ブログ移転のお知らせ

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2006年1月31日火曜日

パスポート増補

1998年に更新した、私の今のパスポート。

出入国のスタンプやビザの証明をもらう『査証(VISAS)』と書かれたページは、48ページ分あるのだが、残りページがいよいよ少なくなってきてしまった。

数えたら、まるまる1ページ残っているページは、あと2ページのみ。

これも、ネパールビザがでかすぎるせい!

ネパールに来たことのある方ならわかると思うが、ネパールのビザは、シール状になっていて、その大きさは、パスポートの1ページ分よりも、ひとまわりしか小さくない。

つまり、1回ネパールのビザを取得すると、パスポートの1ページ分が、すべて埋まってしまうというわけ。(写真参照)



1998年にパスポートを更新して以来、何回ネパールのビザを貼ったのだろうと数えてみたら、ツーリストビザ時代のものも含めると、その数28枚(も?)あった。

以前は、サイズの小さいビザのときもあったので、工夫して貼れば、1ページに2回分のビザシールを貼れない事もなかった。でも、どのときにも、中途半端に、ページの中央あたりに貼られてしまっているせいで、無駄に1ページを使うことになってしまっている。

そのほか、ビザ用にまるまる1ページが必要となる国、インドやミャンマーのビザを2回ずつ取得していたり、ビザが不要な国でも、出入国のスタンプをあちこちに押された結果、パスポートの残り2ページとなってしまったというわけだ。

少なくとも、次回のビザ更新までには、なんとかしなくては、と思っていたのだが、来週の帰国に向けて、いい機会なので、大使館にて増補してもらってきた。

40ページ追加で、1736ルピー(3000円弱)。1ページ40ルピーとちょっと。ローカルな飯屋だったら、ダルバートを食べられるところもあるなあ、なんて、現実的な計算をしてしまったが、とりあえず、これで、安心して第三国にも行ける。

2006年1月29日日曜日

ネパール産義理土産

帰国時に買って帰るネパール土産には、いつも悩む。

他の外国で土産用に売っているような、面白くもないけれど、間違いもない、いかにも義理用のクッキーやチョコのような、手軽な土産は、ネパールにはない。

アジア雑貨好きや、紅茶好きの人へなら、土産用として売られている手ごろなそれらの品を買えばすむのだけれど、『類は友を呼ぶ』なんてことわざはあまりあてにならないのか、私が日本にいた頃には、アジア雑貨なんて興味なし、紅茶はあまり飲まないのよね、的な人が周りに多くて、いつも頭を悩ませていた。

日本で働いていた時の職場宛のネパール土産はいつも、経由地のバンコク空港でまとめて買う『バナナチップス』と決めていた。って、ネパール土産じゃないか。

帰国するときには、家族と親戚分、突発的に会うことになるかもしれない知人分の土産を、一応用意する。

以前は、イラムティーの茶葉(東ネパールに位置する『イラム』は、気候がインドのダージリンと似ていることから、紅茶の産地とされている)などを買って帰っていたが、使い切ってくれた人は、果たしてどれだけいるのだろう、と、思ってしまう。

ちなみに、実家に渡した土産用紅茶、1年後帰国してもそのまま残っていて、さらにその1年後(つまり、土産として購入してから2年経過)にも手付かずで残っていたことがあり、捨てるものもったいないので、ネパールに持って帰ってきて、結局自分で飲んだこともあるぐらいだ。それ以来、紅茶の土産は買わないことにした。

ネパールインドあたりでよく使われる薬草から作った石鹸を買ってみたこともあったが、「ネパールで作った石鹸って、肌荒れないかしら?」とおそるおそる受け取る人もいて、ああ、また失敗した、、、と思ったこともあった。

私だったら、外国の不思議な原料で作っている石鹸をもらったら結構うれしいから、石鹸は手軽でいい土産だと思ったんだけどなあ。

・・・土産選びは難しい。

やっぱり、バンコク空港で買うバナナチップスあたりが、無難かな、という結論に至ってしまう。>だからそれって、ネパールの土産じゃないって。

2006年1月27日金曜日

大量買いのときには

知人(日本人)に頼まれて、ドティを20着ほど購入しに行った。

ドティというのは、わかりやすくいえば、サリー。インドやネパールの女性が来ている、1m×5mほどの1枚布で、体に巻きつけて着る、アレ。

一般的に綿(ポリエステルも混じっていることが多いけれど)でできた、普段着用のサリーのことは、ドティという。

===

ラジャスタン出身のインド人が経営している、よく行く布屋で、ドティを選ぶ。

250ルピー~450ルピー(約400~600円)までのもの、各種。

インド人が接客する店に買い物に行くと、うまくおだてられているうちに(というか、彼らの本心と嘘が、見抜けないうちに)値切ることを忘れ、高めの金額を払ってしまうことが時々あるのだが、この店は、顔なじみの店だし、一着の提示価格も相場なので、ほぼ言い値で購入。

その後、たくさんのドティを持ったまま、知人(ネパール人)のオフィスをたずねる。すると、みんなの目線は、もちろん、私が持っているドティに集中。

ネパール人たちは、こういうとき、すぐに、いくらで買ったか聞きたがる。ガイジンが、正しい買い物ができているかどうか(逆に言うと、ボラれ加減がどの程度か)確かめたがるのだ。

だから、私は、購入平均額をいい、ドティを触らせて質をチェックさせながら、先手で答える。

「ボラれてなんかないわよ。顔見知りの店で買ったんだから」

ネパール人たちは言う。

「値段は相場だね。で、もちろん、1着か2着は、おまけしてもらったんでしょ?」

・・・。

そうだ、その手があったのだ。相場で買い物できたぐらいで喜ぶなんて、何年ココに住んでるんだ、私。

たとえば今回。20着ものドティを一度に購入したようなときには、店の人に、「ねえ、自分用に、2着ぐらい、タダでちょーだいね」と、笑顔でお願いすべきだったのだ。

そうすると、「どうぞどうぞ。どれでもお好きなのをどーぞ」という運びになって、何着かはオマケしてもらえたはずだったのだ。

なのに、相場で買い物できて、チヤ(ミルクティ)を一杯ご馳走してもらっただけで満足して、店を颯爽とでてきてしまった。

ああ、悔しい。なんで、こんな基本的なこと、忘れていたんだろ。けっこうかわいい柄、たくさんあったよなあ。あれで夏用のクルタ(パンジャビ・ドレス)作っても、よかったよなあ、と、未練がましい思いが頭をよぎる。でも、いまさら、もう遅い。

『大量買いをしたら、一割はオマケをもらわなきゃ損』 

この教訓を胸に、次回の大量買いに臨みたい。

2006年1月26日木曜日

危険さの違い

先日、ビンラディンが肉声で、アメリカを攻撃する準備はできている(しかも新種の方法で)と、宣言した。

実は私、2月5日に一時ネパールを離れる。そして、そのまま日本を通過して、2年ぶりの訪米予定。

===

今の時期、ネパールは危険だからと旅行をキャンセルする人が多い。

でも、名指しでテロ宣言されているアメリカには、今でも多くの人が、特に警戒もせず訪れる。

普通の旅行者が、政情が関係する被害に遭う可能性はたぶんほぼ皆無なのだけれど、それでもなぜか、危険な『イメージ』が強いのがネパール。

普通の旅行者が、無差別テロの被害に遭う可能性は本当はとても高いのだけれど、それほど実感として沸かないのがアメリカ、という感じだろうか。

人それぞれ、危険と感じる価値観は違うけれど、ここネパールの危険さは、割と低レベルの危険さ、という感じ、かな。

本日も、ネパールバンダ(全国規模のスト)だったけれど、一般市民にとってはのどかな一日でしかなかった。

実際はそういう毎日なので、無差別テロの標的にされている国、アメリカに行く飛行機に乗る時は、なんとなく、いつも、何もおきませんように、と願ってしまうのだ。

2006年1月25日水曜日

証明写真はネパールで

久々に、証明写真を準備しなければいけなくなった。

証明写真というと、受験用や履歴書用に高いお金を払って用意した記憶ばかりが強く、また出費が、、、というような暗い気持ちがこみ上げてきてしまうのだが、ここはネパール。証明写真は、とっても安く撮れる。

私がカトマンズで利用している写真屋では、ネガさえあれば、4枚20ルピー(約35円)で、現像してくれる。顔写真を撮るところからはじめても、それほど高くはならない。

日本では、スピード写真であっても、数枚で1000円近い額はしたと記憶している。ちゃんとした写真屋で撮ったら、1枚あたり1000円近くなることも、あったような記憶もある。

が、こちらでは、どんなに高くても、普通に証明写真を撮るのであれば、1枚あたりの写真の値段が、(日本円に換算しても)3桁になることはない。撮影日の翌日には、仕上げてくれる。できも、悪くない。

その証拠に、おととし、日本で運転免許証を更新したとき、ネパールで撮った証明写真を提出したのだが、撮り直しを要求されることもなかった。

だから今、私の日本の運転免許証には、ネパールで撮った顔写真が貼られている。

日本でも通用する、ネパールで撮る証明写真。ネパール旅行後、証明写真が大量に必要になる予定がある人は、ネパールで準備してしまってもいいかもしれない。

でもときどき、なんか、自分じゃないみたいだなあ、と思って、よくよく写真を見ると、顔のほくろが修正されていることもあったりするのだ。笑。

2006年1月24日火曜日

そうだ、ガネシュタンにいこう!スルヤ・ビナヤク編

ヒンドゥ教では、ある特定の神様にお祈りする特別な月や、曜日がある。

たとえば、シバ神に特別な祈りをささげるのは、サウン月(7月半ば~8月半ば)の毎週月曜日。

今月、マーグ(Magh)月(1月半ば~2月半ば)の火曜日には、ガネシュ神に特別な祈りをささげる習慣がある。

・・・ということで、昨夜、夜間外出禁止令が解除となったニュースをテレビで見た瞬間に決めた。

明日(つまり今日)火曜日、早起きしてガネシュタン(ガネシュ神がまつられる場所)に行こう!

目的地は、バクタプルにある『スルヤ・ビナヤク(Surya Binayak)』。ガイドブックには、多分載っていないローカル寺院。

まだ日の出前の真っ暗な早朝5時、家を出発。

寺院についたころに、うっすら明るくなってきた。

ふもとにある臨時供物売り屋で、お供えセットを選ぶ。



参道をあがって寺院に到着したときには、ちょうど日の出も拝めた。



火曜日ということで、日の出前からお参りをする人の長蛇の列ができている。どう見ても、私の番がまわってくるのは、1時間以上あとになりそう。はじめの15分ぐらいは、なかなか前に進まない列に並んで、自分の番を待ったのだが、寒くて耐えられなくなった。



こんなとき、ネパールのヒンドゥ寺院参拝システム(?)は非常に便利。事情があって、列に並んで自分の番を待つことができない人のために、地元の人たちが、お供え物を代理で神様近くに備えてくれるシステムが、どの寺院にもあって、本尊近くに、何人か待機しているのだ。

それを思い出して、早々と列を離れ、代理お供え係のおじさんにお願いすることにした。


                                     
帰り道の参道。ここにも、クロウニが売られているではないか!寒いとあまり食べる気はしないけれど、お土産に買って帰る。

2006年1月23日月曜日

バイクの鍵

私が乗っているスクーター。鍵はあってないようなもの。

先日スクーターで出かけ、用事が終ったのでさて帰ろうとしたときの出来事。

鍵を探すと、ない!ポケットにも、バッグにも、どこにも見当たらない!!何かの拍子に落としてしまったのかもしれない。

さて困った。家に帰ればスペアキーはあるから、今日のところしかたない、スクーターはこのまま置いて帰ろうか、とも思ったのだが、あることを思い出した。

『バイクの鍵なんて、あってないようなもの。1個鍵があれば、誰のバイクのエンジンだって、かけられるよ』

本当に、そうなのだろうか?だとしたら、知人のバイクの鍵を借りて、エンジンをかけてみようか?

でも、その前に、バイクの鍵に形が似ている、手持ちの鍵で試してみよう、と思いついた。

いつも持ち歩いている、家の戸棚の鍵。バイクの鍵に、見た目そっくり。試しにキーホールに差し込むと、難なく入ってしまった。

えー、私のスクーターって、戸棚の鍵でエンジンかかってしまうわけ?

===

私が乗っている中古のスクーターは、かれこれ7年前ぐらいのモデル。

その前は、15年物の中古に乗っていた。15年物は、買った当初は問題なかったのだが、半年もしないうちに、ガタが出始め、買い換える2ヶ月ほど前からは、ゆるい坂道ものぼれないほど、馬力がなくなってしまっていた。一番困ったのは、自宅に帰れないこと(苦笑)。私の家の前には、短いけれど非常に急な坂があるのだが、家に帰るとき、この坂さえも上がれずに、近所の人を呼び出して、後ろから押してもらったことが何度もあった。自分の家に帰れないボロバイク。役に立たないので、今の7年物に買い換えたというわけだ。

、、、と、いつもながらに話しがそれてしまったので、話を戻すと。

今のスクーターを購入した際、鍵を2つ渡された。でも、この鍵は使い勝手が悪くて、ハンドルロックができないでいた。ハンドルの下部分にある収納スペースをあけるときも、渡された鍵では、キーホールになぜか鍵が入りにくかった。無理やり押しこみ、何度かだましだましまわさないと、カバーが外れないので、収納スペースはほとんど使ったことがなかった。

家に帰ってそのことを思い出し、試しに、家の戸棚の鍵でハンドルロックを試みると、まるで、本来の鍵であるかのように、難なくロック完了!

ハンドルの下部分にある収納スペースのキーホールにも、すーっと鍵が入り、簡単にあけることが出来た。

、、、本来の鍵では用を成さず、戸棚の鍵の方が、役に立つなんて、、、。

その後、他のいろいろな鍵も試してみたら、割とどの鍵でもエンジンはかかったし、ハンドルロックもできてしまった。

つまり、役に立たないのは本物の鍵だけか。いや、渡された2つの鍵が、このスクーターの本物の鍵かどうかも、これじゃ、怪しくなってきた。

あって、ないような、スクーターの鍵。かなり不安だけれど、古いバイクは大体どれもこんな感じ。

最近では、戸棚の鍵を、スクーター専用としてしまっている。

2006年1月22日日曜日

1週間に17時間、、、

1月から計画停電が実施されていて、週に2~3回、夕方から夜にかけて、1回につき1時間半から2時間程度、電気が止まっていた。

が、これだけでは節電効果が足りないらしく、本日の新聞によると、今日から1週間に17時間の計画停電が行われるという。

計画表を見ると、私が住む地域では、

毎日・水曜 15時半~17時半
毎月・金曜 05時半~08時半
毎火・土曜 08時半~10時半

そして、残る木曜は困ったもので、夜18時~21時間と、3時間の停電となるという。

地域によっては、時間帯は多少前後する場合があるが、午前中週4回、午後2回、そして、週1回は、18時~21時まで3時間の停電があるというのは、どこも同じ。

この、日没後の3時間停電、どうにかならないのだろうか?せめて、電気がいらない日中に、長時間停電を組み込んでほしかった、、、。

いずれにせよ、しばらく停電は続くので、ネパール旅行の際に、発電機を備えていないゲストハウスに泊まる予定の人は、懐中電灯やヘッドランプを持ってくると、重宝するかも。

===

旅行者の多くが滞在するタメル地区の停電計画は次の通り。

毎月曜日  午後06時~09時
毎日・木曜 午後04時~06時
毎火・金曜 午前06時~09時
毎水・土曜 午前09時~11時

2006年1月21日土曜日

物語を聞きに



日がさかのぼってしまうが、今日は今日の話題ではなく、2日前にアップしようと思っていた話題を。その日から、固定電話の一時遮断や、外出禁止令の話が出てきてしまって、アップしそびれていた。

18日夜、カトマンズ郊外の村に行ってきた。

ヒンドゥ教の伝統的行事や儀式がある際には、ヒンドゥ司祭一家の知り合いの家を訪問させてもらっている私なのだが、今回は、簡単に言うと、『物語を聞くこと』が目的だった。

毎年、今の時期の満月(今回は1月14日)~次の満月までの約1ヶ月、『スワスタニ(Swasthani)』というヒンドゥ教の儀式が行われる。



朝から断食をして、日没後、特別なプジャ(礼拝)をした後、ベジタリアン食をとる、という、流れは、普段の儀式やプジャ中と同じなのだが、スワスタニ期間中は、日中の断食後、身を清めた後に、毎晩少しずつ、スワスタニに関連した物語を読み進めていく習慣がある。

本にプジャ(礼拝)をし、お祈りをして、物語読みが始まる。

本はネパール語で書かれているので、私にも分かるから、文字を目で追っていく。そうすると内容は把握できるのだけれど、読み方に激しい抑揚がつくので、ただ聞いているだけだと、なんとなくよく分からない。日本でも、百人一首を詠むときに、ただ読むのではなく、抑揚をつけて詠むが、あんな感じだ。

私の場合、一日だけの信仰では、意味がないとは分かっているけれど、何となく、崇高な気持ちになる。

2006年1月20日金曜日

外出禁止令中の生活(泥棒編)

16日から発令されている夜間外出禁止令(21時~翌朝4時)に加えて、20日日中(8時~18時)も外出禁止となることが分かった、昨晩(19日夜)。

私が住む家の敷地内に、泥棒が入った!

『家』といっても、『室内』に泥棒が入ったわけではなく、被害にあったのは、庭に置いてあった、大家の自転車。

私が住む家の大家(私は1階、大家一家4人は2~3階に住んでいる)の、12歳双子の息子が、10日ほど前に、かっこいいマウンテンバイクを買った。

2人で一台のマウンテンバイクなのだが、よほど嬉しいと見えて、毎日、近所を交代で乗り回していた。

そのマウンテンバイクが、夜間外出禁止令が出されている昨晩、庭から忽然と消えたのだ!

外出禁止令が出ているから、人は外を出歩けないと思いきや、普通の住宅街までは、アーミーが厳重な警戒をしているわけではないから、泥棒は、人っ子一人出歩いていないことをいいことに、堂々と盗みに入ったのだろう。

庭の土の上を見たら、見事に、犯人のものと思われる、2人分の足跡が残されていた。

犯人は、双子の息子が最近自転車を買ったことを知っている、近所の人に違いない。だって、いくら、人っ子一人歩いていない夜間外出禁止発令中の道であるとはいえ、自転車抱えて夜道を遠くまで移動していたら、警戒しているアーミーに見つかって、怪しまれるから。

しかも、庭には、大家一家の、割と高そうな靴や、ヘルメットなども置いてあったのに、自転車以外には、何一つ盗まれていなかったというのも、ヘンだ。

ここの泥棒は、一度盗みに入ったら、そんなもの盗んでどうするの?と思うようなくだらないもの(たとえば、机の上のボールペンとか。苦笑)まで、盗んでいくことが多いのに、庭に置きっぱなしの靴やヘルメットには目もくれず、自転車だけ盗んで行くとは。

この家では、夜も自転車を室内に入れずに、庭に置きっぱなしにしていることを知っていた、はじめから自転車目当ての、近所の者の犯行に違いない。

外出禁止令中の生活(当日朝編)

昨夜、母屋とブログにアップした通り、本日20日8時~18時まで、カトマンズ市とパタン市を囲むリングロード内の内側で外出禁止令が発令されているカトマンズ。

外出できないから、家にいることになるのだが、家にいる分には、とってものどかな1日を過ごせるのが、実際のところ。

発令時間に入っても、私の家の近所の人たちは、近くの道を普通に歩いているし、子供も道で遊んでいる。一応、私が住む場所は、発令エリア(カトマンズ市とパタン市を囲むリングロード内)に位置するのだが、緊迫した雰囲気、はっきりいって、ゼロ。

どういう事情で外出禁止令が出されるのかにもよるのだが、一昨年(2004年)の9月に、5日間ほど日中の外出禁止令が続いた時も、今回と同じで、ウチの近所では、のどかな雰囲気しか漂っていなかった。 (2001年6月、前国王一家全員が暗殺されたときには、緊迫した外出禁止令だったが)

さて、今朝、砂糖が切れたので、近所の商店に買いに行ったら、普通に店は開いていたし、人々はいつもの朝と同じように、世間話をしながら店の前に集っていた。

テレビをつけてネパール語の番組を見ても、のどかな風景をバックにした、男女の愛の掛け合いの歌(民謡)とか、どうでもいいコメディー物とか、そんなものしか流れていない。

日本だったら、こういうとき、番組変更して、執拗なぐらいに、最新情報を繰り返し流すのだろうけれど。
むしろ、インドのニュースや、BBCなどで、けっこう深刻に今のネパールの状況について、専門家が語っていたりする。

今回は、とりあえず1日で外出禁止令も終るのだろうから、よい休息日という感じだ。 (数日続くと、さすがにうんざりしてくるけれど)

ぽかぽか天気もいいので、普段は出来ない大掃除と、家中の布団を干そう。

それにしても、今回は、固定電話は遮断されていないので、こうやってネットにもつなげるというのは、とても嬉しい。(ただし、携帯は、昨日19日朝から遮断されたまま)

昨年2月の政変時には、1週間固定電話が使えず、ネットも出来ず、携帯にいたっては数ヶ月使用が出来なくなっていて、非常に不便だった。

2006年1月19日木曜日

日中外出禁止令発令

1月20日8時~18時まで、カトマンズ市とパタン市を囲むリングロード内の内側で外出禁止令が発令されることになりました。

20日、空港~市内を結ぶシャトルバスが運行される予定です。時間帯は6時~20時まで。詳しい時刻表は未確認です。

ルートは以下の通り。(TAAN:Trekking Agents Association of Nepal からの情報)

Route 1
Airport RNAC Newroad Hotel Annapurna Hotel Yak & Yeti Thamel Chowk Lainchour Chowk Hotel Shanker Hotel Ambassador Airport

Route 2
Airport Hotel Radisson Hotel Shangrila Narayan Gopal Chowk Maharajganj Chowk Hyatt Regency Chabahil Chowk Hotel Dwarika Airport

Route 3
Airport Tinkune Chowk Hotel Everest Maitighar Chowk Hotel Himalaya - Jawalakhel Hotel Bluestar Hotel Soaltee Hotel Grand Airport

事務連絡

19日朝、一時的に通信(電話、携帯)が遮断されていました。

20日には、大規模な抗議行動も予定されています。詳しくは、母屋 の注意情報のページをご覧ください。

20日、日中、外出禁止令が出されるではないかというウワサも出ています。確実な情報が分かった時点で、通信が遮断されていなければ、HPまたはブログにアップします。

また、ヒマラヤン・アクティビティーズをご利用で、20日カトマンズ空港到着の皆様、外出禁止令が出ても、通行証を作成してもらい、お迎えは必ずさせていただくつもりですが、もし、どうしても、外出できないようなことがあれば、その時は、事情をご理解いただければ幸いです。

また、メールの返事は、48時間以内にはさせていただいていますが、それ以上たっても返事がない場合は、ネパールでの通信が遮断されていて、メールが送れない状態であることをご理解ください。

以上、事務連絡でした。

2006年1月18日水曜日

爆発の大きさ

母屋や、このブログのサイドバーにも表示しているのだが、16日からカトマンズでも夜間外出禁止令(夜10時~早朝4時)が発令されることになった。

[追記] 18日から、夜9時~早朝4時まで外出禁止令が出されることになったので、注意!

1月14日には、カトマンズ郊外の警察署がマオイストに襲撃されたり、その後、カトマンズ市内でも各地で爆発物騒ぎがあったりと、動きが出てきている。

とはいっても、日本のニュースに毎日のように流れるイラクの爆発テロや、少し前にあった、インドネシアの爆発テロのような悲惨な光景を見かけるわけではなく、ある程度死傷者が出る爆発でない限り、どこでどんな爆発が起きたのかは、ニュースにもならないことが多い。普通に暮らしている分には、特に普段と変わらない毎日。

そういえば、先日、発行部数も少ないネパール語の新聞を読んでいて、初めて知ったのだが、ウチの近所(私が住んでいる地名の場所)でも、爆発物騒ぎがあって、1人が死んでいたそうだ。

地元民が集う近所の小さな商店で、『このへんでも爆発騒ぎがあって、1人死んだの知ってる?小さな工場で起きたらしいけど?』と、世間話を持ち出してみたけれど、『へえ、そうなの?』という答えしか返ってこなかった。そんなものなのだ。

近くで騒ぎがあったことを聞いても、どうも実感がわかない。

カトマンズで爆発に巻き込まれて死ぬ可能性よりも、日本で、見知らぬ人に意味もなく刺し殺される可能性のほうが高いと、私は今でも信じている。

でも、これから、2月8日の選挙に向けて、今よりも混沌とするのは目に見えているから、なんとなく、いい気分はしない。

2006年1月14日土曜日

山芋を食べる日

今日は、ビクラム暦マーグ(Magh、10月)1日。山芋を食べる日。

一昨日ぐらいから、八百屋では、『目立つように』山芋類が並べられ始めていた。




とろろ芋と呼ばれる『長芋』、をメインに、自生の自然薯系のもの、名前不明のものなど、いろいろな種類がある。

写真の真ん中の段(カリフラワーの下)にあるのは、日本でもおなじみの、一般的に『長芋』と呼ばれるもの。

その横、向かって左側にあるやや小ぶりなもの、下の段にある大きいものなど、さまざま。

ちなみに、下の段にあるデカイ山芋の大きさはどのぐらいあるかというと、、、



赤ちゃんを目安にご想像ください(笑)。

2006年1月13日金曜日

1ヶ月遅れのヨマリ

明日14日は満月。

前回の満月は12月16日だった。

1年に一回、特別な満月の日があって、その日に、ネワール族は『ヨマリ』と呼ばれる食べ物を食べる習慣があるのだが、それが、前回12月16日の満月の日だった。

多民族が住む国ネパール。ヨマリは、ネワール族の食べ物で、他の民族は、特に作ったり食べたりする習慣はない。

ヨマリというのは、米の粉で作った厚い皮のなかに、黒砂糖とヤシの実などの餡を入れ、蒸して作る、まるで日本の饅頭のような食べ物。

米はネパール人が普段食べる長粒米ではなく、形は日本米と同じ、味も、圧力鍋で炊けばまるで日本米のように炊き上がる『タイチン』という種類を挽いて使う。長粒米よりも、粘りがあるからだ。

ちなみに、私はいつも、カトマンズ近郊の村に住む知人(ネパール人)が作っている、日本米に似た『タイチン』米を分けてもらっている。カトマンズのスーパーで『日本米』として売られている、高額(といっても1キロ70ルピー前後だが)な米よりも、私が食べている、知人作『タイチン』米のほうが、日本米に近いし、粘りがありおいしい。最近は、先秋に出来たばかりの新米をもらっているので、炊き上がりは本当においしい。

さて、話を戻して。

ヒマラヤン・アクティビティーズで、10月半ばより新しく働き始めたネワール族の女性スタッフ (先日、年賀状作りの切手貼りネタのときに、ちんたらちんたら作業をしていて私にあきれられたスタッフ) が、12月16日に、この『ヨマリ』をご馳走してくれる予定だったのだが、ちょうどこの日、カトマンズ盆地内のストになってしまい、オフィスも臨時休業となってしまった。

このため、ヨマリをふるまうチャンスを逃してしまった彼女。

しかし、先日元旦の日、私がスタッフたちにお手製お節を一品ずつふるまった姿に刺激されたのか、『1ヶ月遅れになってしまうけれど、次の満月の時に、この前食べてもらえなかった私の家のヨマリをふるまうわ!』と、宣言していた。 

そして、満月の前日に当たる今日、蒸したてホカホカのヨマリとアル・コ・アチャール(ジャガイモの添え物:これは、どの民族でも作る。特別なものではない)を持ってきてくれた。



ネワール族の彼女たちの習慣によると、お祝い事などにも登場する食べ物がこの『ヨマリ』なのだが、年に一度、必ず『ヨマリ』を作る日(作らなくてはいけない日)、それが、前回の満月の日だった。



おもしろいヨマリの形にまつわる話はいろいろあるのだが、先っぽが長いのは、この日(前回の満月の日、12月16日)より、日が長くなる(つまり日本の冬至にあたる)ことにちなんでいる、とも言われている。

写真は、全長10cmほどのヨマリ。

ヨマリを食べる習慣の日から、1ヶ月。確かに、日に日に、日は伸び春は近づいている。

2006年1月12日木曜日

夜、停電になったら

1月から計画停電が実施されている。発表されている予定によると、私が住む地域は、明日(金)、19時半~21時まで停電になる。

もうひとつの時間帯、17時半~19時半だったら、初めのうちはまだ外は薄明るいし、夕飯の準備をしたり、なんだかんだ家事をしながら、時間をつぶせる。

でも、19時半以降の停電は、中途半端でとても困る。

前回は、停電のことを意識していない時に、ぶちっと電気が切れた。

でも、たまたま、停電開始の19時半前までには、シャワーも浴びて、夕食も済まし、後片付けも終えて、テレビを見ていた時だったからよかった。

21時までの1時間半、電気がないと、何も出来ない。ろうそくの明かりで読書をするときもあるけれど、ますます目が悪くなりそう。だから、いっそのこと、寝てしまえ、と、さっさと20時前には布団に入ってしまった。

うとうととし始めた21時頃、突然街灯が灯って、明かりが復活したのを記憶しているけれど、面倒くさいので、そのまま朝まで眠り続けた。

明日もこの時間帯に停電がある日。19時半までには夕飯も食べ終えて、20時前には健康的に寝てしまおう(笑)。

2006年1月11日水曜日

曲がり角では

ネパールでは、車は日本と同じ左側通行。

でも、曲がり角では、右側通行になってしまうことが多い。

日本の感覚だと、次の曲がり角で右折しようと思ったら、角に差し掛かる少し手前から、車道の少し右に車を寄せて走るのが常識。

こちらでも、同じ状況の時には、右に車を寄せるのだけど、時間にはルーズなくせに、運転しだすと、とにかく急ぎたがるネパール人運転手たち。少しでも早く右折するために、自分が今いる進行方向の車線を大幅にはみ出し、通り全体の右側(つまり、反対車線側)を走り始めるのだ。

曲がる地点よりもだいぶ前から、右折車は反対車線を逆送し始めるから、反対車線を正当に走ってきた車としては、逆送してくる車を避けるため、これまた同じく反対車線を走るしか方法がなくなってしまう。

だから、交差点ではなぜか右側通行になってしまう事が多い。

アホな原理だと思うが、道路に突っ立っている交通警察は、別に気にもとめていないようだし、右折時には逆送するもの、という感覚が、運転手にあるから、一向に改善されない。

逆送してきた車には、しつこいぐらいのハザード点灯&クラクション連発攻撃で、意地でも道を譲らないことにしている私だけど、皆が当たり前のように逆送し始める曲がり角では、巻き込まれて事故にあわないために、しかたなく私も逆送してしまう。

2006年1月9日月曜日

続・噛みタバコ

昨日話題に出した『噛みタバコ』。

私はタバコは吸わない。では、なぜ昨日この話題になったかというと。

『犬のオシッコ撃退対策』として、手元に用意していたから。

ヒマラヤン・アクティビティーズのオフィスが入っている建物の近くで、飼われている犬がいる。

日本でだったら、室内犬にでもなりそうな、白くてフサフサ長い毛の、小型犬。

でも、ヤツは、手入れもされていないから、いつも薄汚れたモップ状態。

しつけもされず、やりたい放題の放し飼いにされていて、自分の家の敷地内で好き放題するならともかく、他人のオフィスの入口の中に入ってきて、散々吠えまくった挙句、入口にオシッコ引っ掛けて去っていくようなアホ犬で、ホトホト迷惑している。

以前は、そのつど水で流していたりしていたのだが、最近では、いくら掃除してもキリがないので、放っておく事が多かった。

でも、入口に犬のオシッコジミが絶えないオフィスって、ちょっと恥ずかしい。

ということで、対策を練る事になった。

手っ取り早く、犬が嫌いなニオイの物を、閉店後入口付近にまいておけばいいのでは?ということで、いくつか候補が上がる。

『ベサル』(英名ターメリック、和名うこん)は? オシッコは止められても、床が黄色くなりそう。

『サンチョ・オイル』(*)を水に薄めてまく? でも、メントールのにおいは朝まで継続しないから、効きめはないかも。

* 非常に安価で買える、メイドインネパールの万能ハーバルオイル。メントールのにおいがする。お湯に数的たらして飲めば、風邪やのどの痛みに効くし、咳がひどい時には、ヴィックスベポラップのように胸に塗って寝ると、スースーしてすっきりする。関節痛などにもいいし、鼻づまりの時には鼻に当ててニオイをかぐだけで、鼻が通るようになる。

じゃあ、『スルティ』(既成噛みタバコ)を、まいてみようか?強烈なニオイも継続するし、よさそうじゃない?

では、そうしよう、ということで、閉店後、まいて見ることになったわけだ。

さて、その効果はというと、、、

テキメンだった。スルティはかなり強烈なニオイなので、さすがに、犬も近寄れなかったとみえる。

意外な場面で活躍してくれた、噛みタバコ(スルティ)だった。

2006年1月8日日曜日

噛みタバコ

『スルティ』と呼ばれる噛みタバコがある。

通常は、石灰岩の粉に水を混ぜて、手でコネコネしてから口に含み、出てきた汁を飲み込みながらタバコの気分を味わうのだけれど、既製品として、コネコネした後の物がパックされて売られている。

そのパッケージが、これ。(裏と表)





拡大してみると、、、



『スルティ』飲んで、『フルティ』(元気)になろう!というキャッチフレーズ(一応韻をふんでいる)のモデルとなっている、コテコテのオジサンが、微妙なポーズでキメている

2006年1月7日土曜日

夕焼けに間に合った!



帰り道。ちょうど夕暮れ時に重なった。

ここ何日も、夕焼け空がきれいな日が続いているけれど、きれいな空を見るタイミングを逃してしまっていた。

でも、今日は間に合いそうだ!

まっすぐ家に帰らずに、少し広い場所がある、近所の広場までバイクを飛ばしてみる。

この前は、広場についたときにはすでに夕焼け空は終ってしまっていたけれど、今日は間に合うかな?

いそげいそげ!

到着。西の空を見たら、日は山の向こうに沈んでしまっていたけれど、まだ、うねるような夕焼けが広がっていた。感動!

なんだか、夕焼けって、オーロラににているね。

2年前のちょうど今頃、オーロラを見にアラスカのフェアバンクスに行っていた。この時に見た、大ブレイクしたオーロラは、なんだか今日の夕焼けみたいだったよ。

2006年1月4日水曜日

見上げる先には

旅行者が集まる『タメル地区』から北に続く道を進んでいくと、4つ星のシャングリラホテル(Shangrila Hotel)を通り過ぎ、日本大使館、アメリカ大使館などが並ぶ通りに行き着く。

これらを左手に見ながらさらに北上し、トリブバン大学付属ティーチングホスピタルを通り過ぎ、もっと北へ進むと、銅像(ネパール人有名歌手、故ナラヤン・ゴパールの像)が中央に立つチャクラパト(Chakrapath)にたどり着くのだが、そのやや手前、北上体勢のままだと右側方向に、大きな建築現場を見ることができる。アメリカ大使館が、この敷地内に新たな建物を建てているとのこと。

周りには、高い塀が張り巡らされているので、中を見ることができないが、塀の外の通りから、敷地内上空を、飽きることなくじーっと見上げている人たちが多数いる。

なにを見上げているんだろう?



と思って、私も見上げて見ると、、、。

敷地の中ににょきにょきと空高く延びている2つの物体。ネパールでは見ることのできない、長~い(というか、高~い)クレーン。

このクレーンが、木材を吊り上げて、ぐるぐる回っていた。

『倒れないのかな?』『ほら、人が操作してるよ』『でもなんで、あんなぐるぐるまわってるんだろ?』『あ、木材が降りてきた!』などと会話を交わしながら、興味津々で眺める人たち。

、、、ヒマですね。

2006年1月3日火曜日

初自戒

調理にはガスよりも『かまど&薪』を使っている人のほうが多いこの国。カトマンズ近くの村に住んでいる知人(ネパール人)宅でも、普段の料理作りは、薪を使っている。ガスコンロも一応あるけれど、薪を使った方が断然おいしいご飯が炊けるから、ガスはほとんど使わないそうだ。

都市部にも、日本のような都市ガスのシステムはないから、家でガスコンロを使うには、ガスが充填されているガスシリンダーを購入する必要がある。



私のうちにも、このシリンダーが2本ある。1本はガスコンロにつないでいて(写真参照)、1本は予備として置いているのだが、大晦日の日に2本ともカラになってしまった。ずっと前に、1本はカラになっていたので、早めに充填しておかないとなあ、と思っていたのだが、まだ残り1本あるし、、、と後回しにしていたのがいけなかった。

ガスを求めに、あわてて近所のガス屋を何軒か周ってみたが、どこも在庫のガスがないという。

...困った。

「お願い!本当は出し渋ってるんでしょ?少し高くてもシリンダーごと買うから、売って!!」(*1)

と頼み込んでも、今回は通用しなかった。本当に、ないというのだ。

*1 在庫が少ない時は、ガス充填だけの客には売り渋る店も多い。しかし、『シリンダーごと1本買うから』というと、今まで出し惜しみしていたのが嘘のように、店の奥から喜んでガスを持ってきてくれることも多いのだ。

仕方がないので、ヒマラヤン・アクティビティーズのオフィスでお茶沸かし用に使っているガスシリンダーを、私の自宅用に持って帰る。

でも、このせいで、オフィスではお茶が沸かせなくなってしまった。

スタッフが探し回り、昨日、一軒売ってくれるところを見つけたので、シリンダーごと1本購入。

物がなくなると、どの店でも入手不可能になってしまうこの国。

『そなえよつねに』(ガールスカウトのモットー)を思い出し(*2)、面倒くさがってガス充填を延ばし延ばしにしていた自分を、新年早々戒めた。

そして、その初自戒成果を発揮すべく、灯油ストーブ(写真)の灯油がなくならないうちに、早速本日、購入しに行ったのだった。

*2 子供の頃、ガールスカウト活動をしていて、意味も分からない小さな頃から、「そなえよつねに」というモットーを覚えさせられた。この国で暮らていると、この言葉の大切さを身にしみて感じることがよくある。



余談。

『かまど&薪』を使って生活しているカトマンズ近郊に住む知人(ネパール人)から、けっこう本気ですすめられてしまった。

「既成のかまどが1000ルピー(約1600円程度)で買えるから、この際かまどを買っちゃえば?家に簡単に設置できるし、ガス代かからないし、何より、薪で炊いたご飯、おいしいよ」

・・・うーん、微妙。確かに、薪生活もあこがれるけれど、フラットを借りて生活している身としては、ちょっと現実的ではないよなあ、、、。

2006年1月2日月曜日

ナツメの実



最近よく見かけるプチトマトほどの大きさのこの実。タライ地方(南ネパール)が原産の『バヤル』(Bayar)。和名はたぶん『ナツメ』。

インド人果物売りのおじさんたちが、改造自転車(?)に乗せて売り歩く姿をよく見かける。

ネパール人でも、知らない人も多い、Bayarの実。



発酵しかけたりんごのような、りんごと椰子の実を足して2で割ったような、そんな味がする。

カトマンズにも、この木はあるけれど、実はそれほど大きくならないし、鳥たちについばまれて終る程度。

食用とされるよりは、菩提樹の木(*)同様に扱われる事も多い。

* 『チョウタラ』と呼ばれる休憩場所が、町や村の道のところどころにあって、そこには、菩提樹の木が必ず植えられている。そのそばには、Bayarの木も植わっていることがあって、人々が、木の根元にプジャをする光景を見ることができる。

2006年1月1日日曜日

2006元旦



カトマンズ市の西、少し小高い丘の上にあるスワヤンブナート寺院から拝んだ、初日の出。下界の街は、まだ霧の中。

スワヤンブナートは、観光地にもなっている目玉寺。猿が多いので、モンキーテンプルとも呼ばれている。



早朝、初詣もかねて参拝。地元民の参拝客でにぎわうけれど、今日が西暦の新年であることを意識しながら訪れている人は、多分ほとんどいないだろう。ネパールでは、今日は新年ではなく、普通の平日。(日曜もこちらでは休日ではないので、本当に、普通の日)

年末から準備していたおせち。重箱も気の利いた器もないけど、どうやって盛り付けよう?

あ、便利な物がある。ダルバート(ネパール定食)を食べる時に使う、ステンレスのお皿。通常は、手前の広い部分にご飯を山盛りのせ、みっつに仕切られている狭い部分に、おかずや漬物のような物をのせて使う。給食のお皿ではナイ。

案外、いいかも?



・・・とこんな感じで、新年第1日目を過ごす。