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2016年3月28日月曜日

旅のハプニングの原因(?)



何度か当ブログで話題にしている、昨年の地震で体が不自由になったサパナ。


「地震後一度も村に帰れておらず、一度帰りたい」という強い希望を実現する日が来た。

通常の方法だと、公共バスで5時間程かけて移動後、公共トラックで1時間ほど移動し、さらにそこから2時間ほど傾斜の激しい道を歩いて移動する必要があるという。

しかしジープでなら村の入り口まで行くことができるというので、チャーターしていくことに。

1か月ぐらいの予定での一時帰省計画。サパナと親族を乗せてもジープに空席が出るので、私やオフィススタッフも1泊の予定で同行するべく、去る土曜午後カトマンズを出発。




村のほとんどの家が昨年の地震で崩壊し、今はトタンの仮設小屋生活を送っている。迷惑がかからないように自分たち用にテントと寝袋持参。

荷物を運び歩いて移動するのは村の入り口からだけだから、と、比較的気軽な気持ちで同行したら、、、

「車道」に対する認識が甘くてハプニング続きの同行になってしまった。

サパナの親戚皆、車道が村まで通じているのは知っていても、誰もジープで移動したこともなければ、その道を歩いた事すらなかったから。

村に続く未舗装の「車道」へ差し掛かったとたん、海辺のようなサラサラの深い砂、道幅が狭く曲がり切れない急カーブ、その直後に続く勾配の急な坂道、等、かなり難易度の高い道であることを知る。

「こんな道と聞いていたら来なかった」と、怒り気味のドライバー。

私自身、ジョムソン街道始め、ネパール国内の未舗装の車道(崖道)をいくつか通ったことはあるが、その中でも今回の道は何倍も危険で、もうこれで終わりかと何度も手に汗を握った。



スリップ&スタックを何度も繰り返し、ブレーキからは焦げ臭いにおいがし始める。

とうとう、ジープもドライバーも音を上げ、先へ進むことを断念。

車を降り、村までは結局2時間程歩いて移動することに。荷物とサパナを運んでもらうために村からたくさんの助っ人を呼んで。この時点ですでに日は落ちており、真っ暗闇の中、村まで移動。



村に1泊し翌日。カトマンズへ戻る日。

ブレーキの調子が心配だがだましだまし出発したものの、二つほど急カーブを曲がったあたりで、「やっぱりダメだ」とドライバー。

これ以上は危険ということで、もっと馬力のある代わりのジープと、修理人を呼び寄せることに。



しかし、こちらへ向かっている道中でバスとトラックの事故があり事故渋滞していて足止めを食ったとかで、代わりのジープがなかなか到着しない。

下手に歩いて移動しても複雑になるだけ。動かないのが無難、ということで、道中に唯一あった茶屋で待機すること7時間。

初めは怒っていたドライバーだが、次第に弱気になり、最後には「こんなことになってしまい申し訳ない」と謝り出すのでどうしたのかと思ったら、しょんぼりしながら次のようなことを告白し始めた。

「つい最近見てもらた占い師から、事故を起こす相が出ているから、早くお祓いをしたほうがよい」と言われていたんだ。でも、お祓いをしてもらう時間もなく、そのままにして今回の仕事を引き受けてしまった。それがいけなかったんだ。今回こんなことになってしまったのは自分のせいだ」、と。

それに対し、同行者のネパール人たちも、占いや迷信に基づく今回の度のハプニングの原因を探し始める。

メンバーが奇数だったのがまずかった、とか、村から3人の親族がまとめて出てきたからだ、とか、土曜日に出発したのがいけなかった、などなど。

どれも当てはまる俗信に、一同うなづきあい、なぐさめあう様子が真剣。こんな状況でも、誰かのせいにして気まずいムードにならないから救われる。

その後代わりの車も到着し、カトマンズ帰着は深夜となってしまったが無事戻ることができ、心からホッとした。

2 件のコメント:

  1. ■陸路の移動=大変ですね!

     ジョムソンからポカラまで
     1日がかりでジープ移動しましたが
     河の中を走ったり
     崖崩れの道を通ったり
     でした
     サパナさんをはじめ
     震災で様々な影響を受けた方を
     支援する輪が広がることを願います
     npl12345we ..... from Tokyo

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  2. ジョムソン街道も怖いですよね。特にカーブですれ違う時ハラハラします、、。

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