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2008年10月21日火曜日

洗濯する意味

本日は、洗濯にまつわる話を。



先月末こちらに来ていた母(ネパールは、6年ぶり3度目)が、カトマンズ移動中に興味を示したものの一つがこれ。

市内の洗濯屋。



学校(寮)やホテル、病院、個人の家などから出た洗濯物を、洗濯をするカーストの人たちが洗濯場内にある水場で手洗いし、近くに張り巡らせた紐に干す。

日本のようなクリーニング屋(機械を使って洗濯をする)もタメルなどの旅行者が集まる地域にはあるが、一般的には、洗濯屋に洗濯を頼むと、水場で手洗いしたものを、青空の下で乾かすことが多い。

ところで、カトマンズ市内でも、家に水道が引かれていない家などもあり、共同水場で洗濯をする人もまだたくさんいる。



街中のいたるところにある、ドゥンゲダラと呼ばれる共同水場。上記写真は、旅行者が多く集まるタメル地区の北にあるもの。

昼前後になると洗濯をする近所の人たちが集まってくるのだが、洗い終えた洗濯物を、地べたに置くようにして干す光景をよく見かける。



このほかにも、植木や垣根、家の外壁に引っかけて干す光景もよく見る。

そんな所に濡れている洗濯物を置いたら、砂ぼこりがついてよけい汚くなってしまうのでは?と思うのだが、そんなことは気にしないようだ。

ネパール人にとって、洗濯とはどういう意味があるのだろう、と、いつも考えてしまう光景。

洗濯といえば、私事になるが、ネパール生活9年目にして、このたび初めて洗濯機を購入してしまった。今まで洗濯機も買えないほど貧乏だったの?と思われそうだが、極度な水不足や、頻繁にある停電のことなどを考えると、洗濯機の必要性を感じず、ずっと手洗いで通していたのだ。時間に追われる生活でもなかったので、のんびり手洗いすることが気分転換にもなり楽しかった、ということもある。

今でも水不足や停電は深刻な問題なのだが、やりくりして使えば便利な事には変わりない洗濯機。手荒れが防げるのもよい。

しかし、何のために洗濯をしているのだろう、と、悩んでしまうことが以前より多くなった。それは、蛇口から出てくる水のせい。

つい最近まで雨期だったというのに、すでに始まっている水不足。市から供給される水では生活用水として全く足りないため、私の家では、台所以外の蛇口からは井戸からの水が供給されるような配管に切り替えた。

このため、洗濯する時も、井戸水が洗濯機に注ぎ込まれる。井戸水は、よほどのことがない限り枯れる心配はないのでありがたいのだが、大きな問題が。

それは、水に色が付いているということ。鉄分と泥を多く含んでいるため、何重ものフィルターを通って、濾過されたものが蛇口から出てくる仕組みになってはいるのだが、完全な無色透明になるまで濾過することは難しい。

かすかに濁っている分には諦めて使っているのだが、最後のすすぎの段階で、激しく濁った赤茶色の水が出てくるときがあり、悲しくなることもしばしば。

特に、白いものを洗っている時など、すすぎのはずなのに、最後にうっすら色がついてしまい、何のための洗濯なのか分からなくなることも。

ネパール人は、こういうカトマンズ市内の洗濯事情をどう思っているのだろう?と聞いてみると、「汗と洗剤はすすがれているのだから、目的の半分は達成できているのでは?それに、手洗いのときも、使っていた水は一緒でしょ?」との返答が。確かに、そう言われてみれば、そうかもしれない。(手洗いのときは、たらいの色が赤色で、水の濁りが目立たなかった)

きれいにしているのか、汚しているのか? 洗濯って一体、何のためにするんだろう?と、真剣に考えてしまうことの多い、ネパールの洗濯事情なのだ。

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