ブログ移転のお知らせ

当ブログは、2021年12月より新ブログにて発信しています。新しい記事については 移転先→新日々のネパール情報 をご訪問ください!今後ともよろしくお願いいたします。

2016年5月31日火曜日

サモサ


10年以上前から発信し続けている当ブログ、いろいろなネパールの食べ物を話題にしてきたが、そういえばサモサのネタはなかったかもしれない。

本日のオフィスの賄食がコレだったので、この機会に掲載。

小麦粉で作った厚めの皮の中に、茹でつぶしたジャガイモや豆類(今日のはひよこ豆が入っていた)、ネギ類を具材にし、三角錐状に包んで揚げる食べ物。

形が違うだけで、以前話題にしたシャバレとほぼ同様。

シャバレ:http://dailynepal.blogspot.com/2016/01/blog-post.html

これに、コリアンダー入りトマトのアチャールをつけて食す。

茹でジャガイモは足が早いので、外では怖くて避けるメニューでもある。

2016年5月30日月曜日

カトマンズでも見かけるようになった交通誘導の人形


先日来、カトマンズ某所に置かれている、交通誘導の人形。ここ1~2か月位前に気づいたのだが、他の場所にもあるのだろうか。

先日、雨の降り始めに通りがかったら、本物の警官二人が、何かごそごそしている。オレンジ色のレインコートを着せてあげていたのだ。




人形をぬらさないためなのか、ホンモノらしく見せるためなのか。そのいずれであっても、二人がかりの手厚いお着換えサポート、微笑ましい。

日本のように手を動かして旗を振ったりする交通誘導ロボット「安全太郎」とかとは違って、ただ立っているだけ、と思っていたが、写真を編集していて、足元にバッテリーが置かれていることに気が付いた。

ということは、旗振りもするのだろうか。是非見てみたい。

2016年5月29日日曜日

タメルのドゥンゲダラの、日本人との縁


昨年の地震後、当ブログで何度か話題にしてきたタメルの共同水場ドゥンゲダラ・正式名ガー・ヒティ(गाःहिटी)。

今まで「ドゥンゲダラ」という一般名称のみ書いてきたが、ネワール語の「ガーヒティ」というのがここの正式名称。

過去の記事:
2015年6月3日 タメルで唯一被害の大きかった場所
2015年9月3日 タメルのドゥンゲダラ再び
2016年4月25日 修復中のドゥンゲダラ

去る3月より始められた修復工事が、近々終わろうとしている。




タメルの文化遺産として地元の人たちが誇るガーヒティ。

周辺住人にとっては貴重な水場であり、地震後、修復の話が何度も出ていたが、資金繰りが難しく、なかなか実現には至っていなかった。

しかし昨年末、とある日本人の方たちから寄付が寄せられたのがきっかけで、タメルのコミュニティや地元住民たちが沸き立ち、真剣に市役所に掛け合い、政府からも大口の資金援助をしてもらえるようこぎつけ、本格的な修復作業が始まった、という経緯がある。

その時点では(おそらく今も?)、外国人からの寄付の申し出は初めてだったという。

実は、世話役の日本人の方が、当ブログの記事を偶然目にし、気にかけてくださったのがきっかけだった、という逸話も。

私が発信している日々の何気ないネパールの日常と、小さな草の根の力が、こうやって地震後の修復へのきっかけを作り、それがいま、目に見える形で完成しようとしていることを、とても嬉しく思っている。




ところでこのドゥンゲダラ、地元の人たち曰く、およそ1000年ほど前に造られた歴史あるものだそうだが、地震で被害に遭うまでずっと、水場として使えていたわけではなかった。

長い年月の間には、水が出なくなってしまったり、水はけが悪くなったり、というトラブルもあって、過去何度も手を加え、時には長い間使えなくなってしまった時期なども乗り越え、今に至るという。

最近では、25年以上前に発生した落雷の影響で、10年以上水場としては利用できなかった時代があったのだそうだ。

その後、日本大使館からの資金援助があり、修復工事が行われ、2001年より再び使うことができるようになった。

そのことを証明する石碑が、ドゥンゲダラの中央に埋められている。

地元のコミュニティの方たち、「前回も日本人が修復に関わってくれ、地震後も、修復のきっかけを作ってくれたのが日本人であったことに、運命を感じる」と、喜んでくれた。

実は落雷のことと、その後の修復に日本が関わっていたことは私も先日知ったばかり。今まで以上にこのドゥンゲダラに愛着を感じ、経過を見守っていきたいと、強く思った次第。


ところで、もうすぐほぼ修復完成ではあるが、実はまだ3点、大きな問題を抱えている。

まず初めに、ドゥンゲダラという名前の由来である、石の(ドゥンゲ)蛇口(ダラ)を、どうやって再現するか、ということ。石に彫刻が施された大きな蛇口が折れてしまい、今も、水場の横に、写真のように放置されている状態。(しかも、こんな貴重なものの上に、無造作に洗濯物まで干されている!)

新たに同じものを造るには費用面でも技術面でも厳しいため、壊れたこの蛇口を、うまくくっつけて利用できるようにしたい、とのこと。

そしてあと2点は、水場の横にある歩道の修復と、水場と歩道の間に柵を作るための資金が不足している、という点。

これら3点については、資金が集まるまで完成せず、しばらくは保留となる可能性もあるが、「水場」として再び利用ができるようになったことだけでも、皆、本当に喜んでいる。

地震から1年以上経った今も、未だ修復すら始まっていない場所も多い中、庶民の熱い想いのもと、ガーヒティのように修復が実現した、というケースは、被災した他の地域や施設にも、良い刺激を与えているのだそうだ。

(写真はいずれも5月26日に撮影したもの)

2016年5月24日火曜日

ライチの種


前回のライチの話題に続き、今回はライチの種のことを。

色・艶・形、光具合すべて、アーモンドチョコそっくりな、ライチの種。

ネパールに来たばかりの頃、今の季節、カトマンズの路上のあちこちにアーモンドチョコが大量に落ちていて、なんで!?もったいない!と、気になったことがある。

そしてある日、自分がライチを食べて、あのアーモンドチョコボールの正体を知った。そうだったのか!

写真は昨日食べたライチの種。汚くてすみません。

2016年5月22日日曜日

ライチの季節


今年の5月は、いつもよりも雨が多く、おかげでそれほど暑くならない日が続いている。

ここ何年かは、もともと気温が上がる時期に加え、プレモンスーンながら雨がほとんど降らない、という5月だったことが多かったような印象。どこもかしこもカラッカラに乾き、気温ばかりが上昇し30度越えの日々が続くことが多かった。

それが今年は程よくまとまった雨が降るおかげで、気温も下がり、朝晩などは涼しさを通り越し、肌寒さを感じることもあるほど。



そんな5月は、ライチ売りが街に出始める季節。いつもの通り道に、恒例のライチ売りが出没し始めたのが、10日ほど前。(写真は5月14日撮影)

この時は、ライチ売り、「1キロ350ルピー!買う?」と言いながら売り込みに駆け寄ってきた。

「今日はいらないから!」と去ろうとしたら、交渉もしていないのに、「320でどうだ?」「よし300だ!」「280!」「250!」と勝手にドンドン値を下げてきて、味見用に一粒無理やりつかまされ、最終的には「230ルピーでいいから!」と、120ルピーも落ちていた。毎年こんな感じで、強引なんだよなあ。

結局この時は買わなかったのだけれど、一体本当はいくらだったのだろう?

あれから一週間以上たっているから、値はさらに下がっているかもしれない。

・・・ 

昨年までのライチ売りの様子:

2016年5月20日金曜日

ミントのアチャール


毎日オフィスで作ってもらっている賄食。

どれもネパールのメニューではあるが、バリエーション豊富。毎日楽しみにしていて、昼近くなると、子どもが母親に尋ねるがごとく、「今日のごはんなーに?」と聞いてしまう。

今日のメインはチキンカレー。脇役にミントのアチャール。




チキンは、給料アップしたスタッフからの差し入れ。アチャールは、先月賄スタッフの村へ行ったとき作ってもらった爽やかな味が忘れられず。私の家に自生しているミントの葉を摘んで持ってきた。

葉と青唐辛子を平たい石臼ですりつぶし、トマトと塩を加えた、ソース状のもの。ネパール料理に入れがちなクミンシードやニンニクなどは入っておらず、あっさりしていて、脇役ながらも病みつきになる味。

2016年5月19日木曜日

新しくなったカトマンズ空港国内線ターミナルビル


昨日より利用開始となったという、カトマンズ空港国内線新ターミナル。

国内線の利用は個人的にはあえて避けており、利用する機会を待っているといつになるかわからないので、見学に行ってきました。

別ブログに簡単にまとめましたのでご参照ください:

 「カトマンドゥ国内線空港ターミナルビルが新しくなりました!」
 http://tokuhain.arukikata.co.jp/kathmandu/2016/05/post_218.html

2016年5月15日日曜日

チチミラ


雨期前に発生する虫、チチミラ(छिचिमिरा)。左右2枚ずつの薄い羽をもち、地面から湧き出すよう飛び、舞う。寿命は1日だというから、カゲロウの一種と思われる。



昨夕外出すると、車のフロントガラスにぶつかってくるように次から次へと飛んできていたのだが、大通りに出てさらにその数に驚く。

車のライトに反射する大量のチチミラ。



カトマンズ近郊の農家では、チチミラが発生する時期を、とうもろこしの種をまき始める指標とすることがあるそうだ。

2016年5月13日金曜日

ネパールにもある「あやとり」


「日本の古い遊び」と思われがちな「あやとり」だが、同じ遊びがネパールにもある。

勤務中話題にしたら、ネパール人スタッフたちもノッてきて、童心にもどり、知っている技を見せてくれた。

20代女性スタッフが見せてくれた上の技。日本の「ほうき」と同じもののようだ。でも作ってくれた本人曰く、何なのかはわからない、そうだが。

40代男性スタッフが披露してくれたのは、日本の「二本ほうき」と見た目同じの、これ。

ちなみにこのあと、ぱっと手をたたいたすきに小指の紐を外すと、糸がきれいな1本の輪っかに戻る、というパフォーマンス付。

ネパールらしい「技」を求め、身近な人たちに糸を差し出しては披露してもらっている今日この頃。

これがけっこう盛り上がるのです(笑)。

2016年5月8日日曜日


近所の八百屋で時々、売り物の野菜を狙う牛に遭遇する。

以前の記事:

どこかで飼われてはいるが放し飼いで、気ままにあちこち出歩いている牛。

よだれを垂らしながら、じっと中の様子をうかがっていた。

その後ゆっくり近づいてきて、店頭に並んでいる売り物の菜っ葉を食べようとし始めたから、一度は店主に箒で追い払われる。

でも、その後、干からびて売り物にならなくなったニンジンを与えてもらい、おいしそうに食べていた。

2016年5月6日金曜日

母の日のミタイ


ネパール版母の日の今日。

甘いネパール菓子ミタイの贈り物を持って、母親の元を訪問する習慣がある。

お菓子屋さんでは、いつもよりも目立つよう、ミタイが陳列される。

よくヨーグルトを買いに立ち寄る、自宅近所の小さな乳製品屋さんでも然り。

色・形状・サイズどれも、和菓子にあってもおかしくない、心ときめくデザイン。

味はどれも濃厚で乳臭く激甘。買って、そして、一口食べて後悔するのはわかっているのだが、きれいなデザインに刺激され、思わず二種類購入。

ひとつは、写真下奥に小さく写っている、見た目「練り切り」そっくりのもの。もう一つは、この写真には写っていないが、以前当ブログでも話題にしたことのある「ラッドゥ」。

家に帰ってラッドゥを割って口に入れたら、洋酒(?)か何かが、ふわっと口の中に広がったような気がした。今まで食べた「ラッドゥ」と違い、やや酸味のある味わい。ラム酒か何か入れたのかしら?

あれ、でもおかしい! ヒンドゥ教の儀式やイベント時に登場するこのミタイ。宗教上「酒」はよろしくなく、「ミタイ」に酒で香りづけするワケがない。

・・・これ、腐ってる!

あわてて吐き出し、事なきを得る。

実際、腐っていることも多いそうで、信頼できる店でしか買わないよう、ネパールの人たちも気を付けているようだ。

・・・


オフィスでも、賄の時間に、10代のスタッフが「母の日だから」とグドゥパックを差し入れてくれた。

見た目「味噌」にしか見えないが、これも例にもれず、乳臭く激甘なネパール菓子。

グドゥパックに関する以前の記事:
http://dailynepal.blogspot.com/2013/11/blog-post_29.html

お椀いっぱいついでくれたのだが、一さじだけに減らしてもらった。

2016年4月29日金曜日

車道


カトマンズ各地で道路拡幅工事が始まり3~4年経つだろうか。

家々の外壁に軒並み破壊予告印がつけられたもののそのままになっていた自宅周辺も、去る2月初旬からついに工事が始まった。

2か月以上経った今もまったく終わる見込みはなく、細いながらも舗装されていた道には、土砂と岩が積まれひどい状態になっている。


拡幅工事はカトマンズのみならず、ネパール各地で行われているようだ。

この1か月半程の間に陸路で各地出かけたが、いたるところで目にしてきた。

たとえば、

カトマンズから南ネパール方面へ抜ける際の幹線道路。ムグリン~ナラヤンガート間。2月11日から始まった工事は今も続いている。


カトマンズ郊外の展望台、ナガルコットへ行く道も昨夏より工事中。道路脇の崖が見事に削られている光景があちこちに。


自然を破壊してまでさらに拡幅することには複雑な思いも感じるが、完成すれば便利にはなるだろう。

・・・

ところで、自宅近所の道に話を戻すが。


レンガ敷きの、車が入れない細い小道があちこちに延びている。普段通らない道に初めて足を踏み入れて、迷路に迷い込んだ気分になりワクワクすることがある。道を進み、知っている場所に出て、ああ、ここに通じていたのか!と、感動したり。

でも、そんな路地の塀にも破壊予告の赤い印が書かれているのを発見してしまった。こういう味のある路地もなくなってしまうのは、残念だなあ。

2016年4月25日月曜日

修復中のドゥンゲダラ(共同水場)


当ブログでも何度も話題にしてきたタメルのドゥンゲダラ(共同水場)。

昨年の大地震で、向かいのホテルが崩壊し、この場に倒れ込み大きな被害を受けた。

前回の記事(2015年9月3日付)
しばらくは瓦礫が山積みになり、水場の機能を果たせていなかったのだが、一部瓦礫がよけられ、かろうじて水を汲めるようになったのが昨年夏ごろ。

水はけが悪く異臭が漂う中、瓦礫をよけるように、近隣の人が水を汲んだり洗濯をしたりする姿を見かけていた。

その後もなかなか修復工事は始まらなかったのだが、先月3月12日に、ついに着工。


≪2016年3月16日・修復工事着工から5日目に撮影≫




≪2016年4月25日撮影≫

冒頭の写真も本日撮影したもの。

瓦礫がかなり撤去され、周囲の塀も整備され始めている。

この工事着工のきっかけとなったのが、昨年末修復費用に充ててほしいと寄せられた、とある日本人の方々から寄付だった、と関係者の方から聞いている。

あの日から一年経ってしまったが、復旧に向け毎日作業が進められている様子に嬉しくなる。

・・・ 


ビクラム暦(1月12日)で考える、地震1年の日に当たっていた昨日。

世界遺産、寺院、交差点、地元の人しか通らないような路地裏。あの日を思い出し、死者を弔うためあちこちで灯されていた灯明。

ここドゥンゲダラのそれはひっそりとしていて、他の会場のような派手さはなかったけれど、だからこそ、地元の人たちの真の想いが込められているように見えた。


≪2016年4月24日撮影≫

2016年4月24日日曜日

ネパール大地震から1年


本日、ビクラム暦1月12日。昨年の大地震から今日で1年。

2015年4月25日に起きた地震なので、海外のメディアや支援団体の多くが「4月25日」が1年、としてとらえているが、実際に地震を体験したネパール人たちにとっての1年は、ビクラム暦で巡ってくる。

節目となる今日、各地で様々な追悼イベントが行われていた。

地元のごく親しい人たちが集まり、灯明を灯し死者の霊を追悼するものから、事前にメディアで告知されていた大がかりな追悼ライブのようなものまで。

写真は、本日スワヤンブナート入口での様子。僧や地元住民たちが静かにろうそくに火をつけ、祈っていた。



・・・



前日にはバサンタプルにて風船を飛ばす催しも行われていた。地震から2か月の時にも実施されていて、今回も同メディア主催のもの。


・・・ 
ところで、この一年、今のネパールを自分の目で見ておかないと、という想いにかられ、時間の許す限り、あちこち出かけてきた。

その際、被災地の村でよく耳にしたのが「ナヤ・ネパール(新しいネパール)」という言葉。

昨年9月、7年越しに新憲法が公布された際によく使われた言葉でもあるのだが、地震後、新たな環境の中で日常を取り戻していった様子を「これぞナヤ・ネパール(新しいネパール)だね!」と表現する村の人がけっこういたのだ。

まだまだ復興にも程遠く、心身共に傷を負い癒えていない人も多いのが実情だが、明日から始まる一年が希望に満ちた「ナヤネパール」になることを願ってやまない。

2016年4月22日金曜日

村訪問2:カビタの実家(ドラカ郡シンガティ近く)

3月末のラスワ郡トゥロガウン村訪問に続き、4月初旬に行ってきたのは、ドラカ郡バル村。ここは、いつもオフィスでおいしい賄い食を作ってくれる、勤続6年目になる女性スタッフの実家。(彼女の嫁ぎ先の村には、震災1か月後に訪問している

昨年4月25日の本震での被害も大きかったようだが、さらなる打撃を与えたのが、5月12日発生の最大余震(M7.3)。村からも近い場所が震源地で、周辺で多数土砂崩れが起きたそうだ。

村の石造りの家はすべて崩壊。不幸中の幸いで、村にいて家屋の下敷きになって亡くなった人はいなかったそうだが、周辺の道を歩いていて、土砂の下敷きになり亡くなった方は何名かいると。

村人もよく通る、シンガティ村より先の最寄りの車道では、走行中のバスが土砂崩れに巻き込まれた。バスの中からは子供の泣き声がずっと聞こえていたが、余震も続き、土砂が常に崩れ落ちてくる状況で救出作業もままならず、助けたくても助けられない状態だったらしい。3日目にその声も聞こえなくなった、と、地元の人が淡々と語ってくれた。

実際に近くを通ってみて、確かに、間近に迫る、風が吹いただけで土砂が落ちてきそうな山肌に恐怖を感じる。



・・・ 

村は、ガウリシャンカール自然保護区域内にある。道中、山の合間にうっすら白い嶺が見えていた。



・・・


シンガティ村からメインの道を脇に入り、3つほどの小さな集落を通り過ぎて到着した今回の訪問地。

途中までは通じていた携帯(ネパールテレコム、Ncellとも)の電波も、まるっきり入らない。今や、トレッキングルートでも携帯は通じ、開けた山の上にある村などでは、データ通信でのネット接続もサクサク可能な場所も多い中、久々に僻地感を実感する。

通過したどの集落も崖と川の間に存在する狭い土地にあり、大きな余震がきて土砂崩れが起きたら逃げ場がないような危険な環境の中、ここの土地は他の集落に比べるとやや開けており、同行している他のスタッフたちが安堵の表情を見せたのもつかの間、、、




新たに家を建てるには敷地が足りず、川に突き出し宙に浮いているような形で作らた小さな小屋が並ぶのを見て、一同唖然とする。




松の木で支えられているだけの土台。風が吹くだけでガタピシ言う。薄い木の板を渡しただけの床は抜けないだろうか。




家の壁も、トタンではなく、ふぞろいな木材と、竹で編んだ手作りのすだれのようなものを貼り付けただけの、つぎはぎだらけのもの。隙間風がモロ入ってくる、というより、屋根がある以外は、屋外とあまり変わらない環境。



地震後、ほとんどの被災村で、村民自らの手で建てられたトタンの仮設小屋。

「仮の住まい」のはずが、「仮」の域を超え、けっこうしっかり作ってあり、「真の住居」として扱われている家も多い。

しかし、ここの村のはどれも本当に質素すぎて言葉を失う。これで冬を越したというから、さぞかし寒かっただろう。

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地震前は12軒ほどの民家があっただけだったが、地震後、もっと山深くから避難してきた人たちもここに仮設の居を構え、民家数は倍ぐらいに増えたそうだ。

賄いスタッフ、昨秋地震後初めて帰省した際には、家々の配置も変わっており、自分の出身村ながら、初めての場所に来たような混乱を感じたと言っていた。

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農作業の閑散期である4月初旬は、村人総出でよく川魚を捕るそう。



岩の下に隠れる魚を中腰の前かがみになり必死に探す様子に、日本での潮干狩り光景が重なり、懐かしい気分に。



名前のない小魚がいろいろ捕れる中、メインは「アサラ」と呼ばれるマス(?)の一種。



唐揚げにしてご馳走してくれた。

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夕飯に出してくれたご馳走。手作業で精米した五分づきっぽいご飯に、石臼で挽いたダルのスープ、畑で取れたぜんまいを炒めたもの、自生しているミントのアチャール、目の前でしめてくれた鶏のカレー。他、水牛のミルクに自家製ヨーグルト。塩や調味料以外はすべて村で採れるもの。

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電気は引かれていないが、豊かな水資源があるため、村人たちが資金を出し合い、川の流れを利用した小さな水力発電所を作っている。このおかげで、日没~翌朝未明までは、電気を使うことができる。日照中は使えないが。

水道はないけれど、村の何か所かに、川の水を長いホースで引いた水場があり、常に水があふれている。地震後も枯れなかったし、目の前は川だから、水には困らなかったそうだ。

調理はいうまでもなく薪を使って。


地震直後の混乱の中でも、壊れた家から、鍋と、備蓄していた穀物を取り出し、畑から野菜を引っこ抜いてきて、薪を集め適当な場所にかまどを作ればよいだけだったから、煮炊きには困らなかったそうだ。

もともとインフラなど整っておらず、自給自足が当たり前。周辺、しばらくは土砂崩れで道も閉ざされ、軍のヘリによる支援物資投下などもあったそうだが、村人たちは、大変な状況下でも、案外たくましく過ごしていたことを実感。



村の男性の足。靴を履くことはほとんどなく、普段は裸足かぞうり。写真を撮った時は緊張で指が縮こまってしまったが、仕事をしているときは、開ききった自由な指が地面をガシッとつかみ、自然と共に生きている力強さがにじみ出ていた。

2016年4月12日火曜日

スタージャスミン満開


カトマンズ、毎日徐々に気温が上がっていて、いつの間にかすっかり夏になっていた。

外はじりじりとさすような強い日差し。屋内にいても窓から入ってくるのはもわっとした空気。

日中の日向の気温30度越えだが、湿度が低くカラッとしているのが救い。


今年は暑くなるのが少し早いような気がする。

真夏開始の指標にしている、ジャスミンに似たこの花も、少し前からすでに満開になり、甘美な香りを漂わせている。

例年、4月半ば過ぎに香りに気づき、少しづつ咲き始めているのを確認するのだが。

・・・




少し前には、一つの株から白と紫の花を咲かせる、この花(日本名ニオイバンマツリ?)からもよい香りが漂ってきていた。