ブログ移転のお知らせ

当ブログは、2021年12月より新ブログにて発信しています。新しい記事については 移転先→新日々のネパール情報 をご訪問ください!今後ともよろしくお願いいたします。

2015年12月31日木曜日

2015年のネパールを振り返る


今年2015年は、ネパールにとって激動の1年でした。

旅行業に携わる者としての視点から、大きな出来事3点を振り返ってみたいと思います。

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3月4日早朝、トルコ航空機のカトマンズ空港着陸失敗事故。

この影響で3月7日午後までの3日半カトマンズ空港国際線が閉鎖。ネパール入りできない旅行者、ネパールから出国できない旅行者であふれました。

事故の瞬間、事故現場からも近いヘリポートと上空にスタッフが出ていて、現場の生々しい様子を報告してくれました。


私ごとですが、この事故のちょうど1か月前に祖母が亡くなりました。その10日前に一時帰国からネパールに戻ったばかりだったこともあり、両親にも帰国しなくてよいといわれ、私自身そのつもりで一晩明かしたのですが、祖母との思い出を思い出すとやはりいてもたってもいられず。

出棺の15分前に斎場に到着する、という緊急帰国をしたところでした。

しかし、もし事故が1か月早く起きていたら、空港閉鎖で帰国するすべはありませんでした。

いろいろな事を覚悟して生きていかないといけないなあ、などと思っていたその一か月半後、

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4月25日、マグニチュード7を超える大地震発生。その後も大きな余震が続き、5月12日には再びM7越えの地震が。この間の事を思い出すと、言葉にできない感情が沸き起こります。

最初の地震から10日間、未明から夜まで記者の方に同行し各地周りました。たくさんの光景を見、その都度現場からツイートさせていただきました。

忘れられない光景がたくさんある中で、地震のことを思い出すたびにかならず浮かぶ光景が、冒頭の写真です。4月28日18時半過ぎ、救援活動が行われていたカトマンズダルバール広場を後にする際、ふと振り返って目にした夕焼け。地震が起きて、今、自分が非日常の中にいるということを、一瞬忘れたきれいな夕焼けでした。

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9月末から現在まで続いているのは、ネパールの新憲法に不満を持つインドからの経済封鎖。最初の1か月ぐらいは街を走る交通量も一気に減り、この先どうなってしまうのだろう、という不安に駆られました。

ガソリンスタンドは今もほとんど閉まっているままで、私自身、9月半ばに給油して以降、今日まで3か月以上一度もガソリンスタンドでは給油できていません。

しかし、一時期減っていた街を走る車の量も、今は平常時並みに戻っているのは、皆が闇ルートで燃料を入手するようになったから。闇で燃料を売り、平常時以上の儲けを得て、経済封鎖の恩恵を受けてほくそえんでいる人たちもいるのだなあと、実感させられます。

調理ガスがなくなり薪とかまどで調理する一般家庭やレストランも増え、風情を感じるものの首都カトマンズにとっては異常な光景は、今でもあちこちで見られます。

毎朝の通り道にある調理ガス販売店には、今朝(30日朝)もたくさんの人がガスを求めて群がっていました。


噂では、近日中に経済封鎖解除になるかも、ともささやかれていますが、どうなるのでしょうか?

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他にも、いろいろな事があった1年でした。

2016年は、災害や危機の無い平穏な1年であってほしいと、切に願います。

今年もありがとうございました。

2015年12月27日日曜日

ネパール製の車椅子


4月25日の大地震で倒壊した家の下敷きになり、脊髄損傷し下半身不随となったガイドの義妹サパナ(20歳)。


地震で何らかの被害にあい、何かを失った知人は多いが、そのほとんどが人的被害はなかった中で、若い彼女が失ったものは大きく、当時から気になっていた。

夏ごろ、リハビリセンターを離れカトマンズに住む親戚宅(ガイドのアパート)で暮らし始めた。

その彼女のもとを、本日訪問。

幼い日の事故により下半身不随となり車いす生活を送っている14年来の知人(ネパール人女性)と、彼女の夫(理学療法士としてネパールで活躍されている日本人)のご厚意により、ネパールで作られたという初の車椅子をサパナに届けるため。

車いす利用歴の長い知人によると、ネパール製の車椅子はまだまだ改善の余地が大ありだとのことだが、利用者の声を反映しながら、作り変え、乗りやすい物を目指していくそうだ。

そしてなにより、ネパール製の車いすは、故障しても自国で部品を調達できすぐに修理できるのが強みらしい。

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誰かに頼らなくては移動することもできず、また、外出する気持ちにもなれず、退院してからもずっとベッドの上で過ごすだけの日々だったというサパナ。

でも、この車いすで室内を動き始めることが、何かのきっかけになればいいなあと、心から思う。





ところで先日は、6月のブログを見て下さった読者の方が、彼女にお花のギフトを届けたい、とオフィスに相談に来てくださった。

日本で花に関わるお仕事をされているそうで、東日本大震災の際には、花を使った癒しのお手伝いもされていたとのこと。

親族を通して訪問の可否を打診。サパナ自身外出することにまだ抵抗があるが、訪問者がいると気分転換にもなるとのことで直接訪れていただいたところ、サパナもとても喜んでいたそうだ。ありがとうございました!

2015年12月19日土曜日

ささやかな手作り結婚パーティーと仲間たちの集い


数年継続で勤務してくれている、オフィスの女性事務スタッフ(ヒラ)が今月初めに結婚。

実家があるシンドゥパルチョウクの村(カトマンズから車で片道4時間)で結婚式と披露宴を行うとのことで、1か月前に招待状をもらっていたのだが、ちょうどオフィスが忙しく人手不足の時期とかさなってたこともあり、関係者誰も参列できず。

で、昨日、スタッフやガイドたちを集めオフィス屋上で手作りパーティー開催。



オフィス賄用の調理ガスも残りわずかで、近々かまど&薪調理に切り替えないとね、なんて話もしていたところだったので、これを機に準備も兼ねて、屋上に即席でこしらえたレンガのかまどで調理。


日本人だと、地べたの直置き配膳に抵抗を感じる人も多いかと思うが、これがこちら流。

パーティーとは言えども、勤務中の昼食時間を利用したささやかなものなので、ご馳走は簡素に、ヤギ肉、鶏肉のカレ―と、チウラ(乾し飯)、プラウンチップス、のみ。



参加したガイドたちに、お祝いの「カタ」をかけてもらい、カタに埋もれる新郎新婦。



今回はガイドたち20人ほどしか集まらなかったけれど、6月に実施した地震後の近況報告会ぶりに、にぎやかな時間を過ごす。

毎年1月に、こういう雰囲気で新年会を屋上で行い、その際、ささやかながらすべてのスタッフ・ガイドたちに「お年玉」を渡しているので、「まさかみんな、お年玉期待して集まってないよね?」「ご祝儀もらえるのは新郎新婦だけ!今日はキミたちが渡す役。お年玉は3週間後だから!」なんて冗談も出て、皆で沸いたりして。

2015年12月16日水曜日

続:I AM IN NEPAL NOW


一昨日(12月14日)、久々にスワヤンブナート寺院を訪れた。

入場カウンターで領収書と共に、I AM IN NEPAL NOW のステッカーも配布していた。

ガイドたちに確認すると、11月中は配っていなかったようだから、12月に入ってからの対応だろうか?



私が前回訪れたのは8月だったが、周辺の崩れた塔など、今も修復されることなく残っていた。仏塔は、台座のひび割れが相変わらず浮かび上がっていて、いびつな形が今も痛々しい。(写真の仏塔は一昨日撮影したもの)

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ところで「I AM  IN NEPAL NOW」には、どういう意味があるのか、という質問をツイッターでいただいた。

前回同じタイトルで当ブログに記事にしたのは8月。


地震で途絶えた観光客を呼び戻そう!という趣旨で始められた企画だった。

その後、地震とは関係のない、深刻な燃料危機に陥り、二重の打撃を受けた旅行界。

航空券や車代も上がり、レストランなどでも、調理ガスを闇で入手したり、薪調理に代えたりしたことにより、値上がりしている店も増えている。

それでも、こういう不利な状況を理解した上で、年末年始にネパール入りを予定されている方も多く、私たちのところでは、地震後久々に、例年並、いや、それ以上の予約が入っている。

秋のトレッキングシーズンはぱっとせず、地震後の片づけもあり村に帰省し多くの時間を過ごしていたガイドも多いが、12月に入ってから続々とカトマンズに戻ってきて、またオフィスがにぎわい始めている。

毎冬恒例の長時間の停電に加え、今年は燃料危機の影響で、さらなる不便を強いられそうなネパール旅行ですが、計画してくださるすべての方に感謝です!

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ところで1枚目の写真、背景を見て、スワヤンブナートではないことに気づいた方がいたら、かなりのネパール通かも。

スワヤンブナートを訪れた翌日、カトマンズ空港を訪れた際、空き時間に、駐車場で撮りました(笑)。

2015年12月12日土曜日

伝統服チョロを着せられた犬


寒くなってきているカトマンズ。

日中、日が差している中を動き回っていると汗ばむほどだが、日陰に入ったとたんに肌寒さを感じる。一日の中での気温差だけでなく、場所によっての気温差も激しい。

冬になり、服を着せられている犬を何回か見かけた。オシャレ着としてではなく、明らかに防寒用、といった感じで、どう見ても服は、犬用ではなく人間の幼児用。

先日オフィス近くで見かけたこの犬は、甚平に似たネパールの伝統服・チョロを着せられていて、思わず二度見し、立ち止まってしまった。

あたたかそうで似合っていてかわいすぎ!

2015年12月8日火曜日

薪でつくった揚げたてセルロテイ


自宅近所のチョウタラ(地元の人たちが集う、菩提樹がある休憩所)の脇にある掘っ建て小屋。

地元の小さなチヤ&セルロティ屋だが、いつも繁盛している。

しかし、ここでも燃料危機の影響をもろに受けていて、9月末以降調理ガスが尽き、セル作りを中止していた。



しかし昨日通りかかると、小屋の前にある空き地の隅にこしらえた小さなかまどで、セルを揚げる姿が。(右側にあるのは鶏小屋)

通勤途中に発見し、横目で見ながら50mほど通り過ぎたのだが、揚げたてのセルに惹かれ、道を引き返した。

聞くと、3日前から薪で再開したそう。普段でも美味しい、ここのセルロティ。薪で作ったのはさらにおいしいはず。食べないわけにはいかないでしょ!

ということで、オフィスの朝のお茶請け用に、購入。





セルロティとは、粗挽きの米粉が原料の、油の上にぐるっと液を垂らして揚げる、型抜きではない輪っかが素朴なドーナツ。

薪調理で苦労を強いられている飲食店には申し訳ないが、こうやって、平常時には食べられない、薪調理の美味しい食べ物を食べることができるのは、嬉しかったりして。

2015年12月4日金曜日

ネパール旅行関連団体の平和的ラリー



本日昼前からタメル周辺で行われた、旅行関連団体による平和的ラリー。

トレッキング協会、登山協会、観光協会、ホテル協会、ガイド組合・・・等々、他、多々ある旅行関連団体が団結し、観光業を盛り上げていくべく、カトマンズダルバール広場をめざしゆっくり行進した。




ホテル協会のバナーを掲げ歩いている人たちの中には、ホテル内レストランのシェフだろうか、シェフ帽をかぶり参加している人の姿も。



たくさんの人が、わきあいあいと、ダルバール広場を目指し歩く。




4月の地震と、9月末以降継続中の燃料危機で旅行者が激減しているネパール。

観光業・レストラン業に関わる人たちは、皆、口をそろえて言う。「地震の影響はそれほどでもなかった。今の燃料危機のほうがきつい。2001年王宮事件のあとも、その後マオイスト問題が勃発していた時も、ここまで客足は途絶えなかった。こんなことは初めてだ

でも考えようによっては、これら一度に起ってくれてよかったのかもしれない、と言う人たちも多い。

未曾有の出来事はすべて今年(※)降りかかってくればいい。地震、燃料危機、そして次に何が起きても、覚悟はできている。でも、すべて今年(※)で終わりにして、来年からはまた観光業に活気を取り戻したい、と。

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最近、今の気持ちやメッセージを書いた紙を掲げ、誰かに静かに訴える行動を、あちこちで見かける。

一見、誰に向けて訴えているのかよくわからず、何の意味があるのか疑問に思えるものも多いが、それでいいのだ。今年(※)初めから皆がずっと抱えている不安な気持ちを共有し、結束力を高め、今を乗り切る活力が生まれる機会になるのだから。

現に私も、写真を撮るためだけに出かけたら、ホテル従業員、フリーランスのガイド、同業者、などたくさんの知り合いから「写真なんて撮ってないで、一緒に行こう!」と声をかけられた。こんな状況だけど皆楽しそうで、明るい気分になりながら、オフィスに戻った。

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(※)今年というのは、ネパール公暦ビクラム暦の今年のこと。2015年4月半ば~2016年4月半ばまで。今年始まってすぐ(4月25日)に大地震が起きた。それ以降、皆、大なれ小なれ何かに不安を感じながら、日々過ごしている。

2015年12月3日木曜日

風情ある異常な光景


最近朝早く近所を歩いていてよく目にするもの。

道端で薪割をする人。
民家の庭先につくられた即席かまどからたなびく煙。
薪を運ぶ人々。

インドからの経済封鎖が始まったころは夏の終わりだったが、あれから2か月以上たち、季節は冬になった。

朝は、太陽が出るのが遅く、霧とまではいかないが、うっすらもやがかったような冷たい空気に包まれる季節。

そんな中で見かける、薪割をする人、たなびくかまどからの煙など、風情たっぷりなのだが、ネパールの首都カトマンズのほぼ中心部で見かける光景としては、異常だ。




庶民的なレストランではたいてい薪調理に切り替えているし、燃料が足りずバスルームへの給湯時間を制限している大手ホテルなども出ている。



明日から計画停電時間も増えるというし、燃料も電気も足りない今年の冬は、いつも以上に寒くかんじそうだ。

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写真上:大通りで見かけた、薪を運ぶ人。
写真中・下:調理ガスの代りに薪で調理するローカルレストラン。

2015年11月29日日曜日

バンダの貼り紙


 9月から続いているインドからの経済封鎖。

これに抗議する目的で行われた本日のバンダ(ストライキ)。
http://tokuhain.arukikata.co.jp/kathmandu/2015/11/1129.html

前日に、カトマンズ市内のところどころで見かけた、バンダ告知の貼り紙。わかりやすいし、目につくし、仕事早いなあ、なんてちょっと感心。


ところで、インドへの抗議目的なのに、ネパール全土でスト実施とかやや意味不明。大使館から来たお知らせにも、「インド政府・大使館への直接的抗議ではなく、むしろネパール人に更なる不便を生じさせる行動を取る意図は不明」と書いてあり共感。

バンダとか、抗議行動とか、抗議が先方に伝わる伝わらない云々ではなく、結束力を高めるところに、意味があるんだろうなあ。

2015年11月27日金曜日

人間の輪 ヒューマンチェイン


11月26日付で届いていた在カトマンズ日本大使館からのお知らせ。

「ネパール南部で学校閉鎖が続いている状況に抗議するため、学生を中心とするグループが、カトマンズ中心部の環状線リング・ロード全域で、「人間の輪」(ヒューマン・チェーン。参加者同士で手と手を結んで作る人の輪)を作る活動が行う」と。

カトマンズ市内トゥンディケル広場沿いでも、プラカードを掲げながら並ぶたくさんの学生たちに遭遇。

そのあと訪れたパタンでは、すでに人間の輪を作り終え、学校に戻る学生の集団が。




学生たちが持っていた手作りのボードには「生かさせて、そして、学ばせて」という言葉が書かれていた。

・・・とこの様な活動、カトマンズで参加した学生たちにとっては、イベントの一つでしかないだろう。動画を撮っていたら、楽しそうにはしゃいでくれ、「皆ネパリ!」と声をそろえて叫んでくれた。

この一体感は素晴らしいが、誰に向けて何を抗議しているのかが、今一つはっきりしない。

今の気持ちを書いた紙を掲げた、誰に向けて何を訴えているのかよくわからない静かな抗議行動が、先日来あちこちで見られている。一体感と満足感を得てハイ終わり、的な、自己満足的な意味しかないようなイベントが。

2015年11月22日日曜日

さつまいもと里芋を食べる日


本日、さつまいもと里芋を食べる日。

おかずとして調理されたものではなく、ただふかしたものを、塩や調味料等一切つけず、穢れていない状態で食べる習慣がある。

オフィスで用意してくれものには、オマケでじゃがいもも混ざっていたが。

2015年11月21日土曜日

公共車両いろいろ(バス、マイクロ、テンプー)


9月末から燃料危機に陥り、そろそろ2か月。しばらくは、交通量が激減したことを実感し、この先どうなるのだろう、と不安を感じていたが、その後も交通量が減り続けたかというと全然そんなことはなく、今でも一定量の車が走り続けることができていることに驚く。最近など、闇で燃料入手する人が増え、徐々に交通量回復しているような感じも。

正常時の交通量と比べれば少ないが、もとを知らない旅行者の方などから見れば、「これだけ車走ってて、どこが燃料危機?」的な感想を持つ方がほとんどではないだろうか。

(4月の地震後、悲惨な状況を覚悟してカトマンズ入りして、市内移動中、意識して探さないとほとんど被害を見つけられず、正直拍子抜けした、という感想を持った人が多いのと同じように)

闇での燃料入手が一般化し、これだけ車を走らせることができるのだから、もう正規料金のガソリンスタンドなんていらないのでは?と揶揄されているほど。

※写真1枚目:今週初めの市内の様子。バスの列は、この先にあるガソリンスタンドから続く列。この日は軽油のみ制限付きで供給されていた。




市内を走るバスやテンプー、マイクロなどの公共車両も、そこそこ走っている。

最近私も、ガソリン節約のため、時間と気持ちに余裕があるときは公共車両を利用し始めた。数年前に一度利用したのを除くと、最後に利用したのは12年以上前。当時運賃は5ルピーだったが、今は15ルピーになっている。

久々の利用再開に初心者並に緊張したが、コツを思い出したらけっこう便利。

先日は、タクシーで700ルピーと言われた区間を、マイクロ15ルピー(+徒歩5分ほど)で移動。安いのも魅力。

とはいえ時間帯や行先によっては激混みする公共車両。目的地行きのマイクロやバス、どれもとても乗れる状態ではなく、20台以上を見送ったことも。毎日こうやって混む時間帯に利用せざるを得ない人たちは大変だ。




※写真2枚目・3枚目:市内を走るマイクロ。通常13~14席あるところ、改造して15~16人ぐらい座れるようになっている。が、実際には、二席に3人は座り、身をかがめて立って乗ったり、全開のドアにぶら下がり状態で乗ったりもするので、激混み時は30人ほどは車内に乗り込むことになる。




※写真4枚目:テンプーの座席から見える景色。

助手席を除くと定員10人乗りのテンプーに、先日の利用時、1人、かなり太めの男性が乗ってきた。運転手がむっとした顔で「どこまで?」と。男性が「○○まで」と、ほぼ終点近い場所を告げると、運転手「ちっ」と舌打ち。小声で「二人分払ってよね」と。

1人で2席分使いそうなほどの太めの人にずっと乗っていられると、商売あがったり、というわけだ。




※写真5枚目:ちなみにこの運転手、女性だった。テンプーの運転手は、女性もけっこういるのだ。




※写真6枚目:燃料危機により足がなくなっている市民向けに、政府がカトマンズ市内無料循環バスを運行し始めた、というニュースを見かけたのは10月半ば頃。先週初めて一度だけ本当に走っているのを目撃。本数は少なく、乗車できる確率はかなり低そう。




※写真7枚目:夕方帰宅ラッシュ近くなった頃のバス。反対車線を走る4台のバスすべての屋根に、乗客が。本来交通規則では禁止されているが、今は状況が状況だけに、交通警察も目をつぶっている。

2015年11月19日木曜日

稲や籾を干す光景(バクタプル)


カトマンズ周辺、稲刈りも終わり、現在稲干光景が見られる季節。

先日訪れたバクタプルでも、むしろやシートに広げられた稲や籾があちこちに。



乾燥した秋空の下に広げられる、籾、籾、籾。



背景に写るテントは、4月の地震後に張られたもの。

空き家になっているテントもあるものの、いまだここで生活している人もいることが、テントとテントの間に洗濯ものが干されている様子でわかる。

そして、生活感のあるテントの周りに、稲の束と籾が広げられていたりして、地震後、生活の場をテントに移し、半年以上過ごしてきた地元の人たちがいることを、知る。

2015年11月18日水曜日

TBS「世界遺産/放送20年スペシャルI 自然が変えた世界遺産」11月22日放送



TBS「世界遺産/放送20年スペシャルI 自然が変えた世界遺産」
11月22日(日)18時~
公式HP http://www.tbs.co.jp/heritage/
公式FB https://www.facebook.com/heritage.TBS
公式ツイッター https://twitter.com/heritage_TBS

9月に撮影コーディネートさせていただきました。

カトマンズ盆地内の世界遺産が、震災後どう変わったのか。私自身とても興味ある内容で、事前調査や撮影で各地じっくり周れたのはとても良い機会でした。

写真はパタンダルバール広場。9月14日撮影。屋外で元・クマリへのインタビューを予定していて、撮影中降ってきたら困るね、と空を見ていたら、案の定、大粒の雨が。

幻想的な様子が気に入り、携帯の待ち受けにしています。

(その後30分ほどで雨はやみ、無事インタビューも屋外で撮影できたのでした)

2015年11月17日火曜日

いまだ残るつっかえ棒(バクタプル)


昨日、約2か月半ぶりに古都バクタプルを訪問。地震で被害が大きかったエリア。

4月の地震からもうすぐ7か月。街並みのあちこちで目にするのは、未だそのまま残る地震の傷跡。

湾曲してちょっと押したら崩れそうなレンガ造りの建物と、それを支えるつっかえ棒の数々。




観光客も見学に訪れる、歴史ある孔雀窓周辺もこんなかんじ。

修復が始まっていて、つっかえ棒と足場で、近づきにくい状況になっていた。

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孔雀窓については、もう一つのブログ でも記事にしています。

2015年11月15日日曜日

パパド付き質素なダルバート


本日のオフィスの賄食。

何の変哲もない、質素なダルバートで、ご飯・ダルスープ・アブラナ炒め・トマトのアチャール、のみ。

だが、パパドが添えてあり、食欲をそそる。

パパドとは、豆の粉で作る薄いチップス。日本のネパール・インド料理屋などでは「豆のせんべい」と紹介されることもあるようだ。

塩味他、ブラックペッパーもかなり効いている。

これを、パリパリと砕いてご飯に少しずつ混ぜ込み、ダルやアチャールをからめて食べると味に変化が出ておいしい。

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9月末からの深刻な燃料不足で、調理用ガスがなくなっているレストランや家庭も多く、とうとう政府が本日よりカトマンズで薪を売り出し始めた。

薪は、地方の森から集めてきたもので、1㎏15ルピー、一家庭あたり最大110㎏まで購入可だという。

カトマンズの住人でも、村に帰れば薪で調理をするのが日常の人たちの方が多く、すでに薪調理に切り替えているレストランや家庭も多い。

とはいえ、政府の対応も、首都カトマンズで、ガスの代りに薪の使用を一般化する前提とは、、、。

そんな中、オフィスでも自宅でも、今のところ調理ガスの在庫はあり、食事づくりにストレスが出ていないのは本当に救われるが、燃料危機がいつまで続くかわからず、先への不安も多い。

2015年11月12日木曜日

牝牛の糞、牛たちにプジャをする日


ティハール祭4日目の今日は、牝牛、牡牛にプジャをする日(ガイゴル・プジャ)。

マリーゴールドの花に赤い粉をたっぷりつけ、それをスタンプの要領でポンポン牛に押し付け、飾ってあげる。

マリーゴールドの花輪も首にかけてあげるのだけれど、かけるそばからムシャムシャ食べ出す牛もいて、この光景はいつ見ても笑いが止まらない。



神聖なる牝牛の糞にプジャをする日でもある(ゴバルダン・プジャ)。丘に見たてこんもり盛られ、花できれいに飾り付けられた、今朝の牝牛の糞。

いずれも、カトマンズ近郊の村にて。



日没後、デウシ隊が歌や踊りを披露しに、家々をまわる。

私の自宅にも毎年、近所の地元男性集団がやってくる。印刷された予告状を事前に配り、当日は、楽器・スピーカー等すべて持参しての、大がかりなもの。

デウシ隊のライブの動画2本、日々のネパール情報フェイスブック版 にアップしました。

2015年11月11日水曜日

ランゴリ、ヒマラヤ桜、尼さんサイクリスト(今日見かけたものいろいろ)


ティハール祭ラクシュミプジャの日。富の女神ラクシュミを屋内に迎え入れるため、地面にきれいな模様と道しるべを描きオイルランプを灯す日。

ホテルでも、ティハール用装飾が見られ楽しい季節。このホテルでは、色付けした米で絵が描かれていた。



しかしティハールの華やかさとは裏腹に、フロントには「給湯時間の制限」を告知する紙が。バスルームでお湯を使える時間を朝夜4時間ずつに制限するとの知らせ。

今のところ燃料は足りているが、この状況がいつまで続くかわからないため、節約することにしたのだと。


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その後外出した先で見かけた、見事な桜!


ヒマラヤが起源という説もある、秋咲きのヒマラヤ桜。カトマンズでも毎年この時期に見られるのだが、そうかもう、そんな季節なのか、としみじみ観賞。




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桜の木の近くに、赤い揃いの衣装を着たサイクリストたちと、50台以上あるかと思われる白い自転車。

何かのイベントかしらと思い聞くと、皆、セトゴンパの尼さんたちだという。環境保全を訴え、各地僧院に寝泊まりしながら、インドを目指すのだという。数日後の出発に向け、練習をしているとのことだった。

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さて、オフィスに戻り、ラクシュミへのプジャを。


毎年恒例になっていて、プジャ後は、女性スタッフたちがバイロの余興を見せてくれる。

今年は、地震と燃料不足の影響で、例年と比べ物にならないほど時間のある日々を過ごしているのだが、そんな中、トレッキングから戻ってきたガイドたちも数人集い、プジャ後は久々にわいわいと皆でカジャ(賄食)を。アルコールの差し入れもあり、気付くとミニ宴会に。

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地元ネワール族団体がティハール祭とネワール族新年を祝い、タメルチョウクに毎年描かれるくランゴリ。

夕方ここを通って、高揚感とせわしなさを感じつつ家に帰るのが、毎年のこの日の過ごし方になっている。