偶然の出来事シリーズ1、2に続き、最後の1件は、ちょうど2年前に起きた、私本人にかかわる再会体験について書いてみたい。
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私たちの会社、基本的に事前予約者でないと手配は受け付けておらず、飛び込み客の利用はほとんどないのだが、ネパールに到着してからネットで検索し私たちの会社を見つけ、直接来店くださる方も時々いらっしゃる。
2009年春、私の外出中、一人の若い男性が、アポなしで来店して下さった。
私が外出先から戻り、ゲストに挨拶をした瞬間。
その方、ものすごい勢いで立ち上がり、私を指差し驚愕の表情で叫んだのだ。「あっー!!この人知ってる!!!」
予期せぬ突然の反応にびっくり。失礼ながら私、「ガンジャやっておかしくなっちゃったバックパッカー君?」と、内心恐怖を感じてしまった。身なりも崩れていなくて、礼儀正しそうな好青年なのが、逆にますます怪しい。
「どこかでお会いしましたっけ?」とひきつった笑顔で返答。
すると、相変わらず私を指差したまま「バラナシで会った!!!」というのだ。
バラナシという地名が、ますます胡散臭い。確かに私、バラナシには過去2度行ったことがあるが、最初は10年以上前、最近でも2003年の訪問となる。そのどちらかで会ったなんて。
変な人かもしれないから退散してもらおう、などとと思いつつ、6年前(当時)のバナラシ訪問時のことを思い出してみる。
8月だったこともあり、私が泊まったゲストハウスには日本人学生旅行者が何人かいて、一緒に夕飯を食べた記憶がよみがえる。そして、記念に写真を撮った記憶も。後日、メールでその写真を送ってもらい、何人かとは何度かメールのやり取りはしたが、すぐ途切れてしまったことなども。
頭がフル回転し、目の前にいるゲストが、その時一緒に写真を撮ったうちの一人だということに気付いた。大学で地震に関するゼミに入っていたという話を聞いたことも、鮮明に思い出す。当時、どこかで大きな地震があった直後で、地震関係のゼミということで、印象深かったのだ。
そう、彼は、6年前(当時)バラナシで会った学生君(当時)だったのだ。
聞くと、その後就職はしたが、退職。今(当時)は長期旅行の途中だという。ネパール入り後、現地の旅行会社をネット検索していて、たまたま私の会社を見つけたそうだ。
そして、その会社が私の経営だということは全く知らずに、アポなし訪問。→ 思いがけず、驚愕の再会!
しばらくは興奮から抜けきれなかった。あれから2年経っているが、今思い出しても鳥肌が立つ。
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今回、偶然の出会いや再会にまつわる話題を3ケース書いてみた。これ以外にも、たくさんの出会いを体験している。これらは、偶然にみえるけれど、もしかしたら必然なのだろうか、などと、ふと思ってしまうこともある。
2011年3月25日金曜日
2011年3月23日水曜日
偶然の出来事 2
偶然の出来事1 のつづき。
昨年のことだが、やはり、びっくりするような偶然の出会いがあった。
このときのゲストも、定年退職後の男性。世界各地を個人で周って、リタイア後の生活を楽しまれている方。
ネパールには若い頃から訪れていて(新婚旅行もネパールだったとお聞きした記憶が)、少し前から、私の会社のホームページやブログもご覧くださっているとのこと。
2010年秋、2ヶ月程のネパール個人旅行の一部手配をご依頼下さり、ご来社いただくことになった。最近、ゲストの方に直接私が対応させていただくケースは少ないのだが、この方は、私の都合に合わせてお越しくださり、直接お目にかかることができた。
旅行や趣味のことなどを楽しくお聞きしていたのだが、ところどころ出てくる話題が、実家の父の定年前の勤務先と共通する部分があることに気になり始めた。
普段、プライベートな質問はしないようにしているのだが、この時はいてもたってもいられなくなり、不躾にも、ゲストに定年前の勤務先名をたずねてしまった。すると、返ってきた社名は案の定、私の父が長年勤め、定年退職した会社と同じだったのだ。
ゲストにもそのことは告げたのだが、すぐに他の話題へ移り、その後、オフィスをあとにされた。
同じ会社の社員だったとは言っても、2万人以上の従業員がいるところ。
また、私の名字は非常に珍しく、こちらのサイトによると、日本に9世帯(正確性は不明だが)しかないようなのだが、ゲストがネパール入りされる前、なんども手配内容に関するメールでのやり取りをさせていただいたにもかかわらず、私の名字を見ても父と結びつかなかった、ということは、おそらく現役時代も接点はなかったのだろう、などとと思っていた。
しかし、翌日、ゲストからお電話が。
「昨日の件ですが、もしかして、お父さんの下のお名前は▽▽さんではありませんか?」
聞くと、一時期同じ部署にいたこともあるという。父のこともよく覚えて下さっていた。名字の件は、そういえば珍しい名字ではあるが、とくに意識もせず、そこから父と結び付けるまでには至らなかった、とのこと。
それはそうだろう、たまたま見つけた現地の会社。そこを経営しているのが元同僚の娘だなんて、そこまで突飛な想像は普通しないだろう。
なにはともあれ、すぐに父にメールをしたところ、父もこの方のことはよく覚えていて、ネパールでの偶然の出会いにとても驚き、喜んでいた。
一ゲストだった方が、突然、古くからの知り合いのような近しい存在となり、嬉しいやら、気恥ずかしいやら。
こんなこともあるのだなあ、と、驚き感激した出来事だった。
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偶然の出会いに関する話題。あと1ケース、次回につづきます。
昨年のことだが、やはり、びっくりするような偶然の出会いがあった。
このときのゲストも、定年退職後の男性。世界各地を個人で周って、リタイア後の生活を楽しまれている方。
ネパールには若い頃から訪れていて(新婚旅行もネパールだったとお聞きした記憶が)、少し前から、私の会社のホームページやブログもご覧くださっているとのこと。
2010年秋、2ヶ月程のネパール個人旅行の一部手配をご依頼下さり、ご来社いただくことになった。最近、ゲストの方に直接私が対応させていただくケースは少ないのだが、この方は、私の都合に合わせてお越しくださり、直接お目にかかることができた。
旅行や趣味のことなどを楽しくお聞きしていたのだが、ところどころ出てくる話題が、実家の父の定年前の勤務先と共通する部分があることに気になり始めた。
普段、プライベートな質問はしないようにしているのだが、この時はいてもたってもいられなくなり、不躾にも、ゲストに定年前の勤務先名をたずねてしまった。すると、返ってきた社名は案の定、私の父が長年勤め、定年退職した会社と同じだったのだ。
ゲストにもそのことは告げたのだが、すぐに他の話題へ移り、その後、オフィスをあとにされた。
同じ会社の社員だったとは言っても、2万人以上の従業員がいるところ。
また、私の名字は非常に珍しく、こちらのサイトによると、日本に9世帯(正確性は不明だが)しかないようなのだが、ゲストがネパール入りされる前、なんども手配内容に関するメールでのやり取りをさせていただいたにもかかわらず、私の名字を見ても父と結びつかなかった、ということは、おそらく現役時代も接点はなかったのだろう、などとと思っていた。
しかし、翌日、ゲストからお電話が。
「昨日の件ですが、もしかして、お父さんの下のお名前は▽▽さんではありませんか?」
聞くと、一時期同じ部署にいたこともあるという。父のこともよく覚えて下さっていた。名字の件は、そういえば珍しい名字ではあるが、とくに意識もせず、そこから父と結び付けるまでには至らなかった、とのこと。
それはそうだろう、たまたま見つけた現地の会社。そこを経営しているのが元同僚の娘だなんて、そこまで突飛な想像は普通しないだろう。
なにはともあれ、すぐに父にメールをしたところ、父もこの方のことはよく覚えていて、ネパールでの偶然の出会いにとても驚き、喜んでいた。
一ゲストだった方が、突然、古くからの知り合いのような近しい存在となり、嬉しいやら、気恥ずかしいやら。
こんなこともあるのだなあ、と、驚き感激した出来事だった。
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偶然の出会いに関する話題。あと1ケース、次回につづきます。
2011年3月21日月曜日
偶然の出来事 1
偶然の出会いや再会に驚くことがよくある。先日も、世界の狭さを実感したところだった。
ここ1年ほどで体験した3ケースを書いてみたい。
===
先日、還暦を過ぎた男性ゲストの方々が、私のトレッキング会社を利用してくださった。
旅行開始前に何通ものメールのやり取りをし、最終の確認なども終え、ネパール入りまであと数日と迫ったある日のこと。今回のネパール旅行に対する思い入れが書かれたメールをいただいた。
それは、こんな内容だった。
学生時代の部活の後輩が、35年ほど前に10年ほど、ネパールの山村で暮らしていた。そういう縁で、当時、同じ部活の部員同士が結婚する際、その村に結婚式を挙げに行った者もいる(※)。
残念ながらその結婚式には参列できなかったが、今回、約35年越しでやっと念願のネパールトレッキングに出発できることになった。ネパール初訪問をとても楽しみにしている。
・・・とのことだった。
私事で恐縮だが、このゲストたちは私の父と同世代。父も、若かりし頃自転車での日本一周を計画、しかしすべて実現せず、残りの区間を定年後、35年以上越しで走りつなげた、ということがある。
参考記事:http://dailynepal.blogspot.com/2010/04/20.html
そんなこともあり、このゲストたちの思い入れに深く共感、胸が熱くなる思いがしたのだが、それよりも何よりも驚いたのは、ゲストたちの『大学の後輩』という方が、私も面識のある方だったのだ。縁あって2年前に知り合い、それ以降、私たちの会社のこともよく気にかけて下さる方。
このため、ゲストたちは、後輩氏から私たちの会社を紹介してもらったのかと思ったのだが、そうではないとのことだった。誰からの紹介でもなく、ネット検索でたまたま見つけ、利用を決めてくださったという。
今回、偶然にも、ゲストの後輩氏が、ゲストたちより1日遅れの便でネパール入りされる用事があり、その件でもメール連絡を取らせていただいている最中だったのだが、双方とも、同時期にネパール入りする予定があることなど、知る由もなかった。
双方とも、大学卒業後(後輩氏が部活を1年で辞め、それ以降とのことなので40年近く)連絡を取ったことはなく、近況も知らないというのだ。
しかもゲスト、実は複数社に問合せをしていたという。しかし、最終的に私の会社を選んで下さった。もし他の会社を選んでいたら、双方が同時期にネパール入りしていることを、共通して知る者もなく、ただのニアミスに終わっていただろう。
せんえつながら私が仲介役となり、双方へ連絡を取らせていただいた。ネパールでのスケジュールが合えば、40年近くぶりの再会の機会を、ここネパールで作っていただけるかもしれない、などと考えると、他人事とは思えず、気持ちが高ぶっていた。
残念ながらネパール滞在中のスケジュールは合わず、再会実現はならなかったのだが、電話で話しをすることができたとの連絡をいただき、自分のことのようにとても嬉しく、感動した。
いろいろな偶然が重なった今回の件。世界は広いようで狭いんだなあ、と、しみじみ実感した出来事だった。
(※)追記:
ゲストの後輩氏はネパールに関する著書をお持ちです。先述の『ネパールの山村で結婚式を挙げた部活の仲間』の話は、著書のひとつ『ヒマラヤの花嫁』の中におさめられています。
===
偶然の出会いに関する話題。あと2ケースつづきます。
→ 偶然の出来事2 へ
ここ1年ほどで体験した3ケースを書いてみたい。
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先日、還暦を過ぎた男性ゲストの方々が、私のトレッキング会社を利用してくださった。
旅行開始前に何通ものメールのやり取りをし、最終の確認なども終え、ネパール入りまであと数日と迫ったある日のこと。今回のネパール旅行に対する思い入れが書かれたメールをいただいた。
それは、こんな内容だった。
学生時代の部活の後輩が、35年ほど前に10年ほど、ネパールの山村で暮らしていた。そういう縁で、当時、同じ部活の部員同士が結婚する際、その村に結婚式を挙げに行った者もいる(※)。
残念ながらその結婚式には参列できなかったが、今回、約35年越しでやっと念願のネパールトレッキングに出発できることになった。ネパール初訪問をとても楽しみにしている。
・・・とのことだった。
私事で恐縮だが、このゲストたちは私の父と同世代。父も、若かりし頃自転車での日本一周を計画、しかしすべて実現せず、残りの区間を定年後、35年以上越しで走りつなげた、ということがある。
参考記事:http://dailynepal.blogspot.com/2010/04/20.html
そんなこともあり、このゲストたちの思い入れに深く共感、胸が熱くなる思いがしたのだが、それよりも何よりも驚いたのは、ゲストたちの『大学の後輩』という方が、私も面識のある方だったのだ。縁あって2年前に知り合い、それ以降、私たちの会社のこともよく気にかけて下さる方。
このため、ゲストたちは、後輩氏から私たちの会社を紹介してもらったのかと思ったのだが、そうではないとのことだった。誰からの紹介でもなく、ネット検索でたまたま見つけ、利用を決めてくださったという。
今回、偶然にも、ゲストの後輩氏が、ゲストたちより1日遅れの便でネパール入りされる用事があり、その件でもメール連絡を取らせていただいている最中だったのだが、双方とも、同時期にネパール入りする予定があることなど、知る由もなかった。
双方とも、大学卒業後(後輩氏が部活を1年で辞め、それ以降とのことなので40年近く)連絡を取ったことはなく、近況も知らないというのだ。
しかもゲスト、実は複数社に問合せをしていたという。しかし、最終的に私の会社を選んで下さった。もし他の会社を選んでいたら、双方が同時期にネパール入りしていることを、共通して知る者もなく、ただのニアミスに終わっていただろう。
せんえつながら私が仲介役となり、双方へ連絡を取らせていただいた。ネパールでのスケジュールが合えば、40年近くぶりの再会の機会を、ここネパールで作っていただけるかもしれない、などと考えると、他人事とは思えず、気持ちが高ぶっていた。
残念ながらネパール滞在中のスケジュールは合わず、再会実現はならなかったのだが、電話で話しをすることができたとの連絡をいただき、自分のことのようにとても嬉しく、感動した。
いろいろな偶然が重なった今回の件。世界は広いようで狭いんだなあ、と、しみじみ実感した出来事だった。
(※)追記:
ゲストの後輩氏はネパールに関する著書をお持ちです。先述の『ネパールの山村で結婚式を挙げた部活の仲間』の話は、著書のひとつ『ヒマラヤの花嫁』の中におさめられています。
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偶然の出会いに関する話題。あと2ケースつづきます。
→ 偶然の出来事2 へ
2011年3月13日日曜日
ホーリー祭もうすぐ(チールも建てられた!)
ホーリー祭(色水や色粉を無礼でかけあう祭)の6日前の本日、カトマンズ市内ダルバール広場に、色とりどりの布がぶら下がった、チール(चिर)建てられた。
このチール建立を目印に、水かけが解禁となる。
ホーリー当日(今年は3月19日)が近づくにつれ、仲間内での水かけが、見知らぬ通行人への狙い撃ちに変わることも。
水に濡れるのは一歩譲ってよいとして、至近距離から狙われ痛かったり、バイク運転中に流れ弾にあたってハンドルを取られそうになったりすることもあり、これからホーリーに向けては、外出したくなくなるのが正直なところ。
度の過ぎる水かけで逮捕者も出ていると聞くが、屋上などから隠れて狙われると、犯人を特定できないことも多く、悔しい思いをすることもよくある。
ホーリー前日・当日は水かけ合戦もかなり白熱するので、街歩きの際には不意打ちに遭わないよう注意しながら、濡れてもよい覚悟で出かけよう。
2011年3月10日木曜日
ネパールの国花シャクナゲ、徐々に満開中
3月初めから本日現在、プーンヒルトレッキングから帰ってきたガイドたちの話によると、ウレリ(2120m)付近で、ネパールの国花シャクナゲが満開となっていたとのこと。上の写真は3月1日、ウレリにてガイドが撮影。
ちなみに、同時期エベレスト方面のパグディン(2610m)でも、咲き始めていた模様。
ランタン方面では、ラマホテル(2340m)あたりで咲き始めていたとか。ドゥンチェ(1950m)では、行き(3月初旬)には満開だったが、帰り(本日)には散り始めていたそうだ。
以下、ガイドがウレリで撮影した満開のシャクナゲの様子。
遠方に見えるヒマラヤはアンナプルナサウス。
一方、ゴレパニ(2853m)付近では、3月初旬当時、まだつぼみの段階。
撮影時期から10日ほど経っているので、そろそろ咲き始めていることだろう。
シャクナゲの季節に合わせ、トレッキングを計画する方も多い。標高によって満開になる時期が異なるが、2500m以上の場所だと、3月半ば過ぎから後半にかけてが見ごろとなるかもしれない。
写真撮影:Mr. Tej Shrestha(ガイド)
2011年3月8日火曜日
郵便局で荷物をネズミにかじられた
先日のことだが、実家の母がひな祭り用に雛あられを送ってくれたというので、楽しみに待っていたところ、3日夕方、郵便局から、荷物到着の知らせが入った。
しかし、今から取りに来ても間に合わないから明日以降来るように、と局員が言うので、仕方なく、翌日、スタッフに取りに行ってもらった。
帰ってきたスタッフから「荷物、ネズミに食べられてたよ」との報告が。
以前、2度程ネズミ被害を体験しているため、また?と思ったのだが、今回は、到着から受け取りまで24時間も経過していない。まさか、と思って受け取ると、あらら、本当にかじられていた(涙)。なんと素早い行動。
荷物を詰め終わった後、最後におまけで、紙包装で密封されていない『雷おこし』を二包、ビニール袋に入った本包みの荷物とダンボール箱の隙間に突っ込んでくれていたのだが、まさにそれが狙われてしまったのだった。
スタッフ曰く、局員「食品が入っていると間違いなくかじられるね。特に魚系なんか入っていたら、アサン(郵便局からも近い庶民の市場)からニオイを嗅ぎ付けて走ってくるから」と、のんきに言っていたとか。
そういえば、同じようなことを、同じような態度で、数年前にも言われた覚えがある。
誠意のかけらもないこういう対応に、怒りと悔しさ倍増。だが、仕方ない。
ツイッター経由で、二重のビニール袋に入れることで被害が防げる(確率が高い)ことを教えていただいた。
郵便局の対策は期待できないから、今後は、送付側に頼み、念入りに対策を取ることにしよう。自分の身(食品)は、自分で守るしかない。
以前の、涙のかじられ体験記はこちら:
ネズミにかじられた(2005年10月)
郵便局にまつわる話:(ネズミは海苔が好き?)(2006年5月)
2011年3月5日土曜日
ロサールのおすそわけ
2011年3月2日水曜日
シバラトリの日の通せんぼと、大麻のこと
気付くと、ブログ更新しないで2週間程経っていました。記事にする程のこともなく、ついついツイッターばかり利用してしまいます。毎日訪問くださる読者の皆さま、申し訳ありません。
・・・
さて、今日はシバラトリ(シバ神生誕祭)で祝日。シバ神を祭る寺院、特に、カトマンズにあるパシュパティナート寺院には、毎年、ネパール国内からだけではなく、インドからもたくさんの修行者が集まる。周辺は通行規制も行われ、とても混雑する。
市内では、子供たちが道の端から端へ紐を引っ張り『通せんぼ』をする場面に、あちこちで遭遇する。通せんぼをして、通行人や通行車両から小銭をもらう習慣があるのだ。毎年、私も、前の日に1ルピーや2ルピー硬貨をたくさん準備して、通せんぼをされるたびに子供たちに渡すようにしている。
今日は車で移動したのだが、道路の真ん中にまで立ちはだかり通行を遮る子供たち(上の写真)。気合の入りように思わず苦笑。
そういえば以前、バイクで移動中、本当に小銭がなくて「ごめんね、午後も君たちここにいたら、帰りに通る時に必ずあげるから」と約束したら、賢い子供が「じゃあ、ナンバー控えておくよ!」と、メモし始めて焦ったことが。
===
ところで、この日は大麻を吸っても、比較的多目に見てもらえる日でもあるとのこと。
そこで思い出す話が。
数年前、シバラトリの翌日の出来事。ゲストの観光予定があったのだが、予定していたガイドから、朝、観光開始予定時刻の1時間を切ったころに連絡が入った。弱々しい声で「昨晩遅くに調子が悪くなって、救急車で病院に運ばれた。ドクターからまだ安静にしているよう言われているので、今日の仕事はできなくなってしまった」というのだ。
申し訳なさそうに何度も謝るし、声の調子から仮病ではないことも明らかだったので、怒る気も失せ、急きょ他のガイドを手配したのだが、その後、急病の真相が明らかになりあきれる羽目に。
彼、前夜(シバラトリの日の夜)、友人たちから「シバ神のプラサド(供物)だよ」と言われて、ミタイ(甘いネパール菓子)をすすめられたとのこと。断る理由もなく口に入れたところ、気分が悪くなり、救急車で病院に運ばれる事態となったらしいのだ。
「急性食中毒か何か?」と聞く私に、周りにいたネパール人スタッフがみなにやにや笑い出す。聞くと、誰が入れたのかは知らないが、ミタイの中にガンジャ(大麻)が入っていて、悪酔いしたのが原因らしいのだ。
「本当はガンジャ入りって知ってて、自分で好んで食べたんじゃないの?」と問われると、焦って否定はしていたが果たしてどうだったのか。
その翌年も、彼、シバラトリの翌日に観光の仕事が入った。前夜は「他人からすすめられても何も食べないこと」「早く家に帰って寝ること」を固く守らせ、翌日、無事ガイドの任務を遂行できた、ということが。
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