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2015年7月26日日曜日

義援金報告3


報告2 からのつづき。

義援金の使い方

はじめは、多くの支援者や団体がしているように、私たちも、物資支援をする予定でした。

しかし、地震直後は閉鎖していた最寄りのバザール(店が何件か並ぶ場所)も、日が経つにつれて営業を再開し始め、物資も地震前と同じように揃うようになり、現金さえあれば、必要な物は手に入る状況となっている、ということを(地震から約2週間後)村の人たちに確認。

物によっては遠くの店まで行かないと手に入らず、そのためには急な山道を上り下りしないといけない、という不便な状況の村もありました。しかし、この不便さは地震とは関係のないこと。地震後後土砂崩れなどで道事情が悪くなり、行き来に時間がかかってしまう、という影響は一時的に出ていましたが、雨期の時なども同じような状況を毎年経験しており、現地の人にとってはこれが日常。

現地事情を知らないと、生活習慣の違いにおける不便さを同情に置き換えてしまいがちですが、問題の本質を見失わないよう注意しました。

・・・

(対象世帯ではありませんが)、支援物資が届いている地域には、異なる団体から同じ物が重複していたり、(長い目で見れば必要になる物でも)「今」なくても困らない物だったり、ということも多々あったようです。無駄にはならずありがたいが、支給された物資分の「現金」があれば、「今本当に必要な物」を購入出来たのに、という声もきいていました。

支援を待たずに自分達で仮設小屋を自分達で作り始めている人も多く、その際に家畜を売って現金化したり、借金をした人も多いという情報も得ました。

この様な状況を知り、(支援現場における現金支給には賛否両論ありますが)、物資ではなく「見舞金」として現金を直接渡す、という使い方をすることに決めました。

義援金の授与
 
◇1.スタッフ、ガイドたち 計23名(23世帯)へ

義援金をお寄せくださった方の半数以上が過去の利用者の方で、ネパールで一緒に行動したガイドやガイドたちの家族は無事かどうか、と、気にかけてくださっていました。ガイドたちがいたからこそ、今のネパールの状況を心配していただけたのだと実感しました。
 
専属ガイドだけではなく、フリーランスとしてかかわってくれているガイドもいて、私たちとの関係が近い者・それほど近くなく依頼時だけの付き合いの者、気の合う者・それほどでもない者など、実はいろいろいます。
 
過去のゲストの方にFBやメール等で呼びかけ、被害の有無にかかわらず、要領よく個人的に直接義援金を集め始めている者もいる、という話も耳に挟みました。
 
どこで線引きをするのか、抜け駆けしている者は省くのか、等、迷いましたが、公平にするため、ここ数年の間で、繁忙期にはほぼレギュラー同然で活躍してくれたガイドたち全員の状況を、何度かに分け個別に雑談をしながら確認することにしました。

地震発生の瞬間から直後の様子、カトマンズのアパートや村の実家、家族の様子を聞き取る機会を設けました。

関連ブログ記事:
http://dailynepal.blogspot.com/2015/06/blog-post_10.html

結果、弊社スタッフ・ガイド関係からは、次の計23名を対象とすることにしました。
 
アンカミ・シェルパ / エクラジ・マガル / カビタ・タマン / カルパナ・バケ / ジャヤ・バハドゥル・マガル / ダマラジ・マガル / ダル・バハドゥル・マガル / ダワ・シェルパ(1) / ダワ・シェルパ(2) / ナワ・シェルパ / バクタ・タマン / パサン・ラマ / パリサ・マハルジャン / ヒラ・ラマ / プスパ・マガル / プラベシュ・グルン / ホム・マガル / マノジ・ゴウタム / マヘンドラ・アチャリヤ / ミン・マガル / ラジュ・タマン / ラジュ・ラナ・マガル / レッサム・ラマ
 
特定のガイドへの義援金をお寄せ下さった方もいらしたため、このようなケースではそのご意思を尊重し、被害の大小にかかわらず、対象としました。

619日に、オフィス屋上で、軽食も兼ねた近況報告会を開き、参加できた者にはその際に一人ずつ受け取ってもらいました。

≪6月19日オフィス屋上での近況報告会の様子≫
 

◇2.弊社スタッフ3名の実家のある4地区31世帯へ。
 
被害が大きかったエリアとして、外国報道で郡名は頻繁に出てくるものの、聞き取り時には支援がほとんど入っていなかった、スタッフの実家がある村など合わせ、計4地区を対象とすることにしました。
 
しかし、これらの地区ではほぼすべての家屋が倒壊し住めない状況となっていました。地区全体を対象にすると膨大な数となり、全てに手を差し伸べることはできません。対象世帯をどう選ぶか悩み、村の代表者と相談の上、次のように決めました。
 
A:シンドゥパルチョウク郡トゥロパカル村ラマトール地区5世帯
  https://en.wikipedia.org/wiki/Thulo_Pakhar
 (事務スタッフ兼観光・トレッキングガイドのヒラ・ラマ出身村)
  
 今年1月、日本のテレビ番組撮影に協力した際、現地でタマン族の新年の様子を撮影したことがあり、その際にお世話になった家庭5世帯に絞りました。

 エム・クマル・ラマ / スレン・ラマ / エス・クマル・ラマ / ブッダ・ラマ / テンジン・ノルブ・ラマ
 
また村にある僧院も亀裂が入り崩壊の恐れがあり修復の必要があるため、僧院管理者でもあるテンジン氏に渡した見見舞い金の一部は、僧院の修復費用にも充ててもらうことにしました。
 
≪今年1月、タマン族の新年ソナム・ロサールの儀式準備中に撮影。地震前の様子≫
 
 
≪地震後の僧院内部≫
全壊は免れたが、全体に亀裂が入り、立て替えまたは大がかりな修復が必要となっている。
現在は外から木のつっかえ棒をして支えている。


≪地震後一ヶ月も経たないうちに、僧院前の広場に自力で建てた仮設小屋≫

 
 
B:ドラカ郡カタクティ村フォクテ地区16世帯
  https://en.wikipedia.org/wiki/Katakuti   
  (賄スタッフのカビタ・タマンの嫁ぎ先の村)

  2年に1度行われる村人たちの宗教的儀式があり、1年前から誘いを受けていました。地震で延期になったのでは?聞くと、こんな時だからこそ予定通り実施する、とのことで、この機会に村を訪れることにしました。そして、儀式に参列する家庭を対象とし、一家庭ずつ渡しました。(スタッフはタマン族ですが、夫はネワール族の、異民族結婚をしています)

クリシュナ・クマリ・シュレスタ  / ディル・バハドゥール・シュレスタ / ルドゥラ・バハドゥール・シュレスタ / ゴパル・シュレスタ / カドゥカ・バハドゥル・シュレスタ / クリシュナ・クマリ・シュレスタ / カル・マン・シュレスタ / バクタ・バハドゥル・シュレスタ / カルナ・クマリ・シュレスタ / テジ・クマリ・シュレスタ / リラ・マヤ・シュレスタ / ガンガ・シュレスタ / エケンドラ・シュレスタ / ラム・カジ・シュレスタ / ラジュ・シュレスタ / トゥルク・ラマ

★ABの村には524日に私自身も訪れ、Aの村では代表者に、Bの村では一人一人に直接渡すことができました。



関連ブログ:
手作りの仮設住宅(シンドゥパルチョウク郡、ドラカ郡のとある村一帯)(525日付)
http://dailynepal.blogspot.com/2015/05/blog-post_25.html

ジャガイモの葉のタルカリ(526日付)
http://dailynepal.blogspot.com/2015/05/blog-post_26.html

 
C:ドラカ郡チャンク村バル地区1世帯
  https://en.wikipedia.org/wiki/Chankhu
  (同カビタの出身村にる両親宅)
 
→5月12日に発生したM7.3の最大余震震源地近くの実家で、地滑り等の被害も大きく、カビタ本人自体も帰省できていませんでした。他の村人たちが、親戚等の手を借りて自力で仮設小屋を建てていく中、両親のところでは人手がなく、ビニールシートで雨除けするだけの暮らしが続いているとのことでした。

7月初めに、地震後初めて、カトマンズにいる弟が帰省できることになり、その際に知人と共に仮設小屋を作る、とのことだったので、見舞金を託しました。

7月23日、カトマンズに戻ってきた弟から、見舞金を利用してトタンを購入し、仮設小屋を建てることができた、とのことで、写真を見せてもらったところです。

 
 
 
D:カトマンズ郊外ラマタール村内のダリット(低カースト)居住地区を含む9世帯
https://en.wikipedia.org/wiki/Lamatar
(弊社マネージャー ラグ・ポウデル実家近くの集落)

カトマンズから近い地区であるため、早いうちから救援物資も届いていたようですが、近いが上に素通りされてしまうことが多かったと。被害のなかった村人たちで寄付を募り届けたこともあったそうで、その一環として一部を使ってもらうことにしました。

マイロ・ビシュワカルマ / ゴフレ・パリヤル / カーレ・パリヤル / ギャンペ・パリヤル / フルマニ・パリヤル / クマレ・ビシュワカルマ / ジャヌキ・パリヤル / ラム・バハドゥル・ビシュワカルマ / アキリ・パリヤル

★61日に私自身が近くの村を訪れた際に届けました。

関連ブログ:
カトマンズ郊外の村へ(61日付)
http://dailynepal.blogspot.com/2015/06/blog-post_2.html

3.身体的被害を負ったガイドの身内3名へ。

68 日、入院先のリハビリセンターへ見舞い行った様子をブログでもふれています。

サンガの脊髄損傷リハビリセンターへ(68日)

地震被害による入院や手術費、泊まり込み付き添い1名までの病院での食費等は国が負担してくれるとのことですが、その他はすべて自己負担。

病院~リハビリセンターまでの移動費や見舞い時の移動費。退院後の通院費、車いす購入費、他、すでに多大な出費が発生していることはもちろん、今後も継続して必要になることを考え、対象としました。

◇4.その他:個人的な知り合い2名へ。
 
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以上、7月12日時点で、78名(世帯)に、合計891,900ルピー(1,114,875円)を渡しました。

被害の大小に応じ、一世帯あたり2,000ルピー~150,000ルピーを渡しています。具体的な額についてはあえて記載しておりませんが、寄付金をお寄せ下さった方で、詳しいことをお知りになりたい方がいらっしゃれば、お問い合わせいただければ回答いたします。

また、7月12日までの残金203,407ルピー(254.259円)と、13日以降にお寄せいただいた分が残っています。

今後も、継続的に現金は必要になっていきます。状況を見ながら、必要に応じて渡していきたいと考えています。

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