≪5月12日の大きな余震発生後、屋外に飛び出した人たちで騒然とするタメル地区≫
4月25日に発生したM7.8のネパール大地震後、徐々に余震も少なくなり、カトマンズに限って言えば人々が日常を取り戻し始めていた5月12日昼過ぎ。再びM7越えの大きな地震が発生した。
私はタメルのオフィスにいて、同じ部屋には女性スタッフが一人。
事務作業をしていて、彼女が突然宙を見上げて「あれ?あれ?」と2回繰り返したのを覚えている。私が「どうかした?」と言おうと口を開くと同時に、ガタガタという強い揺れ発生。
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4月25日本震発生時は、土曜日だったこともあり、自宅にいた。たまたま庭に出ようと玄関近くにいたときに地震発生。目の前にいた小さな息子を抱えて逃げようと、わきの下に手を入れようとするもののうまく行かない。自分自身の動きを全くコントロールできない。
玄関わきに置いている台の下にもぐろうかと一瞬思ったが、ネパールでは建物倒壊の恐れもあり、まずは屋外に逃げろという。机の下に隠れているどころの生易しい揺れではない。とにかく屋外に逃げないと圧死するかもしれない、と、無我夢中で息子を抱えあげ、転げるように、這うようにして庭の中央へ逃げ出した。履物を探す暇もなく、裸足のままで。
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5月12日も、地震だ!と気づいた直後、出来れば屋外に逃げ出したかった。しかしオフィスは2階にある。揺れがどの程度続くのか、自分の行動をコントロールできるほどの揺れなのか、即座に判断できない。スタッフが「机の下!」と叫び、この状況だとそれが最善方法だと私もとっさに判断し、とにかくもぐる。しかし、机がずれ動きうまく隠れられない。本震と同じぐらい強く揺れている。
本震では被害は全くなかったオフィスの建物だが、その後の余震で見えない部分がもろくなっている恐れはある。揺れが続くと、本震後、各地で目にした倒壊した建物のように、ここも崩れ私も目の前の壁につぶされるのではないか、という恐怖に襲われる。
≪地震発生後、オフィス裏の駐車場に避難するスタッフたち≫
≪大きな余震で皆外に飛び出し、騒然とするタメル地区内オフィス前≫
しかしこの地震後皆屋外に飛び出し、次々にシャッターを閉め出し始めた。車やバイクのエンジンをふかし、慌てて逃げだす人々も。皆が皆冷静さを欠き、騒然とし、異様な光景だった。
賄いスタッフは、休校となっている子供たちを今日に限って家に残してきており、子たちの安否を確認すべく、青ざめて家に電話。先日の地震で家に住めなくなった、アサン出身のスタッフも、半泣きで避難先の家族に電話、、、。
その後、私たちのオフィスも閉めることに。
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翌日(5/13)はまた、本震翌日(4/26)の時と同じように、タメル地区、9割以上の店はシャッターを下ろしたままだった。
その後徐々に営業再開する店も増えたが、15日昼過ぎに起きた余震で、またシャッターを閉めだす店続出。
また振り出しに戻ってしまったかのような絶望感。
明日(5/17)は週初め。ネパールでは日曜は平日。皆が徐々に日常を取り戻してくれるとよいのだが。
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