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2016年5月29日日曜日

タメルのドゥンゲダラの、日本人との縁


昨年の地震後、当ブログで何度か話題にしてきたタメルの共同水場ドゥンゲダラ・正式名ガー・ヒティ(गाःहिटी)。

今まで「ドゥンゲダラ」という一般名称のみ書いてきたが、ネワール語の「ガーヒティ」というのがここの正式名称。

過去の記事:
2015年6月3日 タメルで唯一被害の大きかった場所
2015年9月3日 タメルのドゥンゲダラ再び
2016年4月25日 修復中のドゥンゲダラ

去る3月より始められた修復工事が、近々終わろうとしている。




タメルの文化遺産として地元の人たちが誇るガーヒティ。

周辺住人にとっては貴重な水場であり、地震後、修復の話が何度も出ていたが、資金繰りが難しく、なかなか実現には至っていなかった。

しかし昨年末、とある日本人の方たちから寄付が寄せられたのがきっかけで、タメルのコミュニティや地元住民たちが沸き立ち、真剣に市役所に掛け合い、政府からも大口の資金援助をしてもらえるようこぎつけ、本格的な修復作業が始まった、という経緯がある。

その時点では(おそらく今も?)、外国人からの寄付の申し出は初めてだったという。

実は、世話役の日本人の方が、当ブログの記事を偶然目にし、気にかけてくださったのがきっかけだった、という逸話も。

私が発信している日々の何気ないネパールの日常と、小さな草の根の力が、こうやって地震後の修復へのきっかけを作り、それがいま、目に見える形で完成しようとしていることを、とても嬉しく思っている。




ところでこのドゥンゲダラ、地元の人たち曰く、およそ1000年ほど前に造られた歴史あるものだそうだが、地震で被害に遭うまでずっと、水場として使えていたわけではなかった。

長い年月の間には、水が出なくなってしまったり、水はけが悪くなったり、というトラブルもあって、過去何度も手を加え、時には長い間使えなくなってしまった時期なども乗り越え、今に至るという。

最近では、25年以上前に発生した落雷の影響で、10年以上水場としては利用できなかった時代があったのだそうだ。

その後、日本大使館からの資金援助があり、修復工事が行われ、2001年より再び使うことができるようになった。

そのことを証明する石碑が、ドゥンゲダラの中央に埋められている。

地元のコミュニティの方たち、「前回も日本人が修復に関わってくれ、地震後も、修復のきっかけを作ってくれたのが日本人であったことに、運命を感じる」と、喜んでくれた。

実は落雷のことと、その後の修復に日本が関わっていたことは私も先日知ったばかり。今まで以上にこのドゥンゲダラに愛着を感じ、経過を見守っていきたいと、強く思った次第。


ところで、もうすぐほぼ修復完成ではあるが、実はまだ3点、大きな問題を抱えている。

まず初めに、ドゥンゲダラという名前の由来である、石の(ドゥンゲ)蛇口(ダラ)を、どうやって再現するか、ということ。石に彫刻が施された大きな蛇口が折れてしまい、今も、水場の横に、写真のように放置されている状態。(しかも、こんな貴重なものの上に、無造作に洗濯物まで干されている!)

新たに同じものを造るには費用面でも技術面でも厳しいため、壊れたこの蛇口を、うまくくっつけて利用できるようにしたい、とのこと。

そしてあと2点は、水場の横にある歩道の修復と、水場と歩道の間に柵を作るための資金が不足している、という点。

これら3点については、資金が集まるまで完成せず、しばらくは保留となる可能性もあるが、「水場」として再び利用ができるようになったことだけでも、皆、本当に喜んでいる。

地震から1年以上経った今も、未だ修復すら始まっていない場所も多い中、庶民の熱い想いのもと、ガーヒティのように修復が実現した、というケースは、被災した他の地域や施設にも、良い刺激を与えているのだそうだ。

(写真はいずれも5月26日に撮影したもの)

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