昨年(2006年)秋から年末にかけて、ネパールで個人トレッキングを楽しみたいトレッカーを悩ませていたトレッキング登録許可証:TRC。詳細は過去の記事へ。
簡単に説明すると、TAAN(Trekking Agencies Association of Nepal :ネパールトレッキングエージェンシー協会)加盟のトレッキング会社を通して申請する必要がある(個人では申請できない)許可証TRC取得と、ガイドまたはポーター1名を雇用することが義務付けられていた制度。
しかし、同年10月末から実施されたものの、約1ヶ月半後の12月半ばには事実上の中止となり、現在に至っていた。
のだが、先日も記事にしたとおり、今秋からTRC復活なるか?という状況となっている。その後、話し合いは進んでいるようで、どうやら、名前と趣旨を少し変えての復活となりそうな気配が漂っている。
その名も、Trekking Information Management System(仮名。以下TIMSと表記)となる方向で話が進んでいる模様。直訳すると、トレッキング情報管理システム、となる。
規則等の詳細は明らかにされていないが、検討されている内容としては、TAAN加盟トレッキング会社を通してTIMS許可証を申請する必要があり(この部分はTRCと同じ)、申請料は、TRCのときの申請量250ルピーよりは安くなるだろう、ということ。
さらに、TRCが実施された際に義務付けられ、トレッカーから不評を買っていた『トレッキングに行く際には、ガイドまたはポーター1名を必ず雇用しなけなければならない』という条件については、TIMSでは実施されない方向で話が進みそうな気配。
今後どうなるのか。動きがあれば掲載したい。
2007年6月29日金曜日
2007年6月25日月曜日
事務所のトイレ
個人旅行者の多くが持ち歩くガイドブックといえば、地球の歩き方。
ネパール編が2年ぶりに改訂となり、10日ほど前から書店で販売開始された模様。今回、微力ながら、取材調査とコラム執筆に関わらせていただいた。
さて、07~08年版310ページに掲載されているトイレの写真。
機会があれば、見てみてください。
~ ~ ~
このブログをご覧の方の中には、なんとなく見覚えがある方もいらっしゃるかもしれないのだが、実は、ヒマラヤンアクティビティーズ事務所内の、(使用したことのある人なら、思い出したくもないほどよくわかるであろう)、あの、汚いトイレの写真なのだ。
スタッフやガイドたちは、掲載されている写真と実物を見比べては、ほほう、と感心してみたり、写真写りが良いトイレだ、と言ってみたり、なんとなく嬉しいけれど、絵が絵なだけに、複雑な表情をしてみたり、なかなか笑える反応を見せてくれていた。
ネパール編が2年ぶりに改訂となり、10日ほど前から書店で販売開始された模様。今回、微力ながら、取材調査とコラム執筆に関わらせていただいた。
さて、07~08年版310ページに掲載されているトイレの写真。
機会があれば、見てみてください。
~ ~ ~
このブログをご覧の方の中には、なんとなく見覚えがある方もいらっしゃるかもしれないのだが、実は、ヒマラヤンアクティビティーズ事務所内の、(使用したことのある人なら、思い出したくもないほどよくわかるであろう)、あの、汚いトイレの写真なのだ。
スタッフやガイドたちは、掲載されている写真と実物を見比べては、ほほう、と感心してみたり、写真写りが良いトイレだ、と言ってみたり、なんとなく嬉しいけれど、絵が絵なだけに、複雑な表情をしてみたり、なかなか笑える反応を見せてくれていた。
2007年6月21日木曜日
田植え
2007年6月19日火曜日
ピクニック2007
一昨日の日曜、毎年恒例のピクニックを実施した。
トレッキングのオフシーズンとなる6月、ガイドたちがカトマンズに勢ぞろいする時期を見計らって、計画を立てる。
『ピクニック』といっても、日本人がイメージするそれとは少々傾向が違う。泊まらない(日帰り)キャンプのような状態で、キャンプファイヤーの代わりに、太陽の下、歌って踊る、といった感じだろうか。
鍋釜食器にガス(または薪)と食材を持参し、朝食と昼食を現地(ピクニックをする場所)で作る。その合間に、歌い、踊り、ゲームをしながら楽しむ、というのが一般的。
朝7時、チャーターしたバンにてカトマンズを発ち、ピクニックのできる場所(*)まで向かう。
(*)ピクニックのできる場所:カトマンズ郊外の森の中に、ピクニック用に作られた場所(水とかまど、屋根付スペースが設置されている場所)がある。私たちは例年、カトマンズ郊外『タンコット』という場所にある公園へ出かけている。
8時頃には現地について、まずはチヤ(ネパールのミルクティ)を作るところから、ピクニックが始まる。
その後、軽食の準備に取りかかる。モツ&レバー系内臓の炒め物、チウラ(干し米)が例年のメニュー。この時点でアルコール類も登場。
ほろ酔い気分になった頃、誰かしらがタイミングよくマーダル(太鼓)をたたき始める。ジャウレのリズム(ネパールの伝統的音楽のリズムのひとつ)に合わせて、誰からともなく踊り始める。
・・・という感じで、進んでいく。
それと平行しながら、昼食作りも行われる。昨年までは、コックを1人外部から雇用し、食事作りは任せていたのだが、今年は、テント泊トレッキング時のコック経験がある者たちが指揮をとりながら、進行。
昼食は、プラウ(インド風ピラフのようなもの)、ヤギ肉、かぼちゃのつる、カリフラワーを使ったおかずと、ジャガイモの付け合せ、というのが、例年のメニュー。昼食といっても、15時過ぎにとるのだが。
その後も歌って踊って、夕方過ぎにお開き、というのが、大体の流れ。
今年は、21名(内1名は10ヶ月の赤ちゃん)というメンバーで、例年になく盛り上がった。
テンションあがりっぱなしのガイドたちが、帰りの車の中でもマーダルのリズムに合わせて踊りまくったりして。
年に一回、無礼講で楽しむこんな日を、みんなけっこう楽しみにしているのだ。
トレッキングのオフシーズンとなる6月、ガイドたちがカトマンズに勢ぞろいする時期を見計らって、計画を立てる。
『ピクニック』といっても、日本人がイメージするそれとは少々傾向が違う。泊まらない(日帰り)キャンプのような状態で、キャンプファイヤーの代わりに、太陽の下、歌って踊る、といった感じだろうか。
鍋釜食器にガス(または薪)と食材を持参し、朝食と昼食を現地(ピクニックをする場所)で作る。その合間に、歌い、踊り、ゲームをしながら楽しむ、というのが一般的。
朝7時、チャーターしたバンにてカトマンズを発ち、ピクニックのできる場所(*)まで向かう。
(*)ピクニックのできる場所:カトマンズ郊外の森の中に、ピクニック用に作られた場所(水とかまど、屋根付スペースが設置されている場所)がある。私たちは例年、カトマンズ郊外『タンコット』という場所にある公園へ出かけている。
8時頃には現地について、まずはチヤ(ネパールのミルクティ)を作るところから、ピクニックが始まる。
その後、軽食の準備に取りかかる。モツ&レバー系内臓の炒め物、チウラ(干し米)が例年のメニュー。この時点でアルコール類も登場。
ほろ酔い気分になった頃、誰かしらがタイミングよくマーダル(太鼓)をたたき始める。ジャウレのリズム(ネパールの伝統的音楽のリズムのひとつ)に合わせて、誰からともなく踊り始める。
・・・という感じで、進んでいく。
それと平行しながら、昼食作りも行われる。昨年までは、コックを1人外部から雇用し、食事作りは任せていたのだが、今年は、テント泊トレッキング時のコック経験がある者たちが指揮をとりながら、進行。
昼食は、プラウ(インド風ピラフのようなもの)、ヤギ肉、かぼちゃのつる、カリフラワーを使ったおかずと、ジャガイモの付け合せ、というのが、例年のメニュー。昼食といっても、15時過ぎにとるのだが。
その後も歌って踊って、夕方過ぎにお開き、というのが、大体の流れ。
今年は、21名(内1名は10ヶ月の赤ちゃん)というメンバーで、例年になく盛り上がった。
テンションあがりっぱなしのガイドたちが、帰りの車の中でもマーダルのリズムに合わせて踊りまくったりして。
年に一回、無礼講で楽しむこんな日を、みんなけっこう楽しみにしているのだ。
2007年6月18日月曜日
まとめ:チャリコット(周辺)情報
前回のつづき
しばらく治安があまりよくないとされていたせいか、最近の『地球の歩き方』には、チャリコットやその周辺については紹介されていない。(手元にある10年前の歩き方には、掲載されている。なお、2007年6月15日に販売開始された、ネパール編最新版については未確認) ロンリープラネット日本語版には、わずかながら掲載されている。
今のところ、ロールワリン地方のトレッキングへ行く際の始発地点とする以外に訪れる旅行者は、それほどいないと思われる。
本格的なトレッキングでなくても、今回私がしてきたように、カトマンズからの往復を入れて最低2泊3日~数日程度までのハイキングも楽しめる。
カトマンズ~チャリコット間の移動には、約140kmの道のりを6~8時間かけて陸路移動する必要がある点がおっくうだが、道はきれいに舗装されているため救われる。
同じ程度の距離を陸路移動しなければならないランタン方面トレッキングの始発地点『ドゥンチェ』や『シャブルベシ』へ行くよりかは、はるかに楽といえる。
宿泊地は、500ルピー以内で、何件かある。ネパール人が利用するようなレベルでかまわない場合は、もっと安くであるようだ。
ある程度快適に滞在したい場合、適当なホテルもある。
ちなみに私は、このエリアでは一番よいホテル(Charikot Panorama Resortを事前予約してでかけた。
レベル自体は中級だが、外国人の経営ということもあり、ネパール人だけでは出せないような配慮が嬉しい、居心地のよいホテルだった。スタッフたちは感じよく、食事もおいしかった。蛇足だが、朝食に、ネパール人スタッフの手焼きパンと、手作りジャム2種(オレンジ、すもも)が出たことに、少し感激したりもした。
なお、今回のシリーズで、山歩き時の各地の標高を記載したが、このホテルのサイトから引用したことも付け加えておく。
今まで、あまり外国人(日本人)は訪れないエリアであったチャリコット周辺だが、今後、治安が継続して安定してくれれば、数日程度の山歩きを目的としたこの方面への旅行も、十分楽しめるものとなるだろう。
(写真1番上:宿泊ホテル客室外観/2番目:宿泊ホテルのダイニングホールとなっている建物/1番下:チャリコットがあるドラカ郡を抜ける郡境にて)
おわり
しばらく治安があまりよくないとされていたせいか、最近の『地球の歩き方』には、チャリコットやその周辺については紹介されていない。(手元にある10年前の歩き方には、掲載されている。なお、2007年6月15日に販売開始された、ネパール編最新版については未確認) ロンリープラネット日本語版には、わずかながら掲載されている。
今のところ、ロールワリン地方のトレッキングへ行く際の始発地点とする以外に訪れる旅行者は、それほどいないと思われる。
本格的なトレッキングでなくても、今回私がしてきたように、カトマンズからの往復を入れて最低2泊3日~数日程度までのハイキングも楽しめる。
カトマンズ~チャリコット間の移動には、約140kmの道のりを6~8時間かけて陸路移動する必要がある点がおっくうだが、道はきれいに舗装されているため救われる。
同じ程度の距離を陸路移動しなければならないランタン方面トレッキングの始発地点『ドゥンチェ』や『シャブルベシ』へ行くよりかは、はるかに楽といえる。
宿泊地は、500ルピー以内で、何件かある。ネパール人が利用するようなレベルでかまわない場合は、もっと安くであるようだ。
ある程度快適に滞在したい場合、適当なホテルもある。
ちなみに私は、このエリアでは一番よいホテル(Charikot Panorama Resortを事前予約してでかけた。
レベル自体は中級だが、外国人の経営ということもあり、ネパール人だけでは出せないような配慮が嬉しい、居心地のよいホテルだった。スタッフたちは感じよく、食事もおいしかった。蛇足だが、朝食に、ネパール人スタッフの手焼きパンと、手作りジャム2種(オレンジ、すもも)が出たことに、少し感激したりもした。
なお、今回のシリーズで、山歩き時の各地の標高を記載したが、このホテルのサイトから引用したことも付け加えておく。
今まで、あまり外国人(日本人)は訪れないエリアであったチャリコット周辺だが、今後、治安が継続して安定してくれれば、数日程度の山歩きを目的としたこの方面への旅行も、十分楽しめるものとなるだろう。
(写真1番上:宿泊ホテル客室外観/2番目:宿泊ホテルのダイニングホールとなっている建物/1番下:チャリコットがあるドラカ郡を抜ける郡境にて)
おわり
2007年6月17日日曜日
チャリコット周辺ハイキング3 (クンタリ→ドラカ→チャリコット)
前回のつづき(2007年6月12日のこと)
段々畑を後にし、車道に到着した。クンタリ(Kunthali)という地名の場所らしい。なんともタイミングよく、チャリコット行きのローカルバスが、向こうからやってきた。
舗装道ではないので、激しい揺れの中、時速10kmぐらいで走っていく。ドラカ(Dolakha:標高約1660m)という場所まで、約30分の道のり。下の写真は、ドラカの町並み。
ドラカでは、訪れたい場所があった。それは、ビムセン寺院というところ。この寺院、商売繁盛にご利益があるのだが、実は、そんなことよりも、少々奇怪な『あるもの』が祭られていることで、知られている寺なのだ。
何はともあれ、寺院に続く階段を上る。
あるもの、とは、『汗をかく神像』。
本堂に石が置かれているのだが(上の写真)、ネパールにとって何か大きな出来事が起こる前、この石が汗をかくというのだ。
過去何度もこのような現象が見られたそうなのだ。記憶に新しいのは、2001年6月におきた、前国王一家殺害事件のとき。事件の何ヶ月か前、やはり、石が汗をかいていたのを、地元の人たちが確認していたそうだ。
そして少し恐ろしいのが、この石、先月頃にも汗をかいたということ。
そんなことも関係してか、6月15日から始まったビクラム暦3番目の月『アサール月』には、何かが起こる(カトマンズに大地震が来る、とか、クーデターが起こる、とか)いろいろ噂が飛び交っている、不吉な感じのカトマンズ。
商売繁盛のご利益があるといいながら、石が汗をかいて、ネパールに大事が起これば、商売あがったり。なんだか矛盾を感じるが、まあ、石が汗をかくからネパールに何かが起こるのではなく、ネパールに何かが起こる前兆として石が汗をかくわけだから、仕方がないか、と、ややこしいことを考えながら、寺を後にする。
帰りは再びローカルバスを利用し、チャリコットまで戻った。これにて、約7時間(内訳:徒歩約5時間、バス乗車2回分の合計約45分、バス待ち時間約1時間)の山歩き行程終了。
つづく
段々畑を後にし、車道に到着した。クンタリ(Kunthali)という地名の場所らしい。なんともタイミングよく、チャリコット行きのローカルバスが、向こうからやってきた。
舗装道ではないので、激しい揺れの中、時速10kmぐらいで走っていく。ドラカ(Dolakha:標高約1660m)という場所まで、約30分の道のり。下の写真は、ドラカの町並み。
ドラカでは、訪れたい場所があった。それは、ビムセン寺院というところ。この寺院、商売繁盛にご利益があるのだが、実は、そんなことよりも、少々奇怪な『あるもの』が祭られていることで、知られている寺なのだ。
何はともあれ、寺院に続く階段を上る。
あるもの、とは、『汗をかく神像』。
本堂に石が置かれているのだが(上の写真)、ネパールにとって何か大きな出来事が起こる前、この石が汗をかくというのだ。
過去何度もこのような現象が見られたそうなのだ。記憶に新しいのは、2001年6月におきた、前国王一家殺害事件のとき。事件の何ヶ月か前、やはり、石が汗をかいていたのを、地元の人たちが確認していたそうだ。
そして少し恐ろしいのが、この石、先月頃にも汗をかいたということ。
そんなことも関係してか、6月15日から始まったビクラム暦3番目の月『アサール月』には、何かが起こる(カトマンズに大地震が来る、とか、クーデターが起こる、とか)いろいろ噂が飛び交っている、不吉な感じのカトマンズ。
商売繁盛のご利益があるといいながら、石が汗をかいて、ネパールに大事が起これば、商売あがったり。なんだか矛盾を感じるが、まあ、石が汗をかくからネパールに何かが起こるのではなく、ネパールに何かが起こる前兆として石が汗をかくわけだから、仕方がないか、と、ややこしいことを考えながら、寺を後にする。
帰りは再びローカルバスを利用し、チャリコットまで戻った。これにて、約7時間(内訳:徒歩約5時間、バス乗車2回分の合計約45分、バス待ち時間約1時間)の山歩き行程終了。
つづく
2007年6月16日土曜日
チャリコット周辺ハイキング2(デウラリ→ススパ→クンタリ)
前回のつづき(2007年6月12日のこと)
チヤ(ネパール流ミルクティ)をご馳走になった後、バターランプに火をともして僧院を後にする。
ススパ(Suspa:標高約1870m)という小さな集落を通り過ぎ、田畑の中の道を歩く。途中、森が少し開けた場所で牛やヤギが草を食んでいる光景が、なんとも牧歌的で美しい。
ドラカ(Dolaka:標高約1660m)を目指して歩いているのだが、途中、道がわからなくなり、農作業をしている現地の人に尋ねてみる。すると、みんな決まって「あっちに降りると、モーターの走るロードに出るから、そこまで行ったらあとは道なりに歩きなさい」と教えてくれる。
つまり「車が走る道にでるから~」と言っているのだが、およそ英語とは無関係な人生を送っているであろう素朴な農民たちが、みんなそろいもそろって、車(Motor)と道(Road)の部分だけ英語を使うことがおかしい。該当するネパール語があるにもかかわらず。
段々畑ではちょうど田植えをしていた。さっきまで霧雨が降っていたから、かぶっていたのだろう、雨笠があちこちに置いてある。
バスが走るという車道も、段々畑の下に見えてきている。
つづく
チヤ(ネパール流ミルクティ)をご馳走になった後、バターランプに火をともして僧院を後にする。
ススパ(Suspa:標高約1870m)という小さな集落を通り過ぎ、田畑の中の道を歩く。途中、森が少し開けた場所で牛やヤギが草を食んでいる光景が、なんとも牧歌的で美しい。
ドラカ(Dolaka:標高約1660m)を目指して歩いているのだが、途中、道がわからなくなり、農作業をしている現地の人に尋ねてみる。すると、みんな決まって「あっちに降りると、モーターの走るロードに出るから、そこまで行ったらあとは道なりに歩きなさい」と教えてくれる。
つまり「車が走る道にでるから~」と言っているのだが、およそ英語とは無関係な人生を送っているであろう素朴な農民たちが、みんなそろいもそろって、車(Motor)と道(Road)の部分だけ英語を使うことがおかしい。該当するネパール語があるにもかかわらず。
段々畑ではちょうど田植えをしていた。さっきまで霧雨が降っていたから、かぶっていたのだろう、雨笠があちこちに置いてある。
バスが走るという車道も、段々畑の下に見えてきている。
つづく
2007年6月15日金曜日
チャリコット周辺ハイキング1(チャリコット→デウラリ)
前回のつづき(2007年6月12日のこと)
小旅行2日目には、チャリコット周辺の山歩きを楽しんだ。
コースは、チャリコット(標高約2000m)→デウラリ(2300m)→ススパ(2000m)→ドラカ(1400m)→チャリコット。
乾季なら、7000m級のヒマラヤ眺望も楽しめるようなので、外国人にとっては、ちょっとしたハイキングコースになるわけだが、地元の人にとっては生活道。チャリコットで購入した食料などを、山奥の自分の村へ運ぶ人たちの姿が見られた。
デウラリ(Deurali:標高約2360m)到着前に行き会った、タマン族とタミ族の女性5人(+背負われている子供1人)のグループ。食料と、田畑用の肥やしを背負っている。どれも、20kg前後あるとのこと。みんな、チャッパル(サンダル)履き。1人は裸足。現地の人たちはたくましい。
カリンチョク(Kalinchouk:約3800m)のもっと向こうにある自分たちの村まで運ぶのだという。今日は途中の茶店で1泊するそうだ。
デウラリを過ぎ、この近くにあるというゴンパ(チベット僧院)へ向かう。途中小雨が降ってきたが、冷たさが気持ちいい。木々の間から湧き上がる水蒸気も素敵。
ゴンパ(標高約2450m)が見えてくる。
こじんまりとした僧院だが、立派なマニ車はちゃんとある。
尼さんが修行をしていて、チヤ(ネパールのミルクティー)を振舞ってくれた。
つづく
小旅行2日目には、チャリコット周辺の山歩きを楽しんだ。
コースは、チャリコット(標高約2000m)→デウラリ(2300m)→ススパ(2000m)→ドラカ(1400m)→チャリコット。
乾季なら、7000m級のヒマラヤ眺望も楽しめるようなので、外国人にとっては、ちょっとしたハイキングコースになるわけだが、地元の人にとっては生活道。チャリコットで購入した食料などを、山奥の自分の村へ運ぶ人たちの姿が見られた。
デウラリ(Deurali:標高約2360m)到着前に行き会った、タマン族とタミ族の女性5人(+背負われている子供1人)のグループ。食料と、田畑用の肥やしを背負っている。どれも、20kg前後あるとのこと。みんな、チャッパル(サンダル)履き。1人は裸足。現地の人たちはたくましい。
カリンチョク(Kalinchouk:約3800m)のもっと向こうにある自分たちの村まで運ぶのだという。今日は途中の茶店で1泊するそうだ。
デウラリを過ぎ、この近くにあるというゴンパ(チベット僧院)へ向かう。途中小雨が降ってきたが、冷たさが気持ちいい。木々の間から湧き上がる水蒸気も素敵。
ゴンパ(標高約2450m)が見えてくる。
こじんまりとした僧院だが、立派なマニ車はちゃんとある。
尼さんが修行をしていて、チヤ(ネパールのミルクティー)を振舞ってくれた。
つづく
2007年6月14日木曜日
チャリコットへ 3(カディチョール→ムデ→チャリコット)
前回のつづき (2007年6月11日のこと)
分岐点カディチョールで魚のスープ付ダルバートを食べ、さらに進む。ここからは、しばらくはひたすら上り坂。標高1000mもないカディチョールから最高地点約2600mまで、途中でバスを追い抜いたりしながら、ひたすら高度を上げていく。
うっそうとした森の道で、ところどころに小さな集落があるだけなのに、突然、前方から、デモ行進する子供たちの長い列が現れて驚く。
掲げているプラカードにはYCL(若年マオイスト系団体:Young Communist League)と書かれていて、「酒は敵だ!」「酒を飲むのをやめよう!」などと叫びながら歩いている。周りは森で、民家もぽつんぽつんとしか存在しないこの山の中で、いったい誰に向かって訴えているのだろう、と、おかしくなる。
先生らしき引率者に許可を得て、撮影。
さらに上りは続き、標高約2500mほどの集落『ムデ(Mude)』着。霧も出てきて、肌寒い。このさらに上にある『カリドゥンガ(Khalidhunga』という場所で石灰石などが採れることから、ムデでも、石灰石の彫刻などが売られている。
チャリコット到着の少し手前で、またもや、子供たちが集団で歩いている姿に遭遇する。ここでもデモ行進か?と思ったのだが、よく見ると、鍋釜を抱えて、皆、陽気な足取りで進んでいる。ピクニックだ。
こちらのピクニックでは、鍋釜だけでなく、生きた鶏やヤギなども連れて行って、食材とすることが多い。彼らも、これから鶏を絞めてゴハンを作るのだという。「食べて行きなよ!」と嬉しい誘いを受けたが、チャリコットまではあと少し、写真を撮らせてもらっただけで、先を急ぐ。
そして、前々回に掲載した写真のように、チャリコットが見えてきた。
随分山奥に入った気がしていたのだが、町は、かなり開けていた。
つづく
分岐点カディチョールで魚のスープ付ダルバートを食べ、さらに進む。ここからは、しばらくはひたすら上り坂。標高1000mもないカディチョールから最高地点約2600mまで、途中でバスを追い抜いたりしながら、ひたすら高度を上げていく。
うっそうとした森の道で、ところどころに小さな集落があるだけなのに、突然、前方から、デモ行進する子供たちの長い列が現れて驚く。
掲げているプラカードにはYCL(若年マオイスト系団体:Young Communist League)と書かれていて、「酒は敵だ!」「酒を飲むのをやめよう!」などと叫びながら歩いている。周りは森で、民家もぽつんぽつんとしか存在しないこの山の中で、いったい誰に向かって訴えているのだろう、と、おかしくなる。
先生らしき引率者に許可を得て、撮影。
さらに上りは続き、標高約2500mほどの集落『ムデ(Mude)』着。霧も出てきて、肌寒い。このさらに上にある『カリドゥンガ(Khalidhunga』という場所で石灰石などが採れることから、ムデでも、石灰石の彫刻などが売られている。
チャリコット到着の少し手前で、またもや、子供たちが集団で歩いている姿に遭遇する。ここでもデモ行進か?と思ったのだが、よく見ると、鍋釜を抱えて、皆、陽気な足取りで進んでいる。ピクニックだ。
こちらのピクニックでは、鍋釜だけでなく、生きた鶏やヤギなども連れて行って、食材とすることが多い。彼らも、これから鶏を絞めてゴハンを作るのだという。「食べて行きなよ!」と嬉しい誘いを受けたが、チャリコットまではあと少し、写真を撮らせてもらっただけで、先を急ぐ。
そして、前々回に掲載した写真のように、チャリコットが見えてきた。
随分山奥に入った気がしていたのだが、町は、かなり開けていた。
つづく
チャリコットへ 2(カトマンズ→ドラルガート→カディチョール)
前回のつづき (2007年6月11日のこと)
カトマンズを出発後、古都『バクタプル(Bhaktapur)』、カトマンズ近郊のヒマラヤ展望地として知られている『ドゥリケル(Dhulikhel)』(標高約1500m)を過ぎ、標高を落としていくと、『スンコシ川』沿いの小さな集落『ドラルガート(Dolalghat)』にたどり着く。
カトマンズから約50km。ここは川魚が有名で、食堂の外には、干物がつるしてある。
近くの川では、網を使って魚を獲る人たちの姿も見られる。
さらに進んで、チャリコット、ジリ方面への分岐点、カディチョウル(Khadichaur)へ。カトマンズから行く場合、チャリコット、ジリ方面へ行くにはここを右に曲がり、登り道を進んでいくことになる。曲がらずにそのまま40kmほど進めば、中国との国境『コダリ(Kodari)』にたどり着く。
どこにでもあるバスの停車町という小さな集落なのだが、中国製の安い商品がいろいろ売られているのが面白い。
つづく
カトマンズを出発後、古都『バクタプル(Bhaktapur)』、カトマンズ近郊のヒマラヤ展望地として知られている『ドゥリケル(Dhulikhel)』(標高約1500m)を過ぎ、標高を落としていくと、『スンコシ川』沿いの小さな集落『ドラルガート(Dolalghat)』にたどり着く。
カトマンズから約50km。ここは川魚が有名で、食堂の外には、干物がつるしてある。
近くの川では、網を使って魚を獲る人たちの姿も見られる。
さらに進んで、チャリコット、ジリ方面への分岐点、カディチョウル(Khadichaur)へ。カトマンズから行く場合、チャリコット、ジリ方面へ行くにはここを右に曲がり、登り道を進んでいくことになる。曲がらずにそのまま40kmほど進めば、中国との国境『コダリ(Kodari)』にたどり着く。
どこにでもあるバスの停車町という小さな集落なのだが、中国製の安い商品がいろいろ売られているのが面白い。
つづく
2007年6月13日水曜日
チャリコットへ
カトマンズの北東約140kmの場所にある、チャリコット(Charikot:標高約2000m)へ行ってきた。(写真中央の丘がチャリコット)
エベレスト街道トレッキングに国内線を使わないで行く場合の始発地点『ジリ(Jiri)』よりも50kmほど手前にある場所。
少し前までは、マオイストの活動が盛んに行われていて、数年前には、ジリ~チャリコットを結ぶローカルバスが爆破され、死傷者が出たこともあった。
このため、なんとなく行くのを自粛していたが、今なら特に問題ないだろう、と、行ってみることにした。
カトマンズから車で約6時間かかる、尾根沿いに栄えた町。途中、集落などほとんどない森の中も通り、いくつも山を越える。
だいぶ山の中まで入っていった気がしたのだが、見えてきたチャリコットの集落は、予想以上に立派で驚く。
乾季には、上記写真の雲の位置に、ガウリシャンカール(7146m)をはじめとする、6~7000m級のヒマラヤ山脈のすばらしい眺望が拝めるそうだ。
つづく
2007年6月10日日曜日
カトマンズ盆地の外へ
4月に、長距離ローカルバス情報について調べる機会があり、バス発着地点(ナヤ・バスパーク)を久しぶりに訪れたのだが、駅とか空港とかと同じで、ああいう場所は、旅への郷愁を誘うからいけない。
時間ができたので、手始めに先日ダマンまで行ってみた。
そして今回。
今日明日(10日、11日)と予定されていたネパールバンダ(全国規模のゼネスト)も中止になったので、明日からまた、カトマンズ盆地の外へ短期間で脱出してみる予定。
目的地は思わせぶりに、この地図の中のどこか。
つづく
時間ができたので、手始めに先日ダマンまで行ってみた。
そして今回。
今日明日(10日、11日)と予定されていたネパールバンダ(全国規模のゼネスト)も中止になったので、明日からまた、カトマンズ盆地の外へ短期間で脱出してみる予定。
目的地は思わせぶりに、この地図の中のどこか。
つづく
2007年6月6日水曜日
雨とルクラ便
先日3日、久々の雨が降ってから、暑さは一段落した。
本日も、夕方の外温が25度ぐらいだったから、先週と比べて10度近く下がったことになる。
湿度は気にならず、むしろ涼しくなるカトマンズの雨季は、過ごしやすくありがたい。
昨日今日とどんよりした空模様で、カトマンズからエベレスト方面トレッキングルートへ向かう国内便のルクラ線も、2日間全便欠航となっていた。
雨季中、ルクラ便を使う際には、こういうこともよくあるという覚悟が必要。
本日も、夕方の外温が25度ぐらいだったから、先週と比べて10度近く下がったことになる。
湿度は気にならず、むしろ涼しくなるカトマンズの雨季は、過ごしやすくありがたい。
昨日今日とどんよりした空模様で、カトマンズからエベレスト方面トレッキングルートへ向かう国内便のルクラ線も、2日間全便欠航となっていた。
雨季中、ルクラ便を使う際には、こういうこともよくあるという覚悟が必要。
2007年6月3日日曜日
久々の雨にホッとする
夕方、久々に雨が降った。遠くで稲妻も光っていた。
5月半ば頃から、ほとんど雨が降らず、暑い日々が続いていたから、待ちに待った雨だった。
一年で一番暑い、雨季前のネパール。少しでも雨が降れば、一気に涼しくなるのだが、一向に降る気配もなく、気温は上がる一方で、連日、30度を越す暑い日が続いていた。(過去形にしてしまったが、本日の雨で大地が冷やされて、明日からは多少涼しくなることを期待している)
湿度は低いので、ここ数年の日本の蒸し暑い酷暑に比べれば、カトマンズの暑さはカラッと快適な暑さなのだろうが、それでも暑いことには変わりない。
カトマンズ市内にある、蛇を祀る人工池『ナーグポカリ』の水も、干上がってしまっていた。
先日カトマンズ盆地の外へ出たときには、田植えの始まったみずみずしい風景を期待していたのだが、何しろ雨が降らないから田植えも始められない。どこもかしこも乾燥しまくっていて、見られるのはカラッカラの大地だった。(下の写真はジャガイモ畑)
カトマンズ郊外に住む知人たちも、田植えを始められず、やきもきしていた模様。
5月半ば頃から準備している苗代が干上がり、稲の苗が枯れかけていたため、雨乞いのプジャ(儀式)までしていたそう。それでも雨は降らず(実際には、偶然か否か、プジャ後に一瞬ぱらついたそうだが、それだけでは全然足りず)、日没後、涼しくなった頃を見計らって、村人交代で、井戸から汲んで来た水を苗代に注ぎ入れていたそうだ。
なかなか雨が降らなかったのは、毎年4~5月頃に行われる雨乞いの祭『マチェンドラナート』に使う山車が、パタンの町を巡回中に壊れてしまったからだ、と信じている人もいる。
(↑修復中の山車。よく見ると、柱にたくさんの人がはりついて作業をしている)
いずれにしても、待ち焦がれていた久々の雨に、大地だけではなくて、心も潤った感じ。ホッとした。
2007年6月1日金曜日
ダマンの帰り道に女性サイクリストと出会う
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