2007年2月28日水曜日

ネパールバンダの日の遠出

全国規模ストライキ(以下、バンダと表記)の本日。普段であれば、1日家にいるところなのだが、本日は遠出の予定があった。

先日も少し記事にしたのだが、知人の息子の大事な儀式に招待されていたのだ。

バンダの日は、エンジン付車両の通行が妨げられる。訳あって走らざるを得ない状況の車両であっても、無差別な焼き討ちにあったり、投石されたりすることもある。

基本的に外国人は攻撃の対象にはならないのだが、ツーリストを乗せたタクシーでも投石されることはある。だから、こんな日は、ドライバーたちは自分の車を出したがらない。または、こんな日だからこそ、乗客の足元を見て、法外な運賃を支払わせることを条件に、車を出す。

今回招待されたのは、カトマンズの自宅から15kmほどのところにある村。いつもならバンダであっても、外国人である強みで、スクーターを走らせる。しかし現在スクーター故障中。公共交通手段はバンダの日は動かない。となると、どうやってそこまでいったらいいのか?と、少々心配していたのだが、まあ、何とかなるだろう、と、考えていた。

そして今朝。早朝であればバンダの影響もあまり受けないことも多いので、さっさとタクシーで移動しようと考え、いつも数台のタクシーが止まっている自宅近くの交差点へ交渉しにでかけた。

目的地まで無事に連れて行ってくれれば、多少運賃が高くなってもかまわない、と、かなり太っ腹なことを安易に考えていた。

念のため、『TOURIST』と書いた、自作の大きな紙を2枚用意しておく。



乗客がネパール人ではなく、外国人であることを車外からでもわからせるためだ。気休めにしかならない防衛策だが、一応準備しておいた。車を出してくれるタクシーがいれば、これを車体の前後に貼ってもらうつもりだった。

自宅近くの交差点には、今日も、何台かのタクシーが止まっていた。ドライバーを呼んで、タクシーを出してくれないかと聞くと、どこまで?と聞かれる。

ちょっと遠いんだけど、と目的地を告げると、「そんなとこまでいけるわけないじゃないか!今日がバンダだってことを、知らないの?」ととがめられてしまった。

「知ってるから、この紙も準備してきたんじゃないの」と、自作の紙を見せ、「ガイジンだから大丈夫よ。いくらでも出すからお願い!」と頼み込んだのだが、それでも嫌だという。

ガイジンだってよ、誰か車出す?と、他のドライバーたちにも声を掛けてくれたのだが、みんな、嫌だとのこと。

運賃はいくらでも出す、といっても車を出したがらないということは、本日のバンダは相当緊張感があるということなのか?

仕方なく家に戻り、15km離れた村まで自転車で行くことにした。

つづく (タイトルは変わりますが、内容はつづく)

バンダでもガイジンには優しい

つづき (タイトルは違いますが、前回のつづき)

バンダの日の遠出。タクシーは車を出すことを嫌がったので、仕方なく約15km(往復30km)の道のりを自転車で移動することにした。

バンダとはいっても、緊張感のないバンダの際には、車の走行もけっこうみられる。自転車は問題外で走行可。しかし、本日は、車もバイクも非常に少ない。緊張感の漂うバンダだったようだ。

道中、今回のバンダに賛同している若者たちの集団に、数箇所で自転車をとめらそうになった。実際、近くを走っているネパール人の中には、自転車から強引におろされ、歩かされている人たちもいた。

若者たちは態度も非常に横柄で、言葉遣いも悪かった。太い棒を振り回しながら、道を通せんぼする形で、通行を妨げていた。暴走族とかチンピラを思い起こさせる光景。

こういうとき、ネパール人に風貌が似ている日本人は間違えられて危ない。以前のバンダのとき、ネパール人ではないことがすぐわかるよう、ヘルメットをかぶらず、顔を出して(アイメイクもせず。黒く塗っているとネパール人っぽくなってしまうため)スクーターを運転していたところ、逆にネパール人に間違えられそうになったことがある。

その教訓を元に、本日は完全覆面(サングラスと、いかにも外国人っぽいマスク)&帽子で自転車に乗った。(帽子は外国人になりきるための必須アイテム。普段は現地人に同化できていることが多い私だが、帽子をかぶったとたんに、ツーリスト扱いされることが多くなる) 

しかも、カトマンズではあまり見かけないママチャリをこいでいるから、どこからどう見ても、外国人であるはずの本日の私。

「おい、アイツ、まだ自転車から降りてねーよ」「降りろよ」「パンクさせてやろーか」、という脅しに、完全無視状態で自転車をこぎ続けてみた。

「・・・あれ、ガイジンじゃないの?」「ガイジンだよガイジン!」「ヘロー!」と、突然態度を変える若者たち。チンピラみたいに棒切れ振り回しながら、へローってなんだよ。緊張感があるのかないのか、よくわからない。

こんな感じで、とりあえず今のところは、どんなに緊張感漂うバンダでも、外国人と見ると気が抜ける応対をされるので、助かっている。

強引に自転車から引きずり降ろされた現地人の横を、ゴメンね、バンダをなめてるガイジンで、と思いながら走りすぎて行った。

2007年2月25日日曜日

ホーリー祭開始

色水や色粉をかけ合って楽しむヒンドゥ教の祭、ホーリー。今年は3月3日(土)にあたる。

この日、今年は部分月食もあることを、ご存知だろうか?

これに向け、昨日2月24日からホーリー解禁(開始)となった。(水かけのみ。色粉、色水かけは、当日のみ可)。早速、昨日夕方、私を狙ったと思われる水風船が、私の身体をかすめる、という体験をしてしまった。

これから1週間、道を歩いていると、どこからともなく水風船を投げつけられる、という不快な(楽しい?)思いをしなくてはならない。

若者が多い大学などのそばを歩いていて、頭上からバケツで水をぶっかけられ、全身水浸しになった人も知っている。

特に外国人、それも、若い人は標的になりやすい。これからホーリー祭当日にかけてネパール入りする旅行者も多いと思うが、道で水風船を投げつけられても、決して怒らないように。そういう祭期間にネパール入りしたのだから、仕方ない。

いっそのこと、水鉄砲を購入し(この時期、どの店でも目に付くところに水鉄砲が並べられ、安価で購入可能)、水かけを楽しんでしまおう。

2007年2月23日金曜日

宗教的行事の小道具に『おにぎり』はやっぱりマズイ

熱心なヒンドゥ教徒である男性スタッフの息子(9歳)の、宗教的儀式が近づいている。

その儀式は、ブラタバンダ(bratabandha)という。ヒンドゥ教ブラーマン(ネパール語ではバフン)の家庭に生まれた男児が、この儀式を行うことによって、初めて、ヒンドゥ教徒として扱われるようになる、という、重要な儀式である。

この儀式の準備に追われている中、主役の息子が病気になってしまった。風邪をこじらせ自宅療養中。

儀式の準備に追われている中で、主役がこんなことになってしまい、当日は滞りなく儀式を終えられるのか、と、主催者である家族はやきもきしている様子。

しかし、この儀式だけは親の義務として、必ず無事に終わらせなければいけないのだと、彼はいつになく真剣に語ってくれた。

なぜなら、この儀式を行うことによって、息子をヒンドゥ教徒入りさせないと、自分が大変なことになる、というのだ。

どういうことかというと、彼(スタッフ)が死んだ後、自分のために葬式を執り行ってくれるのは、息子。しかし、この息子が、『ブラタバンダ』の儀式を済ませていないと、宗教的儀式を執り行うことができない。つまり、自分が死んでしまった時、自分の一番近しい身内の中で、葬式を行ってくれる人がいなくなってしまう。

葬式や法事の際にはいろいろなしきたりがある中で、『ピンダ』と呼ばれるご飯を丸めたものを、息子が亡き父に捧げる、という儀式がある。

しかし、息子がヒンドゥ教徒の仲間入りをしていないと、ボクが死んでも、ピンダさえも息子に捧げてもらえないんだよ、と、真顔で言うのだ。

それを聞いていて、あることを考えてしまった。

日本人が食べる『おにぎり』。これは、『ピンダ』に似ている。ネパール人から見ると、ニホンジンは、葬式や法事の小道具として重要な『ピンダ』に似たものを食べるなんて、と、怪訝な顔をする人もいるが、彼は、日本人との付き合いも長く、おにぎりを知っているし、食べたりもする。

で、どうしてもこらえきれずに、不謹慎ながら、ひとりで噴出しつつ、言ってしまったのだ。

息子がピンダを捧げられないような事態になったら、私がおにぎり捧げてあげようか?しかも、鰹節(マチャ)入りで。(マチャは厳密にはネパール語で魚を意味する。彼らは一応宗教上ベジタリアンでなくてはいけないので、魚も本来は口にしてはいけない)

すると、さすがにこのジョークはまずかったようで、真顔で言われてしまった。

いや、それはやっぱりまずい。

自分の死後、ピンダではなくおにぎりを、しかも、ヒンドゥ教徒でもなんでもない女に捧げられるシーンを想像したのか、本気で青ざめていた。

軽い冗談のつもりだったのだが、少々度が過ぎたようだ。

2007年2月22日木曜日

とりあえずデモしてみる?

毎年この時期~田植え前(6月頃)にかけては、何かとデモやバンダ(ストライキ)が多い気がする。

今年も、各種抗議行動やバンダが予定されているようだし、街では毎日、とりあえずデモしてみる?という感じのデモ隊を見かける。

デモ隊が通り過ぎるたび、それでなくても渋滞のひどい道は混雑し、ぐったりしてしまう。デモの目的、背景は毎年違うが、こうなるともう、田植え前の季節行事とでも思わないとやってられない。

昨日、今日と、見かけたさまざまなデモ隊は、それぞれが、好き勝手なことを要求していた。

たとえば、制服を着た、中高生ぐらいの年代の集団(200人以上はいただろうか)は、こう叫びながら街を練り歩いていた。

12年生(高校3年生に相当)まで、学費を無料にせよ~!

鉄製品を扱う集団(こちらも、200人以上はいた)の要求はこうだった。

停電時間をもっと短くせよ~!

12年間学費が無料になれば、それは楽になるだろう。鉄製品を扱う人たちにとって、停電が長いと仕事にならずやってられない、という気持ちもわかる。

しかし、デモ隊が通り過ぎるまで足止めを食らっている状況で、理論性に欠ける思いつきのような要求を延々聞かされると、正直うんざりしてくる。

2007年2月21日水曜日

ジョムソン空港雪かき光景その2



積雪翌々日の2月16日、カグベニ(約2800m)周辺。普段は、荒涼とした風景が広がる場所。

まだ誰も足を踏み入れていない雪景色と、ゾッキョの姿が、雄大さを強調している。

さて、この翌々日、18日のジョムソン空港除雪の光景、つづき。

昨日更新した画像は、ある程度雪が除去された後だったが、実際は、下の写真のように、軍、警察、空港職員総出で、地道にスコップでの除雪を続けていたとのこと。



いくら小さい滑走路とはいえ、これでは、除雪に5日もかかるわな、という感じだ。

2007年2月20日火曜日

ジョムソン空港雪かき光景



先日も話題にしたが、2月14日、カトマンズに60年ぶり以上の雪が降った。

めったに雪が降らないカトマンズ周辺でも降り積もったほどなので、トレッキング始発地点のルクラやジョムソン(いずれも標高2800mほど)では、0.5~1m程度の積雪となっていた模様。

この積雪の影響で、空港の除雪が追いつかず、ルクラ空港、ジョムソン空港とも4日間連日の欠航となっていたのだが(積雪前から天候不良で欠航は続いていたので、実際には1週間程度連日全便欠航となっていたことになる)、どちらも、昨日19日に除雪も終わり、運航を再開している。

昨日、ジョムソン方面へ行っていたスタッフがカトマンズへ戻ってきた。

ポカラ→ジョムソン移動時も、天候不良で1日欠航、ジョムソン着後に雪に見舞われ、トレッキングも1日延長、さらに、ムクティナート往復を終え、ジョムソンに戻ってきたはいいが、滑走路が使えないのでポカラに飛ぶことができず、予定よりも3日延びた行程となっていた。

除雪が終わるのを待っていたジョムソン滞在中、除雪風景を写真におさめてきていたので、掲載した。(2月18日に撮影したもの)

この写真は、すでに除雪が半分程度終わったところのもの。除雪車などないので、トラクター(というのか?)の先に長い丸太を置き、雪かきをしていた模様。

明日以降も、何枚かの写真を掲載したい。

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以上はジョムソン空港の話題だが、本日ルクラへ到着したガイドからの連絡によると、ルクラ空港滑走路以外の場所にはまだまだ雪が残っていて、非常に滑りやすく、歩きにくくなっているとのこと。

通常、アイゼンは不要なルートではあるが、ガイドの話によると、すでにルクラからの道のりで、軽アイゼンがあると歩きやすかったかも、とのことだった。

2007年2月16日金曜日

シバラトリの本日、約3kmの道のり中、20箇所の通せんぼ



本日は、シバ神にまつわる祭、シバラトリで祭日。

シバ神への賽銭と称し、子供たちが道を通せんぼして、通行人から小銭を寄付してもらう習慣がある。

本日、出先までの約3kmほどの道中、実に、20箇所ほどで、この、通せんぼに遭遇してしまった。



いつも、交通量のなるべく少ない抜け道(住宅街)を通るのだが、それがいけなかった。家々が密集している地域では、5mおきぐらいに、子供たちが通せんぼをして通行車両を待ち構えていたのだ。

たまたま私の財布には、昨日から5ルピー札が10枚以上入っていたので、困ったふりをしながらも、はじめは気前よく5ルピーずつ渡していた。

が、次第に小銭(小額紙幣)も尽きてしまった。

それでも、まだまだ通せんぼ軍団が控えている。

本当にもう、小銭がないのだ。ゴメンね、帰りにあげるから、通してね、といっても、子供たちは通せんぼの紐をあけてくれない。

ダメダメ、シバ神への賽銭もくれないの?と、シバ神の写真や生花を乗せたかごを、目の前に突きつけられる。

本当なんだってば、ね、帰りに絶対あげるから、と何度も懇願し、通してもらうこと数回。

中には、10歳ぐらいの、なかなか賢い子供もいた。よし、じゃあ、スクーターの番号控えておくからね!じゃないと、絶対に通り逃げするに決まってるんだから!などと言うのだ。君の将来、なかなか有望かもよ。

そんなこんなで、いつもの1.5倍ぐらいの時間をかけながら、やっと目的地にたどり着いた。

上の写真:見づらいが、写真に写っている50m程の道上3箇所で、通せんぼをしている。

下の写真:車とバイクの間には、青い紐が渡されていて、通せんぼされている。小銭をもらうまで、ずっとこの状態。

除雪が追いつかずルクラ便連日欠航

2月14日に、60年以上ぶりに雪が降ったカトマンズ。

カトマンズ周辺の2500m程度の丘の上でも雪が降り積もったのだから、トレッキング始発地点であるルクラやジョムソンでは、1~2mほど積もって当たり前。それ以上の場所では、新雪で歩行困難になるぐらい積もったのではないか?

ちょうど降雪当日ジョムソンからムクティナート方面へトレッキングを始める予定だったガイドからは、「トレッキングどころではなくて、ロッジのスタッフ、宿泊客総出で、雪かきに追われている」との興奮した声での連絡をもらっていた。

電話越しのガイド曰く、ロッジが押しつぶされそうなほどの積雪で、大変だったようだ。

時を同じにして、ルクラ方面でも積雪となった。その影響で、本日もルクラ便は全便欠航となっていた。かれこれ、本日で4日目の連日欠航。マウンテンフライトも数日間飛んでいない。

ルクラ便に関しての欠航理由は、悪天候に加えて、滑走路に1m以上の雪が降り積もってしまい、その除雪作業が追いつかない、というのが主らしい。

空港スタッフたち総出で、スコップでの除雪を続けているようだが、全く進んでいないらしい。

明日は飛ぶのだろうか?降雪後3日目、空港の除雪状況はどの程度進んだのだろうか?

ルクラ便を出している航空会社2社のカトマンズ事務所に連絡をとっても、『ここはカトマンズだから、ルクラ空港の様子はわからない』、と当たり前のように言う。こういうとき、ネパール人の対応は決まって無責任だ。

埒が明かないので、ルクラに直接連絡を入れて、積雪状況を確認した。シェルパ語訛りのネパール語を話す、現地のシェルパ男性曰く「空港の除雪は進んでおらず、まだ1m近く積もっている」という。

「明朝までに空港使えるようになると思う?」と聞くと、「ルクラよりも上では今日も雪がぱらついているから、明日太陽が出ない限りは除雪は終わらないだろうね」という。(ウチでも、すでに2日間ルクラ行きの欠航に遭遇しているゲストがいるので、気が気ではないのだ)

この調子だと、明日は確実に飛ばないだろう、と思っていた矢先、夕方から、カトマンズに再び冷たい雨が降り始めた。ルクラはまた雪になっているに違いない。

除雪が終わらないうちにまた降り積もれば、その後、太陽が顔を出して雪を溶かしてくれない限り、ルクラ便はしばらく(私の勘ではあと数日?)欠航が続きそうだ。

自然が相手だと、もう、ただ太陽が顔を出すのを待つしかない。

2007年2月15日木曜日

人の暖かさ

ネパールにもネパール人にも不満ばかりの毎日だが、何気ない出来事に、やっぱりネパールはいいなあ、と実感するときがある。

本日、久しぶりにスクーターで外出した。ガソリンが少なくなりかけていたので、しばらくは自転車移動に切り替えていたのだが、昨日1時間並んで満タンにできたので、久々に乗ることにしたのだ。

突然のカトマンズ盆地バンダ(ストライキ)であったため、街の交通量も少ないし、ガス欠の心配もなくなって、快適に走らせた。

が、出先からの帰り道、持病であるエンジントラブル発生。エンジンがかからなくなってしまい、途中から押して歩く羽目になってしまったのだ。

近くの修理屋にスクーターを残して帰ってもよかったのだが、ガソリン不足のさなか、見知らぬ場所に満タンにガソリンの入ったスクーターを置いていけば、ガソリンを抜かれてしまう恐れもある。

そう考え、いつも修理を頼んでいる、自宅近所の修理屋まで、押して行くことにした。

故障地点から家までは、徒歩でもあと15分ほどの距離しかなく、目と鼻の先だったのだが、途中、押しては絶対に登れない急坂(*)がある。やむなく、平坦な道を選び、徒歩でも30分ほどかかる道を、重いスクーターを押しながら、約1時間かけて歩いて帰った。

* 急坂:年齢がばれるが、20年以上前、ドリフターズの8時だよ、全員集合、という番組があったのを知っている方もいるだろう。その番組の最後のほうで、ドリフのメンバーが、急坂を駆け上るコーナーがあったことを、覚えている方はいるだろうか?

助走をつけても、急坂を登りきることができる出演者は少なく、駆け上がっては滑り落ち、また駆け上がっては滑り落ち、ということを繰り返し、笑いを呼んでいた。

子供心に、あの急坂を駆け上ってみたい、と、思っていたのだが、まさに駆け上っては滑り落ちる体験を、自宅近くの急坂で、してしまったのだ。

その急坂は、距離は20mほどと短いのだが、勾配がハンパではない。スクーターの調子がよいときでも、坂のふもとで一度エンジンを思い切りふかし、助走をつけて一気に登りきる。エンジンが不調のときは絶対に登ることはできない。今までに何度も、途中まで登っては滑り落ちる、とうことを、体験している。

この坂を通ることができれば、自宅までもすぐ近くなのだが、重いスクーターを押して上がるなんて論外なので、仕方なく平坦な道を遠回りして帰ることにしたのだ。

途中、通りすがりの見知らぬ人たち何人もに、応援の言葉をかけてもらった。

ディディ(おねえさん)、どうしたの? エンジンかからないなら、こうやってみるとかかるかもよ、と、アドバイスをしてくれる青年。試したが、結局エンジンはかからなかった。でも、暖かい言葉がうれしい。

ナニ(おじょうちゃん)、大変だねえ。ワシも前同じ目にあって、1時間押して歩いたんだよ。わっはっは。と、自転車で私の横を通り過ぎていくおじさん。一言二言会話を交わした後、じゃ、お先に~と去っていった。

修理屋の前を通ったときには、ココでなおしていきなよ、と声をかけられた。もうすぐ家だから大丈夫、というと、そう?じゃあがんばってね、と見送ってくれった。

途中、スクーターの足元に乗せていた荷物が落ちてしまったときは、すかさず通りすがりのおばさんが拾って、戻してくれた。

やっと修理屋についたときには、汗はだくだく、腕も疲れて大変なことになっていたのだが、ささやかではあるが、普通の人の暖かさにふれて、なんとなく、優しい気持ちになれていた。

2007年2月14日水曜日

カトマンズに雪

冬は寒いカトマンズだが、雪が降ることはめったにない。

のだが、本日、カトマンズ市内は大雨。カトマンズ近郊では雪が降り積もったようだ。

綿のようなものが降ってきた、と思っていたら、どうもそれが『雪』というものらしかった、というのが、カトマンズ周辺に生まれ育った30歳知人(女性)の弁。カトマンズで雪が降ることは珍しく、生まれて初めて雪を見たそうだ。

カトマンズの隣町、パタン郊外に住む彼女の家周辺は、田畑が一面雪に覆われたとのこと。電話越しに、興奮して教えてくれた。

子供たちは『雪でシバ神の像を作って家の前に飾った』そうだ。シバ神の像?おそらく、日本人流に解釈すると『雪だるまを家の前に作って飾った』ということになるのだろう。ヒンドゥ教徒らしい発想で、電話越しに笑ってしまう。

私が住むカトマンズ市内では雪にはならなかったと話すと、雪が溶ける前に、貴女も明日、時間があったら雪を見にきなさいよ、とのお誘いまで受けてしまった。

空港でもぱらついていたようで、本日TG便にて到着したゲストも、貴重な日に到着できた、と喜んでくださった。

そう、カトマンズに雪が降るなんて、本当に珍しいことなのだ。

計画停電6-7時間日程(タメル地区)

明日2月15日から、新しい計画停電スケジュールに変わる。

毎日3時間だった停電が、6~7時間に増えるのだ。ただし、週1回のみ、停電無しの日もある設定となっているのが、中休みのようでおかしい。

旅行者が多く集まるタメル地区。これから春休みシーズンで、安宿に泊まる予定の旅行者も多いだろう。そういう宿には、発電機はない。停電時間は電気は使えないものと覚悟しておこう。

タメル地区の停電時間割は以下の通り。

日: 5時半~8時半、14時~17時
月: 5時半~8時半、14時~17時
火: 停電無し
水: 1時半~5時半、17時半~20時半
木: 1時半~5時半、17時半~20時半
金: 9時~12時、21時半~0時半(翌日)
土: 9時~12時、21時半~0時半(翌日)

湯沸かし器でのお湯が提供されるホテルでは、上記時間帯+1時間以内ぐらいまでは、お湯が出ない場合もあるので注意しよう。

2007年2月13日火曜日

忍び寄る恐怖の停電拡大

今日はビクラム暦11月1日。今日から毎日6時間の停電が始まるといわれていた。

前日からドキドキ。今までは毎日3時間停電だったのだが、+3時間分は、いったいどの時間帯の電気が消えるのだろうか?

はっきりしないままハラハラ過ごすのは嫌だ。朝、電気局に電話をし、本日からの新しいスケジュールを問い合わせた。

すると、電気局の職員は言った。今日から6時間停電のはずだったが、まだ停電スケジュールが決まっていないから、今日は今までどおり3時間停電だけだ、と。

では、6時間停電は、いつから始まるのか?ときくと、新聞に発表された翌日から開始だということを教えてくれたのだが、では、新聞にはいつ発表されるのか、ときくと、平然と、知らない、という。

電気局の人間ながら、責任感の全くない、いい加減な回答が、いかにもネパールらしくて困ったものだ。

埒が明かないので、電話越しに他の職員を呼んで来させた。そして、同じ質問をすると、『新聞に停電スケジュールが掲載されるのは明日(14日)、6時間停電は明後日(15日)から開始(の予定)』との具体的な回答が返ってきた。

明日の新聞(*)に計画表が掲載されていることを願う。

* たいてい毎回、停電の新しいスケジュールは開始前日に『ゴルカパットラ』(新聞)に公式発表される。ネパール語表記。

ちなみに、そのうち、毎日12時間停電というのも計画されているようだ。確か昨年も同じ時期に計画されているというウワサがあったのだが、情勢が悪化しているうちに、いつの間にか停電は回避されていたので、未体験。

毎日12時間停電。日本や他の先進国では、絶対にありえないだろう。生活自体が成り立たなくなり、混乱がおきること間違い無しだ。その点、ネパールでは12時間停電になっても、当たり前のごとく静かに受け入れてしまうのだろうから、順応性があるというかなんというか。

1日の半分は電気のない生活。いったいどんな風なのだろうか?不便だろうが、ある意味、体験の価値はありそうだ。・・・なんて強気なことを言っていられるのも、今のうちだけだと思うが。

2007年2月12日月曜日

咳にのむと良いもの

極度の乾燥と、埃、排気ガスで覆われたカトマンズの大気汚染などが原因なのだろう、空咳が止まらず1ヶ月以上たつ。

ネパール流・咳止めドリンクを作って飲むことにした。

日本でも、風邪や咳にしょうが湯などを作ってのむことがあると思うが、ネパール流はしょうが湯にマサラ(スパイス)類が加わる。

複数のマサラはネパール人のどの家庭にも必ずあるし、薬効成分もあるので、理にかなっている。

大量のしょうがとニンニクひとかけをすりつぶしたもの、カルダモンを軽くつぶしたもの、ターメリック粉末、鞘のままのクミンシード、ロベージを水に入れ、煮出して出来上がり。家になかったので入れなかったが、これに、シナモンとクローブを入れてもいい。

これを、冷めないうちにのむ。のどがスーッとして、咳が落ち着く。

2007年2月8日木曜日

自転車のこと

南ネパールの政治的混乱の影響で、ガソリンが不足している。

いよいよ市民にも影響が出てきたと見えて、街を走る車の数もだいぶ減った。毎日ガソリンスタンドからは、ガソリンをなんとしてでも手に入れようという人たちの、終わりの見えない果てしなく長い列が続いている。

私が普段足にしているスクーターのガソリンも、いよいよなくなりかけてきた。何時間も並ぶのも面倒なので、自転車(かごつきママチャリ)を、足に替えることにした。

廃車寸前で2年位乗っていなかったのだが、久々に倉庫から取り出し、昨日、大掛かりに整備に出した。本日から乗り始めてみたところ、交通量が少ないから、なかなか快適に運転できる。

ただ、かごつきママチャリは、明らかにカトマンズでは浮いている。笑いの種になりかねない乗り物といってもいいかもしれない。

そもそも、カッコいいマウンテンバイクならともかく、それ以外の自転車はカトマンズ人の感覚ではダサい乗り物という認識がある。

鍵が壊れているので、自転車を止めてスーパーにも入れないわ、とネパール人に言うと、そんなママチャリ、恥ずかしくて誰も盗らないから心配無用、と笑われてしまった。

2007年2月7日水曜日

シタモールという薬

『薬といえばシタモール』といえるぐらい、ネパール人の誰もが知っているといっても過言ではない薬、Paracetamol。主要成分はこれ

鎮痛解熱作用があり、どこかが痛むとき、風邪をひいたとき、熱が出たときなど、迷わずこの薬を飲む人は多い。

私も、2度ほど熱が出たときにのんだことがある。その効き目は恐ろしいほどだった。このため、それ以降服用は避けていたのだが、ここ何日か、頭とのどがどうも痛くて、とうとう飲んでしまった。

通常、一度に1~2錠をのむこととされている。しかし、あえて、1錠の半分しかのまなかったのだが、それでも、恐ろしいぐらいに効いて怖くなってしまった。

2007年2月5日月曜日

恥ずかしながらまたもや延期

2月4日~7日まではブログ更新、メールの返事ができません

と、先日ブログとHPに更新していた。このブログをご覧くださっている読者の方ならご記憶にあるかと思うのだが、ちょうど2週間前、トレッキングへ行く予定を立てていて、出発当日の朝、バス会社のストライキのため移動ができなくなってしまった、ということがあった。その翌日もストは続き、私の休みとの兼ね合いもありやむなく延期としたのだった。

その延期分を、2月4日から予定していたのだが、恥ずかしながらまた延期せざるを得なくなってしまった。

今度は、突然の体調不良のため。

それまでずっと元気だったのだが、出発日前日の朝、突然悪寒を感じた。激しい運動をした後でもないのに、体の節々が痛む。明らかに風邪の前兆という感じだ。

でも、翌日からは延期分のトレッキングが控えている。今回を逃すと、今度はいつ実施できるかわからない。ということで、体調不良には気づかないふりをして1日過ごしていたのだが、夜になるにつれてますますしんどくなり、熱も出てきた。

1日寝ればたいてい良くなっていることが多い私の風邪。念のため、普段めったにのむことの無い薬も服用し、早めに布団に入った。が、残念ながらよくならず、またもやトレッキングは延期に。

前回は、バス会社のストによる突然の延期。そして今回も、予期せぬ体調不良による延期。

これは、ゴサイクンダ(今回のトレッキング目的地でヒンドゥ教の聖なる地ともされている場所)に今、行ってはいけない、という、神の思し召しなのかと、正直思ってしまった。

科学的根拠が無いことは信用できない、よくもわるくも現実的な考えしかできない一応理系出身の私なのだが、この国に暮らしていると、自分の意思とか科学の道理とかでは説明のつかないところで動かされている(生かされている)ような状況を感じることがときどきある。おおげさだが今回もその一種なのか?

それはそうと、前回、今回と共通していえるのは、それまで良かった天気が、この期間だけ悪くなっている、ということだ。前回も、予定していた4日間はずっと曇り空だったのだが、今回も、雨が降り出しそうな天気が続いている。

いずれにしても、今回トレッキングを実施したところで、おそらくヒマラヤの眺望は期待できなかっただろうから、無理して実施しなくて正解だったのかもしれない、と思うことにした。

2007年2月2日金曜日

南ネパール(タライ)地方混乱の影響はここにも

南ネパールのタライ地方が政治的混乱に陥っている。

陸路なども封鎖されているようで、インドからの物資が入りにくくなっている。

カトマンズの庶民生活には治安的な影響はほとんど受けていないが、ガソリンや調理用のガスなどが不足し始めている。

昨日、いよいよバイクのガソリンタンクが空になりかけてきたので、あいているガソリンスタンドを探し、ガソリン待ち長蛇の列に並んだ。

平気な顔して横入りしてくる現地人をなんとかかわし、それでも、10人ぐらいには横入りされながら、待つこと1時間。やっと番が周ってきたのだが、1人200ルピー(約320円3リットル)までの制限があり、満タンにはできなかった。

その日の夕方、インド人経営の軽食堂に立ち寄った。

軽食を食べて会計を済ませた帰り際。

こちらの人たちがローカルレストランで食事をしたあと必ず口に入れる、アニスシードという種子がある。ネパール語ではスープという。見た目、クミンシードに似ている。消化促進作用があるとも言われている。



通常、会計の横に、爪楊枝、ネパール語でスパリと呼ばれるびんろうじゅの実のかけらと共に大量に盛られていて、自由にとって口に含めるようになっているのだが、今日は一粒もない。

要求すると、店員のインド人が苦笑してこういった。

タライバンダ(タライのスト)の影響で、入ってきてないんだよね。

嗜好品だからなければないでなんら不便はないのだが、こういう些細なところにも影響が出始めると、なんとなく身にしみる。

2007年2月1日木曜日

靴磨き屋さん



街中にどこにでもいる、靴磨き&修理屋さん。

そういえば、最近靴が埃だらけで気になっていたのだ。久しぶりに、靴磨きを頼んだ。

靴の埃を払ったあと、大小数種類のブラシを取り出し、念入りに磨いてくれる。

いつも、彼らの仕事振りを見ながら、そうか、靴はこうやって磨くときれいになるのか、と感心してしまう。

工程を覚えて、自分で挑戦しよう、と思いつつも、彼らに頼んだほうがきれいになるし安いので、靴磨きはいつも街角の彼らに頼む。

10分ぐらいかけてじっくり磨いてくれて、〆てたったの10ルピー(約16円)也。チップを渡しても計30円程度。申し訳ないぐらい。