満月(ジャナイ・プルニマ)の本日は、『ラクチャバンダン』という儀式が行われる日。一年の健康と安全を祈りながら、ヒンドゥ教徒の司祭師(お坊さん)から聖なる紐(*)を身につけてもらう。
(*)聖なる紐:ブラーマンカーストの男性は、日ごろから身体にかけている『ジャナイ』と呼ばれる長い紐を、新しく取り替える。それ以外の者は、手首に聖なる紐を巻いてもらう。(手首に巻く紐は『ジャナイ』とは言わない)
たいてい、ブラーマンなどの家庭には、ホームドクターならぬホーム司祭師がいて、紐を巻きに早朝家まで来てくれるのだが、私は、司祭師の父親がいる知人の家を訪れる。
この家庭には、昨日11歳になったばかりの男児がいる。ヒンドゥ教徒の男児は、10歳前後になると、『ブラタバンダ』と呼ばれる儀式を行い、ヒンドゥ教徒の仲間入りをするのだが、彼は今春この儀式を終えたばかり。この儀式を済ませると、年齢や身体が小さい子供であっても、宗教上の穢れや習慣を意識しながら、ヒンドゥ教徒の一員として生きていくことになる。
早朝、聖なる紐を手首に巻いてもらおうと、近所の人々がこの家庭にやってきた。しかし、司祭師のおじいさんやおじさんは、他の家庭を周るため外出してしまっていて不在。
これはよい機会だからと、11歳の彼が、お坊さん代わりをすることになった。『ブラタバンダ』を済ませているから、まだ子供とはいえ、宗教上の儀式を執り行うことが許されるのだ。
今までの、『糸を巻いてもらっていた立場』から『糸を巻いてあげる立場』に変わった彼。初めての体験に緊張気味で取り組む。横からは母親が「糸の束は右手に持つ!」「きつくならないよう手首と糸の間に指を入れなさい!」「手だけでなく口も動かす!(お経も忘れず唱えながら作業しなさい)」と、指示を出す。
始めはぎこちない手つきだったが、何回かやっていくうちにコツをつかんだようで、なかなか様になってきた。
近所の子供たちの番になった。ごく普通の日常の中で行われているから、ござの上には無造作に歯ブラシが置かれている。私のために収穫してくれたヘチマ(食用)も転がっている。
緊張感のない背景と、子供たちだけが並ぶ姿は、『儀式ごっこ』を見ているようで、ほほえましくもあった。
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