ブログ移転のお知らせ

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2005年12月30日金曜日

正月準備(その3)

≪昨日からのつづき≫



なますが入っているボールの直径は25cm。調子に乗って、ちょっと作りすぎ。

アチャール用の『シドゥラ』(干し魚)で作った田作り(ごまめ)は、ちゃんとそれらしい味になっていた。

たたきごぼうはこの後、すりゴマもまぜた。ゴマは、ネパール人も使う食材。

写真にはないが黒豆も完成。2カップ分も作ってしまったので、おやつ代わりにすでに食べ始めている。

本日、豚肉(否、いのしし肉?)を、昨日の写真の肉屋で1.5kg購入。ただし、1.5kgは、身だけの重さではなく骨込み。角煮を作る予定だったが、多少保存のきくチャーシューに変更することにした。



鏡餅も到着。下の餅の直径15cmと、立派。みかんがないので、とりあえず、もらいもののジャミル(昨日のブログに書いた、ゆずみたいな柑橘類)を乗せておく。

鏡餅を作っている知り合い(日本人)から、彼女が最近自ら作っているという醤油(もちろんネパール産)1リットルを、おまけにいただいたので、煮しめと先述のチャーシュー作りに、早速この醤油を利用。おいしくなったぞ。

こうやって、全てをネパール産の材料でやりくりしたおせち。予定メニューの9割方完成。

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正月準備、おせち準備だけではなく大掃除(といっても、メインは、鉄格子がはまっているせいで、面倒くさくてほとんど拭いたことがなく、埃だらけになっていたガラス窓拭き)も予定していたのだが、その必要はなくなった。12月初めから、私が住んでいる家の外壁塗り替えが行われていたのだが、ペンキ塗りのおじちゃんたちが、昨日、ガラス窓も全部ぴかぴかに掃除してくれていたのだ。

ちなみに、外装塗り替えは、正月に向けて始まったわけではなく、たまたま乾期の今取り掛かったら、日本人の私にもタイミングがいい大掃除時期と重なってくれたというわけ。

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夕飯後、知人(ネパール人)から電話。彼女は、西暦の新年など、全く関係のない暮らしをしている女性。「今日何していた?」という話になったので、「あさってから、ハムロ・ジャパニ(私たちニホンジン)のダサインが始まるから、そのための準備をしていたの」というと、「あら、あなたたちにもダサインがあるの?」と興味津々。西暦とは縁のない生活をしている人には、こうやって説明しておくのが、手っ取り早い。

≪正月準備、これにて一応終了≫

2005年12月29日木曜日

正月準備(その2)

≪昨日からのつづき≫



おせちメニューと、材料入手方法。

1.なます

→ 大根、にんじんはこの時期カトマンズでも旬。香り付けのゆずには、『ジャミル(Jyamir)』と呼ばれる柑橘類で代用。知人(ネパール人)宅にたくさんなっているので、わけてもらった。

野菜類は、写真のような場所に売られている。



これが『ジャミル』。見た目もにおいも『ゆず』そのもの。



2.黒豆

→ 豆類はたくさんあるネパール。黒大豆を入手。

そこら辺の食料品屋にて、いろいろな種類の豆が、カンカンに入れられ並んでいる。

3.きんとん

さつまいもは、この時期、八百屋でも見かけるのだが、小指程度の細いものしか売られていない事が多い。厚めに皮をむいたら、何も残らないほど貧相。ということで、なるべく太くて大きい物を探すべく、市場へ。無事入手。栗の代わりはりんご。

こちらのさつまいもは白っぽいので、黄色付けに『ベサル』(英名:ターメリック、和名:うこん)を少々入れる。裏ごしは省略。本日調理終了。



4.田作り(ごまめ)

→ アチャール(ネパール定食に必ずつけられる、漬物のようなもの)やタルカリ(おかず)に時々使われる、『シドゥラ』と呼ばれる干し川魚がある。大小さまざまあるが、小振りのものを使えば、イケそうだ。

5.たたきごぼう

→ ごぼうはちょっと大きめな市場などに行くと、「ニホンジンが食べる根っこ」ということで知られていて、「ゴボー」という名で売られている。

6.煮しめ

→ 普段からよく作るメニューだから、材料入手には問題なし。





7.豚の角煮

→ 豚肉、いのしし肉は街中で豪快に売られている。1kg購入予定。時々中に虫が入っていることがあるので、豚(いのしし)肉は普段はめったに買わない。

肉屋はこんな感じ。道端に台が置かれ、肉の塊がどどんと並べられている。

8.雑煮

→ 大事に取っておいたかつお節削りと昆布が残っているので、ダシ取りも問題なし。

以上、追加予定品少しあり。

そうそう、鏡餅は、毎年カトマンズにて作っている知人(日本人)に、注文済み。明日受け取る予定。

≪たぶん明日につづく≫

2005年12月28日水曜日

正月準備(その1)



ビクラム暦(新年は4月半ば)が公暦のネパール。

たとえば、今日2005年12月28日は、ビクラム暦では2062年9月13日。年末でもなんでもないから、西暦の年末年始は、一般市民にはほとんど意識されない。(旅行者が集まる「タメル』地区では、ニューイヤーのイベントなどもあるみたいだが、慣れないネパール人たちが企画するそれは、どうも地に足がついていない感がある)

日本の『師走』や、年末年始の雰囲気が漂うのは、ネパールでは、『ダサイン』祭(毎年10月頃行われるネパール最大の祭)の頃。ダサインはこちらの人にとっての新年というわけではないが、準備の段階で、家をきれいにしたり新しい服をそろえたりする習慣、祭が始まると、親戚回りをし普段は食べないおいしいご馳走を食べたりする習慣なども、何となく日本の新年に共通する点がたくさんある。この時期には、凧あげをする習慣もある。

でも、そんな祭も2ヶ月前に終っている。西暦の年末年始は、ネパールでは、普段と変わらない普通の日でしかない。大晦日も元旦も、普通の平日。(今年はたまたま大晦日が土曜日=ネパールの公休日にあたるので、休みではあるが、元旦は日曜日なので、ネパールでは普通の平日となる)

そういう雰囲気が寂しすぎて、毎年この時期には帰国していた私だが、今年の帰国(&旅行)は、年明けに延びてしまった。ネパールで迎える西暦の新年(逆に言うと、日本で迎えない新年)は、5年ぶりだ。

いつもはこの時期、ぬくぬく日本の実家で過ごし、いい歳しながら、おせち作りは母任せで、きんとんの裏ごし程度しか手伝わない私だが、今年はここネパールでも作れる簡単なおせちでも作ろうかと、買出しに出かけた。

写真は、今日の話題にはあまり関係ないが、魚屋さん。大きな魚は、ジャナクプル(南ネパール)あたりから運ばれてくる。

≪明日につづく≫

2005年12月27日火曜日

ネパールへの旅を誘う日本画



77日間のネパール滞在を終えた1人のゲストが、クリスマスの日に帰国された。

昭和61年から続けられている高島屋の個展を今年も終え、4年ぶり2回目のヒマラヤトレッキングに来られていた。

帰国前に、ネパール国内(主にカトマンズ)の旅行業界に配られる新聞(サンライズ・ネパール:月2回発行)の取材を受けられていたのだが、その記事が載る新聞が、先日発行された。ゲストの了解を得たので、記事の和訳を紹介したい。

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『日本人ミヤサンが描く絵は、ネパールへの旅を誘う』

ヒマラヤを目にしたとたんに、スケッチを始める日本画家・宮西東洋雄氏が、今ネパールに滞在している。約3ヶ月の予定でネパールを訪れている宮西氏は、ネパール人の友人たちからミヤサンと呼ばれている。

日本の大阪に生れたミヤサンがネパールを訪問するのは、今回が2回目。2001年に最初にネパールに来た時には、エベレスト方面のトレッキングを楽しんだ。このとき描いたエベレストやヌプチェをはじめとする山々の絵には高額な値がつけられ、日本人に購入されたという。展覧会用に用意された一冊の本を見せてもらった。そこに掲載されている絵の数々はどれも、絵ではなく写真のように見えた。

今回、ミヤサンは『ヒマラヤン・アクティビティーズ・トレッキング・カンパニー』を利用し、約50日間のトレッキングへ出かけた。ランタン方面と、アンナプルナ一周に同行したガイドはニマ・ジャンブ・シェルパ氏だ。

ミヤサンは言う。「今回のトレッキングは、本当によかった。30枚以上のスケッチもできた(*)。日本に帰ってから、展覧会に向けての本格的な制作活動を始める予定だ」

* 帰国後数えてみたら、実際には50枚近くになっていたそうだ。

4年に一度、日本で大きな個展を開くのが恒例となっているのだ。自然の中でも特に山の絵を描くことが多く、ひとつの絵を描くのに平均1ヶ月はかかるという。

ミヤサンが描くネパールの息遣いが聞こえてきそうな雪山や川の絵は、ネパールを訪れたことのない日本人の心をも惹きつける。また、ネパールを訪れたことがある日本人に対しては、ネパール再訪を誘うようだ。

今回は、ランタン、マナスル、ガネシュヒマール、ラウリビナヤクから見ることのできるパノラマビューの風景を描いた。

15歳から絵を描き始め、現在64歳になるミヤサンは、ネパールのことを次のように語る。「日本で報道されるネパールの情報は間違ったことばかりだと思う。ネパールに来る前、家族や友達からは『絶対に行かない方がいい』と強く止められた。でも、実際にここに来ると、なぜ、日本人は『ネパールは危険な国』と考えてしまうのだろう、という気になってくる。約50日間のトレッキングに行っても、1度も危険な目にあったことはなかった」

帰国後、ネパールや、ネパールの自然のことについて、日本の新聞にも情報を提供する予定でいるそうだ。

「日本で考えられているほど、ネパールは危険な国ではない。もしろ、安全な国といっていいだろう。普通の観光ならば、ネパールを訪れてもなんら問題はないと思う」

「しかし、安全だからといって、何をしても大丈夫というわけではない。旅行者が少ない場所やトレッキングに行くときにはガイドを必ずつけるなど、最低限の注意は必要だし、自分の身は自分で守る必要はある」とミヤサンは続ける。

ミヤサンの展覧会は、今まで日本でしか開催されたことはないが、機会があればネパールでも開催してみたいとのことだ。

===以上===

2005年12月25日日曜日

エビ



インド・コルカタ産のエビが、地元の市場(*)などで売られていることがある。

* 旅行者もよく訪れるカトマンズダルバール広場の近くにあるニューロードを、少し南にいったごちゃごちゃした地区に、『キチャポカリ』という場所がある。いろいろな食材を売る店が並んでいる。

キロ200~300ルピー(400円前後)。

「今朝コルカタから届いた、新鮮なエビだよ」

と、店主は言うけれど、埃っぽい道端に置かれた台の上に、じかに並べられている姿を見てしまうと、どうも買う気になれない。

エビが入手できる時期には、地元のダルバート屋などでも、素揚げのエビが時期限定メニューとして並ぶこともある。

海のないネパールに暮らしていると、魚介類を口にする機会が極端に減るので、嬉しくなって思わず半皿注文してしまう(市場で店頭に並ぶ姿を見ると、買う気はうせるのだが、調理後なら、抵抗なく食べられるのだ)。8尾ぐらいの素揚げエビが、45ルピー(約70円)。

2005年12月22日木曜日

何気ない光景

どこにでもある、街中の寺院。



下を拡大してみると、何気に洗濯物が干してあったりする。

2005年12月21日水曜日

性(さが)

今日はみんなで年賀状作り。

元旦に配達される、ネパールから出す年賀状が毎年割と好評なので、今年もヒマラヤン・アクティビティーズ利用者の方々に、手書きの賀状を作成することにした。今日がその日。

宛名を書く人、切手を貼る人、『年賀』の文字を目立つように色付けする人(『年賀』と書いていても、毎年何通かは、年内に届けられてしまう。だから、『年賀』の文字だけはとにかく目立つように、大きく書いたり、2~3箇所に書いたりすることにしている)に手分けして、単純な流れ作業を繰り返す。

切手貼り担当は、今年10月半ばから新しく働き始めた21歳の女性スタッフ。

彼女の手元を見ていると、50枚つづりの切手シートから、1枚切手を切り離してはハガキに貼って、また1枚切手を切り離してはハガキに貼って、、、という作業をちんたらちんたら繰り返している。

こうなるともう、『効率よく』仕事をすることに慣れているニホンジンの私は黙ってられない。

『まとめて1シート(50枚)分の切手を先に全部ばらしてから、その後まとめてはがきに貼っていけば、作業が早く進むんじゃないの?』

彼女、あ、そっかあ、という感じで、まとめて切手をばらす作業に取り掛かる。

机の上には、切手を張りかけのハガキがさっきの作業の途中のまま残され、その下には、住所録が書かれた紙が無造作に置かれたまま。今の作業には関係ない修正液ペンやハサミ、ノートやら雑誌も置かれている。

挙句の果てに、切手をまとめてバラすのはいいけれど、ゴミになる部分と、必要な部分を、分けることなく、ごっちゃごちゃに置き始めている。しかも、貼らなければいけない2種類の切手(日本までのハガキに貼る切手は25ルピーなのだが、25ルピー切手が売り切れだったので、18ルピー切手と7ルピー切手の2種類を貼らなくてはいけないことになってしまった)も、分けることなく、ごちゃごちゃに置いているから、後でまた仕分け作業が必要になりそうだ。

切手をはがしながら、『ゴミ』『18ルピー切手』『7ルピー切手』を手際よく分け、効率よく作業するという発想が、全くない。

『ちょっとさあ、そんなことしてたら、絶対何枚か切手をゴミと一緒に捨てることになるわよ。まず必要ないものは片付けてから作業に取り掛かったら?それから、ゴミと、2種類の切手は、ばらしながら分類も同時にすれば、二度手間じゃなくなると思うけど』

彼女また、あ、そっかあ、という感じで、片付けに取り掛かる。

心の中で、『ホント、ネパール人は、効率よく仕事をするってコトが出来ないから、困っちゃうのよねえ』と思っている私。

でも、その直後でふと思い直す。

『今日の仕事、そんなに効率よく急いでして、何かの得にでもなるんだっけ?』

答えはNo。

別に、時間はたっぷりあるんだし、ゆっくり作業したって、別に誰も困らないし(私がイライラさせられるぐらいで)、全然問題ナイのだ。

そう思い直して、私に言われて片付けに取り掛かった彼女に、

『ま、別にビスターリ(ゆっくり)でかまわないんだけどね。時間はたっぷりあるしね』

などと言い直してみたりする私。

ああ、何でも、『効率よく』『すばやく』仕事をすることに意義を感じてしまう、ニホンジンの悲しい性(さが)は、どうしても捨てられない。

2005年12月19日月曜日

足場



アジアでは、それほど珍しくない光景だと思うが、こちらでも、建築現場での足場は『竹』で組み立てられることが多い。

割と高さのある、建築中の建物。やっぱり足場は竹。

高層ビルがないネパール。一番高い建物でも、せいぜい10階あるかないか、という感じ。

2005年12月16日金曜日

ストの1日

久々に、カトマンズ盆地内でストが行われた。

15日深夜に、ナガルコットにて一般人12名が軍関係者に射殺されるという事件が起こった影響だ。政党と学生が抗議のストを実施することになったのだ。

ナガルコットとは、カトマンズから約32km、標高約2200mの(一応)避暑地。天気に恵まれるとヒマラヤ山脈が一望でき、エベレストも豆のように小さくではあるが見えるようなので(私にはどれがどれかさっぱり区別はつかないが)、外国人ツーリストにも(一応)人気のある場所。でも、事件が起こったのは、外国人が利用する宿泊施設が立ち並ぶ場所ではなかったようだ。

カトマンズ市内では、久々のスト。以前は、どうでもいい内容の(?)ストが頻繁に起きていて、ウンザリすることも多かったが、2月1日、国王が政権を握って以降、カトマンズではストは実施されていなかった。

ストの種類は、主宰者がマオイストである場合や、政党または学生団体である場合などいろいろあるが、とにかく一般人は、ストの日にはおとなしくしているのが一番。

ストの日に、エンジンつきの乗り物に乗っていると、投石にあったり、ひどい時には車輌をめちゃくちゃに壊されたりすることもあるのだ。

だから、ストの日には、街を走る車輌の数が極端に減り、歩行者と、人力車の数が増える。

投石覚悟で走っているタクシーなどもあるが、この日は通常の数倍以上の運賃を取る。彼らにとっての『ビジネスチャンス!』というわけだ。

ストの日に、カトマンズに到着したり、カトマンズを出発しなくてはならないツーリストは大変だ。空港から(空港まで)の足がなくなってしまうからだ。空港~カトマンズ市内間の約8kmの道のりを、人力車で移動するか、『TOURIST』と大きく書いた紙を張った車に乗って移動するしかない。 (武装アーミーが警護に当たりながら、高級ホテル街とタメルエリア~空港を結ぶ巡回バスが急きょ出る場合もあるが、使い勝手のほどは不明)

主宰団体が誰であれ、外国人は(一応)狙わないから、『TOURIST』とでかでか書くことで、外国人が乗っている車であることをアピールするのだ。(でも、それでも投石されることもあるが)

さて、そんな今日、午前中どうしてもタメル(旅行者が多く集まるエリア)まで行かなくてはならなかった私は、スクーターに乗って家を出た。ナンバープレートを隠し、代わりに『FOREIGNER』と書いた紙を貼ろうかどうか迷ったのだが、まあ、街の様子を見てから(ストがどの程度タイトなものか把握してから)考えようと思い、そのまま出かけた。

でも、ネパール人に間違えられないように(間違えられると投石される可能性があるから)、いつもしているマスクとサングラスをはずすことは忘れなかった。(でも、明らかな白人ならともかく、日本人は、ネパール人に間違えられることも多いから、実はあまり意味はない)

タメルまでは、大通りはなるべく避け、裏道を選びながら進む。いつもそうなのだが、ストの日も、住宅街はいたってのどか。通行する車輌が少ないので、それをいいことに、子供たちは車を気にすることなく、道一杯に広がって遊んでいたりする。

そんな裏道を通りながら、いよいよタメルエリアへ到着。ここまで来ればもう安心、と思ったのだが、目的地まであと200m、というところで、コトは起こった。

反対側から、道一杯に広がって、騒ぎながら小走りに向かってくる若者たち。手にはレンガや石、棒などを持って、振り回している。

やば。

タメルの北にはキャンパスがあって、ストやデモなどが起きると、よく、警官と学生でレンガ合戦&催涙ガス放出などを繰り広げたりしているのだが、今日も、その場所からデモがスタートしたようだ。

スクーターのスピードを落とし、端によって、若者たちが行き過ぎるのを待とう思っていたら、みるみるうちに、その若者たちに取り囲まれてしまった。

みんなの目は殺気立っていて、私を座席から引きずりおろすのを狙っている感じ。怖い。

移動できずに、小さくなってすくんでいると、リーダーの若者が、私に向かってネパール語でこういう。

『ちょっとオネーサンよ、今日がバンダ(ストのこと)だって、知らないなんていわせねーよ。なに、バイク乗ってんだよ。ほら、とっとと降りな』(かなり意訳。でも、こんな感じで言葉も荒くコワカッタ)

ざっとみて、30人ぐらいの若者がいる。みんな、今にでもレンガを私に向かって投げてきそうな雰囲気で、かなり殺気立っている。

ヤバイ。だから、こうなることを恐れて、サングラスとマスクをはずしてきたのに、思いっきりネパール人扱いされている私。こういうときは、ネパール語は分からないガイジンのフリをするのが一番。

しばらくもごもご口ごもってから、『・・・アイムノットネパリ・・・』と答えてみる。

すると、今にもかかってきそうだったリーダーの態度が、とたんに変わった。にっこ~と笑顔になったのだ。なんだこの急激な変化!?

彼の後ろでは、『なんだ、ガイジンだよガイジン』『道あけてとーしてやろーぜ』『チャイニーズかな?』『いや、ジャパニじゃないの?』『でも、ネパリみたいだよな』というような、殺気だった彼らに似合わない会話が、ちらほら聞こえる。

そしてその後、拍子抜けするほど親切な態度で『オーケーオーケー』などといいながら、道をあけてくれた。そして、敬礼でもしそうな勢いで、私を通してくれた。

どうでもいいけど、すごい変わりようだな。

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日本人だから狙われてしまう国もあるけれど、この国は、日本人だから親切にしてもらえることも多くて、その点は過ごしやすい。

でも、私の後ろにネパール人が乗っていたり、私がネパール人だったら、バイクはめちゃくちゃに壊されていたかもしれない。

同じ国民同士、争う国も多いけれど、ネパール人がネパール人同士攻撃しあう理由って、筋が通っているのかどうなのか、なんだかよくわからない。

そういえば、通り過ぎる私に『サヨナラ』『コニチワ』などという者もいて、さっきまでの殺気はどこへ?と思ってしまった。結局彼ら、昨日のナガルコットの事件を引き金にして、ストレス発散のためのデモをしてるだけにしか見えない。

そんな感じの、ストの1日だった。

2005年12月15日木曜日

フリ(鼻ピアス)

久々に歩いてインドラチョーク方面へ出かけた。

旅行者が多く集まるタメル地区を南へ行くと、インドラチョークという、下町っぽい雰囲気が漂う場所に出る。そこの布屋に行くのが目的だったのだが、久々に歩いて通る町並みなので、きょろきょろしてみる。

途中に、チベットやシェルパ系の布を売る店や、貴金属類を売る(でも、店構えは非常にローカルだから、気軽に入れる)店などが並ぶ通りがある。

久々に新しいフリでも1個、買ってみるかと思い、ローカル貴金属屋に立ち寄ってみる。

『フリ』(Phuli)とは?

フリとは、鼻ピアスのこと。ネパールの女性は、左小鼻に鼻ピアスをあける習慣がある(ネワール族やシェルパ族はあけないが)。

その鼻ピアス=フリ、実は私もあいている。でも、いつも、帰国する際、成田到着直前に機内ではずすことにしている。 (アメリカにいくときは、そのままにしているけれど、日本だとやっぱりちょっと、周りが引くので)

いつもは、カトマンズに戻る機内で、再装着するのだが、前回は、面倒くさくて、ネパールに戻ってきてからも、つけそびれていた。かれこれ、1年放ったらかしだ。

ふと思い立った時に、ピアスの芯(?)などを、通してみたりはしていた。でも、さすがにこれだけ長期間放ったらかしだと、穴、ふさがってるかもなあ、と思って、恐る恐るフリを通してみたところ、ちょっときつめではあるが、何とか通った。

ということで、久々に1個購入。安い買い物なのだが、ちょっとウキウキしてしまう。

2005年12月14日水曜日

欠陥住宅

やっと姉●建築士が証人喚問に応じたようで、興味深くニュースを見てしまう。

建築詐欺とは少し違うが、こちらの建物は、びっくりしてしまうような造りのものも多い。

【水が出てこない流しの蛇口】
一見すると、流しがあり、そこには(見た目)水道もついているので、蛇口をひねれば水が出てきそうなのだが、外からの水道管がつながっていないから、いくら蛇口を全開にひねっても、水が出てくることはない。

【ONにしても電気がつくことのないスイッチ】
これも水道と同じ。配管を間違えているので、室内の壁に電気のスイッチはついていても、その裏に電気が通っていないため、スイッチをいくらONにしても電気が付くことはない。

【閉まらない窓】
明らかな設計ミス。窓についている鉄格子が邪魔して、閉まらない仕組みになっている。

【排水溝に水が流れない仕組みになっている床】
ベランダなど、排水溝付近が微妙に高くなっていて、絶対に水が流れない仕組みになっている・・・。

・・・ネパールでは、割と当たり前。多分、当たり前すぎて、欠陥だと認識されていないかも。

ちなみに、水が出ない蛇口と、閉まらない窓は、ヒマラヤン・アクティビティーズのオフィスでもご覧いただけます(笑)。

2005年12月12日月曜日

チベット犬はいらんかね?



毎年、今ぐらいの時期になると、写真のようなチベット犬(ボテ・ククル)の子犬を抱えて、街中で売る人たちの姿を、よく見かける。



写真の彼らは、ヘランブー地方(カトマンズから北100km以内にある地方。といっても、100km行ってしまうともうそこはチベット自治区になってしまうが。ランタントレッキング方面)の山の中から出てきたとの事。生後一ヶ月にも満たないボテ・ククルを抱え、道端に立っている。

彼らの言い値は、大体1匹2000ルピー前後(約3000円)だが、交渉していくうちに適当な価格で折り合いが付いて、販売が成立する。

去年、知人が買ったこの種のボテ・ククルは、1匹500ルピー(約800円)だった。かなり安価だったのだが、飼われて(買われて)約一ヵ月後に、病気で死んでしまった。



ところでこのボテ・ククル、他の犬とはちょっと雰囲気が違う。何に対しても全くお構いナシというか、動じないとういうか、そういう性格の犬だ。飼い主にもなつかない事が多いらしい。そして、喧嘩好き。

子犬は、ふさふさしていて、見た目かわいいけれど、なつかないから物足りない。

以前、少しだけ接したことのあるボテククルの赤ちゃんは、食事を与えても嬉しそうな様子も見せずに、全く無表情だったから、目や耳が聞こえない犬かと思ってしまった。でも、それがこの種の犬たちの特色だと後になって知った。

2005年12月10日土曜日

本当のフライト時刻はどれ?

ネパール国内線のフライトスケジュールを調べると、いつも頭が痛くなる。

まず、航空会社のウェブサイトをみても、そこに書かれているフライトスケジュールはあてにならないことも多い。以前のものが、そのまま掲載されていたりすることもある。

航空会社に直接電話をしても、電話を受けるスタッフによって違った回答をすることがあるから、あまり当てにならない。

チケット販売を専門にする、代理店に問い合わせても、入手している情報が違うことが多い。

フライトスケジュール確認の電話を入れるたびに、こんな(以下のような)やり取りをしなくてはいけないのは、本当に面倒くさい。

たとえばこちらが、『○○航空の、10時台のカトマンズ発ポカラ行フライト時刻教えて』と聞くと、たいてい、『10時半頃』というような回答が返ってくる。

『ごろ、って、なに?航空会社が公式発表している時刻に、頃 ってあいまいな表記があるわけじゃないでしょ?』

というと、先方は、『でも、ほら、ネパールの国内線は、たいていスケジュールどおりに飛ばないじゃん。だから、10時半頃としか言いようがないんだよ』

という。

それはそうなのだが、私たちが知りたいのは、そういうあいまいな時刻じゃなくて、航空会社がフライトスケジュールとして発表している時刻。実際は、フライトスケジュール通り飛ばないことのほうが多いネパールの国内線だけれど、それでも、一応公式発表されている正確な時間が、あるはずではないか。

だから、そういうと、

『まあ、一応あることはあるけどねえ、正確な時刻に飛ぶはずないんだから、頃 としか言いようがないじゃん』と、相手もしつこい。

だからこちらも、しつこく聞く。

『そうだけど。ネパールの国内線がスケジュールどおり飛ばないことなんて考慮しなくていいから、Printed Scheduleだとどう書いてあるのか、それを教えてくれればいいのよ』

このような押し問答が続いてやっと、『一応』正式発表されているフライト時刻を教えてくれる。

でも、これも全然あてにならないから非常に困ってしまう。代理店によって、航空会社から得ているフライトスケジュール情報が、全然違うのだ。

航空会社に直接問い合わせても、電話を受けるスタッフによって教えてくれるスケジュールは違うし、代理店に問い合わせても、入手している情報(フライトスケジュール)は、それぞれ違う。

一体、どれを信用すればいいのか?

きっと、どれも信用しないほうがいいのだろう。どうせ、当日になれば、微妙な天候の影響や、突然の機体故障などが起きて、公式発表時刻どおりには飛ぶはずがない、ネパールの国内線だから。

2005年12月8日木曜日

湯たんぽ



寒くなったなあと思って温度計をみると、朝6時半頃の室温(北側の部屋)で、12℃だった。しばらく(15分ほど)温度計を外においていたら、8度ぐらいまで下がった。

日本にいるときも、自分の部屋ではどんなに寒くても暖房をつけず、着込んで過ごすことの多かった私(エアコンはあったにもかかわらず。人工的な乾燥する暖かさがニガテなので、どうしてもというときは、電気ストーブで足だけ暖めていた。頭寒足熱ってやつだ)。

こちらに暮らして1年目の冬は、暖房ナシで過ごしてみた。

本当に寒い時期(朝晩の室温が10℃を切る時期)は、2ヶ月もないから、着込んでいれば耐えられないこともないのだが、2年目に、古典的な形の石油ストーブを買った。

1週間だけの予定で、1月の一番寒い時期にカトマンズに遊びに来た在米の妹が、原始的な私の生活についていけず?体調を崩し、帰国(帰米)を延長しなければいけない、というハプニングが起きたからだ。病人に寒い部屋はつらいだろうということで、購入を決めた。(セントラルヒーティングでいつでもぬくぬく暖かい家に暮らしているから、カトマンズの暖房無の冬は、きつかったのかもしれない)

ということで、石油ストーブは家にはあるのだが、使用するのは本当に寒くなってからにしている。今年も、まだ使っていない。

が、昨日から『湯たんぽ』は使い始めた。

この湯たんぽ、ベビー用のものらしい。日本にいる知人が、私が帰国した時にプレゼントしてくれた。かわいい形と、色が気に入っている。

これに、やわらかい生地でできた、袋状の白いカバーをかけて、寝る前に、布団の中に入れておく。

そうすると、私が布団に入る頃には、ほかほか暖かくなっていて、なんだか、幸せな気分で眠りにつける。

2005年12月6日火曜日

アンナプルナ街道報告

以前からよく報告されていたことだが、今シーズンも、アンナプルナトレッキング街道には、マオイストが出没している。

外国人トレッカーに『通行料』と称して、金銭を要求するのだ。多少のディスカウント可。領収書まで発行してくれるというから、なんだかおかしいが、トレッカーの身になって考えると、笑い事では済まされないし、腹立たしい。

このエリアをトレッキングする外国人は、『アンナプルナ国立公園入域料』として2000ルピー(約3000円強)を、トレッキング前にすでに所定の機関に支払済みだ。にもかかわらず、なぜに、マオイストが勝手に決めた『通行料』を支払わなくてはいけないのか? しかも、なんでタダで金をあげなきゃいけないんだ、という気持ちがこみ上げるのも、当然。

でも、拒否するのはやはり危険だから、遭遇してしまったら、おとなしく要求額を支払うしかない。トレッカーの悔しい気持ちも、よくわかる。

最近の出没箇所は、ゴレパニ周辺と、チョムロン周辺。

アンナプルナ方面の数日トレッキング(プーンヒル方面等)を楽しむ場合に遭遇しやすいエリアが前者。アンナプルナベースキャンプへ行く時に必ず遭遇してしまうのが後者。

ゴレパニ方面での要求額は10~20USドルほど。先述したとおり、多少のディスカウント可能だが、たいていはみんな、15USドル程度は支払うハメになる。

チョムロン方面での要求額は、トレッキング日数に応じて、1日あたり100ルピーの計算。

どちらも、軍隊が巡回する時間帯になると、さっといなくなるようなので、運がよければ遭遇しない場合もある。でも、通行中に遭遇しなくても、夜、ロッジまで回収に来ることもあるようだから、油断がならない。

このように、ラクして金銭を自分たちのモノにする彼ら、卑怯すぎやしないか? せっかくの楽しいトレッキングが、台無しになる。

2005年12月5日月曜日

結婚迷惑話



ネパールでは、結婚式を挙げられる月とそうでない月が分かれている。

3月~4月にかけての1ヶ月(チャイト月)と、7月半ば~11月半ばの4ヶ月(サウン月~カルティック月)、12月半ば~1月半ばの1ヶ月(プース月)は、結婚式には適さないとされている。

ちょうど今の時期(11月半ば~12月半ば)は、結婚式に適さない時期が続く間の中の、束の間の結婚月間という感じだ。だからというわけではないが、この時期になると、待ってましたといわんばかりに、式を挙げる人が多い。

カトマンズなどの都会で見かける結婚一連の行事は、地味婚(死語?)慣れしている日本人の目から見ると、あっけに取られるほど派手なこともよくある。

花嫁を迎えに行き、花婿の家に連れてくる時によく利用するのが、紙テープや生花でダサダサに飾り付けた、写真のような車。

まだまだ、一般家庭の車普及率は低いので、車はレンタカー屋から借りる場合が多いのだが、このときの料金設定、通常よりも高めになっていることも多い。飾りつけは自分たちでするから、別にレンタカー屋の手間は取らせないのに、なぜ高いのか?

それは、車を元通りにして返してくれない人たちがけっこういるからだ。ベタベタにつけられたテープをはがすという、けっこう手間のいる作業を、レンタカー屋がしなければいけない。なかなかきれいにはがれなくて、跡が残ったりしてしまうこともある。だから、その手間兼迷惑料込みで、レンタル代が高くなるというわけだ。



他人の結婚式の迷惑がらみの話は、他にもある。

このダサダサ車と一緒に行動する、管楽器と打楽器で構成される写真のような楽隊。

どの楽隊も、どうにかしてくれ、と思うぐらい、演奏が下手。まず、チューニングからして、全くあっていない。

管楽器担当者はみんな、マウスピースから出来るだけたくさんの息を吹きいれ、大きな音を出せばいいと思っている。息を吹き込みすぎると音が割れるものだが、そんなことは、全く気にしていない様子。

打楽器も同じ。見ていると、これでもかといわんばかりに、バチを高く振り上げ、太鼓の表面に力いっぱい叩きつけているのがわかる。

遠い昔、ブラスバンド部でユーフォニウムという楽器を担当していた私。(ユーフォニウムというのは、チューバの小さい版。今回掲載した楽隊の写真の、向かって左側の銀色の楽器。)よい音楽を作るには、チューニングをしっかりして、力まず軽く吹く、ことだと思っていたけれど、こちらの結婚パレード用楽隊たちにしてみれば、とにかく力んでナンボの世界のようだ。

って、演奏会ではないのだから、しかたないのだけれど、通りにこういう演奏があふれているこの時期、けっこううるさい。

2005年12月3日土曜日

拭く、なでる、磨く、こする

机や床を『拭く』ことを期待して、こちらの人にその作業をさせると、『拭く』というよりは『なでる』だけでコトが済まされる。

『拭き掃除』ではなく『なで掃除』。

手拭や雑巾をあまり区別せず、その辺にある布を、手に取る。その布で、机や床を、人によって、からぶきで『なでる』こともあるし、布を水にぬらしたのはいいが、十分絞りもせずに、びちょびちょのまま『なでる』こともある。いずれにしても、布(雑巾)を、折り曲げたりせず、くしゃっと手に取った状態のまま、すべらせるだけ。

ちがうちがう、『なでる』(スムスミャウヌ)んじゃなくて、『拭く』(プチュヌ)の。

といっても、彼らには何が違うのかわからない。

私が言っている『拭く』って、『こする』(ゴトゥヌ)とか『磨く』(マジュヌ)とかのことなのよ。布を引きずるんじゃなくて、4つ折にして、片面ずつ使って、力いっぱい『こする』ことなのよ。ほら、こうすると、一枚の布で、何回もきれいに出来るでしょ?

と、実演してはじめて、私の『拭く』と彼らの『拭く』の違いに、気づいてくれる。