ネパールの朝は気持ちいい。首都カトマンズとは言えども、明け方にはあちこちでニワトリの声や、小鳥のさえずりも聞こえる。東側にある私の寝室には、太陽が出てくる時間になると、イヤでも光が差し込んでくるので、目覚ましなしでも朝には自然に目が覚める。
今朝も、小鳥のさえずりで目が覚めた。
と、ここまでは気持ちのいい朝だったのだが、すぐに、今ネパールが陥っている、昨日までの現実を思い出して、暗い気分になる。
今日も、外出禁止令が出るのだろうか?(結局、今日も出た・・・)
4月6日から始まった一連の抗議行動、内、カトマンズリングロード内では、今日も含めて計8日目の日中外出禁止令が出ている。
また、携帯電話(プリペイド、ポストペイドとも)、昨日午後からまた遮断されている。
2006年4月23日日曜日
2006年4月22日土曜日
不満は続く
昨日の国王声明に政党は満足せず、今後も抗議行動を続けるとのこと。
今日は外出禁止令は出ていないが、実質上バンダ(ストライキ)状態は続いているようだ。4月6日に始まって以来、今日で17日目のバンダ。異常としかいえない。
まだしばらくは、今までの状態を引きづりそうな気配。
しかし、(旅行者にとっては)外出禁止令が今後出なければ、一応観光はできる。といっても、こんな不透明な状態では、ネパールに来ても、思う存分楽しめないかもしれない。それに、バンダ(スト)状態が続けば、店もシャッターを下ろした状態である場合が多い。また、ツーリストバスがいつから動き始めるかは、現時点では不明。国内線は、20日のみ欠航しただけで、昨日21日からは飛んでいる。国際線は、今回のこの騒動中もずっと運航している(空港は稼動している)。
今日は外出禁止令は出ていないが、実質上バンダ(ストライキ)状態は続いているようだ。4月6日に始まって以来、今日で17日目のバンダ。異常としかいえない。
まだしばらくは、今までの状態を引きづりそうな気配。
しかし、(旅行者にとっては)外出禁止令が今後出なければ、一応観光はできる。といっても、こんな不透明な状態では、ネパールに来ても、思う存分楽しめないかもしれない。それに、バンダ(スト)状態が続けば、店もシャッターを下ろした状態である場合が多い。また、ツーリストバスがいつから動き始めるかは、現時点では不明。国内線は、20日のみ欠航しただけで、昨日21日からは飛んでいる。国際線は、今回のこの騒動中もずっと運航している(空港は稼動している)。
ネパール流抗議法
ネパール語でカビタ(Kabita)と呼ばれる詩は、語尾が韻をふんでいたり、語呂がよかったりして、耳障りのよい音の流れであるものも多い。
民謡やドホリ(Dohori)と呼ばれる男女の掛け合いの歌にも、この技法が用いられていることが多く、聞いていて楽しい。
連日続けられている抗議行動で群集が叫んでいるシュプレヒコール。抗議行動を間近で見てきた者によると、国王や皇太子に対する強烈なメッセージが叫ばれているとのこと。放送禁止用語連発であるため、ネパールのニュース番組では国営/民放あわせて、その部分だけ音を消す。
しかし、先日NHKで流れたニュースを見ていたら、ネパール人向けでないため問題ないからか、提供側が、この程度なら問題ないと判断したからか、国王批判のシュプレヒコールであるにもかかわらず、音声が消えることなく一部が流れていた。それは、こんな部分だった。
ギャネ チョール! デシュ チョール!
ギャネというのは言うまでもなく、ギャネンドラ現国王のこと(ギャネ呼ばわりされるなんて、少し国王が気の毒な気もする)。意訳すると、『ギャネは泥棒!国を乗っ取った泥棒!』という感じだろうか。
この程度の批判はかわいいもので、放送されていない部分では、相当すごいことを言っているとのこと。でもどれも聞いていると、語呂あわせよく、韻をふんで作ってあり、よくもまあ、うまいこと考えたなあ、と、不謹慎ながら笑ってしまう。
ネパールの祭のとき/トレッキングの最中に、ネパール人が自然に身を任せて楽しそうに歌って踊る姿を見かけたことがある人は多いと思う。この国の人たちは、小さいときから身近に歌と踊りがあって、体の中から生まれ出た感情を、こうやって体で表現することも多い。
今回、単なるシュプレヒコールを飛ばし行進するのではなく、即興で作った詩に抑揚をつけ歌にし、その歌にあわせて踊るという抗議行動が行われているシーンを、ニュースで流していた。国民の心の中から沸き起こったメッセージを、体で表現した、という感覚だろうか。円陣を組んで、歌い踊っている群衆の周りを、国軍兵や警官が警戒していたが、国軍兵や警官とは言えども、みんな歌や踊り好きな同じネパール国民であることには変わらない。きっと、心の中では彼らも苦笑していたことだろう。
レンガ投げ抗議よりも健全で、いかにもネパールらしいこの抗議行動に、不覚にも感動すら覚えてしまった。
Shanti lyauncha(un) janata ko boli le
Bichar marna sakdaina goli le
(意訳) 僕たち国民の声で平和を呼び戻すよ
銃弾で思想を撃ち殺すことはできないよ
Timro shasan 2(Dui) dinko bhaeni
Hamro shasan jiban bhari nai.
(意訳) 君(ギャネンドラ国王)の支配は2日だけのものであっても、
僕たち国民の支配は一生モノなのだ!
* 国王を『君』呼ばわりすることなど、通常はありえない。
民謡やドホリ(Dohori)と呼ばれる男女の掛け合いの歌にも、この技法が用いられていることが多く、聞いていて楽しい。
連日続けられている抗議行動で群集が叫んでいるシュプレヒコール。抗議行動を間近で見てきた者によると、国王や皇太子に対する強烈なメッセージが叫ばれているとのこと。放送禁止用語連発であるため、ネパールのニュース番組では国営/民放あわせて、その部分だけ音を消す。
しかし、先日NHKで流れたニュースを見ていたら、ネパール人向けでないため問題ないからか、提供側が、この程度なら問題ないと判断したからか、国王批判のシュプレヒコールであるにもかかわらず、音声が消えることなく一部が流れていた。それは、こんな部分だった。
ギャネ チョール! デシュ チョール!
ギャネというのは言うまでもなく、ギャネンドラ現国王のこと(ギャネ呼ばわりされるなんて、少し国王が気の毒な気もする)。意訳すると、『ギャネは泥棒!国を乗っ取った泥棒!』という感じだろうか。
この程度の批判はかわいいもので、放送されていない部分では、相当すごいことを言っているとのこと。でもどれも聞いていると、語呂あわせよく、韻をふんで作ってあり、よくもまあ、うまいこと考えたなあ、と、不謹慎ながら笑ってしまう。
ネパールの祭のとき/トレッキングの最中に、ネパール人が自然に身を任せて楽しそうに歌って踊る姿を見かけたことがある人は多いと思う。この国の人たちは、小さいときから身近に歌と踊りがあって、体の中から生まれ出た感情を、こうやって体で表現することも多い。
今回、単なるシュプレヒコールを飛ばし行進するのではなく、即興で作った詩に抑揚をつけ歌にし、その歌にあわせて踊るという抗議行動が行われているシーンを、ニュースで流していた。国民の心の中から沸き起こったメッセージを、体で表現した、という感覚だろうか。円陣を組んで、歌い踊っている群衆の周りを、国軍兵や警官が警戒していたが、国軍兵や警官とは言えども、みんな歌や踊り好きな同じネパール国民であることには変わらない。きっと、心の中では彼らも苦笑していたことだろう。
レンガ投げ抗議よりも健全で、いかにもネパールらしいこの抗議行動に、不覚にも感動すら覚えてしまった。
Shanti lyauncha(un) janata ko boli le
Bichar marna sakdaina goli le
(意訳) 僕たち国民の声で平和を呼び戻すよ
銃弾で思想を撃ち殺すことはできないよ
Timro shasan 2(Dui) dinko bhaeni
Hamro shasan jiban bhari nai.
(意訳) 君(ギャネンドラ国王)の支配は2日だけのものであっても、
僕たち国民の支配は一生モノなのだ!
* 国王を『君』呼ばわりすることなど、通常はありえない。
2006年4月21日金曜日
今後の状況は?
ネパール時間の21日19時(日本時間の22時15分)、ネパール国営テレビにて国王の声明が発表された。
(しかし、私の住むエリアでは、なぜか声明5分前位から10分ほど突然停電になり、始まりを見損ねた)
さて、その声明の内容は、抗議行動を行っている7政党の要求どおり、国王が握っていた政権を政党に引き渡す、ということであった。つまり、みんなの期待通りの結果となったわけだが、だからといって、明日から状況がよくなるのかというと、具体的にどうなる、というわけでも、たぶん、ない。
明日以降、外出禁止令が発令されなければ、観光に支障が出ることはなくなるかもしれないが、具体的に治安がよくなるのか、とか、ツーリストバスは動くのか、とか、そういう状況は現時点では分からない。
(追記)国王声明概要については、在ネ日本大使館からいただいた訳文を こちら に掲載しています。
(しかし、私の住むエリアでは、なぜか声明5分前位から10分ほど突然停電になり、始まりを見損ねた)
さて、その声明の内容は、抗議行動を行っている7政党の要求どおり、国王が握っていた政権を政党に引き渡す、ということであった。つまり、みんなの期待通りの結果となったわけだが、だからといって、明日から状況がよくなるのかというと、具体的にどうなる、というわけでも、たぶん、ない。
明日以降、外出禁止令が発令されなければ、観光に支障が出ることはなくなるかもしれないが、具体的に治安がよくなるのか、とか、ツーリストバスは動くのか、とか、そういう状況は現時点では分からない。
(追記)国王声明概要については、在ネ日本大使館からいただいた訳文を こちら に掲載しています。
今夜19時に国王声明発表予定
テレビニュースによる字幕情報によると、ネパール国営テレビ(NTV)にて、ネパール時間の今晩19時(日本時間の22時15分)、国王が何か声明を発表するとのこと。
この声明により、今後の情勢が分かってくるかもしれない。
GWの旅行をキャンセルしようかどうか迷っている皆さん、もしかすると、何か動きがあるかもしれません。キャンセル手配はもうしばらくお待ちを!
リングロード外(外出禁止令が発令されていない地域)にいる何名かの知人(ネパール人)からの情報によると、リングロード(約20kmの環状道路)一周、群集が取り囲んでいるとのこと。リングロードは、本来なら、今日の外出禁止令発令地区になるが、この情報が本当であれば、すごいことになっている。
私の家から歩いて15分ほどでリングロードにたどり着くが、外出禁止令が出ている今、確かめに行くことは出来ない。
この声明により、今後の情勢が分かってくるかもしれない。
GWの旅行をキャンセルしようかどうか迷っている皆さん、もしかすると、何か動きがあるかもしれません。キャンセル手配はもうしばらくお待ちを!
リングロード外(外出禁止令が発令されていない地域)にいる何名かの知人(ネパール人)からの情報によると、リングロード(約20kmの環状道路)一周、群集が取り囲んでいるとのこと。リングロードは、本来なら、今日の外出禁止令発令地区になるが、この情報が本当であれば、すごいことになっている。
私の家から歩いて15分ほどでリングロードにたどり着くが、外出禁止令が出ている今、確かめに行くことは出来ない。
電話
私の日本の家族4人(父/母/私/妹)は、3ヶ国4ヶ所に暮らしている。
家族同士の連絡はもっぱらメールを使っているのだが、もともと筆不精の父と妹。私が単身赴任中の父と直接メールでやり取りするのは年に1~2回あるかないか程度だし、妹もまた、最近は1ヶ月に1回連絡をくれればよい程度。しかし、とりあえず実家にいる母を基点にして、電話連絡は取っているので、母がそこから得た情報を、スピーカーとして家族に伝える役目を果たしている。母と私はほぼ毎日、メールでどうでもいいことを連絡しあっているが、電話で話すことはめったにない。
そんな母から、かなり久々に昨晩電話があった。
ネパールの情勢が不安定になっているときでも、それを知っていながらほとんど心配もすることもなく、相変わらずどうでもいいメールを送ってくる(新聞の国際面やネットでネパールのことについてはチェックしているが、情勢不安定のニュースが日本で流れているときでも、私がいつも『別にこっちはたいしたことないよ』というものだから、どんなときでもほとんど心配などしていない)母だが、さすがに今回は、心配になって電話をしてきたのだろうな、と、当然のごとく私は思った。
しかし、父と妹の情報と、自分のことを延々20分ほど話し続ける母。とりあえず、聞き役の私。そして、一通り話しが尽きた後、そろそろ、こちらの情勢を気遣う話題になるのかと思ったが、一向にそういう話題にはならない。
おかしいなあ。母は私のブログも毎日見ているようだし、今のネパール情勢を知らないはずはないんだけどなあ、と思いながら、私のほうから切り出してみる。
で、今日電話してくれたのは、こっちの情勢を心配してってわけじゃないの、ね?
すると母は付け加えるようにこう言った。
大変そうなことにはなっているみたいだけど、でもいつも、貴女は、こっちは別になんともないよ、って言うじゃない?だから、別に何も心配もしてないんだけど。なんともないんでしょ?
私、電話口で、苦笑。確かに母の言う通り。つまり、昨晩の電話は、私を気遣ってではなく、最近電話をしていないからと、たまたまかけてきただけだった(苦笑)。
その後、「それはそうと、知ってる?63年ぶりに日本に帰国した、元日本兵のニュース。昨日新聞見てなくて、今日知ったんだけど」などという、話題を出してくる母。「私なんて、最近ずっと家でNHK見てるから、そんなニュースとっくに知ってるわよ」と自慢しておいたが、そんなこと、わざわざ国際電話でネタにする内容か?
そういえば昨年2月、一週間ほど通信が遮断されていて、メールが送れないことがあった。お互いに2~3日メールがないと、最近ずっとメールがないねえ、などと言ってしまうぐらいでもあり、ネパールの情勢も情勢だったので、何日も私からのメールがないと、さぞかし心配しているだろうと、大使館にお願いして、無事でいる旨の報告を、日本の実家に入れてもらったことがある。
しかし、そのときも実は、私からのメールが途切れたことに対して、特に気にも留めていなかったことが、後日判明した。
まあ、必要以上に心配されても困るので、このぐらいのあっけらかんさが、海外に住む私にとっても妹にとっても、助かっているのだが。
家族同士の連絡はもっぱらメールを使っているのだが、もともと筆不精の父と妹。私が単身赴任中の父と直接メールでやり取りするのは年に1~2回あるかないか程度だし、妹もまた、最近は1ヶ月に1回連絡をくれればよい程度。しかし、とりあえず実家にいる母を基点にして、電話連絡は取っているので、母がそこから得た情報を、スピーカーとして家族に伝える役目を果たしている。母と私はほぼ毎日、メールでどうでもいいことを連絡しあっているが、電話で話すことはめったにない。
そんな母から、かなり久々に昨晩電話があった。
ネパールの情勢が不安定になっているときでも、それを知っていながらほとんど心配もすることもなく、相変わらずどうでもいいメールを送ってくる(新聞の国際面やネットでネパールのことについてはチェックしているが、情勢不安定のニュースが日本で流れているときでも、私がいつも『別にこっちはたいしたことないよ』というものだから、どんなときでもほとんど心配などしていない)母だが、さすがに今回は、心配になって電話をしてきたのだろうな、と、当然のごとく私は思った。
しかし、父と妹の情報と、自分のことを延々20分ほど話し続ける母。とりあえず、聞き役の私。そして、一通り話しが尽きた後、そろそろ、こちらの情勢を気遣う話題になるのかと思ったが、一向にそういう話題にはならない。
おかしいなあ。母は私のブログも毎日見ているようだし、今のネパール情勢を知らないはずはないんだけどなあ、と思いながら、私のほうから切り出してみる。
で、今日電話してくれたのは、こっちの情勢を心配してってわけじゃないの、ね?
すると母は付け加えるようにこう言った。
大変そうなことにはなっているみたいだけど、でもいつも、貴女は、こっちは別になんともないよ、って言うじゃない?だから、別に何も心配もしてないんだけど。なんともないんでしょ?
私、電話口で、苦笑。確かに母の言う通り。つまり、昨晩の電話は、私を気遣ってではなく、最近電話をしていないからと、たまたまかけてきただけだった(苦笑)。
その後、「それはそうと、知ってる?63年ぶりに日本に帰国した、元日本兵のニュース。昨日新聞見てなくて、今日知ったんだけど」などという、話題を出してくる母。「私なんて、最近ずっと家でNHK見てるから、そんなニュースとっくに知ってるわよ」と自慢しておいたが、そんなこと、わざわざ国際電話でネタにする内容か?
そういえば昨年2月、一週間ほど通信が遮断されていて、メールが送れないことがあった。お互いに2~3日メールがないと、最近ずっとメールがないねえ、などと言ってしまうぐらいでもあり、ネパールの情勢も情勢だったので、何日も私からのメールがないと、さぞかし心配しているだろうと、大使館にお願いして、無事でいる旨の報告を、日本の実家に入れてもらったことがある。
しかし、そのときも実は、私からのメールが途切れたことに対して、特に気にも留めていなかったことが、後日判明した。
まあ、必要以上に心配されても困るので、このぐらいのあっけらかんさが、海外に住む私にとっても妹にとっても、助かっているのだが。
外出禁止令継続中
4月に入って、このブログの(延べ)アクセス数が急激に増えた。以前は、いっても日に200程度のアクセスだったのだが、最近は連日500前後のアクセスとなっている。それでも他の人気ブログに比べればささやかなものではある。でも、私が発信している、主観も混じった内容ばかり書いているこんな情報が、<ネパール好きな/ネパール旅行を検討中の/元ネパール在住者でネパールが気になっている>人たちの、現地情報のひとつとして参考になっているようであれば、私としても嬉しい。
ということで、とりあえず近況報告。
20日午前2時~午後8時までカトマンズ(リングロード内)に出されていた外出禁止令は、午後8時直前時点で延長が発表され、午前3時までとなった。つまり、連続25時間の外出禁止令となったわけだ。
その後、午前3時~9時までの6時間一時解除となったが、その後、本日21日、午前9時~午後8時まではまた布かれている。
私の住んでいる付近は、いたって静か。時々ヘリコプターの音がすると、何か起きたか?と思わず空を見上げてしまうが(2001年6月1日におきた前国王一家暗殺事件の時、通常では聞こえるはずもない夜中に、ヘリコプターが飛び交う音が聞こえたことがあった。それ以来、ヘリコプターが空を飛ぶと、何か動きがあったか?と反応してしまう)、今のところ、特に変わった情報は聞いていない。
昨日はほぼ全便欠航となった国内線も今日は飛んで、昨日TG便にて到着した私たちのゲストも、無事ルクラへ飛んでいった。
他のゲストもみんな山の中(トレッキング中)のため、カトマンズに滞在しているゲストに逐一近況を報告する必要もなく、私にとっては、のんびりとした1日の始まりとなった。
しかし、ネパールの情勢はといえば、いまだ不透明で落ち着かない。
ということで、とりあえず近況報告。
20日午前2時~午後8時までカトマンズ(リングロード内)に出されていた外出禁止令は、午後8時直前時点で延長が発表され、午前3時までとなった。つまり、連続25時間の外出禁止令となったわけだ。
その後、午前3時~9時までの6時間一時解除となったが、その後、本日21日、午前9時~午後8時まではまた布かれている。
私の住んでいる付近は、いたって静か。時々ヘリコプターの音がすると、何か起きたか?と思わず空を見上げてしまうが(2001年6月1日におきた前国王一家暗殺事件の時、通常では聞こえるはずもない夜中に、ヘリコプターが飛び交う音が聞こえたことがあった。それ以来、ヘリコプターが空を飛ぶと、何か動きがあったか?と反応してしまう)、今のところ、特に変わった情報は聞いていない。
昨日はほぼ全便欠航となった国内線も今日は飛んで、昨日TG便にて到着した私たちのゲストも、無事ルクラへ飛んでいった。
他のゲストもみんな山の中(トレッキング中)のため、カトマンズに滞在しているゲストに逐一近況を報告する必要もなく、私にとっては、のんびりとした1日の始まりとなった。
しかし、ネパールの情勢はといえば、いまだ不透明で落ち着かない。
2006年4月20日木曜日
外出
20日20時まで予定されていたカーフュー(外出禁止令)は、21日午前3時まで延長になったのだが、昨晩20日の19時45分時点まで、私はそのことを知らなかった。
昨晩19時半頃から、私が住む地区では停電になっていたからだ。夜20時頃から呼びかけられていたブラックアウト (電気を消して抗議する行為。何に抗議するのかというと、今回の場合は、デモ中に発砲されて民衆から死者が数名出たことに抗議する目的だったらしい) に向けて、故意に停電にさせたのかどうかは不明だが、とにかく停電になり、つけっ放しにしていたテレビもラジオも停電とともにブチッと切れてしまった。
外出禁止令が解除になる20時には、一度タメル(旅行者が集まるエリア)に行く予定で、近所に住むガイドが私を迎えに来ることになっていた。明日からのトレッキングの簡単な打ち合わせとガイド紹介をしておくためだ。ゲストは明朝5時半にはホテルを出発する。外出禁止令が解除になる20時過ぎに会っておかないと、明日の早朝に会って打ち合わせをすることなど、事実上不可能だ。
だから、19時半に停電になったときは、20時に外出する用意を始めるよいきっかけにもなり、暗闇の中身支度を整えていた。
===
19時45分頃になって、昨晩からタメルに待機しているスタッフから連絡が入った。20時に解除になる外出禁止令は、午前3時まで延長になったというのだ。テレビの字幕スーパーに流れているからテレビで確認しろ、と言われたのだが、運悪く停電中。確認の術がない。
その直後、大使館経由の緊急連絡が、携帯メッセージに入る。『カーフューが20時に解除されることなく、3時まで延長になった』とある。『外出はしないように』とも、書かれている。一応、『了解』との返事を送っておく。
でも、あと10分後にはガイドが迎えに来る。同じエリアに住んでいるガイド宅も、今は停電中だから、カーフュー延長のニュースは知らないはずだ。
まったく、どんなときにも段取りというものが全くない国。外出禁止令という重要な情報ぐらい、早めに決定して、早めに告知してほしい。解除直前になって報道機関を通して延長の情報を流しても、停電区域では、一般市民が情報を入手するのは困難だ。
もう、知るか。延長を知らないフリして強行外出するしかない。
そうこうしているうちに20時になって、ガイドが迎えに来た。彼もやはり、カーフューが延長になったことを知らなかった。ダメもとで行ってみよう、ということになり、家を出発することになる。
===
時刻は20時を少し過ぎたところ。通常、カーフュー発令中は国軍が交差点ごとに警備にあたっていることが多いようなのだが、家を出発してからかなりの距離を走っても、警察にも国軍にも遭遇しなかった。カーフュー延長の情報は、彼らにも行き届いていないのかもしれない。暗闇の中街を歩く一般市民もちらほらいて、普通の夜よりは、多少通行が少ない程度という雰囲気でしかなかった。メインの通りから一本中に入った道では、店のシャッターなどもけっこう開いている。きっと、20時にカーフューが解除となったと思い込んで、店を開けたに違いない。
しかし、王宮近くまで行くと、各地に装甲車が停まっており、警戒する国軍の数がいきなり増えてきた。暗闇の中の装甲車、不気味だ。
タメル近くまで来て、初めて検問を受ける。武装警官からカーフューが延長になったことを知らないのか、と注意されたが、ガイドの免許証と私のパスポートを見せることにより、すんなり通行を許可してくれた。
===
その後、1時間ほどで用事を終え、21時頃、家がある方面に引き返す。この時間帯になると、さすがにカーフュー延長の知らせが一般市民にも国軍にも行き渡ったと見え、自宅までの道のりで、外出している人には遭遇しなかった。
道中、なるべく裏通りを選んだつもりだったのだが、途中2ヶ所、国軍に止められる。1ヶ所ではすぐに通行を許可してくれたが、家の近所の検問では、かなり長いこと止められてしまう。私たちの家がある方向が、連日大規模な抗議行動が行われている方面の手前に当たるからだ。しかし、事情を話し、身分証明書を見せることで、通行を許可してくれた。
そんなこんなで、カーフュー中の強行外出を終えた。
昨晩19時半頃から、私が住む地区では停電になっていたからだ。夜20時頃から呼びかけられていたブラックアウト (電気を消して抗議する行為。何に抗議するのかというと、今回の場合は、デモ中に発砲されて民衆から死者が数名出たことに抗議する目的だったらしい) に向けて、故意に停電にさせたのかどうかは不明だが、とにかく停電になり、つけっ放しにしていたテレビもラジオも停電とともにブチッと切れてしまった。
外出禁止令が解除になる20時には、一度タメル(旅行者が集まるエリア)に行く予定で、近所に住むガイドが私を迎えに来ることになっていた。明日からのトレッキングの簡単な打ち合わせとガイド紹介をしておくためだ。ゲストは明朝5時半にはホテルを出発する。外出禁止令が解除になる20時過ぎに会っておかないと、明日の早朝に会って打ち合わせをすることなど、事実上不可能だ。
だから、19時半に停電になったときは、20時に外出する用意を始めるよいきっかけにもなり、暗闇の中身支度を整えていた。
===
19時45分頃になって、昨晩からタメルに待機しているスタッフから連絡が入った。20時に解除になる外出禁止令は、午前3時まで延長になったというのだ。テレビの字幕スーパーに流れているからテレビで確認しろ、と言われたのだが、運悪く停電中。確認の術がない。
その直後、大使館経由の緊急連絡が、携帯メッセージに入る。『カーフューが20時に解除されることなく、3時まで延長になった』とある。『外出はしないように』とも、書かれている。一応、『了解』との返事を送っておく。
でも、あと10分後にはガイドが迎えに来る。同じエリアに住んでいるガイド宅も、今は停電中だから、カーフュー延長のニュースは知らないはずだ。
まったく、どんなときにも段取りというものが全くない国。外出禁止令という重要な情報ぐらい、早めに決定して、早めに告知してほしい。解除直前になって報道機関を通して延長の情報を流しても、停電区域では、一般市民が情報を入手するのは困難だ。
もう、知るか。延長を知らないフリして強行外出するしかない。
そうこうしているうちに20時になって、ガイドが迎えに来た。彼もやはり、カーフューが延長になったことを知らなかった。ダメもとで行ってみよう、ということになり、家を出発することになる。
===
時刻は20時を少し過ぎたところ。通常、カーフュー発令中は国軍が交差点ごとに警備にあたっていることが多いようなのだが、家を出発してからかなりの距離を走っても、警察にも国軍にも遭遇しなかった。カーフュー延長の情報は、彼らにも行き届いていないのかもしれない。暗闇の中街を歩く一般市民もちらほらいて、普通の夜よりは、多少通行が少ない程度という雰囲気でしかなかった。メインの通りから一本中に入った道では、店のシャッターなどもけっこう開いている。きっと、20時にカーフューが解除となったと思い込んで、店を開けたに違いない。
しかし、王宮近くまで行くと、各地に装甲車が停まっており、警戒する国軍の数がいきなり増えてきた。暗闇の中の装甲車、不気味だ。
タメル近くまで来て、初めて検問を受ける。武装警官からカーフューが延長になったことを知らないのか、と注意されたが、ガイドの免許証と私のパスポートを見せることにより、すんなり通行を許可してくれた。
===
その後、1時間ほどで用事を終え、21時頃、家がある方面に引き返す。この時間帯になると、さすがにカーフュー延長の知らせが一般市民にも国軍にも行き渡ったと見え、自宅までの道のりで、外出している人には遭遇しなかった。
道中、なるべく裏通りを選んだつもりだったのだが、途中2ヶ所、国軍に止められる。1ヶ所ではすぐに通行を許可してくれたが、家の近所の検問では、かなり長いこと止められてしまう。私たちの家がある方向が、連日大規模な抗議行動が行われている方面の手前に当たるからだ。しかし、事情を話し、身分証明書を見せることで、通行を許可してくれた。
そんなこんなで、カーフュー中の強行外出を終えた。
この時期の旅行は・・・
(つづき)
TG便で到着した日本人は、それほど多くはなかったとのことだが、その中に、昨年7月にオフィスを訪問してくれた年配の日本人男性がグループで来ていて、空港に他のゲストを迎えに行っていた私たちのスタッフは、偶然にも、懐かしい再会を果たしたということだった。
その男性はいつも、ネパール在住日本人夫妻経営の古い旅行会社を利用して、トレッキングやクライミングに来られている方。ヒマラヤン・アクティビティーズ利用者ではないのだが、昨年、ふとした偶然がきっかけで、何度か私たちのオフィスにも足を運んでくださった。そしてその後も偶然が重なった。ヒマラヤン・アクティビティーズを利用してくださった方の、古い知り合いだということが判明したのだ。いろんな方面からの不思議な縁を感じた方だった。
という余談はさておき、この男性(とそのグループ)は今回、カンチェンジュンガ登山のため、再来ネされたとのこと。
つまり、何が言いたいかというと、旅行をキャンセルされる人も多いこの時期、こういう情勢でも情報を正しくキャッチし、予定通りネパールを訪れる方もいるということ。
とはいっても、今の状況がすぐに改善されない場合、GWの旅行キャンセルは増えそうだ。
TG便で到着した日本人は、それほど多くはなかったとのことだが、その中に、昨年7月にオフィスを訪問してくれた年配の日本人男性がグループで来ていて、空港に他のゲストを迎えに行っていた私たちのスタッフは、偶然にも、懐かしい再会を果たしたということだった。
その男性はいつも、ネパール在住日本人夫妻経営の古い旅行会社を利用して、トレッキングやクライミングに来られている方。ヒマラヤン・アクティビティーズ利用者ではないのだが、昨年、ふとした偶然がきっかけで、何度か私たちのオフィスにも足を運んでくださった。そしてその後も偶然が重なった。ヒマラヤン・アクティビティーズを利用してくださった方の、古い知り合いだということが判明したのだ。いろんな方面からの不思議な縁を感じた方だった。
という余談はさておき、この男性(とそのグループ)は今回、カンチェンジュンガ登山のため、再来ネされたとのこと。
つまり、何が言いたいかというと、旅行をキャンセルされる人も多いこの時期、こういう情勢でも情報を正しくキャッチし、予定通りネパールを訪れる方もいるということ。
とはいっても、今の状況がすぐに改善されない場合、GWの旅行キャンセルは増えそうだ。
空港へ
20日、空港が封鎖されたりするのではないか、と密かに思っていたのだが、国際線は運航している。国内線は欠航。
今日は、ゲストがTG(タイ航空)便にて空港に到着する日。通常、外出禁止令発令時でも、早朝は解除となっていたり、私たちと取引のあるドライバーが外出許可証を取得していることがあるので、何とか空港ピックアップもできていたのだが、今日はかなり厳しい状況だった。今回のカーフューは、途中解除となることなく、深夜から夜までの連続18時間発令されたからだ。
発表されたのが昨日19日の夜。空港ピックアップを担当している空港入場パスを持つスタッフはすでに帰宅していたのだが、このままだと明日、身動きが取れなくなる、ということで、夕食を食べてくつろいでいた夜8時、急遽タメル (ツーリストが集まるエリア。宿、旅行会社、土産物屋が密集している) にあるオフィスまで戻り、そこで夜を明かすことになった。
夜、家を出発してくるときには、彼の8歳になる息子に、パパ~、もうすぐカーフューなのにどこに行くの~。警察に捕まっちゃうよ~。パパ~、デモには絶対に行かないで~。パパ~。と大泣きされたらしい。気の毒なことをした・・・。
さて、こんな状況で夜、またタメルに戻ってきたのは、タメル地区内だと、外出を大目に見てくれることもあることと、オフィスから空港へ行く臨時シャトルバスの発着地まで、徒歩5分ほどの距離でもあるので、ネパール人であっても通行を許可してくれるだろう、という判断からだった。
しかし、今回に限ってはなんとなく状況は厳しそうだ、という連絡を、一夜明けた今朝6時頃、タメルに泊り込んだスタッフからもらう。昨夜のニュースで、今回は報道関係者にも外出許可証が出されない、といっていたのだが、それは本当で、それぐらい規制が厳しいらしいのだ。親しい大手ホテルの空港送迎スタッフと連絡をとったところ、彼らであっても、今日は通行を許可してくれるか分からないような状態だ、と言うのだ。大手ホテルスタッフの通行が許可されなければ、星の数ほどある旅行会社の中のひとつである私たちのスタッフなどが空港に向かおうとしたら、けんもほろろにアーミーから引き返しを命じられるのがおちだろう。
通常、私は裏方に徹している。でも、状況が状況である今日は、ガイジンである私が出て行く覚悟もしていたのだが、自宅にいる今、いくらガイジンだからといってそう簡単に外出を許可してくれるはずはない。それに、ガイジンとは言っても、一般人でしかない私には、特別待遇などない。
あれこれ考えてもしょうがないので、のんきにアチャール作り (ネパールの漬物といわれるものがアチャール。外出できないこんな日には保存のきく発酵アチャールを作るのが習慣になってしまった) を始めることにする。こんな状態では、心配しても何もならないし、ゲストの空港ピックアップは、私たちにとっては大切なことでも、はたから見ればどうしても外出しなくてはいけない緊急事態、というわけでもないため、もう、あきらめるしかないからだ。
それからしばらくして、10時頃また連絡が入る。オフィス前にいたポリスに話をつけて、シャトルバス乗り場(タメル入り口、Himalayan Bank、Fire&Iceなどがある周辺)までの通行を許可してもらったとのこと。そして、バス乗り場到着後、そこにいた女性のアーミーに事情を話し、シャトルバスの乗車も許可してもらえたとのこと。
以下、スタッフから携帯電話を通じ中継でもらった情報。

しばらく待ってやってきたバス車内にはすでにたくさんの外国人ツーリストが乗っており、空港到着時には満員状態だったらしいが、さすがに今日はネパール人の乗客はほとんどいなく、彼(私たちのスタッフ)ともう1人だけだった。
写真は、バンダ(スト)、外出禁止令発令時に臨時運行される、空港~市内各地を走る臨時バス。平常時の運行はない。先日撮影。
タメルを出発後、ラジンパト(大手ホテル:ラディソンホテルやシャングリラホテル、日本大使館、アメリカ大使館などがある通り)を北上し、リングロードへ出る。リングロードの外では、かなりの群集が集結しているのが見えた。
その後、リングロードを走り、チャベル(チャバヒル)へ。ここを東に進むと、ボダナートや高級ホテルのハイヤットなどがある。シャトルバスはハイヤットを目指したようだが、大群衆により通行できず、そのままもと来た道を引き返すことになってしまった。
バスは、ゴウシャラを通過し、空港へ。
正午過ぎ、空港着。いつもは客引きや迎えに来た人たちでにぎわう国際線到着ゲート付近だが、本日は、閑散としており、迎えに来ているネパール人は彼も含めて10人もいない。空港駐車場にも、タクシー(黒ナンバー)、私用車(赤ナンバー)の駐車は一台もナシ。停まっているのはシャトルバス、国軍、警察の車、そして、青ナンバーの外国人用公用車(大使館等)の車が2台ほどのみ。
先日の外出禁止令中も空港ピックアップがあったのだが、その時には、迎えに来ている人たちも多少いたし、許可証を持っているタクシーなども待機していた。こういう過去の状況から比較しても、やはり今回は異常だし、厳しい状態であることがよく分かる。
こんな状況であるにもかかわらず、国際線は空港に到着している。ツーリストも空港に降り立っている。でも、タクシーが全くない今日の状態。移動に困った到着客で、空港はこの時間混雑しているらしい。
今日は、ゲストがTG(タイ航空)便にて空港に到着する日。通常、外出禁止令発令時でも、早朝は解除となっていたり、私たちと取引のあるドライバーが外出許可証を取得していることがあるので、何とか空港ピックアップもできていたのだが、今日はかなり厳しい状況だった。今回のカーフューは、途中解除となることなく、深夜から夜までの連続18時間発令されたからだ。
発表されたのが昨日19日の夜。空港ピックアップを担当している空港入場パスを持つスタッフはすでに帰宅していたのだが、このままだと明日、身動きが取れなくなる、ということで、夕食を食べてくつろいでいた夜8時、急遽タメル (ツーリストが集まるエリア。宿、旅行会社、土産物屋が密集している) にあるオフィスまで戻り、そこで夜を明かすことになった。
夜、家を出発してくるときには、彼の8歳になる息子に、パパ~、もうすぐカーフューなのにどこに行くの~。警察に捕まっちゃうよ~。パパ~、デモには絶対に行かないで~。パパ~。と大泣きされたらしい。気の毒なことをした・・・。
さて、こんな状況で夜、またタメルに戻ってきたのは、タメル地区内だと、外出を大目に見てくれることもあることと、オフィスから空港へ行く臨時シャトルバスの発着地まで、徒歩5分ほどの距離でもあるので、ネパール人であっても通行を許可してくれるだろう、という判断からだった。
しかし、今回に限ってはなんとなく状況は厳しそうだ、という連絡を、一夜明けた今朝6時頃、タメルに泊り込んだスタッフからもらう。昨夜のニュースで、今回は報道関係者にも外出許可証が出されない、といっていたのだが、それは本当で、それぐらい規制が厳しいらしいのだ。親しい大手ホテルの空港送迎スタッフと連絡をとったところ、彼らであっても、今日は通行を許可してくれるか分からないような状態だ、と言うのだ。大手ホテルスタッフの通行が許可されなければ、星の数ほどある旅行会社の中のひとつである私たちのスタッフなどが空港に向かおうとしたら、けんもほろろにアーミーから引き返しを命じられるのがおちだろう。
通常、私は裏方に徹している。でも、状況が状況である今日は、ガイジンである私が出て行く覚悟もしていたのだが、自宅にいる今、いくらガイジンだからといってそう簡単に外出を許可してくれるはずはない。それに、ガイジンとは言っても、一般人でしかない私には、特別待遇などない。
あれこれ考えてもしょうがないので、のんきにアチャール作り (ネパールの漬物といわれるものがアチャール。外出できないこんな日には保存のきく発酵アチャールを作るのが習慣になってしまった) を始めることにする。こんな状態では、心配しても何もならないし、ゲストの空港ピックアップは、私たちにとっては大切なことでも、はたから見ればどうしても外出しなくてはいけない緊急事態、というわけでもないため、もう、あきらめるしかないからだ。
それからしばらくして、10時頃また連絡が入る。オフィス前にいたポリスに話をつけて、シャトルバス乗り場(タメル入り口、Himalayan Bank、Fire&Iceなどがある周辺)までの通行を許可してもらったとのこと。そして、バス乗り場到着後、そこにいた女性のアーミーに事情を話し、シャトルバスの乗車も許可してもらえたとのこと。
以下、スタッフから携帯電話を通じ中継でもらった情報。

しばらく待ってやってきたバス車内にはすでにたくさんの外国人ツーリストが乗っており、空港到着時には満員状態だったらしいが、さすがに今日はネパール人の乗客はほとんどいなく、彼(私たちのスタッフ)ともう1人だけだった。
写真は、バンダ(スト)、外出禁止令発令時に臨時運行される、空港~市内各地を走る臨時バス。平常時の運行はない。先日撮影。
タメルを出発後、ラジンパト(大手ホテル:ラディソンホテルやシャングリラホテル、日本大使館、アメリカ大使館などがある通り)を北上し、リングロードへ出る。リングロードの外では、かなりの群集が集結しているのが見えた。
その後、リングロードを走り、チャベル(チャバヒル)へ。ここを東に進むと、ボダナートや高級ホテルのハイヤットなどがある。シャトルバスはハイヤットを目指したようだが、大群衆により通行できず、そのままもと来た道を引き返すことになってしまった。
バスは、ゴウシャラを通過し、空港へ。
正午過ぎ、空港着。いつもは客引きや迎えに来た人たちでにぎわう国際線到着ゲート付近だが、本日は、閑散としており、迎えに来ているネパール人は彼も含めて10人もいない。空港駐車場にも、タクシー(黒ナンバー)、私用車(赤ナンバー)の駐車は一台もナシ。停まっているのはシャトルバス、国軍、警察の車、そして、青ナンバーの外国人用公用車(大使館等)の車が2台ほどのみ。
先日の外出禁止令中も空港ピックアップがあったのだが、その時には、迎えに来ている人たちも多少いたし、許可証を持っているタクシーなども待機していた。こういう過去の状況から比較しても、やはり今回は異常だし、厳しい状態であることがよく分かる。
こんな状況であるにもかかわらず、国際線は空港に到着している。ツーリストも空港に降り立っている。でも、タクシーが全くない今日の状態。移動に困った到着客で、空港はこの時間混雑しているらしい。
2006年4月19日水曜日
20日、外出禁止令
夜のニュースによると、やはり20日、外出禁止令が布かれることになった。
20日午前2時(夜中)~午後8時(20時)まで。
通常、夜間外出禁止令が出ても早朝一時的に解除となる場合が多いのだが、今回は連続18時間。
通信だけは、遮断されないでほしい。
20日午前2時(夜中)~午後8時(20時)まで。
通常、夜間外出禁止令が出ても早朝一時的に解除となる場合が多いのだが、今回は連続18時間。
通信だけは、遮断されないでほしい。
2006年4月18日火曜日
失くし物
用事があって、今日も含め最近3度ほど警察署に足を運んだ。 (理由は、いつか、簡潔にまとめられることができれば、このブログにも書きたいと思う。ちなみに、現在のネパール情勢には、全く関係のないこと)
私の担当をしてくれる穏やかな婦警さんの席の後ろに、ネパール人のナガリクタ(住民カード)や外国人のパスポートが並べて入れられているガラスケースがある。今日何気なく見ていると、『日本国』と書かれたパスポートも入れられていた。
どこかで拾われ届けられたものなのだろうか? 顔なじみになった婦警さんに聞いてみると、そうだと答えてくれた。そして、彼女はおもむろにケースの鍵を開け、日本のパスポートを取り出し、見てみる?と差し出してきた。
いいのかしら?と聞くと、いいわよ。というので、パスポートを見せてもらうことにした。
1978年生まれ、兵庫県に本籍がある男性のものだった。パスポートがなくなって、きっと困っているだろう。
いつ届けられたのか聞くと、だいぶ前だという。ビザを見れば、いつ入国したか分かるわよ、と婦警さんが言うので、そうか、と思い、ビザのページを探すと、かなり前に発行されていたスタイルのツーリストビザが貼付されているページを見つけた。上から押されているスタンプを見ると、1998年か1999年との文字が見える。インクが薄れて、8か9かは見分けがつかなかったが、いずれにしても随分前に紛失したということは確かだ。ふと思いついて、パスポートの有効期限を見ると、2000年となっていた。
ということは、もう、とうの昔にパスポートを再発行してもらい、帰国して、ネパールでパスポートを失くしたことなどすっかり忘れた日常を送っているに違いない。新しいパスポートを使って、その後何度か海外に出ているかもしれない。6年前に有効期限が切れたパスポートが今更持ち主の元に返されたところで、何の役にも立たない。
でも、失くなったはずのパスポートは、異国の警察署内の小さなガラスケースに並べられ、持ち主が現れるのを数年以上待ち続けている。もう、誰も探しに来ないのに。そう思うと、なんだか気の毒になってきてしまった。この忘れられたパスポートが。
大使館に届けてあげれば、持ち主探しは簡単にできるだろう。でも、有効期限が切れて6年もたったパスポートを、日本まで送り、持ち主に返すことなど、してくれるのだろうか?廃棄処分にされるのがおちかもしれない。
もし、廃棄されるのだとしたら、この持ち主がネパールを旅行した証として、ここにずっと置かれ続けても悪くはないかな、と思い、そのまままたケースの中に戻しておいた。多分いつの日か、処分される日が来るかもしれないけれど、それがこのパスポートの運命だったのだろう。
私の担当をしてくれる穏やかな婦警さんの席の後ろに、ネパール人のナガリクタ(住民カード)や外国人のパスポートが並べて入れられているガラスケースがある。今日何気なく見ていると、『日本国』と書かれたパスポートも入れられていた。
どこかで拾われ届けられたものなのだろうか? 顔なじみになった婦警さんに聞いてみると、そうだと答えてくれた。そして、彼女はおもむろにケースの鍵を開け、日本のパスポートを取り出し、見てみる?と差し出してきた。
いいのかしら?と聞くと、いいわよ。というので、パスポートを見せてもらうことにした。
1978年生まれ、兵庫県に本籍がある男性のものだった。パスポートがなくなって、きっと困っているだろう。
いつ届けられたのか聞くと、だいぶ前だという。ビザを見れば、いつ入国したか分かるわよ、と婦警さんが言うので、そうか、と思い、ビザのページを探すと、かなり前に発行されていたスタイルのツーリストビザが貼付されているページを見つけた。上から押されているスタンプを見ると、1998年か1999年との文字が見える。インクが薄れて、8か9かは見分けがつかなかったが、いずれにしても随分前に紛失したということは確かだ。ふと思いついて、パスポートの有効期限を見ると、2000年となっていた。
ということは、もう、とうの昔にパスポートを再発行してもらい、帰国して、ネパールでパスポートを失くしたことなどすっかり忘れた日常を送っているに違いない。新しいパスポートを使って、その後何度か海外に出ているかもしれない。6年前に有効期限が切れたパスポートが今更持ち主の元に返されたところで、何の役にも立たない。
でも、失くなったはずのパスポートは、異国の警察署内の小さなガラスケースに並べられ、持ち主が現れるのを数年以上待ち続けている。もう、誰も探しに来ないのに。そう思うと、なんだか気の毒になってきてしまった。この忘れられたパスポートが。
大使館に届けてあげれば、持ち主探しは簡単にできるだろう。でも、有効期限が切れて6年もたったパスポートを、日本まで送り、持ち主に返すことなど、してくれるのだろうか?廃棄処分にされるのがおちかもしれない。
もし、廃棄されるのだとしたら、この持ち主がネパールを旅行した証として、ここにずっと置かれ続けても悪くはないかな、と思い、そのまままたケースの中に戻しておいた。多分いつの日か、処分される日が来るかもしれないけれど、それがこのパスポートの運命だったのだろう。
2006年4月17日月曜日
こんな情勢でも
いよいよ、今週あたり大きな動きがあるのか?という状態になってきているようだ。
デモなどに参加しない限り、一般市民や外国人が危険な目に遭うことはまずないのだが、生活者の立場から言うと、野菜の価格が急騰し、ガソリンは売ってくれなくなり(つまりそれは、カトマンズと地方を結ぶ陸路が稼動していないから物流が止まっているわけで、どう考えても正常ではないことが分かる)、銀行は(一時的に)封鎖され、なんとなくイヤな雰囲気になってきたなあ、という感は、とてもする。
こういう状態(4月6日からの連続スト状態)のとき、車両を走らせるのは好ましくないのだが、私はガイジンだし、バイクなら問題ないでしょ、と思っていた。でも、昨日ぐらいから、街を走る車両の数も減った気がして、バイクでの移動もそろそろ自粛したほうがよいかな、という気にもなってきた。その前に、ガソリンが入手できないので、この状態が続くと必然的にバイク移動はできなくなりそうだが。
今日明日でこの状況が解決しない場合、今週20日には、7政党が呼びかける大規模な抗議行動 (今の状態よりも『大規模な』というぐらいだから、かなり大掛かりな抗議行動になることが安易に予想される) が、カトマンズ周囲でも行われる予定とのことで、情勢的にはいよいよ切羽詰ってきている感じがする。
でも、そんな中でも、幸せいっぱい結婚式をあげ、派手にパーティーをする人たちがいるから、ネパールジンの感覚は、やっぱり私には一生理解できないのかも、と思ってしまう。
4月14日から始まったビクラム暦の1月に当たるバイサク月は、結婚の儀式をあげるのに適した月といわれている。中でも、特に適した日がありカレンダーにも記載されている。今月(4月半ば~5月半ばのバイサク月中)は、そういう日が11日ある。
今日もそう。知人が結婚式をあげるらしい。日取りが決まったのは2週間ほど前。儀式のあとは、盛大なパーティーをするらしい。
うちの近所でも、今日結婚式の家があるようで、ヘタクソな音楽隊の演奏が、ドンチャカ聞こえていた。
街にはあまり車両も走っていない状態で、音楽隊も然り、遠くからの招待客も然り、どうやって移動してくるのか?と他人事ながら心配してしまうのだが、それでも通常、律儀に招待客は集まってくる。
どんなに情勢が不安定になっても、祭りや儀式のときには、(すべてを忘れて?)そちらに専念できるこちらの人たち。ある意味、感心してしまう。
デモなどに参加しない限り、一般市民や外国人が危険な目に遭うことはまずないのだが、生活者の立場から言うと、野菜の価格が急騰し、ガソリンは売ってくれなくなり(つまりそれは、カトマンズと地方を結ぶ陸路が稼動していないから物流が止まっているわけで、どう考えても正常ではないことが分かる)、銀行は(一時的に)封鎖され、なんとなくイヤな雰囲気になってきたなあ、という感は、とてもする。
こういう状態(4月6日からの連続スト状態)のとき、車両を走らせるのは好ましくないのだが、私はガイジンだし、バイクなら問題ないでしょ、と思っていた。でも、昨日ぐらいから、街を走る車両の数も減った気がして、バイクでの移動もそろそろ自粛したほうがよいかな、という気にもなってきた。その前に、ガソリンが入手できないので、この状態が続くと必然的にバイク移動はできなくなりそうだが。
今日明日でこの状況が解決しない場合、今週20日には、7政党が呼びかける大規模な抗議行動 (今の状態よりも『大規模な』というぐらいだから、かなり大掛かりな抗議行動になることが安易に予想される) が、カトマンズ周囲でも行われる予定とのことで、情勢的にはいよいよ切羽詰ってきている感じがする。
でも、そんな中でも、幸せいっぱい結婚式をあげ、派手にパーティーをする人たちがいるから、ネパールジンの感覚は、やっぱり私には一生理解できないのかも、と思ってしまう。
4月14日から始まったビクラム暦の1月に当たるバイサク月は、結婚の儀式をあげるのに適した月といわれている。中でも、特に適した日がありカレンダーにも記載されている。今月(4月半ば~5月半ばのバイサク月中)は、そういう日が11日ある。
今日もそう。知人が結婚式をあげるらしい。日取りが決まったのは2週間ほど前。儀式のあとは、盛大なパーティーをするらしい。
うちの近所でも、今日結婚式の家があるようで、ヘタクソな音楽隊の演奏が、ドンチャカ聞こえていた。
街にはあまり車両も走っていない状態で、音楽隊も然り、遠くからの招待客も然り、どうやって移動してくるのか?と他人事ながら心配してしまうのだが、それでも通常、律儀に招待客は集まってくる。
どんなに情勢が不安定になっても、祭りや儀式のときには、(すべてを忘れて?)そちらに専念できるこちらの人たち。ある意味、感心してしまう。
2006年4月16日日曜日
タメルにて

4月6日以降、全国各地で国王の独裁政治に対する抗議活動が起こっているネパール。昨日から、カトマンズ周辺でも活動規模が大きくなってきたようだ。今日で11日目のネパールバンダ(全国規模のストライキ)、内、4日間は外出禁止令も出ていた。
本日、タメル(旅行者が集まる1k㎡ほどのエリア。外国人向けの土産物屋、旅行代理店、宿などが密集する地域)でも抗議行動が昼前1時間ほど行われた。
ホテル、旅行、トレッキング業界等の各団体が示し合わせて実施されたもの。

観光業も国の外貨収入の大きな割合を占めるネパール。しかし、2001年6月1日におきた前国王一家殺害(暗殺?)事件以降、旅行者数は一気に減った。旅行業界にとっても、苦難の数年が続いている。
(写真は、ヒマラヤン・アクティビティーズのスタッフによる撮影)
2006年4月14日金曜日
養豚場

ネパール公暦で今日が新年のネパール。ビクラム暦2063年元旦。
夕方、ボダナート方面(目玉が描かれたチベット仏教寺院)へ行ってみた。バイクで約10分。その後、近くの小高い丘の上にあるコパン・ゴンパ(コパンという地域にあるチベット仏教の僧院)まで足を伸ばす。(残念ながら、開園時間が終わっており、中には入れず。写真は、コパンゴンパ近くから見えた夕焼け)
その帰り道。メインの道を帰らずに、郊外の田園風景を楽しみながら、道を探しつつ、自宅がある方向へ向かっていくと・・・。

田んぼが広がる中、なんとなく獣臭が強い地域に出てきた。牛でも飼っているのかと思って辺りを見ると、そうではなくて、豚、豚、豚。たくさんの豚小屋が連なっている場所だった。豚の世話をしていた人に話を聞くと、そこで育てられた豚は、一万ルピー前後で売りに出されるという。養豚場と言うわけだ。

とにかく、どこをみても、豚豚豚。
母子セットで豚小屋に入っていて、おっぱいを飲んでいる子豚の集団。


子豚同士激しくけんかをしていて、ブヒブヒうるさい小屋と、隣でそ知らぬ顔で座っている母豚。
黒白まだら模様の、オシャレな豚も。

楽しい発見だった。臭かったけど。
2006年4月12日水曜日
ホーリー≒抗議行動?
毎年3月頃、ホーリーという水&色粉かけ祭りが行われる。簡単に言うと、水や色の粉を周りの人に掛け合って、楽しむ祭り。祭りの一週間前から、水かけが解禁となる。見知らぬ人にかけてもいいので、街を歩いていると、不意に水鉄砲で水をかけらることもよくある。かけるほうは楽しいかもしれないが、かけられるほうは非常に迷惑。
さて、先月のホーリー前日、地元キャンパスの横をバイクで走っていた私は、キャンパスにたむろっていたバカ学生に、思い切り水風船を投げつけられた。別に、ぬれるのはかまわないが、かなり強く上半身に当たったので痛かったし、ハンドルを取られ、転びそうになった。あぶなんだいよ、ばか。
その姿を見て、喜ぶ若者。バイクをとめて、仕返しにレンガでも投げつけてやりたくなったぐらいだ。
レンガ?
そこで、ふと思った。
カトマンズで行われる抗議行動(デモ)でのお約束事。それは、若者(学生)たちのレンガ合戦。警察や国軍に向かって、レンガを投げつけて楽しむ。その姿には深刻さは全くなく、お祭り騒ぎにしか見えないのだが、水風船を投げる若者を見ていて、デモ中レンガを投げる若者の姿がダブった。同じだ。やっぱり彼らは、デモもお祭り気分で楽しんでいたのだ。息抜きが少ないこの国での、レンガ合戦はうさを晴らすいい機会にもなる。
外出禁止令が発令されていた4日間。カトマンズ郊外で行われていたデモの様子を、ニュースで見ていたら、やっぱりいた。楽しそうにレンガを投げている若者たち。彼らの表情は、ホーリーの日に水風船を投げていた若者たちのそれと、全く変わらない。楽しそう。手に持っているものが、レンガか水風船か、という違いだけ。どうせなら、デモのときも水風船でもなげときゃいいのに、と思う。
余談。抗議行動後の道には、砕け散ったレンガが散乱しているときがある。よくもまあ、重いレンガをこれだけ準備したものだ、と思う。『風が吹けば桶屋が儲かる』というが、この国では、『デモが出ればレンガ屋が儲かる』のかもしれない。
さて、先月のホーリー前日、地元キャンパスの横をバイクで走っていた私は、キャンパスにたむろっていたバカ学生に、思い切り水風船を投げつけられた。別に、ぬれるのはかまわないが、かなり強く上半身に当たったので痛かったし、ハンドルを取られ、転びそうになった。あぶなんだいよ、ばか。
その姿を見て、喜ぶ若者。バイクをとめて、仕返しにレンガでも投げつけてやりたくなったぐらいだ。
レンガ?
そこで、ふと思った。
カトマンズで行われる抗議行動(デモ)でのお約束事。それは、若者(学生)たちのレンガ合戦。警察や国軍に向かって、レンガを投げつけて楽しむ。その姿には深刻さは全くなく、お祭り騒ぎにしか見えないのだが、水風船を投げる若者を見ていて、デモ中レンガを投げる若者の姿がダブった。同じだ。やっぱり彼らは、デモもお祭り気分で楽しんでいたのだ。息抜きが少ないこの国での、レンガ合戦はうさを晴らすいい機会にもなる。
外出禁止令が発令されていた4日間。カトマンズ郊外で行われていたデモの様子を、ニュースで見ていたら、やっぱりいた。楽しそうにレンガを投げている若者たち。彼らの表情は、ホーリーの日に水風船を投げていた若者たちのそれと、全く変わらない。楽しそう。手に持っているものが、レンガか水風船か、という違いだけ。どうせなら、デモのときも水風船でもなげときゃいいのに、と思う。
余談。抗議行動後の道には、砕け散ったレンガが散乱しているときがある。よくもまあ、重いレンガをこれだけ準備したものだ、と思う。『風が吹けば桶屋が儲かる』というが、この国では、『デモが出ればレンガ屋が儲かる』のかもしれない。
2006年4月11日火曜日
罰
ひと昔前の日本の学校を舞台にした漫画やドラマの中に、よく出てきていた罰。たとえば宿題を忘れた生徒に、水が入ったバケツを持たせて授業中廊下に立たせる/うさぎ跳びでグラウンド一周させる、などなど。
これに似たような罰が、ネパールにもある。
自分の両耳たぶを指でつまませて、立ったり座ったりを繰り返させるのだ。
大人が、子供に罰を与えるときに、この動作をさせる場合もあれば、悪さをした子供が怒られる前に、「この通りもうしません。ゆるして~」と反省している証としてこの動作を自らすることもある。
さて、ここ何日かの新聞には、抗議行動の様子を写した写真が特集で何枚も掲載されている。今日のカンティプール紙には19枚の写真があったのだが、その中の1枚に、手で耳をつまんで立ったり座ったりの動作をしている若者2人と、それを眺める国軍兵の姿を写した写真が載っていた。
写真のタイトルは『外出禁止令発令中に街に出ていた若者2人に罰を与える国軍兵』。
デモ隊と警官やアーミーが衝突し、血みどろな写真が多い中、この1枚だけほのぼのしていて、マヌケで笑える写真だった。
これに似たような罰が、ネパールにもある。
自分の両耳たぶを指でつまませて、立ったり座ったりを繰り返させるのだ。
大人が、子供に罰を与えるときに、この動作をさせる場合もあれば、悪さをした子供が怒られる前に、「この通りもうしません。ゆるして~」と反省している証としてこの動作を自らすることもある。
さて、ここ何日かの新聞には、抗議行動の様子を写した写真が特集で何枚も掲載されている。今日のカンティプール紙には19枚の写真があったのだが、その中の1枚に、手で耳をつまんで立ったり座ったりの動作をしている若者2人と、それを眺める国軍兵の姿を写した写真が載っていた。
写真のタイトルは『外出禁止令発令中に街に出ていた若者2人に罰を与える国軍兵』。
デモ隊と警官やアーミーが衝突し、血みどろな写真が多い中、この1枚だけほのぼのしていて、マヌケで笑える写真だった。
日中外出禁止令4日目
いつも母屋サイトの注意情報のページにアップしている、大使館からのお知らせを転載します。母屋サイトは、ファイルが保存してあるパソコンの不調により、しばらく更新できませんのであしからず。
===大使館からのお知らせ(11日朝付)転載===
外出禁止令の時間変更ネパール政府からの外出禁止令の時間変更のアナウンスがあり、本日4月11日の外出禁止令は午後0時から午後5時までと変更となりました。同時間帯における外出は控えるようお願い致します。緊急を要する外出が必要になりましたら警察(100番)へ連絡し必要な手続きを行ってください。又、バクタプルエリアにおきましては外出禁止令は解除となりました。
===以上===
なんだ、みんなやればできるじゃないの!と思うのは、外出禁止令発令時間直前になると、それまで外出していた人たちが、すーっと街から消えること。時間厳守が非常に苦手なネパール人たちだが、外出禁止令発令に関しては、時間厳守で守れるらしい。
===大使館からのお知らせ(11日朝付)転載===
外出禁止令の時間変更ネパール政府からの外出禁止令の時間変更のアナウンスがあり、本日4月11日の外出禁止令は午後0時から午後5時までと変更となりました。同時間帯における外出は控えるようお願い致します。緊急を要する外出が必要になりましたら警察(100番)へ連絡し必要な手続きを行ってください。又、バクタプルエリアにおきましては外出禁止令は解除となりました。
===以上===
なんだ、みんなやればできるじゃないの!と思うのは、外出禁止令発令時間直前になると、それまで外出していた人たちが、すーっと街から消えること。時間厳守が非常に苦手なネパール人たちだが、外出禁止令発令に関しては、時間厳守で守れるらしい。
2006年4月10日月曜日
外出禁止令3日目
いつも母屋サイトの注意情報のページにアップしている、大使館からのお知らせを転載します。母屋サイトは、ファイルが保存してあるパソコンの不調により、しばらく更新できませんのであしからず。
===大使館からのお知らせ(10日夜付)転載===
外出禁止令の発令本日、ネパール政府からの外出禁止令の時間変更のアナウンスがあり、4月10日の外出禁止令は午前11時から午後6時までとなっております。同時間帯における外出は控えるようお願い致します。緊急を要する外出が必要になりましたら警察(100番)へ連絡し必要な手続きを行ってください。
===以上===
スト5日目、外出禁止令3日目ともなってくると、さすがにうんざりしてくる。
ネパール在住者の私などは、家の大掃除をしたり、手の込んだ料理を作ってみたりと、普段できないことをするいいチャンスにもなるわけだが、この時期、運悪くカトマンズに滞在している旅行者は、とても気の毒。
タメル内など、多少は歩き回れるにしても、遠出はできない。3日間、ホテルでの軟禁生活状態を強いられるわけだ。
===大使館からのお知らせ(10日夜付)転載===
外出禁止令の発令本日、ネパール政府からの外出禁止令の時間変更のアナウンスがあり、4月10日の外出禁止令は午前11時から午後6時までとなっております。同時間帯における外出は控えるようお願い致します。緊急を要する外出が必要になりましたら警察(100番)へ連絡し必要な手続きを行ってください。
===以上===
スト5日目、外出禁止令3日目ともなってくると、さすがにうんざりしてくる。
ネパール在住者の私などは、家の大掃除をしたり、手の込んだ料理を作ってみたりと、普段できないことをするいいチャンスにもなるわけだが、この時期、運悪くカトマンズに滞在している旅行者は、とても気の毒。
タメル内など、多少は歩き回れるにしても、遠出はできない。3日間、ホテルでの軟禁生活状態を強いられるわけだ。
2006年4月9日日曜日
モモ
ネパールに来たことのある方なら、すぐにイメージできると思うが『モモ』と言う名の料理がある。
わからない方のために簡単に説明すると、蒸餃子のようなもの。小飽子のような形のものもあれば、日本の(中国の)餃子のように逆半円スタイルのようなものもある。
一般的には、マサラ(カレー味スパイス)で味付けした水牛の肉を厚めの餃子の皮で包んで蒸し、トマトやゴマのソース(少し辛い)をかけて(つけて)食べる。
日本人に『モモ』について説明する場合、上記のように言うと、たいてい簡単にイメージを作ってもらえる。日本人向けのガイドブックなどにも、だいたいこのような説明が書かれている。
しかし、日本語版ロンリープラネット(以下ロンプラと表記)の説明は、違った。
外出禁止令2日目の今日、あまりにも暇なので、ロンプラ・ネパール編日本語版を、隅から読んでいるちに、[基本情報]の[食事&飲み物]のページまでたどりついた。ネパール料理メニュー解説を順番に読み進め、『モモ』の部分を読み始めると、そこにはこう書かれていた。
モモmomo-練り粉の皮に包んだ肉や野菜を蒸した、代表的なチベット料理。
ここまでは、日本人向けのガイドブックとほぼ同じ説明。問題?はその次。
中国料理の餃子や、イタリア料理のラビオリに似ている。
ラビオリ?
一瞬考えた後に、ああ、ラビオリ!と、妙に納得してしまった。
全世界の旅行者を対象に発行されているロンプラは、餃子になじみが薄い外国人にもわかるように、ラビオリを持ち出したのだろう。なるほど、そう持っていくか、という感じだ。
でも、やっぱりよくよく考えると、納得しきれない感も、多少残る。
わからない方のために簡単に説明すると、蒸餃子のようなもの。小飽子のような形のものもあれば、日本の(中国の)餃子のように逆半円スタイルのようなものもある。
一般的には、マサラ(カレー味スパイス)で味付けした水牛の肉を厚めの餃子の皮で包んで蒸し、トマトやゴマのソース(少し辛い)をかけて(つけて)食べる。
日本人に『モモ』について説明する場合、上記のように言うと、たいてい簡単にイメージを作ってもらえる。日本人向けのガイドブックなどにも、だいたいこのような説明が書かれている。
しかし、日本語版ロンリープラネット(以下ロンプラと表記)の説明は、違った。
外出禁止令2日目の今日、あまりにも暇なので、ロンプラ・ネパール編日本語版を、隅から読んでいるちに、[基本情報]の[食事&飲み物]のページまでたどりついた。ネパール料理メニュー解説を順番に読み進め、『モモ』の部分を読み始めると、そこにはこう書かれていた。
モモmomo-練り粉の皮に包んだ肉や野菜を蒸した、代表的なチベット料理。
ここまでは、日本人向けのガイドブックとほぼ同じ説明。問題?はその次。
中国料理の餃子や、イタリア料理のラビオリに似ている。
ラビオリ?
一瞬考えた後に、ああ、ラビオリ!と、妙に納得してしまった。
全世界の旅行者を対象に発行されているロンプラは、餃子になじみが薄い外国人にもわかるように、ラビオリを持ち出したのだろう。なるほど、そう持っていくか、という感じだ。
でも、やっぱりよくよく考えると、納得しきれない感も、多少残る。
登録:
投稿 (Atom)