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2005年10月29日土曜日

無題

海外青年協力隊制度が、40周年を迎えたそうだ。

私は、医療技術系の免許を、一応持っている。日本では、一応、(この職を持っている人なら誰もがうらやましがる?一般職でいう『大手企業』的なイメージがある)大学病院勤務で、その専門職で、3年働いていた。

なぜ、『3年』働いたのかというと、実習に追われていた大学時代、やっと休みが取れると、アジアを旅行していて(まあ、よくあるパターンですね)、その時に、協力隊員に興味を持った時期があり、募集要項を読んだところ、私の技術の場合は、たいてい『実務経験3年』という条件が課されていたからだ。

だから、とりあえず3年は働こう(石の上にも3年というし)と思ったわけだ。

しかし、『実務経験を積んでいる』期間に、よく考えてみた。すると、私は、その技術を使うために、自分の意思とは関係なく割り当てられる見知らぬ国に行くよりも、技術を使えなくてもいいから、よく訪れていたネパールで、細々と役に立てたら、という気持ちのほうが強いことに気づいた。

それに、ここからは思い切り反感をかいそうな内容になるが、事前詰め込み学習で赴任地についての勉強をし、一度も訪れたことのない国に突然派遣され、指導するなんて横柄なことは、私には絶対にできないし、期間限定海外生活体験(しかもバックに大きな組織があって安心!)なんて条件で途上国に暮らして、自己満足を感じるなんて、その国の人に、失礼ではないか?、と、強く感じていた。

というわけで、自らの意思でこの国に入り、結局、今は、前職とは全く関係のない人生を送っている。

さて、日本で働いていた当時、同じ職場から、協力隊員として南米へ行った先輩がいる。

実務経験をつんだら、協力隊員として海外へ出たい、と言っていた大学時代の同級生も知っている。(結局その後どうなったのかは知らない)

だから、私が職場をやめたときは、同職の多くの人から『協力隊としてネパールへ行くんでしょ?』と言われたものだ。残念ながら、私の退職理由はそんな大それたものではなかったのだが。

NHKのニュースで、ちょこっとだけ、今日の式典の模様を流していた。

協力隊OBが、『つらいこともあったが、充実した2年間だった』といっていた。

限られたとても短い期間に、海外生活体験をし、充実して帰国できるって、ある意味、幸せでいいなあ、と思った。

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