早い人だと、この日からゴールデンウィークの休暇に入る人も多く、GW中の旅行者第一弾のお迎えがけっこう入っていたこの日。
正午過ぎカトマンズ空港着タイ航空便でネパール入りされるゲストの中には、耳の聞こえない方もいらした。
過去何度か、耳の聞こえない日本人のトレッキング手配をさせていただいたことがあり、英語と日本語の筆談や、簡単な手話での会話に慣れているガイドがいて、今回のゲストにも、彼を調整していた。
空港お迎えも、このガイドが担当。
地震発生時、彼は、空港から4㎞程離れているオームホスピタルにいたという。知人が入院していて、空港と同じ方向にあるし、明日から2週間ほどトレッキングでカトマンズを離れることになるので、見舞っておこうと、ついでに寄ったのだそうだ。
病室内でもかなり揺れ、とにかく屋外に逃げなければ、と、3階の病室から階段を転げるようにして外へ。どうやって屋外に出たか、まったく覚えていないという。
時計を見ると、タイ航空機到着の時間が迫っている。とにかく空港へ向かわねば、と、急ぎ足で15分ほどで移動。道中、寺院の屋根が傾いていたり、レンガ造りの家が崩れているのを目にしながらも、何が起きたか呑み込めず、無我夢中だったという。
パシュパティナート近くを通過時、ヒンドゥ教関係の白い服を着た団体が、皆で手を取りながら「オーム・シャンティ、オーム・シャンティ・・・」と大声で唱えている場に遭遇。気が動転していた彼、一緒に唱えれば気持ちが冷静になるのではと思ったのか、(自分でもその時の心理が理解不能で思い出すと自分の行動がおかしいというのだが)、その輪の中に入り、しばし唱え続けていたのだと。
我に返り、こんなことをしている場合ではない、早く空港へ向かわねば、と、再び歩き出す。
空港に到着したものの、大通りに面したゲートが封鎖されていて、中へ入れてもらえない。
迎えがあるから、と、門番に頼み込んでも、「今日の便はすべて欠航だ」といわれ、入れてもらえない。
1時間ほどゲートで待っても開けてくれる様子はなく、周りも皆引上げ始めたので、彼も急いでカトマンズ市内のアパートに戻ると、若い妻が泣きながら待っていたそうだ。
・・・
帰宅時、バスもタクシーもとまっており、空港から、ゴンガブを抜け、さらに北方面までの7km程の道のりを歩いて移動。
被害の多かったゴンガブ地区では、道中に死傷者がゴロゴロしており、目をそむけつつ通り過ぎたと。そのことを思い出しながら後日、「電話もネットもつながらなかったし、画像つきの現地状況を報告できずにごめんなさい」と。
日本のテレビ番組撮影時などにもアシスタントとして同行することの多い彼、1日の終わりには、画像つきで的確な報告をしてくれる。普段でも、旅行やトレッキングに関係ある情報があると、すかさず写真を撮りviberで送ってくれるのだ。でもこの日は平常心を失っており、それどころじゃなかった。今思い出すと発信すべきことだったのに、と詫びてくるのだ。
あたりまえだよ、そんな場面を送ってくれても絶対に使わなかった。撮ってくれなくてよかったよ、とねぎらった。
・・・
結局この日、地震発生後カトマンズ空港は閉鎖され、離発着予定だったフライトはすべて欠航に。
カトマンズ上空まで来ていたタイ航空機は、インドのコルカタ空港に緊急着陸後、バンコクへ引き返すことになった。
(画像は、地震翌日4月26日午前中のカトマンズ空港。ネパールを脱出しようとする旅行者で混み合い、駐車場にまで人があふれ出していた)
つづく。
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(1)とチュルピ
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(2):カトマンズ、ナガルコット観光
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(3):ランタントレッキング
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(4):ゴーキョピークトレッキング
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(5):カトマンズ空港送迎
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(6):パタン訪問
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