2006年7月28日金曜日

裂けた袋の原始的再生法



厚手のビニール袋が必要になり取り出したら、底が半分裂けていて、使い物にならない状態となっていた。

丈夫な袋だったのにもったいない。仕方がないので捨てようとすると、待った!の声がかかった。裂けている底をふさいで、再生するというのだ。

どうやって?と思っていると、ろうそく準備して、との声がかかる。

ビニール袋の封(密封)をするとき、日本であればシーラーと呼ばれる機械を使うのが一般的だと思うが、こちらでは、業務用で大量に封をする必要がない場合などは、ろうそくの火を使ってビニールをあたため、熱でくっつけることがよくある。

底が裂けたビニール袋も、この方法で再生しようというわけだ。

原始的なこんな再生方法に、拍手!

裂けた袋の原始的再生法


厚手のビニール袋が必要になり取り出したら、底が半分裂けていて、使い物にならない状態となっていた。

丈夫な袋だったのにもったいない。仕方がないので捨てようとすると、待った!の声がかかった。裂けている底をふさいで、再生するというのだ。

どうやって?と思っていると、ろうそく準備して、との声がかかる。

ビニール袋の封(密封)をするとき、日本であればシーラーと呼ばれる機械を使うのが一般的だと思うが、こちらでは、業務用で大量に封をする必要がない場合などは、ろうそくの火を使ってビニールをあたため、熱でくっつけることがよくある。

底が裂けたビニール袋も、この方法で再生しようというわけだ。

原始的なこんな再生方法に、拍手!

2006年7月27日木曜日

野良猫サポートホーム?


うちの飼い猫、日中遠出をしているのか、顔を見ない日がよくある。

でも、夜間、餌を食べに家に戻ってきてはいるようだ。毎晩一応餌の準備だけはして置いておくと、翌朝、必ず減っている。

(屋外と屋内を自由に行き来できるように、一箇所常に窓を開けた状態にしている。鉄格子が入っているので、人は出入り不可能だが、猫なら自由に行き来できる)

3日ぐらい会っていなかったある晩遅く、餌をおいてある部屋から、食べ音が聞こえてきた。戻ってきたのか、と思って愛猫の名を呼び近づくと、見知らぬ真っ白の猫がいて、私と目が合って一目散に屋外に逃げていった。

あっけにとられてしまったのだが、正気に戻って考えると、なんとずうずうしい猫! 勝手に室内に入ってきて餌を食べ、逃げ去るなんて。

野良猫の間で「あの家に行けば、ウマイ飯が食えるぞ」などという噂が広がっているのかもしれない。その名も、ネパール名『Biralo Sewa Ghar』(猫サポートホーム)などとついていたりして。

毎晩減っていた餌は、実は白猫や他の野良猫がこっそり食べに来ていたからなのかもしれない。それはそれでかまわないのだが、目が合ったら愛嬌のひとつやふたつ、ふりまいてほしいところだ。

写真は、隣の家の敷地内で、他人の洗濯物の上に寝そべりくつろぐうちの猫。餌の食べ逃げをする野良猫も野良猫だが、他人の洗濯物の上でくつろぐうちの猫も、似たようなものかな。

2006年7月20日木曜日

チャンパデビ(チャンドラギリ方面)散策


ネパール旅行オフシーズンの現在。

あと2ヶ月ほどして、トレッキングのシーズンが始まると、ガイドたちは入れ違いで山に出てしまうため、なかなかカトマンズに集結することができない状態になるのだが、今の時期はみんな時間をもてあましている。

この時間を有効に使えないかと、経験の浅いガイドの訓練もかねて、トレッキングコースや市内観光場所などを、経験のあるガイドと共にまわってみる、という機会を作ってみることにした。

その一環が、先日のランタン方面トレッキングだったのだが、ヒマな時期とは言え、ガイドたちみんながあわせて長期で出かけるのは難しい。ということで、先日から近場のお出かけ訓練?をしている。

前置きが長くなったのだが、今日のお出かけ訓練は『チャンパデビ(Champadevi)』への日帰りハイキング。カトマンズの南西約15kmほど(古都キルティプルとカーリー女神をまつるダクシンカリ寺院の中間あたり)の場所にある、標高約2200mほどの小さな丘。女神をまつった寺院の跡が残る、静かな場所だ。




ハイキング開始地点は、カトマンズからバイクで約30分ほどの、ダクシンカリ寺院手前にある、ハッティバンリゾート(Hattiban Resort)。ここにバイクを止めて、松林の中を歩き始める。



すぐにカトマンズ盆地を見下ろせる眺めのよい場所に出る。もくもく浮かぶ白い雲、青い空、赤茶色のカトマンズ盆地、緑の森のコントラストがきれい。乾期であれば、北方面ヒマラヤ山脈が見えるはずのだが、雨期中なので雲に隠れてしまっている。

歩き始めて約45分。眼下に見える盆地がきれいで、本ルートをそれてみる。出発地点からずっとまっすぐ歩いていくと到着する小さな丘へ、ちょっと寄り道。その後、チャンパデビ寺院跡が残る丘を目指す。途中から雲行きが怪しくなり、霧雨が降り始めてきた。

目的地到着前の最後の上りをがんばって、チャンパデビ到着。地元の人の足だと1時間半ほどで到着できる距離なのだが、今回、だいぶのんびり歩いて、ここまで2時間の行程。




寺院跡には、シバリンガ(シバ信仰の象徴である像)やナンディ(シバの乗り物、雄牛の像)チャンパ女神としてあがめられている石などが残っている。でも、規模は非常に小さい。あまり知られていない場所ではあるが、毎年ビクラム暦の新年には、たくさんの人がお参りにやってくるそうだ。

お参りをし、下山間際になって、雨が本格的に降り始めてきた。寺院跡付近には、プジャができる屋根付の小さな場所が設けられているので、そこで雨宿りをしようかと言うことになったのだが、地面が雨にぬれると滑りやすくなり、ますます下山が大変になる、ということで、ぬれながらでも引き返すことに。

明るく見えていた下界にも、厚い雲が垂れ込めていた。




上ってくる時にも滑りやすかった道。雨でますます滑るようになっていて、私は5回も滑ってしまう。

蛭も出てきて、スニーカーの上から喰われっぱなし。足元だけではなく、お腹や背中まで喰われまくっているスタッフが自分の体から蛭を必死に引き離すのを見てみんなで笑っていたら、なんと私の耳の裏にも一匹吸い付いていた。なんてヤツ! 



歩いている間は気づかなかったのだが、下山後スニーカーを脱いだら、あちこち血だらけになっていた。まあ、雨期中のトレッキングの証ということで、誇らしく思うことにしよう。

寺院跡から約1時間かけて出発地点のハッティバンリゾートに戻ってきたときには、雨もすっかり上がっていた。カトマンズに戻る帰り道、後ろを振り返り、今上ってきた丘を見上げてみると、てっぺんは少し雲で隠れてしまっていたが。



ハイキング時間約3.5時間(休憩含)、往復移動約1.5時間の小旅行、これにて終了。

・・・

※10年後の2016年追記!

2016年8月に チャンドラギリ行のケーブルカーができ、新しい観光地が増えました!

2006年7月16日日曜日

犬も断食をするの?

明日17日から、ビクラム暦の4月・サウン月が始まる。

この月は、ヒンドゥ教徒にとって神聖なる月。昨年の記事 にも書いたのだが、シバ神へのプジャを特に熱心にする月。

生き物を殺すことも避けられる月で、ダクシンカリ寺院 (カトマンズから約30kmほど南に位置するカーリー女神をまつる寺院。生贄を間近に見られるとして旅行者にも知られている) を訪れカーリー女神に生贄を捧げる地元民も、減るという。

この1ヶ月は爪や髪の毛を切らない人も多い。

シバ神に祈りをささげる日とされている月曜日には特に、信仰を強める。シバ神がまつられる寺院(有名どころではパシュパティナート寺院)へ早朝からお参りに行き、日中断食をする人も多い。

前置きが長くなったが、今日の本題は、この断食にまつわる話。

なんと、ネパールには、菜食日や断食日を守る犬がいるというのだ。たとえば、サウン月の月曜日、断食をする日には犬も餌を食べなかったり、エカダシの日には肉を食べなかったりするらしい。ホント??思ってしまうが、結構人々はまじめな顔で力説してくれる。

でも、「本当にそういう犬を見たことがあるの?」と聞くと、「友達の友達が飼っている犬がそうらしい」、などと、眉唾もののハナシなってくることがほとんどなので、実際のところはどうなのか不明だ。

2006年7月14日金曜日

1年以上ぶりに髪を切った。20cmほど短くしたのだけれど、いつも結わえてばかりなので、見た目は何も変わっていない。

伸ばしっぱなしの私の髪。もう、10年ぐらい、背中~腰にかけてまでの長い髪型が続いている。子供の頃はずっとおかっぱ、その後ショートだったこともあったのだが、頻繁に美容院に行かなければ行けないことと、寝ぐせ処理が大変なことなど、無精者の私には面倒なことが多すぎて、伸ばすことにしたのがきっかけ。

ちょうどその頃、アジアを時々訪れていて、そこで、人工的ではないヘアスタイル(長い黒髪)を目にし、新鮮さを感じてしまったのも、伸ばし始めたきっかけと言えるかもしれない。

たとえば、髪留めなどを使わずに、器用に結い上げるネパールの女性や、長めのコームに髪をぐるぐる巻きつけてとめるミャンマーの女性。無造作にもかかわらず、凛としていてあこがれてしまった。

日本でインド舞踊を習っていたのだが、長い地毛は、通常は付け毛を使う発表会時のヘアアレンジ(後ろで長いみつあみを作る)にも役立った(笑)。

===

ちなみに、まっすぐそろえるだけのカット。近所の美容院で50ルピー(約80円)で仕上げてくれる。本日は、見習いの若い子がいて、練習してよいかというので、どーぞどーぞと快くざっくり切らせてあげた。

2006年7月6日木曜日

古着寄付6(とりあえず最終回)

~つづき~

ということで、去る6月16日(金)の第3回の寄付は、低額で値付けをして、購入してもらう形で行うことにしてみた。

ネパール人スタッフたちは、タダで頂いた衣類を販売してまで稼ごうとしている旅行会社と思われたら困る、と、値付けすることに拒否反応を示していたのだが、稼ぐのが目的ではなく、郵便局で支払う手数料を捻出するためと思ってもらい、何とか納得してもらった。

一部の衣類は、ガイドたちが帰省する際に土産兼寄付とするため、購入してもらったのだが、まだだいぶ残っている。今回は、山奥の村にもって行くことにこだわらず、都市部にある施設に寄付する方向で話が進んでいる。ネパール人身障者(下半身不随の女性)の知人から、彼女たちが活動しているグループで、衣類を低額で買い取り、更にそれを自分たちのグループ内で販売し、得た利益を活動資金や、他の身障者グループの寄付にあてたい、という申し出があったので、検討中というわけだ。

また、私たちのガイドがトレッキングに行く際に、現地で雇うポーターたちに、チップにそえて渡してもいいか、という案も出ている。

誰の元に、どのような経路で届いてもかまわないので、衣類を最後まで大事に使ってくれれば、それが私たちの望むところなのだが、そのほかにも、一方的に与える形にならないように、試行錯誤していきたい。

こんな中途半端な私たちの活動にも共感してくださり、過去衣類を寄付してくださった皆様、これから送付してくださる予定の皆様、本当にありがとうございます。

~終わり~

2006年7月5日水曜日

古着寄付5(物乞いに温かい飯)

~つづき~

一方的な支援をすることによって生じる受身体勢。

実は、実際に身近なところで、『服はただでもらうのが当たり前』という状況に遭遇してしまった。

村から出てきたばかりのスタッフなどを雇うことがあり、着の身着のままで出てきた彼らに、寄付していただいた服の中から、1回だけ、という限定で、何着かを作業着として与えたことがあった。

作業着とは言えども、突然、仕立てのよい服をもらえてしまった彼らは、しばらく経つと、いとも簡単に次の品を、しかも色やデザインまで指定して要求し始めたのだ。(苦笑)。

更に、彼らが仕事をやめるときに、彼らが残していった荷物の中から、私たちが与えた衣類が無造作に残されていて、ショックを受けたこともあった。タダでもらえたものだから、捨てるのも簡単だったのかもしれない。

ネパール語に、「マグネライ タトバート(magne lai tato bhaat)」ということわざがある。直訳すると「物乞いに温かい飯」。「物乞いなら、冷たいご飯をもらえるだけでありがたいと思わなければいけないのに、温かいご飯を要求するという身の程知らず」、というような解釈となる。

まさに、この諺を思い出してしまった。

もともと、こちらの人たちは、誰かに何かをしてもらって当たり前、与えてもらって当たり前、という概念を持っている人が多い。恩はあまり感じない。また、ダメもとで、何でもお願いしてみる傾向もある。

だから、デザインまで指定してみて、要望を聞いてもらえればしめたもの、程度の安易な考えだったのだろうが、それにしても、日本人の私からすると、非常にがっかりすることでもあった。

やはり、状況がどうであれ、タダで物をあげることは、受身の体勢を生み出し、物のありがたみを意識しなくなり、良くない方向に行ってしまうのかもしれない。多くのボランティア団体が、支援をする際気をつけるのがこれらのことだが、それを身をもって体験してしまったのだった。

~つづく~

太陽熱利用


うちの近所の通りに、先日からモモの屋台が出ている。気になって、見てみると、太陽熱で調理をできることを宣伝するのが目的で、販売していることが判明した。

熱心に説明してくれたので、思わず聞き入ってしまったのだが、太陽熱で調理まで出来てしまうというからすごい。

太陽熱といえば、ネパールでよく見かけるのが屋上のこれ。


ネパールでは、首都カトマンズとは言えども、お湯が出ない家は多い。一般家庭ではどんなに寒い日でも水シャワーが基本。水道が引かれていない家も多いから、水であっても出るだけまし。

小金もちの家や、外国人も割合快適に住めるような造りの家では、たいていお湯がでる場合が多い。が、電気代のかさむ湯沸し器利用ではなく、屋上に設置された太陽熱パネルを利用して、その効果で出てくるお湯であることも多い。ちなみに、今住んでいる私の家もそう。

太陽熱の利用、今の時期はもちろん、寒い冬でも、晴れている日には火傷しそうなほど熱いお湯が出てくる。太陽のありがたみを、実感してしまう。(そのかわり、真冬の雨の日には、太陽熱効果が期待できないこともあるのだが)

電気が引かれていない村などでは、太陽熱発電の電気を使用しているところも、最近は多いらしい。そういえば、先日行ったトレッキング中のロッジでも、電気は引かれていなかったが、太陽熱を充電することで利用できる電気はあった。

太陽熱効果は素晴らしい!

2006年7月4日火曜日

古着寄付4(帰省者の手に託す)


前回掲載の写真のように、スクーターで強引に荷物をオフィスまで運んだ後は、とりあえず倉庫と化している空き部屋に保管することになる。

その後、寄付作業へと移るわけなのだが、実は、たくさん衣類がたまったのはいいが、一体どのような方法で寄付をしていくのがよい方法なのか、ずっと悩み続けてきた。

大きな団体に全てを託し、有効活用してもらってもよかったのだが、大規模な組織への関与は、私のニガテとするところ。できるだけ、自分たちで、道を探してみたかった。

いろいろ考えた末、カトマンズから離れた場所にある村出身のガイドたちが帰省する際に、衣類を持ち帰ってもらい、村の学校なり、施設なりに寄付してもらう方法をとることにした。

しかし、一方的に衣類を届ける方法が、よい方法であるわけがない。

きっと、しっかりした組織でボランティア活動をしている人から見ると、『この手の中途半端な支援が、受身体勢を作りネパール人をダメにする』とか、『タダで配布するともののありがたみを忘れ、古くなったらまた誰かからタダでもらえばいい、というような価値観を生み出し、良くない』とか、いろいろつつきたくなる点も多いと思う。

でも、そいういう、結論の出ない議論を重ねて何もしないよりも、冬場、着る物があまりない人のもとに、寄付していただいたセーターが行き届いて、喜んで使ってもらえるほうがいいし、捨てられる運命だった衣類が生かされるほうがいい。

明確な方針は打ち出せないままだったが、とりあえず、帰省するガイドたちの手に託すことにしてみた。

どの衣類が誰の手に渡って、どのように利用されているのかを追えないのは残念だが、それこそ服一着以上購入できるぐらいの費用を使って視察に行って、証拠写真をとってその現像にまた費用をかけ・・・、というように、本来の目的以外のところに費用をかけて、報告を充実させるよりも、もともと村に帰省する予定だった者の手に託す方法は、誰に迷惑を欠けるわけでもなく、無理が生じるわけでもなく、悪いことではないはずだ、と判断したのだ。

ということで、第1回、2回の寄付は、主にこのような形で行ってきた。衣類を村に運んでくれた者の話によると、とても喜んで利用してくれている、とのことなので、その点においてはほっと安心した。

初めから完璧な活動をしようとは思っていないので、この方法がもしいけない方法だったとしても、衣類が無駄にならなかった点で、よしとすることにした。

あとは、受け取り側の受身体勢をどうするか?ということが一番の問題として残った。

~つづく~

2006年7月3日月曜日

古着寄付3(荷物の日本発~ネパール受取)

~つづき~



古着の寄付は、通常、日本から普通船便を使って送っていただく。船便の場合、5kg程度で約3000円、10kg程度で約5000円の送料がかかる。船便とはいっても、ネパールには海がない。日本を出発した荷物は、インドのコルカタを経由して、そこから陸路ではるばるカトマンズ入りするようだ。


日本発後、目安としては2ヶ月ほどでカトマンズまで届くのだが、インドやネパールの情勢が不安定だったり、陸路が封鎖されていたりすると、カトマンズ到着までの日数は延びる。最高5ヶ月かかって到着した例もある。が、しかし、とりあえず今のところ、途中で紛失することなく、無事に到着している。

ネパールには基本的に郵便配達システムがない。ハガキ1枚から、郵便局の私書箱までとりに行くのが一般的。小包も郵便局まで自ら赴き受け取ることになるのだが、すんなり受け取れるかというとそうではない。

ネパール語表記のたくさんの書類に受取人の名前や住所を書き込み、手数料を支払う。その後、郵便局内倉庫に保管されている荷物を持ってきてもらう。局員が忙しそうなときには、写真のように自ら倉庫内に入り、自分たちあての荷物を探すこともある。(紺色の服は私たちのスタッフ。あとは郵便局員)


次に、局員の前で荷物を全て開き、中身のチェックを受けなければいけない。内容物に関税がかけられるのだ。この関税は、たとえば私が自分宛に私物を送った場合でも、かかってしまう。

よく、旅行中知り合ったネパール人に、帰国後、洋服や電化製品を送ってあげる人がいる。厚意によるものなのだろうが、ネパール人にとっては郵便局での荷物受け取り時に、月収に近い額を関税として支払わなくてはいけなくなり、痛い出費となることも多い。関税分で、送ってもらった品物と同じようなものをネパールで買えることなどもある。

中身のチェック時には、局内のだだっ広くトイレ臭い部屋に用意された長テーブルの上で、局員に荷物をひっくり返される。衣類が丁寧に詰められていても、全く意味ナシ。中身をぶちまけられ、チェックされるからだ。物色されているような光景で、いつ体験しても、イヤな気分になる。

その後、局員に衣類の枚数をカウントされ、それに応じた関税がかけられる。たいてい一箱300ルピー(500円)ぐらいから。局員の機嫌によって、関税額がだいぶ変わるのはネパールらしい。

実は、ネパールでは、古着の輸入が禁止されているらしい。このため、古着を送ってくださる方の中で、「ネパールに古着を送っても、本当に大丈夫でしょうか?」と心配される方もいる。過去、一度も郵便局にてとがめられたことがなく、私たちも全く知らなかったのだが、もし違法であるならば、続けるのは良くない、と判断し、郵便局のお偉いさんに尋ねてみたことがある。すると、返ってきた答えは、全く問題ない、とのこと。というか、そういうルールを、お偉いさんも知らなかった。(個人単位で月に数箱受け取る程度であるなら、問題ないのかもしれない)

荷物を受け取り、オフィスの倉庫に運ぶ際に利用するのは、スクーター。ダンボール2個ぐらいまでなら、写真のように足元に乗せて強引に運べるのだ。さすがにそれ以上になると無理があるのでタクシーを利用するのだが、たいていスクーターで事済んでいる。


そういえば、スクーターの足元にダンボール2個を乗せ、2人乗りをし、後部座席に座った者が、ダンボール一個を抱え、ものすごい状態で運んだことも、過去にあった(笑)。私たち、ボランティア団体ではないので、必要経費は全て持ち出し。なるべく経費をかけないように、ということでこんな状態で運んでいる。

~つづく~

2006年7月1日土曜日

古着寄付2(衣類募集を思い付くまでの経緯)

~つづき~

では、そもそも、なぜ古着寄付を募りはじめたかというと。

私の日本の自宅にも大量にあるのだが、まだ充分に着ることがでるのに、押入れの中に眠ったままの衣類。中には、平気でゴミに捨てることのできる人もいるようだが、まだ使えるものを捨てるなんて、私には出来ない。

ネパールには、日本だったらとっくの昔にボロキレとして捨てられそうな服を普通に着て生活している人もいる。特別貧しいわけではなくても、(日本人の目から見れば)薄汚れた服を着ている人も多い。

以前、日本でもう着なくなった服を、こちらの人に渡したらどう活用してくれるのだろう?と思い、日本からこちらに大量に持ってきたことがある(送料をかけて送ると、その送料分で新しい服が何着も買えることがあるので、無駄な経費をかけずに大変な思いをして自分で運んだのだ)。

そして、失礼にならないよう配慮しつつ、ごく親しい知人に衣類を渡したところ、大変喜んでくれ、早速知人の家族や近所の人たちで役立ててくれた。

日本の押入れに入っていたらもう2度と日の目を見ることの出来なかった衣類たちが、こちらで生き返った姿を見るのは、かなり嬉しかった。

きっと、捨てるに捨てられず、困っている人は多いに違いない。母屋にて古着寄付の募集をすることを思いつき、記事を掲載。今では、月3~4箱、ネパールまで古着が届いている。当初は無駄な経費だと思っていた送料も、寄付者の方々に負担していただいている。『送料を負担してでも大切な衣類を役立てて欲しい』『国が変われば古着も再活用してもらえることを知った勉強代』などといっていただくこともあり、本当に感謝している。

~つづく~