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2015年7月15日水曜日

義援金報告2


報告1 からのつづき
 
●対象者の選出
 
私個人での支援を考えていた段階では、いつも仕事を共にしている、会社の女性スタッフ2人に的を絞っていました。
 
1人は、生まれ育ったカトマンズ旧市街・アサン地区の実家が半壊。古いレンガ造りながら、前回1934年の大地震でも壊れなかったという家でしたが、今回の地震で住めない状態になりました。
 
同居していた義妹が地震時に臨月で、地震の1週間後に出産するというドラマも。大きな余震が来ると崩壊の恐れもあり実家内に落ち着いて入ることができず、準備していた新生児の衣類等も手元に取り出せないまま、生後間もない赤ちゃんと共に、1か月以上、親せき宅を転々としていました。

地震前の想定では、アサン地区の地震の被害はもっとひどいものになるといわれていましたが、実際には、一見するとそれほど目につく被害はありません。しかし、外見ではわからなくても住めない状況になっていたり、アサンに住むネワール族の独得の家のつくりによるもので、通りに面さない奥にも家が続いていて、奥に行くにつれて古い建物であることも多く、そういう目につかない家々が大きな被害を受けていたりするようです。

カトマンズ郊外や地方の村々には個人や民間の救援物資が何度も届くエリアもある中、灯台下暗し、彼女のところには本日現在一切の支援も入っていません(政府からの支援については申請中)。
 
村の被災地には同情が集まりやすいですが、市内ではそういうこともなく、気づかれにくい被災者といってよいでしょう。
 
もう1人は、512日の大規模余震(M7.3)の震源地があったドラカ郡に実家が、同郡内別の場所に夫の実家がある者。
 
(村によっては、外国人個人や団体に目を向けてもらえているところもけっこうある中、外国と縁がある村人もおらず、村全体が自力で立ち上がりつつありました)
 
・・・
 
しかし、多くの方から想定以上の義援金をお寄せいただくことになり、次の通り対象を広げることにしました。
 
1.スタッフ、ガイドたち 計23人(23世帯)
2.弊社スタッフ3名の実家のある4地区31世帯。
3.身体的被害を負ったガイドの身内(3人)。
4.その他
 
これ以外にも候補に挙げていた、私たちと関わる多くのガイドたちの実家がある村がありました。しかし、その村の男性の多くがガイドの仕事で生計を立てている関係で、他の外国人組織が寄付を募り、村全体の支援を始めており、私たちは別の村へ目を向けることにしました。
 
=== 
 

2 件のコメント:

  1. 貴方の魅力で集まった義援金ですので小さなブロックでやればいいんです

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  2. ガイドたちを心配してくださる方も多く、公平に扱いたいという思いがありました、、、。

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