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2006年4月20日木曜日

外出

20日20時まで予定されていたカーフュー(外出禁止令)は、21日午前3時まで延長になったのだが、昨晩20日の19時45分時点まで、私はそのことを知らなかった。

昨晩19時半頃から、私が住む地区では停電になっていたからだ。夜20時頃から呼びかけられていたブラックアウト (電気を消して抗議する行為。何に抗議するのかというと、今回の場合は、デモ中に発砲されて民衆から死者が数名出たことに抗議する目的だったらしい) に向けて、故意に停電にさせたのかどうかは不明だが、とにかく停電になり、つけっ放しにしていたテレビもラジオも停電とともにブチッと切れてしまった。

外出禁止令が解除になる20時には、一度タメル(旅行者が集まるエリア)に行く予定で、近所に住むガイドが私を迎えに来ることになっていた。明日からのトレッキングの簡単な打ち合わせとガイド紹介をしておくためだ。ゲストは明朝5時半にはホテルを出発する。外出禁止令が解除になる20時過ぎに会っておかないと、明日の早朝に会って打ち合わせをすることなど、事実上不可能だ。

だから、19時半に停電になったときは、20時に外出する用意を始めるよいきっかけにもなり、暗闇の中身支度を整えていた。

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19時45分頃になって、昨晩からタメルに待機しているスタッフから連絡が入った。20時に解除になる外出禁止令は、午前3時まで延長になったというのだ。テレビの字幕スーパーに流れているからテレビで確認しろ、と言われたのだが、運悪く停電中。確認の術がない。

その直後、大使館経由の緊急連絡が、携帯メッセージに入る。『カーフューが20時に解除されることなく、3時まで延長になった』とある。『外出はしないように』とも、書かれている。一応、『了解』との返事を送っておく。

でも、あと10分後にはガイドが迎えに来る。同じエリアに住んでいるガイド宅も、今は停電中だから、カーフュー延長のニュースは知らないはずだ。

まったく、どんなときにも段取りというものが全くない国。外出禁止令という重要な情報ぐらい、早めに決定して、早めに告知してほしい。解除直前になって報道機関を通して延長の情報を流しても、停電区域では、一般市民が情報を入手するのは困難だ。

もう、知るか。延長を知らないフリして強行外出するしかない。

そうこうしているうちに20時になって、ガイドが迎えに来た。彼もやはり、カーフューが延長になったことを知らなかった。ダメもとで行ってみよう、ということになり、家を出発することになる。

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時刻は20時を少し過ぎたところ。通常、カーフュー発令中は国軍が交差点ごとに警備にあたっていることが多いようなのだが、家を出発してからかなりの距離を走っても、警察にも国軍にも遭遇しなかった。カーフュー延長の情報は、彼らにも行き届いていないのかもしれない。暗闇の中街を歩く一般市民もちらほらいて、普通の夜よりは、多少通行が少ない程度という雰囲気でしかなかった。メインの通りから一本中に入った道では、店のシャッターなどもけっこう開いている。きっと、20時にカーフューが解除となったと思い込んで、店を開けたに違いない。

しかし、王宮近くまで行くと、各地に装甲車が停まっており、警戒する国軍の数がいきなり増えてきた。暗闇の中の装甲車、不気味だ。

タメル近くまで来て、初めて検問を受ける。武装警官からカーフューが延長になったことを知らないのか、と注意されたが、ガイドの免許証と私のパスポートを見せることにより、すんなり通行を許可してくれた。

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その後、1時間ほどで用事を終え、21時頃、家がある方面に引き返す。この時間帯になると、さすがにカーフュー延長の知らせが一般市民にも国軍にも行き渡ったと見え、自宅までの道のりで、外出している人には遭遇しなかった。

道中、なるべく裏通りを選んだつもりだったのだが、途中2ヶ所、国軍に止められる。1ヶ所ではすぐに通行を許可してくれたが、家の近所の検問では、かなり長いこと止められてしまう。私たちの家がある方向が、連日大規模な抗議行動が行われている方面の手前に当たるからだ。しかし、事情を話し、身分証明書を見せることで、通行を許可してくれた。

そんなこんなで、カーフュー中の強行外出を終えた。

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