ブログ移転のお知らせ

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2006年9月4日月曜日

トリスル(Trishul):三又鉾



トリスル(Trishul)というのは、ヒンドゥ教シバ神が持っている三又の槍。日本語では三又鉾と訳されることが多いようだ。日本の刺股(さすまた)は、長い柄の先端にU字型の金具がついている武器であるが、トリスルは、U字の真ん中にもう一本入っているような形となる。(写真のシバ神が左脇に挟んでいるのが、トリスル)

以前、ネパール中部にある古都タンセンに行ったとき、丘の上に建つ寺院を訪れたことがある。そこには、ネパール最大だったか、世界最大だったかのトリスルがまつられていた。

カトマンズ~ランタン・ヘランブー地方のトレッキングに行く際、トレッキング始発地点(ドゥンチェまたはシャブルベシ)までは、トリスリ(Trishuli)川と呼ばれる川に沿って進む。このトリスリという言葉は、シバ神が持つトリスルに由来しているそうだ。

この地方のトレッキングで有名な、ヒンドゥ教の聖地ゴサイクンダ(Gosaikund)という場所がある。ここには、シバ神にまつわる多くの話が残っていて、その中のひとつに、この場所でシバ神がトリスル(三又鉾)を使って地面を突き刺したところ、そこから水が溢れ出し川になった、それがトリスリ川という名前の由来だ、というものがあったと記憶している。

トリスルを使った話題を今日はひとつ。

先日、『山』という文字に似た模様がたくさん書いてあるデザインのラベルを、衣類の一部に縫い付ける作業をネパール人に頼まなくてはいけなくなったことがあった。

日本人同士であれば、模様を『山』という漢字にたとえ、向きが上下逆にならないように縫い付けて、という指示をすれば、すぐに理解してくれるところだ。

しかし、こちらの人には『山』の向きで、といっても通用しない。以前も同じ指示を出さなくてはいけないことがあったのだが、そのときは、ラベルを見せ「3つの先っぽを必ず上向きにするように」「Mの逆で、またはWの向きで」としつこいぐらいに注意を促した。

しかし、仕上がったものを見ると、半分ほどの向きが逆になってしまっていた。あれほどいくつも例を出して説明したのに、なぜに間違えたのか理解できないのだが、要するに、彼らにしてみれば、どちらを上向きにして縫い付けなくてはいけないか抽象的にしか理解していなくて、上下の向きなど意識していなかったということなのだろう。

今回は、以前の経験を生かし、ネパール人でも上下を間違えるはずのない具体的な指示の出し方を考えてみた。『山』の文字に似た模様を、絶対に上下逆にしないような、良い例。3つの先っぽが必ず上を向かなくてはいけない、と一発で印象付けるものは何か?

いろいろ考えていて、トリスルを思いついた。



シバ神が持つトリスルは先ほども書いたように三又となっている。シバ神はこのトリスルを、たいてい柄を下にして持つ。つまり、三又の突き刺す部分が上に来るから、『山』という文字に似ているデザインが持つイメージと共通する。

これなら、こちらの人の脳裏にもしっかり焼きついてくれるはずだ、そして、間違えようもなくなるはずだ、と思い、トリスリの例を出して説明したところ、効果てきめん、上下の向きを間違えなくなった、ということがある。

2006年9月3日日曜日

雨乞いの儀式

毎週日曜日発刊のネパール語週刊誌に、面白い記事が載っていた。

雨の少なかった今年の雨期。ネパール南部に位置するナワルパラシ郡の一部の村では大干ばつ被害に遭っているという。

この地方では、雨乞いのための独特な風習があるとのこと。それは『深夜みんなが寝静まった頃、女性たちが集まって、全裸で田畑を耕す』という風習なのだそうだ。そして、『ただ耕すだけではなく、雨の神・インドラ神を罵りながら耕す』のだそうだ。昔からの言い伝えに深く影響しているそうなのだが、ネパール国内にも、地域や民族によって、興味深い風習がいろいろあって面白い。

ここ何年も、このようなことをしたことはなかったらしいのだが、今年の雨不足で大干ばつに見舞われ、田畑が枯れ果ててしまった。そこでついに女性たちは意を決し、夜、裸になって、田畑を耕しているという。

ここで、ネパールの田の耕し方を少し説明したい。日本も昔はそうだったのだと思うのだが、こちらでも農耕機(トラクター)などを使う習慣はなく、すべて人力作業。去勢牛(ネパール語ではゴルという)に農耕具を引かせて耕したりもする。

そこで、だ。ネパール南部のその地域では、裸になった女性何人かはゴルの役をし(つまり、四つんばいになって田畑を歩くのだと推測できる)、田畑を耕しているそうだ。想像すると、妙に生々しいこの光景、他人事ながら恥ずかしくなってしまう。

もちろん、男性立入厳禁だし、見てもいけないとのこと。しかし、作業終了後、カジャ(軽食のこと。ここでは夜食のような意味合いで読み進められる)を差し入れる習慣もあるそうなのだが、差し入れは、村で一番偉い人物がしなければいけないとのこと。村の偉い人物といえば、たいていは男性になってしまう。そこで、目隠しをして現場(全裸の女性が集まる田畑)を訪れているそうだ。差し入れ人が精力みなぎる中年男性ではなく、よぼよぼの長老であってほしい、などと、どうでもいいことを考えてしまった。

女性たちのためにも、雨乞いの効果があってほしいと思う。

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さて、上記の地域からそれほど離れていないネパール南西部(バルディア郡など)では、先日から大雨の被害が出ている。多くの人が大雨により家を失い、緊急に食料や医薬品を必要としているそうだ。ネパールのことなどめったに流れない日本のニュース(NHKBS)で、昨日深夜(日本時間の本日未明)、このニュースを流していて少し驚いた。それほど被害は深刻だということなのだろう。

大干ばつの被害に遭っている地域と、大雨の被害に遭っている地域、直線距離にして約400km程度しか離れていない。自然は意地悪だ。

ちなみにここカトマンズでは、まだ雨期は終わっていないが雨不足には変わりなく、すでに計画停電が始まっている。雨の神・インドラ神は、何をしたら雨を降らしてくれるのだろう?

2006年9月2日土曜日

計画停電開始

9月1日から、また、計画停電が始まった。

今年の雨期も、降雨量が非常に少なかったためだ。(しかし現在、西ネパールでは深刻な大雨被害を被っていて、医薬品や食料の不足が深刻になっているようだ)

とりあえず今のところの停電時間帯は、どの区域も1週間に一度、夜7時から9時半までの2時間半の実施となるようだ。(そのうち、停電時間は増えていき、今年初旬に実施されていたように、1週間に35時間もの停電が実施される日もそう遠くはないだろう、、、)

計画停電が始まる、という情報はあったのだが、いったい、どの区域が、何曜日の停電にあたるのか、詳しく知らないでいた。日本であれば、かなり前から、停電のお知らせと、お詫びなどが告知されるところだと思うが、そういう配慮はない。

いったい、私が住む地区では何曜日の停電となるのか?毎日ハラハラしながら過ごすのは嫌だ。でも、1週間以内には必ず電気は消えるわけだから、気長に待とう、と思っていたところ、計画停電開始2日目の本日、夜7時ちょうど、突然ぶちっと電気が切れた。

真っ暗闇の世界になった瞬間は、がっくりしてしまったが、早いうちに停電曜日がわかって安心もした。

さて、旅行者が多く集まるタメル地区では、金曜日の夜7時から9時半までの停電となるようだ。中級以下のホテルに泊まる場合は、自家発電機を備えていないところも多いので、これから来年の雨期が始まるまでは、懐中電灯を持参すると役立つはずだ。

中級ホテルには自家発電機が備わっている場合が多いが、自家発電では、ロビーやレストランの公共スペースのみしかまかなえないほどの電力しか供給できない場合も多いから、やはり懐中電灯は必須。

2006年8月21日月曜日

祭ではないけれど、祭のようなもの

19日、20日と実施されていた、石油製品値上げに抗議すると見せかけた憂さ晴らし行動は、とりあえず終結した。

市内のあちこちでタイヤを燃やしたり、罪のない一般市民が乗るテンプー(乗り合い三輪自動車)のガラスをレンガで割ったり、緊急事態で出動している救急車に投石したりすることのどこが、抗議行動なのだろう?と思ってしまう。日頃鬱憤を晴らす機会のない若者が、ここぞとばかりに暴れまくって、お祭り騒ぎで楽しんでいるだけ。

お祭り騒ぎといえば、カトマンズ市外に住む知人が住む村では昨日、隣人たちが集まって、ヤギを一頭絞めたそうだ。(食用動物を絞め、みんなで分けて食べる、という行為は、祭り気分のときにすることが多い)

もうダサイン(祭)気分なわけ?と聞くと、まあそんなものだね、と、知人は答えた。(もうすぐ、生贄のために生き物をささげる儀式も行われる、ヒンドゥ教最大の祭り『ダサイン』祭が始まる)

以前は、季節行事なのかと錯覚するぐらいに定期的に実施されていたバンダ(スト)なのだが、今年4月の政情混乱終結以降、実施されていなかった。バンダによる臨時休暇慣れしてしまった一般市民たちには、バンダ無し(臨時休暇無し)の生活こたえる。

それが、今回の抗議(とかこつけた憂さ晴らし)行動で、街の機能が麻痺し、久しぶりの休暇となったのだから、これを祭り扱いとしないでどうする。そういうわけで、村人が集まって、ヤギを一頭絞めたそうなのだ。

抗議行動といいながら、憂さ晴らしでタイヤに火をつけ、他人に迷惑をかけて楽しむネパール人もネパール人だが、こうやってできた臨時休暇をいいことに、祭り気分でのんびりヤギを絞めるネパール人もネパール人だ。まあ、私もこの休暇をいいことに、家でのんびりくつろいだのだが。

所詮、この国の(最近の)バンダ(スト)なんて、この程度のもの。

うわーなんだか大変らしいぞ、と、現地で大慌てし、ネパールの治安は悪い、とすぐに決めてしまうのは、状況を正しく入手するのが難しい旅行者だけかもしれない。

政変による暴動と、憂さ晴らし的お楽しみ暴動は違う。そこのところをよく理解していれば、ネパールは危ないんだろうか?などと心配するだけ無駄にさえ思えてくる。でも、自己責任で注意はしなくちゃいけないけれど。

2006年8月20日日曜日

久しぶりの1日

昨晩遅く、「石油価格高騰への抗議が20日も繰り広げられる予定なので、外出は控えるように」という日本大使館発の地区別緊急連絡網が入ってきていた。特に出かけなくてはいけない用事もなかったので、1日家で過ごすことに昨日から決めていた。(ネパールでは日曜日は休日ではないため、通常は普通の平日となる)

一応朝、街の様子を確認しようと、リングロード(カトマンズ市、パタン市を囲む周囲約20kmほどの環状道路)外に住む知人と、リングロード内の街の中心部に住む知人に、現在の外の様子を教えてもらう。各地でタイヤが燃やされていて、車両の通行はやめたほうがよさそうだ(場所によってはバイクでの通行は無理)、と聞いたので、家で過ごすことを再決定する。

昼過ぎまでいい天気だったので、洗濯物と、家中の布団を干す。それだけでは強い日差しの有効利用には物足りなく、先日買ってあくを抜いておいたぜんまいも干す(干しぜんまい作り)。ビンに入れて太陽の下に置いて作る大根の発酵アチャール(漬物的ご飯の友)も仕掛け、照り焼きまんを食べたくなったので作って蒸し、典型的なバンダ(ゼネスト)の日の、のんびりした休日を過ごす。4月の連日カフュー(外出禁止令)の日々を思い出してしまう。あのときも、なぜか照り焼きまんを食べたくなって作った。

一段楽していると、なんとなく雲行きが怪しくなってきた(昨日も書いたのだが、雨期終盤の今日この頃、午後になると天気が急変し、短時間のスコールが降ることが多い)。そろそろぱらつくかな、と思いながら室内で他の作業をしていると、「雨が降ってきたぞ~(パニパリョ~)」という、隣人が近所に知らせる叫び声が聞こえ、あわてて庭に駆け下りる。叫び声の主(隣の家のおばさん)もあわてて洗濯物を取り込んでいて、顔を見合わせ苦笑いをしてしまう。洗濯物と布団とぜんまいとアチャールのビンを家の中に取り込む。

夕方前、寝転がりながら本を読む。知らないうちに寝てしまったようだ。寝ていた時間は1時間ほどだったのだが、夢を見る。携帯で電話をかけようとすると、変なエラーが出てつながらないのだ。何度も何度も番号を押しても、エラーが出て埒が明かない。おかしいなあ、と思っていると、周りの携帯も同じ状態になっていることがわかる。

つまりこの夢、つい最近までネパールの政変時によく起きていた、通信を遮断される状態を連想させるものだったのだ。外で抗議行動がおきている今日、やっぱり(電話が)とめられたか、などと、夢の中の登場人物たちと話しながら、電話をかけるのをあきらめる。

・・・と、突然、現実世界の電話がなって、眠りから覚める。通信遮断されていたのは、夢の中だけだとわかり、ほっとする。

その後、夕方過ぎ、大使館発地区別緊急連絡網が入る。石油製品の値上げはとりあえず延期になったとのこと。明日から市内は通常に戻るだろう。

ほっとしながら、夕飯の準備に取り掛かる。

2006年8月19日土曜日

抗議熱は雨と共に消える

日中、カトマンズ(パタン含)市内は大変なことになっていたらしい。

石油価格高騰に対する抗議デモが、あちこちで繰り広げられていたらしいのだ。(20日も抗議行動は引き続き行われるようなので注意)

リッターあたり67ルピー(約110円)だったガソリンが、84ルピー(約130円)に値上がりすることに伴う抗議デモ。値上がり後も日本のガソリン価格よりは多少安いが、平均月収が日本の20~40分の1であるネパール。ガソリンがこの価格になるのは、現地人にとっては非常に痛い。

そこで、路上でタイヤを燃やし交通を妨げる、通行している車両に投石し、ボコボコにする、という大人気ない行為をみんなでして、価格高騰に抗議するわけ。

そんなことをしても、世界的に高騰している石油価格を下げることはできない。でも、こちらの人は 抗議行動という名ばかりの憂さ晴らし を、機会を見つけては繰り広げ、お祭り同様に楽しむ。

本日私は、自宅から割と遠い出先にいて、市内が大変なことになっている、という情報を日中耳にした。話によると、各地の路上でタイヤが燃やされていて、通行している車両は抗議隊によって止められているという。市内移動は徒歩でならできるが、車両ではかなり危険そうだ、という。

私は普段スクーターで移動している。最悪、この抗議行動が長引けば、スクーターは出先において、徒歩で家に帰らなければいけないかもしれない、と覚悟した。

でも、熱しやすく冷めやすいネパール人のこと。抗議行動がそんなに長時間続くはずもない。夕方近くなって雨が降り始めれば (雨期終盤に差し掛かり、午後にスコールが降る日が続いている)、もうボク、タイヤ燃やすのも飽きたし、雨も降ってきたから、家に帰ろーっと、というノリで、本日の抗議行動はすぐに終結になるだろう、と読んでいた。

実際、この国の抗議行動は、雨が降り始めたとたんに、笑えるほどあっけなく終了する。それはそれで嬉しいことなのだが、その程度の意思だったの?と半ばあきれてしまうことも多い。

たとえば、一昨年前、政党による抗議行動が1ヶ月以上連日起こっていたとき。雨が降り始める季節に入ったとたん、抗議行動の時間帯を雨が降らない時間帯に変える、という、手段をとっていたことがあった。(他の理由があったのかもしれないが、日差しが強かったり、雨が降ったりするたびに、それを避けるかのごとく抗議の時間帯がずれていた)

また、連日外出禁止令が続いていた今年4月にも、似たようなことがあった。外出禁止令発令区域にもかかわらず、国王に抗議する大群衆が何万人単位で終結し、王宮を目指したことがあった。あと1時間もしないうちに、王宮は大群衆に取り囲まれ、大変なことになるのではないか、と、誰もが心配したそのとき、突然大雨が降り始めた。

すると、シュプレヒコールを飛ばし、白熱しまくっていた大群衆は、それまでの熱をすっかり雨に冷まされたかのごとく、みんなさっさと家路につきはじめたのだ。つまり、抗議行動に参加していた大群衆のほとんどは、抗議の意味もわからずお祭り気分で抗議デモに参加してみた、という、安易な目的でしかなかったということなのだろう。

余談で長くなったが、今回のデモも、夕方雨が降り始めれば、とりあえず解散になるに違いない。徒歩での帰宅を覚悟した私も、すぐに、考えをあらためた。雨が降れば、余裕で車両移動できるだろう。

そして、15時過ぎ、予測どおり小雨が降り始めた。ここぞとばかりにスクーターを出し家路についた。つい1時間ほど前まではタイヤが燃やされて大変なことになっていたという通り道には、案の定、抗議している人の姿も見えず、普通の街に戻っていた。タイヤが燃やされた痕跡は、あちこちで見かけたのだが。

抗議行動とかこつけて、日頃の憂さを晴らせればそれで大半の人の目的は果たせる。抗議熱など雨と共に一瞬にして消えてしまう、所詮その程度のものなのだ。

でも、また明日(20日)の日中も、抗議行動は続くというので、注意はしたい。

2006年8月16日水曜日

カトマンズダルバール広場のクリシュナ寺院

クリシュナ寺院
 
今日はヒンドゥ教の神・クリシュナの誕生日(クリシュナアスタミ)で祭日。

旅行者エリアのタメル地区から南下し、アサンやインドラチョークを過ぎ、旧王宮広場内に入ると、向かって左手側に怖い顔をした、でも、どこかかわいい、カラフルなカラ・バイラブ像が見えてくる。

クリシュナ寺院はこの少し先の右手側に位置する八角形の珍しい建物。

本日は、赤いサリーを着た女性の参拝客でにぎわっていた。


2006年8月13日日曜日

ダラハラ(ビムセンタワー)の話

ダラハラ
 

 
カトマンズ市、中央郵便局のすぐ横に、ダラハラ(Dharhara)と呼ばれる高さ約52mの白い塔が建っている。
 
1832年に当時のビムセン・タパ首相によって建てられたため、ビムセンタワーとも呼ばれている。現在の塔は、1934年のカトマンズ地震で被害を受けたあとに再建されたものであるらしい。
 
以前、塔の内部には特定日しか入れなかったのだが、2~3年前からは、一般公開され、内部に入れるようになった。要入場料。
 
つい先日、この塔から飛び降り自殺をはかった人(現地人)がいたそうだ。
 
飛び降りるには少々低すぎる気がする。しかし、ネパールには、首都カトマンズとは言えども、高い建物は無い。あってせいぜい5~6階程度。たかが50m程度の塔ではあるが、周りの建築物よりかははるかに高い。だから、この塔を選んだのだろうか。

2006年8月6日日曜日

臨月の食べ物(ヨーグルトと乾し米)

ガイドの妻が臨月を迎えた。もう、いつ生まれてもおかしくない状態に入ったらしい。

こちらの習慣で、臨月を迎えた女性にダヒ(Dahi:ヨーグルト)とチウラ(Chiura:乾し米)を食べさせる、というものがある(民族や住む場所によっても習慣は異なる)。以前から、赤ちゃんが生まれる前に一度お邪魔する話があったのだが、延び延びになっていて、大変なこんな時期に強引に押しかけることになってしまった。重いおなかを抱えながら、夕飯までご馳走してくれた。

ちなみに、持参したヨーグルトと乾し米を食べてもらった後にわかったのだが、ガイド夫妻の習慣としては、臨月時にこれらのものを食べる習慣は特にないとのこと。タダの迷惑な客だったかしら、私。

ヒンドゥ教マガル族+グルン族のカップルなのだが、同じ民族でも、この習慣がある人たちもいるが、彼らのように特に意識しない人たちもいる。一筋縄ではいかないネパールなのだ。

よく登場する食べ物、ダヒとチウラ。アサール月15日(毎年6月末頃)には、田植えの息抜きとしてこの2つをたべる習慣もある。

体力を使う大事な仕事(田植え)の合間に、または仕事(出産)を間近に控え、精力をつけるために食べるもの、といったところだろうか。

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ちなみに、市販の『ダヒ』はバクタプル産がおいしいことで有名。500mlが20ルピー(約35円)。最近少し値上がりしたのだが、それでもこの値段。味は、日本のものよりかなり濃厚。

私は、納豆を育てる要領で、ヨーグルトも育てている。日本の実家にかなり旧タイプのヨーグルトメーカーがあり、それを使って作っている母を見ていて、殺菌や温度調整など面倒だな、と思っていた記憶があるのだが、ずぼらな私流の作り方は非常に簡単。

一度沸かした牛乳が人肌に冷めたら(温度は適当)、熱湯殺菌した容器に移して、その中に種ヨーグルトをスプーン一杯放り込んで混ぜ、そのままおいておくだけ。数時間後ドロドロになったら、冷蔵庫に移す、という、ただそれだけの作業。

『チウラ』は、稲ごと軽く炊いて(蒸して)、その上からつぶして乾かすとできる保存食。日本米に似た米(タイチン米と呼ばれている)を使って作ることが多い。作る工程が同じかどうかは知らないが、これは、日本にもあるようだ。以前、大分出身の知人が『乾し米』を食べさせてくれたことがあるのだが、まさにこれはチウラと同じものだった。

2006年8月3日木曜日

秋を感じる

前回まで3回に渡って、祭日程を掲載した。8月からは祭が増え始める季節で、先日からは、凧も空を舞い始めている。

毎年、ヒンドゥ教最大の祭、秋のダサイン祭には、たくさんの凧が空を舞う。正月に、日本人が凧あげをして遊ぶのと似ているかもしれない。季節限定の遊び。

でも、まだ8月。凧あげにはまだちょっと気が早いんじゃない?などと思っていたのだが、空を見上げると、もう秋空が広がっていることに驚く。明け方の風も涼しさを通り越して時に肌寒さも感じるほど。もう秋は始まりつつあるのかもしれない。先日7月30日(ナグパンチャミ:蛇の神様にプジャをする日)が立秋にあたる日でもあった。暦の上ではもう秋なのだ。

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カトマンズに住み始めた当初、私は、ここで流れる季節の移り変わりが、よくわからなかった。

ダサイン前のある日、知人(ネパール人)が空を見上げ「もうすぐダサインだねえ」と何気なく言った言葉に、へえ、と感じた思い出がある。日中は蒸し暑く、雨季も明けておらず、まだ夏だと思っていた私だったのだが、知人に言わせると、空の色がもう夏のそれではない、というのだ。

何年も過ごしてきた日本での季節の移り変わりは、空などからもわかる。でも、ネパールで季節を越したことがなかった私には、違いを実感できなかった。

その後、こちらでいくつかの年を過ごしてきて、今では空を見上げて季節の流れを感じられるようになった。祭前の浮かれ具合や、街の賑わいなどからも、季節を体感できるようになった。

少し色が薄めになった青空と、そこに舞う凧、入道雲が途切れて広がるひつじ雲。まだまだ日中は暑いカトマンズだが、秋はもうそこまで近づいているようだ。

2006年7月28日金曜日

裂けた袋の原始的再生法



厚手のビニール袋が必要になり取り出したら、底が半分裂けていて、使い物にならない状態となっていた。

丈夫な袋だったのにもったいない。仕方がないので捨てようとすると、待った!の声がかかった。裂けている底をふさいで、再生するというのだ。

どうやって?と思っていると、ろうそく準備して、との声がかかる。

ビニール袋の封(密封)をするとき、日本であればシーラーと呼ばれる機械を使うのが一般的だと思うが、こちらでは、業務用で大量に封をする必要がない場合などは、ろうそくの火を使ってビニールをあたため、熱でくっつけることがよくある。

底が裂けたビニール袋も、この方法で再生しようというわけだ。

原始的なこんな再生方法に、拍手!

裂けた袋の原始的再生法


厚手のビニール袋が必要になり取り出したら、底が半分裂けていて、使い物にならない状態となっていた。

丈夫な袋だったのにもったいない。仕方がないので捨てようとすると、待った!の声がかかった。裂けている底をふさいで、再生するというのだ。

どうやって?と思っていると、ろうそく準備して、との声がかかる。

ビニール袋の封(密封)をするとき、日本であればシーラーと呼ばれる機械を使うのが一般的だと思うが、こちらでは、業務用で大量に封をする必要がない場合などは、ろうそくの火を使ってビニールをあたため、熱でくっつけることがよくある。

底が裂けたビニール袋も、この方法で再生しようというわけだ。

原始的なこんな再生方法に、拍手!

2006年7月27日木曜日

野良猫サポートホーム?


うちの飼い猫、日中遠出をしているのか、顔を見ない日がよくある。

でも、夜間、餌を食べに家に戻ってきてはいるようだ。毎晩一応餌の準備だけはして置いておくと、翌朝、必ず減っている。

(屋外と屋内を自由に行き来できるように、一箇所常に窓を開けた状態にしている。鉄格子が入っているので、人は出入り不可能だが、猫なら自由に行き来できる)

3日ぐらい会っていなかったある晩遅く、餌をおいてある部屋から、食べ音が聞こえてきた。戻ってきたのか、と思って愛猫の名を呼び近づくと、見知らぬ真っ白の猫がいて、私と目が合って一目散に屋外に逃げていった。

あっけにとられてしまったのだが、正気に戻って考えると、なんとずうずうしい猫! 勝手に室内に入ってきて餌を食べ、逃げ去るなんて。

野良猫の間で「あの家に行けば、ウマイ飯が食えるぞ」などという噂が広がっているのかもしれない。その名も、ネパール名『Biralo Sewa Ghar』(猫サポートホーム)などとついていたりして。

毎晩減っていた餌は、実は白猫や他の野良猫がこっそり食べに来ていたからなのかもしれない。それはそれでかまわないのだが、目が合ったら愛嬌のひとつやふたつ、ふりまいてほしいところだ。

写真は、隣の家の敷地内で、他人の洗濯物の上に寝そべりくつろぐうちの猫。餌の食べ逃げをする野良猫も野良猫だが、他人の洗濯物の上でくつろぐうちの猫も、似たようなものかな。

2006年7月20日木曜日

チャンパデビ(チャンドラギリ方面)散策


ネパール旅行オフシーズンの現在。

あと2ヶ月ほどして、トレッキングのシーズンが始まると、ガイドたちは入れ違いで山に出てしまうため、なかなかカトマンズに集結することができない状態になるのだが、今の時期はみんな時間をもてあましている。

この時間を有効に使えないかと、経験の浅いガイドの訓練もかねて、トレッキングコースや市内観光場所などを、経験のあるガイドと共にまわってみる、という機会を作ってみることにした。

その一環が、先日のランタン方面トレッキングだったのだが、ヒマな時期とは言え、ガイドたちみんながあわせて長期で出かけるのは難しい。ということで、先日から近場のお出かけ訓練?をしている。

前置きが長くなったのだが、今日のお出かけ訓練は『チャンパデビ(Champadevi)』への日帰りハイキング。カトマンズの南西約15kmほど(古都キルティプルとカーリー女神をまつるダクシンカリ寺院の中間あたり)の場所にある、標高約2200mほどの小さな丘。女神をまつった寺院の跡が残る、静かな場所だ。




ハイキング開始地点は、カトマンズからバイクで約30分ほどの、ダクシンカリ寺院手前にある、ハッティバンリゾート(Hattiban Resort)。ここにバイクを止めて、松林の中を歩き始める。



すぐにカトマンズ盆地を見下ろせる眺めのよい場所に出る。もくもく浮かぶ白い雲、青い空、赤茶色のカトマンズ盆地、緑の森のコントラストがきれい。乾期であれば、北方面ヒマラヤ山脈が見えるはずのだが、雨期中なので雲に隠れてしまっている。

歩き始めて約45分。眼下に見える盆地がきれいで、本ルートをそれてみる。出発地点からずっとまっすぐ歩いていくと到着する小さな丘へ、ちょっと寄り道。その後、チャンパデビ寺院跡が残る丘を目指す。途中から雲行きが怪しくなり、霧雨が降り始めてきた。

目的地到着前の最後の上りをがんばって、チャンパデビ到着。地元の人の足だと1時間半ほどで到着できる距離なのだが、今回、だいぶのんびり歩いて、ここまで2時間の行程。




寺院跡には、シバリンガ(シバ信仰の象徴である像)やナンディ(シバの乗り物、雄牛の像)チャンパ女神としてあがめられている石などが残っている。でも、規模は非常に小さい。あまり知られていない場所ではあるが、毎年ビクラム暦の新年には、たくさんの人がお参りにやってくるそうだ。

お参りをし、下山間際になって、雨が本格的に降り始めてきた。寺院跡付近には、プジャができる屋根付の小さな場所が設けられているので、そこで雨宿りをしようかと言うことになったのだが、地面が雨にぬれると滑りやすくなり、ますます下山が大変になる、ということで、ぬれながらでも引き返すことに。

明るく見えていた下界にも、厚い雲が垂れ込めていた。




上ってくる時にも滑りやすかった道。雨でますます滑るようになっていて、私は5回も滑ってしまう。

蛭も出てきて、スニーカーの上から喰われっぱなし。足元だけではなく、お腹や背中まで喰われまくっているスタッフが自分の体から蛭を必死に引き離すのを見てみんなで笑っていたら、なんと私の耳の裏にも一匹吸い付いていた。なんてヤツ! 



歩いている間は気づかなかったのだが、下山後スニーカーを脱いだら、あちこち血だらけになっていた。まあ、雨期中のトレッキングの証ということで、誇らしく思うことにしよう。

寺院跡から約1時間かけて出発地点のハッティバンリゾートに戻ってきたときには、雨もすっかり上がっていた。カトマンズに戻る帰り道、後ろを振り返り、今上ってきた丘を見上げてみると、てっぺんは少し雲で隠れてしまっていたが。



ハイキング時間約3.5時間(休憩含)、往復移動約1.5時間の小旅行、これにて終了。

・・・

※10年後の2016年追記!

2016年8月に チャンドラギリ行のケーブルカーができ、新しい観光地が増えました!

2006年7月16日日曜日

犬も断食をするの?

明日17日から、ビクラム暦の4月・サウン月が始まる。

この月は、ヒンドゥ教徒にとって神聖なる月。昨年の記事 にも書いたのだが、シバ神へのプジャを特に熱心にする月。

生き物を殺すことも避けられる月で、ダクシンカリ寺院 (カトマンズから約30kmほど南に位置するカーリー女神をまつる寺院。生贄を間近に見られるとして旅行者にも知られている) を訪れカーリー女神に生贄を捧げる地元民も、減るという。

この1ヶ月は爪や髪の毛を切らない人も多い。

シバ神に祈りをささげる日とされている月曜日には特に、信仰を強める。シバ神がまつられる寺院(有名どころではパシュパティナート寺院)へ早朝からお参りに行き、日中断食をする人も多い。

前置きが長くなったが、今日の本題は、この断食にまつわる話。

なんと、ネパールには、菜食日や断食日を守る犬がいるというのだ。たとえば、サウン月の月曜日、断食をする日には犬も餌を食べなかったり、エカダシの日には肉を食べなかったりするらしい。ホント??思ってしまうが、結構人々はまじめな顔で力説してくれる。

でも、「本当にそういう犬を見たことがあるの?」と聞くと、「友達の友達が飼っている犬がそうらしい」、などと、眉唾もののハナシなってくることがほとんどなので、実際のところはどうなのか不明だ。

2006年7月14日金曜日

1年以上ぶりに髪を切った。20cmほど短くしたのだけれど、いつも結わえてばかりなので、見た目は何も変わっていない。

伸ばしっぱなしの私の髪。もう、10年ぐらい、背中~腰にかけてまでの長い髪型が続いている。子供の頃はずっとおかっぱ、その後ショートだったこともあったのだが、頻繁に美容院に行かなければ行けないことと、寝ぐせ処理が大変なことなど、無精者の私には面倒なことが多すぎて、伸ばすことにしたのがきっかけ。

ちょうどその頃、アジアを時々訪れていて、そこで、人工的ではないヘアスタイル(長い黒髪)を目にし、新鮮さを感じてしまったのも、伸ばし始めたきっかけと言えるかもしれない。

たとえば、髪留めなどを使わずに、器用に結い上げるネパールの女性や、長めのコームに髪をぐるぐる巻きつけてとめるミャンマーの女性。無造作にもかかわらず、凛としていてあこがれてしまった。

日本でインド舞踊を習っていたのだが、長い地毛は、通常は付け毛を使う発表会時のヘアアレンジ(後ろで長いみつあみを作る)にも役立った(笑)。

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ちなみに、まっすぐそろえるだけのカット。近所の美容院で50ルピー(約80円)で仕上げてくれる。本日は、見習いの若い子がいて、練習してよいかというので、どーぞどーぞと快くざっくり切らせてあげた。

2006年7月6日木曜日

古着寄付6(とりあえず最終回)

~つづき~

ということで、去る6月16日(金)の第3回の寄付は、低額で値付けをして、購入してもらう形で行うことにしてみた。

ネパール人スタッフたちは、タダで頂いた衣類を販売してまで稼ごうとしている旅行会社と思われたら困る、と、値付けすることに拒否反応を示していたのだが、稼ぐのが目的ではなく、郵便局で支払う手数料を捻出するためと思ってもらい、何とか納得してもらった。

一部の衣類は、ガイドたちが帰省する際に土産兼寄付とするため、購入してもらったのだが、まだだいぶ残っている。今回は、山奥の村にもって行くことにこだわらず、都市部にある施設に寄付する方向で話が進んでいる。ネパール人身障者(下半身不随の女性)の知人から、彼女たちが活動しているグループで、衣類を低額で買い取り、更にそれを自分たちのグループ内で販売し、得た利益を活動資金や、他の身障者グループの寄付にあてたい、という申し出があったので、検討中というわけだ。

また、私たちのガイドがトレッキングに行く際に、現地で雇うポーターたちに、チップにそえて渡してもいいか、という案も出ている。

誰の元に、どのような経路で届いてもかまわないので、衣類を最後まで大事に使ってくれれば、それが私たちの望むところなのだが、そのほかにも、一方的に与える形にならないように、試行錯誤していきたい。

こんな中途半端な私たちの活動にも共感してくださり、過去衣類を寄付してくださった皆様、これから送付してくださる予定の皆様、本当にありがとうございます。

~終わり~

2006年7月5日水曜日

古着寄付5(物乞いに温かい飯)

~つづき~

一方的な支援をすることによって生じる受身体勢。

実は、実際に身近なところで、『服はただでもらうのが当たり前』という状況に遭遇してしまった。

村から出てきたばかりのスタッフなどを雇うことがあり、着の身着のままで出てきた彼らに、寄付していただいた服の中から、1回だけ、という限定で、何着かを作業着として与えたことがあった。

作業着とは言えども、突然、仕立てのよい服をもらえてしまった彼らは、しばらく経つと、いとも簡単に次の品を、しかも色やデザインまで指定して要求し始めたのだ。(苦笑)。

更に、彼らが仕事をやめるときに、彼らが残していった荷物の中から、私たちが与えた衣類が無造作に残されていて、ショックを受けたこともあった。タダでもらえたものだから、捨てるのも簡単だったのかもしれない。

ネパール語に、「マグネライ タトバート(magne lai tato bhaat)」ということわざがある。直訳すると「物乞いに温かい飯」。「物乞いなら、冷たいご飯をもらえるだけでありがたいと思わなければいけないのに、温かいご飯を要求するという身の程知らず」、というような解釈となる。

まさに、この諺を思い出してしまった。

もともと、こちらの人たちは、誰かに何かをしてもらって当たり前、与えてもらって当たり前、という概念を持っている人が多い。恩はあまり感じない。また、ダメもとで、何でもお願いしてみる傾向もある。

だから、デザインまで指定してみて、要望を聞いてもらえればしめたもの、程度の安易な考えだったのだろうが、それにしても、日本人の私からすると、非常にがっかりすることでもあった。

やはり、状況がどうであれ、タダで物をあげることは、受身の体勢を生み出し、物のありがたみを意識しなくなり、良くない方向に行ってしまうのかもしれない。多くのボランティア団体が、支援をする際気をつけるのがこれらのことだが、それを身をもって体験してしまったのだった。

~つづく~

太陽熱利用


うちの近所の通りに、先日からモモの屋台が出ている。気になって、見てみると、太陽熱で調理をできることを宣伝するのが目的で、販売していることが判明した。

熱心に説明してくれたので、思わず聞き入ってしまったのだが、太陽熱で調理まで出来てしまうというからすごい。

太陽熱といえば、ネパールでよく見かけるのが屋上のこれ。


ネパールでは、首都カトマンズとは言えども、お湯が出ない家は多い。一般家庭ではどんなに寒い日でも水シャワーが基本。水道が引かれていない家も多いから、水であっても出るだけまし。

小金もちの家や、外国人も割合快適に住めるような造りの家では、たいていお湯がでる場合が多い。が、電気代のかさむ湯沸し器利用ではなく、屋上に設置された太陽熱パネルを利用して、その効果で出てくるお湯であることも多い。ちなみに、今住んでいる私の家もそう。

太陽熱の利用、今の時期はもちろん、寒い冬でも、晴れている日には火傷しそうなほど熱いお湯が出てくる。太陽のありがたみを、実感してしまう。(そのかわり、真冬の雨の日には、太陽熱効果が期待できないこともあるのだが)

電気が引かれていない村などでは、太陽熱発電の電気を使用しているところも、最近は多いらしい。そういえば、先日行ったトレッキング中のロッジでも、電気は引かれていなかったが、太陽熱を充電することで利用できる電気はあった。

太陽熱効果は素晴らしい!

2006年7月4日火曜日

古着寄付4(帰省者の手に託す)


前回掲載の写真のように、スクーターで強引に荷物をオフィスまで運んだ後は、とりあえず倉庫と化している空き部屋に保管することになる。

その後、寄付作業へと移るわけなのだが、実は、たくさん衣類がたまったのはいいが、一体どのような方法で寄付をしていくのがよい方法なのか、ずっと悩み続けてきた。

大きな団体に全てを託し、有効活用してもらってもよかったのだが、大規模な組織への関与は、私のニガテとするところ。できるだけ、自分たちで、道を探してみたかった。

いろいろ考えた末、カトマンズから離れた場所にある村出身のガイドたちが帰省する際に、衣類を持ち帰ってもらい、村の学校なり、施設なりに寄付してもらう方法をとることにした。

しかし、一方的に衣類を届ける方法が、よい方法であるわけがない。

きっと、しっかりした組織でボランティア活動をしている人から見ると、『この手の中途半端な支援が、受身体勢を作りネパール人をダメにする』とか、『タダで配布するともののありがたみを忘れ、古くなったらまた誰かからタダでもらえばいい、というような価値観を生み出し、良くない』とか、いろいろつつきたくなる点も多いと思う。

でも、そいういう、結論の出ない議論を重ねて何もしないよりも、冬場、着る物があまりない人のもとに、寄付していただいたセーターが行き届いて、喜んで使ってもらえるほうがいいし、捨てられる運命だった衣類が生かされるほうがいい。

明確な方針は打ち出せないままだったが、とりあえず、帰省するガイドたちの手に託すことにしてみた。

どの衣類が誰の手に渡って、どのように利用されているのかを追えないのは残念だが、それこそ服一着以上購入できるぐらいの費用を使って視察に行って、証拠写真をとってその現像にまた費用をかけ・・・、というように、本来の目的以外のところに費用をかけて、報告を充実させるよりも、もともと村に帰省する予定だった者の手に託す方法は、誰に迷惑を欠けるわけでもなく、無理が生じるわけでもなく、悪いことではないはずだ、と判断したのだ。

ということで、第1回、2回の寄付は、主にこのような形で行ってきた。衣類を村に運んでくれた者の話によると、とても喜んで利用してくれている、とのことなので、その点においてはほっと安心した。

初めから完璧な活動をしようとは思っていないので、この方法がもしいけない方法だったとしても、衣類が無駄にならなかった点で、よしとすることにした。

あとは、受け取り側の受身体勢をどうするか?ということが一番の問題として残った。

~つづく~