昨日、シンドゥパルチョウク郡とドラカ郡にある女性スタッフたち(事務スタッフと、賄いスタッフ)の実家(夫の家)がある村を訪れた。
1年程前から賄いスタッフには、5月末に村で大きなプジャがあるから見に来てほしい、と言われていたのだ。通常の日々を送っていたら、休みもないこの時期に私が行くことは不可能だったが、地震の影響で思いがけず時間もでき、地震の被害が大きかったといわれるこれら二郡の現地の様子をこの目で見ておきたい、という思いもあり、これを機に行ってみることにした。
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地震後はじめて帰省する彼女たち。
厳密には、事務スタッフは地震から一週間後に一瞬だけ帰っていた。地震翌日からネパール入りしていた報道クルーの方に同行していて、「シンドゥパルチョウク郡で被害にあった村を撮影したい」という要望に、自分の村へ案内していたのだ。変わり果てた実家を見たときは言葉にならなかったという。
その時の動画:
ゆっくり周辺を見て回る時間はなく、ニュース素材撮影目的で20分ほど滞在しただけで、すぐ別の目的地に向かったから、事実上、今回が地震後初めての帰省に等しかった。
彼女たちから聞く事前情報では、村の家々はほぼ皆倒壊し、皆大きなビニールシートを張って、その下で生活している、とのことだった。
しかし、実際訪れてみると、ビニールシートはほとんど見当たらない。彼女たちの村だけでなく、周辺の集落でも。
その代り、新築or増築したてのような、トタンや木材を利用した家々が目立つ。
きくと、壊れた家のトタン屋根をはがしたり、足りない分は新たに購入したりし、村人たちで協力しながら、一軒ずつ作っていったのだという。
賄いスタッフの夫の実家は、素人たちだけで作ったとは思えない2階建ての質素ながらにも立派な作りで、驚いた。村の人たちはたくましい。
壊れた家の壁の一側面を利用し、そこに増設する形で作られている家もあった。上の写真もそう。壊れて住めなくなった白い石造りの家の一側面を利用し、写真手前側のように、木材を利用した仮設の家を作っている。
村への分岐点にある集落、ムデ(標高約2500m)のバザールにも、ぴかぴか光るトタンの家が。
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4月25日の地震からほぼ一ヶ月。まだまだ公の支援など届かない村の方が、たぶん多い。彼女たちの村もしかり。
支援を待ち、いまだビニールシート生活をしている人も多いように聞く。その方が同情も得やすく、あえてそうしている人も、もしかすると中にはいるかもしれない。
しかし、今回訪れた周辺一帯、支援等あてにせず村人同士協力し合い、さっさと前進している人たちもいることに、嬉しくなった。
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実は、今回の村訪問にはもう一つ別の目的があった。それは、過去の利用者の方や私の両親の知人たちから寄せられた義援金の一部を届けに行くこと。
地震直後から義援金に関するたくさんの問い合わせをいただいた。私は援助等の分野では素人だから、正しい支援方法は分からない。個人レベルの活動に、他人を巻き込んでよいのだろうか、という葛藤はあった。でも、皆様のご厚意を嬉しく思い、お申し出いただいた方には個別に私個人の想いをお伝えしたところ、賛同してくださった方も多く、5月22日時点で約60万ルピー(約75万円)をお寄せいただくことができたのだ。
その後の報告や今後の方針などについても、更新しなくては、と思いつつ、なかなか自分自身満足できる文章にまとめることができず、延ばし延ばしにしてしまった。
村訪問の様子と私の想いを混ぜ込みながら、これから少しずつブログに更新していきたいと思いますので、お付き合いください。
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手作り仮設住宅の中の様子、今回の村訪問の様子は、旅するフォトグラファー有賀正博さんのブログにも掲載いただいています。
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