建物崩壊現場では胸を痛めやるせない気持ちになりますが、ネパール庶民たちの前向きな行動を目にするようになり、この国は大丈夫、という確信も感じています。
旅行者エリアのタメル地区も、震災翌日はほぼすべての店がシャッターを下ろし、人通りも少なく、異常さを実感しましたが、5月1日現在半分ぐらいの店が開き、活気を取り戻しています。
街でも、路上で野菜を売る商売人、自転車の果物売りも見かけるようになり、街を走る車の量も通常通りに戻っています。
毎日目にする各地での様子は、時間が許す限りリアルタイムでツイッターに画像つきで更新していますが、今日は、ネパールの人たちががんばっている姿、タフな姿を抜粋して掲載してみたいと思います。
4月30日に、約120時間以上ぶりに二人の生存者が発見されたカトマンズ市内ゴンガブ地区。捜索活動が続く中、顔にネパール国旗のペイントをし、一緒に頑張ろうと紙を掲げる若者たち。(本日撮影)
朝のダルバール広場内ハヌマンドカ。この向かいにあったクリシュナマンディルは全壊。周辺はがれきの山。そんな中にも、震災前と変わらず、ハトの餌売りが現れる。ハトに餌をやるとご利益があると信じられているのだ。(4月28日:地震発生4日目早朝撮影)
瓦礫撤去のためネパール各地からカトマンズ市内ダルバール広場に集まったボランティア。
老若男女、チベット仏教の赤い衣装を着た僧たちも。きれいに列を作り、バケツリレー方式で瓦礫を次の人に渡し、最後の人が整然と地面に並べていく。
この日夕方、コイララ首相が視察にあらわれると、ボランティアたちが首相を取り囲み、支援が足りない、と、帰れコールを叫び出す一面も。そのうち、個々の叫び声は「カーム ロキョ!」(作業の邪魔しに何で来た!)いう一つのコールに代わり、首相は退散する羽目に。
熱くなっていたボランティアたちだが、首相が去るとすぐ、口々に「中断させられたけど、さあ早くまた作業にとりかかろう!」と、乱れた列をきれいに元に戻し、作業再開するという、感動的な行動も。(4月28日:地震発生4日目午後撮影)
また、この日別の場所では、タクシーのトランクいっぱいにチウラ(干し米)を積み、分けている個人ボランティアの姿も。(5月1日:地震発生7日目夕方撮影)
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この様な前向きな光景が見られる一方、地方ではまだ詳細すらわかっていない深刻な状況と行方不明者も取り残されているとのことで、一刻も早い確認と救援を祈っています。
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