19日、20日と実施されていた、石油製品値上げに抗議すると見せかけた憂さ晴らし行動は、とりあえず終結した。
市内のあちこちでタイヤを燃やしたり、罪のない一般市民が乗るテンプー(乗り合い三輪自動車)のガラスをレンガで割ったり、緊急事態で出動している救急車に投石したりすることのどこが、抗議行動なのだろう?と思ってしまう。日頃鬱憤を晴らす機会のない若者が、ここぞとばかりに暴れまくって、お祭り騒ぎで楽しんでいるだけ。
お祭り騒ぎといえば、カトマンズ市外に住む知人が住む村では昨日、隣人たちが集まって、ヤギを一頭絞めたそうだ。(食用動物を絞め、みんなで分けて食べる、という行為は、祭り気分のときにすることが多い)
もうダサイン(祭)気分なわけ?と聞くと、まあそんなものだね、と、知人は答えた。(もうすぐ、生贄のために生き物をささげる儀式も行われる、ヒンドゥ教最大の祭り『ダサイン』祭が始まる)
以前は、季節行事なのかと錯覚するぐらいに定期的に実施されていたバンダ(スト)なのだが、今年4月の政情混乱終結以降、実施されていなかった。バンダによる臨時休暇慣れしてしまった一般市民たちには、バンダ無し(臨時休暇無し)の生活こたえる。
それが、今回の抗議(とかこつけた憂さ晴らし)行動で、街の機能が麻痺し、久しぶりの休暇となったのだから、これを祭り扱いとしないでどうする。そういうわけで、村人が集まって、ヤギを一頭絞めたそうなのだ。
抗議行動といいながら、憂さ晴らしでタイヤに火をつけ、他人に迷惑をかけて楽しむネパール人もネパール人だが、こうやってできた臨時休暇をいいことに、祭り気分でのんびりヤギを絞めるネパール人もネパール人だ。まあ、私もこの休暇をいいことに、家でのんびりくつろいだのだが。
所詮、この国の(最近の)バンダ(スト)なんて、この程度のもの。
うわーなんだか大変らしいぞ、と、現地で大慌てし、ネパールの治安は悪い、とすぐに決めてしまうのは、状況を正しく入手するのが難しい旅行者だけかもしれない。
政変による暴動と、憂さ晴らし的お楽しみ暴動は違う。そこのところをよく理解していれば、ネパールは危ないんだろうか?などと心配するだけ無駄にさえ思えてくる。でも、自己責任で注意はしなくちゃいけないけれど。
2006年8月21日月曜日
2006年8月20日日曜日
久しぶりの1日
昨晩遅く、「石油価格高騰への抗議が20日も繰り広げられる予定なので、外出は控えるように」という日本大使館発の地区別緊急連絡網が入ってきていた。特に出かけなくてはいけない用事もなかったので、1日家で過ごすことに昨日から決めていた。(ネパールでは日曜日は休日ではないため、通常は普通の平日となる)
一応朝、街の様子を確認しようと、リングロード(カトマンズ市、パタン市を囲む周囲約20kmほどの環状道路)外に住む知人と、リングロード内の街の中心部に住む知人に、現在の外の様子を教えてもらう。各地でタイヤが燃やされていて、車両の通行はやめたほうがよさそうだ(場所によってはバイクでの通行は無理)、と聞いたので、家で過ごすことを再決定する。
昼過ぎまでいい天気だったので、洗濯物と、家中の布団を干す。それだけでは強い日差しの有効利用には物足りなく、先日買ってあくを抜いておいたぜんまいも干す(干しぜんまい作り)。ビンに入れて太陽の下に置いて作る大根の発酵アチャール(漬物的ご飯の友)も仕掛け、照り焼きまんを食べたくなったので作って蒸し、典型的なバンダ(ゼネスト)の日の、のんびりした休日を過ごす。4月の連日カフュー(外出禁止令)の日々を思い出してしまう。あのときも、なぜか照り焼きまんを食べたくなって作った。
一段楽していると、なんとなく雲行きが怪しくなってきた(昨日も書いたのだが、雨期終盤の今日この頃、午後になると天気が急変し、短時間のスコールが降ることが多い)。そろそろぱらつくかな、と思いながら室内で他の作業をしていると、「雨が降ってきたぞ~(パニパリョ~)」という、隣人が近所に知らせる叫び声が聞こえ、あわてて庭に駆け下りる。叫び声の主(隣の家のおばさん)もあわてて洗濯物を取り込んでいて、顔を見合わせ苦笑いをしてしまう。洗濯物と布団とぜんまいとアチャールのビンを家の中に取り込む。
夕方前、寝転がりながら本を読む。知らないうちに寝てしまったようだ。寝ていた時間は1時間ほどだったのだが、夢を見る。携帯で電話をかけようとすると、変なエラーが出てつながらないのだ。何度も何度も番号を押しても、エラーが出て埒が明かない。おかしいなあ、と思っていると、周りの携帯も同じ状態になっていることがわかる。
つまりこの夢、つい最近までネパールの政変時によく起きていた、通信を遮断される状態を連想させるものだったのだ。外で抗議行動がおきている今日、やっぱり(電話が)とめられたか、などと、夢の中の登場人物たちと話しながら、電話をかけるのをあきらめる。
・・・と、突然、現実世界の電話がなって、眠りから覚める。通信遮断されていたのは、夢の中だけだとわかり、ほっとする。
その後、夕方過ぎ、大使館発地区別緊急連絡網が入る。石油製品の値上げはとりあえず延期になったとのこと。明日から市内は通常に戻るだろう。
ほっとしながら、夕飯の準備に取り掛かる。
一応朝、街の様子を確認しようと、リングロード(カトマンズ市、パタン市を囲む周囲約20kmほどの環状道路)外に住む知人と、リングロード内の街の中心部に住む知人に、現在の外の様子を教えてもらう。各地でタイヤが燃やされていて、車両の通行はやめたほうがよさそうだ(場所によってはバイクでの通行は無理)、と聞いたので、家で過ごすことを再決定する。
昼過ぎまでいい天気だったので、洗濯物と、家中の布団を干す。それだけでは強い日差しの有効利用には物足りなく、先日買ってあくを抜いておいたぜんまいも干す(干しぜんまい作り)。ビンに入れて太陽の下に置いて作る大根の発酵アチャール(漬物的ご飯の友)も仕掛け、照り焼きまんを食べたくなったので作って蒸し、典型的なバンダ(ゼネスト)の日の、のんびりした休日を過ごす。4月の連日カフュー(外出禁止令)の日々を思い出してしまう。あのときも、なぜか照り焼きまんを食べたくなって作った。
一段楽していると、なんとなく雲行きが怪しくなってきた(昨日も書いたのだが、雨期終盤の今日この頃、午後になると天気が急変し、短時間のスコールが降ることが多い)。そろそろぱらつくかな、と思いながら室内で他の作業をしていると、「雨が降ってきたぞ~(パニパリョ~)」という、隣人が近所に知らせる叫び声が聞こえ、あわてて庭に駆け下りる。叫び声の主(隣の家のおばさん)もあわてて洗濯物を取り込んでいて、顔を見合わせ苦笑いをしてしまう。洗濯物と布団とぜんまいとアチャールのビンを家の中に取り込む。
夕方前、寝転がりながら本を読む。知らないうちに寝てしまったようだ。寝ていた時間は1時間ほどだったのだが、夢を見る。携帯で電話をかけようとすると、変なエラーが出てつながらないのだ。何度も何度も番号を押しても、エラーが出て埒が明かない。おかしいなあ、と思っていると、周りの携帯も同じ状態になっていることがわかる。
つまりこの夢、つい最近までネパールの政変時によく起きていた、通信を遮断される状態を連想させるものだったのだ。外で抗議行動がおきている今日、やっぱり(電話が)とめられたか、などと、夢の中の登場人物たちと話しながら、電話をかけるのをあきらめる。
・・・と、突然、現実世界の電話がなって、眠りから覚める。通信遮断されていたのは、夢の中だけだとわかり、ほっとする。
その後、夕方過ぎ、大使館発地区別緊急連絡網が入る。石油製品の値上げはとりあえず延期になったとのこと。明日から市内は通常に戻るだろう。
ほっとしながら、夕飯の準備に取り掛かる。
2006年8月19日土曜日
抗議熱は雨と共に消える
日中、カトマンズ(パタン含)市内は大変なことになっていたらしい。
石油価格高騰に対する抗議デモが、あちこちで繰り広げられていたらしいのだ。(20日も抗議行動は引き続き行われるようなので注意)
リッターあたり67ルピー(約110円)だったガソリンが、84ルピー(約130円)に値上がりすることに伴う抗議デモ。値上がり後も日本のガソリン価格よりは多少安いが、平均月収が日本の20~40分の1であるネパール。ガソリンがこの価格になるのは、現地人にとっては非常に痛い。
そこで、路上でタイヤを燃やし交通を妨げる、通行している車両に投石し、ボコボコにする、という大人気ない行為をみんなでして、価格高騰に抗議するわけ。
そんなことをしても、世界的に高騰している石油価格を下げることはできない。でも、こちらの人は 抗議行動という名ばかりの憂さ晴らし を、機会を見つけては繰り広げ、お祭り同様に楽しむ。
本日私は、自宅から割と遠い出先にいて、市内が大変なことになっている、という情報を日中耳にした。話によると、各地の路上でタイヤが燃やされていて、通行している車両は抗議隊によって止められているという。市内移動は徒歩でならできるが、車両ではかなり危険そうだ、という。
私は普段スクーターで移動している。最悪、この抗議行動が長引けば、スクーターは出先において、徒歩で家に帰らなければいけないかもしれない、と覚悟した。
でも、熱しやすく冷めやすいネパール人のこと。抗議行動がそんなに長時間続くはずもない。夕方近くなって雨が降り始めれば (雨期終盤に差し掛かり、午後にスコールが降る日が続いている)、もうボク、タイヤ燃やすのも飽きたし、雨も降ってきたから、家に帰ろーっと、というノリで、本日の抗議行動はすぐに終結になるだろう、と読んでいた。
実際、この国の抗議行動は、雨が降り始めたとたんに、笑えるほどあっけなく終了する。それはそれで嬉しいことなのだが、その程度の意思だったの?と半ばあきれてしまうことも多い。
たとえば、一昨年前、政党による抗議行動が1ヶ月以上連日起こっていたとき。雨が降り始める季節に入ったとたん、抗議行動の時間帯を雨が降らない時間帯に変える、という、手段をとっていたことがあった。(他の理由があったのかもしれないが、日差しが強かったり、雨が降ったりするたびに、それを避けるかのごとく抗議の時間帯がずれていた)
また、連日外出禁止令が続いていた今年4月にも、似たようなことがあった。外出禁止令発令区域にもかかわらず、国王に抗議する大群衆が何万人単位で終結し、王宮を目指したことがあった。あと1時間もしないうちに、王宮は大群衆に取り囲まれ、大変なことになるのではないか、と、誰もが心配したそのとき、突然大雨が降り始めた。
すると、シュプレヒコールを飛ばし、白熱しまくっていた大群衆は、それまでの熱をすっかり雨に冷まされたかのごとく、みんなさっさと家路につきはじめたのだ。つまり、抗議行動に参加していた大群衆のほとんどは、抗議の意味もわからずお祭り気分で抗議デモに参加してみた、という、安易な目的でしかなかったということなのだろう。
余談で長くなったが、今回のデモも、夕方雨が降り始めれば、とりあえず解散になるに違いない。徒歩での帰宅を覚悟した私も、すぐに、考えをあらためた。雨が降れば、余裕で車両移動できるだろう。
そして、15時過ぎ、予測どおり小雨が降り始めた。ここぞとばかりにスクーターを出し家路についた。つい1時間ほど前まではタイヤが燃やされて大変なことになっていたという通り道には、案の定、抗議している人の姿も見えず、普通の街に戻っていた。タイヤが燃やされた痕跡は、あちこちで見かけたのだが。
抗議行動とかこつけて、日頃の憂さを晴らせればそれで大半の人の目的は果たせる。抗議熱など雨と共に一瞬にして消えてしまう、所詮その程度のものなのだ。
でも、また明日(20日)の日中も、抗議行動は続くというので、注意はしたい。
石油価格高騰に対する抗議デモが、あちこちで繰り広げられていたらしいのだ。(20日も抗議行動は引き続き行われるようなので注意)
リッターあたり67ルピー(約110円)だったガソリンが、84ルピー(約130円)に値上がりすることに伴う抗議デモ。値上がり後も日本のガソリン価格よりは多少安いが、平均月収が日本の20~40分の1であるネパール。ガソリンがこの価格になるのは、現地人にとっては非常に痛い。
そこで、路上でタイヤを燃やし交通を妨げる、通行している車両に投石し、ボコボコにする、という大人気ない行為をみんなでして、価格高騰に抗議するわけ。
そんなことをしても、世界的に高騰している石油価格を下げることはできない。でも、こちらの人は 抗議行動という名ばかりの憂さ晴らし を、機会を見つけては繰り広げ、お祭り同様に楽しむ。
本日私は、自宅から割と遠い出先にいて、市内が大変なことになっている、という情報を日中耳にした。話によると、各地の路上でタイヤが燃やされていて、通行している車両は抗議隊によって止められているという。市内移動は徒歩でならできるが、車両ではかなり危険そうだ、という。
私は普段スクーターで移動している。最悪、この抗議行動が長引けば、スクーターは出先において、徒歩で家に帰らなければいけないかもしれない、と覚悟した。
でも、熱しやすく冷めやすいネパール人のこと。抗議行動がそんなに長時間続くはずもない。夕方近くなって雨が降り始めれば (雨期終盤に差し掛かり、午後にスコールが降る日が続いている)、もうボク、タイヤ燃やすのも飽きたし、雨も降ってきたから、家に帰ろーっと、というノリで、本日の抗議行動はすぐに終結になるだろう、と読んでいた。
実際、この国の抗議行動は、雨が降り始めたとたんに、笑えるほどあっけなく終了する。それはそれで嬉しいことなのだが、その程度の意思だったの?と半ばあきれてしまうことも多い。
たとえば、一昨年前、政党による抗議行動が1ヶ月以上連日起こっていたとき。雨が降り始める季節に入ったとたん、抗議行動の時間帯を雨が降らない時間帯に変える、という、手段をとっていたことがあった。(他の理由があったのかもしれないが、日差しが強かったり、雨が降ったりするたびに、それを避けるかのごとく抗議の時間帯がずれていた)
また、連日外出禁止令が続いていた今年4月にも、似たようなことがあった。外出禁止令発令区域にもかかわらず、国王に抗議する大群衆が何万人単位で終結し、王宮を目指したことがあった。あと1時間もしないうちに、王宮は大群衆に取り囲まれ、大変なことになるのではないか、と、誰もが心配したそのとき、突然大雨が降り始めた。
すると、シュプレヒコールを飛ばし、白熱しまくっていた大群衆は、それまでの熱をすっかり雨に冷まされたかのごとく、みんなさっさと家路につきはじめたのだ。つまり、抗議行動に参加していた大群衆のほとんどは、抗議の意味もわからずお祭り気分で抗議デモに参加してみた、という、安易な目的でしかなかったということなのだろう。
余談で長くなったが、今回のデモも、夕方雨が降り始めれば、とりあえず解散になるに違いない。徒歩での帰宅を覚悟した私も、すぐに、考えをあらためた。雨が降れば、余裕で車両移動できるだろう。
そして、15時過ぎ、予測どおり小雨が降り始めた。ここぞとばかりにスクーターを出し家路についた。つい1時間ほど前まではタイヤが燃やされて大変なことになっていたという通り道には、案の定、抗議している人の姿も見えず、普通の街に戻っていた。タイヤが燃やされた痕跡は、あちこちで見かけたのだが。
抗議行動とかこつけて、日頃の憂さを晴らせればそれで大半の人の目的は果たせる。抗議熱など雨と共に一瞬にして消えてしまう、所詮その程度のものなのだ。
でも、また明日(20日)の日中も、抗議行動は続くというので、注意はしたい。
2006年8月16日水曜日
カトマンズダルバール広場のクリシュナ寺院
旅行者エリアのタメル地区から南下し、アサンやインドラチョークを過ぎ、旧王宮広場内に入ると、向かって左手側に怖い顔をした、でも、どこかかわいい、カラフルなカラ・バイラブ像が見えてくる。
クリシュナ寺院はこの少し先の右手側に位置する八角形の珍しい建物。
本日は、赤いサリーを着た女性の参拝客でにぎわっていた。
2006年8月13日日曜日
ダラハラ(ビムセンタワー)の話
カトマンズ市、中央郵便局のすぐ横に、ダラハラ(Dharhara)と呼ばれる高さ約52mの白い塔が建っている。
1832年に当時のビムセン・タパ首相によって建てられたため、ビムセンタワーとも呼ばれている。現在の塔は、1934年のカトマンズ地震で被害を受けたあとに再建されたものであるらしい。
以前、塔の内部には特定日しか入れなかったのだが、2~3年前からは、一般公開され、内部に入れるようになった。要入場料。
つい先日、この塔から飛び降り自殺をはかった人(現地人)がいたそうだ。
飛び降りるには少々低すぎる気がする。しかし、ネパールには、首都カトマンズとは言えども、高い建物は無い。あってせいぜい5~6階程度。たかが50m程度の塔ではあるが、周りの建築物よりかははるかに高い。だから、この塔を選んだのだろうか。
2006年8月6日日曜日
臨月の食べ物(ヨーグルトと乾し米)
ガイドの妻が臨月を迎えた。もう、いつ生まれてもおかしくない状態に入ったらしい。
こちらの習慣で、臨月を迎えた女性にダヒ(Dahi:ヨーグルト)とチウラ(Chiura:乾し米)を食べさせる、というものがある(民族や住む場所によっても習慣は異なる)。以前から、赤ちゃんが生まれる前に一度お邪魔する話があったのだが、延び延びになっていて、大変なこんな時期に強引に押しかけることになってしまった。重いおなかを抱えながら、夕飯までご馳走してくれた。
ちなみに、持参したヨーグルトと乾し米を食べてもらった後にわかったのだが、ガイド夫妻の習慣としては、臨月時にこれらのものを食べる習慣は特にないとのこと。タダの迷惑な客だったかしら、私。
ヒンドゥ教マガル族+グルン族のカップルなのだが、同じ民族でも、この習慣がある人たちもいるが、彼らのように特に意識しない人たちもいる。一筋縄ではいかないネパールなのだ。
よく登場する食べ物、ダヒとチウラ。アサール月15日(毎年6月末頃)には、田植えの息抜きとしてこの2つをたべる習慣もある。
体力を使う大事な仕事(田植え)の合間に、または仕事(出産)を間近に控え、精力をつけるために食べるもの、といったところだろうか。
-------------------------
ちなみに、市販の『ダヒ』はバクタプル産がおいしいことで有名。500mlが20ルピー(約35円)。最近少し値上がりしたのだが、それでもこの値段。味は、日本のものよりかなり濃厚。
私は、納豆を育てる要領で、ヨーグルトも育てている。日本の実家にかなり旧タイプのヨーグルトメーカーがあり、それを使って作っている母を見ていて、殺菌や温度調整など面倒だな、と思っていた記憶があるのだが、ずぼらな私流の作り方は非常に簡単。
一度沸かした牛乳が人肌に冷めたら(温度は適当)、熱湯殺菌した容器に移して、その中に種ヨーグルトをスプーン一杯放り込んで混ぜ、そのままおいておくだけ。数時間後ドロドロになったら、冷蔵庫に移す、という、ただそれだけの作業。
『チウラ』は、稲ごと軽く炊いて(蒸して)、その上からつぶして乾かすとできる保存食。日本米に似た米(タイチン米と呼ばれている)を使って作ることが多い。作る工程が同じかどうかは知らないが、これは、日本にもあるようだ。以前、大分出身の知人が『乾し米』を食べさせてくれたことがあるのだが、まさにこれはチウラと同じものだった。
こちらの習慣で、臨月を迎えた女性にダヒ(Dahi:ヨーグルト)とチウラ(Chiura:乾し米)を食べさせる、というものがある(民族や住む場所によっても習慣は異なる)。以前から、赤ちゃんが生まれる前に一度お邪魔する話があったのだが、延び延びになっていて、大変なこんな時期に強引に押しかけることになってしまった。重いおなかを抱えながら、夕飯までご馳走してくれた。
ちなみに、持参したヨーグルトと乾し米を食べてもらった後にわかったのだが、ガイド夫妻の習慣としては、臨月時にこれらのものを食べる習慣は特にないとのこと。タダの迷惑な客だったかしら、私。
ヒンドゥ教マガル族+グルン族のカップルなのだが、同じ民族でも、この習慣がある人たちもいるが、彼らのように特に意識しない人たちもいる。一筋縄ではいかないネパールなのだ。
よく登場する食べ物、ダヒとチウラ。アサール月15日(毎年6月末頃)には、田植えの息抜きとしてこの2つをたべる習慣もある。
体力を使う大事な仕事(田植え)の合間に、または仕事(出産)を間近に控え、精力をつけるために食べるもの、といったところだろうか。
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ちなみに、市販の『ダヒ』はバクタプル産がおいしいことで有名。500mlが20ルピー(約35円)。最近少し値上がりしたのだが、それでもこの値段。味は、日本のものよりかなり濃厚。
私は、納豆を育てる要領で、ヨーグルトも育てている。日本の実家にかなり旧タイプのヨーグルトメーカーがあり、それを使って作っている母を見ていて、殺菌や温度調整など面倒だな、と思っていた記憶があるのだが、ずぼらな私流の作り方は非常に簡単。
一度沸かした牛乳が人肌に冷めたら(温度は適当)、熱湯殺菌した容器に移して、その中に種ヨーグルトをスプーン一杯放り込んで混ぜ、そのままおいておくだけ。数時間後ドロドロになったら、冷蔵庫に移す、という、ただそれだけの作業。
『チウラ』は、稲ごと軽く炊いて(蒸して)、その上からつぶして乾かすとできる保存食。日本米に似た米(タイチン米と呼ばれている)を使って作ることが多い。作る工程が同じかどうかは知らないが、これは、日本にもあるようだ。以前、大分出身の知人が『乾し米』を食べさせてくれたことがあるのだが、まさにこれはチウラと同じものだった。
2006年8月3日木曜日
秋を感じる
前回まで3回に渡って、祭日程を掲載した。8月からは祭が増え始める季節で、先日からは、凧も空を舞い始めている。
毎年、ヒンドゥ教最大の祭、秋のダサイン祭には、たくさんの凧が空を舞う。正月に、日本人が凧あげをして遊ぶのと似ているかもしれない。季節限定の遊び。
でも、まだ8月。凧あげにはまだちょっと気が早いんじゃない?などと思っていたのだが、空を見上げると、もう秋空が広がっていることに驚く。明け方の風も涼しさを通り越して時に肌寒さも感じるほど。もう秋は始まりつつあるのかもしれない。先日7月30日(ナグパンチャミ:蛇の神様にプジャをする日)が立秋にあたる日でもあった。暦の上ではもう秋なのだ。
===
カトマンズに住み始めた当初、私は、ここで流れる季節の移り変わりが、よくわからなかった。
ダサイン前のある日、知人(ネパール人)が空を見上げ「もうすぐダサインだねえ」と何気なく言った言葉に、へえ、と感じた思い出がある。日中は蒸し暑く、雨季も明けておらず、まだ夏だと思っていた私だったのだが、知人に言わせると、空の色がもう夏のそれではない、というのだ。
何年も過ごしてきた日本での季節の移り変わりは、空などからもわかる。でも、ネパールで季節を越したことがなかった私には、違いを実感できなかった。
その後、こちらでいくつかの年を過ごしてきて、今では空を見上げて季節の流れを感じられるようになった。祭前の浮かれ具合や、街の賑わいなどからも、季節を体感できるようになった。
少し色が薄めになった青空と、そこに舞う凧、入道雲が途切れて広がるひつじ雲。まだまだ日中は暑いカトマンズだが、秋はもうそこまで近づいているようだ。
毎年、ヒンドゥ教最大の祭、秋のダサイン祭には、たくさんの凧が空を舞う。正月に、日本人が凧あげをして遊ぶのと似ているかもしれない。季節限定の遊び。
でも、まだ8月。凧あげにはまだちょっと気が早いんじゃない?などと思っていたのだが、空を見上げると、もう秋空が広がっていることに驚く。明け方の風も涼しさを通り越して時に肌寒さも感じるほど。もう秋は始まりつつあるのかもしれない。先日7月30日(ナグパンチャミ:蛇の神様にプジャをする日)が立秋にあたる日でもあった。暦の上ではもう秋なのだ。
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カトマンズに住み始めた当初、私は、ここで流れる季節の移り変わりが、よくわからなかった。
ダサイン前のある日、知人(ネパール人)が空を見上げ「もうすぐダサインだねえ」と何気なく言った言葉に、へえ、と感じた思い出がある。日中は蒸し暑く、雨季も明けておらず、まだ夏だと思っていた私だったのだが、知人に言わせると、空の色がもう夏のそれではない、というのだ。
何年も過ごしてきた日本での季節の移り変わりは、空などからもわかる。でも、ネパールで季節を越したことがなかった私には、違いを実感できなかった。
その後、こちらでいくつかの年を過ごしてきて、今では空を見上げて季節の流れを感じられるようになった。祭前の浮かれ具合や、街の賑わいなどからも、季節を体感できるようになった。
少し色が薄めになった青空と、そこに舞う凧、入道雲が途切れて広がるひつじ雲。まだまだ日中は暑いカトマンズだが、秋はもうそこまで近づいているようだ。
2006年7月28日金曜日
裂けた袋の原始的再生法
厚手のビニール袋が必要になり取り出したら、底が半分裂けていて、使い物にならない状態となっていた。
丈夫な袋だったのにもったいない。仕方がないので捨てようとすると、待った!の声がかかった。裂けている底をふさいで、再生するというのだ。
どうやって?と思っていると、ろうそく準備して、との声がかかる。
ビニール袋の封(密封)をするとき、日本であればシーラーと呼ばれる機械を使うのが一般的だと思うが、こちらでは、業務用で大量に封をする必要がない場合などは、ろうそくの火を使ってビニールをあたため、熱でくっつけることがよくある。
底が裂けたビニール袋も、この方法で再生しようというわけだ。
原始的なこんな再生方法に、拍手!
裂けた袋の原始的再生法
厚手のビニール袋が必要になり取り出したら、底が半分裂けていて、使い物にならない状態となっていた。
丈夫な袋だったのにもったいない。仕方がないので捨てようとすると、待った!の声がかかった。裂けている底をふさいで、再生するというのだ。
どうやって?と思っていると、ろうそく準備して、との声がかかる。
ビニール袋の封(密封)をするとき、日本であればシーラーと呼ばれる機械を使うのが一般的だと思うが、こちらでは、業務用で大量に封をする必要がない場合などは、ろうそくの火を使ってビニールをあたため、熱でくっつけることがよくある。
底が裂けたビニール袋も、この方法で再生しようというわけだ。
原始的なこんな再生方法に、拍手!
2006年7月27日木曜日
野良猫サポートホーム?
うちの飼い猫、日中遠出をしているのか、顔を見ない日がよくある。
でも、夜間、餌を食べに家に戻ってきてはいるようだ。毎晩一応餌の準備だけはして置いておくと、翌朝、必ず減っている。
(屋外と屋内を自由に行き来できるように、一箇所常に窓を開けた状態にしている。鉄格子が入っているので、人は出入り不可能だが、猫なら自由に行き来できる)
3日ぐらい会っていなかったある晩遅く、餌をおいてある部屋から、食べ音が聞こえてきた。戻ってきたのか、と思って愛猫の名を呼び近づくと、見知らぬ真っ白の猫がいて、私と目が合って一目散に屋外に逃げていった。
あっけにとられてしまったのだが、正気に戻って考えると、なんとずうずうしい猫! 勝手に室内に入ってきて餌を食べ、逃げ去るなんて。
野良猫の間で「あの家に行けば、ウマイ飯が食えるぞ」などという噂が広がっているのかもしれない。その名も、ネパール名『Biralo Sewa Ghar』(猫サポートホーム)などとついていたりして。
毎晩減っていた餌は、実は白猫や他の野良猫がこっそり食べに来ていたからなのかもしれない。それはそれでかまわないのだが、目が合ったら愛嬌のひとつやふたつ、ふりまいてほしいところだ。
写真は、隣の家の敷地内で、他人の洗濯物の上に寝そべりくつろぐうちの猫。餌の食べ逃げをする野良猫も野良猫だが、他人の洗濯物の上でくつろぐうちの猫も、似たようなものかな。
2006年7月20日木曜日
チャンパデビ(チャンドラギリ方面)散策

ネパール旅行オフシーズンの現在。
あと2ヶ月ほどして、トレッキングのシーズンが始まると、ガイドたちは入れ違いで山に出てしまうため、なかなかカトマンズに集結することができない状態になるのだが、今の時期はみんな時間をもてあましている。
この時間を有効に使えないかと、経験の浅いガイドの訓練もかねて、トレッキングコースや市内観光場所などを、経験のあるガイドと共にまわってみる、という機会を作ってみることにした。
その一環が、先日のランタン方面トレッキングだったのだが、ヒマな時期とは言え、ガイドたちみんながあわせて長期で出かけるのは難しい。ということで、先日から近場のお出かけ訓練?をしている。
前置きが長くなったのだが、今日のお出かけ訓練は『チャンパデビ(Champadevi)』への日帰りハイキング。カトマンズの南西約15kmほど(古都キルティプルとカーリー女神をまつるダクシンカリ寺院の中間あたり)の場所にある、標高約2200mほどの小さな丘。女神をまつった寺院の跡が残る、静かな場所だ。

ハイキング開始地点は、カトマンズからバイクで約30分ほどの、ダクシンカリ寺院手前にある、ハッティバンリゾート(Hattiban Resort)。ここにバイクを止めて、松林の中を歩き始める。
すぐにカトマンズ盆地を見下ろせる眺めのよい場所に出る。もくもく浮かぶ白い雲、青い空、赤茶色のカトマンズ盆地、緑の森のコントラストがきれい。乾期であれば、北方面ヒマラヤ山脈が見えるはずのだが、雨期中なので雲に隠れてしまっている。
歩き始めて約45分。眼下に見える盆地がきれいで、本ルートをそれてみる。出発地点からずっとまっすぐ歩いていくと到着する小さな丘へ、ちょっと寄り道。その後、チャンパデビ寺院跡が残る丘を目指す。途中から雲行きが怪しくなり、霧雨が降り始めてきた。
目的地到着前の最後の上りをがんばって、チャンパデビ到着。地元の人の足だと1時間半ほどで到着できる距離なのだが、今回、だいぶのんびり歩いて、ここまで2時間の行程。
寺院跡には、シバリンガ(シバ信仰の象徴である像)やナンディ(シバの乗り物、雄牛の像)チャンパ女神としてあがめられている石などが残っている。でも、規模は非常に小さい。あまり知られていない場所ではあるが、毎年ビクラム暦の新年には、たくさんの人がお参りにやってくるそうだ。
お参りをし、下山間際になって、雨が本格的に降り始めてきた。寺院跡付近には、プジャができる屋根付の小さな場所が設けられているので、そこで雨宿りをしようかと言うことになったのだが、地面が雨にぬれると滑りやすくなり、ますます下山が大変になる、ということで、ぬれながらでも引き返すことに。
上ってくる時にも滑りやすかった道。雨でますます滑るようになっていて、私は5回も滑ってしまう。
蛭も出てきて、スニーカーの上から喰われっぱなし。足元だけではなく、お腹や背中まで喰われまくっているスタッフが自分の体から蛭を必死に引き離すのを見てみんなで笑っていたら、なんと私の耳の裏にも一匹吸い付いていた。なんてヤツ!
歩いている間は気づかなかったのだが、下山後スニーカーを脱いだら、あちこち血だらけになっていた。まあ、雨期中のトレッキングの証ということで、誇らしく思うことにしよう。
寺院跡から約1時間かけて出発地点のハッティバンリゾートに戻ってきたときには、雨もすっかり上がっていた。カトマンズに戻る帰り道、後ろを振り返り、今上ってきた丘を見上げてみると、てっぺんは少し雲で隠れてしまっていたが。
ハイキング時間約3.5時間(休憩含)、往復移動約1.5時間の小旅行、これにて終了。
・・・
※10年後の2016年追記!
2016年8月に チャンドラギリ行のケーブルカーができ、新しい観光地が増えました!
2006年7月16日日曜日
犬も断食をするの?
明日17日から、ビクラム暦の4月・サウン月が始まる。
この月は、ヒンドゥ教徒にとって神聖なる月。昨年の記事 にも書いたのだが、シバ神へのプジャを特に熱心にする月。
生き物を殺すことも避けられる月で、ダクシンカリ寺院 (カトマンズから約30kmほど南に位置するカーリー女神をまつる寺院。生贄を間近に見られるとして旅行者にも知られている) を訪れカーリー女神に生贄を捧げる地元民も、減るという。
この1ヶ月は爪や髪の毛を切らない人も多い。
シバ神に祈りをささげる日とされている月曜日には特に、信仰を強める。シバ神がまつられる寺院(有名どころではパシュパティナート寺院)へ早朝からお参りに行き、日中断食をする人も多い。
前置きが長くなったが、今日の本題は、この断食にまつわる話。
なんと、ネパールには、菜食日や断食日を守る犬がいるというのだ。たとえば、サウン月の月曜日、断食をする日には犬も餌を食べなかったり、エカダシの日には肉を食べなかったりするらしい。ホント??思ってしまうが、結構人々はまじめな顔で力説してくれる。
でも、「本当にそういう犬を見たことがあるの?」と聞くと、「友達の友達が飼っている犬がそうらしい」、などと、眉唾もののハナシなってくることがほとんどなので、実際のところはどうなのか不明だ。
この月は、ヒンドゥ教徒にとって神聖なる月。昨年の記事 にも書いたのだが、シバ神へのプジャを特に熱心にする月。
生き物を殺すことも避けられる月で、ダクシンカリ寺院 (カトマンズから約30kmほど南に位置するカーリー女神をまつる寺院。生贄を間近に見られるとして旅行者にも知られている) を訪れカーリー女神に生贄を捧げる地元民も、減るという。
この1ヶ月は爪や髪の毛を切らない人も多い。
シバ神に祈りをささげる日とされている月曜日には特に、信仰を強める。シバ神がまつられる寺院(有名どころではパシュパティナート寺院)へ早朝からお参りに行き、日中断食をする人も多い。
前置きが長くなったが、今日の本題は、この断食にまつわる話。
なんと、ネパールには、菜食日や断食日を守る犬がいるというのだ。たとえば、サウン月の月曜日、断食をする日には犬も餌を食べなかったり、エカダシの日には肉を食べなかったりするらしい。ホント??思ってしまうが、結構人々はまじめな顔で力説してくれる。
でも、「本当にそういう犬を見たことがあるの?」と聞くと、「友達の友達が飼っている犬がそうらしい」、などと、眉唾もののハナシなってくることがほとんどなので、実際のところはどうなのか不明だ。
2006年7月14日金曜日
髪
1年以上ぶりに髪を切った。20cmほど短くしたのだけれど、いつも結わえてばかりなので、見た目は何も変わっていない。
伸ばしっぱなしの私の髪。もう、10年ぐらい、背中~腰にかけてまでの長い髪型が続いている。子供の頃はずっとおかっぱ、その後ショートだったこともあったのだが、頻繁に美容院に行かなければ行けないことと、寝ぐせ処理が大変なことなど、無精者の私には面倒なことが多すぎて、伸ばすことにしたのがきっかけ。
ちょうどその頃、アジアを時々訪れていて、そこで、人工的ではないヘアスタイル(長い黒髪)を目にし、新鮮さを感じてしまったのも、伸ばし始めたきっかけと言えるかもしれない。
たとえば、髪留めなどを使わずに、器用に結い上げるネパールの女性や、長めのコームに髪をぐるぐる巻きつけてとめるミャンマーの女性。無造作にもかかわらず、凛としていてあこがれてしまった。
日本でインド舞踊を習っていたのだが、長い地毛は、通常は付け毛を使う発表会時のヘアアレンジ(後ろで長いみつあみを作る)にも役立った(笑)。
===
ちなみに、まっすぐそろえるだけのカット。近所の美容院で50ルピー(約80円)で仕上げてくれる。本日は、見習いの若い子がいて、練習してよいかというので、どーぞどーぞと快くざっくり切らせてあげた。
伸ばしっぱなしの私の髪。もう、10年ぐらい、背中~腰にかけてまでの長い髪型が続いている。子供の頃はずっとおかっぱ、その後ショートだったこともあったのだが、頻繁に美容院に行かなければ行けないことと、寝ぐせ処理が大変なことなど、無精者の私には面倒なことが多すぎて、伸ばすことにしたのがきっかけ。
ちょうどその頃、アジアを時々訪れていて、そこで、人工的ではないヘアスタイル(長い黒髪)を目にし、新鮮さを感じてしまったのも、伸ばし始めたきっかけと言えるかもしれない。
たとえば、髪留めなどを使わずに、器用に結い上げるネパールの女性や、長めのコームに髪をぐるぐる巻きつけてとめるミャンマーの女性。無造作にもかかわらず、凛としていてあこがれてしまった。
日本でインド舞踊を習っていたのだが、長い地毛は、通常は付け毛を使う発表会時のヘアアレンジ(後ろで長いみつあみを作る)にも役立った(笑)。
===
ちなみに、まっすぐそろえるだけのカット。近所の美容院で50ルピー(約80円)で仕上げてくれる。本日は、見習いの若い子がいて、練習してよいかというので、どーぞどーぞと快くざっくり切らせてあげた。
2006年7月6日木曜日
古着寄付6(とりあえず最終回)
~つづき~
ということで、去る6月16日(金)の第3回の寄付は、低額で値付けをして、購入してもらう形で行うことにしてみた。
ネパール人スタッフたちは、タダで頂いた衣類を販売してまで稼ごうとしている旅行会社と思われたら困る、と、値付けすることに拒否反応を示していたのだが、稼ぐのが目的ではなく、郵便局で支払う手数料を捻出するためと思ってもらい、何とか納得してもらった。
一部の衣類は、ガイドたちが帰省する際に土産兼寄付とするため、購入してもらったのだが、まだだいぶ残っている。今回は、山奥の村にもって行くことにこだわらず、都市部にある施設に寄付する方向で話が進んでいる。ネパール人身障者(下半身不随の女性)の知人から、彼女たちが活動しているグループで、衣類を低額で買い取り、更にそれを自分たちのグループ内で販売し、得た利益を活動資金や、他の身障者グループの寄付にあてたい、という申し出があったので、検討中というわけだ。
また、私たちのガイドがトレッキングに行く際に、現地で雇うポーターたちに、チップにそえて渡してもいいか、という案も出ている。
誰の元に、どのような経路で届いてもかまわないので、衣類を最後まで大事に使ってくれれば、それが私たちの望むところなのだが、そのほかにも、一方的に与える形にならないように、試行錯誤していきたい。
こんな中途半端な私たちの活動にも共感してくださり、過去衣類を寄付してくださった皆様、これから送付してくださる予定の皆様、本当にありがとうございます。
~終わり~
ということで、去る6月16日(金)の第3回の寄付は、低額で値付けをして、購入してもらう形で行うことにしてみた。
ネパール人スタッフたちは、タダで頂いた衣類を販売してまで稼ごうとしている旅行会社と思われたら困る、と、値付けすることに拒否反応を示していたのだが、稼ぐのが目的ではなく、郵便局で支払う手数料を捻出するためと思ってもらい、何とか納得してもらった。
一部の衣類は、ガイドたちが帰省する際に土産兼寄付とするため、購入してもらったのだが、まだだいぶ残っている。今回は、山奥の村にもって行くことにこだわらず、都市部にある施設に寄付する方向で話が進んでいる。ネパール人身障者(下半身不随の女性)の知人から、彼女たちが活動しているグループで、衣類を低額で買い取り、更にそれを自分たちのグループ内で販売し、得た利益を活動資金や、他の身障者グループの寄付にあてたい、という申し出があったので、検討中というわけだ。
また、私たちのガイドがトレッキングに行く際に、現地で雇うポーターたちに、チップにそえて渡してもいいか、という案も出ている。
誰の元に、どのような経路で届いてもかまわないので、衣類を最後まで大事に使ってくれれば、それが私たちの望むところなのだが、そのほかにも、一方的に与える形にならないように、試行錯誤していきたい。
こんな中途半端な私たちの活動にも共感してくださり、過去衣類を寄付してくださった皆様、これから送付してくださる予定の皆様、本当にありがとうございます。
~終わり~
2006年7月5日水曜日
古着寄付5(物乞いに温かい飯)
~つづき~
一方的な支援をすることによって生じる受身体勢。
実は、実際に身近なところで、『服はただでもらうのが当たり前』という状況に遭遇してしまった。
村から出てきたばかりのスタッフなどを雇うことがあり、着の身着のままで出てきた彼らに、寄付していただいた服の中から、1回だけ、という限定で、何着かを作業着として与えたことがあった。
作業着とは言えども、突然、仕立てのよい服をもらえてしまった彼らは、しばらく経つと、いとも簡単に次の品を、しかも色やデザインまで指定して要求し始めたのだ。(苦笑)。
更に、彼らが仕事をやめるときに、彼らが残していった荷物の中から、私たちが与えた衣類が無造作に残されていて、ショックを受けたこともあった。タダでもらえたものだから、捨てるのも簡単だったのかもしれない。
ネパール語に、「マグネライ タトバート(magne lai tato bhaat)」ということわざがある。直訳すると「物乞いに温かい飯」。「物乞いなら、冷たいご飯をもらえるだけでありがたいと思わなければいけないのに、温かいご飯を要求するという身の程知らず」、というような解釈となる。
まさに、この諺を思い出してしまった。
もともと、こちらの人たちは、誰かに何かをしてもらって当たり前、与えてもらって当たり前、という概念を持っている人が多い。恩はあまり感じない。また、ダメもとで、何でもお願いしてみる傾向もある。
だから、デザインまで指定してみて、要望を聞いてもらえればしめたもの、程度の安易な考えだったのだろうが、それにしても、日本人の私からすると、非常にがっかりすることでもあった。
やはり、状況がどうであれ、タダで物をあげることは、受身の体勢を生み出し、物のありがたみを意識しなくなり、良くない方向に行ってしまうのかもしれない。多くのボランティア団体が、支援をする際気をつけるのがこれらのことだが、それを身をもって体験してしまったのだった。
~つづく~
一方的な支援をすることによって生じる受身体勢。
実は、実際に身近なところで、『服はただでもらうのが当たり前』という状況に遭遇してしまった。
村から出てきたばかりのスタッフなどを雇うことがあり、着の身着のままで出てきた彼らに、寄付していただいた服の中から、1回だけ、という限定で、何着かを作業着として与えたことがあった。
作業着とは言えども、突然、仕立てのよい服をもらえてしまった彼らは、しばらく経つと、いとも簡単に次の品を、しかも色やデザインまで指定して要求し始めたのだ。(苦笑)。
更に、彼らが仕事をやめるときに、彼らが残していった荷物の中から、私たちが与えた衣類が無造作に残されていて、ショックを受けたこともあった。タダでもらえたものだから、捨てるのも簡単だったのかもしれない。
ネパール語に、「マグネライ タトバート(magne lai tato bhaat)」ということわざがある。直訳すると「物乞いに温かい飯」。「物乞いなら、冷たいご飯をもらえるだけでありがたいと思わなければいけないのに、温かいご飯を要求するという身の程知らず」、というような解釈となる。
まさに、この諺を思い出してしまった。
もともと、こちらの人たちは、誰かに何かをしてもらって当たり前、与えてもらって当たり前、という概念を持っている人が多い。恩はあまり感じない。また、ダメもとで、何でもお願いしてみる傾向もある。
だから、デザインまで指定してみて、要望を聞いてもらえればしめたもの、程度の安易な考えだったのだろうが、それにしても、日本人の私からすると、非常にがっかりすることでもあった。
やはり、状況がどうであれ、タダで物をあげることは、受身の体勢を生み出し、物のありがたみを意識しなくなり、良くない方向に行ってしまうのかもしれない。多くのボランティア団体が、支援をする際気をつけるのがこれらのことだが、それを身をもって体験してしまったのだった。
~つづく~
太陽熱利用
熱心に説明してくれたので、思わず聞き入ってしまったのだが、太陽熱で調理まで出来てしまうというからすごい。
太陽熱といえば、ネパールでよく見かけるのが屋上のこれ。

ネパールでは、首都カトマンズとは言えども、お湯が出ない家は多い。一般家庭ではどんなに寒い日でも水シャワーが基本。水道が引かれていない家も多いから、水であっても出るだけまし。
小金もちの家や、外国人も割合快適に住めるような造りの家では、たいていお湯がでる場合が多い。が、電気代のかさむ湯沸し器利用ではなく、屋上に設置された太陽熱パネルを利用して、その効果で出てくるお湯であることも多い。ちなみに、今住んでいる私の家もそう。
太陽熱の利用、今の時期はもちろん、寒い冬でも、晴れている日には火傷しそうなほど熱いお湯が出てくる。太陽のありがたみを、実感してしまう。(そのかわり、真冬の雨の日には、太陽熱効果が期待できないこともあるのだが)
電気が引かれていない村などでは、太陽熱発電の電気を使用しているところも、最近は多いらしい。そういえば、先日行ったトレッキング中のロッジでも、電気は引かれていなかったが、太陽熱を充電することで利用できる電気はあった。
太陽熱効果は素晴らしい!
2006年7月4日火曜日
古着寄付4(帰省者の手に託す)

前回掲載の写真のように、スクーターで強引に荷物をオフィスまで運んだ後は、とりあえず倉庫と化している空き部屋に保管することになる。
その後、寄付作業へと移るわけなのだが、実は、たくさん衣類がたまったのはいいが、一体どのような方法で寄付をしていくのがよい方法なのか、ずっと悩み続けてきた。
大きな団体に全てを託し、有効活用してもらってもよかったのだが、大規模な組織への関与は、私のニガテとするところ。できるだけ、自分たちで、道を探してみたかった。
いろいろ考えた末、カトマンズから離れた場所にある村出身のガイドたちが帰省する際に、衣類を持ち帰ってもらい、村の学校なり、施設なりに寄付してもらう方法をとることにした。
しかし、一方的に衣類を届ける方法が、よい方法であるわけがない。
きっと、しっかりした組織でボランティア活動をしている人から見ると、『この手の中途半端な支援が、受身体勢を作りネパール人をダメにする』とか、『タダで配布するともののありがたみを忘れ、古くなったらまた誰かからタダでもらえばいい、というような価値観を生み出し、良くない』とか、いろいろつつきたくなる点も多いと思う。
でも、そいういう、結論の出ない議論を重ねて何もしないよりも、冬場、着る物があまりない人のもとに、寄付していただいたセーターが行き届いて、喜んで使ってもらえるほうがいいし、捨てられる運命だった衣類が生かされるほうがいい。
明確な方針は打ち出せないままだったが、とりあえず、帰省するガイドたちの手に託すことにしてみた。
どの衣類が誰の手に渡って、どのように利用されているのかを追えないのは残念だが、それこそ服一着以上購入できるぐらいの費用を使って視察に行って、証拠写真をとってその現像にまた費用をかけ・・・、というように、本来の目的以外のところに費用をかけて、報告を充実させるよりも、もともと村に帰省する予定だった者の手に託す方法は、誰に迷惑を欠けるわけでもなく、無理が生じるわけでもなく、悪いことではないはずだ、と判断したのだ。
ということで、第1回、2回の寄付は、主にこのような形で行ってきた。衣類を村に運んでくれた者の話によると、とても喜んで利用してくれている、とのことなので、その点においてはほっと安心した。
初めから完璧な活動をしようとは思っていないので、この方法がもしいけない方法だったとしても、衣類が無駄にならなかった点で、よしとすることにした。
あとは、受け取り側の受身体勢をどうするか?ということが一番の問題として残った。
~つづく~
あとは、受け取り側の受身体勢をどうするか?ということが一番の問題として残った。
~つづく~
2006年7月3日月曜日
古着寄付3(荷物の日本発~ネパール受取)
~つづき~
古着の寄付は、通常、日本から普通船便を使って送っていただく。船便の場合、5kg程度で約3000円、10kg程度で約5000円の送料がかかる。船便とはいっても、ネパールには海がない。日本を出発した荷物は、インドのコルカタを経由して、そこから陸路ではるばるカトマンズ入りするようだ。
日本発後、目安としては2ヶ月ほどでカトマンズまで届くのだが、インドやネパールの情勢が不安定だったり、陸路が封鎖されていたりすると、カトマンズ到着までの日数は延びる。最高5ヶ月かかって到着した例もある。が、しかし、とりあえず今のところ、途中で紛失することなく、無事に到着している。
ネパールには基本的に郵便配達システムがない。ハガキ1枚から、郵便局の私書箱までとりに行くのが一般的。小包も郵便局まで自ら赴き受け取ることになるのだが、すんなり受け取れるかというとそうではない。
ネパール語表記のたくさんの書類に受取人の名前や住所を書き込み、手数料を支払う。その後、郵便局内倉庫に保管されている荷物を持ってきてもらう。局員が忙しそうなときには、写真のように自ら倉庫内に入り、自分たちあての荷物を探すこともある。(紺色の服は私たちのスタッフ。あとは郵便局員)
次に、局員の前で荷物を全て開き、中身のチェックを受けなければいけない。内容物に関税がかけられるのだ。この関税は、たとえば私が自分宛に私物を送った場合でも、かかってしまう。
よく、旅行中知り合ったネパール人に、帰国後、洋服や電化製品を送ってあげる人がいる。厚意によるものなのだろうが、ネパール人にとっては郵便局での荷物受け取り時に、月収に近い額を関税として支払わなくてはいけなくなり、痛い出費となることも多い。関税分で、送ってもらった品物と同じようなものをネパールで買えることなどもある。
中身のチェック時には、局内のだだっ広くトイレ臭い部屋に用意された長テーブルの上で、局員に荷物をひっくり返される。衣類が丁寧に詰められていても、全く意味ナシ。中身をぶちまけられ、チェックされるからだ。物色されているような光景で、いつ体験しても、イヤな気分になる。
その後、局員に衣類の枚数をカウントされ、それに応じた関税がかけられる。たいてい一箱300ルピー(500円)ぐらいから。局員の機嫌によって、関税額がだいぶ変わるのはネパールらしい。
実は、ネパールでは、古着の輸入が禁止されているらしい。このため、古着を送ってくださる方の中で、「ネパールに古着を送っても、本当に大丈夫でしょうか?」と心配される方もいる。過去、一度も郵便局にてとがめられたことがなく、私たちも全く知らなかったのだが、もし違法であるならば、続けるのは良くない、と判断し、郵便局のお偉いさんに尋ねてみたことがある。すると、返ってきた答えは、全く問題ない、とのこと。というか、そういうルールを、お偉いさんも知らなかった。(個人単位で月に数箱受け取る程度であるなら、問題ないのかもしれない)
荷物を受け取り、オフィスの倉庫に運ぶ際に利用するのは、スクーター。ダンボール2個ぐらいまでなら、写真のように足元に乗せて強引に運べるのだ。さすがにそれ以上になると無理があるのでタクシーを利用するのだが、たいていスクーターで事済んでいる。
そういえば、スクーターの足元にダンボール2個を乗せ、2人乗りをし、後部座席に座った者が、ダンボール一個を抱え、ものすごい状態で運んだことも、過去にあった(笑)。私たち、ボランティア団体ではないので、必要経費は全て持ち出し。なるべく経費をかけないように、ということでこんな状態で運んでいる。
~つづく~
古着の寄付は、通常、日本から普通船便を使って送っていただく。船便の場合、5kg程度で約3000円、10kg程度で約5000円の送料がかかる。船便とはいっても、ネパールには海がない。日本を出発した荷物は、インドのコルカタを経由して、そこから陸路ではるばるカトマンズ入りするようだ。
日本発後、目安としては2ヶ月ほどでカトマンズまで届くのだが、インドやネパールの情勢が不安定だったり、陸路が封鎖されていたりすると、カトマンズ到着までの日数は延びる。最高5ヶ月かかって到着した例もある。が、しかし、とりあえず今のところ、途中で紛失することなく、無事に到着している。
ネパールには基本的に郵便配達システムがない。ハガキ1枚から、郵便局の私書箱までとりに行くのが一般的。小包も郵便局まで自ら赴き受け取ることになるのだが、すんなり受け取れるかというとそうではない。
ネパール語表記のたくさんの書類に受取人の名前や住所を書き込み、手数料を支払う。その後、郵便局内倉庫に保管されている荷物を持ってきてもらう。局員が忙しそうなときには、写真のように自ら倉庫内に入り、自分たちあての荷物を探すこともある。(紺色の服は私たちのスタッフ。あとは郵便局員)
よく、旅行中知り合ったネパール人に、帰国後、洋服や電化製品を送ってあげる人がいる。厚意によるものなのだろうが、ネパール人にとっては郵便局での荷物受け取り時に、月収に近い額を関税として支払わなくてはいけなくなり、痛い出費となることも多い。関税分で、送ってもらった品物と同じようなものをネパールで買えることなどもある。
中身のチェック時には、局内のだだっ広くトイレ臭い部屋に用意された長テーブルの上で、局員に荷物をひっくり返される。衣類が丁寧に詰められていても、全く意味ナシ。中身をぶちまけられ、チェックされるからだ。物色されているような光景で、いつ体験しても、イヤな気分になる。
その後、局員に衣類の枚数をカウントされ、それに応じた関税がかけられる。たいてい一箱300ルピー(500円)ぐらいから。局員の機嫌によって、関税額がだいぶ変わるのはネパールらしい。
実は、ネパールでは、古着の輸入が禁止されているらしい。このため、古着を送ってくださる方の中で、「ネパールに古着を送っても、本当に大丈夫でしょうか?」と心配される方もいる。過去、一度も郵便局にてとがめられたことがなく、私たちも全く知らなかったのだが、もし違法であるならば、続けるのは良くない、と判断し、郵便局のお偉いさんに尋ねてみたことがある。すると、返ってきた答えは、全く問題ない、とのこと。というか、そういうルールを、お偉いさんも知らなかった。(個人単位で月に数箱受け取る程度であるなら、問題ないのかもしれない)
荷物を受け取り、オフィスの倉庫に運ぶ際に利用するのは、スクーター。ダンボール2個ぐらいまでなら、写真のように足元に乗せて強引に運べるのだ。さすがにそれ以上になると無理があるのでタクシーを利用するのだが、たいていスクーターで事済んでいる。
そういえば、スクーターの足元にダンボール2個を乗せ、2人乗りをし、後部座席に座った者が、ダンボール一個を抱え、ものすごい状態で運んだことも、過去にあった(笑)。私たち、ボランティア団体ではないので、必要経費は全て持ち出し。なるべく経費をかけないように、ということでこんな状態で運んでいる。
~つづく~
2006年7月1日土曜日
古着寄付2(衣類募集を思い付くまでの経緯)
~つづき~
では、そもそも、なぜ古着寄付を募りはじめたかというと。
私の日本の自宅にも大量にあるのだが、まだ充分に着ることがでるのに、押入れの中に眠ったままの衣類。中には、平気でゴミに捨てることのできる人もいるようだが、まだ使えるものを捨てるなんて、私には出来ない。
ネパールには、日本だったらとっくの昔にボロキレとして捨てられそうな服を普通に着て生活している人もいる。特別貧しいわけではなくても、(日本人の目から見れば)薄汚れた服を着ている人も多い。
以前、日本でもう着なくなった服を、こちらの人に渡したらどう活用してくれるのだろう?と思い、日本からこちらに大量に持ってきたことがある(送料をかけて送ると、その送料分で新しい服が何着も買えることがあるので、無駄な経費をかけずに大変な思いをして自分で運んだのだ)。
では、そもそも、なぜ古着寄付を募りはじめたかというと。
私の日本の自宅にも大量にあるのだが、まだ充分に着ることがでるのに、押入れの中に眠ったままの衣類。中には、平気でゴミに捨てることのできる人もいるようだが、まだ使えるものを捨てるなんて、私には出来ない。
ネパールには、日本だったらとっくの昔にボロキレとして捨てられそうな服を普通に着て生活している人もいる。特別貧しいわけではなくても、(日本人の目から見れば)薄汚れた服を着ている人も多い。
以前、日本でもう着なくなった服を、こちらの人に渡したらどう活用してくれるのだろう?と思い、日本からこちらに大量に持ってきたことがある(送料をかけて送ると、その送料分で新しい服が何着も買えることがあるので、無駄な経費をかけずに大変な思いをして自分で運んだのだ)。
そして、失礼にならないよう配慮しつつ、ごく親しい知人に衣類を渡したところ、大変喜んでくれ、早速知人の家族や近所の人たちで役立ててくれた。
日本の押入れに入っていたらもう2度と日の目を見ることの出来なかった衣類たちが、こちらで生き返った姿を見るのは、かなり嬉しかった。
きっと、捨てるに捨てられず、困っている人は多いに違いない。母屋にて古着寄付の募集をすることを思いつき、記事を掲載。今では、月3~4箱、ネパールまで古着が届いている。当初は無駄な経費だと思っていた送料も、寄付者の方々に負担していただいている。『送料を負担してでも大切な衣類を役立てて欲しい』『国が変われば古着も再活用してもらえることを知った勉強代』などといっていただくこともあり、本当に感謝している。
~つづく~
日本の押入れに入っていたらもう2度と日の目を見ることの出来なかった衣類たちが、こちらで生き返った姿を見るのは、かなり嬉しかった。
きっと、捨てるに捨てられず、困っている人は多いに違いない。母屋にて古着寄付の募集をすることを思いつき、記事を掲載。今では、月3~4箱、ネパールまで古着が届いている。当初は無駄な経費だと思っていた送料も、寄付者の方々に負担していただいている。『送料を負担してでも大切な衣類を役立てて欲しい』『国が変われば古着も再活用してもらえることを知った勉強代』などといっていただくこともあり、本当に感謝している。
~つづく~
2006年6月30日金曜日
古着寄付1
2005年5月、10月に引き続き、大々的に仕分け(及び寄付)を行ったのが、今回が3回目。日本から送料を負担して送ってくださった方、ネパール旅行のついでにオフィスまで届けてくださった方など、前回(昨年10月)の仕分け以降も、延べ約20人の方から寄付していただき、集まった衣類はダンボール約25箱分程になった。
何度かこのブログにも掲載したことがあるのだが、ヒマラヤン・アクティビティーズでは、旅行業の傍ら、古着の寄付も募っている。村人や施設に寄付するためだ。でも、ボランティア活動をウリにして旅行業をしたくないので、細々と、できる範囲で行っている。
ネパールにボランティアとして関わる日本人は数多い。個人的なもの、大きな規模のもの、さまざま。筋の通った活動をしている組織もたくさんあるが、そうでない団体も多い。
ネパール語もわからずネパールのことを大して理解もせず、日本人の価値観で適当にこちらの人の日常をいじくりまわし、満足して去っていく。旅行者気分でネパールを訪問し、支援先に大歓迎されまくり、貧しい姿や弱い立場の人ばかりを見せ付けられ、「ネパールは貧しいけれど、人々の瞳はキラキラ輝いていて素晴らしいわ~」という感想を持ってネパール滞在を終える視察ツアーなど、一体何が見えて、何の意味があるのだろうと思うことがある。
ネパールを支援してます!という傲慢な態度もキライだし、同情しやすい日本人の心をうまくくすぐって、旅行とボランティアを結びつけるビジネスをしている会社もあるが、そういうのも気に食わない。
そんなこんなで、繰り返しになるが、古着受け入れ活動は、細々と行っている。
~つづく~
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