2007年3月30日金曜日

7年ぶりの春

私事ですが、昨日より一時帰国で日本滞在中。

初夏の気候だったカトマンズでしたが、こちら(横浜)も私にとっては半袖で過ごせそうな暖かい気候。

『桜』が地名につく実家周辺の桜並木は見事に満開。

7年ぶりの日本の春を味わっています。

2007年3月27日火曜日

上空からボダナートを見下ろす



カトマンズ郊外にあるチベット仏教寺院『ボダナート』。

機内から運良くボダナートを見下ろすことができると、曼荼羅のような光景に感動することがある。

3月26日、国内線にてポカラから戻ってきたスタッフによる撮影。

2007年3月26日月曜日

ジョムソン~ポカラ路線、強風注意



トレッキング発着地点ともなる、アンナプルナ方面の『ジョムソン空港』と、エベレスト方面の『ルクラ空港』。

どちらも一歩間違えば山に激突しかねない恐ろしい空港だ。

有視界飛行であるため、視界が悪いときはすぐに欠航となる。狭い山間を飛ぶため、強風の影響も強く受ける。

昨日ジョムソンから戻ってくる予定のスタッフがいたのだが、強風のためジョムソン~ルクラ間全便欠航。本日は定刻どおりの始発便(午前7時ジョムソン発ポカラ行き)に乗れたのだが、飛行中かなりゆれ、山の斜面を羽がかするのではないか、という怖い思いをしたらしい。

ネパールの国内線は、21人乗りの小型機で、コックピット丸見え状態。飛行中の強風の影響を受け、パイロットが『今日はこの便で終わりだな』と会話しているのが聞こえたそうだ。

つまり、第2便以降は欠航になったということ。日程に限りがあるトレッカーにとっては、ハラハラどきどきのジョムソン路線だ。

3月26日、スタッフによる撮影。

2007年3月24日土曜日

初夏

今週に入って突然暑くなった。今度こそ、初夏だ。

夜10時の室温も、22度。暖かい。

2007年3月21日水曜日

ガソリン不足のカトマンズ

またガソリン入手困難な状況になっている。

あいているガソリンスタンドには、ガソリンを求める長蛇の列ができている。バイクなどは、数時間並んで1.5リットル(100ルピー:約160円分)しか給油してくれない。

本日乗ったタクシーの運転手が言っていた。タクシーは、数時間並んで10リットルしか給油してもらえないのだと。10リットルで、どのぐらい走るの?ときくと、1日ぐらいかな、といっていた。1日働いたら、翌日はガソリンスタンドに朝から並ぶ、そしてまたその翌日に働く、というローテーションで、最近は動いているという。

こんな状況のせいで、いつもの稼ぎの半分ぐらいしか得られないから、メーター料金にちょっと上乗せして料金払ってね、という。

ちょっとまってよ、そんなこというなら、私だって、こんな状況のせいでバイクのガソリンを入手できなくて、タクシーに乗る羽目になったのよ。あなたの稼ぎが半分になったように、私の出費は2倍になって困ってるのよ、と、掛け合いを楽しむ。

まったく、困った国でいやになっちゃうよ、と、運転手は嘆いていた。皆大変な状況であることはわかっているし、タクシー料金に多少上乗せしてあげたところで、20ルピー(約30円)程度だから、最後には気前よく渡したのだが、こんな状況がいつまで続くのだろう、と考えると、本当にうんざりしてくる。

2007年3月20日火曜日

タメルをどう歩くか

カトマンズ市内にあるタメル(Thamel)。旅行者なら必ず一度は足を踏み入れたことがあるだろう。

安宿、旅行会社、土産物屋、両替屋などが所狭しと隣接する、1k㎡程度のエリアで、バンコクはカオサン通りの規模をもっと大きくした感じ、といえば、訪れたことのない人も、なんとなくわかってくれるだろうか。

旅行者にとっては便利なエリアなのだが、私にとってはあまり好きなエリアではない。旅行者時代も、足を踏み入れたことはほとんどなかった。

今でも、できれば避けたいエリアなのだが、私たちの事務所がある関係上、そうも言っていられない。仕方がないので、スクーターに乗りヘルメット&覆面姿で、目的地へ(から)は直行直帰している。

無意味にぶらぶら歩くことは絶対に避けたい。理由は、タメル内で顔をさらしたくないから。狭いカトマンズ、狭いタメルでは、何度か通りを往復するたびに、顔を覚えられてしまう。それがウザイのだ。

さて、先日、タメル内の店を何件か訪れる用事ができた。いつものようにヘルメット&覆面姿でスクーター移動するには、距離が短すぎる。徒歩移動の効率がよいのだが、顔をさらして歩きたくない。

こんなとき、ネパール人のように雨傘を日傘代わりにさしてあるくと、顔も隠れネパール人っぽく見えるのでいいのだが、そのときはあいにく傘を持ち合わせていなかった。

このため、しかたなく深々と帽子をかぶって歩くことにした。普段と同じ格好をしていても、帽子をかぶっただけで外国人ツーリスト扱いされ、『ニホンジン?コニチワ~』などと声を掛けられる率は高くなり、ウザさは増すのだが、面が割れるよりかはいい。

話はそれるが、小中学生の頃だっただろうか。『究極の選択』というのがはやったことがある。知人同士でくだらない選択を迫り、迷う顔を楽しむのだ。
その中に、こういうのがあった。

500m先の場所へ行くのに、素っ裸でバイクに乗って移動するのと、下着だけつけて自転車で移動するのでは、どちらを選ぶ?

「猛スピードで移動できたほうが、人物を断定できないから、素っ裸でバイクのほうがいいかな」、という人がいると、「でも、赤信号に引っかかったらどうする?バイクだと信号無視できないけれど、自転車ならできるよ」と、どうでもいいことを反論するヤツもいた。

話を戻すが、タメル内を移動するたびに、この究極の選択を思い出してしまう。

ヘルメットだけかぶり(顔は見えている状態で)スクーターに乗るか、帽子とサングラスで覆面し自転車に乗るか、はたまた、傘を低くさしうつむき加減で歩くか。
私にとって、どれも究極の選択であることには変わらない。

2007年3月19日月曜日

ネパール旅行はやめましょう

また20日に、ストライキがあるようだ。理由は何であれ、とても困るのだ。

ストの日は、たいてい車を動かせなくなる。

空港~市内間の移動はどうする?非常時には、空港~市内間を結ぶシャトルバスが運航されるが、バックパッカーではない日本人旅行者は、突然のストで、突然車が出せないことなど、理解してくれないことも多い。なぜ、いつ来るかわからないシャトルバスを、ひたすら待たなくてはいけないのか、初日からストレスとなることも多い。

トレッキング始発地点まで、車で移動しなければ行けない場合、どうやって移動する?トレッキングを終了して、車で市内まで戻ってこれず、翌日の帰国便に間に合わなくなったらどうする?

日本人は、たいていギリギリの日程で旅程をこなす。その中の一日でも予定通りいかないと、すべての行程が狂ってしまう場合もある。

日本の価値観のままネパール入りすると、もうお手上げだ。予定通りいかなくて当たり前、だってここはネパールなんだから。などという無責任な言い訳はしたくないのだが、そうでも言っていないと、やってられないことが多すぎる。

予定通りいかないことが理解できないような人は、ネパール旅行は向いていない。秒刻みにことが進まないとイライラする人は、ネパール旅行はやめましょう。

2007年3月15日木曜日

ナガルコットからのヒマラヤ



カトマンズから東へ約32km。標高約2200mの場所にあるナガルコット。カトマンズ近くの展望台、朝日鑑賞スポットとしても知られている。

写真は、今朝、朝日鑑賞へいくゲストに同行したガイドによる撮影。

雲ひとつない東の空から朝日を鑑賞し、北にそびえるヒマラヤを眺め、カトマンズに戻る際、午前8時頃の風景。

一昨日まで雨が降っていたためか、特に空は澄み渡り、絶好の朝日&ヒマラヤ鑑賞日和だった模様。本日も夕方から雨が降ったので、明日のヒマラヤも、期待できるかも。

ネパール国内航空会社の信頼とは

ネパール国内線のカトマンズ~ルクラ線。

現在何社かが運航しているが、私たちでは、通常、比較的信頼性の高い2航空会の便を予約する。ひとつは、ネパール全土、約12箇所の運航ルートを持っていて、もうひとつは、就航1年目、ルクラ方面のみ2箇所限定で運航している。

口コミなどから、以前からある前者を無条件で信頼している旅行者は多い。が、私たちのここ半年の経験上、後者も非常にがんばっており、時と場合によっては、後者の運航状況のほうが安定しているという実感も得ていたので、後者に予約を入れることが多かった。

しかし、3月に入って、後者の会社のフライトスケジュールが大幅に乱れた。所有している飛行機のうち、一機が故障したということだった。天候がよいのにルクラ線がキャンセルになるなど、1週間ほどめちゃくちゃなフライトスケジュールとなっていた。

発券前の航空券に関しては、すぐに他の航空会社で予約を入れなおして事なきを得た。しかし、何組かのゲストは、スケジュールが狂ってしまった期間に利用を余儀なくされ、予定日のフライトがキャンセルとなったり、他の航空会社の便は順調に飛んでいるのに、それを横目で見ながら、長い間空港での待機を余儀なくされたり、という目にあうことになってしまった。

ほとんどのゲストからは、仕方のないこと、と多めに見ていただいたのだが、一組のゲストからは、帰国後、かなり厳しいお叱りの言葉をいただいた。

私たちがすすめた航空会社を使った結果、納得のいかない目にあうことになってしまったことついては、本当に申し訳なく思う。確かに、機体をたくさん所有していない航空会社を利用すると、今回のように一機が故障した場合、他の便に影響が出てしまうことは、わかりきっていたこと。RA便国際線が、いい例。

それなのに、それまでの運航状況が比較的安定していたために、予約を入れていた。このことに関しては今後見直しの検討が必要であると実感している。

それよりも、残念に思ったのは、こう書かれていたことだった。

(要約) マージン欲しさに、信頼のない航空会社を売りつけたのだろうが、もっと、客の意見を取り入れた経営をしろ。

そして、旅行者が現地の旅行業界に向けて発する、切り札である(と思われる)一言が、最後に書かれていた。

この事を、『地球の歩き方』に書こうと思う。

『マージン欲しさにダメな航空会社の便を売りつけた』といきなり結びつける発想に驚き、そして、残念に思った。投稿することで気が晴れるならぜひともしていただきたいと願うばかりだが、客の意見と、過去の状況から客観的に判断し、よかれと思ってしたことを、このように言われると、もうどうしようもない。

よくあることなのだが、足の引っ張り合いが好きな外野のネパール人が、根拠もない何かを吹き込んだのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。いずれにしても、フライト利用前は、非常に好意的にいろいろな質問をされトレッキングへ向かっていった方が、フライトがスケジュール通り飛ばなかったことを機に、一気にこのような心境になってしまったことが、残念で仕方がない。

話は変わるが、本日も、予定していたポカラ行きフライトが、キャンセルになってしまった。今回の航空会社は、ネパール国内線運航会社の中で、一番信頼の高い会社であったのに、だ。

こうなるともう、いったいどの航空会社がよく、どれがダメなのか、私にもわからない。どんなことでも起こりうるネパールで、1時間先の状況も突然変わるこの国で、いったい何を勧め、なにをダメだと判断するのか、難しい。回避できる自体は、あらかじめ回避しようと心がけているが、日本人の思う通りには、ネパールでは進まないことが多すぎる。

2007年3月14日水曜日

石楠花の季節



ネパールの国花・石楠花(しゃくなげ)。ネパール語でラリグラス。

トレッキングルートでは、すでに満開となっているようだ。

画像は、アンナプルナ方面トレッキングルートのゴレパニ(Ghorepani:標高約2800m)からシーカ(Shikha:1980m)へ移動する途中の景色。3月5日ガイドによる撮影。

2007年3月12日月曜日

いい香りの漂い方

隣の家のジャスミンの花が咲き始めた。

この時期になると、ジャスミンをはじめとする芳香性の高い小花が咲き始め、よい香りを漂わせる。

毎朝、花を摘んで、水をはった小さな容器の中に入れている。天然の芳香剤になる。

さて、いい香りの漂い方を、ネパール語では、magmag、と表現する。『ジャスミンのいい香りが、マグマグ(モグモグ)と漂う』というように。

花だけではなく、おいしそうな食べ物のにおいなどにも、使う。『キッチンからマグマグといいにおいがしてきた!』等。

日本語にも、いい香りが漂う状況に適する擬態語がありそうなのだが、思いつかない。いい香りは『magmag』漂ってくるほうが、しっくり来る。

2007年3月7日水曜日

ルクラまでの運び屋

時々話題にする場所、ルクラ(標高約2800m)。エベレスト街道トレッキングを開始するための空からの入り口(出口)がある場所。

カトマンズからの飛行時間は約20分程度なのだが、陸路で行こうとすると、バスと徒歩で、約1週間はかかる。カトマンズ~ルクラ間の大部分には、まだ車道が通っていないから、徒歩移動に何日もかかるためだ。

以前ルクラに行ったとき、予定していたカトマンズ発ルクラ行きフライトが悪天候のため欠航になってしまったことがある。その便に乗る予定だった乗客の中に、生鮮野菜や、何斤もの食パン入りダンボールを抱えている、地元のシェルパの人たちが何人かいた。トレッキングルート上にあるロッジに運ぶのだろう。

しかし、保存がきく食料と違い、野菜もパンも、日が経つほどに傷んでしまうものだ。ルクラ行きの便が明日も飛ばなかったら、どうするんだろう?と他人事ながら心配になってしまったことがある。運良く、翌日には飛んだから、鮮度が失われないうちにルクラへ運ぶことができたようなのだが。

さて、今月に入ってほぼ毎日、入れ替わり立ち替わり、ガイドがルクラ方面に出入りしている。そのたびに、定宿としているロッジからの伝言をもらってきては、次に行くガイドに伝えて、運び屋となっている。

たとえば、今週になってルクラのロッジへ運んだもの:インスタントラーメン30パック入りダンボール一箱、たまねぎ5kg、塩5kg、等。

たまねぎ5kgなんて、すぐに消費してしまうのでは?もっと運んであげてもいいのに、と、余計な気を回してしまうが、5kgだけでかまわないらしい。ロッジ側も、気を使っているのかもしれない。

今後も、ゲストの預け荷物の重量に影響しない程度に、頼まれ荷物をルクラへ運ぶことがあるかもしれないが、ゲストの皆様には大目に見ていただきたい。

* カトマンズ~ルクラ間国内線、預け荷物の重量制限は、1人当たり15kg。

2007年3月6日火曜日

春から初夏へ




ホーリー祭(3月3日)を境に、一気に暖かくなったカトマンズ。

本日夜8時頃、室内の寒暖計に何気なく目をやると、18度をさしていた。つい1週間ほど前まで14度しかなかったのに。さらにその1週間前は12度ほどしかなかった。

すっかり春、いや、日中は初夏といってもいいほどの気候となっている。(標高約1400mのカトマンズでも、日中は半袖でOKの汗ばむ陽気)

カトマンズでは、菜の花やすももの花が満開。

赤いサリー姿の女性たちの後ろに、満開の白い花をつけたすももの木。

その奥には、黄色い菜の花畑。

* 画像は一週間前のものです。

2007年3月5日月曜日

トレッキングルートに残る雪

今朝6時前、電話が鳴った。

まだ布団の中にいたのだが、あわてて飛び起き受話器を上げると、トレッキングへ行っているガイドからの電話で驚いた。

ネパール第二の観光地『ポカラ』。そこを始発とするトレッキングルートで、初心者でも高山病の心配がなくいける、『プーンヒル(3200m)』という丘を最高地点とするルートがあるのだが、その丘から、携帯電話を通して電話をしてきたのだった。

そんな山の中でも、契約会社によっては、携帯電話が通じるのだ。しかも、かなりはっきりと聞き取れ、山の中からの電話とは思えないほど。

それはいいとして、プーンヒルからガンドゥルンを周り、ポカラに抜けるルートを予定していたのだが、2月半ばに降った雪の影響で、ガンドゥルンへ抜けるルート上はいまだに凍結している箇所も多く、歩きづらいとのこと。急遽ルートを変更する(タトパニ方面へ下る)、という連絡の電話だった。

どの程度凍結しているのかは未確認だが、まだ雪の影響は残っているようだ。

3月3日にエベレスト街道から戻ってきたガイドの話によると、カラパタール方面でも、日が差しにくいルートでは、アイスバーンとなっている模様。アイゼンはつけなくても歩けるが、滑りやすくなっているようだ。

ただし、ルクラ~ナムチェ間の歩道の雪は3月1日時点で完全に溶けていたとのこと。

一昨日、ホーリーの日から急激に暖かくなったので、残りの雪が溶けるのも時間の問題だろう。

トレッキングルート上の雪を心配している問い合わせを何件かもらったので、お知らせもかねて、現時点の状況をご報告しました。

2007年3月3日土曜日

ホーリー祭と部分月食



ビクラム暦カレンダーの挿絵から。

ファグン月19日(3月3日)、満月の今日は、ホーリー祭。

この挿絵のように、水や色粉を掛け合って、外では大変な盛り上がり。

そして今晩は、部分月食もある。

厳密には、日が変わった4日未明3:15(ネパール時間。日本時間だと、早朝6:30頃)から始まり、3時間42分後に終了する模様。



何度かこのブログにも書いたことがあるのだが、月食や日食が与える人の運勢への影響、というものがあり、占星術表にしっかり明記されている。

それによると、今回の月食によって、運勢への悪影響を受けるのが、しし座。

一般的に知られている西暦生まれ月別星座ではいて座であるが、こちらの占星術師の判断ではしし座である私。

本日、気分的に最悪な日だったのは、もうすぐ始まる月食のせいかもしれない、と、責任転嫁することにする。

余談だが、3月19日には、部分日食もある。この日食で悪影響を受けるのはうお座。該当する人は、今から覚悟しておこう(笑)。

2007年3月1日木曜日

ヒンドゥ教男児の儀式



左の絵は、ビクラム暦カレンダー今月のページに描かれている挿絵。

ビクラム暦16日(2月28日にあたる日だった)は、ヒンドゥ教ブラーマン(バフン)カーストの男児にとって、重要な儀式を執り行うのにふさわしい日とされていた。

このイラストのように、男児は髪をそり、黄色い袈裟を着て、儀式の主役となるのだ。



知人の息子の儀式も、この日に行われた。

まだ9歳の彼だが、この儀式を行ったあとは、宗教的な決まりごとなども守っていかなくてはいけない。

彼が生まれる前、おなかの中にいるときから知っている身としては、他人の子ながら、成長をうれしく思う。

***

泊りがけでこの家を訪れる時、よく、「今晩はママの代わりになってあげるから、私と一緒に寝るんだよ」と冗談で言っていたことがある。

しかしいつも断られていた。

小さい頃は、夜寝るときママから離れることができず、最近では、照れも出てきてしまったためだ。

いつも、今度、という彼と、1つ約束していた。ブラタバンダ(今回の儀式)の前に一度だけ、ママの代わりに私と一緒に寝ようね、と。

この儀式を行ったあとは、まだ幼くても、ヒンドゥ教徒の男児として扱われる。彼にとって、ママのような年齢の私とであっても、一緒に寝ることはできなくなるから、その前に絶対ね、と、言っていたのだ。

しかし、残念ながらその約束も果せてもらえないまま、今回の儀式を迎えることになった。