ブログ移転のお知らせ

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2005年9月28日水曜日

カトマンズ近くのリゾート



カトマンズ中心部から車で約30分(渋滞に巻き込まれなければ)の場所(カトマンズ郊外)にあるリゾートホテル、『Gokarna Forest Golf Resort & Spa』に1泊してきた。

ボウダナート(Boudhanath)寺院の先、森の中を少し進んだ場所にある。

国王所有の広大な敷地内に、リゾートタイプのホテルと、18ホールのゴルフコース、スパ、ジム、アユルヴェーダのマッサージ施設などがある。

うるさくて埃だらけのカトマンズから、たったの数キロしか離れていない場所にあるとは思えないほど、緑が多く、静かで、気持ちのいい場所だ。カトマンズの喧騒を忘れさせてくれる。



ホテル内は、車椅子でも移動しやすく作られており、身障者用トイレもある。 (上の写真は、車椅子の絵がかけられた、身障者用トイレのドア)

安さばかりを求めるネパール旅行もいいけれど、ちょっと贅沢気分を体験したい人には、オススメだ。

ゴカルナのこのリゾートまでは、私の家から車(バイク)で約15分ほどと近い。しかし、さすがにバイクで乗り付けると、なめられる(ネパールって、そういう国なのだ)のはわかっている。そこで、トランスポートサービス会社をしている知人に、一番いい車、での送迎をお願いしたところ、往復ベンツ車を貸してくれた。

敷地内に入ると、鳥のさえずりが聞こえ、とても気持ちいい。なんとなく、チトワン国立公園内のロッジを訪れた時のような気分。排気ガスだらけの道を走ってきたとは思えない。



翌朝、部屋の外の中庭には、サルの群れがやってきていた。



窓を開けて写真を撮っていたら、一匹の猿が明らかに私を目指して突進してくる。怖くなって、あわてて窓を閉めると、ガラス越しに威嚇しはじめる猿。なんなんだ~。

と、こんなこともあったが、日常を離れてのんびりできた1日だった。

2005年9月25日日曜日

マサラ効果:ナツメグでトリップ?

スパイス(マサラ)の良く効いた食事をして、眠くなったり、だるくなったりしたことはないだろうか?

<マサラをたくさん使った料理はおいしい> → <おいしいと食べ過ぎてしまう> → <食べ過ぎると、自然に眠くなる> 

という、幸せな生理現象によるものだけではないのだ。

私が普段使うのは市販のバーラマサラ(12種のスパイスが混ざっているもの)。この中には、『ジャイファル』(英名:ナツメグ)が入っている。『ナツメグ』には、催眠、幻覚作用があるらしい。だから、大量に取りすぎると、だるさを感じたりするわけだ。

最近、動物性タンパクをとっていなかった私は、昨日無性にゴロゴロした肉の塊を食べたくなった。そこで、久々にチキンカレー(ネパール流)を作ることにした。

昨日は、気づいたら、いつも以上に大量のマサラを入れていた。(ネパール定食ダルバートを作るときにもマサラは使うが、肉料理のときは普段よりもたくさん使ってしまう気がする)

それに加え、マサラを肉になじませる段階で、たまたま残っていたもらいもののネパール酒も入れた。ナツメグとアルコールの組み合わせは、催眠効果を倍増させるらしい。

このせいだろうか、食後、立ち上がれないぐらいにだるくなって(でも、心地よいだるさ)、片付けもしないまま、しばらく横になってしまったのだった。 (今日になってもだるさが抜けないのは、どういうことだろう?)

ナツメグの影響はすごい。そして怖い。

ネパール人も、『マサラを大量に使った料理を食べると、眠くなる』ということを知っている。でも彼らは、科学的根拠があってこういっているわけではない。言い伝えや実体験から、ナツメグがもたらす影響を知っているのだ。

どうでもいいが、カレーを食べてトリップできる私、安上がりである。

2005年9月24日土曜日

ネパールにもいます

ネパールにはじめて訪れ、ヒゲヅラで濃い顔の、いい年こいたオトコ同士が仲良く寄り添ったり、指をからめて手を握り合ったりしながら歩いている姿を見て、ぎょっとしたことのある人は多いと思う。

自転車で、冬ソナよろしく、二人乗りをしている男同士(1人は横座り)もよくみかける。

同性愛者の国?と思ってしまいそうだが、彼らはただの友人同士。

(見るからに結婚前の)若い男女が手を握りながら歩く姿はまだまだあまり見かけないカトマンズだが(タメルでは必要以上にべたべたしているネパール人同士のバカップルも見かけるけど。たいていオンナのほうがありえないほどに肌を露出しているのが共通している)、男同士、女同士が寄り添いながら歩く姿は、よく見かける。

彼(彼女)ら、ホモでもレズでもない。深い友情が、このような形(寄り添いながら手を握り合う形)であらわれてしまうのだ。

では、本物の現地人ホモやレズはネパールにいるのかいないのか。

深いところまでは知らないが、いることにはいるらしい。

去年まで私が住んでいた家の30mほど先に、同性愛者(男性限定?)の施設があった。オトコなのに妙にしなをつくって歩く人や、女装した男性同士で手をつないで歩く人たちを、近所でよく見かけていた。

100人以上のゲイ(上記施設に関係している人たちが多かったようだ)が、祭りの日にあわせて女装してカトマンズをパレードし、存在をアピールすることもある。

この施設、ガイドブック『ロンリープラネット・ネパール版』でもしっかり紹介されている。

彼ら、ただ、女装趣味があるだけなのか、それとも、同性愛者でもあるのか。詳しいことは知らないが、いずれにせよ、ネパールにもその類の人たちがいるのは事実だ。

夜9時過ぎ、タメル入口あたりに行くと、女装姿でたむろっている男性たちを多数見かけることができる。

2005年9月23日金曜日

ダサインに向けて



ネパール最大の祭り『ダサイン』までもう少し。高い秋空に凧も舞い始め、なんとなく人々が浮かれ始める季節。

♪もういくつねると、ダサイン祭、という感じだ。

雨季も明けかけ、ダサインも近くなると、カトマンズ市内では、家の壁を塗り替えたり、庭をいつもよりもきれいにしたりする光景を見かける。正月前に、日本人が大掃除をする習慣と少し似ている。

私が住む家の隣でも、昨日から外壁を塗り替え始めていて、今朝見たら、作業も大分進み、今まで白かった壁が、緑色に塗り替えられていた。(ヘチマの花のバックにある家の色)

これが、とても派手な明るい緑色(エメラルドグリーン色?)。目がチカチカしてしまう。

注) 『チカ』というネパール語は、あまりよくない。ネパール人の前で、『目が <チカチカ> する』、などというと、近くにいる人たちは <チカチカ>だけを聞き取って、『なんて言葉を口走ったのだ!』という風に見られることがある。気をつけよう。

さて、カトマンズ市内にある家の壁の色は、レンガ色が圧倒的に多いが、白、クリーム色、淡いピンク、淡いグリーンなども多い。が、こんな派手な緑色は、見たことない。ちょっと、センス、悪いなあ。



ちなみに、私が住んでいる家の外壁は、淡いピンク色。今年は塗り替えないようだ(大家談)。

そういえば、以前知り合いだった13歳の男の子(日本人)が、ネパールに来たばかりの頃、『カトマンズの家って、ショコラケーキみたいだよね』と言っていた事があった。

そうだね、確かに、何となくメルヘンチックな雰囲気の家が多くて、ケーキっぽいよね。

私の家は、ストロベリーケーキ(バタークリーム付)ってとこかな。

2005年9月20日火曜日

ケーキ屋にて

2~3ヶ月に一度ぐらいの割合で、ケーキを食べたくなる。

こういうときは、たいてい体調もすこぶるよく、気持ちにもゆとりがあるときが多い。だから、なんとなく、ウキウキしながら、4~5つ星ホテルに併設するケーキ屋まで、ケーキを買いに出かける。

庶民向けの店で売られているケーキは、パサパサしていて、クリームも固まっていて、ケーキと思って食べるとマズイ(そういうモノと思って食べればいのだが)。だから、こういう日には利用はさける。

ウキウキしながら、ケーキ屋に入る。しかし、ケーキを買い求めている最中に、ウキウキ度はたいてい半減してしまう。

店員がケーキをショーケースから取り出すとき。

クリームがつぶれないように、とか、指で直接触れないように、とか、気を使ってくれているのはわかるのだが、最終的にはどの店員も、かなりの割合で、包丁の先をグサッとケーキの横(スポンジ部分)に突き刺してケーキを取り出すのだ。

このシーンはいつも、私をかなりがっかりさせる。

事前に、「包丁、ケーキに突き刺さないでね」と頼むのだが、店員は、たいていケロッとしながらこういう。「そしたら、どうやって、箱に入れればいいっていうの?」

結局いつも、スポンジに包丁が突き刺されることになる。

そして、その後、ケーキを箱の中に収める時。

この追い討ちが、私をさらにがっかりさせる。

箱の側面にケーキをひきつけ、包丁を引っ張りながら、ケーキをはずすのだ。クリームが箱の側面についても、店員はあまり気にしない。

代金を払う頃には、『がっかりしないためには、ウキウキせずにいつも冷静にいること』という信念?を忘れていた自分を戒める(大げさだけど)ことも多い。

2005年9月19日月曜日

醤(ひしお)

NHKワールドで、『醤(ひしお)』についての番組を流していた。

昔の人たちの食事に欠かせなかった、醤(ひしお)。実際に口にしたことはないが、食感はみそ、味は醤油のような感じであるらしい。

『醤(ひしお)』と聞いて連想すること。それは、私のネパールでの食生活。

母親の職種柄、幼少の頃から栄養のバランスについては気づかぬうちにすりこまれていたが、バランスさえよければ、オシャレである必要はないし、あとは特に関係なし、というような偏った考え方が、私にはある。

以前、奈良時代、平安時代の食事の様子を、写真付で掲載している本を見て、思わず笑ってしまった。私の普段の食事、奈良時代、平安時代のメニューと、なんとなく似ているのだ。

載っていたのは平安時代の紫式部の食事(推定)と奈良時代の庶民の食事、役人の食事の三種。

● 紫式部の食事

おかずの膳に、①むしあわび ②はまち切り身 ③香物(ナス、瓜)、④ゆでわかめ、⑤かぶの羹物(あつもの)

ご飯の膳に、⑥酢 ⑦清酒 ⑧白米の強飯(こわいい) ⑨塩、⑩醤(ひしお)または味噌

以上、ちょと豪華。

● 奈良時代の役人の食事

①白米の強飯(こわいい) ②漬物(なす、瓜) ③わかめ汁、④大根菜 ⑤なます ⑥みそ ⑦酒 ⑧すもも、枝豆、栗

● 奈良時代の庶民の食事

①玄米の強飯(こわいい) ②塩(あら塩) ③漬物(わらび、瓜)、④青菜汁

・・・紫式部と奈良時代の役人の、中間ぐらいのメニューが、私の普段の食事。

かなり質素。でも、昔の人も、この程度の食事で元気に生きていたことを考えると、贅沢しなくても、バランスよい食生活をしていれば、人間、健康に生きていけるんだな、と妙に納得し、嬉しくなったのであった。(まあ、昔の人は、短命だったけどね)

2005年9月18日日曜日

月の光

夜、いつもより、きれいな満月が出ていて、明るい光を放っていた。

月の光が強い夜には、いつも、『蛍の光』の歌を思い出す。

♪蛍の光、窓の雪、風情のあるこの歌詞。『電気がなかった時代の昔の人たちは、夏には蛍を集めて、冬には雪の明るさのもとで、勉強したんだよ』といわれても、この歌を覚えたばかりの子供の頃はあまりぴんと来なかった。

無数の蛍が集まると、本当に、電気の代わりになるくらいの明るさになると知ったのは、ネパールの村に滞在した時のことだ。

雪の明るさは、去年の冬にアラスカ(フェアバンクス)へ行った時に、実感した。フェアバンクス滞在中を色で表現すると、『青白い明るさ』がしっくりくるのは、窓の外の雪明りの印象が強く残っているせいだと思う。(幻想的なオーロラの色の印象も、もちろん強く影響しているが)

そして、話は戻るが、月の光。満月の日やその前後も、蛍や雪の光のように、明るい。

夜に停電して、その日がちょうど満月前後だったりすると、ロウソクをつけるまでの間は、カーテンを全開にすることで、明かりを取ることができるぐらいだ。月の光が、こんなに明るいとは、日本にいたときは感じたことがなかった。

特に今日の月は、普段よりも明るく、きれいだった。そうだ、今日は中秋の名月。きっとそのせいだ。

2005年9月15日木曜日

レンガ合戦は危険か?

ニューロード付近で、デモが連日続いている、ようだ。

『ニューロード』は、旅行者の多くが宿を取る『タメル』地区から直線距離で約1km程のところにある通り。

『カトマンズダルバール広場』や『クマリの館』あたりを観光していて、気づいたらニューロードを歩いていた、という旅行者の方も、多いのではないかと思う。

そのニューロードで、連日午後、デモが行われているらしい。

お決まりの『レンガ投げ』やら、『催涙ガス放出』やらも、繰り広げられているようだ。

さっきから、『らしい』とか『ようだ』と、断定していないのは、私が実際に見ているわけではないから。

近い場所で起こっているデモだけど、その周辺を通らなければ、ニュースでも見ない限り、全く気づかない出来事。

先日、このデモのことが日本の新聞に出ていたことがあったようだ。『たくさんの人が検挙されて、警官は催涙ガスを振りまいた』というような記述があって、『ネパールって危険。行ったら生きて帰国できないかも』と思ってしまった人も、いるようだ。

ちょうどその日、たまたまニューロード付近を通っていた私は、ああ、またレンガ合戦やってるな、と横目で見ながら、渋滞に巻き込まれないようにさっさとその場を離れた。

デモの横を通った私は、たいして危険を感じなかった。よくあることなので。でも、日本でこのデモのニュースを見てしまうと、身の危険を感じてしまう人も多いだろうなあ、と思う。

===

そういえば昨日、捻挫をしたスタッフに見舞いをするという口実でおしゃべりしに来ていた近所のホテルのスタッフが、午後3時近くなったころ、急にそわそわし始めた。そして、腕時計を見ながらこういった。

「そろそろニューロードに行かないと」

周りが、「今ニューロードに行ったら、デモの渋滞に巻き込まれるよ」と忠告すると、彼は、「そのデモを見に行くんだから、そろそろここを出ないと」と、いたずらっぽく笑うのだ。

仕事が終った彼は、ちょっとしたストレス解消のために、ニューロードのデモ隊にまぎれて、レンガ投げを楽しむという。その後、帰宅する予定だと笑うのだ。

冗談なのか、本気なのか。

まあ、いずれにしても、ストレス解消?のために、何かと口実を見つけてはデモを繰り広げ、レンガ投げを楽しむ人たちを見ていると、危険の認識度も薄れてくるのは事実だ。

干し米の山と曼陀羅



ネパールには、たくさんの祭りがあって、現地の人でも把握できていなかったりする。

特に、カトマンズ盆地を中心に自分たちの文化を築いてきたネワール族は、祭好きだ。

今日は、ネワール族が死者の霊を弔う日。似たような日(ガイジャトラと呼ばれる祭)が、1ヶ月ほど前にもあったが、今日も、ネワール語で『Mataiya』と呼ばれる祭(儀式)のある日で、夕方から、線香を持って街中を歩く行列が見られた。



街中に無数にある小さなお寺の前には、きれいなお供え物が置かれていた。

ネワール語で『Samaya Baji』と呼ばれるこれ。干し米(のようなもの)を山盛りに積んだ上に、色々な食べ物がきれいに並べられている。

タマゴ、チョエラ(水牛の肉を使った、ネワール族の得意?料理)、豆、菜っ葉、ジャガイモを調理したものなどなど。まるで、曼陀羅(マンダラ)みたいだ。

てっぺんには、巨大なバラ(ダルバートのダルスープに使う黒い豆をすりつぶしたものを原料として作るパンケーキのようなもの)も乗っている。こんな大きなバラ、食べ応えありそうだね。

その上には、口にタマゴをくわえた魚が乗っている。

どれも、(ネワール族にとって)、とびきりの供物ばかりだ。

普段は夜が早いカトマンズ。でも、今日は、夜10時を過ぎても、寺院周辺はにぎわっていた。

2005年9月13日火曜日

捻挫に効く(?)アレとは

昨日、ヒマラヤン・アクティビティーズの経営者が、階段から転んで右足首を捻挫した。かなり腫れており、痛いようだ。

先週末から、連日ピックアップがあり、彼が空港までゲストを迎えに行っているのだが、代理を立てられずに、痛い足を引きずりながら、出かけていく。 (しばらく『びっこひき』状態が続くと思う。明日以降空港に到着する予約者の皆さん、ねぎらいの言葉をかけてあげてくださいませ。笑)

以前、トレッキングに行かれたゲストが残して行ってくれた湿布を貼り、とりあえずしのいでいる。湿布のお陰で、少しはラクになったようだが、空港で、ゲストが出てくるまでの間待っているのがつらいらしい。

この姿を見かけた他の旅行会社や、近所のホテルのスタッフが、オフィスへ見舞い(も兼ねてのおしゃべり)に、続々訪れている。

見舞い客が、捻挫の主に言う。

「まだ痛むようだったら、アレ、[チプリキラ]、丸のみするしかないね」

「そうそう、1日でよくなるよ」

・・・チ、チプリキラを丸のみする? そんな、何のマジナイか、と思ってしまう。

[チプリキラ] とは、ナメクジのことなのだ。

以前のブログでも書いたが、こちらのナメクジは、やたらとデカイ。それを、生きたまま、丸のみするなんて。想像しただけでも気持ち悪い。でも、村のほうでは、ナメクジを、捻挫薬として飲み込むことがあるという。

さすがに、今日集まった見舞い(?)客(25歳~45歳の男女複数名)の中で、『ナメクジ丸のみ経験者』はいなかったが、「母がのんでいたのを見たことがある」などという話をし始めた彼らを見て、思った。昔の人の知恵は、ときにオソロシイ・・・。

が、何となく興味はある。しばらく様子を見て、足の腫れが引かないようであれば、試しに彼にものんでもらおうか。

===余談===

『ナメクジ丸のみ』、漢方で似たようなのがあるらしいですね。捻挫に効くのかどうかは不明ですが。

2005年9月10日土曜日



夕方、北東の空に、虹が出ていた。

写真には1本しか写らなかったが、二重の虹だった。

久しぶりに屋上に出なかったら、気づかなかったかもしれない。

一週間の中で、一番嫌いな土曜日の終わりには、いつも、イヤな1日を忘れさせてくれる、さりげなくいい出来事があるから、不思議だ。

2005年9月7日水曜日

車輌通行止め



道が通行止めになっていても、その知らせをあらかじめしてくれることはない。

通行止めになっている、その現場に、『この先車輌通行止め』という看板が出ていることがほとんどだ。

だから、通行止めの原因となっている現場まで、知らずに進んでしまう。

『この先車輌通行止め』の看板をどうせ出すのなら、もっと手前に出してくれればいいのに、と、いつも思う。

現場にたどりつきゃ、通行止めになってることぐらい、看板見なくてもわかるよ。

などと思いながら、今来た道を引き返す。

配慮の全くないシステムだが、腹を立てるのは外国人ぐらいだ。

2005年9月5日月曜日

刃物の渡し方

刃物を手渡す時、こちらの人は、たいてい、刃先を相手に向けて、渡す。

以前、刃渡り30cmほどの裁ちばさみを渡してもらったとき、刃先が思いっきり私のほうを向いていて、受け取る際に一歩後ずさりをしてしまったことがあった。

でも、相手の態度を見ると、(右手にはさみを持ち)、空いている左手はちゃんと右手のひじあたりに添えられていて、他人に物を渡す時の丁寧なしぐさをとっていたから、このギャップに苦笑した。

刃物の渡し方を、私は、2歳の時に学んだ記憶がある。なぜか、その時の記憶が、鮮明に残っている。

当時通っていた、保育クラブ(幼児を集めたサークルのようなもの)で、クリスマス会の準備をしていたとき、先生が教えてくれたのだ。

こうやって、日本では、子供のうちに、誰かしらが『刃物の渡し方』を教えてくれる。でも、こちらでは、刃物を渡す時に、刃先が相手に向いていると失礼、という認識がないから、大人になっても、ごく当たり前に、刃先を相手にむけて渡してしまうのだ。

刃が出たままのカッターナイフであろうが、包丁であろうが、私に刃物を渡してくれたことのあるネパール人たちの中で、刃先を私のほうに向けない渡し方をしてくれた人は、1人もいない。

ティージに必要な、この枝なあに?



明日から、女性の祭『ティージ』が始まる。

ティージ最終日の木曜日(8日)の早朝、出番が来る、写真の葉付き枝、なあんだ?

ダテュンと呼ばれる木の枝。

この枝を、365本に小さく折って、自分の歯にあてる(自分の歯を磨く)作業を、最終日の朝、365回繰り返す。1年間の厄をこれで落とすのだ。(解釈の仕方はいろいろあるが、厄落としの意味も1つ)

歯ブラシを使って歯を磨く習慣のない村では、このダテュンの枝を使って歯を磨く人たちも、たくさんいる。

祭&儀式前になると、必要なグッズが売り出されるアサン市場で、ティージに必要なグッズも、売られ始めていた。

===ティージって?===

『女性の祭』と言われるティージ祭だが、(簡単に言うと)既婚女性は夫の健康と幸福を、未婚女性は素晴らしい夫と結ばれることを願うワケだから、男性のために女性が祈ってあげる祭り、というほうが、適しているかな。

ティージ前日の今晩は、たらふくご馳走を食べる習慣がある。明日は、朝から夫のために断食をする女性たち。夫が許さなければ、唾だって飲み込まないぐらい、厳しい断食をする。

女性たちは実家に帰り、ティージ前日の夜を母親や姉妹と集う。そして、みんなでおいしいご馳走をたくさん食べ、楽しく過ごしながら、明日の断食に備えるのだ。

6日と8日にカトマンズにいる旅行者の皆さん、パシュパティナートに行くと、赤いサリーを着た美しい女性たちを、たくさん見かけることができます。

2005年9月3日土曜日

祝祭時に欠かせない物



あまくてカラフルなお菓子、ミタイ(Mithai)。

祝祭事のある日には、店の外にも色とりどりのお菓子を並べます。

今日は父の日。お菓子を持って、お父さんの顔を見に行きます。

2005年9月1日木曜日

医者とお祓い師

ネパールのお医者さんは、ウデもアタマもいいのだと思うけれど、どうも信頼できない点がある。

それは、検査をあまりせずに、適当に診断結果を出すことだ。そして、その適当な診断結果に基づいて、薬を処方する。

どの医者も、そうであるわけではないと思うのだけれど、私が当たる医者は、たいていそうだ。

[事例1]
3年前、右手に湿疹ができ、痒くてかいているうちにただれてしまったことがあった。自然治癒を願って、1ヶ月ほどガマンしていたのだが、結局よくならずに、ついに、皮膚科を訪れることになった。

患部を診た後の医者の診断。「ネパールの水が、君にはあっていないのだろう」。

それはそうかもしれない。でも、次に医者がいった言葉には、密かに笑い、あきれた。

「毎日、午前中の太陽に、患部をかざしなさい。太陽の光には殺菌効果があるのだ」

確かに、殺菌効果はあるかもしれないが、そんな民間療法みたいなことを、西洋医学を学んだ医者に、真顔で言われたくない。

その後、すぐに塗り薬を処方してくれた。しかし、診察もしないで、効く薬が、わかるのだろうか。皮膚を少しとり、顕微鏡で視るぐらいしてほしい。真菌が原因の可能性だってありえるのだ。

しかし、検査をするそぶりもなかったため、処方してもらった塗り薬を購入し、おとなしく帰ってきた。

薬に望み託し、使用したが全く効かなかった。症状は悪化するばかり。

数ヵ月後、日本に帰国する機会があり、帰国翌日朝一で、以前よく訪れていた皮膚科を訪れた。その際、ネパールで処方された塗り薬を見せると、日本の皮膚科医はこう言った。

「あなたの症状には、この薬は効きませんねえ。ところで、途上国では、まだこんな薬を使っているんですねえ。日本では、1960年代に当時の厚生省が却下して、使用禁止になった薬ですよ」

日本で使用が認められていない薬が、ネパールでいまだに使われていることについては、しょうがない。

ネパールで診てくれた医者は、私に、効かない薬をくれていた。これも、しょうがない。ここには、そういう薬しかないのだから。

しかし、あんな適当な診断で、薬を処方するから、こんなことになったんじゃないかと、不信感はぬぐえない。

[事例2]
3年前、チフスがはやっていた、雨季に入りかけのシーズンの出来事。

何となく下痢が続くと思っていたら、突然40度近い高熱(頭が割れるような頭痛あり)が出始めた。以前、パラチフスにかかったときの症状に似ている。解熱剤を飲んだが、効き目がない。これは、今流行のチフスかもしれない。つらさに耐え切れずに、病院へ行った。

診察室に呼ばれた。熱を測ってみましょうと言い、体温計を探す医者。体温計は、整理整頓されていない引き出しの中にあった。紙くずやら、聴診器やら、その他のガラクタやらと一緒くたになっていて、やっと見つかった。

次に、のどを見てみましょうといい、ベロを抑える器具を探す医者。これも、先述の引き出しの中にあり、ガラクタの中から、やっと見つけ出した。

まさか、このまま口に入れるのでは?と恐れていると、そのまさかの通り、医者は、何事もないように、私の舌にあてがった。

抵抗力が弱っている患者の口に不衛生な器具を突っ込むとは。

その後、医者は、たいした検査もせず、「熱も103度(約39.5度)近くあるし、のどもはれているから、今流行のチフスでしょう。チフスの薬を処方しとくから。それ飲んでもよくならなかったら、血液検査でもしましょう」と、言ったのであった。

確かに、チフスははやっているし、私の症状もチフスに似ている。でも、何を根拠にチフスと診断したのか。一度、強いチフスの薬を飲んだら、検査をしてもそうそう菌は出やしない。そうやって、多くの人たちが、チフスかどうかもわからないまま、勝手にチフスと診断され、チフスの薬を飲まされて、検査結果も偽陰性となり、長期間苦しんでいる事実を知っている。

病原菌が活発なうちの『今』の検体を、すぐ採取しないかぎり、何が原因の高熱なのかなど、うやむやになってしまう。

今となっては昔とった杵柄なのだが、大学病院で患者の検体を検査する専門職についていた私だ。器具さえ与えてくれれば、自分で自ら自分の検体を検査したいぐらいだが、そういうわけにも行かない。しかなたく、こちらの医者の言うことに従ってしまった。神にもすがる思いで、処方されたチフスの薬も飲んでしまった。

その3日後、薬が効いたのか、治る時期が来たのか、熱は下がった。

しかし、強い薬を飲んだせいで、肝臓がひどく痛み、だるく、今度はそのせいで起き上がれなくなってしまったのであった。

今でも、この時はチフスにかかっていたのかどうか、気になる。でも、いまさら確かめようもない。

[事例3]
今週の出来事。月曜日の早朝、ひどい発疹と微熱が出始めた。安静にしていればよくなるかと思ったが、夜になると症状は悪化した。発疹は一つ一つが大きくなり、つながり始め、熱は40度近くまで上がった。後頭部のリンパ節も痛く、頭が割れそうだ。

今回の発疹は、痒みは全くない。腹痛もないし、下痢もしていない。発疹が出始める約10時間前に口に入れた、久々の寿司(のネタである生魚)を、体が受け付けなくなっていたのか。(日本人の間での小さなパーティーがあり、握りずしやBBQを会場でたくさん食べていたのだ)

気休めにしかならないとわかっていたが、翌日医者にかかることに。

診察室に呼ばれ、医者と向き合うと、開口一番こう聞かれた。「前の日に何か食べたでしょ?」

熱もあって思考能力が弱っていた私は、医者に診断材料となる答えを素直に与えてしまう。「生焼けの可能性がある豚肉と、生魚」

すると、医者は鬼の首でも取ったように、「生魚なんて食べたの?そりゃもう、それが原因だよ。ダメダメ、そんなもの食べちゃ。検査するまでもないよ。薬だしとくから」という。

「でも、日本じゃ生魚を普通に食べてたし、食べたのはネパールの川魚じゃないわよ。それに、今までこんなアレルギー出たことなかったけど」と答えると、「過去は過去。日本のでも、ネパールのでも、生魚はダメ」と、決め付けている。聴診器もあてなければ、脈も診ない。 『生魚を食べた』ことだけで、検査もせずに診断結果を出す医者。

確かに、私も、久々に食べた生魚にアレルギー反応が出てしまったのではないかと思っていた。でも、根拠はない。だから、断定できない。それに、細菌や寄生虫感染の可能性だってある。

一応検査してもらえませんか? ときいても、「とりあえず薬あげるから、それが効かなかったら検査ね」と、取り合ってくれない。

薬を飲んでしまったら、偽陰性になってしまって検査結果など意味がなくなることを、こちらの医者は知らないのか?

結局薬は飲まなかった。昨晩、峠は越した感じだ。今朝は、だるさは残るが、熱は微熱程度に下がっていた。が、発疹は相変わらず全身にあるし、顔なんて、この世のものとは思えないほどボコボコだ。毒を盛られたウクライナのユーチェンコ大統領のようだ。しばらくはまだ、外出できそうにない。

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それにしても、こちらの医者は、どうして、検査もせずに、診断結果を自信を持って出すのだろう。そして、とりあえず薬を飲ませて、効かなかったら検査しようというのだろう。基本的常識に欠けている(と思う)。

今度体調を崩して、病院にかかりたくなったら、お祓い師のところへ行こうか。そのほうが、根拠なしでも信じられる分、ギモンが残らずいいかもしれない。