昨日のつづき。
賄いスタッフの夫の実家で出されたダルバートに、青菜のタルカリがあった。食べ終わってから聞くと、ジャガイモの葉を使っていたそうだ。初めて食べたが、おいしかった。
ネパールの山間部では、ほぼ自給自足の生活をしている村が多い。この村でも、ダルバート用のお米やダル、塩や砂糖などは歩いて1時間ほどの場所にあるバザールで買っているが、野菜は、種類は多くないけれど、畑で収穫できている。売って現金化できるほどではないが、とりあえずこの先1か月ぐらいは、自分たちが食べていけるだけの収穫はある、と。
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地震後、民間や個人の援助で、幹線道路沿いの集落で食糧が配られている様子をあちこちで見かけた。
しかし、幹線道路を少しそれただけで、行き届きにくくなる。この村にも届いていない。カトマンズに出稼ぎに出ている同村出身の有志たちが、地震後食糧を届けてくれた程度。
でも、大丈夫だという。在庫の米などは壊れた家から取り出すことができたし、米がなくなれば、畑で採れるジャガイモでもディロ(とうもろこしやそばの粉をお湯で練ったもの)でも食べればいいのだから、と。常にダルバート(ご飯とダルスープ)を食べなくても、死ぬわけじゃない、と。
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家を失っても、身体が無事だった村の人たちは、自分の力で少しずつ生活を建て直している。
「支援などあてにできないから、自力でがんばるしかない」という肩肘張ったものではなく、自分たちが支援してもらえる立場にあることにすら気づいていなくて、大変な目にあい皆困っているから周りで助け合って生きている、ただそれだけのこと。
今の状況を受け入れ、欲もなく健気に生きている村人は、各地の被災村にも、きっとたくさんいるのだろう。
日本に居ると、災害が起こると救援・支援が来るのが、当たり前に感じてしまうが、自然のままに現在の状況を受け入れ、臨機応変に生きていく事。人間本来の賢さが大切なんだなと、考えさせられました。
返信削除もともといろいろなものに頼る生活ではなかったことが幸いして、立ち直る力も強いのかなあと感じています。
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