ブログ移転のお知らせ

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2015年5月11日月曜日

地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(5):カトマンズ空港送迎

前回の続き。


早い人だと、この日からゴールデンウィークの休暇に入る人も多く、GW中の旅行者第一弾のお迎えがけっこう入っていたこの日。

正午過ぎカトマンズ空港着タイ航空便でネパール入りされるゲストの中には、耳の聞こえない方もいらした。

過去何度か、耳の聞こえない日本人のトレッキング手配をさせていただいたことがあり、英語と日本語の筆談や、簡単な手話での会話に慣れているガイドがいて、今回のゲストにも、彼を調整していた。


空港お迎えも、このガイドが担当。

地震発生時、彼は、空港から4㎞程離れているオームホスピタルにいたという。知人が入院していて、空港と同じ方向にあるし、明日から2週間ほどトレッキングでカトマンズを離れることになるので、見舞っておこうと、ついでに寄ったのだそうだ。

病室内でもかなり揺れ、とにかく屋外に逃げなければ、と、3階の病室から階段を転げるようにして外へ。どうやって屋外に出たか、まったく覚えていないという。

時計を見ると、タイ航空機到着の時間が迫っている。とにかく空港へ向かわねば、と、急ぎ足で15分ほどで移動。道中、寺院の屋根が傾いていたり、レンガ造りの家が崩れているのを目にしながらも、何が起きたか呑み込めず、無我夢中だったという。

パシュパティナート近くを通過時、ヒンドゥ教関係の白い服を着た団体が、皆で手を取りながら「オーム・シャンティ、オーム・シャンティ・・・」と大声で唱えている場に遭遇。気が動転していた彼、一緒に唱えれば気持ちが冷静になるのではと思ったのか、(自分でもその時の心理が理解不能で思い出すと自分の行動がおかしいというのだが)、その輪の中に入り、しばし唱え続けていたのだと。

我に返り、こんなことをしている場合ではない、早く空港へ向かわねば、と、再び歩き出す。

空港に到着したものの、大通りに面したゲートが封鎖されていて、中へ入れてもらえない。

迎えがあるから、と、門番に頼み込んでも、「今日の便はすべて欠航だ」といわれ、入れてもらえない。

1時間ほどゲートで待っても開けてくれる様子はなく、周りも皆引上げ始めたので、彼も急いでカトマンズ市内のアパートに戻ると、若い妻が泣きながら待っていたそうだ。

・・・

帰宅時、バスもタクシーもとまっており、空港から、ゴンガブを抜け、さらに北方面までの7km程の道のりを歩いて移動。

被害の多かったゴンガブ地区では、道中に死傷者がゴロゴロしており、目をそむけつつ通り過ぎたと。そのことを思い出しながら後日、「電話もネットもつながらなかったし、画像つきの現地状況を報告できずにごめんなさい」と。

日本のテレビ番組撮影時などにもアシスタントとして同行することの多い彼、1日の終わりには、画像つきで的確な報告をしてくれる。普段でも、旅行やトレッキングに関係ある情報があると、すかさず写真を撮りviberで送ってくれるのだ。でもこの日は平常心を失っており、それどころじゃなかった。今思い出すと発信すべきことだったのに、と詫びてくるのだ。

あたりまえだよ、そんな場面を送ってくれても絶対に使わなかった。撮ってくれなくてよかったよ、とねぎらった。

・・・

結局この日、地震発生後カトマンズ空港は閉鎖され、離発着予定だったフライトはすべて欠航に。

カトマンズ上空まで来ていたタイ航空機は、インドのコルカタ空港に緊急着陸後、バンコクへ引き返すことになった。

(画像は、地震翌日4月26日午前中のカトマンズ空港。ネパールを脱出しようとする旅行者で混み合い、駐車場にまで人があふれ出していた)
 
つづく。

地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(1)とチュルピ
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(2):カトマンズ、ナガルコット観光
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(3):ランタントレッキング
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(4):ゴーキョピークトレッキング
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(5):カトマンズ空港送迎
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(6):パタン訪問

地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(4):ゴーキョピークトレッキング

前回の続き。
 

ゴーキョピークとレンジョラパスを予定していたトレッキングガイドのRは、ナムチェに2泊し高度順応を終え、ドーレまで移動する途中で、地震にあった。

当日朝、ナムチェを出発し、モンラあたりへ移動したときのことだったという。

周辺では石や岩が崩れてきたりもし、ゲストと共に、木ににつかまりながら一時待機。その後、先へ進むか、引き返すか、で、迷ったようだが、とりあえずナムチェに戻り様子を見ようと、下山することに。

カトマンズ同様ナムチェでも余震が続き、おびえるトレッカーや現地住人たちの多くが、アーミーキャンプ近くの広場に待機していたという。

翌日すぐ下山しようとしたが、余震も続き、建物の倒壊、地滑り等の心配もあるため、ナムチェ~ルクラの道は軍によって封鎖。通行できるようになってからも、慎重に移動し、いつもより時間をかけて移動。カトマンズに帰着できたのは5月2日だった。

画像は、下山前にガイドがViber経由で送ってくれたナムチェ周辺の写真。

・・・

ところで、5月9日付け野口健さんのブログに、ゴーキョ方面の被害状況が掲載されていた。
http://www.noguchi-ken.com/M/

ドーレは9軒あるロッジがほぼ全壊に近い状況とのこと。ガイドたちも、当日下山を選んだのは正しかった。

このブログを拝見し、このような状況での冷静な調査報告に敬服するとともに、ネパールへの思いを感じ、胸が熱くなる思いです。

=== 

つづく。

地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(1)とチュルピ
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(2):カトマンズ、ナガルコット観光
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(3):ランタントレッキング
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(4):ゴーキョピークトレッキング
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(5):カトマンズ空港送迎
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(6):パタン訪問

地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(3):ランタントレッキング

前回の続き。

今回の地震で被害がかなり出ており、雪崩と地滑りで流された村もいくつかあるとされている、ランタントレッキングエリアに、トレッキングガイドのAはいた。

スンダリジャルから歩き始め、ゴサイクンダを越え、キャンジンゴンパをめざし一度シャブルベシへ下山した後、タマンヘリテイジ方面のタトパニへ足を延ばす、という、15日間のトレッキングの終盤で、地震発生当日はタトパニ泊の予定だった。

しかし、現地で予定を変更しており、当日の朝タトパニを出発、地震発生時は高原状の地形のナグタリにいたという。

たまたまの予定変更が、結果的に難を逃れることになったと、お客様はおっしゃっていた。「ナグタリでは山崩れなどなく安全な場所だった」、と。

ガイドによると、当日朝出発したタトパニは、「地震発生後、村ごと流された」、という情報もあるそうで、当初の予定通り行動していたら、もしかすると今頃、捜索対象になっていたかもしれない、と。そう考えるとぞっとする。無事でいてくれて本当に良かった。

また、ゲスト曰く、「地震当日の朝の温泉浴場で撮影した写真を確認したら、白人系の人物が映っており、トレッカーがいたことは間違いないと思う。しかし我々がシャブルベシに下山した日、タトパニ方面からおりてくるトレッカーや地元民は目にしなかった」、と。

当日タトパニにいた人たちは、無事なのだろうか。

・・・

ちなみに、ランタン地方の情報は、地震発生後もしばらくほとんど入ってきていなかった。

地震発生4日目の4月28日朝、記者さんの取材同行のためカトマンズ空港に待機していたところ、民間ヘリコプターのパイロットである知人とたまたま行き会った。彼曰く、「たった今、日本人4人をランタンから救出してきたところだ」「ランタン、ゴラタベラあたりは壊滅的だね。村がなくなっていたよ」、と。すぐには状況が理解できなかった。

また28日に無事カトマンズに帰着したガイドも、「村もトレイルもなくなり、この先しばらくはランタントレッキングはできないのではないか」、と言っており、徐々に事の大きさを実感する。

その後、現地から救出されたトレッカーなどがyoutubeにあげている地震発生時の動画などを見て、大変な状況だった(そして今も)ことをあらためて認識。

ガイドたちが定宿とするランタンのロッジも流され、亡くなった従業員たちもいるという情報も入ってきて(オーナーはたまたまカトマンズに出てきていて無事)、想像を絶する状況と、被害の大きさに愕然としている。

このエリアでは、いまだ行方不明者も数多くいるとのことで、早く消息が確認されることを祈っている。

===

つづく。

地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(1)とチュルピ
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(2):カトマンズ、ナガルコット観光
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(3):ランタントレッキング
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(4):ゴーキョピークトレッキング
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(5):カトマンズ空港送迎
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(6):パタン訪問

地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(2):カトマンズ、ナガルコット観光

前回の続き。

チトワンツアーを終え朝チトワンを出発し、専用車でカトマンズに戻ってくるゲストの市内観光予定があった。

担当は観光ガイドのR。カトマンズに向かうドライバーと連絡を取り合い、正午過ぎにスワヤンブナートでゲストたちと落ち合う予定となっていた。

ゲストの到着までタメルで時間をつぶしているときに地震発生。その後、ガイドは道幅の狭い近道ではなく、建物倒壊の恐れのない広い道を選んで、スワヤンブナートまで歩いて移動。

地震の影響かカトマンズを目指す車の移動にも時間がかかり、ゲストがスワヤンブナートに到着したのは、夕方近くなってから。

周辺の被害状況から観光どころではない非常事態であることはガイドも感じていたが、その時は、とりあえず予定通り案内しないと、と、スワヤンブナート敷地内まで入ったそうだ。

本日現在、倒壊の恐れのある建物などもあり、一般観光客の入場を一時制限しているスワヤンブナートだが、地震直後は状況把握に時間がかかっていたためか入場制限はされていなかったとのこと。

しかし、仏塔周辺の建築物がかなり崩壊しており、瓦礫が散乱し、歩けるような状態ではなく、早々に引き上げることにしたと。地震発生から約3時間後ぐらいの出来事。

参考記事: 地震後のスワヤンブナートの様子

次に、観光予定だったボダナートまで行き、手短かに観光。

参考記事: 地震後のボダナートの様子

この日はナガルコットに1泊予定があり、ナガルコットまで移動。

宿泊予定だったクラブヒマラヤ(ナガルコットで一番良いホテル)では、地震後宿泊客をすべて屋外に出し、閉鎖している状態だった。

他に泊れるホテルはないかと当ったが、周辺少なからず何らかの目につく被害があり、どこも泊れる状況ではないと判断し、日は暮れていたが、カトマンズに戻ることに。

===

(補足)
ナガルコットのホテルについては、5月8日に私たちがよく手配する中級以上のホテル(カントリービラ、フォート、クラブヒマラヤ)に電話確認したところ、どこも少なからず被害を受けていて、現在閉鎖中と。

同エリアの他のホテル、ゲストハウスもだいたいどこも同じような状況で、少なくとも5月いっぱいは閉鎖予定だというところが多い。

その後は旅行のオフシーズンに入ることから、秋の旅行シーズンまでは、修復や補強作業で休業するホテルがほとんどなのではないかとみている。

=== 

つづく。

地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(1)とチュルピ
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(2):カトマンズ、ナガルコット観光
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(3):ランタントレッキング
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(4):ゴーキョピークトレッキング
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(5):カトマンズ空港送迎
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(6):パタン訪問

2015年5月10日日曜日

地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(1)とチュルピ


時々お願いするフリーランスのガイドが、昨日カトマンズに戻ってきたとのことで、山土産のチュルピ(かたい乾燥チーズ)を持ってきてくれた。

チュルピについては、昨年8月、チャリコットとドラカを訪問した際に、通過したムデ村で売られている様子を、このブログでも話題にしたことがある。

以前の記事: http://dailynepal.blogspot.com/2014/08/3.html

彼は今回、欧米人を対象にしているトレッキング会社からの依頼で、カンチェンジュンガエリアのボクトピークというところを登頂後、ボクトピークBCにいるときに地震にあったそうだ。現地ではそれほど大きな影響はなく、皆無事に、昨日カトマンズに戻ってくることができたとのことだった。

私たちの専属ガイドたちも、地震当日は各地に出ていた。地震直後にはスタッフたちと手分けしてガイドとお客様の安否確認を行ったが、携帯電話が通じにくかったり、通じてもよく聞き取れなかったり、その後停電が続き携帯の充電が切れしばらく確認できなかったり、と、手間取った。

確認できても、詳細は聞けずとりあえず無事かどうか、という点を簡潔に話しただけだった。一段落した今、皆の当日の状況をあらためてゆっくり聞き取ることができている。

私自身の記録も兼ねて、いくつか掲載したい。

カトマンズがほぼ平常に戻っている今、地震発生当日の様子を聞き書き起こすと、「そんな大げさな!」という感じを受けるかもしれないが、当日は皆混乱し、無我夢中だったのだ。

つづく

地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(1)とチュルピ
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(2):カトマンズ、ナガルコット観光
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(3):ランタントレッキング
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(4):ゴーキョピークトレッキング
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(5):カトマンズ空港送迎
地震発生当日(4月25日)のガイドの状況(6):パタン訪問

2015年5月9日土曜日

つっかえ棒だらけのパタン旧市街


パタンドカ(門)からパタンダルバール広場へ続く、風情のある細い道。

一見するとそれほど被害は見受けられないが、ひびが入ったり、傾きそうになったりしている家々を目にする。

歪んだ家屋を支えるため、通りのあちこちに渡された木のつっかえ棒。


地震前からも、旧市街の古い建物をこうやって支える光景は時々みられたが、地震後その数は増えた。
 


 
パタン市内マンガルバザール。
地震当日から今日まで、この場所に止まったままだというラトマチェンドラナートの山車の手前にある家も、つっかえ棒で支えられていた。
 
=== 
 
地震後に訪れた寺院等の様子について、次のブログでも発信しています。
 




2015年5月2日土曜日

癒しのジャカランダ

 
 
 
毎年4月半ば過ぎから咲き始めるジャカランダの花。
 
今年は、4月25日に起きた地震とその後の多忙さで気にとめる余裕がなかった。
 
 
 
 
しかし今日、トゥンディケル広場で医療活動を始める自衛隊の取材に同行した時のこと。
 
隣のクラマンツとを囲むようにして咲いている、ちょうど今が満開中の、紫の色のジャカランダが美しすぎて、しばし見とれ、癒された。
 
最初の写真中央に見える白いテントの下で、医療活動が行われていた。

2015年5月1日金曜日

ネパール大地震7日目

毎日早朝から夜遅くまで、報道クルーの方に同行し、カトマンズ市内各地移動しています。

建物崩壊現場では胸を痛めやるせない気持ちになりますが、ネパール庶民たちの前向きな行動を目にするようになり、この国は大丈夫、という確信も感じています。

旅行者エリアのタメル地区も、震災翌日はほぼすべての店がシャッターを下ろし、人通りも少なく、異常さを実感しましたが、5月1日現在半分ぐらいの店が開き、活気を取り戻しています。

街でも、路上で野菜を売る商売人、自転車の果物売りも見かけるようになり、街を走る車の量も通常通りに戻っています。

毎日目にする各地での様子は、時間が許す限りリアルタイムでツイッターに画像つきで更新していますが、今日は、ネパールの人たちががんばっている姿、タフな姿を抜粋して掲載してみたいと思います。


4月30日に、約120時間以上ぶりに二人の生存者が発見されたカトマンズ市内ゴンガブ地区。捜索活動が続く中、顔にネパール国旗のペイントをし、一緒に頑張ろうと紙を掲げる若者たち。(本日撮影)
 
 
 
地震直後から避難民が集まっている、市内中心部にあるトゥンディケル広場。ヤギと一緒に避難してきた女性が、広場の雑草を餌代わりに山羊に食べさせている光景。(4月27日:地震発生3日目早朝撮影)


朝のダルバール広場内ハヌマンドカ。この向かいにあったクリシュナマンディルは全壊。周辺はがれきの山。そんな中にも、震災前と変わらず、ハトの餌売りが現れる。ハトに餌をやるとご利益があると信じられているのだ。(4月28日:地震発生4日目早朝撮影)



瓦礫撤去のためネパール各地からカトマンズ市内ダルバール広場に集まったボランティア。
 
老若男女、チベット仏教の赤い衣装を着た僧たちも。きれいに列を作り、バケツリレー方式で瓦礫を次の人に渡し、最後の人が整然と地面に並べていく。
 
この日夕方、コイララ首相が視察にあらわれると、ボランティアたちが首相を取り囲み、支援が足りない、と、帰れコールを叫び出す一面も。そのうち、個々の叫び声は「カーム ロキョ!」(作業の邪魔しに何で来た!)いう一つのコールに代わり、首相は退散する羽目に。
 
熱くなっていたボランティアたちだが、首相が去るとすぐ、口々に「中断させられたけど、さあ早くまた作業にとりかかろう!」と、乱れた列をきれいに元に戻し、作業再開するという、感動的な行動も。(4月28日:地震発生4日目午後撮影)
 
 
 半分以上の人が帰宅したようでテントの数は減ったトゥンディケル広場で、まだ残っている避難民たちに食料を配る、大手バートバテニスーパーマーケットの従業員たち。
 
また、この日別の場所では、タクシーのトランクいっぱいにチウラ(干し米)を積み、分けている個人ボランティアの姿も。(5月1日:地震発生7日目夕方撮影)
 
=== 
 
この様な前向きな光景が見られる一方、地方ではまだ詳細すらわかっていない深刻な状況と行方不明者も取り残されているとのことで、一刻も早い確認と救援を祈っています。
 

2015年4月27日月曜日

ネパール地震の影響

GW時にお申込みのあるお客様に、先程一括メールで送った内容です。
参考までにブログに更新します。一部補足しています。

表示の乱れを直す時間がありません。ご容赦ください。

===

425日に発生したネパールでの大地震の影響で、皆様が訪れる旅行予定地に少なからず影響が出ています。

●カトマンズ

タメル地区26日現在ホテル、商店ほぼすべての店がシャッターを下ろし閉鎖しています。

従業員が怖がって出勤しないため、この先10日間ほどは閉鎖を決めたホテル、開いてい入るが室内に入れてもらえず、ロビーなどに布団を持ってきて寝るよう指示されているホテル等、いろいろです。
 
食料も不足しており、ホテル併設レストランでも十分な食事を提供できていません。

市内レストランも閉まっているところがほとんどです。

参考までに、高級ホテルのハイアットでさえ、室内に入れてもらえず、25日、26と、宿泊客はロビーや入口エントランス(ほぼ屋外)で寝ていました。

●国内線

26日は欠航(早朝イエティエアに確認したところ得た回答で、実際けっこうだったかは追跡確認していません)。
 
27日以降は状況次第かと思います。

 
●国際線

飛んでいますが、大きな余震が発生すると、一時的に閉鎖となり、本日も1時頃~4頃までの離発着が制限されていた模様。
 
昨日は10時半~15時頃まで私自身空港にいました。
 
●ポカラ

確認していませんが、それほど被害状況は聞いておりません。

●エベレスト方面トレッキング

26日現在、ルクラ~ナムチェ間の地滑り等の危険発生確率が高いため、通行閉鎖しているとの情報が、ナムチェにいるガイドより入っております。

ゴーキョを目指していたガイドも急きょ引き返そうと下山を始めましたが、ナムチェで足止めとなっています。(26日現在)

●ランタン方面

シャブルベシにいるガイドの話によると、土砂崩れなども発生している模様で、シャブルベシ~ドゥンチェ間は車通行できないような状況とのことです。

●アンナプルナ方面

確認できておりません。
 
=== 

 
取り急ぎ現状です。

ネット、電話も通じにくく、現在、私自身が朝から晩まで、日本の報道メディアのクルーと一緒に行動しており、メールチェックする時間がありません。

ご旅行をキャンセルされる場合は、メールでもお送りいただくと同時に、ローマ字表記で+977-9851124236あてにSMSをいただけますとすぐ確認できありがたいです。

SMSは長文不要です。(膨大な数のSMSを受信しているため、見落とす可能性有) ご

氏名、ネパ―ル到着予定日、キャンセル希望、ということをローマ字で次のようにお送りください。

受信しましたら、遅くなるかもしれませんが、短文で返信します。

なお、後日メールも確認しますので、必ず info・・アドレス宛にメールもお送りいただけますと助かります。

お電話については、地震発生以来、終日メディアの方からの状況確認の電話がひっきりなしに入り、26日昼までは対応していましたが、現在対応しきれておりません。
 
日本やバンコク、デリー(報道社の支局がある)の番号からの電話にはああえて出ないことがありますので、メールおよびSMSでお知らせください。

===

以上、キャンセルを進めるような内容を書きましたが、それでも旅行を実施する!という方の手配はかならずさせていただきます。ただし、空港送迎については、車の確保が非常に厳しくなっている関係上、お受けできませんことをお知らせします。すでに送迎代をお支払いただいている場合は後日返金致します。

===

取り急ぎ以上です。
現地の状況はできる限りツイッターで発信しておりますので、ご参照ください。


よろしくお願いいたします。

 

2015年4月26日日曜日

カトマンズの地震

日本でもトップニュース扱いだったと聞きますが、カトマンズで大きな地震がありました。

私たちは無事ですが、バタバタしており詳細ブログ更新できません。

ツイッター地震発生当初からこまめに画像つきで発信しておりますので、ご参照ください。
https://twitter.com/infonepal

お見舞いメールをくださった、たくさんの過去の利用者の皆様、個人的な知り合い、ツイッターにコメントくださった皆様、一人一人にお礼ができずに申し訳ありません。

まだ余震が続いており、不安な夜を過ごしています。

落ち着いたらまたブログ更新&メール等への返信もさせていただきます。

ありがとうございます。

2015年4月23日木曜日

雨のタサンビレッジ


14時半過ぎ、ナウリコットのタサンビレッジ(標高約2680m)着。

到着前から雨が降り出した。

ここから見えるはずのダウラギリ(8167m)も、氷河も、ニルギリ(7061m)も、他アンナプルナ山群も、一切見えず。

目の前の丘の上の方は雪でうっすら白くなりはじめ、雪と雨の境界がはっきり分かる。雪が降っているのは標高4000mよりも少し上あたりからだろうか。

以前同時期にゴレパニ(標高約2850m)へ行ったとき、ずっと晴れで暑く、朝晩ゴレパニ滞在時のシンプルなロッジの室温も15度程はあった。防寒着が荷物になってしまった経験がある。

今の時期、基本的には晴れることが多いし、今回の宿泊地はタサンビレッジとムスタンリゾート。この地ではリゾート扱いの高級ホテル。なので、防寒着少な目で出かけたところ、ロッジ内室温10度ほどで寒く、防寒対策が甘かった、と後悔。

宿泊客が私たちだけしかいなかったことをいいことに、寝る時以外はずっと薪ストーブの前を陣取っていた。


翌朝。一瞬雨も上がったものの、また降り始め、結局ヒマラヤは見えず、眼下に広がるカリガンダキを見下ろすぐらいしかできず。

雲が垂れ込めるこんな景色も、嫌いではないが、次回来る時は是非とも絶景を楽しめるといいなあ。


出発時、入口近くに桜らしき木を見かける。

お別れのカタを首からかけてもらい、出発。

・・・

ところで、この2日後、突然の訃報の知らせが入る。私たちがここを後にした次の日の朝、マネージャーさんに突然の不幸があったというのだ。その前日には、笑顔で見送ってくださったのに。同行者皆、しばらく事情が理解できず茫然としてしまった。心よりご冥福をお祈りしいたします。

===

ジョムソン・ムクティナート訪問の記録:

4月12日(日)
 (タサンビレッジ泊)

4月13日(月)
 07:20ナウリコットのタサンビレッジ発→08:20マルファ着。河口慧海記念館立ち寄り→09:30マルファ発→09:50ジョムソン着。休憩、車手配。
 11:00ジョムソン発→12:20ラニポワ着。ムクティナートまで徒歩移動、参拝。
 14:25ラニポワ発→15:45ジョムソン着。ジョムソン散策。
 17:00ジョムソン発、ホテルへ→17:05ムスタンリゾート着(泊)

4月14日(火)
 06:45ムスタンリゾート発、徒歩でジョムソン空港へ移動→07:00空港着。
 08:50ジョムソン発ポカラ行フライト→09:10ポカラ着。

2015年4月22日水曜日

タトパニ~ガサ(ジョムソン・ムクティナート訪問3)

 
10:40タトパニ発。ガサ(標高約2000m)を目指す。
 
今回のルート上では、崖道も多い一番危険な区間。揺れもひどい。 雨季中は土砂崩れによる車両通行止めなども例年起きるような道。
 

 

 
 
 
 
 
旅の同行者は私も含め5人。うち2人は6歳と2歳児。ネパールのみならず、日本でも片道1400㎞ほどの長距離移動は何度か経験済みで慣れているが、未舗装悪路移動に耐えられるか少し心配だった。
 
しかし、車が揺れれば揺れるほど喜び、水しぶきを上げて川を突っ切る時には、遊園地みたい!、と身を乗り出して興奮。はしゃぐ以外は揺れに身を任せ熟睡。疲れも見せず、なかなか楽しんでいた様子。
 



そうこうしているうちに、崖道も終わりになり、ガサのバスパーク通過。



12:15昼食休憩のためガサで停車。(上のジープは私たちが乗ってきたもの。インドのマヒンドラ社製)

ガサ着前、ドライバーにチャングラのおいしいダルバートが食べられる店に立ち寄ってもらうようリクエスト。事前に携帯で連絡を入れ、準備をしておいてくれた。



 
 
13:30ガサ発。近道のカリガンダキ沿いを走ろう、と、広い河原をスピードを上げて進む。途中何度も川を突っ切る。
 
今日の目的地ナウリコットまではあと少し。
 
===

ジョムソン・ムクティナート訪問の記録:

4月12日(日)
 4:10ポカラ発→6:30ベニ着。休憩、車手配。
 7:40ベニ発→9:40TIMSチェックポスト立ち寄り→10:00タトパニ着。休憩。
 10:40タトパニ発→12:15ガサ着。休憩。
 13:30ガサ発→14:45ナウリコット・タサンビレッジ着(泊)

4月13日(月)
 07:20ナウリコットのタサンビレッジ発→08:20マルファ着。河口慧海記念館立ち寄り。
 09:30マルファ発→09:50ジョムソン着。休憩、車手配。
 11:00ジョムソン発→12:20ラニポワ着。ムクティナートまで徒歩移動、参拝。
 14:25ラニポワ発→15:45ジョムソン着。ジョムソン散策。
 17:00ジョムソン発、ホテルへ→17:05ムスタンリゾート着(泊)

4月14日(火)
 06:45ムスタンリゾート発、徒歩でジョムソン空港へ移動→07:00空港着。
 08:50ジョムソン発ポカラ行フライト→09:10ポカラ着。

2015年4月20日月曜日

ベニ~タトパニ(ジョムソン・ムクティナート訪問2)

 
 
4月12日7時40分、チャーターした四駆車でベニ(標高約800m)を出発し、この日の目的地ナウリコット(タサンビレッジ/標高約2680m)を目指す。
 
未舗装の道はガタガタで、出だしから上下左右前後に揺れまくる。
 


 
ベニ~ガサ間は頻繁に乗合バスや四駆車が出ており、道中何度も車と行きかう。道が狭いので、譲り合いながら通り過ぎる。
 
乾季中は車が通ると一寸先も見えないほどの砂埃が巻き上がる。今回は、曇りのち雨の日が続いており、地面も適度に湿っていて砂埃の影響はほとんどなかったのだが、乾燥していると大変なことになる。
 
 

 
バスがカーブを曲がるたび、砂埃が舞い上がり、視界が遮られる状態。
 
トレッキング道も、車の往来があるこの道と同じ。この様な道をあえて徒歩移動するのは、物好きな外国人トレッカーか、近距離を移動する地元住人ぐらい。
 

 
 
ネパール人のバイクのグル―プも結構見かけた。皆カトマンズナンバーで、ムクティナートまでのツーリングを楽しんでいるようだ。
 
上の写真は、突き出た岩の下で休むライダーたち。
 



09:40タトパニの手前にあるTIMSチェックポスト立ち寄り。

私、ビジネスビザなのだが、レジデンスビザやディプロマビザ以外の外国人は、在住者であっても許可証類は必要、とのことで、カトマンズで取得。通過のチェックを受ける。



10:00タトパニ着。休憩。

ここに、竹の皮で編んだ囲いで覆われた、穴を掘っただけの簡易トイレがあった。本来のトイレは戸を開けるとハエが一斉に飛び出てくるような不衛生な状態で、入るのをためらってしまったのだが、その手前にこの解放的な簡易トイレがあり、迷わずここを利用。空を見ながら用を足すのって、久しぶり。

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ジョムソン・ムクティナート訪問の記録:

4月12日(日)
 4:10ポカラ発→6:30ベニ着。休憩、車手配。
 7:40ベニ発→9:40TIMSチェックポスト立ち寄り→10:00タトパニ着。休憩。
 10:40タトパニ発→12:15ガサ着。休憩。
 13:30ガサ発→14:45ナウリコット・タサンビレッジ着(泊)

4月13日(月)
 07:20ナウリコットのタサンビレッジ発→08:20マルファ着。河口慧海記念館立ち寄り。
 09:30マルファ発→09:50ジョムソン着。休憩、車手配。
 11:00ジョムソン発→12:20ラニポワ着。ムクティナートまで徒歩移動、参拝。
 14:25ラニポワ発→15:45ジョムソン着。ジョムソン散策。
 17:00ジョムソン発、ホテルへ→17:05ムスタンリゾート着(泊)

4月14日(火)
 06:45ムスタンリゾート発、徒歩でジョムソン空港へ移動→07:00空港着。
 08:50ジョムソン発ポカラ行フライト→09:10ポカラ着。

ベニのバスパーク(ジョムソン・ムクティナート訪問1)

 
 
15年ほど前までは、ジョムソン街道の、徒歩移動始発・終着地点だったベニ。その後、徐々に車道が引かれバイクやトラクターで走行できるようになり、7~8年前からは、ムクティナートまでローカルバスやジープが定期運行するようになった。
 
その昔、徒歩移動で4~5日かかっていたベニ~ガサ~ジョムソン~ムクティナート間も、車両移動すれば(乗り換え時間等含めなければ)7時間ほど。
 
全行程で未舗装でカーブの多い道。ガードレールもなく、ベニ~ガサ間は、すぐ下は崖、という危険な場所も多い。
 
雨の多い季節(6~9月)には土砂崩れで一時的に車両通行不可となることもあり、崖下転落事故も起きやすいルートではあるが、現地住人はもちろん、ムクティナートへ巡礼へ行くネパール人、インド人なども、ほとんどが車両で移動するのが当たり前の状況となっている。
 
現在この区間をあえて歩くのは、物好きな外国人トレッカーぐらい。
 
 
 
 
ベニにあるバス・ジープカウンター。
 
ここで、四駆車・マイクロバス・大型バス等のチケットを購入できる。
 
現在、ベニ発で運行している定期便は、ジョムソン直行、ガーサ止まり、ポカラ行、カトマンズ行の主に4ルート。

10か月ほど前まで、ゴレパニ方面チトレ行という定期便も出ていたのだが、現在運休中で、再開のめどは今のところないそうだ。(チャーターは可能)
 
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以上、4月12日に現地で確認した内容。
 
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ジョムソン・ムクティナート訪問の記録:

4月12日(日)
 4:10ポカラ発→6:30ベニ着。休憩、車手配。
 13:30ガサ発→14:45ナウリコット・タサンビレッジ着(泊)

4月13日(月)
 07:20ナウリコットのタサンビレッジ発→08:20マルファ着。河口慧海記念館立ち寄り。
 09:30マルファ発→09:50ジョムソン着。休憩、車手配。
 11:00ジョムソン発→12:20ラニポワ着。ムクティナートまで徒歩移動、参拝。
 14:25ラニポワ発→15:45ジョムソン着。ジョムソン散策。
 17:00ジョムソン発、ホテルへ→17:05ムスタンリゾート着(泊)

4月14日(火)
 06:45ムスタンリゾート発、徒歩でジョムソン空港へ移動→07:00空港着。
 08:50ジョムソン発ポカラ行フライト→09:10ポカラ着。

2015年4月19日日曜日

マレクの魚


カトマンズからポカラやチトワンなどを結ぶプリティビハイウェイの途中にある「マレク」。トリスリ川沿いにあり、食堂に揚げ魚や干し魚(燻製)類が並ぶ。




手前の赤いのはエビ、他は小魚類。

陸路移動をする際には魚やエビのおやつを楽しみに、必ずマレクに立ち寄る。

素揚げの魚やエビに、トマトをベースとしたアチャール(辛いソース)がついてくるのだが、何もつけずにそのまま食べる方が日本人向きのクセのない味。エビは殻ごと、小魚も骨ごと食べられ、やめられない止まらない状態になってしまう。

・・・

先週、ポカラ~ジョムソン~ムクティナートへ行ってきた。カトマンズ~ポカラ間は往復とも陸路で。上の写真2枚は、カトマンズを発った初日(4月11日)の夕方、遅めのカジャ(おやつ)をとるため立ち寄った食堂にて。

・・・

ところでこの周辺のハイウェイ(といっても舗装状態のよくない山道だが)には、よく流しの魚売りが出ている。


 
木の枝に、内臓を取り除いた魚を数匹つるして、車が通りがかるのを待っている。
 
 

 魚売りの写真は、昨年11月、チトワン訪問の帰りに撮影したもの。

2015年4月10日金曜日

タメル北のラインチョウル通りがついに舗装された



カトマンズ市内の道が次々拡張&整備されていく中、いつまでたってもひどい状態だったタメル北のラインチョウル通り。

雨が降ると冠水し、乾燥すると砂埃が巻き上がったり、あちこち掘り起こされ地方の未舗装道も顔負け、というぐらい凸凹だらけだったり、いつになったら舗装完了するのだろう、と、毎日通るたび思っていた。


 
 
少し前から道がならされ、そろそろ舗装も近いなと期待していたところ、8日~10日の夜間片側ずつ舗装していったようで、本日一部の区間を残して両側とも舗装完了。
 
道幅も以前の2倍ほどに広くなり、だいぶイメージも変わった。
 
 
 
 
ところで昨日、舗装準備作業とともに、電信柱を立て替える作業も進行していて、激しく巻き付けられた電線を探る作業員の姿が。
 
こういう電線、カトマンズではよく見かけるのだが、どれがどの線か区別つくのだろうかと気になってしまう。

2015年4月9日木曜日

トニー・ハーゲン写真展

 ≪写真展入口に置かれていた手書きの案内板≫
 
4月4日(土)~8日(水)までパタンミュージアムで開催されていた写真展に、6日に行ってきた。
 
1950年代にトニー・ハーゲンが撮影したカトマンズや周辺の写真が展示されていたもの。
 
未舗装のカトマンズ空港、周辺に何もないボダナート寺院、森と田畑だらけのパシュパティナート周辺。のどかなタパタリの橋とそこを素足で通過する人々、、、。
 
観賞しているのは、外国人よりも、この写真が撮られた頃には生まれていなかったであろうネパールの人たちが圧倒的に多く、皆、素朴な昔の光景に驚きの声をあげ、そして、スマホで至近距離から展示物を撮影。
 
気になって受付嬢に聞くと、「 मज्जाले हुन्छ !! ( モッジャレフンチャ!!撮影しても全然問題ないわよ!)」と。ホントにいいのかなあ、と確認し、私も1枚、展示光景が分かる写真を撮ってしまったのだが。
 
 
 
 
写真展に出ていたうちの何枚かは、次のサイトにも掲載されています。

2015年4月7日火曜日

最近のネパールバンダ(全国規模のストライキ)の傾向

<写真1枚目:昼前のタメル北ラインチョール通りの様子>

 
本日から3日間(4月7日〜9日)予定されていたネパールバンダ(Banda=ストライキ)。

数年ほど前までは、バンダというと一般車両、公共車両をはじめ、旅行者専用車両、救急車等も走行妨害されることがあった。ドライバーたち、当日は車を出すのを自粛することが多く、地方を結ぶツーリストバスも多くが運休。旅行手配をしていても、旅程が大きく狂い、大変だった。


しかしここ2~3年ほど傾向はがらりと変わり、バンダといっても、緑色ナンバープレートの外国人旅行者専用登録のある車両は通行妨害されることなく車を出せるようになっている。バンダ前日にドライバーやツーリストバス会社に確認しても、「心配するな!緑色プレート車両だから堂々と走行してやる!」という心強い返事をもらうことがほとんど。

が、今回は違った。

ドライバーたち皆、昨日の時点では、「たぶん走行できるとは思うけど、明朝の状況を見て決める」と、弱気な回答。

カトマンズ・ポカラ・チトワン間を走るツーリストバス会社複数社に確認しても、「バンダ中の予約は受け付けてはいるけど、朝にならないと走れるかどうかはわからない」と。

このため、本日長距離移動予定のあったガイドやポーターたちは、急きょ昨日中に移動させることにした。

ガイドの一人は、バンダ中止のニュースに期待し、夕方まで移動せず粘ったが結局中止宣言はされず、夜行バスでポカラへ向け移動し夜2時半に現地についたり。

ドゥンチェに昨日下山し翌日(今日)貸切車でカトマンズに戻る予定だったガイドも、バンダ当日の移動はどうなるかわからないから本日中に戻ってきた方がよい、と、急きょ昨夕現地を出発し、カトマンズについたのが夜9時過ぎだったり。はっきりしないバンダ予定に振り回された。

・・・のだが、いざふたを開けてみると、(一部主催者側の過激な行動も見られたようではあるが)、まあ最近の傾向通りのバンダ。


<写真2枚目:昼前のタメル近くの大通りの様子>


市内を走る車両は少なかったが、カトマンズ、ポカラとも、旅行者用車両(緑色ナンバープレート)は朝から問題なく走行。(ウチ手配分はすべて全く影響なし。むしろ道路がすいておりすいすい快適な移動だったと)

地方を結ぶツーリストバスも平常運行。(ただし警察の護衛付)

また、バンダ実施時間の時間限定がある、というもの最近のバンダの傾向。今回は朝5時~夕方5時まで。

何かと融通が利き、旅行手配面ではそれほど影響を受けないのが、最近の傾向。(ただし公共交通手段を利用する場合の旅行は影響を受ける)

そして、明日明後日(4月8日、9日)も予定されていた残りのバンダ中止が、案の定、今晩発表された。このあたりも、傾向通りといったところだろうか。
 
<写真1枚目:昼前のタメル北ラインチョール通りの様子>
一般車両や公共車両の走行は極端に少なく、すれ違う車両はどれも緑色ナンバーの旅行者専用車両だった。
 
<写真2枚目:昼前のタメル近くの大通りの様子>
バンダの日はタクシー等が捕まりにくいor捕まっても高額な運賃を要求されることが多く、いつもよりも人力車が活躍する。
 
 
 
 
ところで、バンダの日は公共車両(バスやマイクロ)が走らないので、スタッフたち、徒歩や自転車で通勤する。今日も、自転車で1時間、徒歩で1時間以上かけて通勤した者など、いろいろ。

(私はバンダの日はあえて大通りを選びバイクで移動する。警備も多く、大通りの方が安心だから)
 
いつもより皆体力使って出勤しているから、との口実で、通勤途中に骨付きモモ肉10本を購入。賄スタッフにフライドチキンを作ってもらい、今日のカジャはボリュームのあるメニューに。

2015年4月6日月曜日

計画停電短縮へ(4月4日より)

4月4日より計画停電時間が短縮となっている。毎日平均8.5時間。短くなったなあと実感。

タメル地区の停電スケジュールを当ブログに初めて掲載したのが2006年1月。

今や、停電スケジュールが変更になると、在カトマンズ日本大使館から変更情報を送ってもらえるが、当時は自力でスケジュールを探すしかなかった。

ネパール電力のHPには事前にスケジュールが掲載されず、変更日当日になるとネパール語紙ゴルカパットラには掲載されていたようなのだが、そもそも突然スケジュール変更になることも多く、「今日からスケジュールが変わったらしい」と気づき、ゴルカパットラを探しに出かけても、定期購読していないと街中の新聞屋では売切れてとなっていて、なかなか新スケジュールをつかめなかったり、、、ということも多々あった記憶がある。

今よりも停電時間は短かったが、スケジュールを事前に確認できない分、苦労も多かった気がする。

最初に当ブログで停電スケジュールを掲載した2006年1月22日付けのタイトルが「1週間に17時間、、、」。今読み返すと、毎日夕方たったの2~3時間だけ停電していたぐらいで、泣き言を書いていて、おかしい。

当時、スケジュールが分からず自分自身困ることも多かったため、オフィスがあるタメル地区のスケジュールを確認すると同時に、当ブログにも掲載することにした、という流れが。

日本語で入手できるタメル地区の停電スケジュールは他になく、けっこう旅行者の方に役立てていただいたのだが、これからは、当ブログでの掲載はやめ、私がもう一つ別に発信している、地球の歩き方・カトマンドゥ特派員ブログ  にのみ掲載していくことにしたい。

当ブログと歩き方ブログで記事が重複してしまうことも多く、今更ながら使い分けていこうと思い。

2015年4月3日金曜日

ネパールのアイスキャンディ、クルフィ


暑くなると時々食べたくなる、円錐形のアイスキャンディ、クルフィ(कुल्‍फी)。

屋台風の露店で売られているローカルなものから、きちんと包装されて売られているものまで、いろいろ。

ただのミルク味ではなく、カルダモンやナッツ類が混ざっていて、さわやかな後味。

よく立ち寄るベーカリーで売られているのは、容量60mlの1本65ルピー。