2006年7月28日金曜日
裂けた袋の原始的再生法
厚手のビニール袋が必要になり取り出したら、底が半分裂けていて、使い物にならない状態となっていた。
丈夫な袋だったのにもったいない。仕方がないので捨てようとすると、待った!の声がかかった。裂けている底をふさいで、再生するというのだ。
どうやって?と思っていると、ろうそく準備して、との声がかかる。
ビニール袋の封(密封)をするとき、日本であればシーラーと呼ばれる機械を使うのが一般的だと思うが、こちらでは、業務用で大量に封をする必要がない場合などは、ろうそくの火を使ってビニールをあたため、熱でくっつけることがよくある。
底が裂けたビニール袋も、この方法で再生しようというわけだ。
原始的なこんな再生方法に、拍手!
裂けた袋の原始的再生法
厚手のビニール袋が必要になり取り出したら、底が半分裂けていて、使い物にならない状態となっていた。
丈夫な袋だったのにもったいない。仕方がないので捨てようとすると、待った!の声がかかった。裂けている底をふさいで、再生するというのだ。
どうやって?と思っていると、ろうそく準備して、との声がかかる。
ビニール袋の封(密封)をするとき、日本であればシーラーと呼ばれる機械を使うのが一般的だと思うが、こちらでは、業務用で大量に封をする必要がない場合などは、ろうそくの火を使ってビニールをあたため、熱でくっつけることがよくある。
底が裂けたビニール袋も、この方法で再生しようというわけだ。
原始的なこんな再生方法に、拍手!
2006年7月27日木曜日
野良猫サポートホーム?
うちの飼い猫、日中遠出をしているのか、顔を見ない日がよくある。
3日ぐらい会っていなかったある晩遅く、餌をおいてある部屋から、食べ音が聞こえてきた。戻ってきたのか、と思って愛猫の名を呼び近づくと、見知らぬ真っ白の猫がいて、私と目が合って一目散に屋外に逃げていった。
あっけにとられてしまったのだが、正気に戻って考えると、なんとずうずうしい猫! 勝手に室内に入ってきて餌を食べ、逃げ去るなんて。
野良猫の間で「あの家に行けば、ウマイ飯が食えるぞ」などという噂が広がっているのかもしれない。その名も、ネパール名『Biralo Sewa Ghar』(猫サポートホーム)などとついていたりして。
毎晩減っていた餌は、実は白猫や他の野良猫がこっそり食べに来ていたからなのかもしれない。それはそれでかまわないのだが、目が合ったら愛嬌のひとつやふたつ、ふりまいてほしいところだ。
写真は、隣の家の敷地内で、他人の洗濯物の上に寝そべりくつろぐうちの猫。餌の食べ逃げをする野良猫も野良猫だが、他人の洗濯物の上でくつろぐうちの猫も、似たようなものかな。
2006年7月20日木曜日
チャンパデビ(チャンドラギリ方面)散策

あと2ヶ月ほどして、トレッキングのシーズンが始まると、ガイドたちは入れ違いで山に出てしまうため、なかなかカトマンズに集結することができない状態になるのだが、今の時期はみんな時間をもてあましている。
この時間を有効に使えないかと、経験の浅いガイドの訓練もかねて、トレッキングコースや市内観光場所などを、経験のあるガイドと共にまわってみる、という機会を作ってみることにした。
その一環が、先日のランタン方面トレッキングだったのだが、ヒマな時期とは言え、ガイドたちみんながあわせて長期で出かけるのは難しい。ということで、先日から近場のお出かけ訓練?をしている。
前置きが長くなったのだが、今日のお出かけ訓練は『チャンパデビ(Champadevi)』への日帰りハイキング。カトマンズの南西約15kmほど(古都キルティプルとカーリー女神をまつるダクシンカリ寺院の中間あたり)の場所にある、標高約2200mほどの小さな丘。女神をまつった寺院の跡が残る、静かな場所だ。

ハイキング開始地点は、カトマンズからバイクで約30分ほどの、ダクシンカリ寺院手前にある、ハッティバンリゾート(Hattiban Resort)。ここにバイクを止めて、松林の中を歩き始める。
すぐにカトマンズ盆地を見下ろせる眺めのよい場所に出る。もくもく浮かぶ白い雲、青い空、赤茶色のカトマンズ盆地、緑の森のコントラストがきれい。乾期であれば、北方面ヒマラヤ山脈が見えるはずのだが、雨期中なので雲に隠れてしまっている。
目的地到着前の最後の上りをがんばって、チャンパデビ到着。地元の人の足だと1時間半ほどで到着できる距離なのだが、今回、だいぶのんびり歩いて、ここまで2時間の行程。
寺院跡には、シバリンガ(シバ信仰の象徴である像)やナンディ(シバの乗り物、雄牛の像)チャンパ女神としてあがめられている石などが残っている。でも、規模は非常に小さい。あまり知られていない場所ではあるが、毎年ビクラム暦の新年には、たくさんの人がお参りにやってくるそうだ。
お参りをし、下山間際になって、雨が本格的に降り始めてきた。寺院跡付近には、プジャができる屋根付の小さな場所が設けられているので、そこで雨宿りをしようかと言うことになったのだが、地面が雨にぬれると滑りやすくなり、ますます下山が大変になる、ということで、ぬれながらでも引き返すことに。
上ってくる時にも滑りやすかった道。雨でますます滑るようになっていて、私は5回も滑ってしまう。
蛭も出てきて、スニーカーの上から喰われっぱなし。足元だけではなく、お腹や背中まで喰われまくっているスタッフが自分の体から蛭を必死に引き離すのを見てみんなで笑っていたら、なんと私の耳の裏にも一匹吸い付いていた。なんてヤツ!
歩いている間は気づかなかったのだが、下山後スニーカーを脱いだら、あちこち血だらけになっていた。まあ、雨期中のトレッキングの証ということで、誇らしく思うことにしよう。
寺院跡から約1時間かけて出発地点のハッティバンリゾートに戻ってきたときには、雨もすっかり上がっていた。カトマンズに戻る帰り道、後ろを振り返り、今上ってきた丘を見上げてみると、てっぺんは少し雲で隠れてしまっていたが。
ハイキング時間約3.5時間(休憩含)、往復移動約1.5時間の小旅行、これにて終了。
2006年7月16日日曜日
犬も断食をするの?
この月は、ヒンドゥ教徒にとって神聖なる月。昨年の記事 にも書いたのだが、シバ神へのプジャを特に熱心にする月。
生き物を殺すことも避けられる月で、ダクシンカリ寺院 (カトマンズから約30kmほど南に位置するカーリー女神をまつる寺院。生贄を間近に見られるとして旅行者にも知られている) を訪れカーリー女神に生贄を捧げる地元民も、減るという。
この1ヶ月は爪や髪の毛を切らない人も多い。
シバ神に祈りをささげる日とされている月曜日には特に、信仰を強める。シバ神がまつられる寺院(有名どころではパシュパティナート寺院)へ早朝からお参りに行き、日中断食をする人も多い。
前置きが長くなったが、今日の本題は、この断食にまつわる話。
なんと、ネパールには、菜食日や断食日を守る犬がいるというのだ。たとえば、サウン月の月曜日、断食をする日には犬も餌を食べなかったり、エカダシの日には肉を食べなかったりするらしい。ホント??思ってしまうが、結構人々はまじめな顔で力説してくれる。
でも、「本当にそういう犬を見たことがあるの?」と聞くと、「友達の友達が飼っている犬がそうらしい」、などと、眉唾もののハナシなってくることがほとんどなので、実際のところはどうなのか不明だ。
2006年7月14日金曜日
髪
伸ばしっぱなしの私の髪。もう、10年ぐらい、背中~腰にかけてまでの長い髪型が続いている。子供の頃はずっとおかっぱ、その後ショートだったこともあったのだが、頻繁に美容院に行かなければ行けないことと、寝ぐせ処理が大変なことなど、無精者の私には面倒なことが多すぎて、伸ばすことにしたのがきっかけ。
ちょうどその頃、アジアを時々訪れていて、そこで、人工的ではないヘアスタイル(長い黒髪)を目にし、新鮮さを感じてしまったのも、伸ばし始めたきっかけと言えるかもしれない。
たとえば、髪留めなどを使わずに、器用に結い上げるネパールの女性や、長めのコームに髪をぐるぐる巻きつけてとめるミャンマーの女性。無造作にもかかわらず、凛としていてあこがれてしまった。
日本でインド舞踊を習っていたのだが、長い地毛は、通常は付け毛を使う発表会時のヘアアレンジ(後ろで長いみつあみを作る)にも役立った(笑)。
===
ちなみに、まっすぐそろえるだけのカット。近所の美容院で50ルピー(約80円)で仕上げてくれる。本日は、見習いの若い子がいて、練習してよいかというので、どーぞどーぞと快くざっくり切らせてあげた。
2006年7月6日木曜日
古着寄付6(とりあえず最終回)
ということで、去る6月16日(金)の第3回の寄付は、低額で値付けをして、購入してもらう形で行うことにしてみた。
ネパール人スタッフたちは、タダで頂いた衣類を販売してまで稼ごうとしている旅行会社と思われたら困る、と、値付けすることに拒否反応を示していたのだが、稼ぐのが目的ではなく、郵便局で支払う手数料を捻出するためと思ってもらい、何とか納得してもらった。
一部の衣類は、ガイドたちが帰省する際に土産兼寄付とするため、購入してもらったのだが、まだだいぶ残っている。今回は、山奥の村にもって行くことにこだわらず、都市部にある施設に寄付する方向で話が進んでいる。ネパール人身障者(下半身不随の女性)の知人から、彼女たちが活動しているグループで、衣類を低額で買い取り、更にそれを自分たちのグループ内で販売し、得た利益を活動資金や、他の身障者グループの寄付にあてたい、という申し出があったので、検討中というわけだ。
また、私たちのガイドがトレッキングに行く際に、現地で雇うポーターたちに、チップにそえて渡してもいいか、という案も出ている。
誰の元に、どのような経路で届いてもかまわないので、衣類を最後まで大事に使ってくれれば、それが私たちの望むところなのだが、そのほかにも、一方的に与える形にならないように、試行錯誤していきたい。
こんな中途半端な私たちの活動にも共感してくださり、過去衣類を寄付してくださった皆様、これから送付してくださる予定の皆様、本当にありがとうございます。
~終わり~
2006年7月5日水曜日
古着寄付5(物乞いに温かい飯)
一方的な支援をすることによって生じる受身体勢。
実は、実際に身近なところで、『服はただでもらうのが当たり前』という状況に遭遇してしまった。
村から出てきたばかりのスタッフなどを雇うことがあり、着の身着のままで出てきた彼らに、寄付していただいた服の中から、1回だけ、という限定で、何着かを作業着として与えたことがあった。
作業着とは言えども、突然、仕立てのよい服をもらえてしまった彼らは、しばらく経つと、いとも簡単に次の品を、しかも色やデザインまで指定して要求し始めたのだ。(苦笑)。
更に、彼らが仕事をやめるときに、彼らが残していった荷物の中から、私たちが与えた衣類が無造作に残されていて、ショックを受けたこともあった。タダでもらえたものだから、捨てるのも簡単だったのかもしれない。
ネパール語に、「マグネライ タトバート(magne lai tato bhaat)」ということわざがある。直訳すると「物乞いに温かい飯」。「物乞いなら、冷たいご飯をもらえるだけでありがたいと思わなければいけないのに、温かいご飯を要求するという身の程知らず」、というような解釈となる。
まさに、この諺を思い出してしまった。
もともと、こちらの人たちは、誰かに何かをしてもらって当たり前、与えてもらって当たり前、という概念を持っている人が多い。恩はあまり感じない。また、ダメもとで、何でもお願いしてみる傾向もある。
だから、デザインまで指定してみて、要望を聞いてもらえればしめたもの、程度の安易な考えだったのだろうが、それにしても、日本人の私からすると、非常にがっかりすることでもあった。
やはり、状況がどうであれ、タダで物をあげることは、受身の体勢を生み出し、物のありがたみを意識しなくなり、良くない方向に行ってしまうのかもしれない。多くのボランティア団体が、支援をする際気をつけるのがこれらのことだが、それを身をもって体験してしまったのだった。
~つづく~
太陽熱利用
熱心に説明してくれたので、思わず聞き入ってしまったのだが、太陽熱で調理まで出来てしまうというからすごい。
太陽熱といえば、ネパールでよく見かけるのが屋上のこれ。

ネパールでは、首都カトマンズとは言えども、お湯が出ない家は多い。一般家庭ではどんなに寒い日でも水シャワーが基本。水道が引かれていない家も多いから、水であっても出るだけまし。
小金もちの家や、外国人も割合快適に住めるような造りの家では、たいていお湯がでる場合が多い。が、電気代のかさむ湯沸し器利用ではなく、屋上に設置された太陽熱パネルを利用して、その効果で出てくるお湯であることも多い。ちなみに、今住んでいる私の家もそう。
太陽熱の利用、今の時期はもちろん、寒い冬でも、晴れている日には火傷しそうなほど熱いお湯が出てくる。太陽のありがたみを、実感してしまう。(そのかわり、真冬の雨の日には、太陽熱効果が期待できないこともあるのだが)
電気が引かれていない村などでは、太陽熱発電の電気を使用しているところも、最近は多いらしい。そういえば、先日行ったトレッキング中のロッジでも、電気は引かれていなかったが、太陽熱を充電することで利用できる電気はあった。
太陽熱効果は素晴らしい!
2006年7月4日火曜日
古着寄付4(帰省者の手に託す)

前回掲載の写真のように、スクーターで強引に荷物をオフィスまで運んだ後は、とりあえず倉庫と化している空き部屋に保管することになる。
その後、寄付作業へと移るわけなのだが、実は、たくさん衣類がたまったのはいいが、一体どのような方法で寄付をしていくのがよい方法なのか、ずっと悩み続けてきた。
大きな団体に全てを託し、有効活用してもらってもよかったのだが、大規模な組織への関与は、私のニガテとするところ。できるだけ、自分たちで、道を探してみたかった。
いろいろ考えた末、カトマンズから離れた場所にある村出身のガイドたちが帰省する際に、衣類を持ち帰ってもらい、村の学校なり、施設なりに寄付してもらう方法をとることにした。
しかし、一方的に衣類を届ける方法が、よい方法であるわけがない。
きっと、しっかりした組織でボランティア活動をしている人から見ると、『この手の中途半端な支援が、受身体勢を作りネパール人をダメにする』とか、『タダで配布するともののありがたみを忘れ、古くなったらまた誰かからタダでもらえばいい、というような価値観を生み出し、良くない』とか、いろいろつつきたくなる点も多いと思う。
でも、そいういう、結論の出ない議論を重ねて何もしないよりも、冬場、着る物があまりない人のもとに、寄付していただいたセーターが行き届いて、喜んで使ってもらえるほうがいいし、捨てられる運命だった衣類が生かされるほうがいい。
明確な方針は打ち出せないままだったが、とりあえず、帰省するガイドたちの手に託すことにしてみた。
どの衣類が誰の手に渡って、どのように利用されているのかを追えないのは残念だが、それこそ服一着以上購入できるぐらいの費用を使って視察に行って、証拠写真をとってその現像にまた費用をかけ・・・、というように、本来の目的以外のところに費用をかけて、報告を充実させるよりも、もともと村に帰省する予定だった者の手に託す方法は、誰に迷惑を欠けるわけでもなく、無理が生じるわけでもなく、悪いことではないはずだ、と判断したのだ。
ということで、第1回、2回の寄付は、主にこのような形で行ってきた。衣類を村に運んでくれた者の話によると、とても喜んで利用してくれている、とのことなので、その点においてはほっと安心した。
あとは、受け取り側の受身体勢をどうするか?ということが一番の問題として残った。
~つづく~
2006年7月3日月曜日
古着寄付3(荷物の日本発~ネパール受取)
古着の寄付は、通常、日本から普通船便を使って送っていただく。船便の場合、5kg程度で約3000円、10kg程度で約5000円の送料がかかる。船便とはいっても、ネパールには海がない。日本を出発した荷物は、インドのコルカタを経由して、そこから陸路ではるばるカトマンズ入りするようだ。
日本発後、目安としては2ヶ月ほどでカトマンズまで届くのだが、インドやネパールの情勢が不安定だったり、陸路が封鎖されていたりすると、カトマンズ到着までの日数は延びる。最高5ヶ月かかって到着した例もある。が、しかし、とりあえず今のところ、途中で紛失することなく、無事に到着している。
ネパールには基本的に郵便配達システムがない。ハガキ1枚から、郵便局の私書箱までとりに行くのが一般的。小包も郵便局まで自ら赴き受け取ることになるのだが、すんなり受け取れるかというとそうではない。
ネパール語表記のたくさんの書類に受取人の名前や住所を書き込み、手数料を支払う。その後、郵便局内倉庫に保管されている荷物を持ってきてもらう。局員が忙しそうなときには、写真のように自ら倉庫内に入り、自分たちあての荷物を探すこともある。(紺色の服は私たちのスタッフ。あとは郵便局員)
よく、旅行中知り合ったネパール人に、帰国後、洋服や電化製品を送ってあげる人がいる。厚意によるものなのだろうが、ネパール人にとっては郵便局での荷物受け取り時に、月収に近い額を関税として支払わなくてはいけなくなり、痛い出費となることも多い。関税分で、送ってもらった品物と同じようなものをネパールで買えることなどもある。
中身のチェック時には、局内のだだっ広くトイレ臭い部屋に用意された長テーブルの上で、局員に荷物をひっくり返される。衣類が丁寧に詰められていても、全く意味ナシ。中身をぶちまけられ、チェックされるからだ。物色されているような光景で、いつ体験しても、イヤな気分になる。
その後、局員に衣類の枚数をカウントされ、それに応じた関税がかけられる。たいてい一箱300ルピー(500円)ぐらいから。局員の機嫌によって、関税額がだいぶ変わるのはネパールらしい。
実は、ネパールでは、古着の輸入が禁止されているらしい。このため、古着を送ってくださる方の中で、「ネパールに古着を送っても、本当に大丈夫でしょうか?」と心配される方もいる。過去、一度も郵便局にてとがめられたことがなく、私たちも全く知らなかったのだが、もし違法であるならば、続けるのは良くない、と判断し、郵便局のお偉いさんに尋ねてみたことがある。すると、返ってきた答えは、全く問題ない、とのこと。というか、そういうルールを、お偉いさんも知らなかった。(個人単位で月に数箱受け取る程度であるなら、問題ないのかもしれない)
荷物を受け取り、オフィスの倉庫に運ぶ際に利用するのは、スクーター。ダンボール2個ぐらいまでなら、写真のように足元に乗せて強引に運べるのだ。さすがにそれ以上になると無理があるのでタクシーを利用するのだが、たいていスクーターで事済んでいる。
そういえば、スクーターの足元にダンボール2個を乗せ、2人乗りをし、後部座席に座った者が、ダンボール一個を抱え、ものすごい状態で運んだことも、過去にあった(笑)。私たち、ボランティア団体ではないので、必要経費は全て持ち出し。なるべく経費をかけないように、ということでこんな状態で運んでいる。
~つづく~
2006年7月1日土曜日
古着寄付2(衣類募集を思い付くまでの経緯)
では、そもそも、なぜ古着寄付を募りはじめたかというと。
私の日本の自宅にも大量にあるのだが、まだ充分に着ることがでるのに、押入れの中に眠ったままの衣類。中には、平気でゴミに捨てることのできる人もいるようだが、まだ使えるものを捨てるなんて、私には出来ない。
ネパールには、日本だったらとっくの昔にボロキレとして捨てられそうな服を普通に着て生活している人もいる。特別貧しいわけではなくても、(日本人の目から見れば)薄汚れた服を着ている人も多い。
以前、日本でもう着なくなった服を、こちらの人に渡したらどう活用してくれるのだろう?と思い、日本からこちらに大量に持ってきたことがある(送料をかけて送ると、その送料分で新しい服が何着も買えることがあるので、無駄な経費をかけずに大変な思いをして自分で運んだのだ)。
日本の押入れに入っていたらもう2度と日の目を見ることの出来なかった衣類たちが、こちらで生き返った姿を見るのは、かなり嬉しかった。
きっと、捨てるに捨てられず、困っている人は多いに違いない。母屋にて古着寄付の募集をすることを思いつき、記事を掲載。今では、月3~4箱、ネパールまで古着が届いている。当初は無駄な経費だと思っていた送料も、寄付者の方々に負担していただいている。『送料を負担してでも大切な衣類を役立てて欲しい』『国が変われば古着も再活用してもらえることを知った勉強代』などといっていただくこともあり、本当に感謝している。
~つづく~
2006年6月30日金曜日
古着寄付1
2005年5月、10月に引き続き、大々的に仕分け(及び寄付)を行ったのが、今回が3回目。日本から送料を負担して送ってくださった方、ネパール旅行のついでにオフィスまで届けてくださった方など、前回(昨年10月)の仕分け以降も、延べ約20人の方から寄付していただき、集まった衣類はダンボール約25箱分程になった。
何度かこのブログにも掲載したことがあるのだが、ヒマラヤン・アクティビティーズでは、旅行業の傍ら、古着の寄付も募っている。村人や施設に寄付するためだ。でも、ボランティア活動をウリにして旅行業をしたくないので、細々と、できる範囲で行っている。
ネパールにボランティアとして関わる日本人は数多い。個人的なもの、大きな規模のもの、さまざま。筋の通った活動をしている組織もたくさんあるが、そうでない団体も多い。
ネパール語もわからずネパールのことを大して理解もせず、日本人の価値観で適当にこちらの人の日常をいじくりまわし、満足して去っていく。旅行者気分でネパールを訪問し、支援先に大歓迎されまくり、貧しい姿や弱い立場の人ばかりを見せ付けられ、「ネパールは貧しいけれど、人々の瞳はキラキラ輝いていて素晴らしいわ~」という感想を持ってネパール滞在を終える視察ツアーなど、一体何が見えて、何の意味があるのだろうと思うことがある。
ネパールを支援してます!という傲慢な態度もキライだし、同情しやすい日本人の心をうまくくすぐって、旅行とボランティアを結びつけるビジネスをしている会社もあるが、そういうのも気に食わない。
そんなこんなで、繰り返しになるが、古着受け入れ活動は、細々と行っている。
~つづく~
2006年6月29日木曜日
本日の食べ物

今年もアサール15(パンドラ)ガテがやってきた。(ビクラム暦3月15日のこと)
決まった日に、決まった物を食べる習慣があるネパールだが、この日には、ヨーグルト(ダヒ)と乾し米(チウラ)を食べる習慣がある。
食べる前に忘れてはならないこと。ヨーグルトを指で少しとって、自分のおでこにつける。ティカというわけだ。
いつも、決まった物を食べる習慣がある日には、私たちのオフィスでも忘れず用意している。本日は、ダヒ・チウラに、ミタイと呼ばれるネパール菓子のバルフィとジェリーを入れて、ダヒチウラスペシャル(と勝手に命名)の出来上がり。
バルフィ(barfi)とは、牛乳から作ったあまーいお菓子。クロウニ をもっと煮詰めるとできる。ジェリー(jeri)は味的にはかりんとうに似ている、これまたあまーいお菓子)
1ヶ月後のサウン15(パンドラ)ガテ(7月31日)には、キール(牛乳粥)を食べる習慣のある日もやってくる。
キールとはヒンドゥ教のプジャ(儀式)などに欠かせない食べ物。
2006年6月28日水曜日
ランタン方面トレッキング報告6
[6月23日(金)] 移動日
07:00 シャブルベシ発 ジープ移動
14:00 カトマンズ着
帰路もローカルバスを利用する予定だったのだが、たまたまカトマンズに戻るジープ(ランクル)があるというので、乗せてもらうことにする。
昨日までとは打って変わって、朝から悪天候。シャブルベシ出発後、小雨がぱらつき始める。でも、少し降ってくれたほうが、砂埃も立たず、涼しいのでちょうどいい。(往路では、カラッカラに乾いた道から立つ砂埃がすごく、でも、窓を閉めると車内が暑くなるので少しだけ窓を開けていたのだが、体中砂埃を浴びて真っ白になるほどで大変だった)

ドゥンチェを過ぎた辺りから、霧が深く立ち込めてきた。一寸先も見えないほど。カーブなどで一歩間違えば、すぐに崖下に転落しかねない道幅の狭い危険なルート。
天候が良いときでも怖い道なのに、霧のせいで全く先が見えず、乗客5人+ドライバーみんなで前方と左右に気を配る。時々ドライバーが「ちぇっ、全然前が見えねーよ」と恐ろしいセリフを嘆くのだが、シートベルトもせずに助手席に乗っている生きた心地のしない私は、聞こえないフリをして目を閉じていた。

しばらくこんな危険な状態が続いたのだが、カリカスタンあたりから霧がはれる。乗客の1人、タマン族のおじさんが家から持参した容器を持って、カリカスタン製ダヒ(ヨーグルト)を購入するため、いったん停車。おじさんいわく、ここのダヒは美味しいから、カトマンズに行くときはいつも買っていくんだ、とのこと。
そういえば、カトマンズ出発前、カトマンズ出身のスタッフに、このあたりのニュロ(nyuro:ぜんまい)が美味しいから、見つけたら大量に買ってくるよう頼まれていたことを思い出す。地元の人に尋ねてみたが、まだシーズンではないとのことで、購入ならず。
更に進んで、標高約500m、亜熱帯気候のように蒸し暑いトリスリへ。ここで昼食休憩となるのだが、到着一歩手前の道で、バスがパンクのため立ち往生していて、10分ほど停車を余儀なくされる。一台が道をふさぐと、もう先には進めないような、狭い道なのだ。

パンクの修理もすぐに終わり、トリスリにて昼食。舗装されていない悪路はここまで。ここからカトマンズまでは、舗装道となる。初日の記録にも書いたが、緑の山々、二毛作ですでに稲穂になっている黄金色の田んぼ、そうかと思えば、まだ田植えが始まっておらず、水田の片隅に固められている田植え前の青々とした稲、山間にふんわり浮かぶ白い雲。思わずうっとり見とれてしまう。

カトマンズ着後、タクシーにて自宅へ。トレッキング初日は、歩き始めて30分でダウンしそうになりどうなることかと思ったが、予定通り全日程終了。日中雨にも降られず、ヒマラヤや今の時期しか見ることの出来ない植物も見ることができ、大満足の4日間(+移動2日間)となった。
~ おわり ~
2006年6月27日火曜日
ランタン方面トレッキング報告5
[6月22日(木)] トレッキング4日目
06:30 ゴラタベラ発
14:00 シャブルベシ着
18日、シャブルベシにフルチャージして以来一度もチャージをしていないので、いよいよデジカメのバッテリー切れが近くなる。日没後には電気が来るランタン(標高3500m)などでは、夜間宿泊する場合はデジカメのチャージも可能なのだが、日中通り過ぎるだけの場合、電気が来ていないためチャージは出来ない。ということで、昨日ぐらいからは、ここぞ!というもの以外は写真をとらないことにしていた。

早朝ゴラタベラを出発し、うっそうとした林の中を歩く。道に厚く積もっているやわらかい落ち葉を踏んで歩くと、なんだか豊かな気持ちになってくる。
往路で昼食をとったリムチェ(標高約2440m)にてカジャ(簡単な食事)。今日の昼食はパヒロ(標高約1640m)にてとることにする。
話がそれるが、地名というものは、おそらくどこの国でもその地方の特徴にあった名前がつくわけで、今回のトレッキングルートでも、竹やぶが多い場所ではバンブーという名前がついているし、橋が近い場所ではプル(ネパール語で橋の意味)という名前がついているという単純な命名法がとられている。
では今回私たちが昼食を取る予定のパヒロ(Pahiro)というのはどういう意味かというと、『地すべり』(または雪崩)の意味。この地区は英名だと『Landslide』と呼ばれるらしい。地すべりが多いからそのものズバリの名前がついたわけだが、少し不吉な名前すぎないか?こんな名前の場所で、ゆっくり昼食を取る気分になかなかなれないのは私だけ?

リムチェを過ぎた辺りから一匹のボテ・ククル(チベット犬)が私たちの後をついてきた。ずっとついてくるので、勝手にボトゥ(チベットを意味する『ボテ』というネパール語を愛情を含む表現に語尾変化させると『ボトゥ』となる)と名づけてしまった。
パヒロ到着前、岸壁に作られた蜂の巣発見。ネパールには蜂の巣を取る職業の人たちがいるが、さすがにこの写真のような岸壁に作られた蜂の巣を取るのは難しいのかもしれない。

話が戻るが、ずっと後からついてくるチベット犬のボトゥ、私たちが立ち止まると、彼(多分オス犬)も立ち止まり、私たちが沢の水を飲むと、彼も水を飲み、上りになってペースを落とすと、彼もペースを落とす、という律儀さ。パヒロ到着後、昼食休憩で約1時間ほど滞在していたときには、ボトゥも腰を下ろし、しっかり休んでいた。


シャブルベシからこの辺までのルートは、温泉が出ることでも有名。ガイドブックには、パヒロの対岸に温泉があると書いてある。
食事を注文して出て来るまでの待ち時間(注文してから畑に食材をとりに行って作り始めるので、食事ができるまでに非常に時間がかかる)を利用して、話の種に、対岸の温泉に言ってみようと、ロッジの主人に詳細を聞いみたのだが、残念ながら、対岸にかかる橋が以前激流で流されて以来、行けなくなっているとのことだった。残念。
1日目にもこのルートを通ったのだが、とにかく身体が重くて歩くのに必死で、植物や景色を見た記憶があまりない。シャブルベシに戻る際にも、アップダウンは続いてきついことはきついのだが、往路とは違い余裕を持って植物観察などもしてみる。
パヒロ~シャブルベシ間は、これは、マリファナルートと命名してもよいのではないだろうか、というぐらい、見渡す限りあたり一面に大麻が生えていた。あと、背の高いよもぎや、ホウセンカも。このぐらいしか植物の名前がわからないだけで、他にもいろいろ生えているのだが、とにかく大麻は目に付いた。

そうそう、大麻に関する面白い話。薬草である大麻は、村では家畜が病気になったときに薬として食べさせたりする。そんな話をサンカルとしていたのだが、素朴な彼は、カトマンズに出てきて初めて、人間もマリファナを食べる(吸う)ことを知ったそうだ。村では家畜しか食べない草なのに、、、と、未だに理解不能だといっていた(笑)。
最後のひと踏ん張りのこの区間は、歩道そばには日陰を作る大きな木が無く、空高くのぼった太陽の直射日光がモロに降り注ぐ。昨日まで、それほど日焼けもしていなかったのだが、今日の、シャブルベシ到着前のほんの2時間ほどの間に、この4日分の日焼けを一度にしてしまった。日焼け止めも塗りたくっていたし、ショールを頭からすっぽりかぶり、日よけをしたつもりだったのだが、全く効果なし。シャブルベシ到着時には腕や顔がひりひり赤くなっていた。
予定よりも少し早めの14時にシャブルベシのロッジ着。
~ ランタン方面トレッキング報告6 につづく~
2006年6月26日月曜日
ランタン方面トレッキング報告4-2

~ ランタン方面トレッキング報告4-1 のつづき ~
その後、キャンジンゴンパまで今来た道を下る。
急斜面は上りより下りのほうが怖い。高所恐怖症ではないが、下を見るとめまいがしそうになる。足を滑らせたら、下まで急滑降すること間違いなしだ。一歩一歩踏みしめながら慎重に下るが、こんな斜面は慣れっこのガイドのサンカルは、身軽なステップでホイホイ降りていくから後ろから見ていて恐ろしい。

標高4000mほどの山の急斜面では、白馬が余裕の面持ちで草を食んでいる。
キャンジンゴンパで昼食をとり、ゴラタベラへ。昨日来た道をまた戻るという、あわただしい行程。

道中、名残惜しくて何度も後ろを振り返る。もくもくと雲が出てきてしまって山は見えなかったが、色鮮やかな景色が素晴らしい。


昨晩降った大雨のせいか、昨日はつぼみだった紫色の花(あやめ?)が、いっせいに開花して見事だった。昨日と今日でこの違い。自然はすごい!黄色い小花も咲き乱れている。(これは昨日から同じ)
昨日よりも余裕の足取りで進み、ゴラタベラ着。太陽熱の熱いシャワーを浴びのんびり過ごす。
本日は数組の外国人トレッカーにすれ違った。
~ ランタン方面トレッキング報告5 につづく~
ランタン方面トレッキング報告4-1

~ ランタン方面トレッキング報告3 のつづき ~
[6月21日(水)] トレッキング3日目
06:00 キャンジン・ゴンパ(約3800m)発~キャンジン・リ(約4700m)登頂
10:10 キャンジンゴンパ着
11:00 キャンジンゴンパ発
16:15 ゴラタベラ着
早朝の外温約10度。
昨晩からの雨はすっかりあがっていて、空気も澄みすがすがしい朝を迎える。キャンジンゴンパよりも少し上では雪になったらしく、昨日まで青い氷が見えていたキムシュン氷河なども、白く雪に覆われていた。昨日と今日では全く違う景色。いいときに雨が降ってくれた。

ヒマラヤが雲で覆われないうちに、キャンジンリに向けて出発する。ガイドのサンカルは、キャンジンリには行ったことがないため、彼の経験作りもかねて。まず、キャンジンリの手前にある、キャンジンゴンパからも見える4300m?ほどのピークを目指して急斜面を登っていったのだが、途中で道をはずしてしまい岩場を登る羽目になる。そういうこともあろうかと、軍手を持ってきていたので、手にはめて岩をよじ登る。 
(↑キャンジンリを目指して歩く途中今来た道を振り返ってみる↑)
キャンジンゴンパから見えるピークに近づいてくると、急に視界が開けてきた。キムシュン氷河、ランタンリルンなどがぐわっと迫る。これまで見えなかった尾根から向こう側の谷底の斜面一面(写真向かって左側)に、赤いつつじのような小さな花(ネパール語名スンパテ?)が咲き誇っている。尾根のこちら側(写真向かって右側)には、黄色い花しか咲いていないのに。尾根を境に全く色の違う世界!圧巻だった。
その後、キャンジンリ(約4500m)を目指す。下(ロッジのある付近)からは見えなかったが、昨日の雨はキャンジンリでは雪だったようで、うっすら白くなっていてきれい。雲が立ち込めたり風に流されたりして、ヒマラヤも見えたり隠れたりしていたのだが、キャンジンリ到着時には、雲も流れ、360度のパノラマが広がった。
今回、もしかすると幻の(とよく形容される)ブルーポピーも見られるかも?と期待していたのだが、時期的に1ヶ月ほど早すぎたようだ。今でも、チュルクリ(Tserko Ri)付近の斜面には一面、つぼみがあって探す必要もないほどだ、とロッジの主人が教えてくれたが、時間的にそこまでは行けないので、今回は断念した。それでも、色とりどりの花々を眺めながらここまで来ることが出来て、満足。
~ ランタン方面トレッキング報告4-2 につづく~
ランタン方面トレッキング報告3

~ ランタン方面トレッキング報告2 のつづき ~
[6月20日(火)晴れ] トレッキング2日目
06:30 ゴラタベラ(約3000m)発
12:15 キャンジン・ゴンパ(約3800m)着
14:30 キャンジン・ゴンパ~ランシサ方面へ行く道の途中まで散策
18:00 キャンジン・ゴンパ着
昨晩就寝時には月明かりもなく漆黒の闇に包まれていたのに、夜中、薄明かりに目が覚めた。もう日の出かと思い時計を見ると、まだ深夜1時。窓の外を見ると、山に隠れていた三日月が、山の上に見え始めたところだったようで、薄明かりは月明かりだった。
早朝5時起床。朝の透き通った青い空気が気持ちいい。

昨日に比べるとかなり身体は軽くなり、ペースもつかめてきたので、荷物は自分で持つ。東に向かって歩くため、低い角度で降り注ぐ強い日差しがまぶしくてしょうがない。太陽が高く上るまでずっと、こんな状態が続く。
地べたには赤い小さな粒の野いちごが、頭上には黄色い木いちごが実っている。そのほかネパール語でグヘリ(Ghuyali)と呼ばれるブドウのような小粒の果実(日本語ではなんというのだろう?ちなみに、カトマンズ在住のネパール人はグヘリという単語さえ知らなかった)も木に実っていて、摘みながら食べる。甘酸っぱくて美味しい。

ランタンにて。ダイニングが2階にあるロッジにて昼食。降りるのが面倒で、ロッジの窓から見えたヒマラヤを撮影。

ランタンを過ぎたあたりから景色は開け、野に咲く花も増え、気持ちいい。


村で育ったネパール人は、植物にくわしい。ガイドのサンカルに、知っている植物があったら、全部私に教えてね、と伝えていたところ、次から次へといろいろなことを教えてくれる。

この植物の茎からはミルク(白い液のこと。食用ではありません)がでるんだ、とか、

この葉っぱはタルカリ(野菜炒めのようなおかず)にして食べられるよ、とか、

この花の葉っぱを揉んで出てきた汁を蛭の口につけると蛭は死ぬんだ、とか、

この枝を乾燥させて火をつけるとお香の代わりになるよ、とか、

岩に生えた白ごけを手で揉んでパウダー状にして傷口につけると血を止められるんだ、とか、私も記憶するのに必死。この他の植物についても、薬用・食用などいろいろ教えてくれたのだが、記憶できず。
病院も薬局も無い村出身の人たちは、薬用野草を使って病気や怪我を治すしか方法が無いから、誰に教えられることなくても、自然に知恵を身につけていく。
そういえば、すっかり忘れていたことだったのだが、医療系の総合大学に通っていた私、薬学選考ではなかったのだが、卒研のために大学附属の薬草園に一時所属していたことがある。そこの講師の1人がネパール方面の薬草を研究されていて、薬草園内研究室には『Langtang』というラベルがつけられ、中に土が入ったフラスコやらビーカーやらがうじゃうじゃあったことを思い出した。また、その講師と一緒にネパールに同行し記録用写真を撮影するカメラマン氏の自宅で、ランタン方面で撮ったという大量の写真を見せてもらった事も思い出した。ちょうど10年前のことだ。
そんなことを思い出しながら歩く。キャンジンが近くなるにつれて岩場が多くなり、けっこう疲れてきた。それに、人っ子一人見かけなくて退屈。ランタンからキャンジンの間にいくつかロッジはあるのだが、この時期どこも無人になっており、トレッカーも地元民もほとんどおらず、本当に誰にも会わないのだ。疲れと退屈を感じ始めた頃に、タイミングよくキャンジンゴンパ着。自家製ダヒ(ヨーグルト)をご馳走になる。

昼食休憩後、ランシサ方面の途中まで行ってみることにする。途中、現在は使われていない空港がある。第二次世界大戦中に他国によって作られたそうだ。空港といわれなければ気づかないただの野原なのだが、だいぶ古びた有刺鉄線などが放置されており、少し高いところからみると、滑走路の目印として石が積まれているのがわかる。

この辺には、ヤクや馬が放牧されていて草を食んでいる。前方にはガンチェンポ(6387m)を初めとする白いヒマラヤも見えていたのだが、夕方になるにつれ雲がたれこめ全てを隠してしまった。

帰り際、ロッジの裏側にあるチーズ工場見学。
夕方、キャンジンゴンパにあるロッジに戻った頃から、大雨が降り始める。このとき、カトマンズでも同じく大雨だったとのこと。かなり強い雨で明日の天候が多少気になったが、夕方から夜間にかけて土砂降りになると、たいてい翌朝はすがすがしい朝になることが多いから、それほど心配することなく就寝。
キャンジンゴンパでの日中外温約15度、日没後外温約10度。日中歩いている間は、半そでで十分だが少し立ち止まると一気に冷える。日没後は、Tシャツにトレーニングウェア1枚羽織っているだけだと少々寒い。
~ ランタン方面トレッキング報告4-1 につづく~












