ブログ移転のお知らせ

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2007年7月30日月曜日

サウン月の長雨とルクラ便欠航



しとしと雨が降り続いている。やんでも空はどんよりし、肌寒い(室温22度)。こんな天気が続いて、もう1週間以上たつだろうか。

延々降り続く(空から雨が滴り落ち続ける)様子から、この月の雨のことを、サウン月(*)の長雨というようなニュアンスで『サウネ・ジャリ』とあらわすのだが、まさにその名がぴったり合うような雨降りの日々。

*サウン月:ネパールの公暦・ビクラム暦4番目の月。7月半ば~8月半ばまでの1ヶ月。

ちなみに、カトマンズからエベレスト街道トレッキング始発地点となるルクラまで飛ぶ国内線は、雨のため1週間ほど連日欠航となっている模様。ポカラ便は大幅遅延しながらも何とか飛んでいる。

写真は、本日早朝出かけたカトマンズ郊外の丘から、田園風景を見下ろしたところ。小雨がぱらつき、本来見えるはずの2500m程度の丘も雲に隠れてしまっていた。

2007年7月27日金曜日

安全祈願のプジャ

昨日の続き

新しく買ったスクーターには、安全祈願のプジャ(儀式)をするのが、こちらの習慣。

早速、ヒンドゥ教の坊さん(司祭師)に当たる、知人の父親にお願いすることにした。



まずは、ブツブツお経を唱えながら、スクーターの前面部に卍(厳密には逆向きの卍)を描く。

傍らには、色粉、香、米、聖水、花びら、そして果物(今回はバナナ)等が載ったプジャセットが用意されている。



スクーターに粉や聖水を振りかけながら、プジャは進められる。

余談だが、以前も確か話題にしたことがあるのだが、私はこの機械物へのプジャに、いつも、どうしても引いてしまう。たとえば今回のようなスクーターへのプジャなどが終わった後は、色粉やココナッツの汁(聖水代わりに使う)で、一見すると、ドロドロ状態になるからだ。機械内部に入り込んで、影響はでないのだろうか、と不安になるのだ。 

だから、不謹慎ではあるのだが、ドロドロ状態にされないために、今回は軽く、色粉の使用も控えめに、ということでお願いしていた。

余談の余談。今年初旬の帰国時に、新しいパソコンを日本で購入し、こちらに持ってきたのだが、それを見たスタッフ(司祭師の息子)に、予想通り、真顔で言われてしまった。「パソコンにも、プジャしておいたほうがいいよ」と。

しかし、それだけは、勘弁してもらった。色粉や聖水をかけられて、パソコン内部の精密部分にふれて、かえって故障の原因になりそうだったから。

さて、余談で長くなったが、プジャはいよいよ佳境に入る。もっとも大事な部分、エンジン部へさしかかる。



・・・と、思わず吹き出しそうになる。

バナナ、そこに置くんですか?



エンジン部分に近い箇所は、念入りに。そして、大事なバナナもこの部分へ捧げる、というわけだ。

その後、スクーターの後部ライト上にもバナナが置かれてしまった。

真剣にプジャしてくれている知人一家には悪いのだが、(不謹慎だが)滑稽なスクーターの姿を前に、笑いをこらえるのに必死だった。

2007年7月26日木曜日

買い物

ついに買ってしまった。

今年に入って2番目に大きな買い物、新しいスクーター。(1番目の買い物は、帰国時に買い換えたノートパソコン)

スクーターといっても、こちらで一般的なのは、排気量約100cc程度の大きめのもの。

3年前から、2台を乗り継いできたのだが、どちらも10年以上の中古品だけあり、故障が絶えなかった。なだめすかしながら、だましだまし乗っていた。

しかし、いよいよ限界を感じ、昨日、カトマンズ市内のショールームを通りかかった際、即決してしまったのだ。スクーター自体の選択肢も少ないので、買うと決めたら、迷う余地はない。持っていた銀行小切手で、一括払い。約1ラーク(20万円弱)の買い物。日本とほとんど変わらないか、むしろ、高いぐらいの値段だが仕方ない。

保障期間2年、無料定期メンテ期間5年で、しばらくは安泰であることを期待したい。そのために、3台目にして、あえて新品を選んだのだから。

交通ルールの悪いカトマンズでは、車やバイクが接触するのは日常茶飯事。すれ違いざまにミラー同士がこすれる程度では、誰も何も気にしない。

道の真ん中を強引に走っている自転車が、前後左右の流れなどおかまいなしに突然ハンドルを切って、車体にぶつかってくることなども、よくある。無理やり車道を横断する人たちも、平気でぶつかってくる。それでも大事故が少ないのは、飛ばしても50km/h程度しか出せない道路事情のせい(おかげ)だろう。

今までは、もともと古傷の多いスクーターだったから、接触も気にせず、くるならいつでもかかってこい状態(それぐらいの意気込み出ないと、カトマンズでは運転できない)で強引に乗り回していた。しかし、さすがにこれからは、新車を傷物にしないよう、やさしく運転しようと心に決めた。

2007年7月25日水曜日

掃除用品売りとゴミ収集車



左手前は、掃除用品をセットにして、手押し車に乗せて売り歩く商売人。

中央奥は、荷台に山盛りの、ゴミ収集車。

どちらも、カトマンズ市内でよく見かける光景。

2007年7月23日月曜日

とうもろこし



7月半ばから、ビクラム暦4番目の月、サウン月に入った。雨季らしく、どんより曇り空の日が続いている。雨もしとしと降ったりやんだり。昼間でも肌寒さを感じることもある。

さて、私たちの事務所では、14時ごろになるとおやつを食べる。その時々によって、はやりすたりがあって、過去、いろいろなものにはまっては、飽きてきた。

それは、事務所で手作りするものであったり、近くの店から調達してくる軽食であったり、蒸かしたジャガイモだったり、いろいろ。

最近は蒸したとうもろこしが流行。戸棚からトレッキング用の大きな圧力鍋を取り出して、蒸したてを食べている。こちらのとうもろこしは、品質改良されていないせいか非常に硬いのだが、味があっておいしい。

上の写真は、道端のあちこちで見かける、とうもろこしを焼いて売る人たちの姿。

1本5~10ルピー(10~20円ぐらい)なので、ローカル食に興味がある旅行者は、試してみても楽しいかも。

焼きたての灰つきとうもろこしを、むしりとったとうもろこしの皮に包んで、渡してくれるよ。

2007年7月19日木曜日

雑談 (44年越しの日本縦断)

しばらくぶりのブログですが、本日は、ネパールと関係のないことを書きます。

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こちらで、中高年世代の個人手配トレッキングを扱わせていただくことがよくあり、そのたびに元気をもらっているのだが、日本にいる父も、そんな元気な中高年ぶりを、最近、発揮している。

身内の話題で大変恐縮なのだが、本日の話題は、還暦を過ぎてからサイクリングに熱中し始めた父のこと。

結婚前の若い頃、テントを持って日本国内を走っていたことがあるようだが、その後は仕事一筋で、ゴルフにテニス、酒ぐらいにしか趣味がないように見えた父だった。

それが昨年、定年後も働いていた仕事にとりあえず一区切り付けることにした際、父が若い頃自転車をしていたことを知った部下の人たちが、マウンテンバイクをプレゼントしてくれたことがきっかけで、自転車熱に再び火がついたのだ。

その昔、北海道の宗谷岬から九州の佐多岬までを自転車でつなぐべく走っていたことがあるそうなのだが、北海道の区間だけ実現できていなかった。

中断していた目標を約40年ぶりに実現すべく、今年に入って自転車を買い替え、長距離ツーリングに向けて備え始めた。1日100km前後の走り込みや、高低差(おもに上り)走行訓練もなども開始した。

しかし、気持ちは若くやる気満々で走っていても、実際はあと3ヶ月で62歳。さすがに体力的にも技術的にも昔のようにはいかず、パンク処理に手間取って、昔とった杵柄はあてにならないと感じたこともあったとのこと。

それでも、少しずつ手ごたえを感じるようになり、いよいよ7月初め、北海道の宗谷岬から函館まで、日本海側の海岸線(日本海オロロンライン)を自転車で南下する運びとなったのだ。

若くはないから昔みたいにテント泊ではなく、民宿利用。夜には地元の飲み屋に繰り出す。無理のない日程で、1週間かけて約700kmを走破。

そして先週末、ついに、宗谷岬から佐多岬が自転車でつながったのだ。実に、44年越しの実現とのこと。

カメラで知られる会社で最先端のことに関わっていた父だが、本人はデジカメさえ持っていない。だから、写真入り報告を聞くことは出来ないのが残念だが、道中の様子や、食事の記録を読んでいるだけで楽しくなってくる。似たようなサイクリストとの出会いもあった模様。さすがに、還暦過ぎた人はいなかったようだが。

そういえば、若い頃父は、自転車と平行して山歩きもしていたそうだ。

ネパールに来れば、自転車も楽しめるし、山歩きもできるよ、と誘うと、ネパールトレッキングも惹かれるものがあるけれど、1~2年は自転車に集中したいのであしからず、というつれない答えが返ってきた。

次は四国一周を予定しているらしい。

2007年7月13日金曜日

短調の旋律

ネパール人たちが、テレビコマーシャルについて雑談していた。

あるインスタントラーメンの新しいコマーシャルで使われている音楽について。

以前は愉快な旋律だったのに、新しいCMで使われているそれは、ネパール人たち曰く、非常にけだるい感じ、なのだという。インスタントラーメンのCMなのに、なぜ食欲をそそる陽気な音楽を選ばなかったのだろう、特に、CMの最後に、音楽に合わせて商品名を告げるところでけだるさはピークに達し、聞いているだけでやる気がなくなってくる、そうなのだ。でも、そのけだるさが、なんともいえずにおかしくもある、という点で、全員一致で盛り上がっている。

その晩、ネパールのニュース番組の途中で、話題になっていたCMが流れてきて、ああこのことだったのか、と意識を傾けた。

そのCMには、かの有名なアメリカ映画『The Sound of Music』の中の名曲『My Favorite Song』(以前、日本でも『そうだ、京都へ行こう』というJRのCMで使われていたことのある、あの曲)が使われていて、インスタントラーメンを紹介する歌詞が当てられ、替え歌となっている。

そして最後に、そのインスタントラーメンのキャッチフレーズ(サッポ◎一番における『♪さっぽ◎い・ち・ばん、みそらーあめん』のような部分)が流れるのだが、確かにその部分が、寂しい短調の旋律となるのだ。

意表をついた短調展開が新鮮で、耳に残る。そして、ネパール人たちが盛り上がっていた通り、確かに、けだるい。決定的瞬間に、思わず吹き出してしまった。

情操教育(音楽含む)など受けたことのないネパール人たちでも、長調の曲を明るく感じ、短調の曲には寂しさやけだるさを感じるということ。当たり前のことなのだが、人間の持つ感覚の共通性に、感心してしまう。

ちなみに、後で確認したところ、CMで使われている曲がサウンドオブミュージックの中の名曲であることは、誰一人として知らなかった。ヒンディー映画が主流なこの国では仕方がないか。

2007年7月11日水曜日

猫が行方不明

と邦訳されたフランス映画を大学時代に見たことがあるが、その話とは無関係の、私の飼い猫の話。

夜遊び癖が抜けない、もうすぐ3歳になるうちのオス猫。普段から、餌だけを食べに家に帰り、それ以外は外をほっつき歩く不良猫。

寒い冬場には、古い布団で猫の寝床を作ってやっていたのだが、夜中に、家の中までガールフレンドの白い野良猫を連れ込んで、私の目を盗んで一緒に寝ていたこともある。

朝、起きてきた私の気配に気づいた白猫は、大慌てで屋外へ逃げ出していった。別に、2匹まとめて面倒を見てあげてもよかったのだが。その後もその白猫は、時々家の中に勝手に入ってきては、私が気づかないフリをしていることをいいことに、うちの猫用に用意した餌をこっそり食べていた。

話が白猫にそれたが、そんなうちの猫が、ここ2週間ほど、家に帰ってきていない。

毎晩、不良息子を待つ母親の気分で、餌は所定の場所に置いておくのだが、朝になってもそのままの状態で残っている。しかたないので、手付かずの餌は、大家が飼っている犬行きとなる。(残り物のうちの猫の餌を、喜んで食べる大家の飼い犬の話は 過去の記事 をどうぞ)

餌に関しては、どこかでねずみでも捕まえて喰って、事足りているのだろうが、ここまで帰ってこなかったのは初めてで、さすがに心配になってきた。どこかで、事故にあっていなければよいのだが。

写真は、行方不明のうちの猫。足は縞模様だが、背中に縞はなく、猿の毛色と同じ色。

2007年7月10日火曜日

街の向こうのヒマラヤ




雨季中の今でも、カトマンズから一時的にヒマラヤが見えることがよくある。
なんとなく、得した気分になるのはなぜだろう。

2007年7月5日木曜日

パシュパティナートで見た光景(その3)

7月4日のつづき

インドのバナラシ(ベナレス)にある火葬場と違って、パシュパティナートの火葬場は撮影禁止ではないから、観光客が、生まれて初めて目の前で死体が焼かれていくシーンを目にし、写真を撮ったりビデオに収めたりすることはよくあること。しかし、遺族が身内の火葬シーンを撮影するとは。

しかも、撮影者は、距離や角度を変え、熱心に撮影を続けていたのだ。普通のホームビデオでの撮影であったから、何かの取材というわけでもなかろう。

宗教的な儀式や結婚式など、人生におけるイベントをビデオに収めるのは一般的になっているネパールだが、それには、そのイベントの主役である当人たちが後で見て楽しむ、という目的がある。

しかし、火葬シーンの当の主役は、撮影後には灰となって川に流されてしまうわけだから、当たり前だが自分の火葬シーンを見ることは出来ない。

遺族が後で見て懐かしむのだろうか。

ヒンドゥ教徒にとって神聖なはずの場所での出来事だけに、火葬シーンをなめるようにビデオに収めることに不謹慎さを感じてしまったのだが、異教徒の私がとやかく言うことではない。

それでも何かしっくり来ないものを感じながら、パシュパティナートを後にした。

おわり

2007年7月4日水曜日

パシュパティナートで見た光景(その2)

7月3日のつづき

さて、火葬場で時間つぶしとは、不謹慎に聞こえるかもしれないが、ここではそんな違和感はまったく感じられない。

火葬光景をただなんとなく眺めている、仕事のない現地人はいつ行ってもたくさんいるし、灰が流される川の下流では、子供たちが無邪気に水遊びをしている。川の水を使って、洗濯をしている人もいるし、死体が焼かれる対岸では、観光客目当ての物売りが、しつこく物を売ったりもしている。物乞いもいる。

その日も、近くでは自称ガイドが観光客を見つけては声をかけていたが、外国人には見えなかったのか私には見向きもせず、サドゥ(ヒンドゥ教の修行者)から『写真を撮れ』とも言われず(外国人ズレしているパシュパティナートのサドゥたちは、記念に自分の写真を撮らせて、小銭を要求したりもする)、外国人なのに誰にも相手にされない寂しさを少々感じながらも、わずらわしくないことを幸いに、久々にあちこち歩いてみた。

火葬シーンをさらっと眺め、少し上の森まで足を運び、それでも時間が余っていたので、火葬場の対岸に腰をかけた。

前置きが長くなったが、そこで、真向かいにある火葬シーンを見るともなく見ていると、いささか場違いな光景を目にして驚いた。

遺族か遺族の知り合いであろうネパール人が、死体が焼かれているシーンを、ビデオカメラに収めていたのだ。

つづく

2007年7月3日火曜日

パシュパティナートで見た光景(その1)

先日のことだが、久々にパシュパティナートを訪れた。近くに用があり、待ち時間が出来てしまったので、時間つぶしに訪れたのだった。

ここは、ネパール国内外を問わず、ヒンドゥ教徒にとって重要な寺院(パシュパティナート寺院)があり、神聖なバグマティ川が流れている場所。(神聖とはいっても清潔度とは比例しないため、実際はごみだらけの非常に汚い川だが)

その川岸には火葬場がいくつかあり、いつ行っても、死体を焼く光景が、ごく当たり前に見られる。

遺族でなくても、火葬前の儀式から、薪の上の死体に火がつけられ、手や足が徐々に焼け落ち、すべてが灰になるまで、見ようと思えばすべてを見ることは出来る。ただし一連の流れを見終えるには、数時間は優にかかるが。

つづく

2007年7月2日月曜日

質問の回答:15年前のネパール札

ブログ経由で質問をいただいたのですが、返信メールがエラーで戻ってきてしまうので、ここに回答を載せます。

ビレンドラ前国王の顔が描かれているお札は、今でもまったく問題なく使用可能です。両替も出来ます。

取り急ぎ、以上。