本日3月25日(パッチス・タリク)、ネパールのビクラム暦(2072年)だと12月12日(バーラ・ガテ)。
昨年の大地震も、西暦4月25日(パッチス・タリク)でビクラム暦1月12日(バーラ・ガテ)にあたっていた。西暦とビクラム暦の日付は微妙にずれるから、西暦25日(パッチス・タリク)が必ずしもビ暦12日(バーラ・ガテ)にあたるとは限らない。
ネパール国外では毎月25日になると「地震から○ヶ月」と報道されていたが、ネパール人にとっては、西暦25日ではなくビ暦12日が「地震から○ヶ月」にあたる日だから、認識の違いに常にギャップを感じていた。
しかし今日、地震後初めて、パッチス・タリク(西暦の25日)とバーラ・ガテ(ビ暦の12日)の組み合わせとなった。
正真正銘、西暦でもビ暦でも、大地震から11ヶ月経った今日。
カトマンズダルバール広場を訪れたついでに、バサンタプル裏の細い路地にも入ってみる。
路地裏に入るのは地震直後ぶり。あの時とどれだけ変わったのだろう、と、狭い道を進んだのだが、レンガ造りのゆがんだ家や瓦礫がそのまま残っているところもあって、当時とあまり変わらない様子に、良くも悪くも意外な感じ。
そもそも、地震直後にはたくさんのつっかえ棒はなかったと記憶しているが。
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上の写真の撮影地点から少し後ろに下がってみると、つっかえ棒と共に生活する人たちの様子がよくわかる。
八百屋では、つっかえ棒をよけるように野菜が並べられていたり、地元向け飲食店の入口につっかえ棒が充てられていたり。
カトマンズ旧市街に限らず、パタン、バクタプルなどでも同じ。
地震後、日常の中につっかえ棒があるのが当たり前の光景となってしまった地域が、たくさんある。
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カトマンズダルバール広場内本格的な復旧工事もまだ始まっていない。瓦礫こそきれいに片づけられたものの建物崩壊具合は地震直後に見た光景のまま。
参考記事:ネパール地震後のカトマンドゥダルバール広場
http://tokuhain.arukikata.co.jp/kathmandu/2015/05/post_173.html
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カトマンズダルバール広場内本格的な復旧工事もまだ始まっていない。瓦礫こそきれいに片づけられたものの建物崩壊具合は地震直後に見た光景のまま。
参考記事:ネパール地震後のカトマンドゥダルバール広場
http://tokuhain.arukikata.co.jp/kathmandu/2015/05/post_173.html
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