7月4日のつづき
インドのバナラシ(ベナレス)にある火葬場と違って、パシュパティナートの火葬場は撮影禁止ではないから、観光客が、生まれて初めて目の前で死体が焼かれていくシーンを目にし、写真を撮ったりビデオに収めたりすることはよくあること。しかし、遺族が身内の火葬シーンを撮影するとは。
しかも、撮影者は、距離や角度を変え、熱心に撮影を続けていたのだ。普通のホームビデオでの撮影であったから、何かの取材というわけでもなかろう。
宗教的な儀式や結婚式など、人生におけるイベントをビデオに収めるのは一般的になっているネパールだが、それには、そのイベントの主役である当人たちが後で見て楽しむ、という目的がある。
しかし、火葬シーンの当の主役は、撮影後には灰となって川に流されてしまうわけだから、当たり前だが自分の火葬シーンを見ることは出来ない。
遺族が後で見て懐かしむのだろうか。
ヒンドゥ教徒にとって神聖なはずの場所での出来事だけに、火葬シーンをなめるようにビデオに収めることに不謹慎さを感じてしまったのだが、異教徒の私がとやかく言うことではない。
それでも何かしっくり来ないものを感じながら、パシュパティナートを後にした。
おわり
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