2010年5月27日木曜日
ゲリラ豪雨
昼前、私の住まい周辺では突然大雨が降り始めた。途中、雹(ひょう)も混ざり、雨脚が弱まることなく30分ほど降り続いた。
雨が上がったので外出すると、あちこちの道路が冠水していた。
川状態になった道路。
普段あまり水かさのない小さなどぶ川も氾濫し、道路に水があふれ出ていた。
家を出るときまだ小雨が降っていたので、レインコートを着て出かけたのだが、私の家からほんの3kmほどしか離れていない場所では、雨は降っていなかったらしく、道路も乾いていた。レインコートを着ている私、なんとなく間が抜けている。
スコールのときは、こういうことがよくある。自分はずぶぬれでバイクを走らせているのに、対向車両はまったく濡れていない、というようなことも。
2010年5月26日水曜日
最近のこととラジオ出演のお知らせ(5月30日放送)
10日ほどブログ更新怠っていました。取り立てて話題にするようなこともなく。
現実には、制憲議会の延長をめぐり、情勢不安定のネパール。5月28日以降どうなるのかわからない状況ですが、政治のことはよくわからないので、ただ成り行きを見守るだけです。
===
ところで、今週末頃掲載しようと思っていたのですが、こういう情勢の中、タイミングを逃しかねないので、少々早めですが、以下、お知らせです。
FMラジオJ-WAVE系列、アジア情報を発信する『ASIENCE SPIRIT OF ASIA』という番組に、5月30日に出演させていただく予定です。
~ 番組情報 ~
公式サイト: http://www.j-wave.co.jp/original/asia/
放送日:毎週日曜18:00-18:54
放送局:NORTHWAVE(北海道)、J-WAVE(東京)、ZIP-FM(愛知)、FM802(大阪)、CROSS FM(福岡)
番組内の『Asian Lounge』というコーナーへの出演となります。
この番組への出演は、去年2回に続き今回で3回目となるのですが、相変わらず緊張し、舌噛みまくりました(収録放送です)。
私の出演は正味5分ほどとなるかと思いますが、もしよろしければお聞きください。
現実には、制憲議会の延長をめぐり、情勢不安定のネパール。5月28日以降どうなるのかわからない状況ですが、政治のことはよくわからないので、ただ成り行きを見守るだけです。
===
ところで、今週末頃掲載しようと思っていたのですが、こういう情勢の中、タイミングを逃しかねないので、少々早めですが、以下、お知らせです。
FMラジオJ-WAVE系列、アジア情報を発信する『ASIENCE SPIRIT OF ASIA』という番組に、5月30日に出演させていただく予定です。
~ 番組情報 ~
公式サイト: http://www.j-wave.co.jp/original/asia/
放送日:毎週日曜18:00-18:54
放送局:NORTHWAVE(北海道)、J-WAVE(東京)、ZIP-FM(愛知)、FM802(大阪)、CROSS FM(福岡)
番組内の『Asian Lounge』というコーナーへの出演となります。
この番組への出演は、去年2回に続き今回で3回目となるのですが、相変わらず緊張し、舌噛みまくりました(収録放送です)。
私の出演は正味5分ほどとなるかと思いますが、もしよろしければお聞きください。
2010年5月17日月曜日
お祓い
1ヶ月ほど前、うちに家事手伝いに来ている子(といっても既婚女性だが)が、「母病気」の知らせを受け、カトマンズ盆地の外にある村にあわてて帰っていったことがある。
10日ほど村に滞在し、母親の容態が回復したためカトマンズに戻ってきた。彼女の話によると、彼女が村に帰り着いた時、母親の意識はもうろうとしており、食事も食べられない状況で、関節が固くなっていて横になることもできず、1人で動くこともできず、壁に寄りかかり何日も膝を抱えたような状態で座ったままでいるしかなかったのだという。
私が、なんの病気だったのかと聞くと、病院には連れて行っていないからわからない、とのこと。
彼女の村には病院はないが、朝村を出発するバスに乗り、その後何度か乗り継げば、その日のうちには病院へたどり着くことができるのだと以前聞いたことがあった。(病院へ行くまでに何日も山道を歩かなくてはいけないような村もあるので、そういうところに比べれば、彼女の村は比較的恵まれているといえるかもしれない)
このため、当然病院へ連れて行ったのだろう、と思い訊ねたのだが、彼女いわく、母親が病気になったのは、「他人に呪いをかけられたため」なので、病院へ行く意味がなかったのだ、とのこと。
彼女だけでなく、彼女の父親はじめとする家族・親戚ともに、母親の病気は「呪い」が原因であると信じていたようで、彼女が帰省していた間に、大枚はたいて何日もお払いの儀式を執り行ったのだそうだ。その結果、母親の容態も回復したのだという。
お祓いの儀式に鶏を3羽生贄にしたそうなのだが、それを聞いた、カトマンズ出身中流階級のネパール人が少々冷やかに一言「お母さん、肉が不足してたんだね」。(生贄後、鶏は食用肉となり人々の胃の中に入る)。
そして先週末、この出来事から1ヶ月も経っていないのに、今度は「母危篤」の連絡が入り、再びあわてて村へ帰って行った。今回は、前回よりも大規模なお祓いをすべく、だんなまで引き連れて。
しかし、だんなが住み込みで働く、カトマンズの上流階級ネパール人主人に「お祓いはいいから、まず病院へ連れて行け!」とこっぴどく叱られ、治療費を強引に渡されたとのこと。(お祓いするしないは自由だが、そう頻繁に長期休暇を取られても、雇主としても困るのだ)。
そして、村到着翌日に、病院がある最寄りの村まで運んだそうだ。
病院から私宛にも連絡があったのだが、一通り検査をし、点滴をし、容態は落ち着いているとのこと。検査後、医師からの説明を受けた中で、母親が「極度な貧血状態にあった」ということは、彼女でもわかったらしい。
・・・
話はそれるが、カトマンズ市内にも、あちこちに「お祓い師(祈祷師)」のような人が存在し、病院に行くほどでもないが、体調がなんとなくすぐれないときに、お祓いをしてもらいに行く、という現地人もたくさんいる。
私自身も、そういう時、お祓いをしてもらいに行くことがある。お祓い後、不思議と気分がすぐれてくるのは、お祓い効果なのか、気持ちの持ちようか、単なる気分が晴れるタイミングなのかはわからないが。
医師のいない村では、今でも、病人がでるとまずはお祓い師に頼ることも多い。というか、頼らざるをえない、というのが実情かもしれない。お祓いで病状がよくなることもあれば、効果がないこともある。
話を戻すが、彼女の母親の病因は、はたして「他人からの呪い」によるものだったのかどうなのか。
今回の状況では、病名の付いている何らかの病気が原因だったのではないか、という気もするが、ネパールには、科学では証明できないようなことが多く存在するというのも、事実だ。
10日ほど村に滞在し、母親の容態が回復したためカトマンズに戻ってきた。彼女の話によると、彼女が村に帰り着いた時、母親の意識はもうろうとしており、食事も食べられない状況で、関節が固くなっていて横になることもできず、1人で動くこともできず、壁に寄りかかり何日も膝を抱えたような状態で座ったままでいるしかなかったのだという。
私が、なんの病気だったのかと聞くと、病院には連れて行っていないからわからない、とのこと。
彼女の村には病院はないが、朝村を出発するバスに乗り、その後何度か乗り継げば、その日のうちには病院へたどり着くことができるのだと以前聞いたことがあった。(病院へ行くまでに何日も山道を歩かなくてはいけないような村もあるので、そういうところに比べれば、彼女の村は比較的恵まれているといえるかもしれない)
このため、当然病院へ連れて行ったのだろう、と思い訊ねたのだが、彼女いわく、母親が病気になったのは、「他人に呪いをかけられたため」なので、病院へ行く意味がなかったのだ、とのこと。
彼女だけでなく、彼女の父親はじめとする家族・親戚ともに、母親の病気は「呪い」が原因であると信じていたようで、彼女が帰省していた間に、大枚はたいて何日もお払いの儀式を執り行ったのだそうだ。その結果、母親の容態も回復したのだという。
お祓いの儀式に鶏を3羽生贄にしたそうなのだが、それを聞いた、カトマンズ出身中流階級のネパール人が少々冷やかに一言「お母さん、肉が不足してたんだね」。(生贄後、鶏は食用肉となり人々の胃の中に入る)。
そして先週末、この出来事から1ヶ月も経っていないのに、今度は「母危篤」の連絡が入り、再びあわてて村へ帰って行った。今回は、前回よりも大規模なお祓いをすべく、だんなまで引き連れて。
しかし、だんなが住み込みで働く、カトマンズの上流階級ネパール人主人に「お祓いはいいから、まず病院へ連れて行け!」とこっぴどく叱られ、治療費を強引に渡されたとのこと。(お祓いするしないは自由だが、そう頻繁に長期休暇を取られても、雇主としても困るのだ)。
そして、村到着翌日に、病院がある最寄りの村まで運んだそうだ。
病院から私宛にも連絡があったのだが、一通り検査をし、点滴をし、容態は落ち着いているとのこと。検査後、医師からの説明を受けた中で、母親が「極度な貧血状態にあった」ということは、彼女でもわかったらしい。
・・・
話はそれるが、カトマンズ市内にも、あちこちに「お祓い師(祈祷師)」のような人が存在し、病院に行くほどでもないが、体調がなんとなくすぐれないときに、お祓いをしてもらいに行く、という現地人もたくさんいる。
私自身も、そういう時、お祓いをしてもらいに行くことがある。お祓い後、不思議と気分がすぐれてくるのは、お祓い効果なのか、気持ちの持ちようか、単なる気分が晴れるタイミングなのかはわからないが。
医師のいない村では、今でも、病人がでるとまずはお祓い師に頼ることも多い。というか、頼らざるをえない、というのが実情かもしれない。お祓いで病状がよくなることもあれば、効果がないこともある。
話を戻すが、彼女の母親の病因は、はたして「他人からの呪い」によるものだったのかどうなのか。
今回の状況では、病名の付いている何らかの病気が原因だったのではないか、という気もするが、ネパールには、科学では証明できないようなことが多く存在するというのも、事実だ。
2010年5月14日金曜日
暑さと乾燥と
今週に入って、毎日暑い日が続いている。雨が降っていないので、日に日に暑さが増しているような気がする。
日中の気温は35度ぐらいまであがっているのではないかと思う。本当に暑い。
日中、外にいると、肌を突き刺す強い日差しに、じりじりこげそうになるが、救われるのは、湿度が低いということ。
一昨年の夏、一時帰国をし、実家のある横浜で8年ぶりに日本の夏を過ごした。
連日30度以上越えていて、しかも湿度が高く、室内でじっとしていても、滝のように流れ出る汗。一日に何度もシャワーを浴び、何度もTシャツを取り換えた。
それに比べると、カトマンズの暑さに限っては、湿度が低いため、じっとしていてもとめどなく汗が流れる、というような不快な暑さではない。
とはいっても、暑いことには変わりない。
どのぐらい暑くて乾燥しているかというと、『直射日光の当たらない日陰に干したジーパンが、1時間も経たないうちに、生地が重なっているポケットの部分までパリパリに乾いていた』、ほど。
暑さでいうと、こんな感じ。
・ インド人の果物売りが、炎天下の下自転車に乗せて売っている、今が旬のマンゴー。買いたては、ひとつひとつがホカホカに温かい。買ってすぐ皮をむくと、果肉もホカホカ、種まで温かいホットマンゴーになってしまっている。
余談だが、キンキンに冷えた食べ物が割と苦手なネパールの人。冷蔵庫で冷やしたマンゴーと、買いたてホットマンゴーがあるとすると、後者を選ぶ人も(私の周りには)多い。
・ 水がでてくるはずの蛇口からも、熱い(「温かい」というより「熱い」)お湯がでてくる。間違えてお湯の蛇口をひねったのかと確認しても、水の蛇口。屋上の黒いタンクに貯められた水が室内の蛇口から出てくる仕組みになっているのだが、この暑さで、太陽熱パネルを通さなくても、タンクの黒色効果で温まってしまうのだ。
日中の気温は35度ぐらいまであがっているのではないかと思う。本当に暑い。
日中、外にいると、肌を突き刺す強い日差しに、じりじりこげそうになるが、救われるのは、湿度が低いということ。
一昨年の夏、一時帰国をし、実家のある横浜で8年ぶりに日本の夏を過ごした。
連日30度以上越えていて、しかも湿度が高く、室内でじっとしていても、滝のように流れ出る汗。一日に何度もシャワーを浴び、何度もTシャツを取り換えた。
それに比べると、カトマンズの暑さに限っては、湿度が低いため、じっとしていてもとめどなく汗が流れる、というような不快な暑さではない。
とはいっても、暑いことには変わりない。
どのぐらい暑くて乾燥しているかというと、『直射日光の当たらない日陰に干したジーパンが、1時間も経たないうちに、生地が重なっているポケットの部分までパリパリに乾いていた』、ほど。
暑さでいうと、こんな感じ。
・ インド人の果物売りが、炎天下の下自転車に乗せて売っている、今が旬のマンゴー。買いたては、ひとつひとつがホカホカに温かい。買ってすぐ皮をむくと、果肉もホカホカ、種まで温かいホットマンゴーになってしまっている。
余談だが、キンキンに冷えた食べ物が割と苦手なネパールの人。冷蔵庫で冷やしたマンゴーと、買いたてホットマンゴーがあるとすると、後者を選ぶ人も(私の周りには)多い。
・ 水がでてくるはずの蛇口からも、熱い(「温かい」というより「熱い」)お湯がでてくる。間違えてお湯の蛇口をひねったのかと確認しても、水の蛇口。屋上の黒いタンクに貯められた水が室内の蛇口から出てくる仕組みになっているのだが、この暑さで、太陽熱パネルを通さなくても、タンクの黒色効果で温まってしまうのだ。
2010年5月10日月曜日
先日の6日連続バンダ中のトレッキングのことなど
バンダ中、ジョムソン方面を歩いていたゲストが2組あった。
現在、ポカラ~ジョムソン~ムクティナート間は車道が出来ており、通常であれば乗合ジープやバスを利用して移動できる。(※ただし、現在タトパニ~ガーサ間は補修工事中で車両走行不可とのこと)
このため、車が捕まる場所では車を利用し、短期間でジョムソン~ムクティナート~タトパニ~ゴレパニ~プーンヒル~ナヤプルをまわる計画を立てていた。
しかし今回のバンダのため、ジョムソン方面でも車両走行を妨害され、徒歩移動を余儀なくされることに。かなり大変なトレッキングだったようだ。
上の写真は、ネパールバンダ初日の5月2日、ジョムソンの乗合ジープ乗り場周辺を歩くマオイストたち。
ひと組は、5月5日にナヤプルまで出てきた後、マオイストの通行妨害リスクが少ない深夜にフェディまでタクシーで移動し(5月5日の記事参照)、翌早朝フェディから雨の中を徒歩でポカラ空港へ向かった。
もうひと組は、バンダが継続されナヤプルからポカラまでの車両移動ができなくなるだろうという判断で、急きょ、ダンプスまで出てくることにした。
ナヤプル~ポカラまで歩くのはかなりきついが、ダンプスからであれば、ポカラまでは20kmほどの距離であるため、最悪歩きとおすことも可能だろう、ということで。
そして結局、その予測通り、5月7日、ダンプス~ポカラ空港まで約5時間かけて歩くことになった。以下2枚は、その時の写真。
フェディからポカラへ向かう途中の車道にて。車両通行がないため、道のど真ん中で、ゆうゆうとノートを広げて勉強する子供たち。
今回、マオイストがらみの一連の騒動で、4月半ば過ぎから教育機関のバンダ(スト)が実施されており、その後、ネパールバンダに突入してしまった。教育機関のストが実施される前は、ネパールの新年による長期休みだった学校も多く、実質、3月末頃~先週まで1ヶ月半ほどほとんど開校していない学校も多い。
救急車を取り囲むマオイストの集団。
普段のバンダだと、救急車の通行さえ妨害されることがある。バンダ中に病人を乗せて走っていた救急車が焼き討ちにあった、というニュースを以前聞いたこともある。
また、バンダの日に産気づき、なんとか村の救急車に頼んで、ハラハラしながら(迫り来る出産と、マオイストに通行妨害されるのではないか、という緊張からくる「ハラハラ」の両方)病院へ向かったという私の知人(ネパール人)もいる。
(余談だが、このとき生まれた男の子(現12歳)、自分自身の重要な儀式やイベント時には必ずネパールバンダと重なってしまう、という、バンダとは非常に縁の深い人生を送っているそうだ)
しかし、今回のバンダでは、救急車の走行はきちんと許可してくれていたとのこと。しかし、中に、病人以外の人がこっそり乗っている場合は、引きずり降ろして乗車妨害するため、救急車が本当に病人を運んでいるのかどうか、厳しくチェックしていた模様。
ところで、1ヶ月半ほど前、シャクナゲ満開の写真を掲載したのだが、同じルートでは現在、ほとんどが枯れ落ちてしまっていたそうだ。
地面を埋め尽くす花びら、これはこれできれいだけど。
※ 写真はすべてガイドによる撮影。
2010年5月8日土曜日
パタンの鐘
パタンダルバール(旧王宮)広場内に、ネパール語でトゥロ・ガンタ(Thulo Ghanta)と呼ばれる大きな鐘がある。
地元の人たちの言葉、ネワール語ではタワ・ガーというらしい。(私はネワール語に関してはほとんど分からないので、聞こえたままを表記しています。間違いがある場合はご容赦ください)
この鐘、祝祭時や重要な儀式が執り行われるときに鳴らされるのだそうだが、昔は、何らかの用事で地元住人を集める時や、緊急事態を知らせる時にも、鳴らしたという。
ネパールバンダ6日目だった昨日、各地で平和ラリーが実施されていた。カトマンズ市内バサンタプルでの様子はこのブログにも書いたのだが、パタンでも行われていたとのこと。
ダルバール広場周辺にも、このあたりの先住民であるネワール族の人たちがたくさん集まって、マオイストに対する平和的抗議行動が行われていたそうだ。
その際に、この鐘が鳴らされたとのこと。平和を願って鳴らされたのだそうだが、鐘の音を聞いて、さらにたくさんの人が集まってきたそうだ。
旧市街マンガルバザールに住む人から聞いた話。
===
ところで、ネパールバンダは中止となったが、今日も、マオイストによる抗議デモは続けられていた。
市内のあちこちで、赤い旗を持って行進する人たちの姿が見られた。
街に出てきてデモに参加して、虚栄を張ってはいるものの、交通量の多い道路を横切ることに慣れておらず、どことなくおどおどして見える明らかに村の若者らしい集団。彼らを見ていたら、なんとなく気の毒になってきてしまった。
2010年5月7日金曜日
ネパールバンダ解除(中止)
5月2日から本日まで6日続いた、マオイストによるネパールバンダ(強制ゼネスト)、本日をもって中止となった。
抗議行動はまだ続くようだが、バンダ解除とのことでとりあえずよかった。
抗議行動はまだ続くようだが、バンダ解除とのことでとりあえずよかった。
5月7日ネパールバンダ6日目平和ラリーが始まる前のバサンタプル周辺
ネパールバンダ6日目突入。
本日午前9時から、カトマンズ市内バサンタプル広場から、平和デモ行進がスタートした。
バサンタプル広場というのは、タメルから徒歩20分ぐらい、カトマンズダルバール広場にある、普段は土産物屋の露店がずらっと地面に並ぶ場所。
今回のバンダで車を使った観光ができなくなった旅行者たちでも、この辺りまでは徒歩で観光に出かけた人も多いと思う。
デモ行進出発前に、各界幹部の人たちの演説や、社会風刺を得意とするコメディアンのコメディなどもあったそう。
写真一枚目の左側、二枚目の中央奥に見える低い建物はクマリの館。右手の三重塔はナラヤン寺院。広場を埋め尽くす人・人・人。
今日の写真もスタッフが撮影したものなのだが、見せてもらって思わず私が言った言葉。
・・・で、クマリ巡礼もあったの?
毎年9月頃にあるインドラジャトラという祭りの最中、少女の生き神様であるクマリが、クマリの館を出発し、山車に乗って周辺を練り歩くのだが、それを一目見ようと観衆が集まる光景が、まさに、この写真とそっくりなのだ。
冗談はさておき、デモ行進出発前には、平和の象徴白いハトも放たれたそうだ。
Nepaliko Chahana, Shantiko Sthapana(「ネパリ・コ チャハナ、シャンティ・コ スタパナ(ネパール人の願いは、平和の構築)」というような感じの意味)と書かれたスローガン。韻を踏んでいる。
スローガンを掲げてデモへ出発。
ところで、カトマンズ旧王宮広場内、写真のようにいつもハトの大群がいる場所がある。
おじいさんと、牛と、ハトと。のどかさが漂う平和な雰囲気なのだが、同じころ、(ニュースによると)平和デモを阻止するマオイストとの衝突もあったそうだ。
2010年5月6日木曜日
5月6日ネパールバンダ5日目夕方のカトマンズ
ネパールバンダ6日目。ホテルでも、日中、ゲートを閉めたままの状態が続いている。
日本大使館があるラジンパト(Lazimpat)通りに面した大きなホテル2軒もこんな様子。
本日も18時~20時までの間、店を営業してもよいことになっている。
18時過ぎ、待ち構えていた様子で店のシャッターを開ける人。
ちなみに、ニュースによると、7日以降は、営業許可時間が18時~22時までに延長になったとのこと。
夜の早いカトマンズ、21時過ぎると、すでに深夜過ぎの雰囲気が漂うほどひっそりしてしまう。22時まで営業を許可しても、あまり意味はない気もするが、、、。
午後過ぎから夕方にかけてまとまった雨が降った。
満開だったジャカランダの花も、雨に散って、地面を紫色に染めた。
朝から曇り空で、日中もあまり気温が上がっていなかったのだが、雨が降ってさらに気温が下がった。
銀行の電光温度計によると、18時過ぎの気温が17度となっている。精確性のほどはわからないが、室温は23度くらいだったので、外の気温は本当に20度を切っていたかもしれない。肌寒いぐらいだったから。
ここ何年か、4~5月にかけて連日30度を超す暑い日が多くあったのだが、今年は、暑い日もあれば涼しい日もあり、バランスがとれている感じで過ごしやすい。
※ 写真はスタッフによる撮影。
2010年5月5日水曜日
5月5日ネパールバンダ4日目の出来事いろいろ
バンダも4日目突入。支離滅裂に、今日の出来事など。
===
毎朝、自宅まで牛乳(厳密には水牛の乳)を配達してもらっている。カトマンズ北方向にある村の農家のおばさんが、朝採れた絞りたての牛乳(水牛乳)1マナ(1リットル弱)をバスに乗って持ってきてくれる。
「今日は水牛がお乳をなかなか出してくれなかった」という理由で遅くなることもあるのだが、たいてい、朝7時半頃までには届けてくれる。
しかし、5月2日にバンダが始まって以降、配達時間が遅れていた。バスが動いていないので、約5kmほどの道のりを、片道1時間以上かけて歩いて来なくてはいけないからだ。
そしてバンダ4日目の今日、とうとう、「歩きはしんどいから、バンダが明けるまで明日からは配達しないからね」と言われてしまった。
===
午後、アンナプルナ方面のトレッキングをしていたお客さんから電話が入った。もうすぐトレッキング最終地点のナヤプルに到着するのだが、そこからポカラまでの移動をどうするか、という相談。
車が走っていないので、多くのトレッカーは、ナヤプル~ポカラ間約30kmほどの道のりを、徒歩で移動しポカラを目指しているという。この区間、通常は車で1時間半ほどで移動出来てしまう距離。
夕方、ナヤプルに到着した同じ方から再び連絡をもらう。ナヤプルに待機している車はあることはあるのだが、走らせると攻撃されるリスクがあるので、夜中にしか出せないという。しかも、ポカラまでは行けず(市街に入るとマオイストの集団がいて、夜中でも攻撃される恐れがあるから)、フェディ止まりになるという。
夜23時過ぎ、同じ方から再び連絡をもらう。22時過ぎに車でナヤプルを出発し、フェディに到着したところだという。本来なら、本日はポカラ市内のホテルに宿泊する予約を入れていたのだがキャンセルし、今晩はフェディに1泊することになる。
6日は昼過ぎにポカラ空港を発ちカトマンズへ戻る飛行機を予約してあるので、それに間に合うよう、フェディ~ポカラ空港までの約20km弱の道のりを徒歩移動しなくてはならない。
せめて、飛行機の時間を遅くできないかと昼間に航空会社に問い合わせていたのだが、バンダの影響で空路利用客が増えており、どの便も満席状態となっているため、変更は難しいという状態だった。
===
以前、連続バンダの最中になぜか無性に肉まん(てりやきまん)が食べたくなって、作って食べたことがあるのだが、それ以来、私の思考回路と食欲の関係が、バンダ=肉まんが食べたくなる、ということになってしまっている。
今回も、たぶん食べたくなることが予測できたので、バンダ前に念のため小麦粉の在庫を確認しておいた。
そして案の定、本日食べたくなって「肉まんの日」に決定。
昨日夕方、近所のローカル肉屋で骨付きぶつ切りの鶏肉を買って、洗って冷凍しておいた分が少し残っていたので、骨から肉だけむしり取って、細かく刻んで、てりやきまんもどきを作った。今まで以上においしい出来で、ちょっと幸せな1日でもあった。
どうでもいいことだが、初めて肉まんを見たネパール人に、「なにこれ、この大きなスケコモモ(乾燥したモモ※)」と、笑われたことがある。
※ モモとは → http://dailynepal.blogspot.com/2006/04/blog-post_09.html
===
毎朝、自宅まで牛乳(厳密には水牛の乳)を配達してもらっている。カトマンズ北方向にある村の農家のおばさんが、朝採れた絞りたての牛乳(水牛乳)1マナ(1リットル弱)をバスに乗って持ってきてくれる。
「今日は水牛がお乳をなかなか出してくれなかった」という理由で遅くなることもあるのだが、たいてい、朝7時半頃までには届けてくれる。
しかし、5月2日にバンダが始まって以降、配達時間が遅れていた。バスが動いていないので、約5kmほどの道のりを、片道1時間以上かけて歩いて来なくてはいけないからだ。
そしてバンダ4日目の今日、とうとう、「歩きはしんどいから、バンダが明けるまで明日からは配達しないからね」と言われてしまった。
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午後、アンナプルナ方面のトレッキングをしていたお客さんから電話が入った。もうすぐトレッキング最終地点のナヤプルに到着するのだが、そこからポカラまでの移動をどうするか、という相談。
車が走っていないので、多くのトレッカーは、ナヤプル~ポカラ間約30kmほどの道のりを、徒歩で移動しポカラを目指しているという。この区間、通常は車で1時間半ほどで移動出来てしまう距離。
夕方、ナヤプルに到着した同じ方から再び連絡をもらう。ナヤプルに待機している車はあることはあるのだが、走らせると攻撃されるリスクがあるので、夜中にしか出せないという。しかも、ポカラまでは行けず(市街に入るとマオイストの集団がいて、夜中でも攻撃される恐れがあるから)、フェディ止まりになるという。
夜23時過ぎ、同じ方から再び連絡をもらう。22時過ぎに車でナヤプルを出発し、フェディに到着したところだという。本来なら、本日はポカラ市内のホテルに宿泊する予約を入れていたのだがキャンセルし、今晩はフェディに1泊することになる。
6日は昼過ぎにポカラ空港を発ちカトマンズへ戻る飛行機を予約してあるので、それに間に合うよう、フェディ~ポカラ空港までの約20km弱の道のりを徒歩移動しなくてはならない。
せめて、飛行機の時間を遅くできないかと昼間に航空会社に問い合わせていたのだが、バンダの影響で空路利用客が増えており、どの便も満席状態となっているため、変更は難しいという状態だった。
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以前、連続バンダの最中になぜか無性に肉まん(てりやきまん)が食べたくなって、作って食べたことがあるのだが、それ以来、私の思考回路と食欲の関係が、バンダ=肉まんが食べたくなる、ということになってしまっている。
今回も、たぶん食べたくなることが予測できたので、バンダ前に念のため小麦粉の在庫を確認しておいた。
そして案の定、本日食べたくなって「肉まんの日」に決定。
昨日夕方、近所のローカル肉屋で骨付きぶつ切りの鶏肉を買って、洗って冷凍しておいた分が少し残っていたので、骨から肉だけむしり取って、細かく刻んで、てりやきまんもどきを作った。今まで以上においしい出来で、ちょっと幸せな1日でもあった。
どうでもいいことだが、初めて肉まんを見たネパール人に、「なにこれ、この大きなスケコモモ(乾燥したモモ※)」と、笑われたことがある。
※ モモとは → http://dailynepal.blogspot.com/2006/04/blog-post_09.html
2010年5月4日火曜日
5月4日ネパールバンダ3日目のカトマンズ
ネパールバンダ3日目の本日。通常のバンダだと、日が経つにつれて、通行車両や開店する店の数も増えてくるのだが、今回は、そういうこともなく、通行車両もほとんど見られず、店もほとんどしまったまま。
バンダを無視して開店していた小さな商店が、昨日マオイストに営業妨害されたと、本日のニュースで流していた。そのせいか、昨日までシャッターを半分開けて営業していた近所の店も、今日は閉めたままだった。
タメル地区でも、こっそり店を開けているところも探すとけっこうあるのだが、本日のニュースで、そういうレストランの一つがマオイストに営業妨害されたと流していた。
さて、本日も18時~20時は店が開いたので、野菜を買いに出かけた。近所の商店では、ジャガイモや玉ねぎなどの日持ちする野菜以外、ほとんど置いていなかった。おいてあっても、普段の2倍以上に値上がりしている野菜も多く、買うのをためらってしまう。
バンダの前からトマトが値上がりしていて、1kg50ルピー(約80円。日本に比べれば激安だがネパールではこれでも高いと感じる値段)になっていた。このため、毎回買うのを渋っていたのだが、バンダ開始後は、1kg100ルピーまで値上がりし、こんなことなら、50ルピーのときに買っておくんだったと後悔。
バンダが収束する気配はなく、いつまで続くのだろうかと暗い気分になる。
===
写真は、青菜を求めて、夕方露店が出る近くの大通りまで出かける途中に撮影。右手のツタの絡まる塀の奥にあるのはギャネンドラ元国王の家。
2010年5月3日月曜日
5月3日ネパールバンダ2日目カトマンズの様子
ネパールバンダ(強制ゼネスト)2日目。今日も旅行者たちは、空港までの移動に不便を強いられる。
バンダの日は、ネパール観光局(NTB)やトレッキング協会(TAAN)が手配する、空港と市内主要場所や高級ホテルを循環する臨時シャトルバスが運行される。上の写真は、元王宮前でたくさんのツーリストを載せている様子。
この近くには、タメル地区や、4~5つ星ホテルであるアンナプルナ、ヤク&イエティなどもある。通常、シャトルバスはホテル敷地内まで入っていくのだが、本日は、この周辺でマオイスト達が大きな集会をしていたため、元王宮前が臨時乗降場となっていた模様。
タメル入口の交差点で開かれていたマオイストの集会。ステージを作り、歌や踊りを見せたりしていて、祭りのイベントみたい。
タメル入口。普段は車があふれるこの通りだが、今日は車両の通行もなく、歩行者天国状態。
タメル地区では、ほとんどの店がシャッターを下ろしていた。ゴールデンウィークでネパールに来ている旅行者も多い時期だが、思うように観光もできず、買い物もできず、レストランも閉まっているところが多く、せっかくの旅行が台無しになってしまったことと思う。
カトマンズ市内。車両通行がないことをいいことに、クリケットを楽しむ若者たち。
首相官邸前。そもそも今回の騒動は、マオイストが、ネパール現首相(現首相はネパールという姓名)の退陣を求めてのスト。周辺には武装警察の姿も多くみられるのだが、撮影時何ともタイミングよく正門の前を自由に散歩する雌牛の姿が。情勢とは裏腹に、なんとものどかな光景。
首相官邸を警備する武装警察。
カトマンズ北部リングロードにて。先日も記事にしたが、ジャカランダの紫色の花がきれい。
本日も18時~20時までバンダが一時解除となる。日も沈み、薄暗くなり始めても、たくさんの人が通りを歩いていた。
番外編:
18時~20時のバンダ一時解除中、野菜を買いに外出。
夏が旬の野菜、『ファルシ・コ・ムンタ』(かぼちゃのつるや芽、葉っぱが混ざったもの)発見!
初物、行くか、と思い値段を聞くと、3束100ルピーだという。旬には3束10ルピーほどで買えるので、10倍もの値段にびっくり。もちろん、あきらめる。
周りのネパール人たちも、初物に集まっては来たものの、値段を聞いて驚き、見知らぬ買い物客同士顔を見合わせ、苦笑しながら去って行く人がほとんどで、のどかな雰囲気が漂っていた。
※ 写真は一部スタッフによる撮影。
2010年5月2日日曜日
5月2日ネパールバンダ初日のカトマンズ市内
マオイストによる強制ゼネスト、予定通り実施中の本日。
昨晩深夜カトマンズに到着し、タメルに1泊後、本日早朝のフライトでポカラに向かうゲストがいたのだが、昨日の時点で、翌日の空港までの車両移動が出来なくなることを予測し、急きょ、空港近くのホテルへ予約を変更した。
そして本日、バンダの影響があまり受けない未明にホテルを出発し、車で空港へ向かおうと試みたのだが、すでに5時半頃の時点で交通妨害は始っており、ホテル~空港までの約3km、徒歩移動を余儀なくさせらるはめに。
(日中であれば市内主要場所~空港を循環する、ネパール観光局などが手配する武装警官護衛付き臨時シャトルバスの運行があるのだが、早朝の運行はないため、徒歩移動するしか方法がない)
30年以上前からネパールトレッキングを続けていらっしゃる常連のゲストで、ネパール事情についてはよく理解してくださっている方たちなので、その点は救われたのだが、持参されている荷物が重い!
昨深夜の空港送迎を終え、そのままゲストと同じホテルに泊まり込んでいたスタッフとドライバー、そして、ポカラまで同行するガイドの3名で手分けをして荷物を運びながらの移動となった。
途中、台車が捕まったので、途中から荷物を載せ移動を始めたものの、すぐにマオイストによる妨害に遭遇してしまう。
マオイストの幹部プラチャンダ(元ネパールの首相)は、旅行者には影響を出さないような平穏なバンダにする、と笑顔で会見していたが、予想通り、そんな都合のいいことを、各地で通行妨害する下っ端が理解しているはずがない。
台車の上のゲストの荷物を放り投げられそうになったためスタッフが抗議しても、相手はネパール語も上手に話せない、村からこの日のためだけに駆り出されたマオイスト。全く話にならず、事を荒立てても仕方ないと判断し、またすぐ徒歩移動に切り替えることに。
しかも今日のバンダはいつもに増して妨害具合がひどく、通行車両がない道路の真ん中を歩いて移動していたところ、道の端を歩くよう命じられたのだそうだ。
外国人の荷物を運ぶために台車を利用するのがなぜいけないのか、公共の道なのになぜ歩く場所まで指示されなくてはいけないのか、全く、マオイストのやることは理解に苦しむ。
早朝からデモ隊も出ていた模様。
お坊さんたちも荷物を持って空港を目指す。
車が通らないことをいいことに、道でサッカーをして遊ぶ子供たち。緊迫しているんだか、のどかなんだか、、、。
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徒歩でまわれる範囲内の観光に変更してもらったゲストいるのだが、空港までの徒歩移動にしても、徒歩観光にしても、一つ救われたのは、昨晩ふった雨の影響で、日差しもそれほど強くなく、比較的涼しい午前中だったということ。これで、通常通りのガンガン日差しだったら徒歩移動/観光なんて、暑くてとてもできない状況だっただろう。
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明日はどうなるのか現時点では不明だが、なんとなくこのバンダ、長引きそうな気配が漂っている。
2010年5月1日土曜日
5月1日のカトマンズ市内
マオイストによる大規模集会が実施されたカトマンズ、バンダ(強制ゼネスト)ではなかったものの、バンダの日のように、車両の通行も少なく、多くの店がシャッターを下ろしていた1日だった。
市内には武装警察の姿もたくさん見られた。上の写真は、バトバテニスーパーマーケット前のもの。
昨日は、食料や生活用品をたくさん買い込んでいるネパール人で混雑していて、レジの列もすごいことになっていた。
午後、食パンを買おうと立ち寄ったのだが、すでにすべて完売状態で、驚いた。いつもは、まだたくさん残っている時間帯だったのに。
今日は、いつもに比べると客足も少なく、買い物しやすい店内だった。
そしてタメル地区。
村から連れてこられたマオイストたち、という、いかにも田舎の人という雰囲気の集団をあちこちで見かける。明らかにカトマンズの人たちとは身のこなしや態度が違うので一目瞭然。
ときおり、デモ隊がシュプレヒコールを叫びながら通り過ぎる。写真は、私たちの事務所が入っている建物の屋上から撮ったもの。
デモ隊の中には、政治など意識することのない生活を送っていそうな、赤いサリーを着た田舎風のおばさんなどもいる。
「ほらみてみなよ、あのおばさん、何のためにカトマンズに連れてこられたかわかってないよ、きっと」「観光もできるっていうんで、わけわからないまま喜んで上京してきたんだろうね」
などと失礼なことをささやきあう、タメルで仕事をする野次馬たちの姿も。
・・・
明日2日からは、予定通り無期限スト突入とのことで、あーあ、という感じ。
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