~ 昨日の記事『秋の果物・バンレイシ(釈迦頭)』 のつづき ~
昨日、事務所にてバンレイシをおやつに食べた。
中から、黒豆よりやや大きいサイズの種が、たくさん出てくる。ひとつのバンレイシから、20個ぐらいは出てくるかもしれない。
(この種、クワティ(複数の豆を使ったスープ)の中に入れたら、誰も気づかないかもね、などという冗談はさておき)、種を庭に蒔いたら、カトマンズでもバンレイシが食べられるかしら?という話をしながら、口から出した大量の種を、紙に包んで持ち帰ろうとすると、スタッフにあっさり言われてしまった。
穢れた種を蒔いても、芽は出てこないわよ、きっと。
このブログでも何度か話題に出したことがあるのだが、こちらには、ジュト(穢れ)の概念がある。他人が口をつけたものは穢れているとみなされ、カーストが上の者などは、自分より低いカーストが手をつけた食べ物、食器には、絶対に手をつけたがらない。
その概念に関連し、一度口にした種を蒔いても、芽が出ない(実はならない)という迷信があって、彼女はそのことを私に言ったのだ。
でも、この夏、マンゴーの種を庭に捨てていたら、あちこちから芽が出てきたわよ、と、得意そうに私が言うと、でも、絶対に実はつけないわね、と、断言されてしまった。
家に帰って、種を庭に蒔いておいたのだが、果たして芽は出るのか?そして、実をつけるのかつけないのか?それ以前に、カトマンズでは気候条件が適さず、バンレイシは育たないかもしれないが。
~ 余談 ~
高カーストに属するスタッフが、このやり取りを見ていて、冗談でこういった。
ボテニ(bhoteni:チベット系の女性の呼び方だが、時に差別的用語にもなる)の穢れた種からは芽が出ないかもしれないけれど、バフン(ヒンドゥ教最高カースト・ブラーマンのネパール語)の種なら穢れてないから、ボクの種を持ってけば?(カーストと穢れの概念を扱った、ブラックユーモアといったところか)
いいえ、遠慮しておきます。
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