今年2015年は、ネパールにとって激動の1年でした。
旅行業に携わる者としての視点から、大きな出来事3点を振り返ってみたいと思います。
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3月4日早朝、トルコ航空機のカトマンズ空港着陸失敗事故。
この影響で3月7日午後までの3日半カトマンズ空港国際線が閉鎖。ネパール入りできない旅行者、ネパールから出国できない旅行者であふれました。
事故の瞬間、事故現場からも近いヘリポートと上空にスタッフが出ていて、現場の生々しい様子を報告してくれました。
私ごとですが、この事故のちょうど1か月前に祖母が亡くなりました。その10日前に一時帰国からネパールに戻ったばかりだったこともあり、両親にも帰国しなくてよいといわれ、私自身そのつもりで一晩明かしたのですが、祖母との思い出を思い出すとやはりいてもたってもいられず。
出棺の15分前に斎場に到着する、という緊急帰国をしたところでした。
しかし、もし事故が1か月早く起きていたら、空港閉鎖で帰国するすべはありませんでした。
いろいろな事を覚悟して生きていかないといけないなあ、などと思っていたその一か月半後、
出棺の15分前に斎場に到着する、という緊急帰国をしたところでした。
しかし、もし事故が1か月早く起きていたら、空港閉鎖で帰国するすべはありませんでした。
いろいろな事を覚悟して生きていかないといけないなあ、などと思っていたその一か月半後、
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4月25日、マグニチュード7を超える大地震発生。その後も大きな余震が続き、5月12日には再びM7越えの地震が。この間の事を思い出すと、言葉にできない感情が沸き起こります。
最初の地震から10日間、未明から夜まで記者の方に同行し各地周りました。たくさんの光景を見、その都度現場からツイートさせていただきました。
忘れられない光景がたくさんある中で、地震のことを思い出すたびにかならず浮かぶ光景が、冒頭の写真です。4月28日18時半過ぎ、救援活動が行われていたカトマンズダルバール広場を後にする際、ふと振り返って目にした夕焼け。地震が起きて、今、自分が非日常の中にいるということを、一瞬忘れたきれいな夕焼けでした。
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9月末から現在まで続いているのは、ネパールの新憲法に不満を持つインドからの経済封鎖。最初の1か月ぐらいは街を走る交通量も一気に減り、この先どうなってしまうのだろう、という不安に駆られました。
ガソリンスタンドは今もほとんど閉まっているままで、私自身、9月半ばに給油して以降、今日まで3か月以上一度もガソリンスタンドでは給油できていません。
しかし、一時期減っていた街を走る車の量も、今は平常時並みに戻っているのは、皆が闇ルートで燃料を入手するようになったから。闇で燃料を売り、平常時以上の儲けを得て、経済封鎖の恩恵を受けてほくそえんでいる人たちもいるのだなあと、実感させられます。
調理ガスがなくなり薪とかまどで調理する一般家庭やレストランも増え、風情を感じるものの首都カトマンズにとっては異常な光景は、今でもあちこちで見られます。
毎朝の通り道にある調理ガス販売店には、今朝(30日朝)もたくさんの人がガスを求めて群がっていました。
噂では、近日中に経済封鎖解除になるかも、ともささやかれていますが、どうなるのでしょうか?
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他にも、いろいろな事があった1年でした。
2016年は、災害や危機の無い平穏な1年であってほしいと、切に願います。
今年もありがとうございました。