~に~、あっあっあっ」、「あ~ぃっ、あっあっあっ」などとなるわけだ。いずれも、枕詞を高めに、「あっあっ」は低めに、という自然発生的ルールは変わらない。呼び声を聞くだけで、どの動物を呼んでいるかどうかわかるのが楽しい。

ちなみに、鶏を呼ぶときは、「とぅ~わ、わっわっわっ」という。ただし、これは、ネワール語(*)の呼び方。ネパール語を母語とするヒンドゥ教徒の知人に、ネパール語では鶏をどう呼ぶのかたずねると、鶏を食べる習慣がなく、飼ったことがないので知らない、という回答が返ってきた。

* カトマンズ盆地内には、「ネワール族」が多く住む。彼らの母語はネパール語ではなくネワール語。

2006年10月30日月曜日

ネパ女、逆ナンパの下心

久々に、タメル地区(旅行者が集まる繁華街)にある日本食レストランで遅い昼食をとった。

そこへ行くときはたいてい、昼食の時間帯を避け、客が減る時間を見計らっていく。しかし、今日は昼食にしては遅い時間だったにもかかわらず、何組か客が入っていた。日本人が多かったのだが、一組だけ、ネパール人女の子の3人組がいた。

必要以上に派手な服を着て大人ぶっているが、見るからに10代。幼さが残る。妙にそわそわして周りの異性を意識しているような、あまり品のない子たち。このぐらいの年代の子が、繁華街タメルの外国人向けのレストランで女の子だけで食事をするのは非常に珍しいから、どういう類の子たちだろう?と思ってしまう。

タメル地区内を、男の視線を集めるような服を着て、女の子たちだけで歩くことは、日本的感覚で言えば、未成年の女の子がナンパされることを目的に歌舞伎町に繰り出すことような状態と似ている。保守的な親世代では、ふしだらな街タメルに、年頃の娘を行かせたがらない人も多い。

彼女たちは、妙になれた調子で注文している。ネパールのカネモチに多い、小遣いをほしいだけ与えられている成金の馬鹿娘か、と、失礼なことを、心の中で思ってみる。

午後の静かな日本食レストランに、彼女たちの存在は明らかに浮いている。しかし、多少おしゃべりの声が大きい以外は、他人に迷惑になるようなことをしているわけでもないので、特に気にしないことにした。

少したって、店に若い日本人男性が一人入ってきた。長期旅行者を気取ったヒッピー風。多少英語はできるらしい。日本語でメニューを取りにいった店員に、わざわざ英語で答えている。

私は、彼女たちと、その男性の間の席に座っていたのだが、彼女たちが、私の席の後ろで、その男性を意識し始めたのが、彼女たちの会話からわかった。

その男性は、途中で、ビールを追加注文した。そして、1人で飲み始めた。すると、それと同時に、私の後ろの席に座っていた女の子の一人が、その男性におもむろに声をかけたのだ。

ネパ女:ねえ、あなた、ジャパニーズ?

ネパ女:1人旅なの?

それに、男性が答える。そして、西洋かぶれっぽい軽いノリで、ネパ女との会話を続けようとしている。

ジャパ男:君たちはみんなネパリーに見えないね。ジャパニかと思ったよ。ほら、ジャパニとネパリって、顔似てるじゃん?

私を挟んで、ナンパの始めのような会話のやり取りが繰り広げられてしまった。どうでもいいが、私を挟まずやってくれ、と思っていると、一番ハデめのネパ女が言った。

ネパ女:ねえ、そっちの席に移っていいかしら?

なんなんだ、この子ら? これが、外国人同士の会話なら別に普通だが、ネパール人女性が、ビールを飲んでいる男性に白昼堂々と声をかけ、なれなれしく近寄るなんて、いったい何事だ。ガイジン目当てで遊び周っている子たちなのか? などと思ってしまう。

現地人の女の子に声をかけられて、断る男性もいないだろう。(ちなみに私は女です)

ジャパ男はどうぞ、と、女の子を招く。

ネパールにはいつ来たの?とか、どこに泊まっているの?などという平凡な会話がしばらく繰り広げられていたのだが、そのうち女の子たちのメニューがそろったので、男性が席を移動して、女の子3人の中に加わる形となった。

私の後ろで、妙になれなれしい会話が繰り広げられていく。思わず耳をダンボにして聞いてしまう。

年齢の話題になった。ジャパ男がこういう。「ボク、こう見えても○○歳なんだよ」

それを聞いて、女子たちが、オーバーリアクションでいう。「ワオ!そんな風に見えないわ。もっと若いかと思った」

ジャパ男が尋ねる。「そういう君たちは何歳なの?」 ネパ女の1人が答える「私は16」。

16? 若すぎる年齢に、聞いているこっちがびっくりする。完全に逆ナンパのスタイルで始まった彼らの会話なのだが、仕掛けた女の子たちの中に、まだ16歳の子もいたとは。

普段、素朴なネパール人女性と接することがほとんどのせいか、彼女たちの大胆さぶりに、度肝を抜かれる。

しばらくして、1人の子が、突如こんな話題を出した。

ネパ女:ねえ、日本行きのビザって、とるの難しいのかしら?

なるほど。ジャパ男を引っ掛けようとした目的はそれか。

先進国のビザを取得することが難しいネパール人たちは、外国人と知り合いになり、ビザ申請のための身元保証人になってもらおうとあの手この手でトライするのはよくある話。

日本人がらみで多いのは、ネパール人男性が、ビザ目的で日本人女性に近づく、というケースらしいのだが、私の後ろで繰り広げられている会話は、まさに逆パターン。驚いてしまった。

それにしても、知り合って5分もしないうちにいきなりビザ話を持ちかけるとは。アタマ悪いなあ、と思ってしまう。

その後も、ずっと事の成り行きを聞いていたかったのだが、私の食事が済んでしまったので、店を出ることにした。

あの後、どういう展開となったのか、少し気になっている。

2006年10月29日日曜日

外と中の気温

朝晩は寒さを感じるようになってきたカトマンズ。

毎朝温度計を見ているのだが、大体、北側の部屋の室温が、朝6時半頃で16~18度。しばらく温度計を外に出しておくと、15度以下まで下がる。

日中は20度以上まであがって、外に出るとじりじり照りつける刺すような強い日差しが、相変わらず痛いほど。しかし、室内にずっといると寒さを感じることもある。

コンクリート造りで、木枠の窓など密閉しない構造、しかも、暖房設備が整っていない家が多いため、これからの季節(冬になると)、屋外より屋内のほうが寒いという、ヘンな状態になるのだ。

2006年10月26日木曜日

ネパールトレッキング新許可証TRC申請風景と現物



ネパールの新しいトレッキング許可証TRC申請受付が10月21日より始まった。明日10月27日以降、トレッキングルート上にあるチェックポストにて、検問が始まる。

次の画像は、トレッキング許可証外側と内側。





赤線を引いた部分には、個人トレッカーまたはグループは、トレッキング会社に関わる最低1名のフィールドスタッフを雇用する必要がある、というようなことが明記されている。(補足:ガイド1名をトレッキング会社から雇用し、ポーターをトレッキング始発地点・・・例:ルクラやジョムソン・・・から雇用する、という方法であればまったく問題ない)

アンナプルナ国立公園入場料(Rs.2000)や、エベレスト/ランタン国立公園入場料(Rs.1000)を支払うカウンターには、外国人のトレッカーの姿が目立つのに対し、このカウンターでは、外国人の姿は見られない。外国人トレッカー個人では、申請不可、TAAN所属トレッキング会社を通して申請をする必要があるからだ。

TAANに所属していないもぐりのトレッキング会社や、フリーのガイドなどは、知り合いのTAAN所属トレッキング会社から、TRCを買う、という現象も起きている。

しかし、TRCを発行すると、それが記録として残り、最終的には、申請したトレッキング会社に納税の義務が課されることになる。やすやすと代行を引き受け、あとあと膨大な額の課税をされると恐ろしいため、代行申請をためらっている会社は多い。

トレッカーにとっても、トレッキング会社にとっても、果たしてメリットがあるのかないのかわからない新許可証なのだが、はっきりいえることは、明日から個人トレッキングはできなくなるということだ。

それでも、何とかして個人トレッキングを試みたい方はがんばってみるといいと思うが、罰せられる恐れがあるので、違法なことは極力しないほうがよいだろうと個人的には思う。

私たちが申請していると、1人の西洋人風男性トレッカーがやってきて、ややケンカ腰で、TRC受付スタッフに立ち向かっている姿が見られた。

トレッカー(以下T) 「この許可証がないとトレッキングにいけなくなると聞いたが」

スタッフ(以下S) 「その通りです。TRC許可証を申請しガイドまたはポーターをつけなければ、トレッキングにはいくことはできなくなります」

T 「ガイドやポーターは要らないから、その許可証を発行してくれ」

S 「大変申し訳ありませんが、TRCはTAAN所属トレッキング会社を通してでしか申請できません。ガイドまたはポーターのアレンジも、そちらでしてもらってください」

T 「なんだと!オレは、もう何度もネパールのトレッキングに行ってるんだ。ランタン、エベレスト、アンナプルナ方面ともに、経験豊かなんだ。それでも、ガイドやポーターをつけなくてはいけないのか!!」

S 「はい、それがルールですから」

しばらくこんなやり取りが続いていたが、最終的には「じゃあもう、トレッキングには行かん!」と西洋人トレッカーはたんかを切って去っていってしまった。

2006年10月24日火曜日

ティハール最終日~バイティカの日と大根~



ティハール祭最後の今日は、兄弟姉妹でティカをつける儀式を行う日。

私も、この日は、きょうだいの契りを交わさせてもらっている家庭を訪れる。

儀式というと、厳かで静粛なイメージだが、実際はわきあいあいと、冗談を言ったりしながら、行っている。

お父さんのきょうだい、お母さんのきょうだい、いとこ同士、などなど、いろんなパターンのきょうだい関係があって、順番に儀式を行っていく。順番待ちの人たちは、周りに座って、ティカの大きさを指摘したり、儀式の順序を教えたり、儀式に足りないものを準備しに走ったりと、何かと忙しい。

ヒンドゥ教には、何事にも占星術が強く関係するのだが、月と星回りから計算された、儀式を実施するのに適した時刻、というのがある。今年のバイティカは正午前後に実施するのが適しているとのことで、その時間に集中して順番にティカを付け合う。



儀式の横では順番待ちの女群がマニキュアを塗っていたり。



子供たちは、早々と儀式を済ませていて、すでにティカが取れかかっていた。

儀式を終えて、ご飯を食べた後、今年も例にもれず、近くの畑で取れた高菜と大根のおすそ分けをもらう。

こうやってティハールが終わると、一気に秋が深まり寒くなっていくカトマンズなのだ。

2006年10月22日日曜日

ティハール4日目~ガイティハールの朝~



今年もやってきた、牝牛(ガイ)にプジャをする日。

豪快で楽しいプジャ光景を楽しみに、毎年村を訪れる。



プジャ前に、牝牛に化粧をする。赤い粉や、白い粉を、体中につけるのだ。

マリーゴールドの花に、ティカ用の赤い粉(アビル)や、水溶き米粉をどっさりつけ、はんこの要領で、体中にポンポンつけて、飾ってあげるのだ。残った水溶き米粉は、最後は牛のえさになる。

マリーゴールドの花輪は、みんなの手作り。そこら辺一面に咲いているので、摘んで、糸でつなげて準備する。

写真が昨年と同じ構図なのが代わり映えしないが、いつ見てものどかな光景。

向かって右側にいるのは、ちょうど2週間前に生まれた子牛(オス)。君へのプジャは、あしただよ。



周辺には、稲刈り後の田んぼがひろがっていた。



牛さん今年もごくろうさま。

2006年10月21日土曜日

ティハール3日目~ラクシュミプジャの夜~



ティハール気分が最高潮に達するのが、ラクシュミプジャの夜。

日没後、各家庭で、ラクシュミ女神を迎えるための儀式をし、家の外にオイルランプの明かりをともし始めた頃から、歌や踊りを披露する人たちが、次々家にやってくる。


カトマンズで体験するそれよりも、村でのほうが断然楽しい。

顔見知りの村人たち子供から大人まで、今日はちょっとおめかしして、家々をまわるのだ。



グループを組んで、衣装をそろえ、本格的な歌や踊りを見せてくれる人たちもいる。



白熱灯のやわらかい光の中、ネパールの民族楽器マーダル(太鼓)やバンスリ(竹笛)に合わせて、歌い、踊る。



村人たちも集まって、幻想的な夜が過ぎていく。



おじいさんも。



途中で花火も楽しんだりして。

夜が更けても、遠くから太鼓の音や歌声が時折聞こえてくる。眠りにつくのが惜しい気がする、ラクシュミプジャの日、風情ある村の夜なのだ。

ネパールトレッキングの新しい許可証TRCについて

本日21日、正式発表がありました。

過去当ブログに記載していた内容と、多少異なる点もありましたが、10月27日よりTRC無しでのトレッキングは不可、TRCは個人での申請は不可という点については変わりありません。

ガイド、ポーターをつけなくてはいけない、という点も変わりないのですが、本日発表されたルール上では、トレッキング開始地にて雇用することも条件付で可、とのことでした。

近日中に、新ルール詳細について掲載します。急ぎの方は、メールにてお問い合わせください。

取り急ぎご報告でした。

TRCについての、これまでの関連記事は、以下をご参照ください。

* TRCについての参考記事:    

 1.2006年9月8日付記事:
  『10月からのネパールトレッキングには証明書(TRC)が必要になります』     
 
 2.2006年9月25日付記事:
  『TRC(トレッキング登録許可証・仮称)続編』    

 3.2006年9月27日付記事: 
  『ネパールトレッキングTRCについて(続々編)

 4.2006年10月18日付記事: 
  『ネパールトレッキングの新しい許可証『TRC』いよいよ導入秒読み

関連記事は、ヒマラヤン・アクティビティーズ のサイトもあわせてご覧ください。ご不明な点については、メール でも回答させていただきます。

2006年10月20日金曜日

ティハール祭期間に降った季節外れの豪雨



18時過ぎ、外出先で突然豪雨に見舞われ、そのうち雹も降り始め、しばらく雨宿りしていたところ、停電になり、真っ暗闇の中で撮ってみた写真。

ティハール祭も始まったというのに、まるで、季節が逆戻りしてしまったかのように降った雨だった。

さて本日は、犬にプジャをする日だった。



ウチの犬(厳密には大家が買っている犬)も、朝から無理やり花輪とティカ(おでこにつける赤い印)を無理やりつけられ、格闘していた模様。



3~4重にも花輪が巻かれている。

余談。犬の視線の先には私の飼い猫がいて、そ知らぬ顔で日向ぼっこをしてました。私の猫より3倍ほど体のでかいこの犬ですが、いつもしつこくちょっかいを出して、猫に嫌われています。

RA関空発便また大幅遅延

10月18日(水)の18時頃カトマンズ到着予定だった、RA関空発便。今回は、約1日半遅延で、本日20日(金)の午前9時頃到着したようだ。

ええまた!?と驚く私に、情報提供者は、たった1日半だよ、遅延といえる?と笑っていた。

確かに。

ちなみに、今回は、『ドアが閉まらなくなった』ことが遅延の理由だったようだ。

 ● RA便遅延に関する過去記事は、以下をどうぞ。
  RA(ロイヤルネパール)便、また全線大幅遅延しています (06年10月1日付)
  
  到着前からネパールを味わえます。 (05年8月17日付)

2006年10月19日木曜日

ティハールを目前にし他人に富を与える





毎年、ダサイン・ティハール祭の間の約1ヶ月間、大きなスーパーをはじめ、あちこちで特別セールやキャンペーンが実施される。

よく行くスーパーでも、ティハール終了までの期間限定で、何を購入しても2%分割引してくれている。

1ヶ月ほど前に少し話題に出したことがあったが、スタッフがバイクを買い換えることになった。この期間を狙って購入すると、ディスカウントに加えて、1000ルピー(約1600円)~最高3万ルピー(約5万円)相当の金塊が当たるキャンペーンを実施しているため、普段よりもお得らしいのだ。



金塊はプラスティック製のやしの実の中に入っているという。厳密には、金塊の重量が書かれた紙が入っていて、あとで引き換えてくれるそうだ。

はずれもあるそうだが、小額(2000~3000ルピー相当の金)ならば、かなりの確率で当たるとのこと。高額分が当たれば当たるだけ、その分バイク購入費用と相殺できるため、いかに運良く高額を選ぶか、かなり真剣な問題。



自称くじ運が悪いというスタッフは、前々から、くじ運の強い他人に引いてもらうつもりで、代理人を探し回っていた。それを私が聞きつけ、ネパールに来てからのくじ運ぶり(*)を自慢すると、それでは、君にやしの実を選んでもらおう、という話が、なんとなく決まってしまった。責任重大な役目だが、面白そうでもあるので、喜んで引き受けることにした。

(*)毎年12月に日本人会主催の忘年会が行われる。このとき、豪華賞品(以前は、カトマンズ~関空往復航空券なども商品にあったのだが、何年か前からは消えてしまった。年々、豪華さは薄れているが、それでも、なかなかよい商品もたくさんあるのだ)が当たるビンゴ大会が実施されるのだが、忘年会に参加して、商品を当てなかった年がないのだ。それも、それなりに、よい商品(過去に当てた例:5つ星リゾート1泊券、レストラン食事券、マウンテンフライトペア券、ヘリコプターシェア券、等)をかなりの確率で当てている。

バイクは、ダサイン祭前(約1ヶ月前)にインドから到着するはずで、そのときにくじを引く予定だったのだが、ここはネパール。予定が予定通り行くわけがない。『バイクは明日の夕方頃には必ず到着する』といわれ続けて早1ヶ月がたとうとしていた。

その間ほぼ毎日、『あすは、くじを引く出番が来るから夕方頃あけておくように』といわれ続け、よし明日こそは、と気合を入れては裏切られていた。狼少年もいいところ。この調子であと1年ぐらい待たされるんじゃないのかと、すっかりやる気もうせていた頃に、出番がやってきた。

時は昨日(18日)午後。今度こそ本当にバイクが到着したらしい、という知らせを受け、バイク屋に呼ばれる。すっかりやる気もなくなっていたし、どうせ当たっても私に利益があるわけでもない。まあ、適当にいこう、ということで、段ボール箱に入れられた15個ほどあるプラスティックのやしの実を適当にひとつ選んだ。



それを、バイク屋のスタッフにかち割ってもらい、金塊の重量が書かれた紙を取り出すと、7.5gの文字が。

果たしてこれは、よいのか悪いのか?瞬時には判断できないでいたのだが、周りは歓声を上げている。換算してもらうと、7.5gの金は、約1万ルピー(16000円程度)に相当するというのだ。バイク屋曰く、これだけの高額が当たる人は珍しいとのこと。

バイクを購入したスタッフも、かなり喜んでいる。

私としても、かなりうれしい、が、くじ引きの代理人であったことに気づいて、複雑な気分。

ティハール前に、ラクシュミ女神の役割を果たして、他人に富を与えてやった、といったところで、自己満足するとしよう。

2006年10月18日水曜日

ネパールトレッキングの新しい許可証『TRC』いよいよ導入秒読み

(10月18日付一部訂正有→赤字表記部分)

10月1日より導入される予定だった、新しいトレッキング許可証システムTRC((Trekking Resistration Certificate:トレッキング登録証明書(仮訳))。

導入直前になり、延期になるというどんでん返しがあったが、ついに、10月21日より申請受付が始まる。チェックポイントでのチェック開始は10月27日から。まだ、正式な文書などは届いていないが、すでに、TRC申請事務所も開設し、営業を始めている。

しかし、いまだ、申請用紙等は、TAAN(Trekking Agencies Association of Nepal:ネパールトレッキングエージェント協会)所属トレッキング会社である私たちにも、渡されていない。本日確認したところによると、近日中にメールにて詳細が送られる予定とのことだ。

TRCが導入されることにより、ガイドまたはポーターのいずれか1名を雇う必要がでてくることが、決定しそうだ。

個人でのトレッキングを計画している方も多いと思うが、TRCを所持していないと、トレッキングルート上にある検問所にて締め出される恐れや、違法トレッキングとして罰則が課せられる場合もあるという。10月21日以降にトレッキングを開始しても、10月27日までにチェックポイントを通過する場合、または、トレッキングを終了する場合は、TRCを所持していなくても大丈夫そう。それ以降は、絶対に不可、とのことだ。(いずれも、本日時点で文書は出ていないため、口頭で確認した内容であることを、あらかじめご了承いただきたい)

TRCについての、これまでの関連記事は、以下をご参照ください。 

* TRCについての参考記事:

 1.2006年9月8日付記事:
   『10月からのネパールトレッキングには証明書(TRC)が必要になります』     

 2.2006年9月25日付記事:
   『TRC(トレッキング登録許可証・仮称)続編

 3.2006年9月27日付記事:
   『ネパールトレッキングTRCについて(続々編)

関連記事は、ヒマラヤン・アクティビティーズ のサイトもあわせてご覧ください。ご不明な点については、メール でも回答させていただきます。

2006年10月16日月曜日

ティハール気分を高める音2

おととい、この時期に聞こえてくる爆竹の音に、ティハール気分が高まる、ということを書いたが、その他にもティハール気分を高める音が聞こえてくる今日この頃。

近所の若い男の子たちが、先週あたりから毎日、ベランダでフォークギターをかき鳴らすようになっていた。

とても遠慮気味に、小さい音で鳴らすので迷惑感はまったく無く、日本の60年代のフォークソングに似ているネパリ・ポップの曲調がむしろ懐かしいぐらい。(そういう私は70年代生まれで、60年代にはまだ誕生の可能性すらありませんでしたので、あしからず。でも、60~70年代J-Popは大好きです)

なんのために?と思っていて、ああそうかと気づいた。ティハール祭に向けて練習し始めたのだ。

ティハール祭の主役、ラクシュミ女神を家々に迎え入れるための儀式が、今年は10月21日の日没と共に行われるのだが、この日から3日間、人々が夜、近所や知り合いの家々を回り、歌や踊りを披露して、おひねりをもらう、という習慣がある。

小さな女の子たちが民族衣装で着飾り、自分たちをラクシュミ女神に見立てて家々をまわり、『ラクシュミ神があなたの家にもやってきましたよ』というような内容の、ティハール祭にしか歌われない歌を歌い、それにあわせて自分たちで考えた踊りを披露しながら周る、というのが基本。(男の子バージョンの定型歌もある。訪れる家々のことをほめたたえる歌で、聞いていて思わず爆笑することも。例:この家はなんて大きいんだろう!シンハダルバールみたいに、なんて大きいんだろう!という感じで、とにかく延々ほめたたえるのだ)

子供だけが楽しむのではなく、成人した大人も楽しむ。たとえば、事前にばっちりバンド形態での練習を重ね、トラック一台借り切って、楽器類を荷台につめこみ、知人宅を襲撃(?)し、練習成果を強引に聞かせて高額なおひねりをもらう、というようなことをする若い男の子たちもいるのだ。

ベランダでギターをかき鳴らし、はもりながら練習している彼らも、きっと、ティハールに向けての準備をはじめたのだろう。

その他、街では、家々を飾る安っぽい電飾も売られ始めている。外国でのクリスマス使用向けに作られたものが多いためか、光と共にクリスマスソングが流れているものも。

こちらの人は、クリスマスソングを知らない人も多い。(だから、携帯の着信音が、なぜか年中ジングルベルであったりする人もよくいる。指摘すると、それがクリスマスソングであることをまったく知らず、たまたま気に入って使っているだけだった、ということも多い) このため、特に違和感も感じないようだが(むしろ、光と共に音楽も流れてカッコイイぐらいの価値観かもしれない)、10月のこの時期からクリスマスを思い起こさせる電飾を見かけるたびに、ああ、ティハールか、という思いと、表現しようのない情けなさを感じるこの時期なのだ。

2006年10月15日日曜日

マオイストの要求2~ガイド保護のために?~



『マオイストの要求』と名づけた今回のネタだが、政治的な面からマオイストについて述べることは、私の知識では不可能。和平交渉に関わるネタではないことを、あらかじめ断っておきたい。

ホテルや旅行業界に、以前は主に金銭を要求していたマオイストたちが、最近では、金銭ではなくさまざまなことを要求・主張しているという。

先日、私たちの事務所にも、要求を記載したA4サイズ2枚の紙を持って、マオイストが現れた。そこには、トレッキングガイドやポーターを保護するためのたくさんの要求が書かれていた。内容は以下の通り。

1.ガイド/ポーターには、順番に仕事を与えること。(好みのガイドにだけひいきして仕事を与えるようなことをするな、ということ)

2.どんな状況のトレッキングにも、ガイド/ポーターを1名ずつ(計2名)つけるよう外国人トレッカーに強く勧めること。(雇用の確保が目的)

3.年間240日働いたガイドには、今後、一定の年数解雇しないという契約を結ぶこと。(雇用の確保が目的)

4.ガイドには、外国語(英語)を勉強する機会を与えること。

5.トレッキング中に事故にあったときに役立つよう、応急処置法を学べる機会を会社側で調整すること。

6.トレッキングには、応急処置セットを持参させること。

7.ポーターには、30kg以上の荷物を持たせないこと。30kg以上になる場合は、1kgあたり、2kg分の給料を追加すること。

8.ガイド/ポーターがトレッキング中に着用する衣類は、会社が支給すること。

9.6500mよりも低い場所のピークトレッキングに同行するガイドには、クライミングチャージとして最低でも200USドルを支給すること。

10.ガイド/ポーターには最低でも、1日あたり次の給料(金額はここでは省略)を支給すること。

11.ガイド/ポーターには、必ず会社側で、保険に加入すること。

===

上記のような基本的雇用条件を満たさないトレッキング会社が多く、ガイドやポーターが痛い目に遭うことも多いため、マオイストがこのような条件を主張し、ガイドやポーターを自分の味方につける作戦に出ているようだが(かなり要約しすぎだが、つまりはそういうことだといえる)、私たちでは、2.以外はすべての条件をクリアしている。

それどころか、かわいがっていたのに、本能のまま簡単に辞めていくガイドたちもいて、こちらが逆にバカを見ることのほうが多いぐらいだ。今年も少し前に、非常に残念な思いをしたと、このブログにも書いたことがある。

上記条件を満たしているのに、ガイドに裏切られたら逆に会社側を保護してくれるのか? 弱いものの味方になるのがあなたたち(マオイスト)のやり方なら、会社側の味方にもなってくれるような要求もあわせてガイドたちにしてくれ、と、半分冗談で詰め寄ってみると、返事に困ってしまった、自称マオイストたち。

まあ、とにかく、僕たちの要求にも目を通しておいてくれ、と、言葉を濁して立ち去ってしまった。

2006年10月14日土曜日

マオイストの要求1~ガイド保護のために?~

政治的な面からマオイストについて述べることは、私の知識では不可能。このネタで、2回連載する予定だが、現在進行中の和平交渉に関わるネタではないことを、あらかじめ断っておきたい。

マオイスト=毛沢東主義者。ネパールの反政府組織、という認識でよかったと思うが、今、政党との和平交渉が進んでいる。

マオイストが誕生してから約10年ほどの間に、ネパール国内で、マオイストと国軍、警察が衝突し、一般人も含めて多くの死傷者も出た。カトマンズ市内でも、小規模ではあるが爆発物騒ぎなどもよく起こり、これが原因で、ネパールは危険な国、というイメージが旅行者の間で強まり、旅行者もぐんと減っていた。

しかし彼らは、外国人には被害を与えることはないと宣誓していた。アンナプルナ方面トレッキングルートで、通行料と証して金銭を要求される被害にあったトレッカーは多いかもしれないが、傷害被害にまで発展する事件に遭遇した外国人は、おそらくいないはずだ。

今まで、カトマンズなどの都市部に現れることの少なかったマオイストだが、2006年4月の政変以降、カトマンズ中心部で堂々と集会を開くようになった。今までずっと隠れていた党首も、テレビやラジオに気軽に登場するようになった。

それと同時期に、マオ傘下組織などがカトマンズ市内のホテルや旅行会社に堂々と現れ、寄付を要求し始めるようになっていた。

===

話がそれるが、3~4ヶ月前のある日、ヒマラヤン・アクティビティーズの事務所にもマオイストと証する4人組の村人風老若男女がやってきた。ちょうどその頃、カトマンズ中心部でマオイストの大規模な集会が予定されており、農村部からマオイストであるたくさんの人々が上京していて、滞在費をまかなうために寄付を集め歩いているとのことだった。

マオイストが事務所に入ってきたまさにそのとき、私たちの事務所内では、スタッフが1000ルピー札の分厚い束を数えている最中だった。突如として入ってきた4人組が寄付を要求しに来たマオイストとは知る由もなく、彼らを完全に無視しながら、スタッフは札束をカウントし続けていた。

そして、カウント終了後、おもむろに顔を上げ、『君たち、どこから来たのかね?』と特に敬意も払わず尋ねて初めて、彼らがマオイストで、金銭の寄付を要求しに来たということが判明したのだった。

もし、それ以外のときに現れていれば、金はない、と拒めたものを、彼らの前で平然と大金を数え終わったあとで、『金はない』などというしらじらしい嘘をつくわけにもいかず、その場に居合わせたスタッフおよびマオイストたちみんなで、顔を見合わせ苦笑した、という、笑うに笑えない出来事があった。

~ マオイストの要求2 につづく ~

ティハール気分を高める音

10月19日からティハール祭が始まる。先週終わった『ダサイン』祭に引き続く、ヒンドゥ教第2の秋の大祭『ティハール』。

まだ、ネパールの治安がよかった頃、この祭では爆竹がかかせず、夜になると、あちこちで爆竹の音が響いていた。しかし、2000年のティハールを最後に、この風物詩は楽しめなくなっていた。

2001年以降、治安がだんだんと悪くなり、カトマンズ市内でも爆発物騒ぎなどが頻繁に起きるようになったためだ。爆竹の音がマオイストが仕掛けた爆発物と紛らわしく危険でもあるため、ほとんど使われることがなくなった。

それが今年は、ティハール一週間前に当たる一昨日あたりから、夕方頃になるとあちこちで爆竹音が鳴り響くようになった。危険な爆発物と間違えられることも無く、平和なカトマンズが戻ってきているからなのだろう。

2006年10月13日金曜日

ネパールの運手免許4

~ ネパールの運転免許3 のつづき ~

実技試験本番の列にいざ並ぶと、なんとなく緊張するもの。でも、実技は簡単。余裕でジグザグ運転をしてのけた。そして、見事パス。



合格/不合格はその場ですぐにわかる。合格の場合は、写真のように立会人が緑のカードを掲げてくれるからだ(不合格の場合は、赤いカード)。写真は他人の試験風景。

帰り道、舗装状態の悪いカトマンズ市内の道路を走りながら、気づいた。実技で試されるあのジグザグ運転は、道路のあちこちに突如として現れる穴をうまくよけるために実施されているに違いない。

カトマンズの道路は、舗装はしてあっても、つなぎ目だらけのことが多く、段差はもちろん、あちこちにボコボコ穴があいているのだ。

普段、通り慣れている道では、どこにどの程度の大きさの穴が開いているか(または、段差があるか)を、たいてい把握しているからよいものの、慣れない道を走るときは、目の前の穴に突然気づき、あわててひょいっとハンドルを切り替えなくてはいけなくなることも多い。

そんなとき、あのジグザグ実技試験は、多少は役に立つかもしれない、などと思ってしまった。

~ おわり ~

2006年10月12日木曜日

ネパールの運転免許3

~ ネパールの運転免許2 のつづき ~

そして、いよいよ実技試験に臨むのだが、私の番になるまで、1時間ほど待つことになる。女性用には、5本のポールの間隔を少し広めて最後に実施してくれるというので、私も最後まで待つことにしたのだ。間隔が広くなったほうが、運転が簡単になるからだ。

その間やることも無いので、周りを観察しながら過ごす。

父親(らしき人)と一緒に受験に来ている、20歳ぐらいの男の子のなんと多いこと。こちらの人(特に女性)は、成人していても、仕事の面接に、ママやパパと一緒に行く人もけっこういるぐらいなので、若い男性でも、パパと一緒にバイクの実技試験を受けに行くことなど、普通のことなのだろう。

あいているスペースを利用して、適当な間隔でジグザグ運転練習をしているたくさんの人たち。みんな真剣でほほえましい。ちなみに、実技試験に使用するバイクは、自分で調達しておく必要がある。自分のバイクがない場合は、友達から借りたりする。そして、自宅から試験場まで、規則上は無免許の者が、自分で運転して行くことになるわけだ。なんだかむちゃくちゃなルールだが、その点を追求されることはない。

試験場は、大きな通りに面した場所にあるのだが、早朝から、試験の様子を眺めているたくさんの暇人もいる。6時半の時点で、すでに20人ぐらいがぼけーっと眺めていた。ある1人にターゲットを絞り観察していたところ、その人は、約1時間じーっと同じ場所から試験の様子を眺めていて驚いた。他人の実技試験の、いったい何がそんなに彼を惹きつけるのだろう? 大きなお世話だが、早朝の1時間、もっと有意義なことに活用したらどうかと思ってしまう。

試験場に何食わぬ顔で侵入し、受験者たちに、合格祈願の赤いティカ(お祈りなどをした後に、おでこにつける印)をつけては、お布施をもらっているおじいさんもいる。『パシュパティナート(シバ神を祭る、ネパール最大ヒンドゥ教寺院)から持ってきた、ご利益のあるティカはいらんかね』という感じで、受験者のもとをまわっている。

観察していると、半分以上はティカを受け、コイン(1ルピーまたは2ルピー)のお布施を渡していた。つまり、このおじいさん、早朝2時間ぐらいの間で、ざっと100ルピー(約160円)ぐらいは稼ぐのだろうか、などと、いらぬ計算をしてしまった。

ちなみに、2時間で100ルピー稼げれば、ネパール人の給料形態からすると、かなり割りのいい稼ぎとなる。私のところにもやってきたが、ヘルメットをかぶっていたし、祈願不要だったので、断った。

そんなこんなで時間をつぶしているうちに、私の実技試験の番がやってきた。

~ ネパールの運転免許4 につづく

2006年10月11日水曜日

ネパールの運手免許2

~ ネパールの運転免許1 のつづき~

スクーターの実技試験当日。早朝5時半に、試験場を訪れるよう言われていた。試験は6時から始まるという。

余談だが、こちらの人は、朝が強い。大学の講義なども、早朝6時頃から始まることも多い。日の出が早い夏場など、早朝5時頃に、さわやかな声で間違い電話をかけてくる、非常に迷惑なヤツも時々いるほど。(その分夜は早く、夜10時頃のカトマンズ市内は、深夜同然の静まり返った雰囲気が漂う)

ということで、早朝から実技試験を受けに行く。といっても、たいした実技があるわけではないのだ。

約2mほどの間隔に置かれた5本のポールを、ジグザグに通過すればいいだけ。途中、ポールに接触したり、倒したり、足を地面についたりしたら失格。果たして、こんな試験に何の意味があるかわからないのだが、とにかく、これにパスすれば、二輪免許(原付込み)が手に入るというわけ。



試験場近くには、練習用スペースも設けられている。といっても、早朝通行のない普通の道にポールを置くだけの即席練習場。ネタ探しに訪れてみると、早朝6時前にも関わらず、すでに20人程が練習していて、なんとなく、私の気分も高まってきた。

こんな実技なんて、何年ぶりだろう。心地よい緊張感を感じながら、ジグザグ練習をはじめたのだが、すぐにイライラし始め、早々切り上げることにする。

イライラの理由は、順番待ちができないこちらの人たち。私が、前の人との間隔をあけて練習しようと少しでも待とうものなら、左右横から、後ろから、どんどん抜かしていくのだ。後ろからクラクションを鳴らすやつもいる。待ち時間なんて数秒だけなのだから、順番待ちしようよ、という感じだ。

仕方ないので、抜かされないよう、前との距離をおかずに進まなければならず、前が詰まって途中で止まらなければならなくなったりして、ほとんど練習にならなかった。

~ ネパールの運転免許3 につづく ~

2006年10月10日火曜日

ネパールの運転免許1

これが、ネパールの運転免許証。(目隠しだらけですが)





ネパールで2年以上スクーターに乗っているのだが、実は、こちらの運転免許証を取得していなかった。

この2年数ヶ月の間に、検問で止められたのは数回、うち、ネパールの免許証が無いという理由で交通警察にとがめられたことは一度もない。たいてい、ガイジンであることをアピールすると、免許提示も求められず、ノーチェック。稀に免許提示を求められても、パスポートだけを提示すれば、それでOKだった。(在住者は、基本的にはネパールの運転免許を取得する必要がある。旅行者はパスポートの提示だけでレンタルバイクが借りられるが)

一応、日本の免許証も肌身離さず持ってはいたのだが、日本語表記しかない日本の免許証は持っていてもはっきりいって意味がない。ここ何ヶ月かは、日本の運転免許証を大使館で英訳してもらった書類をしばらく持ち歩いていたのだが、万が一この状態で事故を起こすと、さすがにまずい、と、常々思っていた。そんな時、知人が免許の書き換えをしに行くという話しを聞き、私も便乗申請しに行くことに決めた。

日本では、10年以上前に普通自動車の運転免許証を取得している。このため、ネパールで自動車運転免許だけが必要な場合は、私が持っている日本の免許証をただ書き換えればよい(AT車限定免許しか持っていないのだが、こちらでは、ただ書き換えただけで、マニュアル車にも乗れる免許証をもらえるのだ)。

しかし、日本とネパールの運転免許カテゴリー分けが異なるため、ネパールでスクーターに乗るためには、実技試験も受けなくてはいけない。

日本では、普通自動車の免許があれば原付にも乗れるが、ネパールでの運転免許カテゴリー分けは、日本のそれとは、少々異なり、四輪車(普通自動車、ジープ、デリバリーバン)でひとつのグループ、二輪車(バイク、スクーター)でまた別のグループにわかているからだ。

ということで、今後堂々とスクーターを運転するためにも(今までも十分堂々と運転しまくっていたが)、今更ながら、先日、実技試験を受けることにした。

~ ネパールの運転免許2 につづく~

2006年10月9日月曜日

ネパールでは無印良品の袋に注意!?

知人(ネパール人)に渡すものがあり、たまたま家にあった、無印良品の袋(日本の無印良品で買い物をした際、商品を入れてくれる袋)に入れて渡すことにした。

ハイこれ、と、知人に渡す際、えんじ色の文字で 無印良品 と書かれている部分が、上面になっていた。何気なく目を落として、あ!こ、これは・・・と思う。

知人も、同じ場所に視線を落とし、はっ!という顔をする。

そこには無印良品の文字よりも一回り小さな文字のURLアドレスが、小さい文字ながらも思いきり目立つデザインで、こう書かれていた。

www.muji.net

そう。ネパール語がお分かりの方なら、恥ずかしながらも大爆笑してしまうアドレスが書かれていたのだ。ムジネットだと!?

知人に、聞かれてしまった。これ、いったいどういう類のアドレスで、この袋はなんなわけ!?

このmujiは無印良品という日本の一種のファッションブランドの名前を短縮したもので、ネパール語ではないこと。袋と中身はまったく関係ないことなどを、その言葉自体を口にしている自分に少々恥ずかしさを感じながら説明する。

それにしても、とんでもない名前のURLだね。もっと、まともなアドレスつければよかったのにね。などと、知人に言われてしまう。確かに、ネパール人感覚からすれば、ごもっともな意見。

もったいぶってしまったが、ムジとは、辞書によると、肛門およびその周辺を指す、非常に下品な意味合いのある単語。辞書には書いていないが、そのあたりの毛をさす(しかし陰毛とは違う)という解釈もあるようだ。男性同士がけんかをしたり、相手を侮辱したいとき、からかいたいときなど、「この、ムジめ!」などと使ったりもする。日本語的に訳すと、「この、クソ野郎!」というようなニュアンスになるのか。女性が口にすることはまずないといってもいい。

無印良品の白いプラスティック袋には、そんな下品な言葉が入った、爆笑&赤面のURLアドレスが、いともさわやかに堂々と書かれていたのだ。ネパール人に無印良品の袋を渡すときは、くだんの単語がローマ字表記されていないことを、よく確認しよう。

2006年10月8日日曜日

外国人のネパール語

日本人にとって、ネパール語はとても勉強しやすい言語だと思う。文法は日本語と同じだし、発音も、比較的簡単。極端な話、ネパール語の語彙数さえふやせば、日本語で思いついた文章にそのままネパール語の単語を当てはめていけば、それなり意味は通じる文章となる。単語が持つニュアンスも、日本語と似ているものが多く、感覚的にも理解しやすい。

しかし、ネパール語とはまったく違う言語を母国語に持つ欧米人にとって、ネパール語を習得することはかなり大変なのではないか、と思う。たとえば英語を母国語とする人たちの場合、文法からしてまったく違うし、英語ではひとつしか表現方法のない二人称のYouに当たる単語が、ネパール語ではいくつもある(日本語でもあなた/君/お前などいくつも種類があるように)、というようなことを感覚的に理解するだけでも、難しいはず。

また、明らかに白人顔の相手には、たいていネパール人は英語で話しかけるから、ネパール語を勉強しにネパールに滞在していても、いつまでたっても習得できていない欧米人をたくさん見てきた。

以前、こちらにて3年間、継続してネパール語を勉強していたことがある。その当時、気の合うアメリカ人のクラスメイトがいた。彼女は、非常に正確なネパール語を話す人だった。私も、彼女と同じようにネパール語を話す外国人ながら、彼女のネパール語にはいつもひどく感心させられていた。文法的混乱は、彼女の頭の中で生じないのか、不思議でもあった。

そんな私たちの共通言語は、ネパール語だった。お互いにとって外国語であるにもかかわらず、(英語なまり/日本語なまりである点以外は)まったく違和感が無く、ネパール人と会話をしているようにすんなりいくのが、おかしかった。

彼女が3年以上前アメリカに帰ってしまってからは、ほとんど音信不通状態となっていたのだが、昨日久々に彼女からのメールが入っていた。少し前にカトマンズ入りし、しばらく滞在する予定だという。

うれしくなりながらメールを読んでいて、あれ、っと思った。英語ではなく、器用にもローマ字表記のネパール語(*注)で書かれていたからだ。ネパール人同士でも、メールでのやり取りは英語を使う場合が多いのに、日本人とアメリカ人の私たちが、お互いにとって外国語であるネパール語をわざわざローマ字表記してやり取りしているなんて。

本日、久々の再会が実現した。彼女の英語なまりの流暢なネパール語は相変わらずで、懐かしい話で延々盛り上がったのだが、どうみても白人顔の彼女と、日本人の私が、ネパール語で会話をしている姿は、周りから見ると不思議な光景だったようだ。

*注:ネパール語はデバナガリ文字を用いて表記するのだが、デバナガリフォントがない場合は、ローマ字表記であらわすことがある。日本語で『こんにちは』を『Kon'nichiwa』とあらわすような方法と同じ。

2006年10月5日木曜日

新しいデザインの50ルピー札





毎年、ダサイン祭前になると、新札が出回る。スーパーマーケットなどで買い物をしても、この時期、おつりを新札でくれることも多く、なんとなくうれしくなる。

たいてい、ネパールのお札は、くたくたにくたびれていて、手になじみすぎる場合がほとんどなのだが、新しいお札はぱりっとしていて気持ちいい。折り目をつけるのが惜しいほど。

さて、今回、新札と一緒にお目見えしたのが、新しいデザインの50ルピー札。(50ルピー≒80円)

描かれている人物は、ギャネンドラ現国王。

裏には、ネパールの国鳥ダフェ(和名:ニジキジ)の絵が描かれている。



ネパールのお札には、ヒマラヤやお寺、ネパール特有の動物の絵などが描かれている。個人的に好きなのは、お札の裏。ヒマラヤに住む高山動物ヤク、南ネパールのジャングルに住むサイ等の絵が描かれているものもあって、おもしろい。写真は、旧50ルピー札。表に描かれている人物は、2001年6月の国王一家殺害事件で命を落とした故ビレンドラ国王。

2006年10月3日火曜日

旅行者にとっての祭

秋の大祭、ダサインとティハール。

正直、旅行者にとって、ダサインはおもしろくないかもしれない。街を歩いていても視覚的に楽しめる祭ではないし、この期間はとても不便になるから。

以前、私の家族がダサイン中にネパールを訪れたことがあり、帰国日がダサインメインの日と重なっていたのだが、ツーリストとしてすごすダサインは非常に退屈だと感じた。日本の元旦に似ているこの日は、どこもかしこも休業で、最後に土産も買えず、おいしいものも食べられず、タクシーはなかなかつかまらず、ああ、他の日だったら、もっとネパールを満喫してもらえたのに、という残念な気持ちになったことがある。

さて、今年のダサインも山場を過ぎた。私は、都合よく、などといったら罰が当たるが、月のものが来て穢れた存在となったため、今年のダサイン祭は途中から不参加。ホッ、というのが正直な気持ち。

次は、光の祭、ティハールがやってくる。10月第3週から。こちらは、意味などわからなくても、ネパール人の知人がいなくても、視覚的に楽しめる祭。ただし、ティハールメインの日(今年は10月24日)は、旅行者向けのレストランや土産物屋も半分ほどは閉まってしまうので、要注意。

2006年10月1日日曜日

RA(ロイヤルネパール)便、また全線大幅遅延しています

定刻どおり飛ぶほうが珍しいといっても過言ではない、ロイヤルネパール航空(以下RAと表示)が、また遅延している。

4月の政変以降、『ロイヤル』の文字は社名からは外れ、カトマンズRA本社のビルの看板からは、『ROYAL』が塗り消された。消し方がわざとらしくて非常に滑稽。もっと目立たなく消す方法は無かったのかと思うが、適当さがネパール人らしくていい。カトマンズRA本社付近に立ち寄る機会があれば、是非社名を見上げてみてほしい。

ところで、『ロイヤル』は取れたが、いまだRAという略称はそのまま正式に用いられている。

さて、このRA便、カトマンズ⇔関空、バンコク、デリー、香港、その他たくさんの国際線ルートを、たった2機の飛行機でやりくりしながら飛んでいる。いつも順調に飛んでくれれば問題ないのだが、2機ある機体のうち1機が故障すると、残りの1機で全国際線ルートを飛ばさなくてはいけないことになり、信じられないほどの遅延が生じることになる。

ここ最近で、大幅な遅延で笑わせてもらったのは、2003年11月頃の出来事。関空発カトマンズ行き直行便が、なんと約5日遅延し、カトマンズに到着したのだ。もはや直行便とはいわない。笑うしかない。聞くところによると、乗客の半分以上は、停滞地の上海から、関空に引き返したという。

その後、ここまでの遅延は生じていないにしても、数時間~1日程度の遅延は、当たり前のように生じている。被害例を挙げたらきりがないほど、とにかく、予定通り飛ばないことで有名。定刻どおり飛んだらラッキーという感じだ。

限られた日数でネパール旅行を計画している人(特に関西地方在住)の人は、関空⇔カトマンズ直行便という言葉に惑わされ、利用してしまう人がかなりいるのだが、利用は避けたほうがいい。

時間が限られているからこそ、急がば回れでバンコク経由など確実なルートを使いネパール入りする必要がある。しかし、RA便遅延の常習犯ぶりを知らない人にとっては、なぜわざわざ遠回りしなくてはいけないのか、と、なかなか納得してもらえないことも多いのだが。

前置きが長くなったが、このRA便、今シーズン(2006年8月以降)も、すでに何度か大幅遅延している。とりあえず私が把握している情報では、9月半ば、関空⇔カトマンズ間10時間ほど遅延していた。その後何とか回復したのだが、現在また大幅遅延している。

9月26日(火)22時45分カトマンズ発(関空行き)が、約6時間遅延し、翌朝27日(水)5時頃に発ったそうだ。もちろんその後も遅延は拡大し、27日(水)18時頃カトマンズに到着する(関空発)便も大幅遅延。

そして、昨日9月30日(土)22時45分にカトマンズを発ち、関空へ行くはずだった便は、なんと約20時間遅延し、本日10月1日(日)19時半頃発に変更になっていた。(その後、20時台に、飛行機が飛び立つ音が聞こえたので、一応飛んだものと思われる)

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関空⇔カトマンズ間のルートでは、通常上海に1~2時間ほど経由するのだが、大幅遅延が生じているときは、上海に立ち寄らず、文字通り、関空⇔カトマンズ間を直行し、時間を節約することもあるというから、びっくりだ。

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いつカトマンズに到着し、いつ日本に帰れるかわからないRA便。時間がたっぷりあり、日程なんてあってないようなもの、という長期旅行者には、スリリングな楽しい旅行になるかもしれないが、日程が限られていて、必ず予定通り日本に帰国しなければいけない旅行者は、利用はなるべく避けたほうがいいかもしれない。直行便というスバラシイ響きに惑わされないよう、くれぐれも気をつけてほしい。

* かなり主観も入りましたが、RAとの利害関係は無く、遅延の事実を書いたつもりです。

ダサイン祭9日目(ナワミ)にバイクにプジャをする



ダサイン9日目の今日は、機械類にもプジャをする日。

この日は、私のスクーターにも、毎年プジャをしてもらっている。今回も、知人の父親であるヒンドゥ教お坊さん(司祭師)の家に前日から泊まりこみ、翌朝プジャをしてもらってきた。

プジャにそなえ、昨日夕方、家の者が私のスクーターを近くの川で洗車してくれた。カトマンズ市内の川は聖なる川であっても大量のごみが捨てられ、ドブ川可していて、悪臭を放っているところが多いのだが、カトマンズから20kmほど離れたこの村に流れる川には、とてもきれいな水が流れている。しかも、雨期があけたばかりで水量も豊富。なんとも、効率的な洗車方法。



そして本日早朝、プジャ開始。

宗教の信仰度合いや、民族によってもプジャ方法は異なるようだが、ヒンドゥのお坊さん一家であるここでの方法は次の通り。

まず、交通安全を祈念し、『まんじ(卍)』(ただし、ネパールのまんじの向きは、この逆。ネパール語ではSwastikという。サンスクリット語も同じ)の模様を赤とオレンジの粉で描く。



赤と白の布を重要な場所に結び、その後、お経を唱えながら、聖なる水や花、色粉などを捧げる。

途中でオイルランプに火をつけ、火でまわりを清め、ほら貝をふき、悪霊を追い払う。

ココナッツをかち割り、その汁をスクーター全体にふりかける。プジャに使った聖なる色粉をお坊さんの手でおでこにつけてもらい、渡された聖なる水を口に含み、花を頭にのせ、勝ち割ったココナッツの一部を食べ、終了。



プジャ後は色粉やら花びらやらココナッツの汁やらで、スクーターはぐっちゃぐちゃ状態となり、どうも気に食わないのだが、とりあえずしばらくはこの状態で走らせることにしている。