ブログ移転のお知らせ

当ブログは、2021年12月より新ブログにて発信しています。新しい記事については 移転先→新日々のネパール情報 をご訪問ください!今後ともよろしくお願いいたします。

2006年2月19日日曜日

風呂を『焚く』



風呂を『焚く』という言葉、まだ使われることがあるのだろうか?

風呂を『入れる』、風呂を『沸かす』という言葉は、日常的に使うが、風呂を『焚く(たく)』という言葉は、もしかしたらもう今の日本では、死語同然になってしまっているかもしれない。

でも、祖母が住む村(実際には『町』だが、『村』という響きのほうが合う)では、まだ、紙や薪をくべて、お風呂を焚く生活が残っている。

家々には、風呂釜の下にあたる場所に、火を焚けるような場所が作られている。夕方になると、村の家のあちこちで、煙突から煙がゆらゆら立ち昇る様子が見える。お風呂を焚いているときにあがる煙だ。

のどかだなあ、と思う。

2006年2月18日土曜日

一方的な再会

細々と運営しているヒマラヤン・アクティビティーズ(以下HA)なのだが、最近では、いろいろな利用者の方も増えてきている。

利用者の方の年齢、職業も幅広い。

昨年には、テレビ業界(というのだろうか?)で活躍する人の利用も何件かあった。どの人も、仕事ではなく、完全なプライベートの旅行として、個人でネットで検索しているうちに、HAのサイトを見つけてくれ、利用することを決めてくれた方たちだった。そういう利用法が、とてもうれしかった。

そんな中の1人に、祖母が住む県のテレビ局でアナウンサーをしているという、とても素敵な女性がいた。彼女もまた、仕事がらみではなく、プライベートの個人旅行で、ネパールを訪れる前に、たまたまHAのサイトを見つけて利用してくれた人だった。

祖母の家につき、テレビをつけてチャンネルを変えていたら、その彼女が出ている番組を見つけた。一方的な再会だけど、なんだかうれしい。

日本で見つけたネパール(宮島編)



祖母の家が南九州にある。帰省時には、実家がある横浜から約1400kmの道のりを、約1日かけて車で往復することが習慣になっていた。

今回、久々に家族が勢ぞろいしたので、約9年ぶりに、車で往復することになった。

17日夜10時、夜逃げのようにして、横浜の実家を出発。東名、名神を抜け、深夜過ぎ、中国道に入る手前で、『路上凍結注意』の文字が。山間を走る道、深夜には気温も低くなって、凍結してしまうのだろう。安全を見て、少し走行距離が長くなるが中国道をやめ、山陽自動車道を走ることにする。

早朝、『宮島方面出口』の標識を発見。

世界遺産にも指定されている、宮島の厳島神社。私は訪れたことがない。

高校2年の時の修学旅行コースに入っていたのだが、(中途半端な)『不登校』もどきだった私、修学旅行には行かなかった。

せっかく近くまで来ているのだから、立ち寄ってみたい。寄り道がキライな父の同意も得たので、急遽途中で高速を降りることに。

ということで、18日朝、厳島神社、訪問。

よく、NHKの『行く年来る年』で込み合うこの神社を見ているが、今日は訪れる観光客もそれほど多くなく、とても静か。

どうしても、本来の神社参拝とは関係のないものに目がいってしまう、悪いクセ。神社を出たところで、こんなものを見つけてしまった。

鹿ちゃん。



よく心得ています。

さて、今日のタイトル、日本で見つけたネパール(というか、仏教がらみのグッズ)。

厳島神社の近く、大聖院にて。

マニ車。



1回廻すだけで、お経を唱えたことになります。

そして、寝釈迦と仏足跡。





オマケで、こんなものも忘れません。



アンパンマンの羅漢。かわいいです。

2006年2月15日水曜日

抜けない習慣(トイレ編)

普段から水不足に悩まされるカトマンズなのだが、乾期も終わりに近づく今の時期は特に激しい水不足となる。

特に今年は、昨年雨期の降水量が極端に少なかったことから、早くから水不足が懸念されていた。

そんな都市だから、普段から、じゃばじゃば際限なく水を使うなんてもってのほか。

乾期の終わりには、何日も水が来ず、わびしくなるぐらいの節水生活をしなくてはいけなくなることも多いので、この時期、普段から水は大切に使うようにしている。

たとえば、髪を洗ったあとや、洗濯後の排水を、バケツにためておいて、トイレを流すときに使うなど。日本の生活では考えられない、涙ぐましい努力なのだが、それが習慣になってしまっている。

しかも、トイレも『小』の後に、毎回フラッシュするなんて水がもったいないので、バケツにためてある排水を、ひしゃくのようなものですくって、ささっと流す程度にすることが多い。

そんな習慣のせいか、水不足の心配がない日本の実家でも、(汚い話なのだが)ついつい癖で、『小』の後、水を流さないままトイレを出てしまうことがある。

そうるすと、もちろん、次にトイレに入った家族に、「ちょっと、また~?」嫌がられることになる。

2006年2月14日火曜日

抜けない習慣(タクシー乗降編)

日本に一時帰国するといつも、気をつけるよう意識していても、思わず出てしまう海外での癖(というか習慣)がある。

それは、自動になっているタクシーのドアを、思わず自分の手で開け閉めしてしまうこと。

日本ではタクシーのドアは自動で開くから、悠々と構えていればよい、と思っていても、ついついやってしまう。

昨日、在米10年以上になる妹と、一緒に一時帰国をした。私にとっての日本は、約1年ぶりでしかないのだが、妹にとっては4年ぶり。

帰宅途中、タクシーで移動する際に、案の定2人してやってしまった。

タクシーに乗るとき。ドアを開けそうになり、あ、自動だった、と、思わず手を引っ込める私。

タクシーを降りるとき。実家に到着するなり自らドアを開けてしまい、はっと気づいて、わざわざ丁寧にドアを閉めなおす妹。(降りるのだから閉めなおす必要もないのだけれど。苦笑) しかも、ドアを開けてしまったことに気づいたときには、反射的に、運転手さんに『ごめんなさい!』とあやまっていた。

日本のタクシーの自動ドアシステム、便利なのだけれど、なぜかとても緊張してしまう。

2006年2月11日土曜日

危険さの違い(その2)

選挙は終わったけれど、まだ、ネパール旅行=危険、というイメージが、多くの人にはついているのだなあ、と、ヒマラヤン・アクティビティーズによくくる問合せメールなどから、感じる。

ネパール国外で得ることのできる情報だと、ニュース性の高い危険なイメージを高めてしまうものが多いし、実際カトマンズ入りしても、街を歩くと武装アーミーの姿もよく見かけ、日本の日常にはない光景を目にしてしまうから、その気持ちも分かる。

でも、ネパールの危険さは、外国人だったら、常識的に物事を判断することができる人なら、簡単に避けて通れる危険さ。目に見えやすい(と思う)。

ネパールを離れていると、つくづく、ネパールは、のどかだし、安全面でも基本的なことに気をつけていればいいので、楽な国だなあ、と感じてしまう。

2006年2月9日木曜日

アジアに行って、現地の人に間違えられた経験のある人は、多いと思う。

東南アジアを訪れると、たいてい私も現地人に間違えられるし、ネパールでも、モンゴロイド系の民族に間違えられることも多い。ネパールで、ネパール人でも日本人でもなく、フィリピン人やタイ人に間違えられたこともある。日本人であることを告げると、いや、君の顔は、日本人とは違う、と、いわれたこともあった。

日本でも、アジア系外国人男性に、東南アジアから来ている人と間違えられて声をかけられたことも何度かある。

アジアの国にいると、溶け込んでしまって、日本人に見られなくなってしまうのは分かるが、日本にいながらにして、日本人に見られないって、、、少し複雑な気持ちになったこともある。

いずれにしろ、こんな感じで、日本人以外のアジア人に間違えられることは慣れていたのだが、今日、ケニア出身でアメリカ在住の女性に、『あなたの顔は、私の親戚にそっくりでびっくりしたわ!』と驚かれてしまった。

アフリカの人に似ているといわれたことは初めてなので、私もびっくりだ。

彼女いわく、肌の色の違いは別として、頬骨の出た丸い頬と、丸い鼻と、厚い唇がそっくり!なのだそうだ。思いがけない国の顔に似ているといわれ、なんとなくうれしくもなったが、でもよく考えると、美しいさっぱり顔の日本人像からは、かなりかけ離れたイメージだよなあ、と、また複雑な気分になってしまった。

2006年2月8日水曜日

国外で見つけたネパール



シアトル市内で見つけた、ネパール。

スワヤンブナート寺院やボダナート寺院で見ることができる、ブッダアイ。

ここでも、見つけた。

そして、この店の外にあったのは、、、

マニ車。



円柱形の仏具の中に、お経が入っていて、これを右回りに回すと、お経を読んだことになるという、スグレモノの仏具。(写真のマニ車の中には経文は入っていないと思うが)

2006年2月6日月曜日

空の色



カトマンズの空は冬でも真っ青なことが多い。(写真は、2月5日カトマンズ~バンコク間の機上から撮影)

でも、ネパールを離れ、日本や、他の地に行くと、空の色が薄いことに、驚くことがよくある。



シアトル到着。

年間を通して、曇りの日が多いというこの地域。今日は久々に青空が広がったとのこと。

でも、空の色は、カトマンズのそれとは比べ物にならないぐらい薄く、日差しの弱さに心もとなさを感じる気がした。

2006年2月5日日曜日

バンダ開始日に



一週間のネパールバンダが始まった今日。

今日からネパールを一時離れるので、家から空港まで移動する必要がある。トランスポートサービスをしている知人に、車を回してもらうよう頼んでおいた。

でも、今日は、バンダの初日。車を走らせることを運転手たちが嫌がり、社長自ら運転してきてくれた。でも、車はオンボロ車(笑)。こんな日に車を走らせていると、投石にあう可能性もあるから、傷ついてもいいように、ボロ車を走らせているとのこと。



バンダの日には、ナンバープレートを隠して走る。外国人が乗った車には、TOURIST とか、 FOREIGNER などと書いた紙を車に貼って、外国人が乗っていることをアピールする。

今日から、本当に一週間バンダが続くのかどうかは分からないが、もし続いた場合でも、ツーリスト用に空港~市内の臨時シャトルバスが運行されるので、迎えのあてがない人は、このバスを頼りに移動しよう。

2006年2月4日土曜日

ビスケットお兄さん無事KTM着

男性スタッフ(25歳)が、1年ぶりに、20日間の予定で、村に帰省していた。

彼の村は、エベレスト街道トレッキングを、飛行機を使わずにいく場合の出発地点、『ジリ』から歩いて数日かかるところにあるらしい。(ジリからは車が通る道がないため、歩くしか移動方法がない)

1年ぶりの帰省で、家族(妻娘)とゆっくりすごしたいのは分かるけれど、明日から始まる一週間のネパールバンダ(全国規模のゼネスト)前には、なんとしてでもカトマンズに戻ってくるよう言い聞かせていたところ、本日夕方、ギリギリセーフでカトマンズ到着。バンダ中は陸路移動はできなくなるので、本当にギリギリの到着だった。

カトマンズに戻ってきた際、彼は、村から奥さんをつれてきた。

話を聞くと、23歳の奥さんは、村から出るのは生まれて初めて。ということは、車を見るのも、バスに乗るのも、初めてということ。カトマンズ生まれの21歳女性スタッフも、驚いて聞いている。

山国のネパール。一生涯、村を出ずに、文明の利器など知らずに過ごす人たちも、たくさんいるのだ。

さて、この夫婦の3歳の娘。生まれたときから、お父さんはカトマンズに出稼ぎに出ていることが多かったので、お父さんと一緒に暮らした時間のほうが短い。

いつも、お父さんが帰省するときに、ビスケットをたくさん持って帰ってきてくれるから、『お父さん』というよりも、『ビスケットお兄さん』(ビスコット・ダイ)として、覚えているのだとか。

おかしいやら、なんだか切ないやら。

今回、娘は村の親戚に預けて、夫婦2人だけで上京してきたので、ハネムーンのつもりで、しばらくゆっくり楽しんでね、と、みんなでからかった。

2006年2月3日金曜日

春の儀式

節分の日には、日本を離れていても、豆まきをしている。

豆まき用の豆、いつもは、炒って準備しているのだけれど、今年は、街を売り歩く、炒り豆売りのおじさん(おばさんのときも)から、購入。





日本の暦では、明日は立春。今年は、たまたまネパールの暦も似ていて、今日が立春に当たる日だった。

2006年2月2日木曜日

共同水場での注意

ネパール全土を見てみると、水道が引かれていない家のほうが、たぶん、圧倒的に多い。

ここ、カトマンズ市内にも、水道が引かれていない家は、たくさんある。

そんな人たちが共同で利用する水場。スイミングプールから水を抜いたような、または、舞台のような、そんな風に見えなくもない、写真のような水場を『ドゥンゲ・ダラ』と呼ぶ。



家庭用の水を汲みに行ったり、洗濯をしたり、水浴びをしたりと、地元の人が共同で使う。 (水浴びをするときは、男性は腰から下、女性は胸から下を布で隠すのが普通)

カトマンズ盆地だけでも、その数300ほどはあると、聞いたことがある。



さて、カトマンズ市内中心部にあるドゥンゲダラに、赤字で書かれた貼り紙が何箇所かに貼ってあった。

よく見てみると、、、



小さいパンツをはいて水浴びするのはやめましょう

ブリーフ型パンツをはく男性人口のほうが、たぶん、日本に比べてとても多いので、こういう注意が出るわけ。

公衆の面前では、ゆとりのあるパンツをはいて水浴びをする心遣いが必要!?

2006年2月1日水曜日

こんなの見てしまったら



用事で、夕方ニューロード (ネパールに来たことのある人だったら、多分訪れたことのあるカトマンズダルバール広場のそばにある、電化製品店や貴金属店が並ぶ通り) に行ったら、時間帯が悪くて、デモが繰り広げられている真っ最中だった。

通りの店は、被害にあわないためにシャッターを下ろしているところも多く、護送車と放水車(向かってくるデモ隊に放水して動きを鈍らせるために使う。でも、今カトマンズは水不足だから、水、もったいない、、、)と、たくさんの警察官が、向かってくるデモ隊に備えて待機していた。

車両は通行止めとなっていたが、徒歩だったら通ることができたので、お目当ての店目指して、進んでいくと、、、

デモ隊が警官隊に向かって突進してくるときには、周りの野次馬も、デモ隊のシュプレヒコールにあわせてヤジを飛ばし、

それに反撃して、警官隊が棍棒振り上げて、デモ隊を追放しようと向かっていくと、周りの野次馬も、いっせいに逃げ出す、

という感じで、突進と後退を繰り返していた。

ネパール版、大掛かりな『はないちもんめ』に見えなくもなかった。

周りの野次馬たちは、とっても楽しそう。

でも、こんなワンカットだけを、テレビのニュースの中で見てしまったら、かなり引いてしまうだろうなあ。

追記。結局、騒ぎに巻き込まれてもいやなので、お目当ての店には行かずに、早々に引き返した。

2006年1月31日火曜日

パスポート増補

1998年に更新した、私の今のパスポート。

出入国のスタンプやビザの証明をもらう『査証(VISAS)』と書かれたページは、48ページ分あるのだが、残りページがいよいよ少なくなってきてしまった。

数えたら、まるまる1ページ残っているページは、あと2ページのみ。

これも、ネパールビザがでかすぎるせい!

ネパールに来たことのある方ならわかると思うが、ネパールのビザは、シール状になっていて、その大きさは、パスポートの1ページ分よりも、ひとまわりしか小さくない。

つまり、1回ネパールのビザを取得すると、パスポートの1ページ分が、すべて埋まってしまうというわけ。(写真参照)



1998年にパスポートを更新して以来、何回ネパールのビザを貼ったのだろうと数えてみたら、ツーリストビザ時代のものも含めると、その数28枚(も?)あった。

以前は、サイズの小さいビザのときもあったので、工夫して貼れば、1ページに2回分のビザシールを貼れない事もなかった。でも、どのときにも、中途半端に、ページの中央あたりに貼られてしまっているせいで、無駄に1ページを使うことになってしまっている。

そのほか、ビザ用にまるまる1ページが必要となる国、インドやミャンマーのビザを2回ずつ取得していたり、ビザが不要な国でも、出入国のスタンプをあちこちに押された結果、パスポートの残り2ページとなってしまったというわけだ。

少なくとも、次回のビザ更新までには、なんとかしなくては、と思っていたのだが、来週の帰国に向けて、いい機会なので、大使館にて増補してもらってきた。

40ページ追加で、1736ルピー(3000円弱)。1ページ40ルピーとちょっと。ローカルな飯屋だったら、ダルバートを食べられるところもあるなあ、なんて、現実的な計算をしてしまったが、とりあえず、これで、安心して第三国にも行ける。

2006年1月29日日曜日

ネパール産義理土産

帰国時に買って帰るネパール土産には、いつも悩む。

他の外国で土産用に売っているような、面白くもないけれど、間違いもない、いかにも義理用のクッキーやチョコのような、手軽な土産は、ネパールにはない。

アジア雑貨好きや、紅茶好きの人へなら、土産用として売られている手ごろなそれらの品を買えばすむのだけれど、『類は友を呼ぶ』なんてことわざはあまりあてにならないのか、私が日本にいた頃には、アジア雑貨なんて興味なし、紅茶はあまり飲まないのよね、的な人が周りに多くて、いつも頭を悩ませていた。

日本で働いていた時の職場宛のネパール土産はいつも、経由地のバンコク空港でまとめて買う『バナナチップス』と決めていた。って、ネパール土産じゃないか。

帰国するときには、家族と親戚分、突発的に会うことになるかもしれない知人分の土産を、一応用意する。

以前は、イラムティーの茶葉(東ネパールに位置する『イラム』は、気候がインドのダージリンと似ていることから、紅茶の産地とされている)などを買って帰っていたが、使い切ってくれた人は、果たしてどれだけいるのだろう、と、思ってしまう。

ちなみに、実家に渡した土産用紅茶、1年後帰国してもそのまま残っていて、さらにその1年後(つまり、土産として購入してから2年経過)にも手付かずで残っていたことがあり、捨てるものもったいないので、ネパールに持って帰ってきて、結局自分で飲んだこともあるぐらいだ。それ以来、紅茶の土産は買わないことにした。

ネパールインドあたりでよく使われる薬草から作った石鹸を買ってみたこともあったが、「ネパールで作った石鹸って、肌荒れないかしら?」とおそるおそる受け取る人もいて、ああ、また失敗した、、、と思ったこともあった。

私だったら、外国の不思議な原料で作っている石鹸をもらったら結構うれしいから、石鹸は手軽でいい土産だと思ったんだけどなあ。

・・・土産選びは難しい。

やっぱり、バンコク空港で買うバナナチップスあたりが、無難かな、という結論に至ってしまう。>だからそれって、ネパールの土産じゃないって。

2006年1月27日金曜日

大量買いのときには

知人(日本人)に頼まれて、ドティを20着ほど購入しに行った。

ドティというのは、わかりやすくいえば、サリー。インドやネパールの女性が来ている、1m×5mほどの1枚布で、体に巻きつけて着る、アレ。

一般的に綿(ポリエステルも混じっていることが多いけれど)でできた、普段着用のサリーのことは、ドティという。

===

ラジャスタン出身のインド人が経営している、よく行く布屋で、ドティを選ぶ。

250ルピー~450ルピー(約400~600円)までのもの、各種。

インド人が接客する店に買い物に行くと、うまくおだてられているうちに(というか、彼らの本心と嘘が、見抜けないうちに)値切ることを忘れ、高めの金額を払ってしまうことが時々あるのだが、この店は、顔なじみの店だし、一着の提示価格も相場なので、ほぼ言い値で購入。

その後、たくさんのドティを持ったまま、知人(ネパール人)のオフィスをたずねる。すると、みんなの目線は、もちろん、私が持っているドティに集中。

ネパール人たちは、こういうとき、すぐに、いくらで買ったか聞きたがる。ガイジンが、正しい買い物ができているかどうか(逆に言うと、ボラれ加減がどの程度か)確かめたがるのだ。

だから、私は、購入平均額をいい、ドティを触らせて質をチェックさせながら、先手で答える。

「ボラれてなんかないわよ。顔見知りの店で買ったんだから」

ネパール人たちは言う。

「値段は相場だね。で、もちろん、1着か2着は、おまけしてもらったんでしょ?」

・・・。

そうだ、その手があったのだ。相場で買い物できたぐらいで喜ぶなんて、何年ココに住んでるんだ、私。

たとえば今回。20着ものドティを一度に購入したようなときには、店の人に、「ねえ、自分用に、2着ぐらい、タダでちょーだいね」と、笑顔でお願いすべきだったのだ。

そうすると、「どうぞどうぞ。どれでもお好きなのをどーぞ」という運びになって、何着かはオマケしてもらえたはずだったのだ。

なのに、相場で買い物できて、チヤ(ミルクティ)を一杯ご馳走してもらっただけで満足して、店を颯爽とでてきてしまった。

ああ、悔しい。なんで、こんな基本的なこと、忘れていたんだろ。けっこうかわいい柄、たくさんあったよなあ。あれで夏用のクルタ(パンジャビ・ドレス)作っても、よかったよなあ、と、未練がましい思いが頭をよぎる。でも、いまさら、もう遅い。

『大量買いをしたら、一割はオマケをもらわなきゃ損』 

この教訓を胸に、次回の大量買いに臨みたい。

2006年1月26日木曜日

危険さの違い

先日、ビンラディンが肉声で、アメリカを攻撃する準備はできている(しかも新種の方法で)と、宣言した。

実は私、2月5日に一時ネパールを離れる。そして、そのまま日本を通過して、2年ぶりの訪米予定。

===

今の時期、ネパールは危険だからと旅行をキャンセルする人が多い。

でも、名指しでテロ宣言されているアメリカには、今でも多くの人が、特に警戒もせず訪れる。

普通の旅行者が、政情が関係する被害に遭う可能性はたぶんほぼ皆無なのだけれど、それでもなぜか、危険な『イメージ』が強いのがネパール。

普通の旅行者が、無差別テロの被害に遭う可能性は本当はとても高いのだけれど、それほど実感として沸かないのがアメリカ、という感じだろうか。

人それぞれ、危険と感じる価値観は違うけれど、ここネパールの危険さは、割と低レベルの危険さ、という感じ、かな。

本日も、ネパールバンダ(全国規模のスト)だったけれど、一般市民にとってはのどかな一日でしかなかった。

実際はそういう毎日なので、無差別テロの標的にされている国、アメリカに行く飛行機に乗る時は、なんとなく、いつも、何もおきませんように、と願ってしまうのだ。

2006年1月25日水曜日

証明写真はネパールで

久々に、証明写真を準備しなければいけなくなった。

証明写真というと、受験用や履歴書用に高いお金を払って用意した記憶ばかりが強く、また出費が、、、というような暗い気持ちがこみ上げてきてしまうのだが、ここはネパール。証明写真は、とっても安く撮れる。

私がカトマンズで利用している写真屋では、ネガさえあれば、4枚20ルピー(約35円)で、現像してくれる。顔写真を撮るところからはじめても、それほど高くはならない。

日本では、スピード写真であっても、数枚で1000円近い額はしたと記憶している。ちゃんとした写真屋で撮ったら、1枚あたり1000円近くなることも、あったような記憶もある。

が、こちらでは、どんなに高くても、普通に証明写真を撮るのであれば、1枚あたりの写真の値段が、(日本円に換算しても)3桁になることはない。撮影日の翌日には、仕上げてくれる。できも、悪くない。

その証拠に、おととし、日本で運転免許証を更新したとき、ネパールで撮った証明写真を提出したのだが、撮り直しを要求されることもなかった。

だから今、私の日本の運転免許証には、ネパールで撮った顔写真が貼られている。

日本でも通用する、ネパールで撮る証明写真。ネパール旅行後、証明写真が大量に必要になる予定がある人は、ネパールで準備してしまってもいいかもしれない。

でもときどき、なんか、自分じゃないみたいだなあ、と思って、よくよく写真を見ると、顔のほくろが修正されていることもあったりするのだ。笑。

2006年1月24日火曜日

そうだ、ガネシュタンにいこう!スルヤ・ビナヤク編

ヒンドゥ教では、ある特定の神様にお祈りする特別な月や、曜日がある。

たとえば、シバ神に特別な祈りをささげるのは、サウン月(7月半ば~8月半ば)の毎週月曜日。

今月、マーグ(Magh)月(1月半ば~2月半ば)の火曜日には、ガネシュ神に特別な祈りをささげる習慣がある。

・・・ということで、昨夜、夜間外出禁止令が解除となったニュースをテレビで見た瞬間に決めた。

明日(つまり今日)火曜日、早起きしてガネシュタン(ガネシュ神がまつられる場所)に行こう!

目的地は、バクタプルにある『スルヤ・ビナヤク(Surya Binayak)』。ガイドブックには、多分載っていないローカル寺院。

まだ日の出前の真っ暗な早朝5時、家を出発。

寺院についたころに、うっすら明るくなってきた。

ふもとにある臨時供物売り屋で、お供えセットを選ぶ。



参道をあがって寺院に到着したときには、ちょうど日の出も拝めた。



火曜日ということで、日の出前からお参りをする人の長蛇の列ができている。どう見ても、私の番がまわってくるのは、1時間以上あとになりそう。はじめの15分ぐらいは、なかなか前に進まない列に並んで、自分の番を待ったのだが、寒くて耐えられなくなった。



こんなとき、ネパールのヒンドゥ寺院参拝システム(?)は非常に便利。事情があって、列に並んで自分の番を待つことができない人のために、地元の人たちが、お供え物を代理で神様近くに備えてくれるシステムが、どの寺院にもあって、本尊近くに、何人か待機しているのだ。

それを思い出して、早々と列を離れ、代理お供え係のおじさんにお願いすることにした。


                                     
帰り道の参道。ここにも、クロウニが売られているではないか!寒いとあまり食べる気はしないけれど、お土産に買って帰る。