4月の地震後、発生から約36時間後にここを訪れた時見た光景がよみがえる。古い建物は崩れ、瓦礫が山となり、いつもは土産物屋が並ぶバサンタプル広場には所狭しとビニールシートが張られ、言葉を失った。
≪4月27日朝7時過ぎに見た光景≫
その後8日間、ほぼ毎日この場所を訪れた。地震直後の混乱と団結、この場所で見たいろいろなシーンが思い出されて、今でも胸が熱くなる。
今は、観光客も戻り、瓦礫も撤去され、避難者も撤退し、一見日常が戻ったかのように見える。
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被害の大きかったバサンタプルダルバールの建物。足場のようなものが組まれているが、これは修復作業のためのものではなく、建物を支えこれ以上の倒壊を防ぐ目的のもの。
地震前までは、建物の近くを歩くこともできたが、今は倒壊の恐れがあり危険であるため、進入禁止となっており近づくことはできない。
建物近くに、崩れたレンガが少し散乱していて、その間から、とうもろこしが数本育っているのを見つけた。なんでこんなところに。野鳥が運んできて、人に踏まれることもないから、そのまま芽を出してしまったのだろうか。
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地震直後この場所は、たくさんのボランティアであふれていた。
思い出すのは4月30日、日本の夕方のニュースで生中継するため、1時間半ほど前からナウタレダルバールの向かいあたりで待機し準備を進めていたときのこと。
この時、瓦礫撤去のボランティアたちは、全壊し土台だけになったナラヤン寺院とシバ寺院周辺で作業をしていて、その周辺には被害の様子を一目見ようと野次馬たちもたくさん集まっていた。
そんな中、瓦礫撤去を指揮している地元の団体が「手伝ってくれる人はいませんか!」と野次馬たちに呼びかけると、潔く次々と志願し、ボランティアの列に加わっていく若者たち。
その数はどんどん増え、私たちが待機していた1時間半ほどの間で、列は私たちの前を通り越していった。
お出かけ用のきれいな恰好をしている若い女の子が友達同士で志願していたり、中には年輩の人たちや、外国人観光客もいたり。
その場にたまたま居合わせ偶然作業に関わり始めた見知らぬ人たちの集団であるにもかかわらず、地元民の指揮のもと、列も乱さず黙々と、レンガをバケツリレー方式で手順よく次の人に渡し、最後の人がきれいに並べていく。
そんな光景を見続けながら、普段、ネパールの人たちの手順や要領の悪さばかりに目が行きがちだったことを深く反省し、この国の人たちの熱い想いと団結力に、感動しっぱなしだった
ボランティアたちがきびきび作業する様子が、4月30日の生中継動画にも映っていたのだが、残念ながらすでに映像は見えなくなっているようだ。
http://www.news24.jp/articles/2015/04/30/10274107.html
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