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2006年4月29日土曜日

穢れの概念

ネパール(のヒンドゥ教)には、『ジュト(jutho)』とよばれる穢れ(ケガレ)の概念がある。

民族、カーストによっても、この概念に差はあるのでひとくくりにはいえないが、その中のひとつに、こういうものがある。

他人が口をつけた食器、食事中に触った食品などは『穢れ物』として扱われる/自分よりカーストが低い者が触れた食品、食器なども同じ扱い

大皿盛のメニューをみんなでつつきながら食べたり、鍋のようなメニューを取り分けて食べることなど、もってのほか。

異カーストである私がヒンドゥ教徒バフン(ブラーマン、司祭カースト)の家に遊びに行くと、絶対にかまどのそばには寄らせてくれないし、場合によっては台所の外で、みんなと離れた場所で1人食事を取らなくてはいけない場合などもある。

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この、穢れのジュト精神に関連する(?)話を。

冬が終わり暖かくなった頃から、家の中にチュチュンドラ(くちばしの尖ったモグラのような小動物)が侵入してきて困っている。

屋外からばかでかいムサ(ネズミ)を室内に運び込んでくるうちの飼い猫も、家に潜んでいるチュチュンドラには興味を示さない。

この前など、うちの猫の餌の食べ残しの中に、チュチュンドラがずうずうしくも入り込み(ゴハンの上にちょこんと乗って)、ペチャペチャ食べているシーンを、うちの猫は至近距離でじっと見つめていた。攻撃前の様子というわけでもなく、自分の餌を堂々と食べている小さな物体を、興味深く眺めている様子でしかなかった。

退治してくれうちの猫、と思ってしまうが、チュチュンドラには見向きもしないのがもどかしい。

うちの猫が後で食べようと残しておいた餌にチュチュンドラが触れると、2度とその餌を口にしてくれないのも困る。(ネパールの物価からすれば)高価なキャットフードが混ざった餌を捨てるしかなく、もったいなくもある。猫にとってのジュト精神であるような気もしておかしいのだが。

そこである日、残り物の餌を、大家が飼っている生後約半年になる犬2匹にあげてみた。

白いゴハンに、キャットフードやシドゥラと呼ばれる乾物の小魚が混ざっている餌。うちの猫が半分食べて、その後、チュチュンドラが口をつけた、思い切り穢れまくったものではあるが、ダルバート(豆のスープとゴハンという、ネパール定食)の残りしか与えられていない犬たちにとっては、ご馳走のはず。(大家が犬に与えている餌は、いかにも、ネパール人の食事の残り、という感じで、ターメリック色の黄色いものばかりなのだ)

ヒンドゥのジュト精神を意識することの多いここでの暮らしでは、動物にであっても、少し罪なことをしている気になってくる。でも、食べ物を捨てるよりはいいはず、と自分に言い聞かせ、犬の前に差し出すと、、、もう、興奮状態で、大喜びで食べまくる犬たち。

それ以来、猫とチュチュンドラによって穢されまくった餌の残りを、こっそり犬に与えている、罪深い私なのであった。

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