6月1日、カトマンズから南東20kmほどの場所にあるラマタール村を訪問。カトマンズよりも300mほど標高が高く、緩やかな段々畑の中に民家が点在する場所。
昨年母親がなくなり、3月末に1年の喪が明けたスタッフに、喪が明けたら食事に来るようずっと誘われていたのだ。そろそろ訪問計画たてようか、と思っていた矢先の4月25日の大地震。しばらくは、とても食事に出かけるような気分ではなかったが、やっと日常が戻り始め、気分転換に出かけることに。
視察目的でも何でもないのに、どうしても、行く先々の被害の様子が気になってしまう。
途中の村でも被害にあった家屋がけっこうある、と聞いていて、確かに道中ところどころ目にしたのだが、目的地3kmほど手前・ルブの町に差し掛かって愕然。れんが造りの建物が並ぶバザール周辺、崩れている家屋が目立ち、メインの通りから奥に続く細い小道をのぞき込んでも、目につくがれきの山。5月12日の余震で全壊したルブのゲートも目にする。
復路、ヘルメットをかぶった団体を見かけた。崩れたり亀裂が入ったりしたままの家屋をそのまま放置しておくと、もうすぐ雨季も始まり危険なので一部取り壊す作業を行うのだと。このような作業が各地で進められているようだ。
この辺一帯、狭い範囲ながら大きな被害が目につくのだが、瓦礫や壊れた家に囲まれながらも、収穫後の麦を地面に敷いたむしろに広げ、乾燥させている光景もあちこちで見かけた。非日常の中にも、ホッとする日常の様子が。
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ところで、スタッフの家は、約1年半がかりで建て替えを行い地震前にほぼ完成していて、被害は全くなかったが、レンガ造りの古い家のままだったらおそらく全壊していただろう。
地震前、建て替えたばかりの家の屋上に出、カトマンズやパタン市街を見下ろしながらくつろぐ、新しくできた時間が楽しみだったそうだが、地震後は、被災した近隣のことを考えると、自宅にいても落ち着かず、屋上や庭で過ごす時間はほとんどなくなってしまったそうだ。
このエリアでも被害のあった家とそうでない家の差が激しく、地震後かなり早いうちから、被害のなかった村人たちが有志で寄付を出しあい被災した人たちに届けたり、所有する竹山の竹を伐採し、仮設住宅づくりのための支柱用に無料提供したりと、村人同士助け合う姿が見られた(今でも見られている)とのこと。
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カトマンズからそう遠くないこともあり、屋外生活を余儀なくしている人たちには、中国が各地に配布している避難テントが早いうちに届き、また、いろいろな団体からの救援物資も届いているようだが、中には見栄で活動するような団体もあり、見ていて解せないこともあるそう。
たとえば、通り沿いの被害が比較的大きかった集落を素通りし、林の中の集落ばかりに物資が届くことが多かったり。人里離れた感のある林の中の集落のほうが、報告用として絵的に映えるのだろう。
チウラ(干し米)やチャウチャウ(インスタントラーメン)の食糧配布が多いようで、頻繁に物資を受け取る機会のある人たちが、「のどが渇くものばかりで飽き飽きした。今度は米でも持ってきてくれないかなあ」と冗談を言っているのを耳にしたり。
ここだけではなく、どこででも起きていそうな出来事だ。
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