7月3日のつづき
さて、火葬場で時間つぶしとは、不謹慎に聞こえるかもしれないが、ここではそんな違和感はまったく感じられない。
火葬光景をただなんとなく眺めている、仕事のない現地人はいつ行ってもたくさんいるし、灰が流される川の下流では、子供たちが無邪気に水遊びをしている。川の水を使って、洗濯をしている人もいるし、死体が焼かれる対岸では、観光客目当ての物売りが、しつこく物を売ったりもしている。物乞いもいる。
その日も、近くでは自称ガイドが観光客を見つけては声をかけていたが、外国人には見えなかったのか私には見向きもせず、サドゥ(ヒンドゥ教の修行者)から『写真を撮れ』とも言われず(外国人ズレしているパシュパティナートのサドゥたちは、記念に自分の写真を撮らせて、小銭を要求したりもする)、外国人なのに誰にも相手にされない寂しさを少々感じながらも、わずらわしくないことを幸いに、久々にあちこち歩いてみた。
火葬シーンをさらっと眺め、少し上の森まで足を運び、それでも時間が余っていたので、火葬場の対岸に腰をかけた。
前置きが長くなったが、そこで、真向かいにある火葬シーンを見るともなく見ていると、いささか場違いな光景を目にして驚いた。
遺族か遺族の知り合いであろうネパール人が、死体が焼かれているシーンを、ビデオカメラに収めていたのだ。
つづく
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