≪パタンダルバール広場/2015年9月5日撮影≫
クリシュナアスタミ、ヒンドゥー教クリシュナ神生誕祭だった昨日。カトマンズとパタンのダルバール広場にあるクリシュナ寺院を訪れた。
まずはパタンダルバール広場のクリシュナ寺院へ。ダルバール広場内、参拝客でかなりの混雑。
つっかえ棒をしている寺院も多く、ここで地震が起きたら、逃げるに逃げられず怖いなあ、とやや不安になる。
≪中央が石造りのクリシュナ寺院/2015年9月5日撮影≫
崩壊は免れたパタンのクリシュナ寺院。しかし、例年は内部上階まで参拝客で埋まるのだが、今年は内部への立ち入りを制限しており、寺院脇に置かれたクリシュナ神像をお参りする形となっていたようだ。
5年前のクリシュナアスタミの日、ほぼ同じ角度から撮った写真。
≪2010年9月1日撮影≫
にぎわう様子も寺院群の様子も一見何も変化ないように見えるが、上の2枚の写真左半分に柱のように写っている、旧王宮前に建てられた昔の王の像の部分が、昨日の写真ではなくなっているのがわかる。
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次にカトマンズダルバール広場を訪れた。
≪カトマンズダルバール広場。インドラチョウク方面から入場/2015年9月5日撮影≫
この先を進むと右手に、 今年4月25日午前中までは、八角形のクリシュナ寺院が建っていた。
5年前のクリシュナアスタミの日の様子。
≪カトマンズダルバール広場内クリシュナ寺院/2010年9月1日撮影★≫
≪同上≫
しかし、4月25日の大地震で、土台を残し全壊してしまった。
地震発生日が土曜日(休日)だったこともあり、参拝客も多く、瓦礫の下敷きになった人がいる可能性がある、また、寺院裏の茶屋に人がいたという情報もある、ということで、捜索活動が行われていた場所。
4月28日、予定よりも1日遅れでカトマンズに到着した、日本からの国際緊急援助隊救助チームも、すぐに現場に向かい、翌日まで捜索を行っていた。(結局生存者は発見できず、その後作業は打ち切られた)
≪写真左手が崩れたクリシュナ寺院/2015年4月28日午後撮影★≫
救助チーム到着翌日の4月29日。朝早くから捜索活動が行われるとのことで、日本のたくさんの報道陣が待機していた。私も朝6時過ぎには現場にいた。でも、特にすることもなく、クリシュナ寺院の脇に立ち、変わってしまった周辺の様子を目に焼き付けていた。崩れ山積みになったレンガから、湿ったカビ臭い匂いが漂っていたことを、生々しく覚えている。
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クリシュナ寺院向かい、ジャガナート寺院から朝日が昇る。
普段と変わらずお参りに来る地元の人たち。・・・
クリシュナ寺院向かい、ジャガナート寺院から朝日が昇る。
そのうち、鳩の餌を売る女性が私の目の前におもむろに現れた。
乾燥させたトウモロコシの粒が入った容器を、慣れた手つきで地面に並べ始める。
逆光で見づらいが、寺院の屋根に無数の鳩がとまっていて、参拝客が餌をまくと、一斉にやってくる。ハトに餌をやるとご利益があると信じられているのだ。
地震後の混乱の中にも、ネパールの人たちの日常の様子を見て、この国は大丈夫、と確信した瞬間だった。
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あの日から約4か月、クリシュナアスタミだった昨日。
寺院は全壊してしまったが、参拝客は訪れるのだろうか。気になりながら近づくと、例年と変わらない参拝客の列が目に飛び込んできた。土台しか残っていないが、皆そこをお参りしている。地震後別の場所に移されていたクリシュナの神像だが、この日のためだけにまた、この場所に置かれているとのことだった。
≪インドラチョウク側より2015年9月5日撮影≫
≪クマリの館側より2015年9月5日撮影★≫
4か月前と同じ場所に立ち、周辺を眺め、賑わう様子にホッとする。そして、人々の変わらぬ信仰心と日常に、またあの時と同じ気持ちを感じたのだった。
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時系列ばらばらに、たくさんの下手な素人写真を掲載しましたが、カトマンズのクリシュナ寺院、最後に★印をつけた3枚、どれもほぼ同じ角度から撮影しています。
地震前、地震直後、そして昨日の様子を比べてみてください。
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