近所で、ヤギの鳴き声が聞こえ始めた。ダサイン祭8日目(アスタミの日。今年は10月11日)、生け贄として捧げるためのヤギを、近所の家で確保したようだ。
毎年この時期になると、近所で(生け贄用の)悲しいヤギの鳴き声が聞こえ始め憂鬱になる。
アスタミの日(10月11日)、女神を祭る寺院の地面は、生け贄により血だらけになる。広場や空き地でも、動物の首をはねて、解体する人たちの姿が見られる。
ヒンドゥ教バウン(ブラーマン)など、動物を絞めることのできないカーストでは、(食用)動物の代わりに『クビンド』と呼ばれる瓜系の植物を切る習慣もあるが、生け贄には、ニワトリやヤギが使われるのが一般的で、村では巨大な水牛を絞める場合もある。
5年前、タマン族の知人(女の子)が、ダサイン休みで村に帰省する際に、一緒に連れて行ってもらったことがある。
彼女の村では、村民総出で一頭の水牛を絞めるという。
ヤギを絞める(首が切り落とされる)シーンは見たことがあったのだが、水牛はヤギの何倍もでかい。ククリ(ネパールの刀)で、あんなに大きくて、太い首をどうやって切り落とすのか、ギモンだった。が、すぐにわかった。
広場には、生け贄シーンを見るために、見物人が大勢集まっている。
その中央に、頑丈なロープでつながれた水牛が、用意されている。そして、大きなククリや木槌を持った、男たちが周りを取り囲んでいる。
木槌?ヤギを絞める時には、そんなものは使わない。
木槌は、水牛の頭(前頭部)を思い切り殴るために使われるのだ。
水牛は巨大だ。だから、ククリで一気に首を切り落とすことができない。少しずつじわじわ殺すと、痛み水牛があばれまわり、手に負えなくなる。だから、首にククリを入れる前に、頭を何度も殴りつけ、感覚を麻痺させてしまうために、木槌が使われるのだ。
なんて残酷な!
でも、村人たちはみんな興奮気味で、歓声をあげている。広場には、あばれまわる水牛を取り囲み、白熱した熱気が漂っている。その熱気には、異様な狂気さえ感じられる。
頭を何度も殴られ、朦朧とし始めた水牛の首にククリを入れる。
もうだめだ。見ていられなくなって、私はその場を離れた。
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残酷に首を切られた水牛は、その後村人の手で解体され、全ての人に平等に分けられる。
絞めるシーンを見られなかった割には、村独特の調理法で出された水牛メニューを、おいしく食べてしまった、都合のいい私。
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そういう日が、もうすぐやってくる。
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ところで、日本では、子供の教育に悪い!といって、すぐに禁止されそうな習慣だ。あんなシーンを見せたら、子供がマネするからダメ、とか、言いそうだね。
でも、こちらでは、大人も子供も、当たり前のように毎年目にしている。が、子供の教育に悪影響を与えているとは、思えない。
まあ、そんなことはどうでもいいのだが。
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