ブログ移転のお知らせ

当ブログは、2021年12月より新ブログにて発信しています。新しい記事については 移転先→新日々のネパール情報 をご訪問ください!今後ともよろしくお願いいたします。

2016年6月29日水曜日

ダヒチウラを食べる日



ネパールの公暦・ビクラム暦3番目今月、アサール月15日(アサール・パンドラガテ)には、ダヒチウラ(ヨーグルトと乾し飯)を食べる習慣がある。

今年オフィスで用意したのは、激甘ネパール菓子・ミタイ2種、ラルモン(लालमोहन)とバルフィ(बर्फि)を添えた、これ。

それにしても、最近ブログネタに使えることが、日々の賄い食ぐらいしかなくて、食べ物のことばかりですみません。

2016年6月27日月曜日

7人分のパニプリ


昨日、オフィスにて。昼ごはんにしっかりしとダルバートを食べた後に、パニプリの話題が出、全員一致で食べたい!と。

パニプリとは、たこ焼きサイズの空洞の揚げ皮を破り、ピリ辛ポテトサラダのようなものを入れ、酸っぱいソースをつけて食べるおやつ。

露店でもよく見かけるのだが、暑い今の季節、茹でジャガイモ系メニューは傷みやすく、衛生上心配。

ので、カトマンズ地元民が衛生的と評価するニューロードの有名店へ、スタッフが買いに走り、7人分テイクアウト。

通常、一皿にのせるのは8個前後なので、大量のプリ(揚げ皮)が並ぶ様子は見ていて楽しい!



ちょっと酸味と辛味が足りなくない?とか、このパニ(酸っぱいソース)、ミントも入ってるね、とか、材料を当てっこしつつ、皆であっという間に食べ終えてしまった。

ネパールのとうもろこし


家に絞りたての牛乳を届けてくれる農家のおばさんが、今朝もとうもろこしを10本持ってきてくれたので、一部オフィスへ。

こちらのとうもろこしは、かたくて噛み応えがあり、粒が気持ちいいぐらいにきれいにはずれる。

2016年6月26日日曜日

猫との縁

カトマンズでは野良猫よりも野良犬の方が多く、猫を見かける機会は少ない。

庶民は一般的に猫を好かず、縁起の悪い俗信も多い。

しかし私はなぜか猫に縁がある。以前、カトマンズで猫を飼っていた、というのが関係して猫を呼んでいるのかもしれない。

元飼い猫が死んでから9年ほどが経つ。その後私も引っ越し、住む場所が変わったにもかかわらず、今住む家にも、定期的に野良猫が現れる。仔猫連れも何度も見かけている。

オフィスでもそう。以前からよくいろいろな猫を見かけていたのだが、昨年ぐらいからは一匹の猫が慣れた足取りで進入してくる。4月に5匹出産してからというもの、最近では子連れでやってくることも。



先日は、オフィス裏の駐車場にとめてあったスクーターの足元に、生後2か月ほどの仔猫4匹が寄り添ってダマになっていた。



初めは無下に追い払おうとしていたスタッフたちも、最近では午後のチヤ(ミルクティ)用に買ってある牛乳を温めてあげたりしている。

見かける猫たちはどれも、毛の色や雰囲気が、元飼い猫に似ているような気も。

元飼い猫は雄の外猫で、寒い冬の日、猫部屋にしていた家の一室に白いメス猫をこっそり(?)連れ込んで寄り添って寝ていたり、当時話題になった「ねこ鍋」みたいに洗面台にはまって寝るのが好きだったり、見ていて飽きなかった。

(2007年9月撮影)

ネズミの死骸を得意気に家に持ち込んできたり、小さな子供を攻撃しようとしたりと、やんちゃな部分も多々あった。

私の妊娠初期、ネズミの死骸処理がストレスとなり、このまま飼い続けられるかどうか、人に譲ったほうがよいだろうか、などと悩んだことがあったのだが、時を同じくして、外でこしらえた傷が原因で、自ら身を引くかのように死んでしまったのだった。死を看取った当時のことは、思い出しても泣けてくる。

その後も私の周りに良く出没する猫たち。元飼い猫の子孫だったりして、なんて、感じることがよくある。

2016年6月21日火曜日

犬の糞尿禁止の貼り紙


外出先で見かけた、犬の糞禁止の貼り紙。

日本で見かける飼い主向け注意と違い、動物そのものに勧告しているかの様子がおかしい。

・・・ 

似たような貼り紙を昨年3月、オフィス近くの通りでも見かけたことがある。




その瞬間のことは、鮮明に覚えている。

2015年3月初旬、ターキッシュエア機がカトマンズ空港着陸失敗し、てんやわんやしている中、出国できないゲストの方たちが泊まっているホテルとオフィスを何往復もしているときに、偶然目にしたのだ。ユーモアのある貼り紙に、癒されたんだったなあ。

2016年6月5日日曜日

世界環境デー


6月5日は世界環境デー。

カトマンズの私立学校などでは、普段制服がある学校でも、この日は「グリーンカラーデー」と称して、緑の物を何か身に着けて登校するよう、ドレスコードの指定があったりする。

学校では、環境に関する特別授業やプロジェクト活動、ゲームなどのイベントも実施されたりもする。

そんな今日、カトマンズ市内タメル地区のオフィスにいると、外から、甲高く、かわいらしい子供の声のシュプレヒコールが。


通りに出てみると、「街をきれいにしよう!(सफा राखौ वातावरण)」と声を合わせながら、道端に落ちているゴミを拾い、進んでい子たちの姿。近所の学校の子たちが、世界環境デーにちなんで、清掃活動をしているのだった。


こちらの学校の「道徳」の教科書には、ポイ捨てはいけない、とか、リサイクル云々とか、環境に関する立派な知識が書かれていたりもする。

でも、暗記したことと、実際の行動が全く伴わない子も多い。

大人も同様で、学校でこの様なことを教えている先生自らが、平気でポイ捨てをしたりもする。

私など、人が見ていないところでも、良心が咎めポイ捨てなどできないが、先日、人里離れた山の中で、ごみをポケットにしまったところ、同行していたネパール人の若い女の子に笑われた。

「あなた一人ゴミをポケットにしまっても、ネパールはきれいになんかないの。みんな捨てるんだから、ここではあなたも堂々とポイ捨てしなさい!」

彼女も、学校で、環境について毎年学んできたクチ。でも、暗記して覚えた知識と実際の行動は全く逆。

悲しいかな、これが実情。

今日、タメルでゴミを拾ってくれていた子供たちは、どういう意識を持った大人になるだろう。

2016年5月31日火曜日

サモサ


10年以上前から発信し続けている当ブログ、いろいろなネパールの食べ物を話題にしてきたが、そういえばサモサのネタはなかったかもしれない。

本日のオフィスの賄食がコレだったので、この機会に掲載。

小麦粉で作った厚めの皮の中に、茹でつぶしたジャガイモや豆類(今日のはひよこ豆が入っていた)、ネギ類を具材にし、三角錐状に包んで揚げる食べ物。

形が違うだけで、以前話題にしたシャバレとほぼ同様。

シャバレ:http://dailynepal.blogspot.com/2016/01/blog-post.html

これに、コリアンダー入りトマトのアチャールをつけて食す。

茹でジャガイモは足が早いので、外では怖くて避けるメニューでもある。

2016年5月30日月曜日

カトマンズでも見かけるようになった交通誘導の人形


先日来、カトマンズ某所に置かれている、交通誘導の人形。ここ1~2か月位前に気づいたのだが、他の場所にもあるのだろうか。

先日、雨の降り始めに通りがかったら、本物の警官二人が、何かごそごそしている。オレンジ色のレインコートを着せてあげていたのだ。




人形をぬらさないためなのか、ホンモノらしく見せるためなのか。そのいずれであっても、二人がかりの手厚いお着換えサポート、微笑ましい。

日本のように手を動かして旗を振ったりする交通誘導ロボット「安全太郎」とかとは違って、ただ立っているだけ、と思っていたが、写真を編集していて、足元にバッテリーが置かれていることに気が付いた。

ということは、旗振りもするのだろうか。是非見てみたい。

2016年5月29日日曜日

タメルのドゥンゲダラの、日本人との縁


昨年の地震後、当ブログで何度か話題にしてきたタメルの共同水場ドゥンゲダラ・正式名ガー・ヒティ(गाःहिटी)。

今まで「ドゥンゲダラ」という一般名称のみ書いてきたが、ネワール語の「ガーヒティ」というのがここの正式名称。

過去の記事:
2015年6月3日 タメルで唯一被害の大きかった場所
2015年9月3日 タメルのドゥンゲダラ再び
2016年4月25日 修復中のドゥンゲダラ

去る3月より始められた修復工事が、近々終わろうとしている。




タメルの文化遺産として地元の人たちが誇るガーヒティ。

周辺住人にとっては貴重な水場であり、地震後、修復の話が何度も出ていたが、資金繰りが難しく、なかなか実現には至っていなかった。

しかし昨年末、とある日本人の方たちから寄付が寄せられたのがきっかけで、タメルのコミュニティや地元住民たちが沸き立ち、真剣に市役所に掛け合い、政府からも大口の資金援助をしてもらえるようこぎつけ、本格的な修復作業が始まった、という経緯がある。

その時点では(おそらく今も?)、外国人からの寄付の申し出は初めてだったという。

実は、世話役の日本人の方が、当ブログの記事を偶然目にし、気にかけてくださったのがきっかけだった、という逸話も。

私が発信している日々の何気ないネパールの日常と、小さな草の根の力が、こうやって地震後の修復へのきっかけを作り、それがいま、目に見える形で完成しようとしていることを、とても嬉しく思っている。




ところでこのドゥンゲダラ、地元の人たち曰く、およそ1000年ほど前に造られた歴史あるものだそうだが、地震で被害に遭うまでずっと、水場として使えていたわけではなかった。

長い年月の間には、水が出なくなってしまったり、水はけが悪くなったり、というトラブルもあって、過去何度も手を加え、時には長い間使えなくなってしまった時期なども乗り越え、今に至るという。

最近では、25年以上前に発生した落雷の影響で、10年以上水場としては利用できなかった時代があったのだそうだ。

その後、日本大使館からの資金援助があり、修復工事が行われ、2001年より再び使うことができるようになった。

そのことを証明する石碑が、ドゥンゲダラの中央に埋められている。

地元のコミュニティの方たち、「前回も日本人が修復に関わってくれ、地震後も、修復のきっかけを作ってくれたのが日本人であったことに、運命を感じる」と、喜んでくれた。

実は落雷のことと、その後の修復に日本が関わっていたことは私も先日知ったばかり。今まで以上にこのドゥンゲダラに愛着を感じ、経過を見守っていきたいと、強く思った次第。


ところで、もうすぐほぼ修復完成ではあるが、実はまだ3点、大きな問題を抱えている。

まず初めに、ドゥンゲダラという名前の由来である、石の(ドゥンゲ)蛇口(ダラ)を、どうやって再現するか、ということ。石に彫刻が施された大きな蛇口が折れてしまい、今も、水場の横に、写真のように放置されている状態。(しかも、こんな貴重なものの上に、無造作に洗濯物まで干されている!)

新たに同じものを造るには費用面でも技術面でも厳しいため、壊れたこの蛇口を、うまくくっつけて利用できるようにしたい、とのこと。

そしてあと2点は、水場の横にある歩道の修復と、水場と歩道の間に柵を作るための資金が不足している、という点。

これら3点については、資金が集まるまで完成せず、しばらくは保留となる可能性もあるが、「水場」として再び利用ができるようになったことだけでも、皆、本当に喜んでいる。

地震から1年以上経った今も、未だ修復すら始まっていない場所も多い中、庶民の熱い想いのもと、ガーヒティのように修復が実現した、というケースは、被災した他の地域や施設にも、良い刺激を与えているのだそうだ。

(写真はいずれも5月26日に撮影したもの)

2016年5月24日火曜日

ライチの種


前回のライチの話題に続き、今回はライチの種のことを。

色・艶・形、光具合すべて、アーモンドチョコそっくりな、ライチの種。

ネパールに来たばかりの頃、今の季節、カトマンズの路上のあちこちにアーモンドチョコが大量に落ちていて、なんで!?もったいない!と、気になったことがある。

そしてある日、自分がライチを食べて、あのアーモンドチョコボールの正体を知った。そうだったのか!

写真は昨日食べたライチの種。汚くてすみません。

2016年5月22日日曜日

ライチの季節


今年の5月は、いつもよりも雨が多く、おかげでそれほど暑くならない日が続いている。

ここ何年かは、もともと気温が上がる時期に加え、プレモンスーンながら雨がほとんど降らない、という5月だったことが多かったような印象。どこもかしこもカラッカラに乾き、気温ばかりが上昇し30度越えの日々が続くことが多かった。

それが今年は程よくまとまった雨が降るおかげで、気温も下がり、朝晩などは涼しさを通り越し、肌寒さを感じることもあるほど。



そんな5月は、ライチ売りが街に出始める季節。いつもの通り道に、恒例のライチ売りが出没し始めたのが、10日ほど前。(写真は5月14日撮影)

この時は、ライチ売り、「1キロ350ルピー!買う?」と言いながら売り込みに駆け寄ってきた。

「今日はいらないから!」と去ろうとしたら、交渉もしていないのに、「320でどうだ?」「よし300だ!」「280!」「250!」と勝手にドンドン値を下げてきて、味見用に一粒無理やりつかまされ、最終的には「230ルピーでいいから!」と、120ルピーも落ちていた。毎年こんな感じで、強引なんだよなあ。

結局この時は買わなかったのだけれど、一体本当はいくらだったのだろう?

あれから一週間以上たっているから、値はさらに下がっているかもしれない。

・・・ 

昨年までのライチ売りの様子:

2016年5月20日金曜日

ミントのアチャール


毎日オフィスで作ってもらっている賄食。

どれもネパールのメニューではあるが、バリエーション豊富。毎日楽しみにしていて、昼近くなると、子どもが母親に尋ねるがごとく、「今日のごはんなーに?」と聞いてしまう。

今日のメインはチキンカレー。脇役にミントのアチャール。




チキンは、給料アップしたスタッフからの差し入れ。アチャールは、先月賄スタッフの村へ行ったとき作ってもらった爽やかな味が忘れられず。私の家に自生しているミントの葉を摘んで持ってきた。

葉と青唐辛子を平たい石臼ですりつぶし、トマトと塩を加えた、ソース状のもの。ネパール料理に入れがちなクミンシードやニンニクなどは入っておらず、あっさりしていて、脇役ながらも病みつきになる味。

2016年5月19日木曜日

新しくなったカトマンズ空港国内線ターミナルビル


昨日より利用開始となったという、カトマンズ空港国内線新ターミナル。

国内線の利用は個人的にはあえて避けており、利用する機会を待っているといつになるかわからないので、見学に行ってきました。

別ブログに簡単にまとめましたのでご参照ください:

 「カトマンドゥ国内線空港ターミナルビルが新しくなりました!」
 http://tokuhain.arukikata.co.jp/kathmandu/2016/05/post_218.html

2016年5月15日日曜日

チチミラ


雨期前に発生する虫、チチミラ(छिचिमिरा)。左右2枚ずつの薄い羽をもち、地面から湧き出すよう飛び、舞う。寿命は1日だというから、カゲロウの一種と思われる。



昨夕外出すると、車のフロントガラスにぶつかってくるように次から次へと飛んできていたのだが、大通りに出てさらにその数に驚く。

車のライトに反射する大量のチチミラ。



カトマンズ近郊の農家では、チチミラが発生する時期を、とうもろこしの種をまき始める指標とすることがあるそうだ。

2016年5月13日金曜日

ネパールにもある「あやとり」


「日本の古い遊び」と思われがちな「あやとり」だが、同じ遊びがネパールにもある。

勤務中話題にしたら、ネパール人スタッフたちもノッてきて、童心にもどり、知っている技を見せてくれた。

20代女性スタッフが見せてくれた上の技。日本の「ほうき」と同じもののようだ。でも作ってくれた本人曰く、何なのかはわからない、そうだが。

40代男性スタッフが披露してくれたのは、日本の「二本ほうき」と見た目同じの、これ。

ちなみにこのあと、ぱっと手をたたいたすきに小指の紐を外すと、糸がきれいな1本の輪っかに戻る、というパフォーマンス付。

ネパールらしい「技」を求め、身近な人たちに糸を差し出しては披露してもらっている今日この頃。

これがけっこう盛り上がるのです(笑)。

2016年5月8日日曜日


近所の八百屋で時々、売り物の野菜を狙う牛に遭遇する。

以前の記事:

どこかで飼われてはいるが放し飼いで、気ままにあちこち出歩いている牛。

よだれを垂らしながら、じっと中の様子をうかがっていた。

その後ゆっくり近づいてきて、店頭に並んでいる売り物の菜っ葉を食べようとし始めたから、一度は店主に箒で追い払われる。

でも、その後、干からびて売り物にならなくなったニンジンを与えてもらい、おいしそうに食べていた。

2016年5月6日金曜日

母の日のミタイ


ネパール版母の日の今日。

甘いネパール菓子ミタイの贈り物を持って、母親の元を訪問する習慣がある。

お菓子屋さんでは、いつもよりも目立つよう、ミタイが陳列される。

よくヨーグルトを買いに立ち寄る、自宅近所の小さな乳製品屋さんでも然り。

色・形状・サイズどれも、和菓子にあってもおかしくない、心ときめくデザイン。

味はどれも濃厚で乳臭く激甘。買って、そして、一口食べて後悔するのはわかっているのだが、きれいなデザインに刺激され、思わず二種類購入。

ひとつは、写真下奥に小さく写っている、見た目「練り切り」そっくりのもの。もう一つは、この写真には写っていないが、以前当ブログでも話題にしたことのある「ラッドゥ」。

家に帰ってラッドゥを割って口に入れたら、洋酒(?)か何かが、ふわっと口の中に広がったような気がした。今まで食べた「ラッドゥ」と違い、やや酸味のある味わい。ラム酒か何か入れたのかしら?

あれ、でもおかしい! ヒンドゥ教の儀式やイベント時に登場するこのミタイ。宗教上「酒」はよろしくなく、「ミタイ」に酒で香りづけするワケがない。

・・・これ、腐ってる!

あわてて吐き出し、事なきを得る。

実際、腐っていることも多いそうで、信頼できる店でしか買わないよう、ネパールの人たちも気を付けているようだ。

・・・


オフィスでも、賄の時間に、10代のスタッフが「母の日だから」とグドゥパックを差し入れてくれた。

見た目「味噌」にしか見えないが、これも例にもれず、乳臭く激甘なネパール菓子。

グドゥパックに関する以前の記事:
http://dailynepal.blogspot.com/2013/11/blog-post_29.html

お椀いっぱいついでくれたのだが、一さじだけに減らしてもらった。

2016年4月29日金曜日

車道


カトマンズ各地で道路拡幅工事が始まり3~4年経つだろうか。

家々の外壁に軒並み破壊予告印がつけられたもののそのままになっていた自宅周辺も、去る2月初旬からついに工事が始まった。

2か月以上経った今もまったく終わる見込みはなく、細いながらも舗装されていた道には、土砂と岩が積まれひどい状態になっている。


拡幅工事はカトマンズのみならず、ネパール各地で行われているようだ。

この1か月半程の間に陸路で各地出かけたが、いたるところで目にしてきた。

たとえば、

カトマンズから南ネパール方面へ抜ける際の幹線道路。ムグリン~ナラヤンガート間。2月11日から始まった工事は今も続いている。


カトマンズ郊外の展望台、ナガルコットへ行く道も昨夏より工事中。道路脇の崖が見事に削られている光景があちこちに。


自然を破壊してまでさらに拡幅することには複雑な思いも感じるが、完成すれば便利にはなるだろう。

・・・

ところで、自宅近所の道に話を戻すが。


レンガ敷きの、車が入れない細い小道があちこちに延びている。普段通らない道に初めて足を踏み入れて、迷路に迷い込んだ気分になりワクワクすることがある。道を進み、知っている場所に出て、ああ、ここに通じていたのか!と、感動したり。

でも、そんな路地の塀にも破壊予告の赤い印が書かれているのを発見してしまった。こういう味のある路地もなくなってしまうのは、残念だなあ。

2016年4月25日月曜日

修復中のドゥンゲダラ(共同水場)


当ブログでも何度も話題にしてきたタメルのドゥンゲダラ(共同水場)。

昨年の大地震で、向かいのホテルが崩壊し、この場に倒れ込み大きな被害を受けた。

前回の記事(2015年9月3日付)
しばらくは瓦礫が山積みになり、水場の機能を果たせていなかったのだが、一部瓦礫がよけられ、かろうじて水を汲めるようになったのが昨年夏ごろ。

水はけが悪く異臭が漂う中、瓦礫をよけるように、近隣の人が水を汲んだり洗濯をしたりする姿を見かけていた。

その後もなかなか修復工事は始まらなかったのだが、先月3月12日に、ついに着工。


≪2016年3月16日・修復工事着工から5日目に撮影≫




≪2016年4月25日撮影≫

冒頭の写真も本日撮影したもの。

瓦礫がかなり撤去され、周囲の塀も整備され始めている。

この工事着工のきっかけとなったのが、昨年末修復費用に充ててほしいと寄せられた、とある日本人の方々から寄付だった、と関係者の方から聞いている。

あの日から一年経ってしまったが、復旧に向け毎日作業が進められている様子に嬉しくなる。

・・・ 


ビクラム暦(1月12日)で考える、地震1年の日に当たっていた昨日。

世界遺産、寺院、交差点、地元の人しか通らないような路地裏。あの日を思い出し、死者を弔うためあちこちで灯されていた灯明。

ここドゥンゲダラのそれはひっそりとしていて、他の会場のような派手さはなかったけれど、だからこそ、地元の人たちの真の想いが込められているように見えた。


≪2016年4月24日撮影≫

2016年4月24日日曜日

ネパール大地震から1年


本日、ビクラム暦1月12日。昨年の大地震から今日で1年。

2015年4月25日に起きた地震なので、海外のメディアや支援団体の多くが「4月25日」が1年、としてとらえているが、実際に地震を体験したネパール人たちにとっての1年は、ビクラム暦で巡ってくる。

節目となる今日、各地で様々な追悼イベントが行われていた。

地元のごく親しい人たちが集まり、灯明を灯し死者の霊を追悼するものから、事前にメディアで告知されていた大がかりな追悼ライブのようなものまで。

写真は、本日スワヤンブナート入口での様子。僧や地元住民たちが静かにろうそくに火をつけ、祈っていた。



・・・



前日にはバサンタプルにて風船を飛ばす催しも行われていた。地震から2か月の時にも実施されていて、今回も同メディア主催のもの。


・・・ 
ところで、この一年、今のネパールを自分の目で見ておかないと、という想いにかられ、時間の許す限り、あちこち出かけてきた。

その際、被災地の村でよく耳にしたのが「ナヤ・ネパール(新しいネパール)」という言葉。

昨年9月、7年越しに新憲法が公布された際によく使われた言葉でもあるのだが、地震後、新たな環境の中で日常を取り戻していった様子を「これぞナヤ・ネパール(新しいネパール)だね!」と表現する村の人がけっこういたのだ。

まだまだ復興にも程遠く、心身共に傷を負い癒えていない人も多いのが実情だが、明日から始まる一年が希望に満ちた「ナヤネパール」になることを願ってやまない。