2006年5月31日水曜日
ドゥリケル方面小旅行
カトマンズから東に約30kmのところにあるドゥリケル(標高約1500m)に、用があって行ってきた。チベットへ陸路で行く際に通ることになる町でもあり、カトマンズから約20km離れているナガルコット(標高約2200m)と並ぶ、カトマンズ近郊の展望台として知られている場所でもある。
過去、カトマンズ盆地外の村に行く際に、何度かバスで通過したことはあったのだが、一番最近で6年前。その当時と比べると、日本のプロジェクトによって道はとてもきれいに整備されていて驚いた。
排気ガスがひどく、交通マナーも悪く、イライラすることの多いカトマンズ中心部から少し郊外に出ると、そこには、気持ちのいい空気と、景色が広がっている。特に雨期に入りかけのこの時期は、スコールにあった後の濡れた緑も美しい。
すでに田植えも始まっていた。田への水の供給は、天からの雨に頼ることの多いネパールの田植え法。昨年は、田植えを終えたはいいが、なかなか雨が降らずに、田が干からびてしまうような事態にもなっていたが、今年はすでにまとまった雨が定期的に降っている。写真はパナウティ村の田植え光景。
ドゥリケル到着後の用事はすぐに済み、まだ日没まで時間があったので、だいぶ前に何度か訪れたことのある小学校へ行くことにした。ドゥリケルから約20kmほど離れた場所にある村の学校。
まだ私が旅行者だった9年前、私よりも1つ年上の女性に連れて行ってもらったことのある懐かしい場所。その後も何度か訪れたことがあるのだが、こちらに住み始めてからは、訪れたことがなかった。
私をそこまで連れて行ってくれた当時20代前半だった彼女は、生まれてから一度も学校に通ったことはなく、話せる言語はネパール語と、わずかな英単語のみ。3度目のネパール訪問だったとはいえ、ネパール語は2~3の単語しか話せなかった私と彼女、一体どうやって会話をしていたのだろう、と思うと、おかしい。でも、道中、彼女が話してくれる家族の話や今後の夢など、わかったような気になっていたから、不思議だ。
そんなことを思い出しながら、村を目指す。途中まではバスが走るきれいに舗装された道が続いているが、その後は舗装されていない車も通らない道を歩くしかない。
標高約1500mのドゥリケルから約20kmほどしか離れていないこの村だが、標高は一気に低くなり500mほど。このためか、高原の気候であるドゥリケルとは比べ物にならないぐらいの、蒸し暑い空気が流れていて、育っている果物も、南国風。ライチ、マンゴー、パパイアなどが、ちょうど食べごろとなっている。とうもろこしも、カトマンズのそれより、かなり成長している。
村の小学校に近づくと、村人たちが立ち話をしていた。もうだいぶ年月がたつのに、私のことを覚えてくれている。当時一緒に写真を撮った見覚えのある顔ぶれが、近寄ってくる。10歳だった女の子が、19歳の女性に成長していたり、子供が増えている人がいたり、嬉しい再会。
人々は何も変わっていなかったが、一番の変化は、電気が引かれていたこと。当時はまだ、この村までは電気が来ていなかったのに、今ではテレビを置いている家もあった。電話線が引かれていないが、電気が通り、電波も通じるようになって、携帯電話を持っている人もいて驚いた。村訪問中、私の携帯にもカトマンズからの電話が入りびっくりさせられた。
屋外にトイレを作るようになっていたことも、変化だった。ネパールの村では、トイレを作る習慣がないことが多く、畑のすみや草むらの茂みすべてが天然トイレとなる場合も多い。その村でも私が訪れた当時はそうだった。深夜、無数のホタルを見ながら、野外で用を足したのも、懐かしい思い出。
ある家で、もぎたてのパパイアをご馳走してくれた。もぎたては太陽に当たって生暖かいから、といって、近くの井戸からくんできた水で冷やしてくれる。
美味しくいただいたのだが、そのせいだろうか、それとも、ドゥリケルのホテルでオーダーした、夕飯のせいだろうか。夜中にひどい腹痛と吐き気と下痢に襲われ、それはもう、大変なことになってしまった(苦笑)。パパイアや井戸水ぐらいでは体調を壊すことのない体になっているので、多分、ホテルで食べたメニューに入っていた、ひき肉が傷んでいたのじゃないかと、にらんでいる。ドゥリケルでは良い部類に入るホテルだったのだが、雨期前のこの時期、宿泊客はほとんどいないといっていたし。
そんなこんなで小旅行を終えた。
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